深爪、腰痛、タンスの角に小指をぶつける。ちょっとでも喜んでしまうとこんな目に遭ってしまう彼女は、男達を遠ざけていたが、何故か周りからは厳格さと受け止められてしまっていた。
そんな彼女にある一人の男が現れる。「私は皆を救う貴方を救いたいのです」
小説家になろうの方にも投稿しております。
「聖女マルグリット様! どうか、私の息子を助けて下さい!」
涙を流す女性の腕には、グッタリとした男の子が抱かれていました。呼吸も荒く、苦しんでいる様子がヒシヒシと伝わってきます。手を差し伸べない理由がありません。私は宣誓を立てて、施しを与える準備をします。
「主よ。彼の者達から苦しみを取り除いてくれますように」
目の前の二人に光が降り注ぎます。すると、男の子の顔からは熱が引いて行き、苦しみが取り除かれて行く様子が伝わってきます。
「嗚呼! マルグリット様! ありがとうございます!」
「暫くは安静にして、滋養のある物を食すように」
母親が何度も頭を下げます。また、男子も薄っすらと瞳を開け、微笑みながら言いました。
「マルグリット様。ありがとうございます」
瞬間、ビキリと腰に痛みが走ります。悲鳴が漏れそうになりましたが、聖女としての威厳を崩す訳には行かないので、無理やり笑顔を作りながら言いました。
「当然のことをしたまでです」
帰って行く親子の背中を見守り、いなくなったことを確認して、私は崩れ落ちました。周りの者達が駆けつけて来ます。
「マルグリット様! 今度は何処を!?」
「腰が!!」
「誰か! マルグリット様を介抱する為の準備を!」
手慣れた様子で周りの者達が治療の準備を進めてくれます。私、マルグリットは、主から施しと言う奇跡を賜った身。即ち、この身の全ては彼の物であり……少しでも浮気判定が出ると、今の様な折檻を食らうのです。
「マルグリット様。もう、隠居しましょうよ。貴方は、既に沢山の人を助けて来ました。その度に、足の小指をぶつけたり、深爪したり、鼻血出したり……。これ以上やると死んじゃいますよ!?」
弟子のクレアが悲痛な声を上げました。確かに、私は男性に施しを行う度に悲劇に見舞われて来ましたが、自分の痛みが原因で聖女を辞める程度ならば、最初からやっていません。
「ありがとう。でも、私は人々を助けるために聖女になったの。人々の希望とも言える私が、多少の痛みに音を上げるなんてありえない」
「マルグリット様」
腰がジンジンと痛むので、寝転びながら恰好を付けても様にはならないのですが、私の決意はしっかりと伝わったようです。
「分かりました! 私! マルグリット様の覚悟を見届けます! 小指をぶつけたら冷やしますし! 深爪したら冷やしますし! 腰を痛めたら冷やします!」
「冷やす以外に治療のアイテムが無いんですか?」
ひょっとしたら、その内。怪我をしない様に氷漬けにされるかもしれないので、彼女から受け取るのは厚意だけにしておきましょう。
と、まぁ。私の評判は国内のみならず隣国にまで響いている様で、この能力を求めて、高貴な方達がプロポーズに来られることも珍しくはありません。
「嗚呼! マルグリット。今日の君は美しい!」
「じゃあ、昨日は美しくなかったんですか?」
「いや、何時でも美しい! だから、僕の傍に来てくれないか?」
「昨日はどうだったんですか?」
なので、用もないのに来られる方はこっぴどく振ることにしています。一度だけ満更でもない態度を取ったら、全身筋肉痛に加えて熱が上がり、腰に激痛が走り腹も下すと言う地獄を見せられたことがありました。
「僕は、今病んでいるのさ。何処が悪いか、言い当ててくれないかい?」
「頭ですかね?」
縁談を蹴ると言うのは身の安全の為なのですが、何故か周囲には違った風に見えているらしく。
「マルグリット様は権力に媚びない、本当の聖女だ」
「自分の幸せよりも、皆の幸せを願うだなんて。こんなこと、彼女しか出来ない」
名声が高まると、人々がドンドンやって来る。加えて、諸外国のお偉いさん達も『誰にも靡かない聖女を落として見せる!』ということで、常に人が詰めかけている状態となっています。
加えて、都合の悪いことは連続で起きるらしく。私がこっぴどく振った相手が『あの女は酷い奴だ!』と諦めてくれたら、まだ良いのですが。
「やぁ、また来たよ! 本当は俺の気を引きたくて、あんな意地悪を言ったんだろう? 大丈夫、俺には分かっているから!」
理解のある彼君を自称する変質者が溢れかえることになりました。こうなってしまっては無敵です。何を言っても通用しません。施しでも、どうしようもない部分です。
「クレア。これはきっと、私の根性を試す試練だと受け取りました。この程度の妨害で、私の信念を止められるとは思わない事ですわね!!」
「今、患部を冷やしているので動かないで下さいね」
純朴な青年の『ありがとう』と言う感謝が私の琴線に触れると同時に、主の堪忍袋をぶち破ってしまった為、タンス小指をぶつけたついでに爪が割れました。痛くて飛び退いたら、転んで膝を強打して二重に痛くて、マジで泣きました。
満身創痍の日々が続いた中で、運命と言うのは突然訪れる物で。今日来たのは、隣国の王子でした。
「今日はどういった、ご用件でしょうか?」
「聖女、マルグリット。この度は、我が国の民達を助けてくれたことに感謝したい。国を代表して、私『レガスタ・イルス』が礼を言う」
「そうですか」
謝辞を受け取りつつも、心の中は警戒心に満たされています。感謝するという口実の下、私へとプロポーズをしに来た男性は数知れません。
「ついては、私は貴方に恩を返したく。こちらの宝物を持って来た」
彼が連れの者へと出させた宝箱の中には翡翠色のオーブが入っていました。私は目を見開き、それを手に取ります。
「これは、キュアストーン?」
「そう、施しと同じ奇跡が収められた魔法道具です。私は思っていたのです。皆を癒してくれる聖女のことは、誰が癒してくれるのかと?」
普段は追い返すような会話をする事が多い私ですが、思わず耳を傾けてしまいました。人々は私に聖女であることを期待し、高貴な者達は私に聖女としての価値を求める一方、こんなことを言われたのは初めてだったからです。
「自分で治せるとは考えなくて?」
「でしたら、そのように足を引きずる真似はしますまい」
よく見ている方です。しかし、特に求められることもないのなら、私がするべき対応は至極簡単な物です。
「ありがとうございます」
「では、私はこれで」
ただ、感謝を述べるだけ。業務に差し支える様な真似をすることは無く、彼らは真っすぐに帰ってくれました。
それからも、時折足を運んでくれては、疲労回復に最適な果実や、寝心地の良いベッド等、私が本当に必要な物を持って来てくれました。
「はぁ……」
「大丈夫ですか? 冷やしますか?」
どうして、彼は何も言わずに此処までしてくれるのでしょうか。王子としての責任感でしょうか? それとも……、と考えましたが頭を振りました。私は主に仕える聖女。自分の幸せを求める訳には行かないのです。
「そうね、とりあえず冷やし貰えるかしら」
「階段から転げ落ちた先で脛を打って、顔面をぶつけるとか。これ以上、状態が悪化したら本当に死にかねないので、気が気じゃありませんよ」
既に私も死にかけと言うか、明日にでも死にそうな位に主のお怒りを受けているので、自分の幸せを求めた瞬間。人生まで終わりそうな気がします。
それでも! 愚かな私の心は、この蟠りを抱えておくことが出来ずに、彼の顔を見て、遂に尋ねてしまったのです。
「レガスタ様。どうして、貴方はここまでして下さるのですか?」
「私は、皆を救う貴方を救いたいんです。……いえ、恰好を付けることは止めましょう。私は貴方を、この手で幸せにしたいのです」
胸が痛みました。比喩的な意味ではなく、本当に呼吸が止まるほどの痛みです。堪らず、その場で崩れ落ちました。
「マルグリット殿!?」
「近寄らないで下さい!」
クレアが叫んでいる姿が見えます。ですが、こうなるのも当然です。私は彼の言葉を聞いた瞬間、皆の幸せよりも自分の幸せを願ってしまったのです。
このまま天に召される。のではなく、何処にも行けないまま彷徨うのでしょうか? そんなことを考えていると、視界の端でレガスタ様が号令を出しているのが見えました。
「聞いたか! 後で幾らでも賠償はすればいい! この国の宝物庫をひっくり返せ! 貴族の貯蔵庫を探らせろ! マルグリット殿を助けるために全力を尽くせ!!」
彼は身に着けていた豪奢な鎧も何もかもを渡して、使いの者達を走らせました。王子にとっての装具がどれほどの価値があるか、私には想像も付かない世界です。
「どうして?」
「私が、貴方を助けると決めたからだ」
次から次へと魔法具が運び出されて来て、随時試されて行きます。いきなりよくなるということもありませんでしたが、彼らの生きて欲しいという願いが、私を死と言う運命から遠ざけて行くようです。
「マルグリット様。頑張ってください!」
「マルグリット殿!!」
呼び掛けが、涙が、私の中から何かを抜き取って行くようです。なんとなくわかります。
きっと、これは聖女である私か、マルグリットである私のどちらを選べということでしょう。後は私次第。どちらを選ぶかは言うまでもありません。
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「それで、弟子のクレアは何故かやたらと冷やそうとして来るのです」
昼時、中庭で歓談をしつつ散歩をしていると、会話が楽しくて前を見ることを忘れてしまいました。足元の腰に躓いて、前のめりになってしまいます。ですが、転ぶことはありませんでした。
「大丈夫か?」
「ありがとうございます」
レガスタ様が私を支えてくれたからです。今の私は聖女ではなく、彼の妻となっています。
あの時、死の淵から覚めた私はただの人間に戻っていました。国としても扱いに困っていた私は、あっと言う間に貰われ結婚して……という流れです。
「怪我をすることには慣れないで欲しい」
「は、はい」
こうして、誰かに思われるということは悪くはない物です。一人の人間としての幸せを求め、願うことは聖女であった頃には恥ずべきことだと思っていました。自分の幸せを願った時から、聖女としてのマルグリットは死んだのでしょう。
「それと、何かしたいことはあるか?」
「うーん。そうですね。とりあえず、困っている人を助けてみたいですね」
これからは、ただのマルグリットとしての人生。施しと言う奇跡も自身も無いけれど、私だけの生き方が始まる。