ボクがいつも見る悪夢は、ずっと同じ結末だ。
お父さんもお母さんも神様でさえもボクの事なんて愛してくれず、褒めもくれず、認めもくれず、孤独で死ぬ夢。
「ボクは……幸せになりたかっただけなのに」
今度は真上に空いた白鯨の穴を眺めながら、ボクはかろうじて立ち上がる。
「行かなくちゃ……。せめて死ぬなら……」
そして全身から血しぶきを挙げるボクは朦朧とした意識のまま、貨物エレベーターに乗り込む。
「……あれ、ボクの予想と大分違ってる」
死の間際、たどり着いたのは多分、鯨の背に位置するであろう甲板搬入口。
だが其処にはボス、中島、そして芥川の三人が全員倒れている光景が広がっていた。
「……はあ、はあ、本当に限界だ。予想外の連戦があってのこれは……。まだ、白鯨を止める術も無いのに」
ギリギリの状態で中島はどうにか足掻き出すが、一歩たりとも動けずにいた。
しかもボスと芥川に至っては、一ミリも動けずに気絶している。
それ程の死闘が行われていたと言うのは、周囲の瓦礫具合を見ただけで分かる。
「……駄目だ。このままじゃ、白鯨は横浜に落ちる……!」
分かりやすく言えば、かなり切羽詰まっている状況という訳だ。
「……大丈夫。ボクに方法が……あるから」
そう息巻いて、ボクは自分に刺さった針を無理やり抜く。
そして中島達の居る付近にまで、近寄ってみせる。
「君は、どうして此処に……?」
「ボクは……ギルドの目的なんてどうでも良いんだ。それに……もう、横浜も思い出の土地だし」
「は、早く、話してる暇は無いんだ。……此処から逃げないと……」
「だから、せめて死ぬなら……大切な人達を救って死にたい」
今回の白鯨の戦いで、ボクはようやく気付けた。
「ボクは……ずっと一人だと思ってた。でも、違った。ずっと孤独じゃなかった。それも、既に愛されていたんだ」
ボクは震えの無い手をボスに伸ばす。
「……まさか、死ぬ間際に気付くなんて……ごめんなさい、ボス。ごめんなさい、中島君」
「もう……僕なら、大丈夫だから。だから、死ぬだなんて……駄目だ。約束したじゃないか……茶漬けを一緒に食べようって」
しかし中島君の言葉を無視して、ボクは胸から出した針を白鯨へ刺し込む。
「流石にこの大きさだから……完全に干渉出来ない訳じゃない。あくまでも、干渉しにくくなる程度。でも……重力や浮力を利用して、落とす位置を海にずらす事は出来る」
「でも、それじゃあ君は……」
中島君が心配する通り、ボクが干渉できない力を指定出来る条件は針が直接、ボクに触れる事。
「分かってると思うけど、ボクはずっと針に触れないといけないから……白鯨から離れられない。さあ、君達の方こそ逃げて」
「そ、そんな……駄目だ、駄目だって」
悲痛な中島の声が、ボクの心へそのまま突き刺さる。
「……まだ、助かる道はあるかもしれないから……考え直して……」
するといきなりボクはまだ所持していた他の針を、近場に眠る芥川君とボスにそれぞれ刺し始める。
「まあ、その怪我じゃ逃げるのは無理……か。なら、せめて……ボクの針で、君達を沈む衝撃に耐えられる様にすれば」
「……君を、一人には、させ……ない」
「あとは、針を抜く作業。それは……他のお友達にやってあげて。大丈夫……皆には、助けに来てくれる人がいるから。……ボクにはきっと、誰も助けに来ないだろうけど。今までの報いかな」
「……」
「ありがとう、中島君」
そして彼もまた、静かに眠る。
ボクはその反応を見て、ゆっくり針を彼の身体に刺し込んだ。
「それじゃあ……三人と白鯨にボクが直接、針に触れた状態にしないと」
と言う訳でボクは眠る三人を、上手い具合に三角形(トライアングル)の形状を保てる様に移動させる。
「よし……この三角形の真ん中で眠れば、ボクは全員に触れられる。……ちょっと距離感が近いけど、最期だから……許してね」
そしてボクは、三角形の窪みで横になってうずくまる態勢を取る。
こうする事でボクは三人+白鯨に直接、針で触れられると言う寸法だ。
しかし自分の想いなんて知らずに、彼等の身体は徐々に筋力が干渉出来ない状態、硬直化が開始される。
――ヘッセ君はこの遠征の鍵だ。
「ボス。きっと計画を壊したボクを許さないだろうけど……嫌いになった訳じゃないよ」
――貴様は不快だ。
「芥川君。ボクは君の言う通り、愚か者だった。……もっと、身の回りの大切な人を見てあげるべきだった。それを……伝えたかったどうかは分からないけど」
――だって、僕は君の友達……だから。
「ああ……茶漬けの匂いがする。これは……中島君かな」
「……そう言えば、中島君は最期までボクの名前知らなかったよね。……ボクはヘルマン・ヘッセって言うんだ」
「……あー、なんでボクはもっと早く君達に……出会えなかったんだろ」
そして最後にボクは、本を持つ君の後ろ姿を思い浮かべる。
「ははっ……幸せに気付いた途端に、死ぬなんてね。これも……ボクらしいか。ボク以外が幸せになる、ハッピーエンド。そう、これで良いんだ」
物語は常にハッピーエンドで迎えなければならない。
それが例え、ボクが死ぬ事になっても――。
「楽しかったな、横浜遠征。此処なら、一人ぼっちでも良いや」
時は夕焼け、ボクはたった一人きりだ。
まるで世界にボクが一人だけ、取り残された様な気分だ。
でも――もう、寂しくない。
「うん、これが唯一にして最高の結末」
そしてボクが乗っていた白鯨は、大きな波を立てて海に還る。
――こうしてボクの物語は、静かに幕を閉じようとしていた。
果たしてこの結末が、苦いビターエンドか甘いハッピーエンドかは誰にも分からない。
でも、これだけは分かる。
ボクはあれから、あの苦いコーヒーを飲める様になったって事。
「結末を迎えるには、まだ早いであるな。ヘッセ君」
「……え、え?」
時は少しだけ遡る。
「全く……折角、ヘッセ君の為に極上のミステリー小説を書いたと言うのに。読まずに死のうとするのかね、君は」
眠っていたボクの視界には、いないと思っていたポオの姿があった。
「……ど、どうして……此処に? 乱歩君の方に行っていたはずじゃ……。幻覚?」
「まあ、それは一旦置いておくであるぞ。ただ……君の小説の結末作りに難航して、こんな瀬戸際になってしまったのは申し訳ない限りだ。……まさか、執筆に集中しすぎて外がこんな事になってるとは思いもよらなかった」
「……ポ、ポオさん」
ボクはそう掠れた声で言いながら、最後の力を振り絞って立つ。
「君は言っていたであるな。物語の結末は常にハッピーエンドで迎えなければならない。と」
すると突如として強烈な海風が、ボクとポオに襲い掛かる。
「ま、前にもこんな事があった気が」
しかし前髪が上がったポオの瞳は、真っすぐボクを見ていた。
「我輩もそう思う。やはり、迎える結末はハッピーエンドの方が良い。だから……帰るであるぞ。一緒に」
そう言ってポオは、ボクに優しく手を差し伸べてみせる。
「こんな、ボクで……良いの。し、幸せになっても……良いの……?」
ボクはその優しさに、ただただ心の底から泣きじゃくる事しか出来なかった。
「では、このまま白鯨の上で君の為に小説を読み聞かせるのも乙であるが……沈み切る前に、我輩の小説世界に避難しようではないか。ボスを始めとした、他の三人も入れておくぞ」
そしてボクが乗っていた白鯨は、大きな波を立てて海に還る。
それに合わせて、針が付いた一冊の小説が地上の港へ舞い降りる。
「ほうほう……運良く、地面に叩き付けられて良かったねぇ。これで損傷も無いんだから凄いもんだ。まあ……僕の【超推理】なら、どこに落ちたかなんて直ぐに予測できるんだけど」
そう言って一人の眼鏡を付けた少年こと江戸川乱歩は、その本を手に取る――。
「まさか、このラストの為に僕に勝負を仕掛けるとは……。中々、ロマンチストじゃないか」
――こうしてこのボクの物語も、本当に幕を閉じようとしていた。
でも今のボクなら、苦いビターエンドも甘いハッピーエンドも全て受け入れられるだろう。
だってボクはあれから、あの苦いコーヒーを飲める様になったんだから。
「うぐっ……だ、大丈夫だから。本当にあの、強がりじゃないから。コーヒー飲めるから」
「……ゆっくりでいいであるぞ。ああ、一気飲みはするでないぞ」
「う、うん。分かった。と言うか、あの……このボクに書いた小説、全然ハッピーエンドじゃないんだけど」
「何故だ、重厚且つ難解な硬派ミステリーでは無いか」
「ボク、ミステリー嫌いだもん。何か、人死ぬ時点で嫌だもん。バッドエンドだもん」
「ミステリーをそう言う視点で見るのは、ナンセンスの極みな気がするが……。それよりも大ファンなのに、我輩の小説読んでないのであるか……!?」
「ボクがファンなのは、ポオさんの人柄と言う事で……。う、嘘じゃないよ。一応」
「我輩……もしや、君に小説書く必要性無かったんじゃないか。これでは乱歩君に顔向け出来ぬぞ……!」
「そ、そんな事言うの……!?」
「いや、だって……」
――だって、隣にボクの友達が居るんだから。
どんな悲劇も、苦痛も、現実も、乗り越えてみせる。
文豪ストレイドッグス~少年の日の思い出~完。
これでヘッセの物語は完結となります!今までご愛読ありがとうございました!
エピローグも書く予定でしたがなんか良い感じに終わった気がするのでこの後、ヘッセがどうなったのかはご想像にお任せします。
個人的にヘッセは、中島君に頭擦り切れるくらいめっちゃ謝ってほしいと思ってます。