【短編集】憧憬の愛玩動物   作:ryure

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「ボクはとってもリアリスト。勝負の世界は勝ちか負けだもの。でもノボリは違う」
「わたくしは現実主義者と言わざるを得ないでしょう。現実ほど見据えなければならないものはありませんので」

どっちがリアリスト気取り?




夢見るリアリスト

 わたくしは恋をしてみたかった。

 いいえ、恋はしておりました。言うならば愛に素直になりたかったのです。

 

 この世は世知辛く、ドラマのような素敵な恋愛事は所詮疲れたヒトにとってはただの夢物語。絵空事にうつつを抜かす時間は少しもなく、ただただ日々はじりじりと流れていくのです。

 わたくしが、万人……いえ、特定一部のバトル好きポケモントレーナーたちに夢を与えるべき「サブウェイマスター」でありつつも、現実には社畜気味の車掌という事実を併せ持っているように、楽しい思いや感情だけで万事形作られているわけではありません。

 

 いくらバトルトレインの中では難攻不落の待ち受ける壁としての「キャラクター」を持っているとは言っても、バトルで対話するという夢のような時間よりも圧倒的に長いのは通勤列車のアナウンスや乗換案内、ATOシステムの監視。いえ、もちろん車掌業務が嫌いな訳ではありません。わたくしは性根から「電車キャラ」でありますし、そのようなキャラクターが染み付くほどには仕事が好きです。しかしながら。

 いくら好きなこととはいえ、ようはわたくしもある側面ではよくいるトレーナー兼務の公共施設の職員であり、駅構内に貼り付けてあるバトルサブウェイのきらびやかなポスターとは裏腹に日々の大半は仕事に忙殺されるくたびれた社会人であるという訳なのです。

 

 最近、わたくしは疲れていました。

 

 家に帰ったならば昨日買ってきたものの食欲が湧かずに冷蔵庫に入れた半額の惣菜を食べましょう。消費期限が少しばかりすぎていますが一日くらい構うものですか。あたたかな食事なら電子レンジで十分。シャワーを急いで浴びて、適当に頭を乾かしたらとっととベッドに入って明日の早番に備えるのです。

 毎日毎日家と職場の往復の日々。仕事中は、特にお客様や挑戦者様の前では「キャラ付け」の為に片時も気を抜けず。

 

 わたくしは、ひたすらに疲れていました。

 

 からだは重苦しく、眠っても眠っても晴れやかにはならない。日々の生活は間違いなく充実しているのにどうしても心底夢中になることが出来ない。日々の業務もバトルもわたくしにとってかけがえのないものであることは間違いないのに、靴の中に入った小石のような引っかかりが常にわたくしの心の中にあるのでした。

 

 あぁ、いっそ現実世界の何もかもを忘れて、幸せなばかりの夢を見てみたい。ただ幸福で、ただ夢中になれて、ただ穏やかで、ただ慈しまれる。そんな夢のような……例えるならばロマンチックな恋のような。じんわりと温かい毛布のような、穏やかで優しい愛に溺れて、愚かにもすべてに盲目になって、心の底から夢中になって、この世全てが輝いているように見えるような夢が見たい。

 

 なんて、ただの戯言ですが。わたくし、そんな風になれるような良いヒトなんていませんし。この引っかかる「好き」の気持ちもここのところ忙殺されてすっかり育てる時間を失っておりました。胸の奥に燻っている確かな火種は大切にしまわれているだけなのです。だって、ちっともこの気持ちは現実的じゃないんですもの。

 

 えぇ、わたくしに「良いヒト」はいません。好きなヒト、はいるのですけどね。

 あれはわたくしにとって王子様なのです。いつも笑顔が素敵で、どんな時でもいちばんにわたくしを助けてくれて、頼れるのに時にはかわいいところもあって、完璧に信頼できる、わたくしの唯一無二。

 だからこそ、だからこそ、現実的ではないこの気持ちは伝えるべきではないのです。だってこの通りわたくしたちは充実した日々を送っているのですから。この日々を壊してまで伝えるべき想いでしょうか? すでにわたくしたちは唯一無二なのに、何もしなくとも、これからも近しい関係でいられるのに。

 

 クダリ。わたくしの片割れ。大事な弟、永遠のライバル、最大の理解者。わたくしの大好きなヒト。わたくしの唯一無二にして、皆様の憧れの王子様! そしてわたくしにとっても王子様なのです! えぇ、想いを伝えていなくて正解ですね。どこの世界に同じ顔の兄に王子様などと思われて来い慕われ、喜ぶ弟がいるのです? 

 現実的に考えて、これだけビジネスでは仲良し双子キャラで売っていて、幸いなことにそれなりに認知され売れていて。しかもプライベートでも昨今珍しいくらい仲の良い兄弟なのですよ。もうこれでいいじゃありませんか。あまり望みすぎると今手元にあるものまで失ってしまったら目も当てられません。ただでさえ癒しが足りないのに、回復が追いつかないのに、これ以上の追い打ちを受ければもうやってられませんので。

 

 いつだって現実のことを考えなくてはなりません。正気でいるためには合理的にならなくてはなりません。幼少期の無邪気さはとうになく、フレッシュな新人の頃持っていた見通しの甘い向上心は打ち砕かれ、甘い夢はわたくしの妄想で充分になりました。

 今日だってわたくしは冷蔵庫の中の食料までたどり着くので精一杯。同じマンションにはもちろんクダリも住んでいますが、同じように仕事に疲れている彼に会いたくたってこんな時間に呼び寄せるのは迷惑でしょう。わたくしだって会いたい気持ちと同じくらいもう誰とも会話せずに眠りたい。人より体力に自信があったつもりでしたがそんな日もあります。

 だってわたくしは疲れきっているので。

 

 本当は、クダリと一緒に住めたなら。最初、家賃の節約としてとクダリからそのような話が出ましたが、当たり前の社会人の兄弟として断ったことが悔やまれて。ええ、そのまま全てを隠し通せる気がしなかったというのが正直なところであり、ただの言い訳なのですが。

 

 わたくしは自分の素直になれなかった愚かしさと、真っ当で至極当然の判断をしたはずだという自己暗示の両方を自分に突きつけながら、その日は疲れに任せて早めに寝たのでした。

 

・・・・

 

 ガチガチに凝り固まった背中をマットレスのやわらかな感触が包み、大変肌触りのいい肌掛け布団から出るのは名残惜しく。しかし、わたくしが目覚めたということはもう間もなく目覚まし時計が鳴り響く時間でしょう。悲しいかな、筋金入りの社会人というのはたとえ変則勤務でも定刻通りに目が覚めるようにからだが出来ているのです。そしてそれはいくら疲れ切っているとしても同様に働き、わたくしは目覚まし時計が鳴る一秒前まで惰眠を貪ることさえ出来ないのでした。

 あぁ、でもあのけたたましい音を聞くのは嫌です。さっさと止めてしまいましょう。

 

 意を決して目を開けると、そこは見慣れない部屋でした。

 

 そういえばわたくしの部屋にしてはなにかいい匂いがするなと思っていたんですよ。なにか、美味しそうな匂いがしているのです。一人暮らしなのにですよ? まさか隣の部屋から、と思うには鮮明ですし。

 

 混乱のあまり重要ではないことを考えつつ、わたくしはベッドから転がり落ちるように出るとあちこち探し回りましたが手持ちのボールもライブキャスターも見当たりません。それどころか鈍感にも知らない場所で眠りこけていたわたくしの服装まで見覚えのない、さらさらとした手触りの良い部屋着に取り換えられてますますどうなっているのやら。

 部屋を見渡してみると、わたくしが寝かされていたベッド……いわゆるキングサイズと呼ぶサイズのもの……、見覚えのない新しい服と素敵なスーツの入った……恐らくはわたくしにサイズが合っているように見えました……クローゼットや鏡台、そして大きな窓がありました。レースのカーテンが引かれていましたがガラスは透明で外を伺うことが出来ました。

 

「は、海……?」

 

 目に飛び込んできたのはまばゆいばかりの白い砂浜、青い海、青い空。それはそれは素晴らしいオーシャンビューでありました。ここは一階なのか大変距離が近く迫力があり……そのようなことはどうでもいいのですが……こんな事態でなければ感動できたでしょう。

 残念ながら、窓ははめごろしでここから出ることは出来ないようでした。

 

 仕方ありません。部屋の外に誰がいるのかも分かりませんが、そちらに行ってみることにしましょう。部屋着を脱ぎ、クローゼットの服を身につけるとやはりあつらえたようにピッタリのサイズでますます不思議でありましたが。

 

 ドアを開けるとそこはリビングルームらしく、大きなテーブルの上にはなにやら美味しそうな食事が並べられており、部屋の隅のリクライニングチェアの上にクダリがいました。途端に安心して前方の一部しかまともに見えていなかったような狭い視界がぱっと広がったような錯覚があり、広々としたこの空間がいかに豪華で贅沢な場所なのかを理解し、別の意味で混乱しました。

 

 危険はないことを理解し、服がぴったりだった謎が解け、手持ちたちの無事を確信し、しかし意味不明なのです。普段のわたくしは今日の今頃、いつも通り身支度を整えている時間です。手持ちたちに食事を用意し、自分の分の、まとめ買いして冷凍してある食パンをトースターに放り込んで、本日のスケジュールを人工音声に読み上げさせながら……。なのにここはどうでしょう? 築年数の経った少し陰気なアパート、わたくしの部屋にある就職したばかりのころ安売りでそろえた適当な家具とは違い、部屋中に機能的ではないけれど優雅な調度品と掃除の行き届いた美しい部屋があって、まるで天国のようではありませんか。

 

 そのリビングには大きなガラス張りの壁が一面にあり、良く見るとそれはビーチへつながっている扉もあるようで、室内にいながらにして素晴らしい景色を堪能できる上即座に海へ行くこともできる、そんな至れり尽くせりなつくりなのでした。クダリはリラックスした様子で美しい海の方をぼんやりと眺めていましたが、物音に気付いてすぐにこちらを向き、ぱっとかわいらしい笑顔を浮かべました。

 

「おはようノボリ。よく眠れた?」

「おはようございますクダリ。いつになく心地よい眠りでした。ところで、わたくしどうしてここにいるのです?」

「ボクが連れてきたの」

「連れてきた? わたくしたち今日仕事ではないですか」

「それねぇ」

 

 クダリは立ち上がって食卓にやってくるとわたくしにも座るよう促し、いつも通り満面のスマイルで話し始めました。

 

「この前、健康診断受けたじゃない? そしたら結構ボクたち結果悪くて、しっかりからだを労わってほしいって言われたの覚えてる? それに有給だって全然使ってなくて部下が休むの遠慮しちゃってるらしくて、その上休日出勤もしてるから、上層部が社労士さんに怒られたの。実際にそれくらいしなくちゃ回らない構造なのが問題だって。ボクたち極論雇われだからさ、そうでもなきゃ回らないイベントの量やコンセプト自体に問題があるってことになったの」

「はぁ。でもわたくし望んでやっていることですし。休日出勤になにが問題が?」

「あのねノボリ。普通は定期的に休日があるの。決まった曜日じゃなくてもあるの。ボクたち休みなく働いてるから給料いいけど、労働時間が過労死ライン超えてるの」

「しかし、バトル施設というのはいつ何時でも門戸を開いているものです。バトルスペース以外でうっかり『だいばくはつ』でも起きて施設の修繕をしている時以外は年始の日付変更だろうがやっておりますよね? わたくしは名誉あるサブウェイマスターに任命されたその日から私人としての休みなど……せいぜいは車両点検以外では無いものだと思っておりました。先代もそうでしたでしょう? そしてクダリ、お前も多少の疲れこそあれ休むことなく働いておりますし、健康診断の結果が悪いと言っても名前の付く病気ではありませんし、もちろん倒れるような失態を犯すわけがありませんし。なによりわたくしたちに挑戦するために今もたくさんのトレーナーが必死で研鑽していると思うといくら労働者に許された権利だとしても休んでなどいられません」

「それはそうなんだけど。ボク、ノボリの気持ちすっごいわかる! でも今はもう時代が違うんだって。地方問わずそういうバトル施設の風潮を変えていこうって話になってるし、やっぱりしっかり労働法に引っかかってるって言われちゃったの。一週間前に本部の人がやってきて。ノボリはあの時スーパーシングルですっごいバトルしてたからいなかったね」

「はぁ」

「ボク、入社してすぐの健康診断の結果と今回の結果、全く使ってない有給の記録、あとタイムカードの記録を見せて長いお休みが欲しいな? って言ってみたの。そしたらとりあえずたっぷり休んできなさいって言われて、流石に明日からってわけにはいなかったから、一週間後の今日からしばらく、お休みにシフト変えられたの、覚えてる? ほら、シフト変更のお知らせが社内掲示板にアップロードしてあったはずだけど」

「シフトですか。そういえばここ数年、とんと見ていませんね。毎日出社時刻は同じです。でもそういうものですよ」

「……そういえばボクたち休日でも毎日出勤するから見てなかったね。でももうこれは決定事項。ボクたち休んで、しっかりリフレッシュして、それでいいの。ね? ボクやりたいことがあったからちょうどよかった!」

 

 クダリの言うことに間違いなどあるはずがありませんから、これが正しいことなのでしょう。

 となれば。わたくし、この素敵な場所で過ごせると? 現実味がいっぱいに詰まった、愛おしく素晴らしい仕事を忘れ、クダリとふたりで?

 

 ああ。それはなんて夢みたいなことでしょう。ベッドだってあんなに大きいならクダリと一緒に眠れるのかもしれません。素敵なお風呂だってあるかもしれません。海が近いのであれば散歩すればいい気分になるでしょう。それに、近くに孵化厳選に走り回るのにいいスポットがあるかもしれませんし、レンタルサイクルの有無を調べなくては。最寄りのポケモンセンターを調べなくては。いえ、こんなに立派な建物ですのでパソコンの設置があるかもしれませんね。ところでわたくしのライブキャスターはどこでしょう? ジャッジに孵化した仔たちを見てもらわないといけません! ビデオ通話越しでも彼は受け付けてくれるでしょうか? 

 

 降って湧いてきた話になんだか年甲斐もなくワクワクしてきて、それに伴ってだんだんお腹が減ってきました。ここには愛しいクダリがいて、見るからに美味しいご飯があって、久方ぶりに完全な休みということはなにをしても良くて、それはつまり「らしく」なくてもよくて。

 わたくし、わたくし、就業時間を考えずに自堕落な生活をしたくなる時だってあるのです! 日が落ち、すっかり暗くなり、とっくに眠っているべき時間になっても満足するまで外で過ごしたい。ギアステーションのことは好きですが、仕事ではなく直射日光が当たらず快適かつぐるぐる回れるあの空間を孵化厳選のためだけに利用することや、わたくしこそ挑戦者として訪れたい! そういう風にも思います。しかしそれは真面目な「ノボリ」らしくないでしょう? 「ノボリ」は挑戦しないと会えない存在なのです。ですが、ここでは自由奔放でも許されるということですか?

 

「じゃ、仕事の話はここではなしってことで! いっぱい楽しもう? 海が近くてご飯が美味しいんだって有名だって聞いたからここにしたの。びっくりしたでしょ? 一週間内緒にしてたの、サプライズ成功してボクうれしい! 起きたらおっきなふかふかベッド! お外は海! ここまで起こさないようにそーっと運んだんだよ?」

「おやクダリがここまで運んでくださったのですか?」

「えへ。家の外まではね。そこからはタクシー。背負っても座らせても全然起きなかったねホント」

「同じ顔でなければ誘拐を疑われるところですよそれ……」

「服を二回も着替えさせたのにちっとも起きないノボリに言われたくない」

 

 クダリも疲れているでしょうによくもまあそんな大変なことをしてくださったものです。生粋のおもてなし精神が染みついているようですね。それがクダリの良いところなのですがわたくしが疲れているということはクダリも同じだけ疲れているはずでしょう? ここはわたくしも良い休みになるように尽力しなくては!

 

「さ、まずは腹ごしらえからだよ! いっぱい食べよ? 夜はここの最上階にあるレストランを予約してあるから楽しみにしてて?」

「なんとそれは素晴らしい!」

 

 そういうわけでわたくしたちは時間に追われることなく、そして満腹のあまり思考が鈍る危惧をすることなくお腹いっぱいブランチに舌鼓を打ちました。こんがりと焼かれたパンの上でとろけるチーズや、新鮮な野菜をふんだんに使ったサラダ、肉の甘味が感じられる薄切りのローストした肉……昨日の夜に温めすぎて少々真ん中が爆発してしまった熱すぎる総菜パイとは大違いです。

 

 満腹になると、先ほどクダリが座っていたゆったりとしたチェアに座って海を眺めながら食休みです。食休みなんて! 心躍る激しいバトルでもうっかり気分が悪くならないよう、腹六分目くらいで抑えた食事を摂ったなら、すぐに挑戦者様がいつ来るかわかりませんからわたくしたちは事務所で待機しながら書類作業をするのです。あるいは次のイベントの企画を考えたり、なにかトラブルが起きた時にはそのまま現場に出たりもします。なのにわたくしたちに食休みだなんて! こんなゆったりとしたホテルだからこそできる非日常と言いますか。素晴らしいですね。

 

「あとでビーチに行きたいですね。海辺を散歩してみたいです」

「いいね」

「ところで手持ちたちはどこにいるのです?」

「預かってもらってる。ホテルに専用の部屋があってそこでくつろいでるよ。もちろん部屋に連れてきてもいいけど、みんなも疲れてたからこの機会にいっぱい休んでもらおうと思って」

「なるほど。賢明な判断です」

 

 それならわたくしの孵化厳選に付き合わせるのも悪いですねえ。なんて。せっかくお休みなんですものね。わたくしもゆっくりからだを休める方に専念した方がいいのかもしれません。なんて、やりたければやすのですが。

 

「快適な温度のお部屋の中で、波がざざーん、ざざーんって動いてるのをぼーっとしながら見つめているとね、なんだかリラックスして眠たくなっちゃうね」

「そうですねえ」

「寝ちゃってもいいよ。時間いっぱいあるから」

「それも悪くありませんね……」

「お化粧してないとノボリの目元、隈がすごいんだもん」

「クダリも似たようなものですよ。顔色、悪いです」

「やっぱり? ボクたちちょっと日焼けした方がいいかも」

 

 なんて穏やかな会話をしながら、海を見つめる。白い砂浜がまぶしくて、海鳥のポケモンが判別できないほど遠くに飛んでいる。

 

 蓄積しきったからだの疲れはひと眠りしたくらいで消えるものではなく、久しぶりの満腹は眠気を誘い、他に物音がしない静かな空間の居心地の良さといったら。

 まぶたが重く下がっていくのが分かります。でも、逆らわなくってもいいんでしょう? 静かにまぶたが落ちるのに身を任せると、横のクダリがくすりと笑ったのが分かりました。

 

「おやすみノボリ」

 

 眠りに落ちるその瞬間、からだにふわりと浮遊感。首の後ろと膝の後ろにクダリの腕を感じ……まさか、ロマンティックの代名詞たるお姫様抱っこではないかと思い当たったときにはわたくしはすっかり眠ってしまっていたのでした。

 

・・・・

 

 目が覚めると部屋はすっかりオレンジの光に満たされており、夕方であることを示していました。そこは朝と同じくベッドルームで、贅沢にも大きなベッドの中央にわたくしは寝かされておりました。すぐに起きると思われていたのか今回は着替えさせられていることはなかったのですが、代わりにベッドサイドテーブルの上にはクリーニングの済んだわたくしの私服が畳んで置いてあり、その上にメモが残されていました。

 

『ノボリへ

お洋服のクリーニング頼んでおいたの。でも今着ているお洋服はボクからのプレゼントだから気にしないで?

クダリより

PS 良く寝てるから先にビーチに行ってきちゃった。いちばんきれいな貝殻あげるね』

 

 なんてできた子なのでしょう。なんてかわいい子なんでしょう。そしてなんてスマートなのでしょう! さらりとこのような紳士的な対応ができるクダリ。これではすぐに取られてしまいそうです。困りましたね、実の兄にこんなにスマートに振る舞えるクダリにもし「良い人」が現れてしまったらもう一瞬で狩りが終わってしまうことでしょう。誇らしいのに困りますね。

 せっかく素敵なホテルにいるのですから、きっとわたくしのような仕事ばかりの男でも非日常な場の雰囲気で少しは甘くロマンチックな空気を演出できなくはないかもしれませんのに、こうも寝こけているばかりではまったく意味がないではありませんか。

 困りました、あぁ困りました! 食事に関してもクダリが予約してくださったので素晴らしいであろうことは容易に想像がつきますが、それはつまりそんな素晴らしいことがクダリにはさらりとできるということではありませんか。わたくしで練習して本命に。なんてことも可能な訳です。困りました!

 

 素敵で、ドキドキすることが待ち構えているのにどうしてわたくしは勝手に不安がっているのか! もう、もう、もう!

 

 仕方ありません。今日明日で帰るわけではなさそうですし、機を伺うしかありません。良いタイミングで、こう、良い感じにですね、クダリにアピールなどすればロマンチックになにかいい感じのことが起こせるのでは……。

 

 いえ、そもそも、クダリがわたくしをそういう目で見るはずがないのでした。わたくしの方が奇異なのであって。クダリはいい子で、わたくしのことを兄弟としてライバルとして好いてくれていますし昔から距離が近いのでカップル用の大きなベッドの部屋でも平気なのでしょうが、それだけです。同じ仕事をして同じだけ疲れているのにわたくしにあんなにいろいろと手配してくれる有能な子なんです。幸せになってほしいので、わたくしが何かするのは間違っていますね。クダリにはわたくしよりもっともっといいヒトが現れるはずなんです。少なくとも血を分けた兄弟ではないヒトが。

 

 「きれいな貝殻」をそっと掴み、それをポケットにしまう。

 

 さあ、元気になったのでクダリのところに行きましょう。たとえこの恋が実らないとしても優雅なホテルで素敵な時間を過ごせることには変わりがないのですから。

 

 事実、少しはからだの重苦しさは抜けていました。気持ち、といったところですが。それでも最近にしてはからだが軽く、夢のよう。さっきまで全身ふわふわなベッドに包まれておりましたのでまだ夢を見ているかのよう。そうですよね、いきなりこんな素敵なホテルで休暇を、なんて夢みたいなので本当に夢かもしれませんね。

 

「起きたんだ」

「……おややっぱり」

「なにがやっぱり?」

「まだ夢を見ているんですねえ。ふふ」

「寝ぼけてる? 珍しいね」

 

 だってさっきまで普通の服を着ていたクダリが素敵なスーツを着て髪の毛をセットしてあって、本当に純白の王子様のようになっているんですもの。夢に違いありません。このまま結婚式に出るのだと言われても違和感ありませんね。クダリはなにを着ても似合いますし、着こなせるので。

 

「今夜のレストランね、ドレスコードがあるんだって。ノボリの分もクローゼットにスーツを用意しておいたから着替えてもらってもいいかな?」

「かっこいいですねえ。王子様みたいですねえ」

「聞いてる?」

「聞いてますよ。わたくしにも『ドレス』があって素晴らしいですね。お姫様になったみたいです!」

「ボクのお姫様、お召し替えしてもらうよ? なんか危なっかしいんだもの。ほら上脱いで」

「クダリったらお上手ですけど、そんな言い方は軽率にしてはいけませんよ。ヒトを勘違いさせてしまいますからね」

「そうかなあ」

 

 かっこいいクダリはわたくしにスーツを着せてくれ、そのまま髪の毛までセットしてくださいました。おそろいですばらしい。わたくしは素敵な黒のスーツなんですね。

 

「うん、これでよし!」

「ふふ、王子様はエスコートもしてくれるんですか?」

「するよ、ほらお手をどうぞ」

 

 執事の格好をした時も大変格好良かったですが、正装もいいものですね。普段の衣装だって輝くようにまぶしいのに、クダリの格好良さは天井を知りませんね。ふふ、このまま夢を見続けていたいです。

 

「行こっか」

「えぇ」

 

 わたくしは誰が見ても浮足立っているとわかるようなふわふわさでわたくしの王子様にエスコートされてホテルの最上階に向かったのです。ええ、そのころには少々眠気が覚めてきてこれが現実ではないか? という疑いを持つようになったのですが、やっぱり普段と違う格好のクダリはかっこいいですし、案内された席は個室で、なのに大きな窓があって、対岸に都会の街並みが上品な宝石のように輝く夜景まで拝める素晴らしい席だったのでやはり夢だと思うのです。

 想いを寄せる王子様にエスコートされ、服をプレゼントされ、素敵なホテルに一緒に泊まり、これから素晴らしい食事をする。こんなロマンチックしかない展開なんて疲れすぎたわたくしの妄想が具現化した夢としか考えられないじゃありませんか。

 いつも通りの素敵なスマイルのクダリはなんだか少しだけ緊張しているようでしたが、そうですよね、それは普通ですよね、こんな格式の高いレストランにいるのならあの子は緊張するでしょう。わたくしは夢だと分かっているから自然体ですが、クダリはヒトより細やかな配慮ができる子なので、責任感の強さの表れとして少し緊張してしまうのですよね。我ながらクダリの理解度が高い。良いクオリティの夢を見ていますね、わたくし。

 

「夜景が綺麗ですね。ライモンシティも外から見るとあんな風に見えているのでしょうね」

「そう、だね。眠らない街だもんね」

「えぇ」

「ね、ノボリ。食事が終わったら大事な話があるんだ。聞いてくれる?」

「もちろんですよ」

 

 大事な話。こんなに改まって。

 

 あぁ、クダリはわたくしに「良い人」を紹介してくれるのでしょう。分かっておりますね、夢の主はわたくしですものね。そんな気がしていました。ですが、食事の後ということは、食事の間はせめてこのロマンチックで素敵な空間をクダリとふたりきりで過ごせる嬉しさを噛み締められるということ。

 

 給仕の方が並べてくださった素晴らしいコース料理は、正直なんという名前の料理なのかも分かりかねましたが、洗練されているのはわかります。ロマンチックってこういうものなのでしょう? わたくしの妄想がまさしく具現化した高級感といいますか。細部まで美しく、料理にかけられたソースの角度まで計算されているかのよう。

 

「ね、ノボリ。ここのコース料理はとっても美味しいらしいの。ノボリが喜んでくれたらボク嬉しいな?」

「そうでございますか。料金は払ってしまったのですか? あとでわたくしの分は支払わせてくださいまし」

「ダメ。ボク、ノボリのために選んだんだもん」

「……そういうことは『良い人』にしてくださいませんと、わたくしお前の兄として少々肩身が狭いですよ。お互いいい歳ですので。ですが今回はありがたく。今度お返しをさせてくださいまし?」

「そうだね、じゃあボク、『今度』どこかに連れて行ってもらおうかな。デートだね」

「ですからそのような言い方は誤解を招きますので」

「誤解じゃないよ」

 

 クダリ。それはそういう意味ですよね、あぁ、わたくしってばこんな夢を見てお前に申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 クダリはわたくしを好いてくれていますが、それはあくまでわたくしたちが双子の兄弟だからで、お前のことを別の意味で愛しているわたくしがおかしいのです。こんな夢まで見て、こんな夢まで見てわたくしはクダリの真っ当な幸せより自分の欲望を叶えたいわたくしは浅ましい。

 

「ノボリ。今日のこと、内緒にしててごめんね。できれば何も調べずにここに来てもらいたかったの。ノボリが好きな、素敵なロマンチックな場所で、最高のジンクスがあるこのレストランにしたかったの」

「クダリ、クダリ、申し訳ありません、疲れ切ったわたくしってばこんな夢まで見てお前と結ばれたがっているなんて、あぁ、現実のお前と合わせる顔がありません。早く目覚めますから、せめてお前のそのかっこいい格好を目に焼き付けてから目を覚ましたいのです」

「夢? まだ夢だと思ってたの? かわいいノボリ」

「こんな大男がかわいいものですか」

「ボクにとってはノボリは世界でいちばんかっこいいし、世界でいちばんかわいいの」

 

 席から立ちあがったクダリがわたくしの横にやってくる。すらりとしたからだにぴったり合う素敵なスーツ。上品な照明に照らされて完璧に高級なレストランという空間に映えるわたくしの王子様。そして、ビロードの布地が張り合わせてある小さな四角い箱を取り出して。

 

「いけませんよ、クダリ」

「ううん、聞いて。嫌だとしても聞いてもらう」

「嫌なものですか! 嫌じゃないからこんな夢を見ているのですよ!」

「なら問題ないね。これは夢じゃないよノボリ。あとでほっぺたつねってあげようか。それとも冷たいお水を飲む?」

「夢です! だってクダリは現実でもこんなにかっこよくてエスコートができて気配りができてなんでもできる子ですがわたくしを、こんな道ならぬ想いを抱えているわたくしなんかを、」

「真面目で、まっすぐで、誰もが君の憧れ。届かない星みたいにまぶしくて、ボクはずっとノボリの横に立ってることが誇りだった」

 

 箱の中のシンプルなリング。わたくしはそれが欲しくてたまらない。

 だから、浅ましくもこんな夢を。

 

 なのに目の前のクダリの眼差しをわたくしは知らない。こんな真剣な目で、真剣だけれども熱っぽい瞳で、わたくしを見つめている。こんなクダリをわたくしは知らなくて、とうとう夢ではないことを、認めてしまう。

 

「夢じゃ、ないのですか」

「ノボリは賢いから、現実のすべてをちゃんと把握できる。それってとってもリアリストってこと。自分に厳しくて、他人に寛大で、だけど定刻通りに何でもやれちゃう能力がある。だけどボクは知ってるの。本当のノボリは夢みたいに素敵なロマンが大好きな、ロマンチックを愛するかわいい人だって」

「だから、こんな、わたくしの夢が具現化したようなホテルを、」

「うん。告白が絶対に成功するって噂がまことしやかに囁かれているこのレストランで、指輪を用意して、綺麗な夜景と海を見て、それで、ノボリをボクのものにしたかったの」

 

 いつも笑顔が素敵で、どんな時でもいちばんにわたくしを助けてくれて、頼れるのに時にはかわいいところもあって、完璧に信頼できる、わたくしの唯一無二。

 

「どうかボクと、ずっと一緒でいてくれる?」

 

 わたくしの片割れ。大事な弟、永遠のライバル、最大の理解者。わたくしの大好きなヒト。わたくしの唯一無二にして、わたくしの憧れの王子様!

 

「喜んで」

 

 ああ夢みたいです。夢じゃないのに夢みたいだなんて!

 

「やった、やったぁ」

 

 とろけるように優しい笑顔で喜ぶクダリはかわいらしくて、愛おしくて。わたくしはクダリのかっこいいスーツ姿を目に焼き付けたのでした。夢ではないのであれば記憶にだってしっかり残るはずです。素晴らしい。

 

 そして、そのあとにいただいた食事は感情がぐちゃぐちゃに入り乱れて、大変美味しかったことだけ覚えています。

 

 

 

 

 

 あれから少し経って。

 わたくし「たち」の部屋には、あの時の貝殻がケースに入れられて大事に飾られているのです。

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