たった1つの過ち。君は僕に微笑んだ。
それはとっても綺麗なお話。優しさで包まれた物語。
岸から湿った冷たい空気が屋上に強く吹き抜けた。めっきり早くなった夕暮れに、持ってきたマフラーは必要だろう。
放課後、人がいなくなった4階の教室から風を追って廊下を渡り階段を下るとき、いつもとは違う、上からの空気の流れを感じた。何かの焦燥感に駆られて、普段は南京錠が掛かっているはずの、乱暴に開けられたドアをくぐった。1番遠くの校舎正面側、屋上の眼下、フェンスの向こうで女子高生が死んだ。
その子は僕の彼女だった。一目惚れだった。入学当初、同じクラスの彼女は冴えない自分に優しく声をかけてくれた。以来、僕は彼女に夢中だった。彼女は陸上部に入っていた。放課後遅くまで練習してる彼女は、他の誰より綺麗だった。夏休み、偶然であった彼女と一緒に巡った夏祭り。花火なんて好きじゃなかったけど、閃光が照らした彼女の横顔の写真は、今でも大切な宝物だ。秋にあったマラソン大会。走るのは苦手で、いっつもビリだった。足の早い彼女についていくのは大変だったけど、気遣わしげに見てくる彼女の優しさに、また惚れた。文化祭では一緒に文化祭実行委員会を担当した。文化祭なんていい思い出は1つもないけど、彼女がいたから人生で最高の1日になった。
なのに、どうして。
君はフェンスを乗り越えたの。南京錠は錆びついていて、あの子の力でも簡単に壊せたようだ。一体何が君を追い詰めたというの。
彼女は明るい子だった。中学の友達や、新しくできた学友といつも楽しげに会話をしていた。そんな彼女が僕だけに見せる表情がとても好きだった。
父子家庭の彼女は父親からの性的虐待を受けていた。子供のころに受けた体罰のひとつによる背中の大きな火傷痕は、彼女に深いトラウマを植え付けていた。その火傷痕を目にしたのは昨日のことだった。部活終わり、部室まで迎えに行ったときに彼女の着替え姿を見てしまったときだった。
優しい彼女は、僕の顔を見ていつも嬉しそうに微笑んでいたんだ。辛いことをおくびにも出さずに、抱え込んで、ずっと虐待に耐えてきたのだろうに。それふと見たもので均衡が崩れてしまったんだ。そんな彼女に僕は酷いことをしてしまった。あんな顔をした彼女は初めてだ。それでもそんな顔も綺麗だと思ったんだ。
僕は彼女に出会って救われた。しかし、彼女は僕に出会って救われることは無かったのだ。今、彼女へと送るはずだったマフラーを手にフェンスを乗り越えた。少し重たいバッグを置き去りに。
正解は1つとは限りません。