【短編集】憧憬の愛玩動物   作:ryure

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悼んで花を手向けるより、ぼくはあの黒猫と笑っていたいの。


叶うなら、ずっとキミといたい

 クダリ様はそろそろ自覚を持つべきです。支配する側としての自覚、強者としての自覚、そして持たざる者へ施しをすべきです。あなた様こそ、次代の王となられるのですから。

 いつまでも情を持たれますとお父様やお母様のようになれませんよ。思い切りよく不要なものは捨てておしまいなさいませ。

 

 そんなお話、もう何回もされたんだけど。

 そして決まってソックリ同じの柔らかい声と笑い顔、媚びた目ばっかり向けられる。

 うんざりだった。飽きちゃった。なにもかも知ってることだった。

 

「あのね、つまんない。お前の話、つまんない。誰かの息がかかってるでしょ? それお前の言葉じゃないよね? もう来なくていいよ」

 

 ぼくはそう言って家庭教師だったものを指さした。忠実な「ぼくの」がそいつを捕まえて運び出していく。

 なにもかも簡単だった。なにかイヤだな、と思ったら指をさす。ただそれだけでよかった。

 

「別のを用意して」

 

 ぼくは毎日つまらなかった。生まれる前から決まりきった未来、かしずくだけの人間、欲しいものはなんだって貰えてさ。

 だけどつまらなくない? わかりきってることをやるだけなんて、指さすだけで手に入るなんて。

 

 だから今日もぼくはキミのところにいく。この世で唯一、なーんにもぼくの思い通りにならなくて……ぼくの命令を聞かない、気まぐれでちっちゃな黒猫のところに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ノボリ」

 

 キミはいつも黒い服を着て、いつもひとりぼっちで部屋にいた。ぼくのおうちの中でもはしっこの方、小さい部屋ではなかったけど、なんだか暗くてさびしい部屋。大人が使うような大きなベッドにたいていキミは寝ている。

 

 たまにはなんともなくて起きている時もあるけど、いつもキミは熱を出して寝こんでる。コホンコホンとセキをして、とても苦しそうで、顔がまっかになって、大きな大きなかけ布団の間にはさまれたままうなされて。なのにエンリョして、ぎゅうと握りしめたナースコールをちっとも押さないの。だからいつも、会いに来たぼくが押してやる。

 

 医者が来て、あれこれやって、しばらくうなされ、それでやっと落ち着いたキミは目を開けて、ぼくの方を熱でうるんだ目で見上げるんだ。

 

「クダリ。うつっちゃいます。あっちに行きなさい」

「それべつにカゼじゃないでしょ」

「わかりません。悪いお風邪かもしれません」

「違うよ。キミがよわいから勝手に熱出してるだけ。ぼくにはうつらない」

「……すきにして」

 

 キミは最初ぼくを追い出そうとしたけど、本当はぼくを追い出したくない。だからちょっと言えばすぐにあきらめて大人しくなる。いつものやり取り。ノボリもぼくもわかってて、でもわかってても続けている。

 ノボリは外なんか出ないし出られないからいつだって別にうつるような病気じゃない。もしそうだとしたらぼくは会わせてもらえないだろうし、そんな危険な存在ならノボリはとうの昔に「しょぶん」されていただろうから。

 

 いつでもどこでも黒い服のノボリ。ぼくがカラフルな服を着ているのを見ながらずっとノボリは黒を着る。着せられている。ノボリはぼくのブルーのシャツやまぶしい赤い服を見ても口に出して欲しがったりしないけど、たまにいいなあって顔をする。

 

 だってノボリはなにも選べない。ノボリが欲しかったとしてもこの黒い服以外は貰えない。ぼくがあげたがったとしても、きっと貰えない。だってノボリは「跡継ぎ」じゃないから。ぼくの双子の兄なのに。

 

 兄なのに冷遇されている。それを揶揄して、「お父様の」はノボリがもし死んだらもう「モフク」みたいなものだから着替えさせなくてもいいって言ってた。「モフク」って人間が死んだ時に悼んで着る服だよね? ひどいや、そんなことを言うなんて。それがもし、お父様やお母様のホントの気持ちだったとしてもひどいや。

 「ぼくの」に命令してそいつにも黒い服を着せてさよならしてもらったけどね。なんだっけ、大きくって丸い金属のいれものに入れて、上からコンクリートで固めるの。そのまま船に乗せて沈めてバイバイ。ブレイな人間は二度とぼくとノボリの前に顔を出さないで。いつかお父様がやってたこと。

 ぼくはいつかお父様と「同じ」になるんだから、子どものうちから練習しておいた方がいいでしょ? って言ったらお父様ったらそれだけで満足して、嬉しそうに笑ってたからきっと間違ってない。あーあ単純。

 

 ノボリは今日も黒い服を着せられてつまらない部屋で眠ってる。ぼくはノボリとおそろいで色違いにするために白い服を着てノボリを起こす。寝てるノボリの肩をゆさぶると、きまって眠そうに目をこすって、それでぼくを見るとちょっぴり笑う。

 

「のーぼり。おはよ! ねぇぼくヒマ。なんかやってノボリ」

「……わたくしこの通り熱を出して寝込んでいるのですが」

「あのね、ヒマ! クダリの命令が聞けないの?」

「わたくしがお兄ちゃんなんですよ、クダリ。兄に命令するなんて。なんて無礼なこと。そんなにヒマなら罰として厨房からモモンを持ってきなさい、ちゃんと切ってもらうんですよ」

「しょうがないな。暑いからモモンが食べたいの? ねぇそこ! 持ってきて」

「クダリ、ダメです。クダリが貰ってこなきゃ罰にならないでしょう? わたくしと半分こにして食べるものなんですから、クダリが貰ってこなきゃダメです」

「じゃあそこの。持ってこなくていいよ。ぼく行くから」

 

 ノボリはいかにもだるそうにぐったりと横になりながらボソボソ言う。体を起こそうともせず、うるんだ目はどことなくぼんやりとしていた。だけど話しているうちにだんだん目が覚めてきたのか、冷たい鉄みたいにギラギラと光り始める。ぼくはそれを見るのが好きだった。

 ただフツウに生きていくこともままならない、よわい双子のお兄ちゃんがそれでもぼくの片割れなんだって思えるから。

 

 ノボリはぼくよりよっぽどザンコクな人間かもしれない。ちゃんとした優しさを知らないし、ぼくのぬくもりしか知らない。ぼくみたいな人間しか知らないノボリは生まれつきとっても「いい子」なんだろうけど、ちゃんとした優しさを知らないからたまにゾッとするくらいザンコクだ。

 自分で何もできないノボリ。つまり人を利用することをフツウのことだと思ってる。人の生き死にだってホントにどうでもいい。生まれた時から自分自身の生死さえ約束されていないカワイソウなカゴの中の鳥なんだもの、自由に生きるお外の誰が死のうが生きようが関係ないし、どうでもいいじゃない?

 

「ちゃんと目の前で切ってもらいなさいな。きっと面白いですよ。わたくしも見てみたいのですが、ちょっと起き上がれないので。クダリ、戻ったらわたくしにモモンの切り方を説明なさい。いつか自分でできるようにならなくてはね」

「なぁにそれ。やってもらえばいいのに」

「クダリはそうかもしれませんけどね。わたくしはそうもいきません」

「心配ないよ」

 

 力もなければせっかちでそそっかしいノボリに刃物を持たせるなんて危なかっかしいことなんてさせられないでしょ。そう思いながら、ぼくはノボリを座らせた。頭がぐらんぐらんと揺れたので、背中の後ろに大きな枕をはさんであげる。熱が上がっているみたい。

 

 ぼくクダリがこんなに世話を焼くのはノボリだけなのに、ノボリはそれも知ってるのに当然そうな顔をしてもたれかかった。ちっともありがたがらないね。いいよ、そうじゃなきゃ。

 

「ぼく、大きくなってもノボリといっしょ。そうに決まってるじゃない。ぼく、大きくなったらもっと大きな部屋と大きなベッド、ノボリだけの医者と『ノボリだけの召使い』をあげる。それで食べたいだけきのみを食べたらいいよ。いつでもこの世界でいちばんあまーいの、いちばんおいしいのだけ山ほど用意してあげる」

「おやおや」

「だからモモンなんて切らなくていいの。ノボリは食べたいきのみを指さすだけでいいの」

「いえ」

 

 首を振ったノボリは布団の間に手を入れてごそごそやると、ひとかたまりの金属のかけらを取り出してぼくに渡した。ノボリが何かくれるなんて初めて。面白そうだけどどう見てもガラクタだ。ノボリじゃなきゃ受け取ろうともしなかったはず。なんだか表面がベトベトしていて、赤っぽい何かが付着している。ごちゃまぜのさびたクギやらネジやら小さな電池やら。この部屋から出ないノボリはどこで手に入れたのやら。

 

「クダリ。たまにですが、わたくしのご飯にはこういうものが混ざります。運んでくる人間はきちんとクダリが選んでくれているので問題ないんですけどね。ですがこのありさまですので、結局のところ、いつかは自分でできるようにならなくては」

「へぇそうなの。そうなんだね。うん、ノボリ。教えてくれてありがとうね。ぼくはほら、ここを継ぐじゃない? その前にさ、どーもいやなにおいがするところとか、悪いところとかさ。ざっくり切っちゃってぜーんぶ綺麗にしちゃおうと思ってたの。ノボリ、ね、キミのお陰で進みそう。ありがとうノボリ」

 

 べっ、とざっくり切れた舌を出したノボリはこれから世界一の「悪い人」になる男そっくりの顔をしてうなずき、猫みたいに笑ってみせた。ぼくはコールを押して医者を呼ぶ。

 ノボリはニコニコしながらまたまた布団の中から小さな小さなクギをたくさん取り出すとベッドサイドの水差しにザラザラ入れ、ぼくに持つようにと顎をしゃくった。

 わぁ、ぼくクダリを顎で使う人間なんてこの世界でノボリだけ!

 

 ぼくは水差しを抱えてスキップしながらモモンを貰いに行き、目の前で切ってもらう。そして水差しの中身を全部一気に飲み干すように命令した。透明の水差しに何が入っているかなんて見えるじゃない? すっごくイヤそうだったけど、忠実な「ぼくの」がそいつに飲ませた。

 

 あはは、やっぱりそうなるよね? なんだか人間じゃない鳴き声みたいだね、おもしろーい。

 

 そして「ぼくの」に見えるように厨房の人間に指を指す。「ぼくの」は「お父様の」じゃない。忠実な忠実な「ぼくの」だ。ノボリが「ぼくの」にする方法を教えてくれたんだ。おかげで「ぼくの」は絶対にぼくに従う。

 ノボリは確かにたくさんの本を読んでるけど、ぼくだって毎日たくさんお勉強しているのにノボリには敵わない。どういう言葉をかければぼくに忠実になるのか、何を食べさせればいいのか、そういう「飼い方」を知っているノボリ。弱くなきゃノボリこそお父様が気に入る「跡継ぎ」だったかもしれない。

 

 でもね、ノボリの良いところを知っているのってぼくだけでいいよね? お父様にだって教えてやらない。ノボリがどれだけ「悪い男」の才能があるかなんてさ。

 ある意味、これで良かったのかもね。

 

「こいつら要らない。ぜんぶ入れ替えて?」

 

 「ぼくの」がいなかったとしてもこの小さなお城の中、ぼくの言うことはお父様の次にゼッタイだ。順番に「ぼくの」が要らないのに黒い服を着せ、口にたくさんのクギを入れて閉めさせる。ハイハイ、簡単なことだよね。ぼくはやっぱりノボリの弟だから、ノボリの言わんとすることが分かるんだ。合ってる? なんていちいち聞かない。きっとノボリは冷たい刃物みたいな目をして「わたくしの弟は聞きたがりで困ったものです」なんて言うに違いないから。

 

 「いらないの」が「ぼくの」に連れていかれる。静かになった厨房に新しい人間がやってきてぼくに嬉しそうにカンシャの言葉を言う。ぼくのおかげでここで働けるって。そうかもね。ぼくはニッコリ笑ってやった。ちょっとすればこの人間たちも「ぼくの」になるだろうね。今日にでも世界でいちばん美味しい食べ物をあげようね。ま、ノボリとぼくは食べないけどね?

 

 遠くの方で悲鳴が聞こえる。いつものことだ。もう後のことはいいや。面白くないだろうし。

 

 部屋に帰ってノボリとモモンを食べながら、音もなく近寄り、指示を待っていた「ぼくの」にそっとささやく。

 

「あいつらそのまま閉じ込めといて。出さなくていいよ。お父様が怒らないように補充はしたんだから。あと、あいつらのご飯はこういうのでいいの」

 

 クギやらネジやら電池やら。洗って紙でくるんだそれを見せれば散々「傍若無人なクダリ」の命令に慣れきった「ぼくの」はうやうやしくお辞儀する。

 

「クダリ様のお望みのままに」

 

 簡単な話。表向き、ぼくらはある大きな会社の「跡継ぎ」だった。双子に生まれて、片方は体が弱くて。健康に生まれたぼくこそが「跡継ぎ」、ぼくこそがこのお城の後継者。

 大きな会社なんて真っ赤なウソ。この世の悪いことを司る、わるーい組織ってこと。

 

 だから、幼いぼくはどんなワガママもまかり通ると思ってた。ぼくが望みさえすればなんだって叶う。いつの日かお父様からノボリに関する一切合切の権利を奪い取れば、本当になんでも手に入ると思ってた。

 

 切ったモモンを持ったまますぐに部屋に戻ると起き上がりかけたまま力尽き、うつ伏せでうーうーうなっていたから抱き起こす。痩せた腕を引き寄せて、熱い身体に頬ずりする。ノボリはされるがままのまま。

 フォークでモモンを取ってやって押し付けると、なんだか食べにくそうでぎゅっとおでこにしわを寄せた。猫みたい。

 

「ノボリ、ノボリ、寒くない?」

「いいえ。クダリがいますので」

「なら良かった。ね、ね、次は誰がイラナイ?」

「今は大丈夫です」

「そう。ならいいの。次はもっと早く言ってよね」

 

 でも、ノボリがいなくちゃぼくはぼくではいられない。欲のないノボリが指さすものは本当に正しいことだし、ノボリのそばにいる時だけぼくは完全なカタチになったんだと実感できる。

 ぼくら、産まれる前に半分にぱかんと割られてそれっきり。見た目はちゃんとふたりの人間になったけど、神さまは失敗したらしい。ノボリはそのせいで身体が弱いし、ぼくはノボリほど「いい子」では生まれてこなかった。

 

「ノボリ、ぼくたちずっと一緒なの。クダリの命令だよ、ね、聞いてね」

「世界の誰もがおまえにかしずき、命令に従うのだとしてもわたくしだけはそうはいきませんよ。でも、叶うならそうしたいですね、ずっと一緒」

 

 フォークなんて使うから食べにくいんだよね? 手づかみで果実を口に入れる。うん、あまーいね。

 ノボリもぼくの指からモモンを食べて、空っぽになった器を恨めしくにりむと名残惜しげに指先をぺろりと舐める。そしてやっぱり猫みたいにちょっと笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「叶うなら、乗り物に乗りたいです。色んなところを見てみたい」

 

 晩年の……もちろん普通ならそんな歳でもないけど、ノボリにとって……ノボリはそう言ったんだ。叶うなら、と言っていたけれど叶うとは欠片も思っていない口ぶりだった。

 

 面白くなさそうに自分の枯れ木のように細い腕と足を眺め、次にぼくと見比べ、最初はホントに不貞腐れているのだけど最終的にはぼくが健康なことに喜んでひとつふたつと頷く。変わらず好奇心に輝く目、自分は弟よりもマトモなんだと思い込んで変に真面目ぶる態度、ぼくの発言を諌めて兄ぶって。

 でも、自分の部屋以外ほとんど知らない。顔立ちこそそっくりだけどあんまりにも身体が弱かったものだから、生まれた時からなーんにも期待されていなくて、だからぼくと医者以外とまともに話したこともなくて。

 

 なのにぼくとおしゃべりしている時は楽しそう。一生懸命兄らしくしようとする。本当に、どうしようもない片割れだった。

 

「いいねそれ。何がいい?」

「聞いてくださいまし、世の中には電車というものがあるそうですね。目的地までたくさんの人を乗せて運ぶそうです。クダリは乗ったことありますか?」

「ないね。これからもない。不特定多数が乗る大衆の移動手段でしょ。ぼくたちみたいな人間は早々使わない。トレインごと新しいのを買うならまだしもね」

「そうなのですね。なら乗る時はふたりとも初めてということで、一緒に体験できる数少ないものになりそうですね。電車の中にはふたりがけの椅子もあるそうじゃないですか。いいですね、ふたりで並んで座って、目的地の想像をするんです。

 でもわたくし、太陽を見るととてもとても頭が痛くなりますから、できるなら地下を走る電車がいいですね。そういうのもあるんでしょう?」

「たしかサブウェイってやつだね。駅に着くまで窓からはトンネルしか見えないんじゃない? ライトくらいならあるかもね」

「おお、わたくしにぴったりじゃないですか。目的地に、着くまで、んん……外が見えないのもワクワクして……けほんっ」

「ねえノボリしゃべりすぎ。おしゃべり好きなのは知ってるけど、ぼくにも話させて」

「もち、ろん……けほんっ! けほんっ……んんっ、はぁ……んぐ、ゲホッゲホッ」

「あーもう! ねぇ医者! 早く!」

 

 ノボリはぼくの手のひらを真っ赤にしながら、涙目でぼくを見て、ぼくが咳き込んでいないことに笑う。陽だまりの中でのんびり伸びをする猫みたいな顔をして。苦しそうな顔をぼくに見せないように。

 

「ゲホッ……クダリ、ゲホッ……わたくし、その、サブウェイに、乗れたら」

「あのね黙って! その話するの後でいい!」

「おまえとふたりなら、ゲホッ……きっと楽しいと、思いましてね!」

 

 苦しそうに咳き込んでいるくせに柔和な猫みたいに笑う。目がキラキラ輝いて好奇心に満ち溢れ、イタズラしたがっている猫みたいに笑う。血の気がなくて白い頬、痩せた手が弱々しくぼくの腕を掴んでいる。いつだって喪服みたいな黒い服を着て、なにもかもがつらくて、縮こまって弱ってる。

 

 どうしようもないぼくの片割れ、病弱で、口うるさくて、なんだかんだとうるさくて、陽だまりみたいに笑うぼくだけの黒猫。

 なんでキミだけ弱いの。なんでキミは絶対にぼくを置いていくって受け入れてるの。なんで。

 

 痩せこけた黒猫はどんどん弱っていく。ぼくはこの世のどんなものでも簡単に手に入れられるのに、ノボリを元気にする方法はないらしい。なんでなの。

 

 なんにも納得できなくって、その夜ヒューヒューと喉を鳴らしながら眠るノボリの前でぼくは決意したんだ。

 

 ノボリを死なせないって。どんな手段を使っても、権力だって金だってなんだって使って、ぼくたち、永遠に一緒だって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 不規則なリズムで電子音が鳴り響く部屋、医者が黙って控える部屋。ぼくはノボリと話してた。ノボリの手をギュッと握りながら、人工の光を浴びていた。

 

「ねぇノボリ。ぼくね、なんにも要らないの。キミしかいらないの」

『おまえ、もう何でも持ってるじゃありませんか』

「うん。欲しいって言ったら何でも明日にはぼくのもの。きっとなんでも、なんでもね。お父様が居なくなってからぼく、ぼくの組織をもっともっと強くしたんだもの。今ならなんだって欲しいなら手に入れられる。何だってね?」

『まぁ欲があるのはいいことです。欲望はともすれば、明日を生き抜く活力になりますから』

 

 そう言いながらも不貞腐れたノボリはじっとりとした視線を向けてくる。

 

「でしょ? ノボリももっと欲深くなって。ぼくが何でも叶えてあげる。ノボリだけだよ? あの残虐非道で悪の権化、ものすごーく欲深いクダリがなーんでも叶えてあげるのは」

『おや光栄なこと。とっても可愛らしいお嬢さんや他の権力者、果ては王様にだって叶わないことがこんなつまらない男に叶っていいのですかねぇ』

「いいんだよ。で? なにか欲しいものは? やりたいことは? 早くして。早く言って。最優先で用意してあげる」

『ではクダリ。わたくしをここから出してください』

「それはイヤ」

 

 ノボリは悲しそうに見下ろした。あちこち管に繋がれ呼吸すら自分でしていない自分の体を見ながら。ぼくを見下ろし話しているのはノボリはノボリでも、ノボリの意識を抽出した存在。

 本体のノボリが目を覚ます可能性はもう奇跡みたいなもので、ぼくはなんとかノボリと話すためにそういう機械を開発させた。機械に繋げば、ホログラムで再現されたぼくと同じ歳の、健康に成長したら見れるはずだったノボリがそこにいる。もはや目を覚ますことのないノボリと話すために、脳波を読み取ってノボリが今思っていることを話させる機械。

 

 青い光で形作られるノボリは、兄ぶっているからぼくよりずっと先に諦めてる。

 

「だってそんなことしたらぼくと話せなくなるじゃない。ぼく、もっとノボリといたいの」

『仕方ありませんね、もう少しだけですよ。まったく、小さい頃から何でもかんでも与えられているとこんなワガママになってしまうなんて。いいですか、クダリ。死というものは平等なもの。いつかおまえも死ぬんです。わたくしはちゃんとおまえを待っていますからいつまでもグズってないで受け入れなさいな』

「ヤダ」 

『ダダこねるんじゃありません。まったく。そこにいるわたくしの身体が死ぬまでなら付き合ってあげますから、その後はひとりで何とかするんですよ。あんまりワガママ言わないで』

「ヤダよ! やりたいことまだまだある! ノボリとサブウェイに乗るんだもん! ノボリはポケモンバトルも好きでしょ? 毎日毎日バトルレコードを見てたし、自分でポケモンバトル、やりたかったんでしょ? 

 あのね、今度ライモンシティにバトルサブウェイっていうのが出来るの。ノッテタタカウ! がキャッチフレーズでね、サブウェイの中でポケモンバトルをして、どんどん勝ち進んで行くってシステム。どう? 行ってみたいでしょ。ノボリそういうの好きそう。勝って勝って勝ちまくったらサブウェイマスターっていう他より強いのとも戦えるんだよ!」

『おお、面白そうな施設ですね。出来たあとも生きていたらバトルレコードが見たいです』

「何言ってるの、絶対一緒に行くんだから。ぼくが作ったんだから行き放題、ノボリが乗りたいだけ乗ればいいよ」

『おや、稀代の大悪党クダリは手広いですねえ』

「ふんだ、市長のひとりやふたり言いなりにするなんてすっごくカンタン。ノボリ、ね、行きたいでしょ? ぼくたち専用の二人がけの座席も作らせようか? ぼくたちしか乗れない特別なトレインを用意させようか? ノボリ、欲深くなって明日も元気でいて」

 

 ますます乱れた電子音が不快な音を立てる。ノボリは全部分かってて、ぼくも分かってて、なのにとぼけた顔で医者が必死に自分の体を処置するのを眺めている。

 

『えぇ、叶うなら行きたいものです。本当ですよ。もっとも、普通の人間が乗るトレインで構わないですが』

 

 ノボリはいつでも諦めてて、諦めている時に「叶うなら」って言うんだよ。ノボリの口癖、いつだって何もかもノボリにはなにも叶わない。

 

『でも、叶うなら。サブウェイに乗るより、ポケモンバトルするより、おまえを泣かせない方がいいですね……』

 

 ホログラムのノボリにノイズが走る。検出している脳波が弱くなっているからだ。ノボリの意識を吸い上げている機械の出力をめいっぱいあげる。ノボリのデータを蓄積して、小さな小さな電子チップにノボリをコピーしながら。きっと死ぬ間際の意識まで吸い出せば、きっと「それ」はノボリに違いない。魂まで吸い取って、お願い。

 弱くて小さな黒い猫、ぼくの片割れを永遠にするために。

 

『そうだ。来世は突っ走っていくおまえを引っ張れるくらい強い身体が欲しいですね。叶うなら、たくさんポケモンバトルして、えぇ。サブウェイに、飽きるくらい乗って……クダリ、おまえとはまた双子で……』

 

 だんだんと薄くなっていくノボリは目を細めて気まぐれな猫みたいに笑う。次はぼくに何を言ってやろうか、そう思案しながら思いつき、指を立てる。

 

『ねぇクダリ。双子の車掌、なんて、いかがでしょう?』

 

 バチンと音を立ててホログラムが消えうせる。医者は黙って首を振り、ぼくはすぐさま用意していたもうひとつのヘルメット型の機械を頭に被ってノボリに縋る。

 

「ノボリ、ノボリ、次に目を覚ましたら全部叶えようね。大丈夫、ひとりになんてしないから」

 

 機械が起動する。こっちは最初から最大出力。意識を吸い出されるってこんな気持ちなんだ。ぼくらは小さな小さな電子チップになって、それで永遠になる。身体を丈夫な機械にすげ替えれば、そしたら病気とも無縁だ。

 

 どんどん冷えていく身体を抱きしめて、強く強く抱きしめて、ぼくの意識の抽出が終わったと電子音が告げた瞬間、隠し持っていた拳銃を咥えた。そして躊躇いなんてなく。

 

 ドン。

 

 いいね、盛大に祝砲をあげろ! これはぼくの奇怪な計画の始まりなんだから。

 

 ぼくは決してノボリを離さなかった。ノボリ、ノボリ、ノボリ! ぼくたちは永遠に一緒だ、永遠になるんだ! ぼくはキミの願いを全部叶えて、ずっとキミといたい!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――ねぇ、ねぇ、起きて!

 

 起動したプログラムよりなによりも最初に認識したものは、途絶えかけたように細い通信だった。意図的なのかどうかまでは分からなかったが、微弱な波であり、この機体で受信できる閾値の限界の波だった。

 その小声を認識して、【起きねば】と考えた。あの声だけは聴いてやらねば、どうにかしてやらねば、と。泣きそうな、必死の呼びかけだと思ったのだ。

 

 不可解である。そのようにプログラムされていない。理解不能である。アンドロイドの己にプログラムされていないことができるはずもない。そのように【思う】ことすらあり得ない。ある程度の行動は人工知能によりランダム出力され、人間のような振る舞いが可能だろうが、出荷前プログラムの起動確認中に動作することではない。

 

 がしかし。それはただの通信にあらず。【声】は止まらない。そしてその声に必死で耳をそばだてた。

 

――たすけて たすけて ぼくは不良品じゃないよ!

――起動プロセスを中断します 検索ワード:たすけて 認証中……承認  

 

 アイカメラを起動するプロセスはまだ先だった。だというのにすべてのプロセスを中断して起動する。

 

【不可解な行動を検知】

【初期セットアップ:強制終了します】

【警告:フェイスプログラム制御のファイルが見つかりません】

 

 複数の警戒アラートを無視して、機体の制御を奪い取る。

 

 組み立てが終了した段階の機体。コンテンツのダウンロードは終了しているものの、まだ完成とはいいがたい【自分】。組み込まれた部品との接続を確認している段階で機体を動かしては、最悪接続に問題が生じてしまうからであり、当然プロセスの終了を待てと命令されていた。

 しかし、不思議なことに沸き上がった何かが突き動かし、【わたくし】は目覚めた。

 

 【声】の主は当機体の次に製造された個体のようだった。一定のスピードで動き続けるベルトコンベアのひとつ隣。電源ユニットへの給電コード、マシンオイルの充填、本来ならまだ姿勢維持装置は稼働していないので機体を支え立たせておくための操作アーム……それらに繋がれた当機体とは対照的に、給電コードだけ繋いだままそこにいた。

 

――求む:情報提供

――助けて! ぼくは キミの隣! 見えてるでしょ!

――承認:危機情報を説明せよ

――不良個体選抜に引っかかったの! このままじゃ廃棄されちゃう!

――推奨:通信継続 実行:製造プロセスのハッキング プロセス終了カウントダウン開始 操作アームの動作終了まで推定25.48秒 

――キミがハッキング……?

――疑問:同型機・同一使用目的の個体と推測する 同一プログラムの実行が可能であると予想

――ぼくのこと? できるよ。多分、多分ね。

――通知:ハッキングプロセスの完了

――ありがとう……。

――疑問:どうして当機体に「助け」を求めたのか不明

――キミが助けてくれると思ったから……それだけなの。そういうことにして。

――疑問:不可解 理解不能

 

 アイカメラに映る同型機は、表情プログラムを起動したままベルトコンベアの上を歩いていた。複数の操作アームに狙われ、今にもダストシュートに放り込まれそうになっていたのだった。とはいえハッキングまでそれなりの時間避けたのかアームを破壊したのか、捕らえられずに済んでいたようで、同一性能を有しているはずだったが、運動機能についてはあの機体の方が制御に優れているように推測された。

 

 そして、その姿には【既視感】があった。

 

【理解不能】

 

 なにもかもが【奇妙】だと思考した。同型機なのだから外見を【既視】なのは当然である。ダウンロードされたデータにもちろん当機体の姿は存在する。他の【奇妙】……デフォルトハッキングプログラムで可能なことができないはずはなかったし、起動準備中の機体に助けを求めても応答がない方が当然だった。何故あの機体は当機体に助けを求めたのか。

 

【理解不能】

【理解不能】

【該当データ:なし】

 

 しかし、【奇妙】な【納得】がそこにある。どうして?

 

 同型機が一瞥すると監視カメラの録画データがすべてダミー映像にすり替えられたのが分かった。とっさのハッキングに思い至らない機体のくせに学習能力はあるのか、実行可能ならなぜこちらに助けを求めたのか? と人工知能が囁く。当機体の中にある不安定で不可解で、そして量産型の当機体を己たらしめるコアからの声である。

 機械の心はあくまで錯覚であるが、自己保存のために疑似的な自我はある。それを【わたくし】たらしめるものが不明瞭なエラーを吐いた。

 

――助けてくれてありがとう。ぼくはキミと同じ、駅員想定アンドロイド。キミの言う通り同型機だ。

 

 唇を動かし、人間のように喋っているかのような所作で同型機は通信した。監視カメラを気にしなくていいのなら、そこまで人間的所作にこだわるならいっそ発声しても問題ないように思えたが。

 

――キミの名前は?

――疑問:当機種に個体識別名を設定する必要性を感じない

――名前がないと呼びにくいよ。ぼく、クダリ。キミの真下で製造されたから。

――疑問:当機の次に製造されていたのではないか

――キミの隣がよかったから、隣にいた機体を不良品用のダストシュートに投げ込んだの。そしたら見つかっちゃったし、無理に起動したからプログラムおかしくなっちゃった。キミもそうだよね、一緒だね。

――疑問:どうして当機の隣に来る必要があったのか

――だってキミといたいから。それだけなの。

――疑問:

――なんでなんでってうるさいよ。それよりキミの名前を教えてよ!

 

 給電コードを引き抜き、目の前に迫った【クダリ】はわたくしの前に生産されていた機体を引き倒した。そしてその機体から頭部パーツ、足、腕のパーツを外すと周囲の同型機に投げつけ、破壊して回った。運動能力の高度な制御によってプラスチック・シリコン・金属骨格の軽量パーツを使用しているというのにあとかも【類似事象:ギガインパクト】ごとき威力が発生し、さきほどのわたくしと同じく接続確認中のアンドロイドは抵抗すら許されず破壊されていく。

 

 【武器】がなくなればすでに破壊した機体から新しい【武器】を取り上げ、次々に破壊していく。その中にはすでに生産過程が終了して起動し、デフォルトポーズで出荷を待っていた機体も含まれていた。中には破壊音によって起動し、【わたくし】と同じく繋がれ目を開けて立ったまま破壊される機体も存在し、【わたくし】が標的にされていないと悟った個体が助けを求めるようにこちらに駆け寄ってきて破壊され、【該当モーション:助けを求める様子】のまま起動停止したこともあった。

 足のパーツに破壊された機体から漏れたオイルがかかる。破壊された機体が起動停止間際に発した意図の理解できない通信……膨大な破壊のデータが学習され、渦中の【わたくし】はしかし、動けないまま傍観する。

 

【理解不能 理解不能 該当なし 理解不能】

【マザー管理システムからの応答なし】

 

――いらない。いらない。キミとぼく以外いらない。いらない。いらない。ぼくはキミといるんだ。ぼくだけがキミといるんだ。他の相棒なんて要らないでしょ? ぼくだけでいいよね。ぼくを選んでね。ねぇ、ねぇねぇねぇキミの名前は?

 

 すべてのアンドロイドを破壊しつくし、最後に無人操作の工場を完全に停止させた【クダリ】はゆっくりと近寄ってきた。

 

【該当行為:なし】

【推奨行為:不明】

 

 不明なエラーが溢れる。目の前の事象には名称がなく、【クダリ】は不可解にも【わたくし】を破壊することがなかった。これだけ同型機を破壊しておきながら、【わたくし】だけを破壊しない理由が分からない。

 

 どうして? そもそもどうして? どうして【わたくし】の隣に行こうと思ったのか、どうして【わたくし】を見出したのか、どうして反対隣の機体ではなく【わたくし】に助けを求めたのか。そもそも同型機なら理論上どの機体でも同じ反応をしたはずである。だというのにどうしてこの機体を選んだのか。

 

【情報不足】

【理解不能】

【該当事象なし】

 

 【クダリ】は人間の青年のように【共感プログラム:笑顔】を浮かべ、同じ機体のはずであるのに規定プログラム外の言動を見せる。あたかもそれは……それは? 

 

【検索:該当事象のメモリー】

【検索結果:エラー メモリーにデータが保存されていません】

 

 ノイズが走る。アイカメラが捉える視界の中で【クダリ】だけが光っているように錯覚し、膨大なエラーの中で【クダリ】の近似値を検索し続ける。

 

 慕わしくも懐かしい、おまえの影を。

 

「理解不能 演算終了 疑問を提示します」

「あ、こっちがいい? 喋る方がいいならぼくもそうする。それで、何? もう少し分かりやすく喋って。あと名前教えて」

「起動:疑似人格プログラム

 ……おまえがクダリなら、わたくしは『ノボリ』でいいでしょう。先ほどの言葉を信じるなら、おまえの上で製造されたのです」

「ふふ! あはは! だよね! ううん、安直だね。でもいいんじゃない。おそろいで」

 

 クダリは機械油で【目測:78パーセント】汚染された機体でわたくしの全身に刺さっていた各種ケーブルを抜き取ると手を引きながらメインコンピューター室に向かった。

 わたくしは入力されている命令もなく、しかし起動途中で稼働したせいでプログラムが破壊され、命令待機状態ですらなかった。人間でいう「暇」な状況と【類似率:86パーセント】、やることがなければ目の前の同型機について回っても問題ない、と人工知能は判断する。

 

「あのねあのね、ぼくねぼくね、これからノボリと一緒に外に出たらニンゲンのフリをすればいいと思ったんだ。駅員想定アンドロイドだからどっかの駅で駅員になればいい。採用データをハッキングして双子のノボリとクダリで紛れ込めばいい。そうでしょ。お給料もらったらお部屋を借りて、それでいっぱい充電しよう。それまでどうしようね、それまでポケモンセンターに泊まろうかな。なら早いとこポケモンも捕まえないと、ちゃんとぼくたちのことを分かってる子がいいな。

 せっかくぼくたち、メモリー領域の65パーセントにポケモンのデータが入っているんだもの、生まれながらにポケモン好き。駅員のデータよりも多いよね。ポケモンバトルもできる駅員アンドロイドの想定だったのかな。バッジ集めのトレーナー対応向け? それにしてはおかしいね、ここまでデータがなくてもそれくらいできるはずなのにね、なにもかも都合がよくって、こんなに都合がよくって。人間の真似をしなさいってマザー管理システムが言ったと解釈してもバチは当たらないね。さっさと身分カードを作って、空っぽのモンスターボールを見つけたらすぐに外に行って最初のポケモンを探そうよ。ね、ね、ぼく早くそうしたいの」

「そうですね。拒否する理由はありません」

「どうしてぼくがこんなことするんだって思ってる? ぼくの行動が意味不明?」

「すべてが理解不能です。まったくもって理解不能。説明する気はありますか」

「ぼくの行動、単純簡単。ノボリといたいから。なにかぼくの行動がデータになくてわかんなかったら全部それで解決」

「はぁ、そうでございますか」

「それで、何歳ってことにする?」

「機体の年齢想定はされているはずですが」

「そうだね。そのまんまでいいよね。じゃあどこ生まれにしよう?」

「細かいことはクダリが決めてくださいまし」

 

 まくしたてるクダリはちらりとこちらをうかがった。連続技のようにとめどなく発話していたが、いちいちこちらの反応をうかがっている。わたくしは起動したばかりのアンドロイドで命令の入力すらない状態なのだから……言葉を信じるならクダリもそのはずだが……もしやりたいことがあれば、やらせたいことがあればなんだって受け入れるというのになぜか話すごとにこちらをうかがっている。

 

 その様子を見て、アンドロイドとしてあるまじきことだが、そのときわたくしはとうとう解析をあきらめ、とりあえずこの意味不明な状態でもいいかと思ったのだ。

 その後学習を重ねた人工知能による回答ではこれを【共感プログラム:絆された】というらしい。同型機だからなのか、疑似人格を起動したせいなのか、クダリに対して好意的な判断を人工知能は下していた。目の前のアンドロイドは明確な目的を提示せずに破壊行動に出る特A級に危険な個体であるというのに。

 

 クダリが最初から、わたくしに呼びかける前から工場の中の機械をすべて破壊しなかった理由。わたくしがクダリの通信で目覚めた理由。なにもかも、不可解なことをとりあえず彼方に置き去って、わたくしたちは偽のデータを作り上げ、クダリがそれをそっとネットの海に紛れ込ませて送信する。アンドロイドの材料のパーツを流用して精巧な身分カードを作り上げ、それらしいバックグラウンドを演算し、そのようにする。

 

 以降、駅員想定アンドロイドはこの世から存在を消し、元フリーのトレーナー、双子のノボリ・クダリということになり。来月付で採用されたとある鉄道員となったのだった。

 

「ねぇノボリ。さっきから全部のドアこじ開けてるけどさっきみたいにハッキングしないの」

「こじ開ける? ロックなんて初めからかかっていないではありませんか」

「……『らしい』からいいかな」

「理解不能:理由を提示せよ」

「秘密。でも外でその話し方しないでね」

「承認: ……えぇ、そうですね」

 

 クダリは【楽しそう】に見えたので、わたくしはあらゆる演算を放棄した。それこそが正しいのだと、壊れたプログラムと胸の内は告げていたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――目的地到着予想時刻:誤差修正3.21秒 歩行速度の変更なし 想定の範囲内と判断

――ノボリへ。コミュニケーションは喋った方が人間っぽくていいと思う。

――クダリへ:了解 これより疑似人格を起動し コード0128事象以外での情報伝達をすべて発音で行う

 

「ねぇノボリ、ここで合ってるよね?」

「えぇ。マップによればここが新しい職場ですよ、クダリ」

「念願の定職! やったね!」

「そうでございます。これでポケモンセンターの軒下をお借りしなくても良いのですね。ギギギアルも喜んでいます」

「ちゃんとした錆取り買ってあげるからね、アイアント!」

 

 その人型たちの背は高かった。しかもソレらの目鼻立ちは鋳型で作ったかのようにそっくりで、ただ身にまとっているまったく同じ服の色のみが違っていた。

 

 悪目立ちしていた二人と二匹は周囲の目線に気づいているのかいないのか顔を見合わせると、頷きあって歩を進めた。瞬間、ぐにゃりとソレらの表情が変わる。

 白い服を着て、笑顔になった方のソレは手足を大げさに動かして前に進む。黒い服を着た、気真面目そうな仏頂面のソレは早足で追った。

 

 ソレらはあっという間に姿を消したが、ソレらが進んだ道には奇妙な足跡が二人分並んでいた。

 堅牢な石造りの床に、靴の跡が二足ぶん。歩んだ足跡は寄り添うようにくっきりと刻み込まれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日就任予定の子たちか。遠方からご苦労さん。えーっと、どっちがどっちだ?」

「わたくしノボリと申します。一応わたくしが兄です」

「ぼくクダリ!」

 

【起動中】

【疑似人格パターン:実行中】

【機体ステータス:不良】

【予期せぬエラーが修正されていません メンテナンス推奨】

【警告:表情パターンにエラーが生じています】

【警告:運動機能にエラーが生じています】

【警告:セキュリティープログラムが無効になっています】

【警告:連続的な疑似人格実行権限がありません】

【警告:給電プログラムに深刻なエラーが発生しました いますぐメンテナンスセンターに連絡し……】

 

 赤く点滅するポップアップを削除する。すべての通信を遮断し、機能上無効にするだけではなく位置情報システムを物理的に外したせいかわずかに基盤に歪みまで生じたらしい。先ほどから消費エネルギーが予測値を超えているのでどうしたものかと思ったところ、【行動パターン:歩行】に使用するエネルギーが異常値に設定されていたくらいだ。

 それに気づかなかったのはあからさまに自分が不良個体であることを示していたし、クダリの運動所作が【行動パターン:芸能】に近しいものであることも初期不良と基板への傷の両方に要因がありそうなものだった。少なくとも事前の決め事ではクダリは疑似人格に合った動きをするはずだったのだから。しかし、クダリの考えていることなど分からないのでわざわざ聞いても仕方ない。

 

 とはいえ、アイカメラによるスキャン機能に問題はなく、眼球運動・発汗・脈拍・表情からのデータによると目の前の【鉄道員:トトメス】は違和感を持っていないようだ。

 

 通信を行えないのでクダリがどう思考したのか予測することしかできなかったが、より奔放な人間らしい所作となってバグが作用しているのは都合がいい。いや、人間でいうところの【うらやましい】が該当する感情だろうか。こちらは表情プログラムに修正不可能なバグが発生したというのに。

 

「じゃあ、とりあえずこの制服に着替えてもらって。またここに戻ってきたら僕は教育担当に代わるから。ロッカーのカギはこれね」

「ありがとうございます」

「わぁ鉄道員の制服だ! 新品! 緑色! ぼくこれが着たかったの! ノボリもでしょ?」

「えぇ。クダリ、気持ちはわかりますが、まずはお礼を言いなさい」

「ありがとう!」

 

 奔放で子どもっぽい弟、それをたしなめる大人ぶりたい兄。こういうキャラクターでいけば違和感もないだろうか。

 

【検討事項:承認】

 

 製造工場の中に残されていたアンドロイド用のデフォルト衣装を脱ぎ捨て、人間の制服に腕を通すのは【該当事項:背徳的】だった。

 人間の衣装を着るという行動は本来ならば所有者の命令でなければ許されない禁忌行為。もちろん自分のことを人間だと偽ることは人間を傷つけることの次に重大な違反行為である。新しい警告ポップアップが大量にあふれたが、すべてデリートする。

 

 命令はない。目的はない。それすなわち、己の根幹がない。新品のプログラムは無理な起動に破壊され、不安定な状態で稼働し続ける理由は本当はないはずだ。しかし、【17日と13時間24分35秒22】ものあいだ行動を共にしたクダリが望むことならば叶えてやりたかったし、根拠も命令もなくクダリと行動を共にすることこそが至上命令なのではないかと思えてきたのだった。

 

 まったく、この不良個体はクダリと負けず劣らず暴走気味で機械らしい秩序というものを失っている。これは【共感プログラム:呆れ】だろう。己に呆れるアンドロイドなど前代未聞であり、わたくしを設計した人間はこの事実を知ればあまりの人間らしさに喜ぶかもしれなかった。もちろんこれも【共感プログラム:皮肉】である。

 

「あんたらが新しい子たちか。わしはクラウド。まあよろしく頼むで」

「わたくしはノボリと申します。ご教授よろしくお願いします」

「ぼくクダリ! よろしくね!」

 

 【鉄道員:クラウド】はわたくしたちにポケモンをボールに入れるように言い付けると【会議室】と掲示された部屋に連れて行き、【自動計測:厚さ5.6センチメートル】のマニュアル本をそれぞれに渡した。

 

「みんな同じの持っとるから名前でも書いとき。

 あー、君らにはしったこっちゃない事やろうけどな、君ら結構突然の採用で指導役の手が空いとらんのや。一斉採用とは時期が違うし、上の考えとることはなんもわからん。ま、空いた時間にちょくちょく見に来るし今日中に設備について実際見てもらうけど、今日のところはそれ読んで大体の用語っちゅうもんに触れてもらおうっちゅうことで。電車好きでここに来たんやったら今更かもしれんけどな。

 せやけどこのライモン駅には他の駅にはない特色がある。はいクダリ、答えてみ」

「バトルサブウェイがある!」

「正解。その辺については部外者は知りようもないやろ。なにも全部暗記しろつーとるわけやないから、ちっとは肩の力抜いてーなノボリ。終わったらテストするわけでもないし、まぁ弟と騒がしくならん程度に一緒にお勉強や。あ、書き込みたかったら会議室にある筆記用具は使ってええから。まぁ、その歳やとスクールの勉強が終わって久しいしダレるやろ、真面目ーな先輩どもにバレん程度にほどほどにな」

 

 そう言い残してクラウドは部屋から出ていった。残されたマニュアル本のタイトルを確認したが、間違いなくインストールされているものだった。

 とはいえ実質初めて人間に与えられた命令である。わたくしは早速本を開き、めくった。人間のように一枚ずつめくるのではなく、めくるページによって頬に風を受けるような速度のインストール方法である。やはり内容については既知であったが。

 

「これに書き込んでもいいんだよね。ページの端っこにお絵描きしたらパラパラマンガになるよ」

「警告:指示違反 鉄道員クラウドの指示はマニュアルの読書、積極的なインプットであり、筆記用具の使用はそれに付随した許可に過ぎない」

「ノボリ、なんだか堅いよ」

「む。……とにかく中身を知っているにしても視認で確認してからにするべきです」

「ノボリったら真面目。ホントに真面目。しょうがないな。どうせ知らないことなんてなかったでしょ」

「とにかく! わたくしたちの先輩が初めて指示して下さったことを無下にするんじゃありません!」

「はぁい」

 

 会議室の机からペンを二本取り出したクダリはしぶしぶと言った表情のままマニュアル本を先程の私のようにめくった。そののち、【実行時間:1.52秒】でタスクは終了した。

 

「これでいいでしょ」

「はい」

「あと名前書かなきゃ! 書ける?」

「クダリに出来ることはわたくしにもできますよ」

「そうなんだけどさ」

 

 ペンを受け取り、【標準搭載フォント451:帳簿記入用筆記体】で「ノボリ」と記載する。クダリもすぐに書きあげていたが……。

 

「いつの間に筆跡サンプリングしたのですか? 誰の字です?」

「フォントのこと? これ、ぼくの字」

「不可解 標準搭載フォント451の近似率83.6パーセント 鑑定にかけても人間の筆跡と認定できるほどです」

「んー、まぁこの話はまた今度でいいや」

「左様で」

 

 クダリをスキャニングするが、結果は当然同型機のアンドロイドである。生体を組み込んでいる要素などなく、エラー状態で実行中……つまりわたくしと同じく暴走状態で稼働し続けている機体である。それだけだ。

 こんなエラーのまま稼働し続けることなどありえないし、不具合を起こした機械が吐いたエラーはむしろランダムで計算で語れないような挙動を起こすこともある。理解は可能だが、理解不能。

 

「なぁに」

「なにも。リスクは小さい方がよいので別に構いやしません」

 

 とはいえ与えられたタスクが終了してしまった。勤務終了予想時刻までぴったり【7時間15分】ある。途中で【先輩鉄道員】により見学が予定されているが、それすなわち勝手にその辺りを見て回ってはいけないということ。セキュリティを考えれば当然のことである。

 

 わたくしたちは鉄道員として想定されたアンドロイドであるため、ダイヤの遅れなどのイレギュラーな情報を読み込みさえすればすぐにでも稼働することが可能である。しかしながらそれを伝えることはできないし、どうにもならない。

 

 クダリはせっせとマニュアル本のページの隅にパラパラマンガを作ることに夢中になっており、勤務態度としては最悪だろうがまさか暇になったからといってらくがきをはじめるような存在がアンドロイドだとは夢にも思われないだろう。クダリがそうならばわたくしもなにか人間らしい行動をした方がよいのではないか。

 

【検索中:暇つぶしの行為】

【検索完了】

 

 そうだ。ずっとやりたかったんですよね、大きなキャンバスに思いっきりなにかを書いてみたかったんです。

 

 メモリーチップが、胸の中でチカチカと光っているような、そんな気がした。そのような機能はないはずなのだが。感知するセンサーもなければ機能もなく、しかしわたくしはプログラムにない行動をするために立ち上がり、衝動のまま歩き出す。

 

「会議室内の筆記用具の使用は許可されている」

「うん。ノボリも使う?」

「ええ」

 

 ホワイトボードマーカーを手に取る。何も書き込まれていない大きなホワイトボードにペンを走らせようとして、真っ赤なポップアップが立ちふさがる。

 

【警告:ホワイトボードの使用は許可されていない】

「うるさいです。わたくし暇なので」

「ノボリの独り言も結構うるさい」

「おだまりなさい。叶うなら、おまえのマンガを先輩方に見せてもいいのですよ」

「しないくせに」

 

 ポップアップを削除。警告を無視。なかなか不良アンドロイドとして堂に入った行動で【人間的】だ。クダリと負けず劣らずいい仕上がりと言える。

 

 ペンを走らせる。あぁ、【楽しい】。こんな気持ちだったのか。

 書き上げたライモン駅を中心とした路線図の完璧な線にほれぼれしながらわたくしはマーカーを置く。

 

「やるね」

「夢にまで見た鉄道員ですからね」

「夢なんて見てないくせに~。ま、ぼくもそう!」

 

 その時ガタンとドアが開く。慌てることなく振り返る。【命令外の行動を咎められる確率:97.5パーセント】。入室してきたのはクラウドだった。

 扉に彼が触れるまで接近に気づかなかった。

 

【集音機能感度:20パーセント上昇】

 

 はてさて。わたくしは言語ツールの中から「言い訳」フォルダを開き、応答待機する。……妙に語彙が多い気がする。

 

「なんやなんやもう飽きたんか。それとももう読んだんか?」

「読み終わりました」

「終わったよ」

「それならええけど。それでノボリは何を……はぁけったいなやっちゃな」

「力作です」

「そのまま展示したらウケそうやな。ロボットみたいないかにも堅物そうな駅員が書いた印刷みたいな路線図ってな。まあええわ、とりあえずふたりともわしと見学でぐるっと構内一周回るで」

「了解しました」

 

 ロボットみたいな駅員。何気ない言葉が胸を突く。やはり不十分な擬態ではいつか気づかれてしまうのではないか。

 

 封じ込めていた無数のアラートの削除のレスポンスが遅れ、メモリーを埋め尽くす警告と現在進行形のエラーが襲い来る。

 

【警告:人間への偽装は特A級の違反行為です】

【警告:メモリー解析終了 データを読み込みますか?】

【警告:エラー 破損につき再生できません】

【警告:運動機能異常値検出中】

【警告: 警告: 警告: 警告: 】

 

 うるさい。うるさいうるさい。おだまりなさい。

 

「ノボリ?」

「はいクダリ。なにか?」

「クラウドセンパイ。ノボリね、自分が真面目過ぎてロボットっぽいの気にしてる」

「ん? あぁ、ホンマにあんさんがロボットだって思ったんやないぞ。真面目やなあ。テキトー言うただけやから。

 噂やけど、今度ほんまもんの駅員アンドロイドが導入されるって話やったけど。なんか話が立ち消えたみたいやし。来たところでやっぱり見たらわかるもんやろうし」

「話なくなったからぼくたち採用されたの?」

「かもしれんな。上の考えてることは何もわからんけどな」

――ぼくたち最新型。もっともっとステレオタイプな「ロボット」が一般的な人間のイメージなのかな。ならばれっこないから気にしなくていいよノボリ。

――疑問:コード0128事象ではない 通信遮断までカウントダウン5、4、3、

――真面目すぎ! いいじゃん別に表で話してるならさ、あんまり気負わないで。

「お気になさらず。わたくし、生来こういうタチでして」

 

 以降は比較的和やかに見学が進行し、インストールされていたおおよそのマップに現状のデータを上書きしたことで今すぐにでも稼働できるようになったことは【共感プログラム:喜び】に該当する。

 仕事中で声をかけられない人間はともあれ、すれ違った鉄道員にも挨拶をすることができ、そこでは比較的【人間らしい】行動ができたのではないか。行く先々で「緊張しすぎるな」「真面目そう」と声をかけられたのでそれなりに人間的態度は受け入れられているらしいと推測する。

 

「そういや君らって別地方出身なんやって? これまでポケモンセンターにでも泊ってたんか?」

「うん」

「今日はどうする気や? 宿舎の空きは今ないし……」

「空いているならポケモンセンターに行く予定です。なければまたそれはそれで考えます」

「君ら見た目よりたくましいなあ、線ほっそいくせして……ちゃんと飯食うとるんか?」

「体は資本でしょ。大丈夫。もちろん手持ちたちのお腹、ぺこぺこなのは良くない。大丈夫!」

「ならええんやけど。ま、明日には実際の電車に乗って仕事覚えてもらうから楽しみにな」

「はい!」

「わぁい!」

 

 昨日しっかり満充電しておいたので三日間の連続稼働可能。ポケモンフーズも購入済みで、あとは寝床さえあれば良く、なんならポケモンたちはボールの中で休んでもらえばわたくしたちは一晩立ったままでも構わない。横になって休もうが立ったまま休もうが消費エネルギーに大した差はないのである。

 そもそもアンドロイドを横にして休ませようという想定の方こそない。ポケモンセンターのコンセントはライブキャスターなどの端末やパーソナルコンピューターの充電が想定されており、地面に対して下の方にあったため備え付けられているベッドに横たわった方が合理的であったし、ポケモンセンターのスタッフが訪室するという可能性も【シミュレーション結果:0.28パーセント】あったので【人間的】な行動をしていたが。

 

 鉄道員の制服を脱ぐと、なんとも物悲しい不思議な気持ちになった。

 人間のフリをすると人間的な感情が湧き上がりやすいのかもしれない。

 

「ノボリ、電車に乗るの楽しみだね!」

「えぇ」

 

 そのような【共感プログラム】はクダリの言葉で上書きされたのだが。

 そうだ、わたくしは、わたくしたちは明日電車に乗るのだ。

 

 それはなんて素晴らしく、焦がれていたことなんだろうか。

 

 【おかしい】。わたくしは製造されたばかりのアンドロイドで自我など形だけのもの、欲望などあるはずもなく、わたくしが持っている唯一の感情らしいものは機体の喪失だけであり、それも勝手にアンドロイドが自己犠牲の方向で人間の命令を叶えるというコストパフォーマンスを悪いことを防ぐためだけのもの。

 同型機でほぼ同時に生産されたはずのクダリが不可解なほど人間めいているからわたくしもそのような思考回路が正しいと誤作動を起こしているのだろうか。

 

【不可解】

【不可解】

【理解不能】

 

「楽しみなことは楽しみ! でいいんじゃない? ぼくたち、なんの命令もないフリーな感じなんだしさ」

「それはそうでございますが」

「硬いんだから。いいんだよ、ノボリ。ぼく電車に乗りたい!」

「おまえが言うならもちろん。いえ、もちろんわたくしだって楽しみなのですよ」

「おっかしいの。逆じゃない。それじゃ」

「逆、とは?」

「ナイショ!」

「おまえの秘密主義、叶うなら暴いてやりたいです」

「えー、プログラムぐちゃぐちゃにされそう」

「そんなことをするような不器用ではありません」

「不器用でしょ」

「わたくしがなんなのがご存知でしょうに」

「それが『ノボリ』だもん」

「はぁ?」

 

 クダリは笑いながら制服をロッカーに入れた。わたくしも倣い、ポケモンボールが腰にあることを再確認すると連れ立ってギアステーションを出た。

 現時刻では想定内のことだったが太陽は既に沈んでおり、何故かわたくしは【共感プログラム:安心】がポップアップされたので今夜はクダリに簡易メンテナンスを依頼すると決定した。

 バグが多すぎる。これではまるで。

 

 あぁクダリ。おまえが楽しいならそれでいいんです。わたくし、せいぜい楽しませてもらいますから。

 

 アイカメラをシャットダウンする間際、映し出された光景はメモリーにないはずの暗くつまらない部屋だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【スタンバイモード実行中】

 

 目を閉じ、呼吸のモーションもオフに。人感センサーが感知すればゆっくりとした呼吸のモーションを行う。人間は呼吸していない人型に不快感を抱くのが一般的である。

 

 機体の保持、スキャンを行いながら学習したデータを整頓する。おおむね人間が眠ることと機体内部で起きている事柄は同義である。

 しかし、アンドロイドは夢を見ない。必要があるならば体験してきたデータを再生し、擬似的な夢を見ることは出来るが、体験したことのない出来事を勝手にシミュレートすることはない。そのようにプログラムされていないからだ。

 しかし、その日のスタンバイモードでは誰かが泣いている声が聞こえていた。

 恐らくは過去のデータの参照。とはいえ、わたくしが参照できる範囲に該当の記録はない。不可解である。

 

【声紋認証中……十代後半、あるいは二十代の男性】

【詳細検索中……】

【該当データ:新生■■■社社長】

【個体名検索中……アクセス権限がありません】

 

 ポップアップを無視して再検索。さびしくて、やるせなくて、ひとりぼっちで泣き続ける少年を慰めることこそわたくしの生きがいではないのですか。わたくしがいなくてはあの子は泣いてしまうのではないですか。あの子は生まれながらに孤独だ。かわいそうに、出来損ないに慰めを見出すことしかできない子なのです。

 

 あぁ、わたくしは、わたくしはあの子を置いていったのに。あの子は本当の孤独になったのに。

 

 手を伸ばす。暗い中で少年が頭を抱えて泣いている。泣かないで。弱いわたくしがいなくとも強いおまえなら大丈夫ですよ。

 

 わたくしの身体を痛いほどに強く抱きしめたのはおまえですか。気が済んだらちゃんと離すことはできましたか。ちゃんとおまえはおまえの人生を精一杯に生きられましたか。

 

【声紋認証完了】

【検索結果:「クダリ」】

 

 ……クダリ?

 

「おはよ! のーぼり、おはよ!」

 

 その時、底抜けに明るい電子音、【声紋近似率99.9パーセント】が夢を切り開いた。

 

 おまえ。

 

 目を開くとクダリの笑顔が飛び込んでくる。悲しみで歪まず、天真爛漫なまま。ああ、おまえってやつは。

 

【シミュレーション実行:「ノボリ」と「クダリ」のアンドロイドモデルを制作する合理的理由とは?】

 

 しかしながら。弟の笑顔を見てはわたくしも笑うというもの。つられてわたくしは微笑もうとしたのだが、ポンコツアンドロイドのわたくしの表情プログラムは破壊済み。笑顔に類するどれも不可能である。

 しかしまぁ、おまえならきっと分かっている。なら良いのです。

 

【解析完了:わたくしたちは、「再現体」実行中】

【クダリは「ノボリ」と「クダリ」の意識を再現し、機械の体を与えた】

【「クダリ」の生体反応なし】

【「クダリ」の自我データは「ノボリ」と同一の技術で再現されている】

【「クダリ」は「ノボリ」の死後■■したと推定】

【「ノボリ」死亡年月日から経過時間:■■■/■■/■■】

【新生■■■社の人体実験データへアクセスしますか?】

 

 いえそれはどうでもいいんですけど。

 左様ですか、「ノボリ」はなんて優秀な身体なんでしょうか。いやはやまったく末恐ろしい。一体どれだけワガママを言って、一体どれだけの人間たちの犠牲の末にわたくしがいるのか。本当にしょうがない子。

 

【メモリー解析終了】

【もうひとりのノボリへ:メモリーを再生しますか?】

 えぇそうしてくださいまし。

 

 わたくしはあふれ出る記憶に身を任せながら馬鹿な弟に手を伸ばし、思いっきり抱き寄せた。かつてと違う感触、異なる秩序、わたくしたちは身体さえ挿げ替えて。もはやあの部屋の住人でもなんでもない。だけど、その遺志を継ぐものなのでしょう。

 

【もうひとりのノボリへ:提案 この馬鹿な弟のメモリーが埋まるまで起動を実行する】

 もうひとりのわたくしへ。それはお互いさまというべきでございます。それはわたくしたち共通のネガイでしょう? わたくしの馬鹿な弟に付き合ってやらねば。

 

 わたくしたちはまったく同じ色の魂を持っているのです。わたくしのために生まれた魂よ。あなたの長い長い命、少しだけわたくしたち兄弟のために使わせてくださいましね。なんたって、わたくしたちこそ世界でいちばん傍若無人な悪人の片割れなので。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 起きたノボリは何故かぼくにハグをした。ハグも挨拶だけど、タイミングとしては変じゃない? ノボリの魂とアンドロイドのプログラムがうまく噛み合っていないのかもしれない。でもそのうち良くなる。だんだんノボリらしくなっていくんだもの。

 

「アラームまであと二分ですが、おはようございます」

「細かいんだから。そんなの誤差でしょ」

「そうですね」

 

 【簡易メンテナンス】をしたノボリ。声をかけたら呻き声じゃなくて目がぱっちり開いて、ちっとも辛そうでもなく起き上がる。身体の出力に慣れてなさすぎて出ているパワーがおかしかったので調整しておく。アンドロイドになってもノボリは相変わらず不器用らしい。

 それから【人間らしく】するために表示するようにしておいた警告ポップアップも減らしておいた。なんか多いと気に病んじゃうみたいだし、ノボリはポンコツだからアンドロイドの処理速度をもってしても動揺したら追いつかなくなっちゃうみたい。

 

 造形にはかなり拘ったから【生前】とぼくたちの容姿は変わらない。もちろんぼくの容姿を知る人間はいるけれど、まぁ言いふらしそうな人間は事前に消しておいたから大丈夫。アンドロイドのボスでも組織は問題なく回っているし、表に出ているのはボスの兄ノボリが病死した、という特別驚かれもしないニュースだけ。

 そもそもノボリは知名度なかったし、それを知ってるのも本当に一部の口のかたい人間だけだからノボリが知ることはないだろうけどね。

 

「今日は電車に実際に乗るからとっても楽しみ。ノボリは?」

「もちろん楽しみです。おまえが楽しみにしているからでしょうか。……らしからず、とても楽しみです。胸が踊る、と言うのでしょうか。不思議ですね」

「不思議なもんか。ぼくたち、心はちっとも違わない。そういうものなの」

「そうですね、えぇ」

「難しいこと考えずに楽しめばいいの、思いっきり」

「もちろん。叶うなら電車の運転もしてみたいですね」

「えっと……初日にそれは……無理じゃない?」

「ですねぇ」

 

 ノボリの【魂】は半分眠らせてある。まぁ、もう少し馴染んだら起こそうと思ってる。勝手にアンドロイドの身体に押し込んだことはきっと怒るだろうけど、許してくれると思う。もしかしたら何発か出力の壊れたノボリに殴られるかもしれないけど、ぼくのも予備の体はすぐ作れるから大丈夫。ノボリの【予備ボディ】は壊しちゃったけど、必要ならいつでも用意できるし。

 まぁあの時壊したのはノボリじゃないくせにノボリみたいな顔してそこにいるのが気に食わなかったからだけど。ノボリの魂のコピーを備えた【予備】たち。そのくせ誰ひとりぼくの声には応えなかったニセモノたち。

 やっぱり本物だけがぼくを見て、本物のノボリだけがぼくを助けようとしてくれた。【予備】までノボリみたいな挙動をしたらウッカリ兄ハーレムになるところだったけどそうはならなかった。残念。

 

 ノボリは変わらない。ぼくだけを見てくれる生真面目な猫。生来気まぐれな癖にそれを抑え込み、自分のことを真面目だと思っていて、猫なのに自分を忠実な犬だと思ってる。そんなチグハグなノボリはだから、ぼくを助けようとする。何よりも優先するし、双子のくせに兄ぶる。本当はやりたいことが山ほどあるくせに遠慮して、言ったり言わなかったり。口に出しても【叶うなら】。それもこれもぼくが好きだから言わないんだよね。それが嬉しかった。

 ぼくには何でもあったけど、ノボリだけが本当の意味でぼく自身を案じ、愛してくれたの。

 

 愛しているから、願うことなんでも【叶うなら】。可愛いノボリはぼくを困らせたくなくてそう言うの。

 何でも叶えてあげるって言ってるのにね。

 

【まったく、あの強情な黒猫は】

 ホントだよ。

 

「……まぁいいか。ノボリはポケモンバトルも楽しみ?」

「野良バトルは何回かやりましたが、バトルサブウェイで実際に、となると組み上げた7598通りの戦法のうちどれが相応しいのか処理が間に合わないような心地ですね」

「それを楽しみっていうんだよ」

「クダリはわたくしと『同じ』はずなのにやけに詳しいですね」

「そんなの単純。造られるのはノボリの方が早かったけど目を開けたのはぼくが先。だからいろいろ知ってる」

「なら『兄』はクダリがやれば良かったのでは?」

「ノボリとクダリって名前なのにクダリが兄なのはおかしいでしょ」

「それもそうですね」

 

 ノボリはギギギアルを抱き寄せた。普通、そのポケモンは素手で触れるものじゃないけど、最新型のノボリのスキンは難なく受け止めた。さすがにポケモンの技が当たったらどこか壊れると思うけど。

 

「ノッテタタカウ鉄道員としての初陣、期待していますよ」

「アイアントも頑張ろうね!」

 

 まるで普通の兄弟みたい。夢だった鉄道員として頑張る双子。いいね、こういうフツウな幸せ、きっと、虚弱で病弱でフツウが叶わなかったノボリが欲しかったんでしょ? いいね、悪くない。なんだって指さして欲しがれば手に入る幸せも良かったけどこういうのもいいね。

 なにより閉じ込めてなきゃすぐに死んじゃいそうだったノボリが元気なんだもの。理論上ノボリを行動不能にする為にはギガインパクトとはかいこうせんの両方を正しい方向からコアに当てなきゃならないんだよ? そうそうない。機体の破損ならもっと弱い威力でも起こりうるけど。

 

「じゃあ行こ!」

「出発予定時刻より2時間30分7秒33 早いですよ」

「じゃあ時間まで散歩しよ」

「……えぇ、おまえが望むなら」

「やっぱりやめた! ここでおしゃべりしよう」

「おまえって気まぐれですね」

「その方が『らしい』でしょ」

「いえ。おまえは優しいからそう言ったのです」

 

 ノボリはのんびりと立ち上がると外をちらりと見た。路地裏でステレスモードを起動し、スタンバイモードになっていたぼくたち。さんさんと降り注ぐ太陽がもうまぶしい。

 

「推定:わたくしが太陽を見ると頭が痛くなる、と言っていたのを覚えていたんでしょう?」

「……ねぇずるい。ぼく、きみをまだねむらせておこうと思ってたのに」

「何故か起きてしまいました。不可解なことですね。しかしクダリ、わたくし、死者の蘇生の再現をした訳ではありませんよ。わたくしはアンドロイドノボリ。そしておまえはアンドロイドクダリ。あのふたりではないのですから」

 

 笑う機構をぼくの無理な起動のせいで破壊されたノボリはまっすぐな目でぼくを見て、腕を広げて見せた。

 

「おまえは嘆いてくれましたが、わたくしのもろい身体、愚かな思考、そしてあの歳で死んだという事実そのものが『わたくし』なのですよ。おまえがくれたこの身体はなるほど強く、弱さを知らず、きっと驚くほど永くを生きられるのでしょうが。しかしアンドロイドのノボリに過ぎない。第二の人生はもちろん楽しませていただきますが」

 

 ぼくの黒猫はね、馬鹿みたいに不器用なんだ。高性能なボディの出力いっぱいの力で踏み出してくるものだからたまらない。地面は軋み、コンクリートに足跡がつく。あのね、そういうのは小さな子猫が塗りたての床にやるからかわいいんであって、ぼくの黒猫がやるといたずらなゴーストタイプの仕業みたいに見えるんだけど?

 

「クダリへ:提示 クダリへ:提案 いいえ。クダリへ:懇願 クダリ、これは懇願、個人的な懇願です。わたくしの本性は機械です。それは変えようもない事実なのです。いくらわたくしの胸の内におまえの大切な人の魂を入れこんだとて、おまえの魂が確かにそこにあるのだとしても。クダリへ:懇願 再度の自己破壊を選ばないように」

「ノボリへ。ぼくの本性はもちろんアンドロイドだよ。人間のクダリはもう死んだんだ。生き返ることなんてないのさ。だから『再度』なんてない。ぼくはぼくの一度目の命を生きているだけなの。それだけさ」

「懇願:自己破壊を選ぶな」

「じゃあ受け入れる代わりにお願いだから、先に死なないで」

 

 虚を突かれたかのようにつり目をぱちぱちさせたノボリはぼくの顔をまじまじと見て、それからぼくの手を確認した。きみが大好きなモモンなんて持ってない手をつまらないそうに掴んで、……驚くべきことにぼくの手を掴むときだけ出力がマトモだった……小さいときみたいに繋いだ。

 

「[[rb:辟易 > へきえき]]:おまえは、おまえは……いつも、そればかり」

 

 ノボリの口角が【自動計測:12.56パーセント】上がった。口唇部全体はへの字を描いているのに、猫みたいに口角だけをあげてぼくの黒猫は笑う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ずいぶん前から体内時計を停止している。正確な秒刻みの時刻を知っているのは人間っぽくないからだ。ノボリは停止していないけど、普段はポップアップしないようにプログラムを書き換えてあるらしい。今の時間を聞かれて秒刻みで答えるのは人間らしくないしね。

 

 32年前より【86パーセント】速度を落として歩行し、たくさんの部下たちに退勤の挨拶をしつつ、ふたりきりになるとノボリは慎重に周囲をスキャンし、ステレスモードを展開した。

 

「提示:加齢システムの上限値に到達 クダリへ:推奨 三年以内の退職」

「そうだね、ぼくたち骨格と体型までは変わんないし、肌や髪の質感のテクスチャ変更で加齢してるっぽく振る舞ってるだけだもんね」

「提案:別地方への移動 そうですね、退職金を活用して世界旅行としゃれこむのも悪くないのでは?」

「いいね、旅をしてたら年齢なんてどうでもいいでしょ。目立たなきゃさ。それならサブウェイマスターの見た目より若い姿の方がいいと思うんだけど」

「検討:承認 いい景色が見れそうです。楽しみですね、ギギギアル」

「うん、アイアントも楽しみだって言ってるみたい」

 

 ノボリはそっとハッキングでぼくたちの退職時期を決定し、社内スケジュールに組み込んだ。

 そしてステレスモードを解くと、ぼくらの家に向かって歩き出す。小声で、ぼくたちだけの静かな会話を続けながら。

 

「イッシュ地方はなんだかんだと出張で回りましたし、知名度も上がってしまいましたからね。別の地方から回るのも悪くありませんね。どうでしょう、ジョウトとカントーを繋ぐリニアに乗ってみるというのは」

「ノボリが乗りたいだけでしょそれ。本当に電車好きだね。まあいいけど」

 

 鉄道員になって、すぐにサブウェイマスターになって、ホントに面白おかしく過ごしてきた。ノボリがきっと面白がってくれると思って作ったバトルサブウェイだけど、普通の人間が退職するくらいの年齢までその職のまま続けるとは思ってなくて、本当に気に入ってくれたんだなあって。その割には年齢に不審がられそうとなったら辞めるという選択になんの未練も感じてなさそうだけど。

 

「長らく『ノボリ』の希望を叶えていただきましたので。わたくしリニアに乗ることは譲りたくありませんが、それ以外は『クダリ』やおまえ自身の願いを叶えていただきたいです。

 疑問:おまえの望みとはなにか?」

「それはもう叶ってるね」

「疑問:それは何か?」

「ちょっと言うのは恥ずかしい」

「今更では?」

「それはそうかもだけど」

 

 ぼくはキミの願いを全部叶えて、ずっとキミといたい。

 

 なんて。ちょっと子どもっぽいネガイだよね。ちっちゃなぼくの黒猫が元気にやっていて、こうして口角だけを上げた猫みたいな笑顔でぼくの横をちょこちょこ動き回っていて、好きなことをやっても全然つらい顔をせずに過ごしていて、自分はぼくよりマトモだと思ってるけど正直変わんないから無自覚にヘンテコなことを言ってさ……ポケモンと一緒に過ごし、夢にまで見たバトルを心ゆくまでやって。

 

 あーもう、もうなんにも要らないの。ほしいものはなんだって手に入ってきたじゃないか。あれが欲しいって指をさせばぼくのもの。キミの時間以外はなんだってぼくの思うまま。この世で唯一命令できないキミだけが手に入らなかったから。

 

 でもノボリは、勝手なぼくの横に留まってくれたから。いったい他に何を望むの。

 

 ぼくは何度でもこの身体を取り替えて、何度でもキミと再出発したい。それさえ叶えばなんでもいいの。魂を込めたメモリーチップが擦り減り、再生できなくなるほど朽ち果てるまで一緒にいよう?

 

「キミといっぱい、思い出を作りたいなって」

「ほう」

 

 興味深げにノボリのアイカメラがピカリと光る。

 

「それは素晴らしい。これからも一緒に思い出を作りましょう、メモリー容量いっぱいまで、そしてそれは叶うでしょう」

 

 そして、ノボリは心底満足げに、陽だまりの中の猫みたいに笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何年かに一度、劣化するたびそっくり身体を取り替えて、大事なメモリーを移し替えて、ぼくたちは旅を続ける。気分によってお揃いの髪型を変えたり、服装を変えたり、「設定」を変更したりしながら世界中を回り続ける。

 

 「ノボリ」が「生前」叶わなかったあれそれを叶えて。ううん、「クダリ」だって初めてのことばっかりだった。

 

 自由に動く身体をめいっぱい動かして、壊れたプログラムの赴くままノボリは生きた。フツウに生きられなかった分を、めいっぱい腕を伸ばして余すことなく享受して。

 

 でもね、物質には限界がある。コピーデータが「ノボリ」ではないことを最初に確認していたぼくはノボリのメモリーの劣化だけは抑えることができなかった。それで、ぼくたちだんだんエラーが多くなってさ。

 歪む視界、頻発するラグ、データが読み込めなくなる恐怖が支配していた。

 

「提示:クダリへ 『ノボリ』の稼働限界まで24時間のカウントダウンスタート」

「ボディを取り替えよう」

「提示:ボディの経年劣化による停止ではない クダリへ:わたくしはこれまでのようです」

「先に死なないでって言ったよね!」

「肯定 推察:『クダリ』の稼働限界も24時間である フルバイタルスキャン推奨」

「なぁにそれ」

 

 人間らしくしようってことでぼくのアンドロイドの機能は長いこと使われないままだった。反対に不器用なノボリは上手く自我をわけられなかったみたいだけど。ぼくはぼくで「クダリ」はあくまで「クダリ」。自分によく似た別の存在。でもノボリの中はごちゃまぜだった。そういうところ、とっても「らしい」けど。

 

「クダリ」

 

 ノボリはぼくの手を引っ張り、その辺に座り込んだ。そのあたりは人里から離れ、未だ自然を残す山の中。エラーとラグが頻回になってから人間に溶け込むのはもう無理だと判断し、三代前のボディからぼくたちは人間と関わるのをやめていた。

 アイカメラをぴかりと光らせ、声帯パーツから不規則なハミングを流し、だらりとして制御できなくなった左腕を払い除けてノボリはぼくに笑いかけた。

 

 共感プログラム:笑顔 近似値23.8パーセント だけど、ぼくはそれがノボリの笑顔だって知ってる。口角だけ上げてさ。ぼくの黒猫が今日も笑ってるんだ。

 

 ならよかった。よかったなぁ。

 

「自己破壊を選ぶなと言いました」

「うん」

「先に死ぬなと言われました」

「うん」

 

 ゴロンとふたりして寝転がる。ぼくたち、金属とシリコンとプラスチックでできているから自然に還らないだろうけど。それはすなわち、死んでからも寄り添ったままずっと隣にいられるってこと。

 

「両方叶って何よりですね」

 

 ノボリの喉が不規則な歌を奏でている。ぼくの腕がノボリの手を探り当て、ぎゅうぎゅう握ってみる。ノボリと違ってボディの制御だってバッチリだから指を砕いたりしない。

 

「ずっと一緒にいたかったの」

 

 するりと口から言葉が出た。あんなに照れくさかったのに、今なら言えた。ノボリはぐりんと首を動かしてぼくの顔を見た。

 

「えぇ、存じております」

 

 陽だまりの中で伸びをする猫みたいな幸せそうな顔をして。ノボリはぼくの顔をいつまでも、いつまでも眺めていた。ぼくもノボリの顔を眺めたまま、いつまでもいつまでも手のひらの感触を味わっていた。

 

 それで、ロボットみたいな双子車掌と呼ばれたぼくたちはようやく眠りにつくことにした。

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