「ちっとも終わりません……」
「サブウェイマスターに対する人権侵害……」
山のように積み上がった書類の分厚さにわたくしたちはため息をつきました。大の大人でもひと抱えもあるような紙束がそれぞれ三つずつ。それもできれば一日で片付ける必要がある書類なのだからもうむちゃくちゃです。こんな勤務形態を問題視しないなんて、バトルサブウェイ上層部はサブウェイマスターを一体なんだと思っているんでしょう。機械仕掛けの自動人形だってストライキを起こしたがるような業務量なのですけど。
目にも止まらぬペン捌きで書類を片付けているクダリも同じことを思っているのでしょうね。
「このご時世、こんなに大量の紙ベースの事務作業、信じられない。効率的な業務とライフ・ワーク・バランスのために早急なデジタル化が求められるってワケ……上の許可が出るまで待てない。こんなのなりふり構えない」
「まったくです」
「はー、もう、まったくもう!」
負けじとわたくしもペンを走らせ、次々と書類を捌いていく。あぁ、今が就業時間後でなければ挑戦者さまが来るかもしれない、と心の支えにできたでしょうに。
煌々とデスクを照らす電灯、漏れだしそうなうめき声を喉の奥でくびり殺し、だんだんと白く霞む視界を無視して。とはいえ、それなりに広い事務室にクダリとふたりっきりというのは大変気楽で、わたくしたちの呼吸がぴったりと合い、次々と仕事をこなしていくのはそしてとてもとても居心地がいい。
クダリの真剣な横顔を盗み見し放題で、この通り共通の話題もあり、同じ苦難に向かっての共感もできる。この過度な疲労感を除けばとても理想的な環境と言えました。
なにせ。わたくしは、クダリを愛しているので。ええ、まったくもって墓場まで秘めておくべき感情なのですけども。
あらゆる電子制御システムの天才であり、その上ダブルバトルの申し子であるクダリと同じ仕事に就くためにサブウェイマスターとなったのですから。もちろん、それがすべてではありません。自分の能力、自分のやりがいを感じる分野、そしてめぐりあわせ、適正。いろんなものを加味した結果の最適解だったことには代わりなく。そのような不純な動機を抜きにしてもこの職に就いてよかったと心から思っているのですが。
それはそれ、これはこれ。
いやはや、クダリと双子であったこと……つまり使いこなせてはいないのですが同等のスペックをもって生まれてきたことをこれほど感謝したことはないですね。
それは物心もつかぬ幼少期から。可愛らしく双子の兄を慕ってくれるクダリを愛おしく思いながら常に付き纏っていたのは焦りでした。もちろん、わたくしも純粋にポケモンバトルを楽しみ、電車の運行を考えるやりがいと誇りをもって仕事をしているのですが、いつも劣等感に似た現実が薄い膜のように覆いかぶさりわたくしを支配していたのでした。
無邪気で可愛い双子の片割れは幼い頃からなんだってやれました。クダリこそきっと神さまが愛した子なのです。天は二物を与え、その頭脳にひらめきを与え、さらに
クダリの良いところはその功績を決して自分のものにしないところでした。いつだって、それらすべてをわたくしのお陰だと言ったのです。そしてそれがどれだけわたくしにとって理解しがたいものであったとしても、できあがったものや功績をそれとなくわたくしとの合作のように周囲を言いくるめ、クダリにはそのような意図がないにせよ、わたくしをクダリの隣に立つべき相棒としての立場を盤石にしていったのでした。
クダリは天才でした。いつだってクダリは完璧でした。小さい時からわたくしの後ろをついて回り、そしてわたくしの前に現れた試練や挑戦、障害や危機を難なく打ち払ってきたのです。
クダリは人並み以上に人懐っこく愛らしい子どもでしたが、子どもながらに自分が人とは違う素晴らしい才能を持ち合わせていることに気づいていたのでしょう。素晴らしく秀でているということは、それすなわち孤高の存在になりえるということ。ただの人間の中に溶け込むことにメリットを感じたのでしょうか。クダリの本当の意図は推測にすぎませんが、ゆえに、双子であり、隣に並び立っていても違和感のないわたくしをクダリは求めたのです。
客観的に考えたなら、合理的な考えでは。クダリは天才ゆえの孤独を恐れていたのでしょうか。いいえ。わたくしには、それはクダリの大きな優しさだと思うのです。
ええ。クダリは優しい子なのです。誰よりも、わたくしに優しい子なのです。
いつだって。わたくしの人生は決まりきったものでした。あることに挑戦し、それに苦戦し、なんとか試行錯誤し、必死に努力している最中に目の前ですべてやってのける。そして己とは不釣り合いな功績を半分渡され、賞賛を受けるように仕向けられる。
それは本来なら屈辱や怒り、無力を感じる場面だったのかもしれません。ですが、クダリがせっかくわたくしを周囲の目から守ってくださったのですから、わたくしは甘んじて受け入れていたのです。
クダリは、いつだってわたくしを心の底から褒め称えました。自分が成し遂げたことをわたくしのお陰だと言って、そしてその言葉を何より信じていたのはクダリ本人だったのです。
ああ、クダリが悪意を持ってわたくしノボリを事実とはかけ離れた存在として周囲に知らしめたかったのならどれだけ良かったでしょう。そうではなかったのです、そうではないのです。クダリが、クダリこそが。いつだってあまりの天才ゆえにクダリは気づけなかった。自分の片割れが凡庸であることも、今自分が簡単にやってのけたことが片割れにはできないことも、その無邪気な善意が時に人を傷つけることがあるということも。何も知らない、完璧なかたちのクダリ。
どうしてクダリを糾弾できるでしょうか。どうしてクダリにやめてくれと、もうなにもかもやめてくれと縋り付けるのでしょうか。わたくしはクダリの片割れなのに、本当は劣っていてはいけないはずなのに、わたくしにはクダリにとって簡単なこともわからないなんて言えるでしょうか!
クダリが完璧なら、わたくしは狡かった。その点においてだけわたくしはクダリより勝っていたでしょう。
わたくしは口をつぐみ、クダリに同調し、クダリの指し示すすべてを肯定し、そして。
その結果として、わたくしには地元なら多少は友人と言える存在がいるものの、都会であるライモンシティには呆れるほど人間がいるというのにまともな知り合いがひとりもいない、空っぽな存在になったのですけどね。そもそも自分の功績ではない以上、あくまで張りぼて。簡単に剥がれるメッキです。少しでも親しくなればすぐにわかってしまうことでしょう。しかし、それにしがみついたのはあくまでわたくし。クダリを傷つけないように、だなんて醜い言い訳。クダリは善意でわたくしを引き立ててくださっただけ。はねのけること、あるいは静かに距離を置いて「ただの兄弟」になりさえすればよかったのに。咎はわたくしにしかないのです。
……大人になった今なら。クダリの隣に並び立つべき素晴らしい人間はこの世にごまんといることを知ってしまいましたので。「双子」ということにこだわる必要はなく、さっさと不出来な兄は立場にしがみつくのをやめればいいのですけど。
クダリの気が変わった日がわたくしたちの関係性の終わりなのです。幸いにして、道ならぬ恋心の終止符はまだ打たれていないので、わたくしは小さな恐怖を抱えながら素知らぬ顔で日々を過ごすだけなのですが。
「んー、よく使う書類は数字とかだけ変更出来るテンプレート作って、ルーチン業務はマニュアル作成して。こういう作業もシステム構築できればこの非効率な仕事、かなり削減できると思うんだよね。というかこういうの、そもそもあってしかるべきだと思うのになんでないの? 大都会の駅のくせにさ。……そうすればノボリ兄さんを定時で帰して自分の家で熱いシャワーを浴びて、出来合いじゃないご飯を食べてもらえる。そうだ、僕たちの超過労働時間を上層部にちらつかせて非効率な業務のせいで膨れ上がった残業代で余裕でもうひとり雇えるよね? って圧力かけなきゃあ……」
「ああ素晴らしい考えですね……でもクダリも一緒に帰って寝るんですよ……?」
「ん……そうだね、僕も帰れる。僕もふかふかのベッドで寝れる。あったかい、作りたてのご飯を食べられる……もうひと頑張り。あ……ノボリ兄さん大丈夫? 徹夜続きだし、からだ辛かったら先に帰っても」
「わたくしたち、生まれながらに一蓮托生でございますよ。抜け駆けなどできません。わたくしだけ特別辛いなんてことがあるでしょうか。三徹目のクダリと同じだけのHPでございます」
「かいふくのくすりってあったっけ……」
「コーヒーならございますよ。うふふ」
「その黒い泥みたいな物体、コーヒーだったんだ」
「これがないと一瞬で眠気に支配されてしまいます」
「お湯と粉が同じ量の物体なんて摂取してたらからだに悪いから早く仕事終わらせてノボリ兄さんを寝かせなきゃ……!」
このような会話をしながらも手を止めず。少しずつ書類の山を切り崩しながら、クダリは少しだけ顔を上げてわたくしに向けて微笑みかけてくださいました。
「あのね、ノボリ兄さん。いつもありがとね?」
「?」
仕事に真摯に取り組むのは当たり前でしょう。一体なんのお礼だというのか。とはいえ、クダリの考えること、やることなすことにはすべて意味があり。そしてそれらは凡人には理解しがたいことがしばしばあるのです。
凡庸なわたくしはいつものように曖昧な微笑みを浮かべてクダリを見返すことしかできないのでした。
◇
どんなに取り繕っても人間は人間。わたくしも普段は笑みを浮かべて掴みどころもなくひょうひょうとしているとよく他人からは言われるのだけれど、実際は水面下で必死で足をバタバタさせているだけなのです。
だけども、愛しのクダリはまったく、欠点や人間らしい取り繕い、焦りや余裕のなさなどのマイナスの面など持ち合わせている人間ではないのです。クダリというわたくしの愛する完璧な概念はいつだって期待を裏切らないのです。
「ATOシステムは僕に任せてね、ノボリ兄さん」
「えぇ。頼りにしておりますよ。ではわたくしは現場に行ってまいりますので」
「うん。十二時に交代要員をよこすからきっちり一秒も逃さず昼休憩取ってよね? ライモン駅をホワイトにしないと……」
「クダリこそ。多少のトラブルくらいはみっちり教育した部下が対応できるでしょう? この前みたいに昼ごはんを食いっぱぐれないでくださいね。クダリったらいつも仕事に夢中で無理ばかりするんですから……いえ、念には念を入れて。今日は一緒にランチに行きますか?」
「! あ……実はね、僕二人分のお弁当作ってきたの。良かったら一緒にたべよう?」
「なんですって」
おおむね同じ勤務形態をしていますが、クダリはわたくしの職務に加えてATOシステムをはじめとした社内システムの総司令官みたいなものなのです。わたくしもからっきしというわけではないですが、ほんの数時間の指揮ならともかく丸一日クダリの代わりができるかというとそれは疑問が残ります。
忙しいクダリはわたくしに比べると現場仕事が少ないですが、それもほぼ誤差の範囲と言ってもいいでしょう。素敵な笑顔の白コートのサブウェイマスターのお兄さんとして小さなお客さまから素敵なお嬢さん、老若男女問わずクダリの人気は留まるところを知りません。
そういうわけで、得意なシステム管理以外も莫大な業務を抱え込んでいるクダリにお弁当を作る余裕はないと思うのですが、流石は天才というべきでしょうか。というか気づかなかったのですが、もしやわたくしが寝こけてしまった後に仕込んだのですか? なんてできた男だというのか!
でもちゃんと帰って寝てくださいね! いくらクダリが天才的に頑丈で素晴らしく健康といっても心配です!
「クダリの料理はどれも絶品です。わたくし楽しみにしていますね!」
とはいえ、せっかく作ってくださったのにあれこれケチをつけて水を差すのは無粋でしょう。たまに振る舞われるクダリの手料理はどれもこれもスーパーブラボーな仕上がり。しかも双子の神秘でしょうか、いつだってわたくしが食べたいものが出てくるのです。今回もそうに違いありません。ここは素直に喜ぶとして、クダリ同様、わたくしも別の切り口でこの超過勤務状況を打破する方法を検討しなくてはね。
「行ってらっしゃい!」
小さく手を振る明るい笑顔のクダリは小さな子どもが夢見るような白いコートの王子様。あらゆるロマンチストの憧れを詰め込んだ甘いマスクの持ち主。
道ならぬ恋心を胸に秘めたわたくしにはまさしく効果抜群で、目に焼き付いた笑顔にしばらく胸がどきどきするのでした。
そのままホームでトレインを待っていると近くにいたホーム係が寄ってきました。たしか彼はクダリが教育担当をしていた子ですね。ちょっと前まで新人としてわたわたしていたのに今では中堅。時には新人を教える立場になって、こんなに堂々として。
なんだか親心のような気持ちが勝手に湧き上がってしまいますねえ。
「お疲れ様です。あの、ノボリさん。ちょっと顔が赤いですよ?」
「そうですか? 事務室の暖房にあてられてしまったのかもしれませんね」
「暖房ついてたっけ? 風邪じゃないんですか?」
「おやおや。そのような発言は野暮というものです。……ね?」
風邪じゃないことくらい自分が一番理解しております。
実のところ、ギアステーション内でわたくしがクダリをお慕い申し上げていることをみなさまご存じです。ですので、それだけ言うとホーム係の彼は目を細めてなぜか頬を染め、曖昧に頷いてくれたのでした。
はい、非常によろしい。
◇
僕らの暮らす部屋はそこそこ広いし部屋数も多い。同年代の中ではなかなかいいグレードの家に住んでいると思う。サブウェイマスターは収入もいいし、二人暮らしだから当然だけど。
本当はもっと狭い方が良かったけど。ノボリ兄さんとの距離が近くなるから。でも、ノボリ兄さんの前では「スマートにいい部屋を選ぶクダリ」でありたかった。ちっぽけな見栄ってやつ。ちょっとだけ後悔しているけど思ったよりセキュリティーがしっかりしているし、ノボリ兄さんも手持ちたちも快適そうに暮らしているから選択肢としては良かったと思うけどね。
そんなわけで。ノボリ兄さんは今日も僕が契約した部屋の中で、僕の選んだふわふわの部屋着を着て、僕とおそろいのスリッパを履いて、座り心地の良いソファの上でバトルレコードを見返している。僕の目の届く範囲にいてくれている。とりあえずバトルが一区切りついたのを見計らい、隣に座った。
「はい。今日からこれ、持っててね」
「はい? はい、分かりました。どのようにすれば?」
「普通にいつもポケットに入れておいて? 仕事中もお願い」
「はい」
ノボリ兄さんのいいところはこうも素直なこと。僕よりずっと正直者で、疑うことを知らない。ううん、ちゃんと人並みの警戒心はあるけど、僕に対しては決してはたらかない。
渡したものに対して「これはなんです?」とか「どうして持っていないといけないんですか?」なんて聞いてきたりしない。ノボリ兄さんは「クダリが言うのだから必要なはず。説明が必要ならしかるべき時に言うはず」と考えてくれる。
昔は好奇心が溢れるほどにあったから僕のやることなすことにちゃんとなぜ? って聞いてきたのにね。
本当に苦労した。ここまでとても苦労した。苦労なんてノボリ兄さんに関することでしかしたことがない。
ノボリ兄さんの心を折るのに苦労したのさ。だって君は強いもの。本当は絶対に折れないはずの君をここまで仕上げられたのは他でもない僕だからだ。僕だけが唯一、君にとっての警戒心の対象外だから何とか成功したといっても過言じゃない。
「クダリはいつもわたくしを助けてくださります。本当に感謝しているんですよ」
「僕たちたったふたりの兄弟じゃないか。当たり前だよ」
「ええ、ええ、そうでしょうとも」
ノボリ兄さんは僕に対して劣等感を抱いたまま、僕との関係に必死にしがみついているつもりだけど。真相は違う。
ノボリ兄さんは僕のことを天才だと思っていて、やることなすことすべて僕より劣っているとでも思い詰めているんだ。だけど、それは僕がそう思うように誘導しているからだ。
確かに僕はダブルバトルやATOシステム、子どものころだと暗記科目なんかは良く出来た。運動も得意な方だし。言ってしまえば結構誰にでも分かりやすいことが得意なことが多い人間だった。でもね、ノボリだって得意なこと、僕よりずーっと優れていることはいっぱいある。
まず、ノボリ兄さんは人たらしだし、ポケモンたらしだ。誰かに話しかけられないと仏頂面で、黒い衣装で身長も高いから怖がられることもあるけど、少しでも話してみればそんな印象なんて吹っ飛んで、誰も彼もノボリ兄さんのことが大好きになる。ノボリ兄さんは僕の方こそ人に好かれる人間だと勘違いしているけど、違うんだ。ノボリ兄さんのものは天性の才能で、僕のものはノボリ兄さんを真似した後天的なもの。笑顔や醸し出す雰囲気、そして威圧的なノボリ兄さんの風貌を利用して「いろんな存在に好かれるように見える」ようにしているだけ。それもノボリ兄さんだけ勘違いしていればいいんだし。
そうしてノボリ兄さんのことが好きになった人間に圧力をかけたり、もう二度と関われないように画策するような裏工作は僕の方が得意なんだけどね。周囲に悪印象を抱かせず、そういうことをするのは裏表のないノボリ兄さんには無理なんじゃない? やったことなんてないし、やろうと思いついたことすらないと思うけどね。
ノボリ兄さんは物事を組み合わせて発展的な内容にすることより、シンプルな基本に忠実に行動することが得意だ。基本原則をしっかり守って、守ったうえでそれが正しい。具体的にはそれがよく表れているのはポケモンバトルかな? 基本原則に忠実なノボリ兄さんは育成の段階で基本方針をきっちり決めてから、その通りに行動する。途中で「こっちの方が汎用的かな?」だとか「この技構成にした方が最近の流行りの戦術に対しては強いと思う」なんて僕みたいに考えたりしない。最初に考えた通りに完璧に育成し、バトルではポケモンバトルの基本に忠実に技を選ぶ。
……とはいっても、ノボリ兄さんだって数あるバトル施設の中でメジャーなシングルバトルの頂点のひとりだもの。いくら基本原則に則っているとは言ってもそう簡単に手の内を読ませたりしないけど、バトルレコードなんかであとから見返してみれば「変な行動」はしてないんだ。
ひたすら愚直で、まっすぐで、搦め手なんてなんて思いつきもしなくて、だけどそのまっすぐさのまま勝ってしまう。それがノボリ兄さんだ。天才的に忠実な最善手を選び取る純真な僕の片割れ。繰り出した一体のポケモンをなんの小細工もなしに最大限輝かせる実直なエンターテイナー。
それに、ノボリ兄さんの劣等感を煽っているのは僕だけど、ノボリ兄さんって僕と比較して別にできないわけじゃないからね。
なんでも同じこと、やろうと思えばできる。なんだって努力すれば実を結び、人並み以上に出来るようになる。どんなことだって理解が早いし、仕事は丁寧だし、その不屈さとまっすぐさが決して諦めない粘り強さまで持たせているんだし。
ただ、僕の得意な分野に関しては僕の方が理解も作業も早いだけ。それって普通のことでしょ。ノボリ兄さんの得意分野で勝負したら逆の結果が出るんだし。例えばお客様を案内するとき、端末とかの補助機材を使わずに乗換案内をするようなシチュエーションだと絶対に勝てない。
僕の方が単純な暗記は得意だし、物事を組み合わせて考える……一種のコンビネーションも得意だし、初対面の人間に対する人あたりも僕の方がいいけど、ノボリ兄さんの方が困ったお客様に対して要望を聞き出す力があるし、全力で親身になっているし、だいたい道案内の段階になったら最初の印象なんて吹っ飛んでお客様がノボリ兄さんのファンになってるし、目的を達成した後の満足度が違うっていうか。結果的にノボリ兄さんの方が相手の遠慮もなにもかもすっ飛ばして完璧で最良な案内ができるし、ついでになぜか特定のバトルトレインの集客率も上がる。なんだろうね、ノボリ兄さんは魔法使いみたいだ。
「クダリがいつも助けてくださるから、わたくしはこうしてやっていけるのです。今回のこの小さな装置も、わたくしにはどういったものかわかりませんがわたくしに必要なものなんでしょう? そうして次々に手を打ってくださるからわたくし、わたくし、」
「ね、ノボリ兄さんが僕のことをそうやって立ててくれるから張り切っちゃうんだよ」
「もう、お上手なんですから」
ノボリ兄さんに気づかれないよう、ポケットの中で端末をいじくる。これでノボリ兄さんに付きかねない悪い虫との会話を聞けるし、常にノボリ兄さんの居場所も分かる。
ノボリ兄さんは僕のことを天才で、完璧で、何の欠点もない優しい弟だと思っているみたいだけど。
違うんだ、全然違う。本当にそうだとしたらノボリ兄さんの自尊心を年齢が一桁のころから折ろうと思わなかっただろうし、ノボリ兄さんが優れているところを自覚させないように立ちまわったりしないし、ノボリ兄さんに真っ当な好意を向ける存在を再起不能に追い込んだりしない。
「クダリ。クダリ、ちょっとわたくしのお願いを聞いてくださいますか?」
「なあに?」
ノボリ兄さんは少しだけ卑屈っぽく笑って見せ、だけど目にたっぷりの親愛をたたえて僕の腕に飛び込んできた。
「大好きなクダリにぎゅーっとされたいんです。わたくしの安心できる場所はここしかないんです。いいですね?」
「もちろん! ノボリ兄さん大好き!」
「ええ、わたくしも、クダリのことが大好きですよ」
本当に手のひらで転がしているのはどっちなんだろう。結果として僕はノボリ兄さんのことをいいように矯正して、その心を捻じ曲げているのだけど。僕はノボリ兄さんに尽くして尽くして尽くして、その上で絶対にこの腕の中から出て行かないようにありとあらゆる手段を使っているわけだ。
ノボリ兄さんはそこで僕から与えられるすべてを享受していればいい。そこにいるだけでいいんだ。そしてたまにこうやって可愛いことを言って僕の心を振り回しているだけでじゅうぶん。
それって、なんだか。
僕がワガママなかわいいひとに仕える愛の奴隷みたいじゃない?