【短編集】憧憬の愛玩動物   作:ryure

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それこそ限りなく自分そのものである人間がいない限りは。
あるいは自分とずっと歩んできた相棒でない限りは。

上を向いて、前を向け! そうでなければ顔向けできない。没頭のうちにこそ寒さを紛らわせる何かがあると信じて。
下を向いても前を向こう、そうでなければどうやって言い訳するというのか。寒さはちっとも薄れないけれど、この場所を護らなくては君はきっと戻ってこないから。


この寒さはきっと誰にも理解されやしない

「さむい」

 

 存外小さい声が出たものだった。その上、わたくしの声はあっという間に純白の雪に吸い込まれて消えていく。これでは何も残らない。

 

 まるでわたくしの記憶のように。

 

 黒い外套を貫通してひゅーひゅーと吹き抜ける風がひどく冷たくて仕方ない。時折雪混じりの突風がわたくしの帽子を奪い取ろうとするので、ぐっと手で抑え込む。指先を刺す冷たさがますます全身を震えさせる。刻んだ足跡さえ、無慈悲な吹雪があっという間に消し去った。

 

 からっぽ。がらんどう。こんな心地の時は、普段以上に寒さを感じる。体の片面だけが不思議なほど冷たかった。名前も思い出せぬ誰かが隣にいないから、全ての風がわたくしに吹き付けて、まつろわぬわたくしの体温を奪っていく。

 

 そばに寄り添い、支え、共に歩んだ誰かがいたはずで。霧のように霞がかった記憶の向こうのあなたが傍にいたはずなのに。

 

 ないものねだりをしても仕方がない。わたくしは全てを忘れてしまったのだから、置いてきてしまった相手に面目ない。忘れてしまっている分、この喪失感だって名も分からぬ「あなた」よりいくらかはマシでありましょう。

 

 ボロになった外套を手繰り寄せ、足早に進む。着込んだシンジュの衣装はあたたかで、ボールの中に頼れるポケモンたちもいるというのに、喪失感を抱えながら。

 

 しかし、寒さには耐えられる。シンジュ団キャプテンとしての役目を果たさなくては。日が落ちるまでに山をおり、カイさまと合流しなくてはならない。空からの来訪者さまに力を貸すようにと仰せつかっているのだから。

 

 それにしても、あぁ、寒い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぼくクダリには双子の兄弟がいる。当然お揃いの身長、おんなじ顔、見分けがつくように色違いだけど揃いの服まで着ちゃってさ。誕生日も、遺伝子も、これまで見てきたものもほとんど一緒。ぼくの無二の片割れで、ぼくの兄。

 

 生まれた時からずっと隣にいることが当然だった。誰より強くて誰より真面目な、ぼくの憧れ。

 

 そんな関係は大人になっても変わらない。同じようにバトルサブウェイを志し、気づけば双子のサブウェイマスターとして背中合わせになっていた。生まれた時から、これまで。そしてこれからもずっと一緒だって思うじゃないか。

 

 ノボリ、突然いなくなった。まったく突然の事だった。

 

 ポケモンも荷物も、そのまま。マスターを失ったからっぽのシングルトレインにはノボリのカバンとモンスターボールだけ、所定の位置に残されていたって。

 

 最初は野生のエスパータイプポケモンの「テレポート」を利用したイタズラの線で捜査されたけど、結局何もわかりやしなかった。手がかりもそもそも少なかった。監視カメラはノボリが時刻表通りにシングルトレインに乗り込むまでしか映しちゃいなかったし、車内の監視カメラはどうしてか、故障してしまってなんの手がかりも得られなかった。

 

 多分、多分だけど、こういう理不尽に思える不思議なことっていうのは到底人間に起こせるようなことじゃなくて。ポケモンの仕業なんだろうなあって、不確かなことをみんな思った。そのポケモンはきっと悪さをしようとしたのではないことも、防げやしない「そういうもの」で「しょうがないこと」なんだろうってことも。

 

 かなりポケモンの研究が進んだ現代さえ、原因不明の「失踪事件」は稀だけどそれなりにあること。その中にはもちろん、本人の意思で失踪したものもあるのだろうけど、ノボリみたいに自分の意思ではどうにもならないタイミングで、不自然にいなくなることも多い。

 

 たったの三ヶ月で捜査は打ち切られた。それでもこの手の事件にしては長く探してもらえた方だと思う。周囲にはいたく同情されたし、「わざわざ仲のいい家族や責任のある仕事もある人を連れていくなんて可哀想」だなんてよく言われた。きっと聞こえないところで「死に別れではないだけまだマシだ」くらいは言われただろうね。それくらいのことだ。

 

 それでもぼくは幸運だった。「しょうがないこと」だと周囲はよく理解してくれたし、そっとしておいてくれた。経営陣からすればすぐにでもシングルトレイン担当のサブウェイマスターの後任を用意したかっただろうに、そうしないでいてくれた。ぼくの心の整理がつくまでいつまでも待っていようとまで言ってくれた。

 

 あぁ。

 

 ノボリがいなくて寂しい。ノボリがいなくて悲しい。そして、とてもとても、とても寒い。ぼくの隣はからっぽになった。しょうがないなんて思えるものか。諦めたくなんてない。ノボリを見つけ出して、連れ戻して、また二両編成でバトルがしたい。ノボリのポケモンたちも会いたがっている。

 

 ねぇ、名前も知らない誰か。超越的な、「しょうがない」世界のイタズラへ。どうせならぼくも連れて行ってくれたら良かったのにな。

 

 それにしても、あぁ、寒い。体の片側に風が吹き抜けて、がらんどうだ。寒くて、寒くて、下を向く。

 

 

 

 

 

 

 

 コトブキ村は話に話に聞いていたよりも随分と人が多い場所だった。きっとヒスイにはここほどの利用者数を誇る場所などないだろうに、何故かわたくしはそれでもどことなくもっと都会の町を知っている気がした。

 

 気がするだけである。言葉にできるほど明確な何かを掴んだわけではなかったので。やはりどこにいてもわたくしの記憶は曖昧で、確かなものなど名前くらいしかなかった。その名前さえ、確かに「ノボリ」という人物はいたのだろうが、果たして自分のものなのかどうか定かではない。

 

「あの……ノボリさん、お話のとおり、これから会うのはあの空の裂け目から落ちてきたという方です。見た目は普通ですけど、これまで雷を受けて荒ぶられた各地のキングやクイーンを鎮めてきた実力者です。……その、ヒスイに来た時の境遇が似ているから、なにか思い出す手がかりになればいいのだけど」

「カイさま、お気遣いありがとうございます。その『空からの来訪者さま』がどうあれ、わたくしは全速前進で助力致しますので」

「うん、それはとっても信頼しているの。ノボリさんはキャプテンの中でも真面目な人だから……だからこそ! 多分彼もノボリさんと同じように突然ヒスイの外から来たのだし、それも普通の方法ではないから。なにかを思い出せますように」

「痛み入ります」

 

 コトブキ村に雪は降っていない。よく晴れていることだし、テンガン山と比べてみれば気候的に寒いはずもないのだが。カイさまに気づかれないように身震いする。やはり、ここも寒かった。

 

 どこか緊張気味な若いリーダーにこれ以上手間をかけさせるのは部下としてよろしくないだろう、とふと思った。

 

「そろそろ頃合ですかな。それではわたくしが空からの来訪者さまを呼んで参りましょう。カイさまはそちらで待っていただければ」

「ありがとう」

 

 ともかく、居場所や役目を与えてもらっているのだから応えなくてはとは思う。日頃の厳しい寒さにこたえつつ、耐えているうちに曲がってしまった腰をぐいと伸ばす。しかし直ぐに腰は曲がり、山道を往く時のように足を曲げて慎重に進んだ。

 

 強かにすっ転んで体を痛めてから癖になった「正しい雪道の歩き方」だった。はてさて、ヒスイに来た頃は到底山暮らしなどできないような歩き方をしていると指摘されたものだったが。そんな取り留めもないことが脳裏をよぎる。

 

 歩き方より何よりも、いささか目立つ格好をしている自覚の通り、すれ違う人々の視線を感じながらも目的地を定刻通り目指す。そこかしこに見受けられる、こじんまりとした宿舎のひとつにかの人はお住いになっているとか。どれもこれもスタンプを押したように似通った見た目をしているのにどうしてか親近感を覚えつつ。

 

 さて、初対面の相手は特段苦手ではないが。なんと声をかけるべきか? 思案していると幸いにも、玄関を叩くまでもなく部屋の主が姿を見せた。存外に幼い少年が訝しげにわたくしを見上げた。

 

 どこでもいるような歳の頃の少年だったが、よく見れば少しやつれていた。わたくしに思われたくはないだろうが、彼は彼なりに苦労もあるのだろう。

 

 空の彼方からいらっしゃった方。空の向こうの世界にはどのようなポケモンがいるのだろう。いや、いや、そのようにほかのことを考えるなど失礼なこと。上の空にならぬよう、彼の目を見据えた。

 

「おはようございます、空からの来訪者さま」

 

 しかし、気はすぐに逸れる。何も考えられないほど寒い。あぁ寒い。体の半身が冷えてならない。まるでひとり分の寒さではないようだ。

 

 決して誰にも気取られませんように。この寒さはきっと誰にも理解されやしないので。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「白ボスぅ……暖房強すぎてみんな参っちまってるんやで……」

「えぇ〜、みんな寒くない? ぼく、すっごい寒い。仕事中、凍死しちゃうね。困るでしょ」

「それは困りますけど白ボス。コートもあるし結構な厚着してんやで。それで凍死するわけありますかい」

「そうかな。わかんないけど、ぼく寒い。職員室に暖房入れる。お客様がいるところはいつも通りだからいいよね。ボスの特権ね」

「横暴やあ!」

「あはは」

 

 カタカタと震える手をさする。今年は雪がよく降ったし、凍える寒さなのは本当。今日だって寒いから出勤してきたみんなはあったかい部屋に入ってきてメガネを真っ白にしたり、ホッとしたりしてる。

 

 でもだんだんみんなは上着を脱ぐからやっぱりちょっと暑いのかも。ぼく寒いのに。

 

 デスクワークをしている時はひざ掛けでもして暖房下げよう。

 

 ぼくひざ掛けなんて持ってないけど。ロッカーを開けて使えそうなものを探していると、腕が引っかかって、ノボリの予備のコートがばさっと落ちた。仕舞いこんでいなかったのは、ぼくが嫌だったから。

 

 ねえ、黒いコートのサブウェイマスターがいなくなってからどれくらい経つの。

 

 わかってる。誰よりも知ってる。今日が何日目なのか。

 

「……」

 

 口角がきゅっと下がりそうになる。なんとか横一文字くらいに押しとどめて、コートを拾った。

 

 黙ってられない。耐えられない。なんてこともなかったみたいに片付けて、見なかったことに出来ないよ。

 

「ねえ、これ着てシングルトレインに乗ったら、みんなびっくりするね」

 

 振り返ってそこにいるはずの鉄道員の誰かに話しかけると、その場はシーンとしてしまって、あぁやっちゃったと思った。そうだよ、こんなこと言われてもなんて返事したらいいのか分かんなくて困っちゃうよね。まだまだ落ち込んでるぼくって腫れ物。わかってるんだ、わかってるのに。

 

 やっぱり寒くて、寒くて、耐えられない。このコートを抱えていると余計寒いなんておかしいな。

 

 いつだってバトルへの興奮を隠しきれずにまくし立てるように喋って喋ってぜーんぶ言いたいことをひとりで言っちゃって。それで最後にぼくが言うことなんてもうないのを知ってるのに「ではクダリ、どうぞ」なんて言っちゃう兄。ぼくは仕方なくいつもの口上だけ言ってバトルを始めるんだ。

 

 いつだってぼくが言いたいこと、先に全部言っちゃうんだ。

 

 でも、ほら、今言っちゃう人はいないから。ぼく、自分で全部言わなきゃいけない。黙っていてもなんとなーくで理解してくれる兄弟はいない。ぼくはボスなんだから、ポケモンたちも同僚たちも困らせちゃいけない。前を向かなきゃ。

 

 いつだって前ばっかり見つめて全力前進していたのはだぁれ。ぼくじゃない。双子なんだからきっとぼくにだってできるはずだよ。ノボリ。そうでしょう。

 

「そうだ、そろそろシングルトレイン、再開しよう。ぼく乗るよ」

 

 でも、隣に立つもう一人のサブウェイマスターを別の人にするのはまだ考えられない。寒くて、寒くて、きっとずっとノボリを諦めるなんて考えられないんだ。

 

 寒くても凍えても前を向かなきゃ。きっと知らない場所でノボリもそうしてる。ならせめてこの場所を護らなきゃ、君は戻ってこないと思ったんだ。

 

 ぼくクダリ、まだ下を向き気味かもだけど、でも、前を向こうとしなくちゃね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゴーリキー、出発進行!」

 

 目と目があったらポケモン勝負。今回はそうではないが、バトルにて分かり合うという意味では似たようなもの。

 

 こちらがポケモンボールを投げるとテルさまも慣れたようにボールを投げた。シンジュ団や、おそらくコンゴウ団でも他に例を見ないポケモントレーナーらしい所作だった。

 

 はて、ポケモントレーナー、とは。そもそも目と目があったらポケモン勝負? そのような言葉を仰っていた人物など存在しないはず。

 

 胸の内から自然と湧き上がってくる言葉の断片こそわたくしが失ってしまった記憶なのでしょう。

 

 テルさまとテンガン山を進んでいるうちにこれまでにないほど記憶の断片が湧き上がってきている。これはそろそろ立ち止まってもいられないということなのか。きっとヒスイにやってきたわたくしにはなにか役割があって、それを果たすべき頃合いなのだ。

 

 闇夜を照らす炎のポケモンや、わたくしによく似た男。焦点は合わず、その姿を記憶の中でさえ窺い知ることはまだ叶わないけれど。きっと彼らは大切な存在。彼らに顔向けするためにも目的地を見失ったからといってぼんやりと停車していることが良いとは言えないでしょう。

 

 バトルの中で何かが定まっていく。没頭の中なら寒さは少しだけ薄れたような。熱く熱く、息を詰めながら堪能するバトルのおかげか。

 

 この地で縁を結んだポケモンたちがなぎ倒されていく。劣勢だというのに胸の高鳴りはむしろどんどん高まっていく。あぁ、彼らと過ごしている間あぁしていればこうしていれば、先ほどの指示はああすべきだった、そのような反省が無限のようにあふれかえってくる。

 

 きっとそれも記憶の断片。かつてのわたくしならばそうしていたということ。牙を抜かれた今のわたくしではできなかった、かつてのわたくしらしさ。どうすべきか、どうすればよりバトルを素晴らしものにできるか。それが手を取るように分かった。もちろん記憶の彼方の状況とは勝手が違うのでしょうが、それでも応用は効くはずだ。

 

 夢のように楽しいバトルから覚める。ここが終着点か。今のわたくしではきっとテルさまに心底満足していただけなかったことだろう。それだけが心残りだが次こそはきっと。皆さまを鍛えあげてお相手して差し上げなくては。腑抜けはこれにて終わり。

 

 これこそわたくしの真骨頂のはず。ポケモンバトルこそわたくしの生きる場所である、これこそが相互理解であり、これこそがヒスイの大地に広めるべき「ポケモンとの歩み方」。きっとこれからはポケモンは恐れるものではなく、あるいはただ崇めるだけではなく、共に歩む友として相棒として進むべきなのだから。

 

 はぁ、と息を吐き出して。久しぶりに、本当に久しぶりに指先まであたたかい血が巡ったようだった。寒さはあったが、ずっとずっと薄れたようだった。

 

 前を向かなくては。ずっとずっと上を見て、前を見ていた気がする。わたくしのそばに「彼ら」はいなくても、記憶がなくてもわたくしはノボリなのだから。自分らしく使命を果たし、自分らしくあることがきっと目的地への進み方なのだ。

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