『ポオ君は探偵社の付近で、ミスターエードガーを見つけたらしい。つまり……俺にも今、彼の行方は分からないと言う事だ』
ボクは夜の横浜の地で一人、佇んでいた。
包帯まみれの身体はさらに、包帯に次ぐ包帯でぐるぐる巻き。かろうじて動ける程度だ。
しかもボクの胸の一部分には、今でも一本の針が深く刺さって抜く事が出来なかった。
そう、つい先程言われたボスの発言と一緒にボクの心には一本、針が刺さっている。
「救いなのは……ボクのダメージが不干渉になる能力が発動してるってこと。つまり、今は……何も痛くない。身体も心も」
だからあえてその針は、なるべく抜けない様に晒されない様に見えない様に、ボクの奥深くまでしまい込む。
ただしボクの異能はダメージを防げても、傷を癒せる訳では無い。
なので、こうした怪我の措置は必要不可欠。
だがこんな刺し傷など、日常茶飯事だ。
どちらかと言うとボクは今、心の方の傷を負っていた。
だから一人になりたくて、ボクは七色に光る観覧車が目立つ夜景を眺める。
「……どこからだっけ。ボクの人生が上手く行かなくなったのって」
ボクは、老舗の銀細工師の家系だった。銀細工の技術も幼少期から精巧と評判で、それでいて異能力者。
この時は特に挫折なんて縁すら無かったほどに、上手く行っていた。
しかし家族からは、悪い意味で依存されていた。さらにそれに加速していつしか、ボクの事を神の子とか、神の才能の持つ者とか、変に囃し立て始めてしまった。
ボクはただ、お父さんやお母さんに褒められたくて、愛されたくて、認められたくて、努力しただけなのに。
だからボクはちょっと気の迷いで、家族を置いて家出をした。
ただ、ボクは家族が好きだ。銀細工の技術を磨き続けたのも家族の為だし、少し時間が経ったら戻るつもりで居た。
そう、ほんのちょっとの反抗に過ぎなかった。子供の頃によくあった様な。きっと、大人になれば笑い話になる様な。
――でもボクの家族は……お父さんとお母さんは、心中して死んだ。
どうやら、ボクがいない人生なんて意味が無いと絶望したらしい。
ボクの事を一切、探しもしないで。
「ボクの人生にはいつも、不幸が付きまとう。だからそれを変えたくて……」
だがそう言うボクの腕は、血で滲んだ包帯で覆われていた。
「芥川君はボクの能力が強くなれば、見てくれると思って……ずっと夜まで鍛錬してたけど……。もう駄目かも。ボクは……ずっと一人なんだ」
ボクの唇は、勝手に震える。
怯えか恐怖か、それとも……孤独からか。
「大丈夫、ですか? このままだと、雨に濡れるんじゃ……」
そんな時、こんなボクを心配して一人の青年が優しく話しかける。
「あ、雨……?」
いつの間にか、横浜は霧雨に景色を染めていた。折角の夜景もこれでは台無しだ。
「ええっと……いきなり話しかけても困りますよね。でも凄く、落ち込んでいる様に見えて……。死んでしまうんじゃないかって思うほどに。いや、これは悪い意味じゃなくて……!」
ボクは、慌てて何かを呟きながら戸惑う彼を知っていた。
彼の名前は――中島敦。
ギルドと敵対関係にある、武装探偵社の一員だ。情報によると、ボクと同じく新人の部類らしい。
霧雨越しからでも分かる、髪型の乱れ具合が特徴的だ。
「えっと、な……何が目的なの」
この状況は誰であろうと、敵であるボクを狙った襲撃としか考えないだろう。
だけど中島の返答は、少々変わったものだった。
「何か、悩んでるなら……僕で良ければ話、聞きますよ。……何も変わらないかもしれないけど」
そしてボクも、つぐつぐ変わり者だと思う。
突然敵から差し伸べられた怪しさ満点の優しさに、ボクはあえて乗ってやろうと考えたんだから。
「……うん、いいよ。してあげる」
だって嘘でも罠でも何でも、誰かの温もりに触れていたかったから。
「それじゃあ……美味しい茶漬けが食べられる所を知ってるんです。まずは其処に雨宿り、行きましょう」
場面は変わって、ボクと中島は昔ながらの和風で居心地が良い飯処に来店していた。
目の前のテーブル席には、一杯の茶漬け。
しかしボクはそれに手を付けず、悩みを打ち明ける。
「……ボクは、誰からも愛されていない。いくらボクが愛そうとも、誰も見向きもしてくれない。それを居心地悪い顔で捨て吐いていくだけ。それで、ボクは……ずっと孤独のまま、生きていくのかなって」
ボク自身でも思いもよらぬ程、初対面の中島に本音が漏れ出てしまう。
それだけ、最近の目まぐるしい環境の変化に疲弊しきっていたのだろうか。
幸せを欲しても誰も手に入れられないどころか、ずっと不幸だらけの日々。
そんな日々に浸かっていたからか、こんな時ですらボクは袖に針を仕込むのを決して忘れない。
相手はただ、ボクの本音を聞いているだけなのに。
「君の……気持ちはよく分かります。僕と同じだから」
「お決まりの……台詞だね。そう言って分かってあげたフリして、ボクを騙す。陳腐な手口で笑える」
しかしそう言ってみたものの、ボクは席を立とうとは考えていなかった。
「だから……証明が欲しくなる。誰かに生きてても良い許可と言う証明を、心の拠り所にして」
「……」
――貴様は不快だ。
――君は神の子だ。
――ヘッセ君はこの遠征の鍵だ。
「僕も同じなんだ。だから、君の怯えも恐怖もよく分かるよ」
その瞳は、嘘を言っている様には思えなかった。
「……じゃあ、ボクはどうすれば良いのかな。このまま、道具みたいに扱われるか、神様みたいに崇められるか。いずれにせよ、一生愛されない人生を歩むのに」
しかし、ボクの重々しい質問に中島はすんなりと答える。
「……僕はまだ君の名前すら分かってないけど、これだけははっきり言える。君には、きっといい人が現れるはずだって。いつか、孤独じゃなくなる日が来るはずだって。だから……」
「だから、だから……? 今、ボクと君は逢ったばかりだよ? なんでそんな事が言いきれるの。ボクの事……何も知らない癖に。なんで……!」
ボクは周囲の客も気にせず、どこかで聞いた事のある慰めのオンパレードに強く中島を睨んでしまう。
「だって、僕がそうだから――。」
ボクと同じらしい彼は、そう言って笑ってみせた。
「だから、僕と一緒に茶漬けを食べよう。僕もこの茶漬けから、とてもいい人たちに出会えたんだ。ちょっと、癖が強いかもしれないけど……」
「……ふ、ふふ。また、お決まりの台詞だね」
だけど、それはボクがずっと欲しかった簡単な一言。
「……だ、大丈夫かい? やっぱり、いきなり逢っただけで失礼だったかな……」
残念ながら中島には申し訳ないけど、これで状況が何か変わる訳でも無い。
むしろ、ポオさんと芥川君はもう戻ってこないかもしれない。
――それでもボクは、少しだけ救われた気がした。
「……茶漬けって、美味しいね。中島君」
ボクは、いつでも刺せる様に用意した針をひっそり隠した。
もう彼に敵意に向けなくてもいいから。
「あれ……。僕って名前言ったっけ?」
「ふ、ふふ……」
でもこの時のボクは、想像すらしていなかった。
天空を泳ぐ白鯨の中で、ボクと芥川、そして中島の三人で殺し合いを果たす事になるなんて――。
「結局、君も嘘吐きだった。中島君もボクから、芥川君を奪うクズだってね……!」
中島がヘッセに話しかけたのは、今作の彼が目の前で落ち込んでいる人を見捨てられない性格だからです。