秋雲と兵士の千日と一夜の物語

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どうも作者の蟹眠です、前回の投稿が3ヶ月前ということに震えて寝ます(原稿から逃げるな)


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 月が恥ずかしそうに顔を出して雲にひっこめた。満天の星々の助けの元、一人の人影が静かに海から砂浜に接近する。

 その影はだんだんと少女の形になっていき、最後には茶髪をポニーテールにくくり、背中に煙突の形を模した艤装を背負った少女、駆逐艦娘の秋雲になった

 速度は1ノットも出ていないのに、湿るはずのない足の指が水につけられたように冷える、ぎゅっと唇を噛んで秋雲は揺らめかない砂浜に両足で着地した。

 秋雲に強力な浮力と推進力を与える夕雲型艤装が、にわかに地球の引力の干渉を受けて水を含んだブーツの足跡をきめ細かい砂浜に深々と残していく。

 秋雲にとって陸に乗り上げる時が一番怖い。昔スロープから上がろうとした時バランスを崩して鼻から上陸して以来、ずっと秋雲の記憶に住み着いて中々どいてくれない隣人になった。

 秋雲は真剣な悩みのつもりなのだが、いつも原稿を手伝ってくれる同僚の風雲にその話をしたら腹を抱えて笑われた時は、流石にムカッと来た。

 相手が自分の原稿の手伝いをしてくれている以上なにも言えなかったが、今でもあの件は秋雲は結構根に持ってる。

 ――人の悩みで笑うなんて、秋雲さんでもしないよ。

 海上より数段重くなった自重で長々とした砂浜に足跡で道を整地しながら、秋雲は脳内は今回の任務内容を反芻する。

 今回の任務は上陸する6時間前に敵襲の報告を打電してから沈黙している孤島の観測所の偵察。赤色海域と呼ばれる深海棲艦のECM下では、ミサイルなどの精密機器は軒並み使用不能になる、だからこそ、そういったECMの干渉を受けない艦娘が一役深海棲艦との戦闘の主役に躍り出た訳だ。

 どこまでも続くと思われた砂浜は急に途絶え、その代わり熱帯特有の鬱蒼とした密林の玄関が秋雲を出迎える。

 ここから先はなにが出るかわからない、鬼が出るか蛇が出るか、一寸先さえ見渡せない密林は少なくとも歓迎の意思を持っていない事だけは確かだろう。

 秋雲は腰に吊るしたマチェットを抜き、無意識に主砲のグリップを握りこむ、陸上では役に立たない魚雷は置いてきた。唯一の細い命綱はこの鼠色の連装砲だけ、駆逐艦以下にしか効果が無い豆鉄砲だとしても、そこらへんの小火器よりは多少役には立つ。

 秋雲は一度強めに自分の頬を叩き、いきますか、と虚空に呟いた。

 毒蛇の襲撃に警戒しながら、マチェットを振り回して秋雲は進む。30分ほど進んだのだろうか、一本の廊下……物資搬入用の獣道が秋雲の前に姿を現した。

 獣道から海が見えた瞬間、今までの啓開路が徒労に終わった事を理解した秋雲はがっくりとうなだれた。

 見知らぬ景色を注意深く観察するのは絵描きの習い癖みたいなものだ、消えかかった足跡の中に明らかに素足、しかもよりによって秋雲と同じく土が深々と抉られている。付近に艦娘が居るという報告は聞いていない、十中八九深海棲艦の仕業だろう。

 秋雲の背筋を数多の虫に歩かれたかのような悪寒が走りぬける、明らかに真新しい足跡、まだ1日も経っていない新鮮な足跡だ。

 もしかしたら接敵するかもしれない、そんな危惧と共に一抹の好奇心が秋雲を突き動す。

 その深海棲艦がどんな姿か見てみたい、その姿を絵として収めたいという「秋雲」の欲求が秋雲を前に進ませる。幸い今日は口うるさい僚艦はいない、存分に羽を伸ばそう、そこまで考えて秋雲はにやりと笑った。

 ふと振り向いた先、獣道から見た海は月に道を伸ばすように真っ直ぐに海へと続いていた。

 秋雲はふと心のカメラのレンズを向けるように自身の持っている手帳を開く。いい構図だ、自然とノックした傷だらけのボールペンで、紙に魂を吹き込もうとして、理性が引き留めた。

 すでに目標の観測施設の豆腐のような白壁はくっきりと見えている、ここからなら観測所を確認してからでも遅くない、任務の制限時間いっぱい描ける、そこまで考えて秋雲の歩みは自然と早まっていく。

 遠くからは良く見えなかったが、堅牢なコンクリート造りの2階建ての観測所は、そのまま秋雲の想像通りまるで隕石が直撃したみたいに半壊して無残な寂寥した廃墟の姿をさらしていた。

 これじゃ生存者を探す方が難しいと秋雲は辟易と息を吐いた。

 玄関は粉砕されているから適当な破孔から飛び込んで、秋雲はマチェットの代わりにベルトに括り付けたハンドライトを持ちだす。

 眩い光が飛び出して辺りの惨状が否が応でも目に入る、ありえない方向に折れ曲がったパイプ椅子に、形をとどめていない観測機材だったであろうものが辺り一面に散らばっている。そんな中でも秋雲はまるで台風が過ぎ去ったような荒れた地面を音を立てないように進んでいく。

 時折地面に深紅に染色された誰かの生きた証や写真が散らばり、打ち付けられたコンクリートに敷き詰められた瑠璃の破片が秋雲のブーツに刺さる。

 秋雲は2階に続く階段を登ろうとして、舞い上がったボロボロの紙切れを秋雲は邪魔そうに顔をよけた、慎重な足取りで一番近くの扉を開く。

 ギイっと言う不協和音と共に、崩れかけの扉が最後の力を振り絞り開く。

刹那、右回りにライフリングが施された拳銃の銃口が秋雲を捉える、秋雲もその殺気に主砲の砲口を向けた。

 じりじりとした緊張が付近の空気を伝播する。傷ついた獣が威嚇するような必死さで男は拳銃を下ろさない、だが秋雲の制服に気づいた次の瞬間、ゴトリと音を上げて男が銃口を下げた、秋雲もつられて砲口を下げる。

 自然の物音しかしない静寂に耐えられなくなって、秋雲が口を開いた。

 「こんな事を聞くのもなんだけどさ……大丈夫?」

 太ももの包帯が赤く染まった男は壁にもたれながら皮肉そうな笑みを浮かべて見せた。

 「大丈夫……では無いな」

 その達観した声よりも先、秋雲の脳内で桜吹雪がありありと映し出される。そしてあの日の後悔の事も。

 聞きたくないのに、自分でも怖くなるほど自然とその言葉は口から流れ出る。

 「その声、もしかしてハマ君?」

 男の瞳孔が丸く大きく開いた、彼がいつも驚いたときにする反応。

 あの頃からまったく変化のない反応に秋雲は自身の心配は杞憂で済んだ事を知った。

 きっと彼も同じ事を思ったのだろう

 髪色も目の色も違うのにピタリと秋雲の正体を当ててみせた。

 「その声もしかして、あっきー?」

 久しく呼ばれていない渾名を聞いて秋雲の口元が綻ぶのを止められなかった。

 「久しぶり……卒業以来だね、弱ったなぁこんな再会の仕方は考えた事も無かった」

 苦笑しながら秋雲は背負っていた艤装を地面にそっと下ろして、男のそばに座った。

 男が世間話でもするように口を開く。

 「まさかあの絵しか興味が無かったあっきーが艦娘になるなんてな」

 「そっちこそ、あのひ弱なハマ君が歩兵になってるなんて知らなかった」

 そう話しながら秋雲と男は、お互いに昔と変わらず顔を見合わせて笑った。

 近くで見ると昔より一回りがっしりとした肩が秋雲の海馬を混乱させる。

 「そういえばあっきーはさ、今なんて名前なの?」

 「秋雲……夕雲型駆逐艦秋雲さんだよ」

 「秋の雲か……いい名前だね、あっきーらしい」

 もう4年も前なのに、高校に入学したあの日の記憶が克明に思い出す。

 ――そういえば初めて会った時も、同じように名前を褒めてくれたっけ。

 その時は珍しい人が居るもんだとしか思わなかったけど。

 「そう言えば卒業してからお互い連絡取ってなかったけど、元気にしてた?」

 負傷者が元気と聞くのも笑い話だが、そんな何気ない一言が矢になって秋雲に突き刺さる、連絡先は知っていたし、家にお邪魔した事も何度かあった。

 それでも連絡できなかったのは、軍学校に居て多忙だったから。

 いや違う、自分に言い訳しても意味がない、秋雲はただ単純に会うのが怖かったから、気持ちの整理がつかなかったから。

 あの日ちぎって捨てた1枚の手紙の、紙吹雪ほど秋雲の心は軽くない。

 「元気元気!なんか売れっ子作家になっちゃってさ、みんな秋雲先生秋雲先生って言ってくるのよ。陽炎…友人もからかってきて、これが又困り物で……そういうハマ君こそ最近どう?結婚出来た?」

 少しからかうように秋雲は言ったはずなのに何故か男は苦笑いを浮かべたようだ。

 男のゴツゴツした薬指にはめられた銀環が月光を浴びて、星屑を集めた輝きを放つ。

 その銀環の光が今の秋雲にはとても冷たく体の中に刺さってくる、忘れたと自分に思い込ませていた心の傷に潮風が染み込んでいく。

 咄嗟に唇を噛んで秋雲は傷を庇うようにぎゅっと体を抱きこむ。

 「それは……おめでとう」

 何処か自分の言葉がひどくよそよそしく、他人が言ったような響きを纏った。

 そんな秋雲の拒絶を纏った語気に気づかないのか男が話し出す。

 何故だろう秋雲には男の話が酷くボンヤリと海霧のように霞んで聞こえた。

 そんな独りよがりな聞こえないふりでも、男の話はただ滔々と続く。

 「俺には過ぎた嫁だよ、几帳面過ぎるのが玉に瑕だけど」

 いっそもったいなさ過ぎるくらいと男は付け加える。

 歳月は人を変える、あの頃の本名では無く今は駆逐艦秋雲であるように、彼もあの頃と同じ彼では無い。

 きっと彼ぐらいの人だったら、私よりいい人はそれこそ星の数ほどいるだろう。

 そう考えてみるが、秋雲はどうしても瞳が潤うのを止められなかった。

 急に男が激しくせき込む、赤色の体液が男の口から飛び出した。

 明らかに顔色が悪い、ふと握った男の冷え切った手に秋雲は驚愕する。

 「ねえ大丈夫なの」

 男は口についた鮮血をふき取りながら冷静に答える。

 「大腿部の破片が動脈に刺さってるし胸骨も何本も折れてる。今も生きているのは殆どモルヒネのおかげだな」

  俺ならエマージェンシータグも巻いてない。皮肉気にあの頃よりも若干低くなった声で男は言う。

 「止血しなきゃ、止血帯ならあるから秋雲さんが巻いてあげる」

 そう言って慌てて止血帯を取り出した秋雲を男は首を横に振って止める。

 「大腿部に止血帯を巻いても意味が無いのは軍学校で習っただろ、それに衛生兵でも手の施しようが無いんだからもうどうしようもないさ」

 そう言って男は左腕の血染めの十字架をかざして見せた。

 確か医者志望だったっけ、ふとそんなことが頭の隅を通り過ぎる。

 そんなひと時の現実逃避よりも先、濁流のように押し寄せてくる涙液にぎりぎりで耐えていた涙腺の堰があっけなく崩壊した。

 こんな再会なんて望んでなかったなかったのに。

 自分の身体から油が漏れたかのような錯覚が秋雲を襲う

 その涙の水音に気づいたのか男の裾が秋雲の顔を掠める。

 振り向いた先、男の苦笑が月のスポットライトを受けてくっきりと映し出された。

 「おいおい泣かないでくれよ、折角の美人が台無しだって」

 そんな安っぽい、使い回されて襤褸切れになった台詞(セリフ)は秋雲には届かない。

 ずっと変わらない、あの困った笑いの毛布が秋雲を包み込む。

 違う、そんな言葉が聞きたかったんじゃない

 そう叫びたかったのに、言葉が嗚咽に遮られて出ない

 男はぼんやりと廃墟から星を見上げて続ける。

「でも最期にあっきーと再会できて良かった、あっきーはホラ特にお喋りだから暇にはならないからさ」

 ふと青白い顔が昔の垢抜けしない顔と重なって、陽炎に巻かれて消えた。

 お喋りなのはどっちだか、最初に喋りかけてきたそっちのクセに。

 ぼやけた眼球のピントの先、見慣れた学生服の青年が手を振ってくる。

 美しい桃色の吹雪の下、青年の口が誰かの名前を呼んで笑った。

 そんなありもしない白昼夢に秋雲は袖で涙を拭う。

 ――あの人の最期に見せたいのはこんな泣き顔じゃない。

 無理やり取り繕った笑顔で、秋雲は男と正対する。

 左手でメモ帳を右手でボールペンを血が出そうなほどきつくきつく握りながら、涙がこぼれ無いよう下は向かず秋雲は男に問いかけてみせた。

 「何か見たいものはない?秋雲さんが描いてあげる……昔より上達したからさ、絶対にハマ君の期待以上の物が描ける自信があるんだよね」

 ふと男が考え込む……どれくらいたったのだろうか。時計の心音が両手で数えられなくなるぐらいの時間が過ぎて、男がおもむろに口を開いた。

 「桜が……あっきーがくれた桜をもう一度見たい」

 その言葉に秋雲は触雷した時よりも激しく体が揺さぶられる、秋雲も失念していた、あの線画も歪な桜の絵、彼にあげた初めての絵。

 秋雲忘れ去っていたあの絵を男が覚えていたことに気づいて、秋雲の中で心が黒雲になって後悔の雨が降る。

 勝手に諦めて、勝手に忘れようとしていたのはいったいどっちだろう。

 そう思うと今までの自分がとても滑稽でどうしようもなくなって、秋雲の心が鎖で巻き取られたように痛んだ。

 「わかった、まあ描いている間暇でしょ、秋雲さんの話でも聞いてよ」

 そういうと秋雲は小雨のようにぽつぽつと話し出す。

 艦娘になった理由も。

 初めて深海棲艦を沈めた時の話も。

 親友の風雲と巻雲の話も。

 そして陸に上がった時に盛大にこけた話も。

 秋雲の話がいくらか飛んだり、脱線したりしても。男は面白そうに相槌を打ったり、時折無理やり笑って見せた。

 高校の時と大して変わらないそんなやり取りが、あの時とは違う南洋の甘い匂いを纏ってゆっくりと過ぎた。

 ずっとこんな時間が続いてほしいと思っても、砂時計の砂はいつか尽きる。

 秋雲が手がトンと止まる。

 セピアに着色したメモを見た時、男の頬を初めて一滴の水が引力に引かれて落下した。

 もうあの頃のような歪な線画じゃなく、薄い鉛筆の筆跡じゃなくとも、男は()()が描いてくれた、その事だけで十分だったのだろう。

 「ありがとう、本当にあっきーの絵はきれいだよ」

 そう一言残して男は満足そうに目を閉じた、触れた手から熱が引いていき、薄められた心拍がふと無に還る。

 もう開くことのない瞳を見ながら、ぽっかりと秋雲の心にあいた破孔に仄かに海の匂いが染みてくる。

 ひどいよ。

 家で帰りを待っている人が居るのに。

 やっと再会できたのに。

 やっと近づけたのに。

 ひどい、虫の鳴き声で聞こえなくなるほど小さく秋雲は呟く。

 あの時もっと突き放してくれたら、こんな気持ちにはならなかったのに。

 そんな八つ当たりじみた考えが秋雲の心の荒野に小さな砂嵐を生み出す。

 しかし秋雲はそんな言葉と裏腹にもう体温を感じ取れない男の右手を取った。

 貴方にあった時から変わらない、ごつごつした大きい手。

 男に会った日から、秋雲の心はずっと彼に握られたままだ。

 どうしてあの時諦めてしまったのだろう、そんな懺悔はもう届かない。

 届かないとわかっていても、男の安らかな寝顔に言わなければいけない気がした。

 こっちこそありがとう、大好きだよハマ君。

 満天の星空が観測所を包み込んで、急に振り出した秋雲の涙の雨はコンクリートを潤す。風に吹かれたメモはただ男の後を追って月へ消えた。




ペリリューは良いぞ

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