【短編集】憧憬の愛玩動物   作:ryure

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これは“らくえん”へのすすめ。
なんの気もなしに浮かべた、無感情な笑みがかけがえのないものとして焼き付いたこと。
なんの気もなしに思った、この先もずっと離れないでいたいと当たり前に願ったこと。
それだけのこと。


太陽のようなお前に許しを

 ぼくはノボリの居場所がいつだって分かるんだ! これが“以心伝心”ってやつ? 場所だけじゃなくて、何にもしなくたってだいたいノボリが何を考えているかもわかるんだもの。これは世界でぼくだけの特権! えっとえっと、今のノボリはなんだか何も考えずにぼーっとしてるみたい。珍しいね? いつもあれこれ一生懸命考えて、ノボリのこと全部分かるはずなのにぼくが思いつかないこと、いっぱいワクワクすること思いついてるのに。一生懸命なんだよ? ノボリはいつでもものすごく一生懸命! ノボリの“からだ”から零れちゃうんじゃないかってくらいいっぱいいっぱいいろんなこと考えててね……そう、ノボリは特急電車みたいなんだよ。目的地に向かって全速前進! いつだってダイヤを守って目的地まで一直線!

 

 だからね、なんだか“不思議”な気分。えーっと、“平常運転”じゃないから……これが“心配”ってやつ? はやく様子を見に行かないといけないな。

 

 ぼくは七十四の敷き詰められた机をすり抜けて事務室から出て、そのままルンルン歩き出す。穴倉に住むポケモンの巣みたいに狭い廊下の電気は部屋の中よりちょっと暗めで数が少ない。その方がいっぱい“影”ができて便利だからね。

 

 そこら中にある、コンクリートに似せた壁の継目はわざと作ってる。そういう壁の模様らしくね。それらはこの薄暗い照明の中だと細長い影を沢山作ってるんだ。そういう“影”でできたスキマは“影”と“光”とで区切られていて、“影”……つまり暗くて、人間とかだとちゃんと視認できない場所はある種の小さな世界を沢山作っている。もしくは、“影”の区切りたちは“光”の空間を切り取るものになる。つまり、ぼくはそこら中にある世界から世界へ、スキマからスキマへ自由に移動できるってこと。だってぼくはこの地下王国の王様だもの。壁も床も机もなにもかもぼくでありノボリ。自分の国の中にある、小さな世界をくぐり抜けるなんてわけないさ。

 

 そうやって、ノボリのことを思い浮かべながら壁の区切りに向かってまっすぐに歩いて壁をすり抜け、それから別の壁の区切りから歩いて出てくる。それはすなわち大きなぼくが小さなぼくをつまんで、ちょっと横に移動させる感じ。例えるなら寝そべって大きなドールハウスで遊んでる大きなぼくがちっちゃな自分の分身を隣の部屋に移動させるってこと。お人形遊びをする時は毎回ドアをくぐらせるのも本物っぽくていいけど、大抵はお人形をつまんで持ち上げて、そのまま隣の部屋に入れちゃうよね? だんだん面倒になったり、早く移動させたくなって。そういうことなのさ。ぼくにとってこの地下の空間はパッと見通せる範囲のドールハウスみたいなもの。地下王国はぼくらのものなんだから。

 

 “影”から歩き出すとそこにはちっちゃなノボリがいて、継目のない壁にもたれかかってうめいてた。うぅ、うぅって、なぁに? グウグウ、変な音もするね。なんだか、ヘン。どうかしたのかな? それは、心配。ちっちゃなノボリだって“元気”でいてくれないと“悲しい”。ちっちゃなノボリだって“健康”で“完全”で“元気”で、ちっちゃいなりにいっぱい動き回っていて欲しいな。せめてそうじゃないとノボリもつまんないと思うし、ぼくもなんだか“悲しい”気がするからね。

 ほら、“クダリ”のスマイルがちょっとだけ小さくなっちゃった。

 

「ノボリ、迎えに来たよ」

「……くだり?」

 

 ちっちゃなノボリったらやっぱりなんだかぼーっとしてて、ぽわぽわ覇気がなくて、からだまでくにゃくにゃで“かわいい”けど一体どうしたの? きっちり着こなしたコートさえなんだか持ち主に引っ張られてちょっぴりしょぼくれているみたいに見えちゃう。えーっと、なんでだろ?

 

 えっと、えっと、体調悪い? 病気? 怪我? 違うかな? 違うね? えーっと。あ、いけない。またちっちゃなノボリったらご飯、食べ忘れてるじゃん!

 ということは。すっかり空腹の限界で、ぐったりクテクテになった“かわいい”ノボリが職員用の通路の壁によりかかったままズリズリ歩いてる姿を目撃しちゃったかわいそうな鉄道員三人には悪かったかも。二分二十七秒前に見かけて、すっごくびっくりして事務室に向かってくれてたのに、検知したはずなのにどういうことかすぐに分からなかったのはぼくの落ち度だね。

 うんうん、よく考えてみればちっちゃなノボリがこうなってから目撃情報もあったんじゃん? ぼくはノボリのことはぜーんぶ分かるけど鉄道員のみんなのこともちょっと分かるから、有効活用しなきゃいけないのに。情報はあっても完全な理解は難しい。“感情”は不安定で、大きなチカラを持ってて、それでいてそれだけで“答え”になってることもあるから、大きく動いたらちゃんと見ないといけないな。

 

 これでも前より、ずっと、分かる気がする。ちっちゃなノボリの顔がみんなにとってはちょっと怖かったこともわかる。だってちっちゃなこのノボリったら、元気がなさそうなお腹すいた顔とかしないで、パッチリ目を開けて……ううん、みんなにとっては目をくわっと見開いたままお腹を大きくグウグウ鳴らして壁をズリズリやってるんだよ? 

 ノボリのやることはなんでも“かわいい”けど、客観的にちっとも普通じゃなくて、結果的に“怖い”のはわかるよ。だってちっちゃなノボリはちっちゃくてもみんなより背が大きくて、バトルも体質も強くて、だからちょっとお腹がすくくらい平気なはずなのに平気じゃなさそうで、普段見せない姿だったからなんだか混乱したんでしょ?

 うーん。まあ、低血糖で手足が震えるまで食事を忘れたらしいからこうなるのも当然ではあるんだけど。“強いノボリ”がそこまで自己管理できないって、みんなは思わない。だから怖くて、だから今頃事務室は大騒ぎ! あとで謝らないといけないね、そそっかしいノボリ?

 

「ノボリ。またご飯食べるの忘れてたんでしょ。これから一緒に何か食べに行こうよ」

「ごはん。あぁ、ごはんですか。たしかに、わすれてました」

「もー! 集中したら何でも忘れちゃうんだから!」

「おなかがへりすぎると空腹が逆に分からないなんて人体はふしぎですねえ……」

「ぼくからするとノボリが何かを忘れちゃうっていうのがすっごい不思議ですっごい新鮮! とってもかわいくてぼくちょっと感激」

「そうですか? わたくしもお前の自然な表情を見るのは、なかなか悪くないですよ。どうしてなかなか、わたくしとちがうようです。お前はいつも、わたくしたちではないもののようにわらっている。いえ、いえ、おまえらしくないと言いたいわけではなく。悪い意味ではないですよ」

「ノボリの言うこと、たまにちょっぴりむずかしい」

「なに。おまえの笑顔が太陽のようだと、それだけのことです。おまえはおおきくつめたいままのようでいて、前よりも良く笑うので地下の世界なのにあたたかです」

 

 ……なんか、“かわいい”!!

 ぼくに見つけてもらって嬉しくて、饒舌になってますますエネルギーを消費してる仕草、意味わかんないから、全く理解できないし、“かわいい”ね?

 

「ではわたくしを連れて行ってくださいまし。もう真っすぐ歩けないんです。支えなしでは床にへたり込んでしまいます。更にこうして話すことでカロリーが消費され、ますます四肢に使えるエネルギーが尽きていくのが分かります。わたくしは社員食堂のA定食を所望しますのでそのようにお願いします。ね、クダリなら一枚、食券をくださるでしょう?」

「ノボリならいくらでも食券出せるじゃん。ほら肩貸すよ」

「一度、双子の兄弟らしく“クダリにお昼をおごらせる気安いわたくし”をやってみたかったのですが、いけなかったですか? そんなことを考えているうちに食事のタイミングを逃し続け、最後の軽食から三日経っていたのでございます。これはわたくしだけの過失じゃありませんよね」

「もう。かわいいから百枚でもあげるから、それでいい?」

「いけません。権力の暴走で地下王国の経済が崩壊してしまいますよ」

「ノボリの食事量で崩壊しないって。それにノボリの食券だって無から出てきてるよ」

「それはそうですけどね」

 

 いけない。手先の温度も下がってきてるから急がないと。からだが人間としては大きいからエネルギーの消費量も多いんだっけ? それとも頭脳労働が多めだったから脳にカロリーを食われすぎちゃった? どっちにしても急がないと。

 だからスキマに向かって行こうとしたら嫌がるんだよ。もう、“ヒトの真似”、好きだねノボリ。歩くのが気に入ったみたい。靴の音、お気に入りだね。一緒にコツコツ鳴らしているとノボリの心が黄色に変わる。穏やかな色に染まって、それは“喜び”のあらわれ。

 

 そんなにぼくの“模倣”がお気に召したの? それともなにもかも不完全なぼくが今のノボリには親しみやすかったのかな? この前なんてありのままのぼくでちっちゃなノボリをぎゅーってしてたっくさん“大好き”してたらだんだん疲れちゃって、だんだんぐったりしてたもんね、そうだよね。ノボリにとって良いぼくでありたいな。ノボリにはご飯あげなきゃだめだし、忘れてたら教えてあげなきゃいけないし、ぎゅーっとしてあげなかったらせっかくかわいくなったのに、次のノボリに拗ねられちゃう。

 えーっと、“毎回ちょっと勝手が違うんですよ。慣れるためのコストも時間もかかるんですよ”だったっけ? むくれるのも“かわいい”けど、できるだけ“しあわせ”でいてほしいよね。

 

 疲れきってお腹ぺこぺこで力が出ないノボリ。ぼくの方を見てうっすらと心で微笑んでくれるキミ。暗いここでもピカピカ光る、ぼくの大好きな銀色の瞳の向こうでキミは今日もぐっすり眠ってる。

 はやくご飯を食べようか。ぼくも一緒に食べよう。あたたかい無垢な赤ん坊みたいなキミがたくさん“しあわせ”を感じられますように。同じ味のものを口にして、感想を言い合って、それで、それで、足踏みしながら過ごすの。

 

 そうすれば眠ってるキミもいい夢が見れてとってもハッピーに違いない!

 

 さぁ今日もぼくらはこの地下王国の双子の支配者さ! ここはノッテタタカウバトルサブウェイ! 外の世界では満足出来なかった者たちの遊技場! 戦って、挑んで、勝ち進んで、勝ち進んで、ようやっと目的地を掴みかけ、視界が開けた先にぼくらが立ち塞がるのさ! そんな演目の“素敵な夢”を見てて欲しいから。

 

 “楽しんで”?

 

 たくさん、たっくさん、ぼくらと“楽しんで”?

 

 すべてがぼくらの糧になる。“笑って”“泣いて”“苦しんで”、“嘆き”“悲しみ”“歓喜して”、たどり着いた先のぼくらに何を“思う”? “緊張して”、“怯えて”、それでも挑んで、負けて勝ってまた次の挑戦。挙句の果てにスーパートレインのぼくらのところまでやってきて、そうして努力し積み重ね、夢中になったおまえたちの“信仰”はぼくらの糧だ。

 

 捧げて? たくさんたくさんたーくさん、心を捧げて? そしたらここは永遠だ。たくさんは要らないさ。たくさんの人間は必要ないさ。少ない人間でいい、ただ永遠にぼくらに“夢中”になればいい。

 

 おまえたちにとって悪いことは何もないよ。大丈夫。どれだけ入れ込んだって帰れなくなることなんてないし、すべてを捧げたからって肉体も精神も何も減りやしない。むしろここにいる間は、“熱狂”の間は永遠なんだから。

 

 ただ、永遠に“夢中”になって、ぼくらとずっと踊ってくれるなら、その先に緑の制服を望むなら、あげる。あるいは立ちふさがるトレインの乗客になりたいなら、切符をあげる。そしてここはずーっと昔からそれを繰り返してる。それだけなんだ。

 

 ただね? 変わったこともあるんだ。それも全部、“楽しめる”ようになった。

 

「空腹、慣れませんねえ……」

「すぐにエネルギーが切れちゃうなんてやってられないよね」

「就業時間後にちょっと寝て起きたらもうお腹がすいているんですよ? 全く、不便なものです。永遠に責任をとってくださいまし」

「うん、もちろん」

「まったく。おまえは憎たらしいですがしょうがないですね。本当に楽しそうで何より。そうでなければ罰としてこの仕打ち、お前にもたっぷり味わってもらいますからね」

「えへ。ノボリが起きたら覚悟してるね。何年でも何万年でもぼくも報いを受けるから」

「もう。“報い”だなんて怖い言葉を使わないでくださいまし。わたくし、」

「嫌じゃないって?」

「はい。心を読むなんて無粋ですよ。読まなくたってわたくしのことならなんでも分かるでしょうに」

 

 この地下王国のどこかで、キミはぐっすり眠っている。誰にも見えない、誰も見つけられないどこかでぐっすりさ。ううん、地下王国そのもののぼくらの肉体なんて本当のところはどこにもないのだけど。

 

 ようするに、ぼくの腕の中でキミはぐっすり眠ってて、その大きなからだをがっちりしっかり抱えてるぼくは最高に“気分がいい”ってことなの。ぼくってすっごく“しあわせ”。ノボリも寝顔が可愛いから、しあわせ。しあわせじゃなかったら今頃すっかりやり返されてるはずだから、ぼくらはこんなに両想いなんだよ。

 

・・・・

 

 ノボリは永きにわたって形を変えながら存在し続ける“地下王国”に君臨する“王”の片割れだった。“地下王国”はある時はどこかの国やコミュニティに属することの出来ないポケモンや人間たちの寄る辺となり、ある時は外界全てを遮断した幻の存在となり……現在のような誰でも出入りできるが、長居すると“魅入られる”そんな場所になったのは新しい変化の形だった。より効率的に“地下王国”を維持すりための仕組みの変化とも言えた。

 

 とはいえ、変わることなく“王”として当然の責務を全うする日々こそが生きる意味であり、彼は地下の影から発生した概念のようなものであったため、“これ”は生きながらにして永遠で、人間とはあらゆる尺度の違う存在だった。

 

 “彼”の興味は己たちが支配する“地下王国”の維持と繁栄、その秩序を守ること。その為に心を砕くこと。あるいは自分とほぼ同時に発生した“王”以外のすべては庇護下の人間か無視できるノイズ、あるいは“養分”にしても差し障りのない魂。人ならざる価値観は冷酷なまでに線を引き、すべてを腹に受け入れて“地下王国”のあまねく人間を選別した。

 “彼”はある意味では“彼”ですらなく、“彼”はある意、自我を持つ個人ですらなく、片割れと己以外に対してほとんど“超常現象”だの“保護機構”、“摂理”に近しい存在だった。“地下王国”の要素を取り込んで発生した人ならざる神秘、人ならざる気まぐれな精霊のようなもの。そのくせ人の祈り、人の願いを半端に聞き届けて成立した為、普段人間の前に姿を現す“端末”の姿は概ね“長身の男”とでも表現すべき見た目なのだった。

 

 人間ではない“彼ら”は食事も呼吸も睡眠も、およそ人間に必要ななにもかもがなくとも平気だったし、いくら“端末”が損傷してもなんの意味もなかった。やろうと思えば“端末”を毎日、毎時間、毎分、毎秒だって新しいものに取り替えることだってできるのだから。その“寿命”も途方もないものだったため実質的には不老不死といっても差し支えなかった。なにせ、“彼ら”は“生きていない”。

 “彼ら”に近しいのは“端末”……つまり、“ノボリとクダリ”という見た目が似ている人間ではなかった。冬に冷たく吹き抜ける風、あるいは夏の無慈悲な太陽、雨季に降りしきる激情の雫、秋の燃える紅葉、手を振って迎えてくれる春。それはすなわち永遠に巡る季節。現象、自然、あるいは神の見えざる手。そちらの方がまだ“彼ら”に近い存在だった。

 

 だから。

 “彼”が、いや“彼ら”がある時“夢”を見たことは普通のことではなかった。眠らなくても良いはずの“彼ら”が気まぐれに寄り添ったまま目を閉じ、まるで人間が眠っているような動作をしたとしてもそれはあくまで“ふり”に過ぎない。そのはずなのに、“彼ら”は庇護者すべてが眠りについたある夜、誰もいない小さな部屋で揃って“眠り”につき、そして同じ夢を見たのだ。

 人ではない“彼ら”だからこそ理解できた夢を。数十年分にもわたる密度の夢をたった一晩のうちに見ても、その時間自体は“彼ら”に問題はなかった。しかし、その内容はそうではなかった。

 

 “夢”の中でノボリはただの人間だった。「ノボリ」にはそれまでの家族もパートナーも記憶を失い、寄る辺のない、ひとりぼっちの人間だった。孤独と影は人間としては永い時間が経っても消えはしなかった。「彼」は普通の人間のようであり、生きながらにして衰えた。生きとし生けるものであれば当たり前のことだったが“彼”にとっては不可能な事だった。

 こんなこと一蹴で良かったはずだ。ノボリは分かっていた。自分たちは“発生”した瞬間から人間ではないし、あのように老いるはずがないのだと。だからあの“夢”の中の「ノボリ」は“端末”と容姿が似ているだけのただの人間で、“夢”を見たことになにか要因があるにしろ、生きてはいなくても完璧ではない自分たちに起きたバグのようなものだと思えばよかったはずだ。

 

 「ノボリ」はクダリのことを心のどこかで知っているようだったが、結局思い出すことはできなかった。“地下王国”の暗がりで生まれた愛しい子の炎を、「ノボリ」は掴めなかった。ひとりでいて、強く生きて、少しずつ老いていった。それは決して悪いばかりの“夢”ではなかった。「ノボリ」は完璧ではなくても満足していたし、コミュニティに属している人間として突出しすぎていることもなく、異邦の容姿をいつの間にか受け入れられて静かに生きていた。

 だけど、「ノボリ」は思い出せなかったから帰ろうとしなかったし、順当に、ごく普通の人間のように老いた。“端末”の容姿の男の腰は曲がっていき、からだは節くれだって皮膚の水分が失われた。目元はどうしたって落ち窪んでいった。

 

 本来の自分たちに“老い”はない。やろうと思えば“端末”の容姿をどんな風にでも変えることは容易かったが、クダリの居ない状況で勝手に自分の“端末”の容姿を変更して揃いの姿でなくなるのはなんとなくはばかられた。だからあれはあり得ない。

 

 だから、あれはノボリではない。はずだ。

 

 とはいえ、当事者のはずのノボリはむしろ冷静だった。隣に取り乱した者がいれば逆に冷静さを取り戻すという人間らしい情緒のようなものが自分にも備わっていることに気づいて、人間に寄り添いすぎたと反省したくらいだった。

 だがクダリは違った。ノボリの片割れであり、同じ性能、同じ権能を持ち、そしてノボリと同じくらい片割れのことを大切に思っている“彼”も、普段ならば何が起きても“感情”のような不完全で失敗につながるようなノイズを抱くことなどなかった。しかし、片割れに対してだけはやはり“彼”のすべてが機能する。片割れに関してだけはクダリは間違えたし、何事もやりすぎたし、ただの人間の少年のように振る舞ってしまう。

 ノボリはそれを咎めたくなかった。自分もクダリに関しては程度は違えどそうなるものだったし、完璧なはずの自分たちが唯一互いによって狂っていくさまがなんとなく“愉快”だった。どんな存在も自分たちを害することはできないと理解していた。自分たちは“存在”ではなく“事象”なのだから。しかし、本来何も感じないはずの自分たちがおかしくなってしまう、そんな唯一の片割れには“甘い”のだった。

 

 ともかく、“夢”によってクダリはひどく取り乱した。彼は全身を使って嘆いた。権能を行使して“地下王国”から光を奪った。“糧”を好き勝手吸い上げようとして、ノボリに止められもした。闇の中、泣き顔をノボリの“端末”が知覚できなくなってからクダリは泣こうとした。そんなことをしてもノボリにクダリの様子は手を取るようにわかるのだが、それでもクダリはノボリの目をふさいで、泣こうとして、失敗した。それから何に対してかは定かではなく、衝動に任せて初めて怒ろうとし、初めて心底怯えた。

 クダリは全能ではないが、“地下王国”にいる限りはほとんど無敵だった。どんな存在でも知覚できたし、物理法則も捻じ曲げられる。だって“地下王国”は二者にとっては腹の中も同然だったから。なのにクダリは怯えたのだ。

 

 ノボリは不可解に思った。“夢”と違って自分はここにいる。記憶は完全で、もちろん老いもしない。片割れのこともパートナーのこともしっかりと認識しており、その魂さえがっちりと握りしめているようなもので、例え突然外的要因で“地下王国”が崩落しても自分の知覚範囲くらいは人間の瞬きのよりも素早く完全に守り通せるほど完全だった。自分たちを傷つけられる存在はいない。確信していた。

 もしも、外の世界に自分たちより強い“現象”があったとて、自分たちの支配領域にいる限りは対抗できる。そう確信していた。

 

 だけれども、クダリはそう思っていないらしかった。

 

 “夢”を見たその日から、クダリは人間のような“感情”を良く見せるようになった。今までのようにわざとそれらしく振舞っているのではなく、ある程度はその魂が感じた事実だということはノボリにはすぐ分かった。最初は人間の真似事だったそれが、だんだんと真の迫ったものに変わっていくのをノボリは分かったし、その“感謝”が自分に向いているのは当然だが

 最初は、ノボリはそんなクダリを“愉快”だと思ってらしくもなくそのさまを新鮮な気持ちで観察していたのだった。

 

 そして、少しずつ彼らは零れ落ちていく。いくら完璧からなにかのカケラが滴っても完璧には違いなく、どれだけ削げ落ちようとも他者ならば彼らに影響すら与えられない、そんな僅かな変化だった。

 

 ただ言葉がなくとも通じるはずのふたりが、言葉があったとて互いを理解できないで、ただ寄り添っていた。

 

・・・・

 

「あの夢みたいに、ノボリがどこか遠い時代に行ってしまって、ぼくの前からいなくなっちゃうかもって、そう考えると怖いんだ。分かってくれる?」

「わたくしがお前を置いてどこかに行ったことなんてありましたか。夢は夢です。現実と虚構の区別がつかないなんてお前らしくもない」

 

 クダリはいつまでもあの“夢”を引きずっているようでした。わたくしたちはふたつでありますが、“同一存在”と言っても過言ではないので、何事もリンクすることが多い。それゆえに、まったく同じ“夢”を見ました。だというのにクダリとわたくしとでは受け取り方が違ったというのはおかしな話です。

 “端末”の容姿や衣装、そこに付けられたほんのわずかな“誤差”を除いてわたくしたちは同じなのです。ほとんど同時に生まれ、常に共にあった。これまでもこれからも。同じ権能を持ち、同じことができ、同じ意見を持ち。わたくしはお前でお前はわたくし。だというのにどうして? 確かに他者からすれば“誤差”によってクダリの方が多少やわらかな“ように”見えるでしょうが、それは煩わしくも区別をつけられないその他のためにつけた“誤差”なのです。なろうと思えばわたくしは次の瞬間にはクダリとなり、クダリは瞬きの間もなくノボリとなる。わたくしたちは同じなのだから。

 

 何が“不満”でしょうか。わたくしたちは同じなのに。何も違わず、常に同じで、ただ隣にありました。これまでもこれからも。それだけなのです。それが当然であり、摂理なのに。変化を恐れているのですか? 変化することなんてありえないのに。

 そのくせ、先に変わったのはお前なのです。矛盾もいい加減にしなさい。

 

「夢は夢、でございます。わたくしからすれば、クダリがまるで人間のように振る舞うことの方が恐ろしい。お前、今ならトレインに轢かれた程度でも死ねるのでは?」

「死ぬわけない。ノボリはぼくを殺せない。ぼくは望んでも死なないんだもの」

「そうでしょうとも。お前がわたくしを殺せないように、わたくしだって願ったところで変わりはしません」

「わかってる。わかってるけど嫌なの」

 

 道理です。クダリに心境以外の変化があるようには感じませんが、わたくしはいい気がしないのです。まるでクダリがありふれた存在になってしまうようなうすら寒さまで感じるような。わたくしまでクダリに感化されて人間のように振る舞うなんて奇異なこと。しかし、クダリとわたくしはどこまで行っても“機構”なのですからつまらないごっこ遊びなどやめて元通りになればいいのに。変化がないことの方がわたくしは良いとみなします。不要なリソースを消費することは無駄でしょう? 端的に、完璧に、ただこの欲望の坩堝を支配し続けるだけなのだから、積もりに積もった人間の欲望がゆっくりと地中に染み込んで、その祈りがわたくしたちの“端末”を人間に似た姿に見せているだけなのですから。

 

 しかしクダリは腹が減っただの疲れただのと生理現象を訴えるのをやめないのです。わたくしがどれだけ言っても、聞こうともしない。わたくしの様子を珍しがっているようでさえありました。わたくしたちは同一なのだからクダリがそう振る舞えばわたくしだって引き寄せられていきますとも。であればわたくしが今まで通りに振る舞えばいいのでしょうが、クダリはそれを阻止しているように思います。不可解な。わたくしはクダリの思うままに決して掴めない霧と同義だった肉体を単なる有機物で構成し、“在る”しかありませんでした。

 

 わたくしたちは結局のところ地下に降り積もった感情からいつの間にか形作られた機構に過ぎないので、本質的に人間ではないのに。こんなことは無意味だというのに。

  

 クダリの“零落”には閉口します。これはクダリが望んでやっていることなのか、そうではないのか、それすら曖昧で。ただわたくしにとってこれは好ましくなく。ですがそこにいるのは間違いなくかけがえのない唯一の片割れであり、わたくしにとって唯一の“意味”。おまえがいなければ今頃わたくしは風にでも吹かれて世界中に溶け込み、存在すら希薄な世界の摂理のひとつになっていたことでしょう。“自我”を保ち、“留まる”。これこそ、わたくしたちにとって無駄なこと。不要なリソースをこうも存分に使った地下王国の運営そのものが、わたくしたちにとっては最大の感情表現ではありませんか。

 これ以上は不要です。そうじゃありませんか? なのにどうして“愉快”なんでしょうね? わたくしまでおかしくなったようです。

 

「クダリ。はやく元に戻りなさい。わたくしはお前がなれもしない人間に近づこうとしているようにしか見えません。いくら真似しても本質が違う訳ですから無理ですのに。万が一、億が一にでも“零落”したお前が人間のように怪我をしたり、儚くなったりしたならば、わたくしは役目を放棄して後を負いますよ」

「一緒に優しい風になって冷たい水になって不可視の重力の波になって太陽の電磁波に溶けて■■■■の果てに消えてくれるの? ぼく嬉しいな」

「まったく意味のない問答ですね。おまえがいないのに“これ”が“わたくし”がいる必要なんてないではないですか。なんでもいいですが何も残らないように消えたほうがよほどいいというだけ。おまえの名残も同じ現象にしてね」

「それはとっても“ロマンチック”な話だけど、ノボリはそう考えているんだね。ノボリとぼくは別個体で、たとえ半分でも同じことが出来るのに?」

「“たとえ半分でも”が答えでしょうが。ノボリとクダリ、おまえとわたくし。それで完全です」

「えへへ。ノボリもそう思う? ぼく嬉しいよ」

「発言に一貫性がないですね。処理能力の遅い人間の真似はわたくしたちにとってわざとらしい時間の浪費にすぎませんよ」

「回りくどくって焦れったいよって? ノボリも大概感情豊かになってきたね。ぼくそんなノボリも好き。お揃いだね」

「クダリ」

 

 あぁ、全く意味のない会話。

 クダリと共にあるために“ここ”を運営しているんです。“これ”は意味がないんです。わたくしたちは人間ではなく、生き物でもない。だからこれ以上何も要らないんです。わたくしに必要なのは変わらないお前と約束された未来であって、わずかなバグによって生み出された夢に惑わされる不安定な日々ではない。わたくしはお前といます。何も忘れないで、ずっとここにいますとも。

 

「クダリ。わたくしの、いつものお前に戻ってくださいまし」

「ぼくはちっとも変わってないよ。ノボリこそ」

 

 冷たい指がわたくしに触れました。正確には、外気温よりも優位に低い温度の人間の指を模したクダリの“端末”がわたくしの“端末”の手に触れたのです。引き込むように引っ張り、“端末”の腕が飲み込まれる。“わたくし”に“クダリ”が触れ、伺いをたてるように覗き込む。わたくしたちは対等なので許可なく無遠慮に踏み込んでくることはなかったけれど、“クダリ”の接近はまるで“端末”を持っていなかったころのように、わたくしたちに本当の意味で区別がなかった頃を彷彿とさせました。

 

 クダリは何になりたいのか? 何を望んでいるのか? わたくし、随分俗世間に染まってしまったようです。言われなくては分からない。どうして? 今のわたくしにはお前の心が分からないのです。

 

「あ、動揺したね。ぼくにだけは、惑わされてくれて、かわいいね」

 

 わたくしは“クダリ”を見ると、そっとその伸びてきた腕を掴んで、間違いなく引き剥がしたのでした。わたくしはわたくしで、お前はお前です。決して分かたれることなく、そして決してひとつにはならない。そっくり同じのわたくしたちは生まれながらにふたつでした。それがわたくしたちにある唯一のアイデンティティなのですから。

 わたくしたちは同じでした。同じなのです。だからこそ一緒にいるのです。ずっとそばにいるのです。“これまで”と“これから”に区別はなく、だからこそ変質してはいけません。今まで共にあったからといって“これまで”から外れてしまっては“これから”もそうであれるとは、わたくしたちよりも上位の現象がいるとしても……そう、どこかにいるかもしれない、“神”にも分からぬことでしょう。

 

「わたくし、“強い”お前が好きです。この世の何者にも侵食されず、“クダリ”があり続ける方がいいのです」

「ぼくもそうだよ? 強いノボリが好き。誰にも一度も傷つけられたことのないキミがいいな」

「どうか変わらないでくださいまし。そのまま、そこで」

「大丈夫だから」

 

 何も分かっていないのか、分かってないふりをしているのか。どっちでもいいことでした。クダリがわたくしの反応を見て面白がっているだけです。そういうことですよね。お前の感情の動きがわたくしに起因しているならもうあれこれ言うのはやめてやりましょう。

 クダリはわたくしに背を向けると、壁ごときにわざとらしくぶつかるフリなんてして、それから隙間にスキップしながらダブルトレインに向かっていったのです。わたくしは動揺なんてしていませんので、そのまま誰にも見られていないと認識してから、後を追うようにしてシングルトレインの定位置に飛び、そしてそれっきりその日はいつも通りに過ぎました。

 

・・・・

 

 ノボリはそうは思っていないようだけど、どう考えたってノボリとぼくは“同じ”、じゃない。

 違うのはぼくであるか、ノボリであるか……難しい、ぼくらにしか分からない小さな小さな隔たりだけ、というのは本当だけど。人間の概念ならぼくらは双子というらしい。鏡と同じ一致率、影と同じで引き合って、だけどどれだけ近くてもぼくらは別の存在だった。いくら人間やポケモンの心が分かるような気がしても、本当に外に向けて表現されていない心が分かっているとは確信できないように、ぼくはノボリの心の表面を撫でることはできても、ぼくはノボリじゃないから全部全部は分からない。同じように、ノボリにはどれだけ心の奥深くまで来てくれることを許していても、自分ではない存在を完璧に理解できるはずもない。

 

 だから、ノボリとぼくは別の存在で。だからぼくはノボリの全部が欲しかった。

 

 本当のところ、きっかけめいて見えるあの“夢”なんて大した問題じゃなかった。ぼくらはぼくらのテリトリーである地下に本体がいる限り、どこにも行かないしどこにも行けない。せいぜい、ちょっと地上に顔を出すくらい。ここから離れるためにはもっともっと“端末”を作りこんで、自動運転の装置を取り付けたトレインみたいに、なんとかして手を離せるようにしなくちゃいけない。

 “風”か“雨”みたいなものだったぼくたちは、あの日からどこにも行けない代わりに永遠になった。イタズラな風みたいに消えていかないし、雨みたいに止まないし、太陽のように隠れないし、季節みたいに移ろったりしないようにぼくらはぼくらを固定した。

 地中にゆっくりとしみこんでくるたくさんの感情を飲み込んで、ぼくたちはこのそっくりな“端末”……肉体を作り出した。鏡みたいに同じに見えて、ほんのちょっと違う、ぼくらのような肉体を。

 

「ぼく、キミのことが好きなの」

「わたくしがお前を嫌っているとでも?」

「ううん。分かってるよ。この世でぼくのことが一番好きだよね、ノボリ」

「当たり前のことを口に出すのはおよしなさいな」

「照れちゃった?」

「まさか。“当たり前”だと申し上げました。どこに“照れる”要素があるのですか? わたくしがお前のことが大切で、感情を込めて言うなら“好き”なのは生まれた時からです」

 

 ノボリは本当のところは“理解したくない”んだと思う。人間らしい感情、ポケモンたちの心。きっと長いこと見てきたから、大抵の行動は推測できるし、予想の範疇だし、なんならぼくたちの範囲に入っているすべては心の中まで筒抜けだもの。だからやろうと思えば全部理解出来ると思ってて、だからこそ理解したくないなんて思ってて、それだから自分たちと他の存在は違うって思いたかった。どれだけ好きになっても先に朽ちていく者たちに心を砕くなんて……って。嘘ばっかりで、今だってどれだけ驚かせないように殺さないようにできるだけ長持ちするように苦心しているかぼくは知っているけれど。

 

 ノボリが“地下王国”を運営することに固執しているのはどうして? 効率よくいろんな感情を吸い上げるため? たくさんの生命を取り込んで、自分の力にするため? 繰り返される日々を気に入っているから? ずっと昔に“固定”したから仕方なく?

 それとも、ぼくが知らない理由があるのかな。ぼくがここのことを好きだと知っているから、協力してくれているのかな。

 

 ノボリは優しくて、ぼく以外のことも結構な思考を割いてくれる。ぼくらはヒトじゃないから、“演算速度”を合わせた上で本気のバトルをする。ノボリは付け入るスキをわざと見せて、それでもっともっとと食らいつく挑戦者たちを見るのが好きだから。そうすれば効率的に“感情”を発露させて吸い上げられるって言うけれど、それは結果論でしかないのにノボリは気づかない。

 こんなに違うのに、今日もノボリはぼくらは同じだって信じ込んで安心してる。ぼくはノボリに“怖い”って気持ちを悟らせないようにして、違いをまざまざと見続けている。

 

 兄弟でも双子でも、どれだけ似ていたとしても、“違う”方が“普通”だってぼくは知っている。

 いっそもっと違ってしまえば安心できるのかな。ぼくはノボリとずっといたかった。

 

 “たまに”お腹が減ったふりをして、泣いて笑って困らせて、ノボリの前で人間みたいに振る舞った。ノボリはぼくにやめるように言ったけど、本気でぼくの行動を止めたりしないから、“同じ”だと思っているノボリはゆっくりと引っ張られていく。

 ぼくの前でノボリは笑う。本人は気づきもしないけれど、前までは心の中で“楽しく”……ぼくらなりに……笑っていても“端末”の顔は動きもしなかったのに。

 ノボリは困って、ぼくにいろいろ言葉を尽くす。喋らなくたって伝わることを知っているのに、どうしたらいいのか分からないキミはヒトに寄っていくぼくに似せて、なんとか言葉で解決しようとする。

 キミは知恵を絞って、ぼくを戻そうとするけれどこれまでの経験やヒトやポケモンの知恵からいくら情報を引き出しても答えが出ないから戸惑うばかり。そうしているうちにもキミは無意識のうちに感化されて、“寄せられて”、だんだんその完璧なキミから出力された“端末”がヒトみたいになっていく。

 ぼくと鏡合わせであろうとして、だんだん、だんだんとね。ノボリは変わっていく。変わらないでいられるはずなのに、どんな小さなことも見逃さないでいられるはずなのに、ぼくとの“違い”を許容できなくて、キミはゆがんでいく。弱く、大人しく、牙を失うように。ううん、ちっとも本質は変わっていないけれど、同じ視点のぼくからはそう見えるっていうだけのこと。

 

 ゆっくりと積み重ねて、しばらく。ぼくにとってのしばらくは、ヒトにとっては長い時間かもしれない。“地下王国”はヒトとポケモンたちの間では“バトルサブウェイ”という名前で知られるようになる。“ノボリとクダリ”は前と変わらず“王”だったけれど、親しみ深く“サブウェイマスター”と呼ばれるようになって、ぼくが“地下王国”の血管に張り巡らせたトレインで車掌さんを始めるとノボリも真似し始めて、そしていつの間にかそれが当たり前になっていく。

 別に口封じなんてこれまでもしてこなかったけれど、全然知名度がなかったのにだんだん外の世界にもぼくらの存在が知られるようになる。だけど“現象”や“怪奇”、“超常”としてじゃなくて、“サブウェイマスター”……つまりは強いトレーナーとして。おかげで“感情のもと”、ううん。お客様が増えて、前よりも効率的に人集められるようになったから副産物としてはいいことだった。たとえぼくたちの世界の外だろうとちょっとばかり認知を弄るくらいわけないから、双子の“サブウェイマスター”がたとえ何百年も同じ姿のまま存在していても違和感を持たれないようにしているしね。

 

「ね、この前社員食堂に新しいメニューが追加されたの。ノボリ知ってた?」

「新しいメニュー……あぁ。すでに四人の鉄道員の方が召しあがったようですね。本日はその評判を聞いて六人の方が試そうと考えているようですが。それが何か?」

「ぼくたちも食べてみない? あ、えと、ほら。部下に対して共通の話題を持つって大事だと思うの」

「会話、そして話題というものがコミュニケーションを円滑化させ、それがひいては“地下王国”、いえ、今は“バトルサブウェイ”という通名でしたが。運営をより良いものにするためにはやぶさかではありませんけれどね」

「もうノボリったら回りくどい。素直に食べてみたいって言いなよ」

「はて。わたくし、その新しいランチを食べてみたいのですか? クダリがそう思っているのならそうなのでしょうけど。わたくし、最近クダリがいろいろと提案してくださるので、だんだんと食事への抵抗感というものがなくなってきましてね。この感覚が“食べてみたい”なのですか。なるほど」

「感想言い合うの楽しい。味を体感するのも悪くない。でしょ?」

「えぇ、そうですね」

 

 ノボリがにこやかに笑ったのが分かった。心の底から、“本体”さえも、すっかり安心しきって、穏やかな気持ちでそこにいた。それはまたとないチャンスだった。こんなに無防備なノボリをぼくならどうとでもできるって。この小さな、弱い、人間と組成の同じ肉体にノボリの意識を閉じ込めてしまうことだって簡単に思えた。

 でも、ぼくは何もしなかった。またノボリに振り払われるかもしれないと思ったし、これからもこんなチャンスはいくらでも来るってわかってた。

 

「今日食べてみよう?」

「ブラボー。昼食の時間が楽しみですね」

「そうだねノボリ」

 

 ぼくは歩いた。ノボリがわざわざ足を使って廊下を歩いていたから、ぴったり鼓動と足並みをそろえてキミの隣を歩くのさ。

 ノボリは自分のことを忘れちゃいない。きっと忘れてしまう日は来ない。自分がヒトじゃないことも、なんだってできることも忘れないし、ぼくのことをずっとずっと愛してる。なんにも変わらないまま、すっかり変わって、無意識のうちに壁のスキマを飛び越えて空間を転移することより“端末”の足でゆっくり歩くことを選ぶようになったし、毎回人間の心を読んで情報を得るんじゃなくて、“端末”の記憶媒体に情報を蓄積して話すことを選ぶようになった。人間みたいに。キミはカタチに寄せていく。ポケモンみたいなことだっていくらでもできたけど、キミは意識的に自分を封印して、紛れ込むように、驚かさないように、そればっかりになっていく。遠くから見守るのをやめて、近くから手を差し伸べるように。

 

 ほら。キミは足音を立て始める。三百メートル先に鉄道員が三人。地面の素材は石にそっくりだけど、ぼくたちの一部。だから足音なんてしないけれど、キミは普通にしようとする。ぼくも真似して一歩遅れで足音を立て始める。

 そっちには気づいてくれるの? 嬉しそうに笑うね。

 

「ボスたちお疲れ様です!」

「お疲れ様!」

「朝から大変でしたね」

「ありがとうございます! ボスたちのサポートがあったから何とかダイヤの乱れは最小限で済みました!」

「えぇ、見ておりました。これからも頼りにしておりますよ」

 

 キミは気まぐれに試練を与え、まるでそれが普通のことみたいに振る舞う。今日みたいに外の天気が荒れたって、たとえ外の世界が滅びたって、ぼくたちの世界に影響なんてないはずなのに気まぐれに入り口を開いては混乱を受けいれ、そしてみんなが対処するさまを嬉しそうに見ているんだ。

 

 変わったね。すっかり。もう、別の色になったみたいに変わったね、ノボリ?

 

「わたくし疲れていませんが、たまにはゆっくりしてみるのもいいかもしれませんね」

「?」

 

 それどころか、ぼくにも意味のわからない抽象的なことまで言うようになった。

 

「結構面白いんですよ。わたくしたちは真に万能ではないですがそれに近い。故に尺度を合わせて振る舞うのは背をかがめて目線を合わせているようで、それまで漠然と付き纏ってきた超然とした目線で他人事のように、分かったような顔で支配者らしく振る舞う居心地の悪さがないのです」

「ノボリ、嫌だったの?」

「いいえ? それが当然だと思っていましたから。わたくしは今、振り返ってみてそう思ったにすぎません」

「考えが変わったってことね」

「えぇ」

 

 グラデーションのようにゆっくり変化してくれたんだ。あとはいつ捕まえちゃおうか、いつ種明かししようか、いつ一緒にいこうか、それだけなんだけどな。

 なんだかぼくまで楽しくなっちゃって、ちょっと今を変えるのが“惜しい”のかも? 分かんないけどね、本当のところ“感情”はぼくらにとって糧であって、ぼくらが“感情”らしいものを見せるのも全部真似事でしかなくて。ううん、本物かもしれないけれどまだまだぜんぜん、ぎこちなくって……。

 

 “端末”の姿は鏡みたいだけど、いつも笑っているぼくと、笑ってないキミ。

 ぼくはノボリをすっかり堕としてしまいたい。対等のはずのキミを自分の中に飲み込んで、きっと確実に安全なんだと言い切りたい。

 キミはきっと、ぼくと変わらず過ごしていたい。グラデーションを受け入れて、考えが変わってもそこは同じ。一緒に変化し、共に歩み、ゆっくりといつか“雨”が止んでも“風”になってくれるんだ。

 

「お昼、楽しみですね」

「うん」

 

 そう言われるってわかってた。ノボリの薄い微笑みを受けて、心までのぞき込めるぼくには分かっていたはずなのに、ふいうちでも受けたみたいに“びっくり”しちゃって、あぁなんだぼくも相当変わっているんだなって、思ったり。

 

・・・・

 

 捕まえた。捕まえちゃった。捕まえられちゃった!

 離さない、離したくない、このためにやってきたんだから!

 

 ノボリ! ぼくの! これからはずっとずっとぼくのところにいてね? いちばん大事にするから、ぎゅーってさせて? いっぱいゆっくり寝てていいからね。

 

「思ったよりも驚きませんでしたね、“わたくし”ったら」

 

 ずいぶん他人事みたいに言うじゃない? キミだってノボリだ。本体と同じ思考回路を持つ、ちっちゃな“端末”。弱くてかわいい、ノボリのかけら。

 

「えぇそうですが、“わたくし”もこうなるのではないかとうすうすは気づいておりました。しかし対策を打たなかった。望んでいたのでしょう。だから驚かなかったのです」

 

 ふうん。じゃあ、“両想い”ってこと?

 それじゃあすぐにぼくの腕の中に飛び込んできてくれたら良かったのに。そしたらとっくにこの状態。ノボリだってその方が良かったんじゃないの?

 

「まんざらではありませんけどね。やはりそうも“求められる”というのはなんとも愉快なものですよ」

 

 そんなもの?

 

「わたくしと“両想い”だと知って嬉しかったのではないですか? 同じですよ」

 

 “嬉しい”? ぼくが?

 

「お前の思考を読むなら“黄色”です。お前の“喜び”の色ではないですか」

 

 それはノボリの心が“太陽”に寄ったとき、マインドが安定していることが統計的に明らかで、だから感情の分からないぼくはそれを“喜び”と定義しただけに過ぎなくて、

 

「太陽、あるいは太陽の花畑。わたくしたちの支配領域にはありえない場所ですが、情報としては知っています。地下王国を築いたわたくしたちはどうしても太陽光とは縁遠く、空間は低温になる。そして大抵の生き物は太陽を好む。例外はありますが、少なくとも人間はそうでした。それによって“感情”の主たちを高揚させるのは地上よりもコストがかかりましたね。ゆえに太陽の概念は好ましかった。“羨ましかった”と言い換えてもいいでしょう。わたくしとしてはそれだけでしたが、その“連想”がいつしか“喜び”の概念に置き換わったのです。そして近くに“連想”できる存在があり、……全部説明しなくてはいけませんか?」

 

 うーん。連想の機序は分かったけど、でもそんなに好ましいものかな?

 

「ええ。太陽のように……という表現があるでしょう。そういうわけです。あと心を読むのは拒否します。“端末”のわたくしなんてお前の権能にはなすすべもありませんが、わたくしを空腹と渇望のある不自由な肉体に閉じ込めたのですからそれくらい言うことを聞いてくださいますね?

 それは、もちろんだけど。

 

「それならいいのです。では、クダリ」

 

 なぁに?

 

「いつまでも全リソースを集中させ、大きな自分で本体のわたくしを抱きしめているさまを見せつけていないでわたくし用のおまえ、“端末”のクダリを出しなさい。浮かれて“端末”のリソースまで吸い上げたでしょう? かわいそうにあの子は一瞬にして灰になってしまいました。あの子はおまえに統合されたのですよ。だからはやくわたくしのおまえをくださいな」

 

 うん。ノボリをちゃんとサポートできるようにいっぱい力を載せたのを作るね。前の“端末”からのフィードバックは全部返しておくから。

 

 ノボリ、これからはずっと一緒、だから。片時も離さないから。

 

「成長し、肥大化し、“感情”が芽生え、そして行き着く先が大きく小さな独占心。かわいいものですよ。だからわたくし、しばらくは許容いたします」

 

 ノボリのしばらくなら、結構許してくれるのかな?

 でも、もうちっちゃなノボリはぼくの方なんて見上げようともしなかった。

 

「おはようございます。わたくしのおまえ。では行きましょうか」

 

 ちっちゃなぼくを作って、ちっちゃなノボリの横に置いてあげる。とびきりスマイルのぼくを置いた途端、ちっちゃなノボリは大喜びでちっちゃなぼくを捕まえて、ぎゅーっとしてからすぐに連れてっちゃった。

 

 “端末”たちが離れて行って、それで、ぼくはぐっすり眠るノボリに頬ずりした。もちろん、ぼくらに肉体なんてないけれど、眠るキミにまぶたはなくて、キミとぼくが溶けあうように境界の曖昧になった高エネルギー体があるだけなのだけど。でも、ぼくには慣れ親しんだ“端末”がまるで自分たちの容姿だと思ったし、それでよかった。

 

 ノボリは眠っているけど、ぼくがいることはわかってる。ゆっくり渦巻くように、ぼくの願いにこたえて大きな大きなキミの姿を形作る。ぼくも同じように大きな大きなぼくの姿になって、その頬を撫でる。

 

 すう、すう、聞こえないはずの寝息が聞こえる。

 

 ぼくはしあわせだと思った。こころがぽかぽかして、あったかい気持ち。“黄色”の気持ち。でも太陽じゃなくて、ノボリの眠る顔こそが“嬉しい”気持ちそのものだなって。

 

 ぼくらは零落した。前みたいには振る舞えない。振る舞いたくない。

 キミがそこにいてくれることがしあわせ。それでよくて、そうじゃなきゃダメなの。

 

・・・・

 

「クダリに比べて表情が硬い、でございますか。わたくしとて楽しい時は表情を崩しているはずなのですが……」

「ノボリのスマイル、結構見るよ?」

「ですよね。双子のクダリのスマイルがこんなにも心温まるものなのですから、わたくしもほら、スマイル!」

「あはは、ノボリのスマイルサイコー! 心がぽかぽかする! ね、ぼくも隣でいっぱい笑うから。そしたらノボリの気持ち、伝わる!」

「……もしかしてわたくし、表情が変わっていないのですか?」

 

 そんな、とりとめのない会話が今日も変わらぬ廃人たちの国、バトルサブウェイであったとか、なかったとか。

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