ブラック・ブレット -弱者と強者の境界線- 作:緑餅 +上新粉
俺は黄色い箱から取り出した、長方形ブロック状のクッキーを齧る。そのあとに口内で瓦解させ、蠕動運動に舌を交えて喉の奥へと送り込んだ。
そんなのんびりと咀嚼を続ける俺の目前では、東京エリアの明暗を分けるだろう激闘が繰り広げられている。
蓮太郎は主にバラニウムの拳と足を交えて近接攻撃を仕掛け、影胤はそれを斥力フィールドで防ぎながらカウンターを狙う。先ほどから続けられている攻防は、正にそれの応酬である。
それにしても、影胤だけでなく蓮太郎まで機械化兵士だとは思わなかった。...だが、これは嬉しい誤算の方へ入るだろう。
「あっ!」
蓮太郎が影胤の蹴りを喰らい空高く打ち上げられた所で、俺は思わず潜んでいた倉庫端から身を乗り出す。すると、隣から同じくブロック状のクッキーをもそもそと口に含む夏世が、俺のシャツを掴んで首を横に振っていた。
「樹万さん、見えちゃいますから隠れていて下さい」
「む、分かったよ」
大人しく身体を引っ込めてから、残った欠片を口に放り込んで飲み込む。パサついたモノを食べたせいか喉が渇いてきたので、すぐに水の入ったペットボトルを取り出して流し込む。
「これは美味しいですね。...ふむ、カロリーメイドなのは分かりますが、一体何味なんですか?樹万さん」
「ドラゴンフルーツ味。何故か人気無いんだよなぁ、こんなに美味しいのに。な?」
「ふふっ...不人気の理由は恐らく、味が連想出来ないからでしょうね」
なるほどな、と言いながら、袋に入ったもう1本のカロリーメイドを取り出し、齧りつく。程よい酸味と甘味に合わせ、異国のフルーツらしいジューシーさを損なっていない味わいが味覚を刺激する。かと思いきや、クッキー独特の歯応えでフルーツには無い満腹感を得られる。とても栄養補助食品とは思えないですね!
と、食レポのような言葉を並べているうちに、あちらで動きがあった。
「おぉ!」
蓮太郎の拳が影胤の斥力フィールドを貫通し、甲高い破砕音を響かせた。続けてもう一発薬莢を吐き出してから、威力をさらに増加させた強烈なアッパーで今度は影胤が天高く打ち上げられる。
しかし蓮太郎はそれに留まらず、足から薬莢を撃発させて大跳躍し、空中で一回転の回し蹴りを炸裂させた。
「ぬおっ!」
「きゃっ!」
俺たちの潜伏場所は二人の戦闘場所から結構近かったため、影胤が海面に着弾したときの水飛沫を結構浴びた。
と、目を細めながらも完全に瞑らなかった前方へ向けた視界の隅に、黒い何かが映った。その後すぐ、俺は直感で咄嗟に背後の夏世を庇う。
「ぐぅっ!」
「樹万さん?!」
直後、船から飛んできた甲板の破片が俺の腹に突き刺さり、盛大に喀血する。...もし俺がここに立たなかったら、夏世の頭に直撃していただろう。よくやった俺。
見るからに今の俺は重体だが、それでも百メートル程先の海に沈んだ影胤を救出するのが先だ。まずは腹に刺さった邪魔な破片を抜くことにする。
「ぐっ、あァッ!」
「樹万さんッ!そんな事をしたら傷口が!」
乱雑に抜き取った後、血の塊を吐き出しながら破片を近場に放り捨て、安心させるために慌てる夏世の頭を撫でる。それでも彼女は悲痛な面持ちで、こちらを向いた俺の腹を血塗れになりながらも押さえていた。
夏世には悪いが、その手を掴んでゆっくりどける。
「樹万さん!今すぐ治療を!でないと死んでしまいますッ!」
「いや、大丈夫だ。夏世はここにいてくれ。すぐ戻る」
「イヤです!行っちゃイヤですっ!このままじゃ....ぐすっ」
「おいおい」
踵を返した俺の腰へ抱きつき制止を叫ぶ夏世の声には、明らかに涙が混じりつつあった。
そこまで心配されるとは思ってなかった俺は、面喰らいながらもすぐに目下の行動を破棄して彼女を落ち着かせる。
「ほ、ほら夏世っ?もう治ってるから!な?」
「うぅ、下手な嘘つかないでくださ───え?」
穴が空いていた筈の腹へ夏世の手を手繰ってやると、そこで嘘のように傷が塞がっている事実を理解したようだ。
彼女は尚も血塗れな手で俺の腹をまさぐるが、服についた血液を残して、傷は完治していた。というか、そこまで撫で擦られるとくすぐったい。
「確かにあったはずなのに。一体どういう」
「ま、後で説明するよ。今は他に目的があるから」
「...はい、分かりました」
最後に頭をひと撫ですると、多少納得が行ってない表情ながらも、夏世は俺から離れてくれた。
───では、あの時の借りを返しに行きますか。
「ふっ!」
倉庫の影から飛び出し、船の停泊所を突っ切って古びた桟橋に入った。段々と海が近づいて来るが、歩みを止めずに走り続ける。
『
四肢から聞こえる悲鳴を聞き流し、己の身体が凄まじい勢いで水中の行動に適した構造へ変化していく感覚のみを受け取る。
形象崩壊を抑えたはずだが、幾つかの細胞が突然変異を起こしたらしく、数本の爪や歯が鋭くなり、下半身の一部の体表がワニのそれに近くなっていた。
「ま、いいや」
複合因子の一括発現をするとよくあることなので、動作に支障がないこともあり、気にせず桟橋の先から海へ飛び込んだ。
冷たい水が、鈍くなった感覚を貫いてまで脳へ冷感信号を送る。俺はそれに構わず、ホッキョクグマの規格外な腕力で海中を泳ぎ、ワニの長時間潜水能力と合わせ、沈んだ影胤の下へ急ぐ。
(確か、ここらへんだったはず───)
しばらく泳ぎ続け、影胤が沈んだはずの場所までたどり着いた。海中が少し濁ってはいるが、ワニの視力ならば問題はない。
海中を漂いながら注意深く底へ視線を向けていると、不気味に浮き上がる白い仮面が見えた。かなりびっくりしたぞ。
(発見ッ!)
探しはじめてから既に五分以上経過している。今は兎に角時間が惜しい。考える時間はないので、影胤の両脇を抱えてから全力で水を蹴る。
ものの数秒で海面へ上がると、先ずは彼の心音を確認、と思った矢先に、ゲホゲホと咳き込む声が隣から聞こえた。
「はっは....いや、助かったよ美ヶ月くん」
「おー、流石にしぶといな」
「フフ、それはお互い様だろう?」
吐き出される軽口を顔に付着した海水と一緒に払いながら、俺は急いで岸へ向かって泳ぎ出す。何気なく後ろを見ると、奴も足をばたつかせていた。どうやら、下半身の損傷はほとんど無いらしい。
先刻の激しい戦闘で沈没する船に巻き込まれないよう多少の距離を取りながら迂回していると、背負われた影胤から疑問の声が上がった。
「泳ぎ速いねぇ....道具でも持ってきたのかい?」
「どうだろうな」
「君は本当に掴み所のない人間だ」
もう岸で手を振る夏世の姿が見える。俺はそれに控えめな返答を返していると、気になった事があったので影胤に聞いてみた。
「小比奈はどうした?」
「ああ...娘には後で謝っておかなければな。実に情けない姿を晒したよ」
影胤は少し視線をずらして、街の船着き場辺りへ向けた。気になった俺もそれにならって目を動かすと...岸を小走りで駆ける小比奈がいた。
それを見た夏世が驚いていたが、必死に影胤と俺へ向けて手を振る彼女に敵意が全くないことを悟ったか、腿に掛けてあったワルサーP99へ伸ばした手を引っ込めていた。
やがて岸へ辿り着き、背中に乗せた影胤を持ち上げる。
「んしょ...っと。ほれ、上がれるか?」
「ヒヒヒ、無理だと言ったら上げてくれるかな?」
「....夏世、このアホを突き落としてくれ」
岸にいる夏世へ言うと、察してくれたらしく足を振りかぶって来たので、それを見た影胤は慌てて陸へ上がった。しかし、途端に小比奈が飛び付いて来たため、また落下しそうになっていたが。
「タツマ!パパを助けてくれてありがとう!」
「おうおう、これで貸し借りなしだぞ」
「?......お二人の間柄には、何か確執があったみたいですね」
「フフ。まぁ、色々とね」
影胤は衣服の水を軽く落としながら含み笑いを漏らすが、少し顔色が悪そうだ。まぁ、それもうなずける。何故なら、彼の胸骨は蓮太郎によって完全に粉砕しているだろうから。
俺は濡れるのも構わず抱きついてきた小比奈の背中を撫でながら、密かに危ない綱渡り状態である影胤へ告げた。
「さ、とっとと逃げとけ。また聖居の連中に補足されたら厄介な事になるぞ?」
「そうだね。じゃあ、お言葉に甘えて退散させて貰うよ...小比奈、おいで」
「うん」
一度ぎゅっと腕に力を込めてすりよってから離れた小比奈は、最後にもう一度俺へお礼を言ってから、影胤と連れ立って錆びた街の闇へと消えていった。そして、完全に見えなくなってから大きなため息を吐く。
一先ず、これで俺の仕事は終わった、な。そんなふうに安心していると、ムスッとした不機嫌顔の夏世が俺の腰に腕を回してきた。
「あの娘の背中撫でてました」
「いや、あの」
「撫でてました」
「ハイ。すみません」
夏世のする無表情の圧力は怖い。分かりやすくその恐ろしさを伝えるなら、約十年血河の流れる修羅場を潜ってきた俺でも肝が冷えるほど。
勝機のない白黒盤上に早々白旗を揚げ、夏世の柔らかい髪に指を絡めて優しく梳いてやる。目を細めて俺の胸へ頬を寄せているのを見るに、お気に召してくれたようだ。
ずっと無言でこうしているのも何だし、何か話題を振ることにするか。
「そういえば、夏世は何の因子を持ってるんだ?」
「ん.....イルカです」
「イルカかぁ...なるほどな」
「何がなるほどなんですか?」
目線でも訴えて来たので結構気になるらしい。それにしても、普段眠たげな子の上目遣いは破壊力が凄まじいことこの上ないな。少し不安げに瞳を揺らしているのも相まって、更にその威力を底上げして来ている。
俺は努めて冷静さを保ちながら腕の動きを止めぬまま、夏世に目線をあわせて答える。
「気分屋で、のんびりしているようだけど実は鋭く強か...イルカの性格とちょっと似てる」
「そ、そうでしょうか」
多少恥ずかしそうに視線を逸らしながら、顔を俺の胸に埋める夏世。そんな彼女の反応に笑いながら、続く言葉をかけてやる。
「でも、本当の夏世は誰かに頼りたくても言い出せない、自覚なしな甘えん坊さん。俺はそう思ってるかな」
「...樹万さん」
「怒ったんならスマン。でも、もしそうなら遠慮なく俺を頼って、いいや、甘えてくれて全然構わないんだ。...そんな相手、今までいなかったろ」
頭を掻いてから、途中で恥ずかしくなって海へ向けていた視線を、夏世のいる方へ戻した...その瞬間、瞳を赤くした夏世に両頬を挟まれ、訳のわからぬまま強引に下方へ引っ張られる。
首が取れちまう!と思った矢先、すぐに口元へ柔らかな感触が走った。
「んっ....」
「!......!?」
しばらく目を白黒させていたが、夏世の艶かしい吐息が己の口内に侵入してきた感触で、ようやく自覚する。───俺は、彼女にキスをされてるらしい。
視界に目一杯広がるのは、白くて柔らかそうな肌。そして、閉じられた事でよく強調された長い睫毛。淡雪を張り付けたような肌とは対照的に頬は赤く上気しており、眉尻もかなり下がっていた。
「ちゅ.....っはぁ...」
軽く啄まれたのを最後に、ようやくお互いの顔が少し離れる。...それでも、鼻の先が当たるくらいの至近距離だが。
薄目を開ける夏世の濡れた瞳は、俺の見開いた状態の視線と完璧に絡み合っている。よく見ると涙まで浮かび始めていた。
「.........っ」
俺は堪らなくなり、思わず彼女の頭を撫でてしまう。そして、それが引き金となり、夏世の端正な顔が再接近する。
避ける理由など、ない。故にこちらもそれを受け入れようとして───、
「っ!」
しかし、腰のポケットに入れた携帯電話が震える振動ではたと我に返る。目前で固まる夏世も気まずそうな表情で俺から離れ、何処か迷うような素振りを見せた。
なんとも言えない空気に耐えかねた俺は、携帯を抜き取ろうとポケットへ手をゆっくりと伸ばす。その途中で、前方に立つ夏世が動いた。
「樹万さん...出て、下さい」
恥ずかしそうに頬を染めながらか細い声でそう言った夏世は、それでもしっかりと俺を見ていた。
頷いてから素早く取り出し、バイブが切れる前に急いで通話をタップ。───その瞬間に聞こえてきた声に、俺は驚愕した。
『おッせーんだよ!ワンコールで出ろやクソ坊主!』
「え....オッサン?!」
黒緑餅「ディープ!ディープ!」
白緑餅「R15」
黒緑餅「」
まぁ、仕方ないですよね。
ちなみに、オリ主はまだ飛那と出会えていません。
オリ主と夏世は民警たちの通る道から大きく外れ、海沿いの√を通って来たので、街の中は探索せずに直接船着き場へ行き、途中で影胤サンとれんたろーのバトルを目撃して身を隠した次第です。もし、二人が街中で戦っていたり、飛那が気絶させられていなければ感動の再会(?)でしたね。