ブラック・ブレット -弱者と強者の境界線- 作:緑餅 +上新粉
相変わらず趣味の悪い悪魔のバストアップを見ないように扉を開け、いつものようにドクターの研究室へ足を踏み入れる。ってあぶねぇ!何で出入口前の地面へ試験管転がしてんだよ!客人を殺す気か!
俺は殺人罪を被りそうになった試験管を嘆息しながら拾い上げ、近場のゴチャゴチャした机へ置く。その途中、奥の方で先に来ていた蓮太郎から声がかかった。
「よう、樹万」
「む?学校のトモダチか?蓮太郎」
「いや、樹万は俺の仕事仲間だ。...そういや、延珠は顔をあわせるのが初めてだったか」
可愛らしい髪留めでまとめたポニーテールを揺らしながら此方へ顔を向けたのは、蓮太郎のイニシエーターである藍原延珠だ。
一応初対面ではあるが、特に気負うことなく自己紹介する。彼女たちの強い警戒を解くには、己が警戒しないことが最も効果的なのだ。
「初めまして。俺は美ヶ月樹万、そっちで世話になった飛那のプロモーターだ。よろしく」
「おぉ、ヒナの相棒か!確かもういないと言っていた筈だが....うむ、まぁ細かいことはナシだな!妾は蓮太郎の相棒、藍原延珠!よろしくしてやろう!」
「ほう、随分しっかりしてんな。この分だと、蓮太郎のお守は大変だろ?」
「そうなのだ!蓮太郎はすぐに木更の凶悪おっぱいに飛びつくから大変でな―――――もごご」
「こらこら!謂れの無い俺のネタで盛り上がるんじゃない!」
延珠の口を手で塞ぎ、自身の名誉を守ろうと必死の蓮太郎。ドクターが『いじりがいのある少年』と呼称するのにも大いに頷けるな。てか、もう名誉なんてとうの昔に失墜してんだろ。諦めろって。
と、背後から嫌な気配を察知し、俺はその場から素早く飛び退く。瞬間、今まで己が立っていた空間へ注射器が突き立てられた。
「チッ、避けられたか」
「こっちは避けられた事実に万々歳ですよドクター。危ないですからそれ仕舞ってください」
「なに、こいつはそれほど危険なものじゃないさ。一滴分で牛が一週間ほど昏睡する程度の麻酔薬だ」
「よかった。本当に避けられてよかった」
心の底から安堵しながら、俺は念のためドクターと距離を取って置く。
それを微妙な表情で眺めていた蓮太郎が口を開いた。ああ、お前も被害者だったんだな。同情するぜ?お互いにな。
「樹万、改めてになるが....今回の聖天子狙撃を行った犯人の捕縛に協力してくれないか?」
****
「五十口径の重機関銃で、約一キロ先の標的へ鉛玉をぶち込める敵、か」
「はっはっは!その話をそこいらの歩兵が聞いたら確実にチビるな」
ドクターの言い分は尤もだ。恐らく同業者でも尻尾を巻いて逃げるだろう。
さて、詳しい情報の整理をしたものの、やはりこの分では勝算がないに等しい。というか、敵方の素性が全く分かっていないのでは話にすらならない。
――――――ということで。
「蓮太郎、現時点での協力は出来ない。誰が考えても、こりゃふざけた博打にも程がある」
「そう、か」
「だが、だ。狙撃手の素性を割って、それなりの情報を揃えてくれさえすれば考えるぜ?」
「む....ああ、分かった。出来る限り、このことは俺と延珠でやってみる」
蓮太郎も俺に頼りっぱなしは不味いと悟ったのだろう。これ以上の追及をすっぱりと諦めた。コイツのこういう所は気に入ってるんだよな。
彼の一瞬見せた悲壮感を感じ取ったか、延珠は隣で明るい表情を覗かせながら笑いかける。
「大丈夫だ蓮太郎。妾が守ってやるからな」
「ああ。ありがとな延珠」
「ほうほう、その年で既にヒモ宣言か。君は恥も外聞も豚へでも喰わせているのかね?」
「俺は何も豚に喰わせちゃいねぇって、先生」
いいところでドクターの茶々が入り、締まった表情が一瞬にして台無しになる蓮太郎。このやり取りは大衆に受け....ないな恐らく。
己のギャグセンスへ密かに危機感を持っていると、ドクターは蓮太郎弄りに満足したか、座っていた椅子から立ち上がり大欠伸をしながら言った。
「さて、蓮太郎くん。これから私は延珠ちゃんとお話をする。君には聞かれたくない内容の、な」
「!まさか...」
「ああ、それとは違うから安心したまえ」
「......分かった。延珠、一人で家にまで帰って来れるか?」
「うむ、大丈夫だぞ。蓮太郎は心配性だな!」
その言葉で決心を固めたのだろう。蓮太郎は多少名残惜しげながらも研究室を出て行った。
俺は彼がいなくなったのを見計らい、ドクターへ疑問の言葉を投げかける。
「俺はここに居てもいんですか?」
「ああ。君は私が話す事の知識を、大方熟知してるだろうからね」
その中身が一言も語られていないのでは、此方で判断をつけることが出来ない...が、俺はドクターの言葉に首肯する。元より、俺の事を俺自身より知っている彼女のことだ。間違いはない。
しかし、俺が閉口したのと入れ替わるように口を開いたのは、訝しげな表情を湛えた藍原延珠だ。
「なんで蓮太郎を帰したのだ?」
「これからする話は、蓮太郎くんに聞かせたら君が嫌がるんじゃないかと思ってね。私なりの不器用な心配りさ」
蓮太郎に聞かせて、延珠に不都合のある話題?...一体何なのか想像がつかない。
ドクターは机の上にあるものを脇に押しのけながら、その話題を発起させる。
「君は強力なイニシエーターと戦っている時、または街中を歩いている時に、寒気を感じて首の後ろがピリッとしたことはないかい?」
「....ないぞ」
「ふむ、では話を変える。君はスピード特化型のイニシエーターではあるが、そのスピードは最近伸び悩んでいないかい?」
「!薫は何か知ってるのか....?」
二度目の質問で、明らかに肯定と思える反応をした延珠。それを見たドクターは、机を整理する手を一旦止めて延珠の方へ顔を向ける。
「やっぱり、そうか。君にも『成長限界点』が来ていたか」
「成長限界点....イニシエーターが、モデルとなった因子の力を引き出せるボーダーラインですか」
「その通りだ、樹万くん。レベルMxといえば聞こえは良いが、裏を返せばそれ以上の進化はないということでもある。...さて、延珠ちゃん。そのことについて自分なりに話してみてくれないか?」
資料や参考書などが積み重なった場所から一つのバインダーを取り出し、それを捲りながら少女へ問いかける。
「昔は、力を使えば使うほどスピードは上がって行ったんだけど....最近はそんな感じが全然しなくなったのだ。なんというか...その」
「見えない壁にぶつかってるような感じかい?」
「ああ、それが今の妾にはピッタリだ!いくら練習しても、前みたく速くなった感覚がしない」
「ふむふむ。レポート通りだね。やっぱり君は停滞期に入っている」
ドクターの放り投げたバインダーを何とかキャッチした俺は、その資料を捲って確認してみる。
細かな数値や固有名詞は無視し、停滞期に入っているという前提で資料を読み進めていくと、確かに分かった気がする。多分。
そして、同時にドクターが話題にしたい内容を理解した。
「ドクター、『ゾーン』ですか?」
「はっは!流石だな、樹万くん。そうだ。イニシエーターが成長限界点というラインを踏み越えられる唯一のポテンシャル...それが『ゾーン』。だが、延珠ちゃんにはそれを身に着けることは出来ない」
「なッ...何でだ薫!妾はこれ以上強くなれないのか?!ずっと停滞期のままなのか!?」
「..........」
「薫!」
ゾーンとは、イニシエーターが持つ因子の能力を最大限にまで高めるものだ。そして、それはつまりガストレアの体内組成へ限りなく近づくことを意味する。
そうなれば、体内侵食率はこれまでの比ではない程に上昇するだろう。だが、俺とて前例であるゾーン到達者を見たことは無い。
存在するのか、しないのか。するとしたら、どれほどの実力なのか。しないとしたら、かつてゾーンへ到達しながらも、その瞬間にガストレア化してしまったか。...全て憶測だ。
「薫、頼む!妾はもっと強くなりたいのだ!蓮太郎を、もうあんな目には合わせたくない!」
「ッ...ああ、全く君って奴は.....!」
苛立ったように、
....と、机の上に見慣れないフォルダーを発見した。俺は何となくそれを摘み上げ、中の紙パラパラとめくって確認する。
「ドクター、これは?」
「ん?...ああ、それは今回の聖天子狙撃事件の詳しい情報が記された資料だろう。君へ事件の概要を説明するために蓮太郎くんが持ってきたモノだ。忘れていっちゃ世話ないがね」
「そうですか.........ん?」
俺は読み進めていくうちに一つの懸念事項へ思い至った。
今回の狙撃は、普通なら出来ない筈だった。否、技術的な面ではなく、そもそも聖天子が外出し、あの公道をリムジンが走行するなどという情報が手に入る時点で間違っている。
それほどまでに敵方の情報収集能力が高いと仮定すれば、狙撃時に邪魔をした民警...つまり蓮太郎と延珠の存在はすでに掴んでいるはず。先方も一度妨害が入ったことに苛立っているだろう。ならば、次手は天童民間警備会社の襲撃....!
「――――――――ドクター。俺、もう出ますね」
「ああ、帰るのかい?夜道に気をつけたまえよ」
「はい」
俺は最も速度の出る因子を使用し、身体の組成を再編成した。
***
夕日を眺めながら繁華街を出たところで、ふとした疑問が湧きあがってきたので、その波に任せて質問を投げかける事にした。
「マスター、天童民間警備会社について詳しい情報を頂けませんか」
『ふむ。何が知りたい?』
「事前の大まかな調べによると、天童という名は聖天子付補佐官である天童菊之丞の字と同一です。なにか関連性があるのでしょうか?」
作戦にあまり関係の無い、単純な好奇心から来る質問ではあったが、存外に彼は流暢な口調で応答し始める。
『社長の天童木更は、天童菊之丞の孫だ。だが、彼女は天童から離反し、単独で民間警備会社を設立した。...他の経歴にも目を通したのだが、コイツがなかなか興味深いものでな』
ククッ、と低い笑い声を漏らしたあと、彼は続けて言葉を重ねた。
『天童木更は幼少期に天童本家へ迷い込んで来たガストレアに両親を喰い殺されており、自身もその時の強いショックからくるストレスで腎臓の機能が大半失われている』
予想外の内容に思わず面喰らってしまうが、内心の動揺を取り繕って返答する。
「では、天童木更は腎臓を取り替えたのですか?」
『いや、どういう訳か現状のままだ。ドナーはあると思うのだが、こればかりは本人の思惑が絡むな。...そして、ここからが面白いところだ。どうやらこの事件は謀殺の可能性が高いらしく、犯人は天童一族の誰からしい。ククク、そのことを知った天童木更は復讐の
「そう、ですか」
復讐。それだけのために剣を握り、それだけのために技を究めた。
恐らく、いや確実に彼女は強い。どのような感情や目的であれ、それが強ければ強い程に技の探究には淀みがない。世の不条理ではあるが、正より負の情念の方が人を強く動かすというのは真実なのだろう。
暫く歩いていると交差点に差し掛かったが、人の量が多い。もう一つ先の場所へ移動しよう。
『金がないのか少数精鋭主義なのかは不明だが、天童民間警備会社に連なる民警ペアは一組しかいない。先日の作戦へ横やりを入れて来たのは此奴らだ』
その言葉で、今回の作戦に使うガンケースを握る手に力が入る。
「名前は?」
『イニシエーターの名は藍原延珠、プロモーターの方は....里見蓮太郎』
「―――――了解しました。マスター」
そう告げてから通話を終えると、大きく深呼吸をする。
そろそろ陽が沈む逢魔が時ではあるが、念のためにプラスチックカップからカフェイン錠剤を五錠ほど取り出して口内へ放り込んだ。
少し意識が鮮明になって来たところで、何となくドレスの裾へ手を入れると、一枚の紙片を取り出して眺めた。その紙片...名刺に刻まれている名前を見ると、思わず頬が緩む。
「美ヶ月民間警備会社社長、美ヶ月樹万....さん」
その名を指先でゆっくりとなぞりながら想う。
この作戦が終わったら、また会えるだろうか?
私を一人の女の子として、迎え入れてくれるだろうか?
ああ大丈夫、きっと彼なら――――――――――――
オリ主は果たして間に合うかどうか...後半へ続く!的な。