Master of monsters
1986年11月21日。
英国都市部ロンドン郊外。ヘルシング家本拠。
「そうか……。やはり、この杖はお前を選んだか………。良いか、インテグラ。私が死んだら、次の当主はお前だ………」
過去に
アーサー・ヘルシングは、ベッドの上で弱弱しくそう言った。
父の親友で後見人に指名されたアーサー・ウィズーリーを始め、私の叔父などの集まった人間達はその言葉に耳を傾けた。
5年前、父が何処からか連れて来た幼い吸血鬼であり、吸血鬼でありながら血を全く受け付けようとしないセラス・ヴィクトリアに至っては、もう既に泣きじゃくっていた。
「この英国を代々守護し、魔法界の監視と橋渡しの務めを果たしてきた我が
「はい、お父さま………」
「インテグラ、お前にはもっと教えたい事、伝えたい事が沢山あった。お前に脈々と流れているヘルシング家の血と誇り。もっとずっと見守っていてやりたかった………」
血があまりに多く混じった咳をし、プルプルと震える手を私に差し出しながら父は語る。
「アーサー。旧友たるお前にこの子を任せる。この子の頼みごとをできる限り叶えてやってくれ………」
「………ああ。私の力が及ぶ限りでな」
「リチャード、頼む。どうか頼む。当主となるインテグラを、どうか支えてやってくれ………」
「はい、兄上」
アーサー・ウィズーリーと私の叔父であるリチャード・ヘルシングは共に父の言葉に頷いた。
その言葉を最後に父の呼吸は少しずつ浅くなっていき、いつしか眠るように目を閉じた。
この日、私は正式にヘルシング家の当主になった。
それから3日が経った。
「探せ!奴は何処かに隠れてるはずだ!新たなヘルシング家当主、インテグラ・ヘルシングを探し出せ!」
「必ず奴を見つけだすぞ!我らが同胞を散々殺した憎きヘルシング家の血筋を………ここで根絶やしにするんだ!!」
「現ヘルシング家当主と言っても所詮は14歳の子供!見つけ次第殺してやる!!」
ヘルシング本部に駐在していたマグルの警備員2人と、控えていたHELLSING職員数人を殺し、数ある部屋をあちこち手あたり次第荒し回りながら、
父の葬儀がようやく終わり、再編成のため別所にHELLSING職員の主力ほぼ全てを終結させたタイミングで、
数も少なくなりつつあった
………だが、だとしても、我々HELLSINGや闇祓いに日夜追われ、余裕がない筈の
それを
まるで裏で何者かが糸を引いているかのよう。
「……きっと、叔父上の仕業に違いない。叔父上はずっと当主の座を狙っていた。本部の位置と今ここに主力がほぼいないという情報を流したんだ」
自分の不甲斐ないも勿論だが、叔父上のあまりに愚かさに私は自らの手を震わせる。
「父上が死んでまだ1週間と経っていないのに………!!叔父上、あなたはあまりにも
私が発した言葉はあまりにも怒りに満ちていた。
「インテグラさん……。私達、これからどうするんですか?ウォルターさんも……今はここにはいませんし………」
声を酷く震わせて、私の傍で同じく隠れていたセラスは弱弱しく尋ねた。
ここから逃げようにも出口は魔法で封鎖され、今隠れている通風孔もきっと長くはもたない。
助けを呼ぼうにも見渡す限り電話はもう壊されてしまっているし、悠長に梟を飛ばす暇なんてある訳がない。
戦おうにも護身用の銃と杖は持ってこそいるが、相手は大人の魔法使い。
それも人を殺す事に何の躊躇もない
敵う訳がない。
『インテグラ、お前に私が残してやれるのは一ツだけだ。もし、お前に本当に危機が迫った時。どうしようもない敵の勢力に追い詰められた時』
『地下に行け。地下の忘れられた牢獄へ行け。そこに我々ヘルシング一族の一ツの
セラスの言葉に何も言えず黙りこくっていると、ふと父が残した言葉が蘇った。
ちょうどこの通風孔を抜けた先がその牢獄だ。
「大丈夫だ。もっといい隠れ場所がこの先にある。早くそこに行って隠れてしまおう」
そこもおそらくは時間の問題だろうと、口に出してしまいそうなのを必死に我慢し、震えるセラスを私は宥めた。
ある程度セラスが落ち着いたのを見計らって、私達は今いる通風孔の奥へと向かう。
途中の分かれ道で通風孔から這い出て廊下に降り、暗い暗い廊下の道の先にあった牢獄への扉と対面する。
周囲に
ここが見つかったらもうお終いだ。
「イ、インテグラさん………!あ、あれ…………」
同様した様子のセラスの声を聞いて振り返ると、そこには干からびた男の死体があった。
男の死体は拘束衣を着せられているばかりか、体のあちこちを釘で張り付けられており、体のあちこちが一部白骨化していた。
状態からして数年は放置されていた事が察せられる。
「これが……私を守る術?この干からびた死体が………?」
しばらく眺めてみるもうんともすんとも動かず、死体はずっと死体のままだ。
元気だった頃父はよく冗談を言ったものだが、これももしその冗談の一つだとしたら質が悪すぎる。
数年も死体をほっぽておくなんて、なんて酷いのだろう。
悪いヤツから守ってくれる騎士をほんの少しだけ想像していただけに、私は内心で落胆の感情を抑える事が出来ない。
「…………………」
「………セラス、一体どうしたんだ?そんな死体をずっと凝視して」
落胆のあまり何も言えず虚空を見上げていると、ついさっきまで怖がっていたはずのセラスが死体を凝視している事に気づいた。
奇妙な事に瞬きの一つすらせず、私の声に反応するにも少し時間が掛かった。
「い、いえ、その………私にもよく分からないんです。一度だってこの人と会った事はない筈なのに………。気のせいかもしれないんですけど……ほんの少しだけ、懐かしい気がして………」
私の問いに対して答えになってない返答をすると、セラスはまた死体を凝視した。
幼いからなのか、吸血鬼でありながらセラスは頑丈さと太陽と水に弱い以外は殆ど普通の人間と変わらず、本来あるはずの吸血衝動も一度たりとも見せた事はない。
それどころか食事の度に渡される輸血パックの血液を拒絶し、仮にも死人のような存在でもあるはずなのに私以上に食べる始末だ。
正直、私は彼女が吸血鬼である事を疑っている。
……けれど、この違和感一体なんだ?
セラスがあの死体を見てからずっと、どうも様子が明らかにおかしい。
まるで何かに憑りつかれてしまったように何も話さず、最初に怖がった時と私が喋りかけた以外はずっと無表情で、まるで顔に面を張り付けてしまったかのようだ。
この死体は………一体何なのだろう?
「おいっ!こっちに地下室があるぞ!!こっちは探していないな!!」
「何だこれ?鍵が掛かっている?まさかこの中にでも逃げ込んだのか?」
「小癪な奴め!おいっ、そこで待っていろ!直ぐにでもこじ開けてやる!!」
ドタドタと足音が近づいたかと思うと、何度も強く牢獄への扉を叩く音がした。
鍵の掛かった扉を魔法で無理矢理開けようとしているらしく、扉の閂が小刻みに震えている。
逃げようにも出入り口はあそこしかなく、牢獄内は例の死体があるのみで他には何も置かれておらず隠れ場所もなし。
扉を開けられたらもう為す術はないだろう。
「
負けじと私は杖を振り施錠呪文を放って閂を一度元の位置に戻すが、それに反発するように扉が激しく揺れる。
鍵を中から閉めようとした事で、
魔法で扉全体を抑えつけようとするも、相手が3人掛かりでは歯が立たず、少しずつ押し込まれてビキビキと扉にヒビが入っていく。
しかし、そんな緊迫とした状況であありながら、セラスはずっと無言と無表情を貫き、身動き一つすらしなかった。
『私の……名は………■■■■■。お前は……あの時の………。………そうか、そうだったか。アーサーは、かつての我が主は…………律儀にも、頼みごとを守ったらしい』
ふと何処からか、声が聞こえた気がした。
その直後に遂に扉は限界を迎え、散らばった大量の破片が牢獄内のあちこちに散らばった。
破片に肩を抉られて私の鮮血があちこちに飛び散り、後ろにいたセラスとそこにあった死体にも血がかかった。
「手間取らせたな。だが、これで終わりだ。お前達HELLSINGさえいなければ………俺達がこんな目に遭う事も、あの方がいなくなる事もなかった。ただでは殺さんぞ」
激しい感情をぶつけられた事で思わず身が竦んでしまい、一瞬ではあるが杖を構えるのが遅れてしまった。
その隙を突かれて私は壁に叩きつけられ、応戦する間もなく杖が地面に落ちる。
体を魔法で宙に浮かされ拘束され、目に見えない力で首を締め上げられた。
苦悶の声が口から発せられる、
「なんだ?このガキとこの死体は?こんなのがいるなんて聞いてないぞ」
「干からびてるだけの死体は兎も角として、ガキの方は暴れられたら面倒だ。さっさと殺してしまおう」
そう言って、
どうにか拘束から逃れようと必死に藻搔いてみるが、所詮今の私は魔法も使えないただの子供だ。
空を蹴る事しか出来ない。
『ほぉ?こいつ等はあの男のシンパか。まだ生き残りがいたか。お前が仮にも我が血族だというのなら見せてみろ。主人に群がろうとする雑魚を、さっさと片付けてやれ』
私が思わず目を閉じると、またもぼんやりと声が聞こえた気がした。
すると突然悲鳴が響き渡る。
目を開けて杖を向けていたはずの
頭が横方向に真っ二つになって、鼻から上が地面に転がっていたのだ。
その惨事に動揺した
どうにか受け身をとって怪我を逃れつつも、私は顔を上げてそこにいた何かを確かに視界に入れる。
その何かは、今死んだ男の死体が作り出した血の池の中心にいた。
私より小さい体格であり、その金髪には見覚えがあった。
けれど、青かったはずその瞳は、ドス黒い赤い瞳に変わっていた。
「セラ……ス………?」
驚きと恐怖が込められた声が、思わず私の口から零れ落ちる。
そこにいた何かは、セラス・ヴィクトリアは、自身が殺した男の半分となった頭蓋をトドメとばかりに頭を踏み潰し、言葉では言い表せない程の笑みを浮かべていた。
私の知っていたあの幼い少女の姿は何処にもなく、父が生前言い聞かせるように話してくれた吸血鬼。
紛うことなき
「うあぁ!!ああぁぁぁぁ!!」
残った2人の
しかし、セラスは横っ飛びでいとも簡単にその閃光を躱し、
閃光を躱して躱して一気に近づき、正面に作り出された盾魔法の防壁を拳で破壊して、
そのまま絶叫する声を無視して手刀で心臓を貫いて、物言わぬ骸をまたも作り出した。
それと同時に、セラスのドス黒い赤へと染まっていた瞳が、少しずつ青い瞳へと元に戻っていく。
「あっ……ああ…………。
瞳が完全に元に戻るとセラスはその場に膝をつき、最後に誰かの名前を呟いて倒れ込むように意識を失った。
そんなセラスを受け止めようと、何処からか腕が伸びる。
セラスを受け止めたその何かは、腕に抱いていたセラスを地面に寝かせると、私の方に向かって歩いて来た。
警戒する私を見定めるように一瞥すると、直ぐに膝をついて首を垂れた。
この時、私は直感する。
目の前にいるその何かは、つい先ほどまで干からびていた死体であり、決して人間などではないと。
そして何よりもセラスと同じ、
「御怪我は御座いませんか?『ヘルシング卿』。自らの勝手で我が眷属を試した事をお許しください。どうか御命令を。
私の頭の中で幾つもの疑問が駆け巡っていく。
何故、ヘルシング家の宿敵であるはずの吸血鬼が、私の事を主人と呼ぶのか。
何故、父はどうしてこんなものを地下に封じていたのか。
何故、目の前にいる吸血鬼はセラスの事を眷属と呼んだのか。
あまりにも分からない事が多過ぎる。
「お、お、お前は……どうして、ここに…………。あの方がいなくなった後に……姿を消していたはずなのに!!」
残っていた最後の
私を守るように立ち塞がりつつも、吸血鬼は尚も見定めるようにその眼をこちらに向けていた。
………分からない?それがどうした。
懐の銃を構え、私は覚悟を決める。
私が、このヘルシング家の当主となり、
この大英帝国の守護者になると。
敵が如何なるものであろうと邪魔するものは叩いて潰し、逃げも隠れもせず正面から粉砕すると。
この
「お前、名前は?」
「
────
この時ようやく真の意味での、ヘルシング家当主になれた気がした。
渇いた銃声が、牢獄内に木霊した。