時過ぎて(大人悪魔ほむら×大人さやか短編集) 作:さんかく@
「神浜市にはもう行かない方がいいわ」
どうしてと尋ねると彼女の返事は
「どうしてもよ」
だった。彼女が理由を言わない場合大抵深刻な事情があると美樹さやかは知っていた。それから薄い桜色の唇を閉じて黙り込んだ彼女をさやかは伺うように覗き込む。長い睫毛に隠れるアメジスト色の瞳。とにかく彼女は恐ろしいほど美しかった。と、その瞳が急にこちらの方に向けられたので思わずさやかの心臓が跳ねた。
――これだから困るのだ
もうあれから10年経っているというのに今だに慣れない。例えばゆっくりとこちらを見上げる時に艶やかに揺れる長い黒髪だったり、その猫の様な眼差しだったり。さやかは顔を逸らした。
「どうしたの」
知ってるくせに、とさやかは心で呟く。そのからかう様な口調は楽しんでいるに違いない、顔が熱くなるのを感じながらさやかは声の主の方を覗き見た。ああ、やっぱりと思う。声の主である黒髪の女性はこちらを見て微笑んでいて。さやかはいてもたってもいられなくてその女性の名前を呼んだ。
「もう、からかわないでよほむら」
「あら、からかってなんかないわ」
フフ、と笑いながら黒のワンピースに身を包んだ黒髪の女性――暁美ほむらは目を細めた。組んでいた腕を下し、白のシャツとデニムに身を包んだ彼女より少しだけ背の高い女性-さやかに近づくと横に並ぶようにして立った。ここはマンションの最上階、そして窓辺に立つ彼女達の前にはどこまでも広がる青い空と高層ビルが広がっていた。
*****
暁美ほむらが世界を改変してから10年が経っている。紆余曲折を経て軋轢を解消していった彼女達はこうして共に戦い共に暮らす様になった。この歳月で周囲の状況も変化し続け互いの外見も大人のそれへと変わっていった。互いの成長した姿を見る度今までのことが夢だったのではと二人は時折思う様になるがもちろんそれは錯覚だし、彼女達の力も魔獣も現実として存在している。
「…あと数回聞き込みしなきゃいけなくて仕方ないのよ」
窓の外を眺めながらさやかは呟いた。困った時の癖なのだろう腰に手をあて反対の手で頭をやや乱暴に掻く。肩まで伸びた髪すらりと伸びたしなやかな肢体を持つ彼女の姿はどこか中性的な美しさがあって。
「そう…」
同じ様に窓の外を眺めながら頷くほむら。細められた目に長い睫毛、繊細な絵の様に美しいその顔がゆっくりと右隣にいるさやかに向けられる。少しだけ顔をあげたのは蒼い髪の女性の方が少しだけ背が高いからで。視線に気づいたさやかもほむらの方へ顔を向け覗き込むようにこちらは少しだけ頭を下げた。そのどこか「間の抜けた」感じのたれ気味な目を見つめほむらは口元を緩めた。以前まで「腹が立つ」と評していた身長差も今はもう気にならないらしい。
「おまわりさんは大変ね」
「まあね」
からかうような口調のほむらに肩をすくめるさやか。さやかは警察官だ。当初は魔獣との戦いに支障があるからとほむらは反対していたが、今では表面上人として過ごしているうちには何かと都合がいいため協力的だ。むしろほむらの協力がなければさやかもこの仕事を続けることはできなかっただろう。
「でも……何かあったらすぐに連絡して」
「珍しい…あんたがそんなこと言うなんて、一体神浜市に何があるの?」
「何かあるのかも知れないし、ないのかもしれない…」
そう言ってほむらははあ、と息を吐いて肩を上下させた。珍しいことだ。首をわずかに傾げながらさやかを見上げる。左耳のイヤーカフスについている宝石が一瞬きらめいた。
「私が昔から口下手なの、貴方知っているでしょう?」
これもまた珍しいことだった、こんな風に自らを曝け出すような喋り方ができるのもまた10年という歳月の賜物なのだろう。何故か頬を赤らめているこちらを見つめているほむらの顔を不思議そうにさやかは見つめ、そしてしばらくして何かに気づいた様にあ、と声をあげた。
「もしかして…あの絵…アリナ・グレイのこと?」
*****
アリナ・グレイ――その名をさやかが目にしたのはある事件の聞き込みで神浜市の美術館を訪れた時のことである。たまたま入口近くにあった色鮮やかな絵が目に止まり近づいてみてさやかは驚愕した。その色彩豊かな絵は魔女結界そのものだったから。驚きで顔をこわばらせたままさやかは絵に近づき下に貼られているキャプションを読み、その名を知ったのだ。
『新進気鋭の画家、エキセントリックな言動で有名よ、そして彼女は魔法少女だった――正確には別の世界でね、ここではどうかしら、わからないわ』
その夜、事の顛末を話すとほむらはそう答えた。ほむらは次元を越えることができる。そのためあらゆる世界線を見渡すことが可能なのだ。そして円環の理においてさやかも全てを見てきているはずなのだが、以前ほむらに記憶を消されて以来完全に記憶が戻ったとはいえない状態のため、まったくその名前に心当たりがなかった。
――私はどれだけのことを忘れているのだろう?
さやかはふとそう思った。アリナ・グレイのあの絵は別の世界の記憶の影響だということで昨夜は落ち着いたが、もしかしたらほむらにはもっと気がかりなことがあるのかもしれない。それが思いつかない自分がふがいなくてさやかは困った様な表情を浮かべる。先ほどのさやかの問いにほむらは答えず黙ったきりこちらを見ていて。
――一体どうしたんだろう
さやかは困惑する。さっきからほむらの様子が変だ、寡黙だが必要な事は率直に口にする彼女が何か言いたくて言えないような…
――ああ、そうか
さやかはあることに気づく。
「…ごめんそういうことじゃないのよね」
そう言ってさやかは微笑んだ。それはいつもほむらに指摘されているへらへらした笑いではなく、落ち着いたもので。
「あんた私を心配してるのよね……ありがと」
目を丸くするほむら。その瞬間悪魔でも魔法少女でもない「暁美ほむら」の顔が見えた気がしてさやかは嬉しくなった。
「別に私は…」
珍しいことも続くものだ、ほむらは依然「暁美ほむら」を曝け出したままで。さやかは笑って「いいって」と小さく囁いた。
「あんたにそう思われてるってだけで私嬉しいからさ…それにうまく説明できないなら仕方ないわよ、何かわかったら教えてくれればいいし」
「さやか…」
不思議そうにさやかを見つめるほむら、その顔が次第に寂しそうなそれに変わる。
「貴方変わったわね」
「へ、そう?」
「ええ、でも…」
「でも?」
「なんだか寂しいわ」
そう言ってほむらは苦笑した。爽やかな表情で。
「でもあんたも変わったわよ」
「そう?」
「うん、なんだか素直になったっていうか、可愛くなったわ」
ほむらの美しい顔が強張る。地雷だったのか?と一瞬さやかは戸惑った。だが徐々にその顔に赤みが差すのを見てさやかは笑った。ああ、そうだこの悪魔は照れ屋だったと。だがいきなりその悪魔の細い腕があがりさやかの頭に振り下ろされた。
ばちん
「あいたっ!ちょ、何よ急に」
頭をおさえ抗議するさやか。涙目なのは、意外とスナップを効かせてきたほむらの打撃が強かったからで。ふ、とほむらが吹き出した。
「お間抜けなところは変わらないのね」
「ひど」
目を白黒させているさやかを目を細めて見つめるほむら。その表情はいつもの妖艶な悪魔のそれで。こんな時でも見惚れる自分が悔しいのだろうさやかは顔を赤らめながら口まで尖らせて。とうとうほむらは笑った。
「あんたこそ全然意地悪じゃない!まったくもう…変わってな」
ふいに白い細い腕が伸びて、さやかはぐいと引き寄せられる。重なる唇と唇。
「前言撤回ね」
しばらくして顔を離すと、濡れた唇を僅かに開きほむらは囁いた。これ以上にないほど真っ赤になったさやかの顔。
「な…」
「お間抜けなところだけじゃなくて、全然変わってないわ貴方」
そう言ってさやかの首に腕を回したまま、くっくっと楽しそうにほむらは肩を震わせる。
「ったくもう…」
溜息をつきながら、ほむらの腰に手を回すとさやかは引き寄せ抱きしめる。小さい笑い声を発した後、ほむらはさやかの肩に頭を預けそのままおとなしくなった。抱き合う二人。しばらく二人はそのままでいた。
******
「〇〇県警の美樹です」
警察手帳を見せると美術館の職員はすぐさま職員執務室へさやかを案内した。2回目の聞き込みなので職員もさやかの顔を覚えていたらしい。対象者が少ないため今日は美樹さやかは一人で訪れていた。
『神浜市にはもう行かない方がいいわ』
ほむらの言葉を思い出し、さやかの顔が一瞬険しくなる。一体何が起きるのかといつも以上に周囲に警戒してこの神浜市の美術館を訪れたのだが、今のところ何も起きていない。
「今日は刑事さんの指示通り当日休みだった職員を集めてます」
「助かります」
気さくに話しかける職員に礼を言いながら、さやかは展示されている作品に目をやる。執務室が展示室の奥にあるため数点の作品はどうしても目についてしまうのだ。だが今日は意図してさやかは作品を見ていた。
――あった。
さやかは心で呟く。色彩豊かで荒々しいタッチで描かれた絵がそこにあった。キャプションにはアリナ・グレイの名前。
――どう見ても魔女結界だわ
さやかは驚きを隠せなかった。この絵を見るのは二回目だが、見れば見るほど魔女結界にしか見えず、引き込まれていきそうなる。色鮮やかな背景の中央に陣取るように立っている真っ赤な人の形をした者――魔女だ。
「だから。気に入らない絵をずっと飾っておくのは精神衛生上悪いワケ、わかる?」
と、少し離れたところから女性の甲高い声が聞こえてきた。背広姿でひたすら頭を下げ続けている中年男性とさやかと同じパンツスーツ姿の女性。顔をあげてその様子を見つめるさやか。女性は不思議な髪の色合いをしていて。
「アハ」
「え?」
その女性がこちらを向いて笑いかけてくる。目を丸くするさやか。スタスタと早足で歩いてきたかと思うと、さやかの顔に自分の顔を近づけてきた。いきなり過ぎる無作法な行為に、さやかもただただ驚いて。
「あなた、面白いよネ」
「…何が?」
さやかは動揺を隠しながら尋ねる。女性はさも愉快で堪らないと言う様に笑顔を浮かべ、そうして右手の人差し指でさやかの胸の間をつついた。
「いつかあなたの中のモンスターをアリナが描いてあげる」
目を見開くさやか。女性はニイ、と笑うとさやかから離れ早足で去っていった。追いかける中年男性。
「あ、あの…大丈夫ですか?」
身動きしないさやかを見て職員がおどおどした様子で尋ねる。
「…ああ、なんでもありません、さあ行きましょう」
いつもの様にたれ気味の目を細めさやかは愛想よく笑った。再び執務室へ向かい歩き出す。
「……」
職員が先を歩くとさやかの顔から笑みは消え、険しい表情のそれになる。
――あれがアリナ・グレイ
さやかの瞳に暗い影が差した。
『いつかあなたの中のモンスターをアリナが描いてあげる』
それはとても暗い、死んだ魚の様な目で――
END