それは、今まで感じた事の無い味の幸せ。
ただ、甘いだけじゃない幸せ。
本当に永遠に続いて欲しいと思った幸せ。
「……え?」
しかし残念ながらボクとポオさんのほろ苦横浜探訪は、そう長くは続かなかった。
横浜中に響くのは悲鳴、衝突、黒煙、喧騒。
特に目立つのは、眼から血を走らせる民衆。
すっかりボク達の身の回りは、地獄絵図と言うに相応しい異様な光景に変わり果ててしまった。
「そうか。すっかり乱歩君の探訪で忘れていたが……これはボスの緊急プランと言う奴であるな」
そう意外にも冷静に呟きながら、ポオは缶コーヒーを飲み終えて今の状況を分析する。
「そう言えば、ボスが何か言ってた様な……。内容は全然聞かされなかったけど」
「まあ……君は負傷中だから、どう足掻いても参加は出来なかっただろうがね。我輩は……そもそも興味が無い。だが、これはチャンスであるぞ。我々はゆっくりコーヒーを飲むだけで、炙り出せるかもしれない。芥川君と乱歩君を」
「う……うん、このレベルの騒ぎなら出て来るはずだろうけど……」
横浜中がギルドによって大混乱に陥っていると知れば、ポートマフィアと探偵社は罠でも何かしらの動きは見せるであろう、と咄嗟ながら予想してみる。
「では……武装探偵社に行くであるぞ」
「え、でも場所すら……」
「この状況なら、探偵達に助けを求めるべく本社の場所を聞く者も多いであろう。つまり、君が聞き込みに最も適した状況と言っても良いであるな。さらにこれに乗じて、芥川君を始めとしたマフィア連中も探偵社に殴り込んでいる可能性もあり得る」
先程まで聞き込みで、たじろいでいたポオとは思えない推理力を見せる。
「それは分かったし、かっこよく言ってるけど……聞き込みするのは包帯まみれのボクなんだね」
「当たり前であろう。我輩はカールを愛でると言う大切な仕事があり……」
「ふ、ふふ……そうだね。じゃあ、行ってくるよ」
そしてボクの聞き込みによって、あっさりと武装探偵社の居場所は判明。
まるで親友の家に行くかの様な軽い足取りで、その探偵社の前まで実際に来てみた。
「……おお、これは運命であるか!まさか、探偵社と喫茶店が同じビルに設置されているとは。いやはや、粋なセンスであるな」
そう言いながらポオは、ボクを置き去りにする様に一階にある喫茶店へ真っ先に入る。
内装はこれまた横浜に合わせたお洒落モダンな雰囲気に満ちており、奥の奥まで手入れが行き届いている程に店は小綺麗だった。
「流石にマスターは居ない、か。しかしこのテーブル席には、直前まで飲んでいたであろうコーヒーが幾つかあるが……?」
しかし、そう言うポオの顔は一瞬で強張る。
「でも……ボクの会いたい人は居たね」
ボクの視線の先には芥川が一人、カウンター席で湯気の立ったコーヒーを嗜んでいた。
「気配を感じると勘ぐったが……まさか、客船に居た餓鬼とは」
「いやはや、探偵社を聞き込みしておいて正解であったな。でも、我輩は外れか。乱歩君では無い」
「奇遇だな、僕(やつがれ)の方も外れだ。……僕の邪魔をする弱者は、死んで道を譲れ……!」
そう嫌悪染みた言葉をコーヒーと一緒に吐き捨てながら立ち上がり、芥川はさらに一言呟く。
――羅生門。
その単語にボクは、今まで足りなかったジグソーパズルの最後のピースが見つかった時の様にテンションが一気に上がった。
だって、再び現れたあの【何か】を名前で呼べるのだから。
「ふ、ふふ……。今、この瞬間……世界は、ボク達三人しかいない感じがして……とても好きだよ」
騒々しい夕暮れ時にも拘らず、探偵社前の人通りは皆無。
皆、一通り暴れ回ってどこかに消えてしまったのか。
それとも、探偵社やポートマフィア、ボスが率いるギルドが何かしらの動きを見せたのか。
「……餓鬼の戯言に、付き合う暇は無い。こうして対話を設ける時間すら虫唾が走る……!」
そう言って芥川は、開き切った瞳孔をこちらに見せる。
しかし、直ぐには羅生門をボクやポオの元に寄こす事は無かった。
「そうだよね、ボクは芥川君の事分かってるんだから。何で、羅生門に貫かれたはずのボクが直ぐに動けるか……。そう、考えてるんでしょ。まあ、今は包帯まみれだけど」
「僕は様子見に徹しているのみ。だが何故だ。……何故僕は、貴様を殺し損ねたのか」
「ううん、そんな物騒な事無理に考えなくても……良い。芥川君も、ボクの針に身を委ねれば……幸せになれるから」
そしてボクは服の中から、上手い具合で針を大量に打ち込まれた手榴弾、通称イガグリ爆弾を芥川に掲げる。
無論、梶井の檸檬爆弾を元にアイディアを膨らませた新武器だ。
「先程、自室で針を制作していたのは見ていたが……まさか、爆弾を造り上げていたとはな。……さて、我輩とカールは一旦、外に出ていよう。少し調べたい事がある」
「え、え……? 一緒に戦ってくれないの」
ボクはてっきり、ポオと二人体制で芥川を追い詰めるつもりで居た為、思わず間の抜けた声が出る。
「我輩が見た限り、芥川君が敵襲しているのに対して……この喫茶店や付近が一切荒らされていないのだ。その時点で探偵社がもぬけの殻と言うのは、簡単に推測出来る。我輩が此処に居る理由はほぼ無いであろう」
「で、でも……」
「ヘッセ君は新人だが、ボスに期待される程に強いのは我輩、理解している。それに、ほら……我輩は心の読める作家であろう? 君達二人の時間を造ってあげようと言う素晴らしい心配りでは無いか。……では、そちらが上手く行く事を祈っているぞ」
そう言い残してポオは、乱歩君を追う為に喫茶店の外へ出てしまいそうになる。
「ちょ、ちょっと……」
ボクは振り子の様に、佇む芥川の方向と立ち去るポオの方向を向き直し続けてしまう。
『いっその事、二人とも針で刺せば良いよ。いつもみたいにね。どうせ、皆ボクが劣等でつまらなくてグズなのを知って、逃げ出しちゃうんだから。と言うか、最初からそうする算段だったでしょ』
激しい動揺から、ボクの頭には短絡的な思考が思い浮かぶ。
『そもそも、ポオだって理想のハッピーエンドだかの小説なんか待たずにさっさと刺せば良かったんだ。刺せば、全部ボクの思い通りになるんだから』
「違う、違うんだ。そんな事をしたら、折角のコーヒーみたいな幸せが消えて……」
しかし妙な言動を見せるボクに痺れを切らしたのか、芥川は突然ボクの胸倉を掴む。
「貴様、戦意が無いのならば邪魔だ。即刻、消え失せろ。それとも……この探偵社について、何か知っているのか?」
「あ、あ……」
ボクは息が荒れる程に慌ててしまい、掲げていた手榴弾のピンを思わず弾いてしまう。
すると秒刻みすらままならない程の速度で、数多の針はボクと芥川に襲い掛かる。
「……僕の羅生門の前には無力」
すると羅生門は身を護るが如く、何度も折り重なっては芥川の障壁と化す。
これにより、針の攻撃をものの見事に全て遮断してしまった。
一方のボクはと言うと、爆弾から飛び散った大量の針が全身と言う全身を刺し貫かれていた。
「貴様……いきなり自爆とは何のつもりだ。僕にとってはこの程度、霧雨と同等だがな。早速貴様を……?」
しかし彼はそれを言い終える前に、羅生門の様子がおかしい事に気付く。
数多の針に刺された羅生門は萎えてしまった様に、動きがすこぶる鈍くなる。
「まさか……貴様の針は、異能も干渉しない様に出来るのか。その為だけに、自爆を……!」
だが正直、このイガグリ爆弾はかなりギャンブル要素が強い。
前にも言ったけど、針が干渉出来なくさせる力は完全ランダム。なので大量の針を爆破で効率的に刺す事で、自分の思った不干渉を無理やり出すと言う荒業だ。
「……」
すると、今まで怒涛の様に叫んでいた芥川は途端に黙ってしまう。
「な、なに?」
「……奇しくも、太宰さんの異能と似ているか。だが、まるで違う。格、質、存在そのものが全てにおいてまるで違う」
「……だ、だざい? え、まさか……ポオさんみたいに、君にも居るの。他の奴が」
「それが非常に、腹立たしい。貴様ごときが……!」
芥川は無理やり鈍った羅生門を二本ほど触手の様に突き動かして、ボクの頭部へ駆け寄る。
しかし針まみれのボクはそんな拒否反応にめげる事無く、身体の小ささを活かした動きで羅生門の攻撃をなんとか避けていく。
「ほう、暗殺術の心得を持っているか。だが未熟が故か自爆が故か、動きが乱れているのが分かる。……その程度の気概で僕が止まると思うな!」
「はあ、はあ……。どうしよ、どうしよ」
しかしボクの視界は足元から真っ暗に無くなってしまうかの様に、精神、そして身体も揺らいでいた。
勿論、理由はボクのお気に入りである芥川とポオの二人にそれぞれ、別のお気に入りが居たから。
「ボクは皆と幸せになりたいだけ……。だったら、最初から針で打てば全部解決した……。でも、それをしなかったのは……」
するとボクの調子がおかしい事に気付いたのか、芥川は突然、ボクに質問を投げかける。
「……貴様、僕を舐めているのか。何故、手を抜く」
「え、え……?」
まさか芥川は、ボクがポオや君について迷っている事を察してくれたのか。
「針を刺した時に精神力でも何でも構わぬ、何故意識を干渉させなかった。僕の意識さえ奪ってしまえば、それで決着は付いたはずだが……?」
その彼のあまりに淡泊な問いに、ボクは思わず乾いた笑いが出る。
どうやら芥川は、ボクの精神なんかよりボクの異能について調子がおかしいと思っている様だ。
「は、はは……。君もボクの異能だけしか……見てない。ボクは、ボクは、誰も見てくれない……」
するとこの言葉を返答と見た芥川は、針に刺された羅生門の一部を空間ごと切り抜いてしまう。
「太宰さんと能力が酷似していた故、気になってみればこの程度か。力の細かな指定も叶わぬ程の愚か者を相手にしていたとは……」
ただし彼の言っている事が、間違っている訳では無い。
イガグリ爆弾なんてものを造っている通り、ボクの針はどの力を干渉出来ない様にするかまでは指定出来ない。
そしてその事について、芥川はかなり激高している様子だった。
「この様な針など、空間ごと喰らえば無意味。貴様はもう……不要だ。失せろ。二度と僕の前に姿を表すな」
そして本領発揮と言わんばかりに、芥川の羅生門は数多の触手を展開する。
「あれ……思ってたのと、違うな。……なんでだろ。何で、皆ボクを拒否するんだ……」
――羅生門・顎。
太宰さんとか。乱歩君とか。何でボクのお気に入りは、別の泥棒猫に持ってかれてしまうのだろう。
なんでだろ。僕の方が全てを愛せる自信があるのに。幸せに出来る自信があるのに。
他の人に行ったところで、幸せになんてなれないだろうに。
ボクは必ず、勝てない。
どんな勝ち戦も、いつも誰かに持ち去られる。
――貴様は、不快だ。
ボクは血まみれのままボロ雑巾の様に、探偵社の前に置かれていた。
芥川は上空から何かが見えたらしく、どこかへ消えてしまった様だ。
「……ポオさんも来ない、か」
ボクは、たった一人の世界に置き去りにされた様な気分だった。
さっきまで三人だけの世界で楽しんでいたのに、ボクを置いていなくなってしまった。
喫茶店から漂うコーヒーの匂いも、今ではただ虚しさを引き立たせるだけ。
「……」
そしてボクの心の中には、二文字の言葉が浮き沈みしていた。
それは――孤独。