男の子はこういうのが好きなんだろ、をやりたかった残骸。
つづけたい。
1985年9月21日、双子が生まれた。忌むべき双子。
双子は呪術的には同一人物、つまり一人としてカウントされる。しかし生物学上は当然2人であるため、術式・呪力など呪術的な素養は二分割され、そのほとんどが
例に漏れず、この双子もまた呪術を扱う者としての能力は落第点であった。
海外での発見例はほとんどなく、その99.9%が日本で生まれる呪術師であるが、しかし日本人であっても、呪術師としての素養を持って生まれてくる人間は1%に満たない。
新たな命がふたつ、双方が非術師であったなどはありふれた話であり、むしろ呪術師である方が珍しい。
忌むべきは、自らに流れる禪院の血。
しかしその中に在っては、忌まれるのは彼らであった。
『禪院家に非ずんば呪術師に非ず、呪術師に非ずんば人に非ず』
人間社会における倫理を足蹴にしたこの家訓は、彼らにとっての呪いそのものだった。
罵倒、暴力、陰口、嫌がらせ、その他たくさん。家族の情など知らずに育った。同じ血の流れる自らの片割れこそが唯一掛け値なしに信じられる仲間であり、苦楽を分かち合える友人だった。互いに理解者であった。
呪術師の価値観の下育ったことで、自らの扱いに納得はしていなくとも、諦観の中で受容していた。首輪をはめられ、枷に捕らわれ、家に繋がれて。仕方がなかったのだ、運が悪かったのだと。
家の者がやっている鍛錬の真似事として始めた、暇つぶしがてらの兄弟喧嘩。強くなればあるいは褒められるのではないか、かすかな期待。最初は餓鬼の取っ組み合い程度だったこの喧嘩が、月日を経てより高度になっていく。いつからか、部屋からこっそり眺めていた鍛錬がつまらなくなった。ああ成れば認められるのだろうかと目指した憧憬が、ただの風景へとなり下がった。
彼らの反逆の意思が頭をもたげた。逆境であるからこそか運命か、強く育った体に宿ったそれ。禪院の種、その予備の予備として生かされているこの家で、生まれたころより痛みを受け恨みを募らすだけだったこの家で、ふと退屈が湧いた。
“落ちこぼれ”には不釣り合いなほどに、成長している。この首輪は、枷は、俺たちを押さえつけるには足りなくなっている。革の首輪とナイロンのリードでライオンを飼う人間はいない。よしんばそんな人間がいるとしたなら、ライオンが伏せて待つ理由など、どこにもない。
いつの間にか成長した牙が、解放された反抗期の気の向くままに振るわれた。
禪院甚爾、禪院甚佐。両名が禪院家を出奔。当時15歳、2000年12月31日の寒い冬。20世紀最後の日のことであった。
「甚爾。出る時から考えとったんやけど……」
「ああ。――きっと、同じことを考えてる」
互いに想像していた、禪院を捨てた後。
痛みに泣き叫んでいた幼少期は過ぎ去ったものの、痛みを求める被虐趣味になった覚えはなく。
ヒトとしての本能のままに自らの軛を外し、家を飛び出した先の自由に、ふたり。
でも俺たちは、2人でいる限りは禪院甚爾と禪院甚佐だから。そうあってしまうから。
「じゃあな、甚佐」
「お別れや、甚爾。……けど。最後に、やりたいことがある」
「あ……?」
15年の内で1番の自由を享受しながら、求めた自由にはまだ遠いという背反。2人は未だ禪院の落伍者。
最後に我が身を禪院たらしめるもの、それは自らの片割れ、同じ顔をしたもうひとり。
あの地獄に在って、お互いの存在こそが彼らを禪院甚爾として生かし、禪院甚佐として生かした。
2人をつなぐ絆は惜しいけど、互いを断ち切った先に求めた自由がある。ただの甚爾と甚佐となり、自由に世界を駆け回れる。
「お互い全力の兄弟喧嘩をしたい。――どっちが上か、決めたないか?」
「どう考えたって俺が勝ち越してる、話になんねえよ」
「そんな冗談
「……遊んでやるよ。来い」
同日、禪院本邸から数km離れた比叡山山中の森林半径30mの消失を確認。残穢より禪院甚佐による破壊活動と断定。動機、目的は不明。人的被害がないことからこれ以上の調査は不要と判断。事後処理の費用を禪院家に請求。禪院甚佐の処遇は禪院家預かりとし、以後呪術本部はこの件について無干渉とする。
勝敗を知るものは、この世にふたり。
全ての物書きを尊敬しながら書いています。