「どうも、お世話になっております。わたくしはサブウェイマスターのノボリと申します! そして……ああ、ちょっと向こうにいますのが同じくサブウェイマスターをしております弟のクダリです。彼はもともとダブルバトルを得意としておりまして、パシオでは特殊なバトル形式ですがきっとシングルバトルが得意なわたくしより先に順応するはずですよ」
「クダリとは兄弟でして。ええ、優秀な自慢の弟なのですよ。是非バトルしてやってください」
クダリがいないところばかり狙って弟の話をするノボリの姿はあちらこちらで目撃されていた。
ゆえにクダリは知らない。自分の心中を吐露したとしても、このように「目に入れても痛くない」ほどかわいがる弟を拒むことなどあるはずもないのに。その感情が現在どうであれ、大いなる愛が何とかしてしまうに違いないのに。
しかしまあ、「兄のノボリ」は、かわいい弟のちょっと普段見れない顔を引き出そうと、弟の前では割増しにツンケンして見えるのでわからないのだった。
ダブルトレインから降り、終点のホームにノボリの姿を見かけて、手を振りかけてやめた。ノボリ、お客さまとお話してたから。今日のシングルの挑戦者たちかな? 邪魔しないようにソーっと近寄っていく。
「そこまで仲良く見えますか?」
あれ、ノボリにしては静かに喋っている。すっごく珍しい。
嬉しいこと、ワクワクすること、いいことがあればとにかく声帯の限界いっぱいまで声を張り上げるノボリ。
いつだってセルフで音割れ、ひっくり返るほどの大声を出さなければ、ノボリの声は心地いいものだって知っている。外だと仕事柄、いつもハイパーボイス威力90だからあんまり聞けないのだけど。
ほら、電車って走行中結構うるさいからね。ぼくもノボリほどじゃないけど案外大声で話しているし。
だから外でこの声を聞けるのって珍しいのに、穏やかな口調の内容ったらないよ。話は途中からしか聞いてないけど、まぁだいたいわかってる。せっかくレアノボリなのに。
ちょっぴりミーハーなお客さまへのいつもの対応ってヤツ。
「もちろんクダリとは仲の良い兄弟ですよ。この通り職場まで同じですので。もちろん兄弟なので好きではありますが」
なので割って入ってみて確信を得ることにしてみた。うーん、なんて、ぼくってマゾなのかな。間違いなくこのあと失望するの、わかってるのにね。
「なになに? 面白い話?」
面白くないのはわかってる。
ぼくの声を聞くと、クルリとノボリはこっちを向いた。ノボリなりにめいっぱい笑ってるつもりの顔で。顔は笑ってないけど、ぼくには分かった。業務スマイルが完璧だね。笑ってないけど。
「あぁクダリ。そこにいましたか。
ところであなたはわたくしのことは好きですか?」
「エッ」
この状況って多分、好奇心旺盛なお姉さんがたにおふたりはどんな関係なんですか? とニコニコ最高抜群な笑顔で聞かれて、ノボリはいつもどおり「もちろん兄弟なので好きですよ、それだけですが何か?」という思いを込めて返事したんだろうけど。
で、ぼくがちょうど来たから、悪気なく「クダリもそうでしょう?」ということを聞いてくると思ったのだけど。
その聞き方なんだかおかしくない? ノボリ疲れてる? でも言いたいことはそうだよね? ぼく混乱。
ぼくってば、ノボリのことが好きだから。ノボリと違って。いやいや、ノボリがぼくのことを実は嫌いとかそういうことじゃなくて、ノボリはぼくのこと兄弟として好きなのは事実なのだけど、ぼくはそうじゃなくて。
「エットね」
とりあえず道ならぬ恋をしている身としてその聞き方はこんらん。自傷ダメージで赤ゲージ。
昔から誰より知ってる相手が好き? わあロマンチックだね!
男が男が好き? そんなの恋の障害にもならない、大いに結構。
それでそれで? 好きな相手は双子の兄でした! はさすがにちょっと。
もちろんノボリには言ってない。他の誰にも言ってないし、言うつもりもない。ちょっと流石に超えるべき壁が大きすぎて困っちゃう。
ノボリとせっかくニコイチ双子をやっているのにうっかり口を滑らせてすべておしまいになんかしたくない。この歳になってもかなりの頻度で兄弟で仲良く休日を過ごしたり、時には晩御飯まで一緒に食べるような仲良しさはまれだと思うんだ。
「ノボリのことだよね? だーい好きだよ!」
しかもこれでも仕事中のオトナなので、ぼくはいつもの笑顔でお返事。お客さまに効果は抜群だ!
「サブウェイマスタークダリ」はいつでも笑顔で無邪気、ニコイチ仲良し双子の片割れなんだもの、この返事は至極当然。
今のぼくってサブウェイマスターというコンテンツだもの。各地方のジムリーダーや四天王、チャンピオンと一緒でそういうキャラクター。「サブウェイマスタークダリ」は無邪気でちょっぴり子どもみたいな話し方をする。だから「だーい好き」に他意はなし! うん完璧理論で延着なし!
コッソリぼくの心に四倍弱点入ってるけど! 赤ゲージからの「こらえる」でHPは残り1! 今なら「きしかいせい」で最大ダメージ狙えちゃう!
……相手に先制技がなければだけど。
お姉さんがたはキャーキャー言って去っていったあと、ノボリは再びぼくを見た。
「さすがはクダリ。わたくしの意図を理解してくださいましたね。ファンサービスも大事ですから」
「そうかな。ノボリが上手く言ってくれたから」
「えぇまぁ」
なんでそんなにジロジロ見てくるの。上から下まで。最後にぼくの顔を満足気に眺め、楽しそうな意味深な視線を残してさっさとシングルトレインの方に歩いていってしまった。なにさ。
ぼくもダブルトレインに行かなきゃだけどさ! なにさ!
理解できない。あぁそうさ、双子だけどさ、ノボリがぼくのことを恋しちゃいないように、考えてること全部が全部わかるわけじゃない。そりゃ他の兄弟よりは理解してるつもりだけど。
あぁちっともわかんなくて、ちょっぴりモヤモヤ。いつものことだけど。
ノボリってたまーにあぁして不思議な顔をする。意地悪なような、同い年なのに兄ぶっているような、なんともいえない顔で。その顔も好きだけど。
すごーくすごーく強い兄。バトルではほとんど負けたことのないノボリ。真面目で、丁寧で、いつだって全力を出せちゃう。疲れていても変わりない。
バトルは大好きなのに、ぼくと同じで勝つのも大好きなのに、相手をレクチャーして強くしようとするんだ。ノボリは自分が勝つよりも相手が成長することの方を優先する。
ぼくは違う。もちろんワクワクするバトルの過程は大好きだけど、やっぱり勝ってこそ。ノボリはそれを否定しない。「負けないこともまた『サブウェイマスター』としてのプライドであり付加価値ですからそれでいいのです」なんて言ってさ。
ノボリだってもちろん相手のために負けてやるなんてことはない。ただ、勝つは勝つのだけど相手の身になるように時にわざとバトルを長引かせるような選択肢を取ったりする。
悪く言ってしまえば独りよがりのぼくと一緒に楽しみたいノボリって感じなのかな。
バトルの行動原理さえ違うんだ、考えてることなんてわかるはずない。そんなノボリもまさか双子の弟に懸想されてるなんて思っちゃいないだろうけど。
直接何か言われて、相手がファンサービスの必要のない相手なら。しらーっと表情を変えずに「クダリと? まさか。右手が恋人と大差ないですよ」なんて言って、ぼくにも「そうだね、鏡持ってキミ、デートするかな? それとおなじ」と言わせようとするに違いない。
あーあ、あーあ! いくら仲良し双子だからってこちとら成人男性だ。とうの昔に手を繋いだり一緒に暮らしたりする時代は終わってて、まぁ普通の兄弟よりは距離近いけどキャラクター付けというところも大きいし、近いだけで触れることはあんまりない。息が合いすぎて今更距離を見誤って接触しないから。
いつかノボリ、良い人を見つけるのかな。きっとバトルが大好きで、一緒に切磋琢磨して、最高バツグンな相性の人をさ。ぼくもバトル大好きだし、切磋琢磨してきたし、双子なんだから相性にいいに決まってるんだけどな。それはもう遺伝子レベルでおんなじなんだもん。
だからこそ、「ない」んだけど。こんな感情、禁忌中の禁忌を突っ走ってる。それならぼく、最初からノボリの中に溶けあって生まれてこれば良かったんだ。ふたつじゃなくてひとつだったら! 苦しむことなく、悲しむことなく、ノボリのあったかい腹の中で静かに眠っていれたのに。
きっと腹の底から声を出すから、ビリビリビリビリ震えて少しも落ち着かないんだろうけど、それでいいんだ。寂しくない。悲しくない、やりきれない気持ちにもならない。未来永劫ノボリがとられてしまわないか怯えなくていいんだから。
でもぼくクダリ。ノボリじゃない。ノボリが考えてることなんてわからない、恋に悩める成人男性。
あーあ。今のところ趣味と実益を兼ねるお仕事に夢中なノボリ、恋愛どころじゃなさそうで良かったなあ。
ぼくクダリ。なぜかノボリと電車を降りたら人工島パシオに着いちゃった。冷静に考えたら、意味わかんないし、怖いよね! でもノボリと一緒で心底安心。離れ離れなんて絶対に嫌だし、この状況ってライモンシティの方だと行方不明なんじゃないかな。カミツレも一緒に行方不明だね。
なぜだかライブキャスターでも連絡取れないんだけど、まぁいいか。だってパシオ、世界各地のジムリーダーに四天王、チャンピオンや有名トレーナーが勢ぞろい。ここまで一斉にいなくなってたら「そういうイベント」なんだって思ってるんじゃない? まぁバトルサブウェイはしばらく運休。残念無念。
三対三のすっごいバトルをして、トロッコ開通して、めいっぱいいろいろ楽しんで、あぁもう夢みたいな場所。今まで通りのダブルバトルやタッグバトルじゃない。なんだかこの経験で成長できた気がする。
ノボリのドリュウズとぼくのアーケオスの相性はやっぱり最高だったから、三人……じゃないや、実質六両編成で戦うことにはなるんだけど、もっぱらぼくはノボリと一緒になった。効率を考えるとだいたいそうなるよね。
ぼくの重いゲージ消費をノボリのサポートで無視しちゃって攻撃連発! 攻撃だけじゃなくてドリュウズがすなあらしで守りもバツグン!
久しぶりに熱中。時間を忘れて夢中になってバトルしてた。ノボリもぼくも。それで楽しくて楽しくて、それでちょっと疲れちゃって、ようやくふうと息をつく。どうしようかな。そろそろ戻らないと社会人としてまずいころじゃない? パシオにきて何週間?いや何か月? 管理職の無断欠勤、これだと職を追われちゃう。「ぼくクダリ。サブウェイマスターしてない」って言わなくちゃいけない。ぼく無職にはなりたくない。もしかしてもう手遅れ?
アーケオスがぼくを不思議そうに見上げてる。ごめん、君たちのごはん代はなんとかするからね。
でもどうしたら? コインは稼げるけど、それはパシオの通貨だ。外じゃ使えないと思う。どうしよ、どうしよ。
流石にスマイル保てなくて、俯いたら。突然帽子、取り上げられた。あんまりびっくりはしなかった。俯いた視線の先に見慣れた黒い靴とスラックスが見えたから。のろのろと頭を上げるとノボリ、うっすら笑ってた。ぼくの顔を見るとますますニンマリ。
相変わらずぼくしかわかんないような笑顔。なんとなくちょっと意地悪に、ちょっと嬉しそうに、にやっとさ。ねぇ、どういう感情?
「おやクダリ、顔色が悪いですよ」
「あのね、無断欠勤してたって気づいたんだけど」
「無断欠勤?」
「初日、バトルサブウェイに連絡取れないねって話したじゃない」
「あぁ。それでしたら問題ありません。わたくしたちは他の方々と同じくパシオに招かれたのです。連絡はきちんと取ってくださっているそうですよ。そうでなければ他のバトル施設の方々もゆっくりしてなどいませんよ」
「そうなの?!」
「えぇですから、クダリが先ほどからブツブツこぼしてたようなことにはなりません」
「聞いてたの!」
「まぁ、ここわたくしの部屋ですし。帰ってきたら弟がブツブツ言ってたら聞きたくもなりますよ」
そうだった。それを相談しようと思ってノボリの部屋に来たんだった。でも留守だったから待ってたんだった。
自分の部屋の中なのにノボリが「サブウェイマスター」したままだったからうっかり忘れてた。いつも敬語で丁寧な大声の、無表情なノボリ。まあ大声じゃなかったけど。
「なら良かった、ほんとに、みんなのご飯だけでも……って思ってた」
「おやおや」
面白そうに言っちゃってさあ。こういう時兄ぶるのはずるいと思う。本当にずるい。生まれた時間なんてたいして違わないのに。
「悩みは解消されました?」
「うん」
「おや残念」
「残念って何さ」
ノボリにいさんは本当に誰が見てもわかるほどニンマリ笑った。
本当のノボリにいさんは笑わなくもないんだ。それでもあんまりニコニコする人間じゃないけれど、ぼく以外に周りに誰もいないなら、結構「サブウェイマスターノボリ」がしない表情をする。まあそうか。だってまあ、ぼくら人間だもの。家族の前くらいは社会人の仮面を取るよねそりゃあ。
ぼくもぼくで、本当はもう少し愛想ないというか。そりゃ口角にも限界があるってだけで、ノボリにいさんよりは笑う人間である自覚あるけど。
「クダリ、頭は悪くないでしょう。なのに今の今まで気づいていなかったかわいらしい弟を見て楽しんでいたのに……あぁ残念残念。クダリの困った顔は可愛いのに」
「趣味悪……」
「否定はしないですが。今のクダリは本当に鏡かと思ったんだが?」
「そんなにぼく、情けない顔してた?」
「わたくしが情けない顔をしているとでも言いたい?」
「いやいやまさか。思ってないよノボリにいさん……」
「よろしい」
ノボリにいさんは帽子とコートを脱ぎ、ネクタイも外した。こうなればただのノボリ、ぼくクダリの兄。ちょっと丁寧な口調で、ちょっと表情が硬い、普段よりかなり思っていることをそのまんま口に出す傍若無人な兄。もちろん態度がちょっと違うだけで他はなーんにも変わりない。
「あなたも楽にしなさいな。取り越し苦労で疲れたでしょう。珈琲くらいなら入れてあげるから」
「じゃあ砂糖三つ入れてね」
「ミルクは?」
「いっぱい」
「はいはい。とびきり甘くしてあげますから情けない顔はおしまいになさい」
ちょっぴり厳しくてちょっぴり理不尽でちょっぴりいつもより優しい。沁みるなあ。
こういうところが好きなんだと思う。だから絶対に口に出さないことにしているし、これからも絶対に秘めていこうと思う。
だって、普段の「サブウェイマスターノボリ」に真剣で丁寧な口調で「そのようなことは世迷言ですよ、しっかりなさい」なんて言われるよりも、今のノボリにいさんに「家族への親愛を履き違えるんじゃない。これまでもこれからも変わりないに決まってるだろう」とか言われちゃう方が心に来る。
だからぼくはなんにも言わずにノボリにいさんの作った甘ったるい珈琲を飲み下して、目の前のノボリにいさんを未練がましくちらりと見た。今日も。幸運なことににいさんは誰のものにもならなかった。「サブウェイマスター」も今日はもう終わりみたい。なら、今は強いて言うなら「クダリの兄さん」だ。うん。
ぼくのもの。
なんてね。
あ、また笑った。ねぇねぇ、どういう感情なのそれ!