ノボリさんは生まれた時から翼を持った天使なんだよ!
そこにいるだけできらきら星屑のように煌めく銀の髪。無垢な穢れしらずの白い肌、そしてこの世すべてを平等に一瞥するまるい瞳。その背にあるのは清らかさを象徴する白く大きな二対の翼!
だいたい、人間というものはノボリ兄さんを一目見ただけでその正体がわかるだろうね。ぼくはノボリ兄さんを人生で知覚したその瞬間……つまり産まれる前から……この美しい天使さまの下僕になるために存在するんだって分かったんだもの。
細くしなやかな指先、すらりとした立ち姿、うっとりする曲線を描く力強い脚。思いのほかがっしりとした肩のラインはすべらかで、どんな素晴らしい天才が作り上げた彫刻よりも完璧な均整のとれた美しい体つき……嗚呼! ノボリ兄さんの容姿というのは偉大な創造神が手ずから綿密に設計し、どこかにおわします美の女神が特別な祝福を与えて出来上がったに違いない。
そう、ノボリ兄さんは最高位の天使さまなので! かぐわしい香りの立ち込める、花と夢に溢れた天上の国から遣わされた……ノボリ兄さんが地上にいるのは偉大なるお慈悲ということ……このしがらみの多いうつしよでいちばん尊い存在なんだよ! 嗚呼、嗚呼、生物学上の双子として生まれたことに感謝します!
だってだってぼくだけが、この世でぼくだけが! 唯一尊いノボリ兄さんと並び立つことをなんとか許される……すべてはノボリ兄さんの生活、恩寵を振り撒くおつとめを微力ながら補助するためだとしても、与えられたノボリ兄さんにソックリな容姿、立場はすべてすべてぼくのものなんだから!
ふわり、ふわりと揺れるあの白い翼だけは僕にはないものだけど、ないことにさえ意味がある。ぼくにはノボリ兄さんを引き立てるという「役目」があるのでないということこそが「価値」なんだ。
まぁ。ぼくは翼以外はまったくもって寸分たがわずノボリ兄さんと同じ容姿なのだけどね? ノボリ兄さんは発するオーラから神聖さがあるから見た目が同じだからって見分けられない人間なんて本来いるわけないけどさ? お陰で鏡を見るだけで「ノボリ兄さんの影」にどんな表情でもどんなポーズでもやらせられるから、いろいろと便利だ。
うつしよの徳の低い人間はノボリ兄さんの翼を知覚できないから本当にしょうがないことだけど、ときどき「いたずら」でノボリ兄さんのふりをすることもあって、そういうときのとんでもない罪悪感と浮き立つ高揚はぼくだけのもの。うん、うん、ぼく、ノボリ兄さんの片割れとして生まれてよかった!
「クダリ、クダリ、ぼーっとしてないで帰りますよ」
「う、うん、ノボリ兄さん」
「もう。クダリったら仕事以外はいつもそうなんですから。仕事中のデキる男はどこに行っちゃったんです?」
「えへへ、今のノボリ兄さんはぼくのノボリ兄さんなんだ。サブウェイマスターじゃなくてぼくのお兄ちゃん。えへへ」
「お客様が今のクダリを見たらびっくりするでしょうね! もう! 兄離れできないんですから!」
ぷりぷりしながらノボリ兄さんはぼくの手をぐいぐい引っ張りながら家に向かって歩いていく。色違いの衣装を着てなくてもぼくたちは分かりやすい双子だから人目を引いてしまうらしい。毎日のことだけど、帰り道にすれ違う人間に二度見されながらずんずん、ずんずん帰路を進む。
ノボリ兄さんはそんな人間のことを全然気にせずに、その背中にある純白の翼を小さく羽ばたかせている。やわらかな純白の羽根がぼくの頬を撫で、街灯のわずかな光がノボリ兄さんの翼に集まっていくのがわかる。この世界のすべてはノボリ兄さんの下僕だし、ノボリ兄さんをより美しく引き立てるためにすべてのリソースを差し出すのは当然。
ノボリ兄さんは神さまより偉い天使なんだもの。
この二対の翼が見えるのはぼくだけ! それはなんて素敵なんだろう!
だけど同時にぼくだけが分かってるってことでもあった。ノボリ兄さんがいつか天使の国に帰ってしまったり、ぼくを置いて飛んで行ってしまうかもしれないってことを。
ぼくはそれが怖くて、ノボリ兄さんの翼のことが誇らしいのに、同時に大っ嫌いだった。
・・・・
すぅすぅと安らかな寝息。触れる体温はピッタリ同じで、お揃いのパジャマを着て、ふかふかのベッドにしっかり収まっている。うとうとしながら触れるノボリ兄さんの体温に抱えきれないほどの幸せを感じる。
ふわふわの掛け布団にくるまれたノボリ兄さんはぼくの腕の中に収まり、顔を胸元に押し付けながらぼくの体をぎゅっと抱きしめて眠っている。
「ふふ」
ぼくたち、たまに顔が怖いとか目つきが悪いとか言われちゃうけど。こうやってすぅすぅ眠っているとなんとなくあどけなくって無防備で、とってもかわいい。もちろん、この寝顔はぼくだけのものだけど。
なんてね。ぼくは普段のキリっとしたノボリ兄さんはすっごくかっこよくて、なんだってできる人で、でも同時にすっごくすっごくすーっごくかわいいって思っているんだけど!
あぁ、ノボリ兄さんがぼくの双子でよかった。兄だけど、同時にぼくらはほとんど同じだった。決定的なひとつだけ違って、それだけだったから。
「かわいい君が好き……」
おそろいの白い肌。これは日に焼けない、滑らかな肌。目を伏せているとまつ毛の一本一本まで常夜灯で浮き出ているように見えて、なんだか素敵な絵画みたいに綺麗に見えるね。高い鼻が影を作って、薄い唇はほんの少し緩んで、雰囲気のやわらかなノボリ兄さんはとってもかわいい。
「強い君が好き……」
あの真っすぐでいつだって正しい瞳が大好き。何を見たって物怖じしない強い瞳だもの。鋭く貫いて、物事を見極める君の目。じっくりしっかりすべて打ち抜く瞳とぼくの目が合うと少しだけ視線がやわらかくなって微笑んでくれるのが大好き。
パジャマにすっかり隠された背中を撫でてみる。ゴツゴツと浮き出す背骨をなぞって、ゆっくりと肩甲骨の方に指先を滑らせるとそこにはノボリ兄さんの体にあって当然で、まったく似つかわしくないぼこぼことした傷跡があるんだ。それも二対。
「もう飛べないね」
ぼくのノボリ兄さんは天使だ。それも最高の天使様だ。一緒に生まれたその日からノボリ兄さんは小さな翼を背負ってた。真っ白で、ふわふわで、とっても素敵な翼を二つももっていた。最初はぼくもノボリ兄さんの翼が欲しくてほしくて仕方がなかったけれど、だんだんノボリ兄さんだけ飛んでいける事実が怖くて仕方がなくなった。ぼくはノボリ兄さんにくっついて絶対に飛んでいかないようにしてみたり、地下にばっかりこもるようにして空が見えないのを当たり前にしてみたり、いろいろ悪いことばっかりしてみたけれど、ノボリ兄さんの翼の輝きは増すばかり。それはいいことのはずで、ぼくは喜びながら怖がってた。
でもね、ノボリ兄さんは絶対に飛んだりしなかった。だから、ぼくはノボリ兄さんの隣にいられたんだ。それは誰よりも慈悲深いノボリ兄さんの愛だったんだと思う。ぼくはそれに応えてあらゆる努力をした。ノボリ兄さんはぼくを褒めてくれて、ずっと隣にいることを許してくれたんだ!
だけど、ううん、当たり前に。ぼくたちの身長が伸びていくのと同じようにノボリ兄さんの翼は大きくなっていった。ぼくがどれだけ優秀な人間かをアピールできたとしても、最高の天使であるノボリ兄さんにとってどれだけ意味があることだって言えるだろう?
「飛ばないでいてくれたのに、ぼくって恩知らずだ」
君の歩いた後に白くてきれいな羽根が残るから、見えないくせにいつだって君の後ろにたくさんの人が続いた。君はいつだってみんなの憧れで、目標で、飛んでもいないのにずっと高いところにいた。君が飛ばないでいてくれたからぼくは一生懸命よじ登って、君の隣にいた。
そんな日が毎日、毎日、毎日、ぼくは君の翼から髪の毛と同じように抜け落ちる羽根を目で追って、それで、それで、ぼくだけの君のことが大好きだった。
大好きだから怖かった。尊敬も愛情も、全部ぼくの勝手なのにね。誤魔化すようにぼくはノボリ兄さんの羽根を拾い集めて瓶に貯めた。ぼくの部屋はぼく以外の誰もが空っぽだって思う瓶まみれになっていく。
君のことを愛してる。だから怖かったの、だから羽根を集めたの、だから、この世のなにより大切で、命にも代えられない大好きな人だから、翼が憎くて、でも、ノボリ兄さんが天使なのは絶対に変えられない事実で、それで、それで、それで。
ぼくのノボリ兄さんは天使だった。
ノボリ兄さんはいつだってぼくを見ていた。ぼくはナイフを置いた。
ノボリ兄さんはいつだってぼくの隣にいた。ぼくは包丁を買うのをやめた。
ノボリ兄さんはいつだって幸せそうだった。ぼくはそんな笑顔を壊したくなかった。
ある時ノボリ兄さんぼくを天使だと言った。「クダリはわたくしの天使ですね」なんて軽い口調で言ったんだ! ぼくは君の天使だと、翼の「見えない」君は無邪気にそう言ってぼくに抱き着いた。翼なんて見えないのに、光る輪っかだって知らないのに、ぼくのことを本当の天使だなんて思ってもいないくせに! だからぼくは、とっても怒って、それで。
「分かってたんだ、そんな意味じゃないって」
ぼくは君の天使だった? ぼくも天使だった? 違うの、そんなことがあってたまるものか。
わかってる。
あくまで「たとえ」だってわかってる。ぼくはノボリ兄さんにとって大切だから、片割れだから、ずっと一緒にいた存在だから、かわいく思ってくれて、それで天使みたいだって冗談を言ってくれただけなんだ。分かってたんだ、分かっていたんだ……。
ぼくがどんな気持ちで、君のことを見ていたか知らないで、だけど君はなにより欲しいものをくれたから。
「もう翼なんて要らないよね」
縦に刻まれたいびつな二つの傷。ぼくだけが知っているぼくたちの秘密。もう天使の君はもうどこにも帰れないって知っている。どこにも飛んでいけないって分かってる。だからやっと安心して、ぼくは君の寝顔を見ていられる。
・・・・
「クダリ、おはようございます!」
朝目覚めるとクダリにハグをするのが日課です! クダリも喜んでくれますし、適度なスキンシップは幸福度を上げるそうですよ! だから朝一番にハグをするのは理にかなっているのです!
それに。
「わたくしの背中、なにかついていますか?」
「う、ううん? 撫で心地が良くって……」
「男の背中になに言ってるんですかもう」
なんて会話をしながらクダリの背中をさすってやると、二対の傷跡がちゃんとあることを確認できるので大事な「儀式」なんですよ。
わたくしの大事な天使がまた翼を生やしてどこかに飛んで行ってしまわないようにきちんとチェックしたいのですから。
えぇ、わたくしのクダリは生まれた時から翼を持った天使なんです!