ブラック・ブレット -弱者と強者の境界線- 作:緑餅 +上新粉
「飛那、昨日はよく眠れたか?」
「はい。問題ありません」
「ふふ、安心しろヒナ!妾が蓮太郎をしっかり見張っていてやるからなっ!」
「んなことせんでよろしい」
朝の食卓に並ぶ質素なメニューは、しかし食べ盛りな少女たちの食欲を十分に満たせるものだと思う。
延珠はいちごジャムがたっぷりと塗られたパンにかじりつきながら、飛那の方へ顔を向けて言った。
「それにしても、よくヒナがここに住む事の了解が、あのおっぱい魔神から出たな蓮太郎」
「あー...それには隠された激闘がだな」
昨日、無事にプロモーター連続傷害事件の犯人である高島飛那を捉える事に成功し、それと急遽舞い込んだ同日のガストレア討伐依頼達成と、秘密裏に保護した飛那の報告を木更さんにしようと会社を訪れた。
『うん!今回は目覚ましい活躍だったわね、里見くん。社長の私としても鼻が高いわ』
『ど、どうも』
『じゃ、飛那ちゃんを私に預けなさい』
『.....それは駄目だ』
『何でよ!里見くんに任せたら絶対に飛那ちゃんが危ないわ』
『まるで前科があるみたいに言うが、俺はこれまで何もしてないからな?』
『フン。里見くんだって男の子なんだから信用無いわ。裏では延珠ちゃんハァハァとか言ってるんでしょ?』
『ただの変態じゃねぇか!』
───まぁ、このように会話が平行線を辿ってしまい、お互いが譲らない事もあって話の内容もズレ始めた。
こうなる事を大方予想していた俺は、万を持してとある言葉を口にする。
『木更さん、アンタは曲がりなりにも良家の出だ。そこに犯罪の肩書きを背負った飛那を置くのは、かなり不味いんじゃないのか?』
『!っぐ.....それは』
これが決定打となり、俺は九回裏に逆転ホームランを相手スタンドへ叩き込んだ。
木更さんは尚も聖天子に掛け合うだとか、疑いを晴らすだとか、飛那ちゃん可愛いだとか言っていたが、彼女を迎え入れれば、ただでさえ今現在貧しい暮らしを強いられている自分の立場を、更に悪くさせる可能性があるのだ。
飛那を助けたい気持ちはあるにしても、だからといって己の保身をないがしろに出来なかった彼女の気持ちは、寧ろ当然と言える。
プライドのある人間は、自ら泥沼に飛び込んで他人の足場になる事など出来はしないのだ。
「まぁ、色々あったんだよ...」
『??』
言うなれば、飛那を犯罪者と口にしてしまったのが唯一の心残りだ。
その言葉と共に思考を打ち切ってから、俺は残った朝食を胃に詰め込み、聖天子が映るテレビの電源を落とした。
****
「えーと、玉ねぎ玉ねぎ...と」
今日の夜に作るメニューが書かれた紙きれと照らし合わせ、食材を呟きながらカゴへ放り込んでいく。気付くと結構な量になっていたが、これだけあればバリエーションに困る事は無いだろう。
「ほっとくと悪魔の食い物ばっか食うからなぁ....あの人」
あの人とは勿論、室戸菫ドクターだ。
俺は彼女に住む処と治療を善意のみで賜っているので、ある程度回復した今となっては、家事くらい請け負おうと思った次第なのだ。
実の所、舞い込んで来る解析依頼や国からの出資、時たま手を出す懸賞問題等々で、ドクターの懐は暖かいどころの話しではない──のだが、極度の出不精ぶりが災いして、度々研究室内で行き倒れるという謎事態が発生する。
「むっ、ちと買いすぎたか...?」
カゴを持ち上げると、過負荷により腕の付け根辺りへ鋭い痛みが走った。
手を滑らせて落としそうになったが、もう片方の手で底面を押さえて持ち上げ、事なきを得る。
俺は溜息を吐き、見栄を張らずにカートで回ればよかったと後悔した。
「あぁー、重ぃー」
膨れ上がった二つのポリ袋をぶら下げながら、弱音を溢して歩く。普通なら間違いなく通行人の目を引いてしまうだろうが、現在は道行く人が殆どいないので、さっきから愚痴を吐き放題だ。
大分歩いたところで、道の端に置いてあった長椅子を発見した。俺はいるかもわからない神様仏様に感謝しながら、迷わずそこへ二つの袋を放って、鉛に近い己の五体も預ける。
──その気になればこんな傷、一日も経たずに完治させられるのになぁ──。
ボケっと車道を眺めながらそう考えたが、何故かそうしようという結論には至らなかった。
どうやら、自分が思っている以上に、己が人間であることへ固執しているのかもしれない。
ちなみに、俺が足を延ばしたスーパーから、ドクターの研究室がある大学病院まではある程度距離がある。リハビリに託けて遠くのスーパーに来たのが仇となったか。
後悔もほどほどに椅子から立ち上がり、今までよりも早足で歩く。腕が痛んで勿論辛いが、この調子では生モノが危ないし、折角買ったアイスまで溶けてしまう。
今日何度目かの溜息を吐いた所で、ふと妙な空気を感じて視線をそちらへ向ける。
「...?なんだか、随分とピリついてんな」
通りかかった防衛省前には高価そうな車が沢山停まっており、それだけでなく内部から漂ってくるプレッシャーは多くの剣呑さを内包していた。そんな雰囲気を見れば勿論気になるので、俺はなんとなく入口近くに立って見上げる。
────しかし、ここで己の失策に気付いた。
そう。俺はかつて東京エリア上層部連中に消されそうになった。いや、記録上では既に消されている事となっているだろう。
闇に葬られるはずだった俺が、政府直営の建造物に不用意な考えで近づくなど、奴等へ殺しそびれてることをご親切に伝えているようなものだ。
その考えに達した瞬間、直ぐにこの場を離れようと足を動かしかけたが、視界に映る中で気になる箇所を発見した。
「監視カメラが───無い?」
そう、こういった場所には必ずある筈の監視カメラが一台も見当たらない。
流石におかしいと思い、出入口周辺を万遍なく観察するが、一向にそれらしきものは見当たらない。これでますます己の中で疑問は膨れ上がった訳だが、常駐していた警備員に訝しげな目で見られたため、これ以上は分が悪いことを悟り退散しようとする。
「....お、もしかして樹万か?」
だが、背後から掛けられた聞き覚えのある声に再度足を止める。直ぐに目を動かしながら振り向くと案の定、不幸面を若干の笑みで彩った里見蓮太郎が立っていた。
「蓮太郎?何でこんなトコに───」
言葉を途中で切ったのは、隣に佇む新顔の少女がいたからだ。先方は会話に入るタイミングが掴めないらしく、居心地悪そうに視線を空に彷徨わせながらスカートの裾を弄っていた。
俺は何となく得心し、蓮太郎に向けて小指を立てて見せる。
「こちらのお嬢さんは、お前のコレか?」
「んなっ!」
「ぶっ」
一瞬で顔を真っ赤にしたのは件の少女。蓮太郎はその隣で噎せていた。
俺は勿論冗談半分で言ったつもりだが、少女は茹で上がった状態のまま掴みかからん勢いで否定を始める。やばい、瞳孔が完全に開いてるな...。
「な、なななな何言ってるの君は!私と里見くんはタダの社長と社員の関係よ?!だ、大体、こんな甲斐性の絶望的なお馬鹿にはついていけないわ!将来性皆無だもの!」
「はは...彼女は天童木更っていう、俺が所属してる天童民間警備会社の社長なんだ。普段はいい人だぜ」
何だか混沌としてきてしまったので、取り敢えずは蓮太郎と協力し、荒ぶる天童社長を落ち着かせる。双方の必死のフォローあってか、彼女は割と早めに立ち直ってくれた。
「ゴホン。お、お見苦しい所を見せしてしまいすみません。改めて、貴方は里見くんのご友人ですか?」
「ああ。天童社長は蓮太郎から聞いてなかったのか」
と、ここで何故か、目前の天童木更から決して少なくない負の念が溢れた。
思わず手をナイフのある懐へ伸ばしかけたが、一瞬の事だったので堪える。常人にならいいが、こういうことに敏感な奴には控えて欲しい行為だ。
何か気に障った発言をしたのかと心配する前に、本人は先ほどの雰囲気が嘘だと思えてしまうくらいの声調で言葉を返す。
「はい。里見くんはあまり普段の事を喋りませんので...あと、できれば私の事は木更と呼んで下さい」
「ん、分かった」
───どうやら、己の苗字を快く思っていないようだ。
何やら深い訳がありそうだが、あの殺気を鑑みるにこれ以上の詮索は禁物だろう。隣の蓮太郎も厳しい目つきをしていた。
めんどくさい女を好きになっちまったなぁ、お前は。
「俺は美ヶ月樹万。今は室戸菫ドクターのトコで世話になってるから、その時にコイツと、な」
「ええ!あの人の所で?!」
会ったばかりの蓮太郎と全く同じ反応をした木更は、目を丸くして驚きを露わにする。ドクター、頼むから外へ出てください...。
「君たち....ちょぉっと別の所でやってくれないかなぁ?」
突如、口元を大きくヒクつかせた警備員が現れ、俺と蓮太郎の肩を掴みながらそう言った。まぁ、これだけ門前で騒がれればこうなるだろう。
しかし、当の蓮太郎はそれに取り合わず、スーツ調の学生服から己の民警ライセンスを取り出してみせる。
「!天童民間警備会社様でしたか。...では、案内しますのでこちらへ」
それを見た警備員は直ぐに仕事側の顔へ切り替え、出入口の方へ二人を招く。
木更は満足げに蓮太郎へ親指を立ててから、俺に顔を向けると軽く会釈する。
「では、私たちはこれで失礼します。これからも、里見くんとはお友達でいてくださいね」
「んん、どうだろうな」
「いや、そこは素直に頷いとけよ!」
蓮太郎は地味にショックを受け、それを笑う木更の二人を手を振って見送る。
そして、俺は警備員と天童コンビが自動ドアの中へ消えて行ったのを見計らい、携帯を取り出してドクターへ連絡する。
『どうした?私は今忙しいんだ』
「すみません。でも、防衛省に東京エリア中の民警が集められてるんですよ。何かあったのか分かります?」
『...少し待っていてくれ』
スピーカー越しに彼女が椅子を蹴って移動する音が響き、少ししてからパソコンのキーをタイプする快音へと変わった。
...暫く不規則なタイミングでキーやマウスを叩く音だけが耳へ入るが、やがて深い呼吸音が割り込んだ。
『ふぅーむ、特に変わったことはないね。開かれる会議の日程とかにも、そんな要項は見当たらないよ』
「そう、ですか」
『何かあったのかい?』
「────」
口にするべきか迷う。少し近づいてみるが、確証がないまま侵入するのはあまりにも危険だろう。
だが、あの警備員が手中から覗かせた紙には、確かに有力な民警を抱える会社名が連なっていた。
そこへ、天童民間警備会社という全くの無名が参入するというのなら、殆どの民警がかき集められているとみて間違いないのではないか。
『樹万くん?』
ドクターの声で意識を戻し、何でもない旨を伝えようと喉を動かしかけたが──
「ッ!」
木更が出した殺気とは別物の
同時に深く屈み、頭上を通過した黒い刃を回避。直ぐに背後へナイフを突き立てる。
「アハッ!」
心底愉しそうな笑い声と共に、それを片方の黒い小太刀で弾いたのは...蛭子小比奈。
やはりお前かと思う間にも、もう一本の小太刀で風を切るほどの突きを見舞って来た。が、俺は首だけを傾かせてそれを回避し、右手の甲で通過した刀の峰を叩いて刃先を地面に落とす。
同時にポリ袋から買いすぎた人参を取り出し、下を向いた刀と一緒に身体を傾がせた小比奈の口に素早く挿入。
「んむっ!?」
口内へと捻じ込まれる太くて固い緑黄色野菜の一つに驚いた小比奈は、予想の上を行く事態に対応が暫し遅れる。
俺はその隙にナイフを仕舞い、もう片方の小太刀が握られた手を上方へ突き上げる拳で弾き、それでも残った黒刃で反撃しようとする彼女の喉奥へ、更に人参を押し込んだ。
「むひゃあ!」
小振りなのを選んだつもりだが、小比奈の口はもっと小さかったらしく、思い切り喉につっかえてしまったのだろう。首辺りを押さえ、涙目でへたり込む彼女へ罪悪感が湧くが、直ぐに意識を切り替えて後方へ飛ぶ。
そこへ影胤のハイキックが額を擦過し、俺の前髪を風圧で躍らせた。
「相変わらず反応早いねぇ」
「そりゃどうも」
そこから続けざまに放たれた拳は全て反対方向への払いによっていなし、何十手目かで頭上から繰り出された手刀を好機と読んだ俺は、その手首を反対側の手で掴んで腕を交差させると、もう一方の掌で影胤の顎を撃ち抜く。
そこから、掴んだ手を離さずに身体をわざと後方に倒して影胤をこちらへ引き込み、前のめりとなった彼の腹部へ片足を押し当てて後転。
「よい、しょっと!」
当てた足をバネの要領で伸ばし、後転した慣性も手伝って影胤を大きく空へ打ち上げる。敢えてこの技の名前を言うなら───巴投げ。
そのまま地面へと自由落下を始めたところで、跳躍した小比奈に空中でキャッチ。両者とも無事に降り立つ。
「おぉーやるね」
「むぅ、パパかっこ悪い」
「げほっ...ハハハ。許してくれ、我が娘よ」
いつかの仕返しに俺が拍手してやると、小比奈は顔を赤らめながら己が父の力不足に憤慨した。今の彼は仮面の内側で苦笑いを作っているに違いない。
小比奈の手から降ろされた影胤は、軽く身なりを整えてからシルクハットを持ち上げて俺へ挨拶をする。
「やぁ、久しぶりだね美ヶ月くん。傷の具合はどうだい?」
「ボロボロだったよね、タツマ。大丈夫?」
心配されているらしいが、何だか裏がありそうで正直怖い。しかし、小比奈は人参をかじりながら、影胤は顎をさすりながらなので、どうも緊張感を感じにくいのが難しい所だ。
俺は横目で周囲へ警戒を向けながら、影胤へ質問...というより詰問をする。
「で?何でこんなとこに来たんだ」
「んー、ここにいる民警諸君へ挨拶しに、かな」
「.....挨拶?」
そんな俺の疑問を聞いた影胤は、顎を押さえていた手をシルクハットの鍔に移し、どこか吟味するような間を空ける。
「私たちの計画に必要なアイテムを奪い合うレースへ、エントリーする事を伝えに行くのさ」
「言い方が回りくどすぎて分からん」
「ハハハ!だろうねぇ」
愉快そうに笑う影胤を無視し、このままでは溶けてしまうアイスを袋の中から二つほど取り出すと、ほぼ液体となった保冷剤を退けてから小比奈へ渡す。
キラキラした瞳で食べていいのかを問う彼女へ頷き、付属の木製スプーンも親切につけてやる。
「タツマはいい人だー」
「おう、俺はいい人だ。だから出合い頭に頭斬り飛ばそうとするのは止めてくれ、な?」
「♪」
「聞いてねぇし」
餌付けで懐柔作戦に出たが、威力が強すぎたらしく聞く耳を持たなくなってしまった。
諦めて立ち上がり、明らかに妙な雰囲気を纏う仮面男へ向き直る。
「....どうした?」
「いや、小比奈がここまで他人に懐くのは初めてでねぇ」
「そうか?ただ食い物あげただけだぞ」
俺の返答には肩を竦めるに留め、影胤はアイスを頬張る小比奈を催促する。
それを受けた彼女は、掬った一口を口内で溶かしてから間延びした声で返事をすると、凄まじい勢いでかっ込んでものの数秒で平らげてしまう。しかし、一気食いしたおかげでアイスクリーム頭痛がきたらしく、首を竦めて頭を抑えた。
そんなハンデを抱えつつ、残ったもう一カップは懐へ仕舞い、彼女は自動ドアの前へ立つ影胤の下に覚束ない足取りながらも走って行った。
「──もし、後々私を止めたいと思ったのなら、喜んで受けて立つよ。美ヶ月くん」
「うー、アタマ痛い。...タツマ、今度もまたアイス持ってきてね」
「そうかい。ほれ、はよ行かんと見つかるぞ」
二人の言葉に軽く答えながら、ヒラヒラと手を振ってやる。
そして、悠々と防衛省の内部へ消えて行った彼らを見て、ようやくあの時の疑問が氷塊した。
監視カメラが取り外されていたのは、影胤の隠密侵入を助けるためだろう。元々取り付けられていなかった線はまずないと見て、可能性はそれくらいしかない。一応本体の補修なども考えられるが、恐らく代わりのものが用意されるはず……
しかしそうなると、影胤は政府の何者かと内通している事になる。それに、かつて俺がはめられたあの時と何処か似通ったものを感じた。
「どうやら、奴さんの考えてることは相当ぶっ飛んでそうだな」
俺はそれだけ呟くと、人参一つ、カップアイス二つを吐き出して軽くなった(ような気がする)ポリ袋を持ち直し、追加する今晩の夕飯メニューについて考えながらその場を後にした。
監視カメラがなかったので、補足されなかったオリ主。影胤サンのお蔭ですね。
飛那ちゃんは天童民権警備会社の手で○されたことになってます。何とか避けたかったシナリオの一つなのですが、作者の無い頭ではこうするしかありませんでした....