ブラック・ブレット -弱者と強者の境界線-   作:緑餅 +上新粉

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感想、評価などありがとうございます。私が今までやってこれたのは、間違いなく読者の方々の応援があったからです。
一人一人のご期待に応えていくのは難しいですが、改編ではなく改善なら積極的に行っていきますので、これからもどうしようもないくらいロリコンの私を許して...いえ、お願いいたします。

※最終回ではありません。


四 識別不能・S-Ⅳガストレア・アルデバラン
38.侵食


 今回、序列九十八位という破格の相手と交戦し、分かったことがある。

 

 無謀、蛮勇という判断を降すには、実際にその場に立って敵と戦い、己が無様で無残な敗北を喫しない限りは、必ずしも正解ではないということだ。仮に立ち向かうべき相手がどれほど恐ろしいものでも、不確定要素の乱立地帯である戦場では何が起こるか予測できない。しかし、その『要素』が自身にとってプラスに働くかマイナスに働くかは皆目見当がつかないため、必然、分の悪すぎる賭けになることは必至。死の轍を自ら辿りに行く事などしないに限る。

 

 俺は神算鬼謀を巡らしたティナ・スプラウトとの賭けに勝った。それも誰一人失うことなくだ。正直命が幾つあっても足りないと思ってはいたが、代替の利かないたった一つの心臓は、未だ俺の胸の中で鼓動を打っている。さらに腕や足もちゃんとついているという五体満足。普段の生活で消費される分の幸運がこういったことに回されているのだと思えば合点はいくが、そもそもこんな頻繁に命を落としかかっていること自体、辛うじて命を拾った幸運分を差し引いても余りある不幸である。

 

 散々悪態を吐いたが、無論良いこともあった。それは俺と延珠のIP序列、並びに機密アクセスキーのレベル向上だ。序列は蛭子影胤の起こしたテロ事件の解決により上がった千番台から更に上昇し、三百番台となった。アクセスキーもレベル五となり、先生に渡して事前に情報を収集して貰っている。その折に樹万と一緒に顔を見せたのだが、どことなく複雑そうな表情で、『全く。少しは年長者の助言を聞いて欲しいものだが、これではぐうの音もでないではないか』と、先生には珍しく自嘲気味な発言を漏らした。樹万はそれを聞きすぐに謝ったのだが、許さんと言った先生に首根っこを掴まれ、奥の実験室に消えていってしまった。アイツが何をされたのかは、今後己もああなる可能性を鑑みて、余計な恐怖心を生まない為にもあまり知りたくない。

 

 さて、件のティナは聖天子様により身柄を一時的とはいえ拘束されたが、元の序列を剥奪された後に簡単な事情聴取を受け、その後はあっさりと放免、そのまま樹万の民警事務所に雇われたらしい。俺はそれ自体に文句はない。だが、幾ら国家元首の下した判断といっても、明確に命を狙った攻撃をしてしまった彼女に対し、そんな温情措置をとってしまうのは如何なものか。そう聞いてみたい所だったが、生憎と聖天子様は一般人がお出掛け感覚で訪問出来る場所に身を置いてはいない。

 

 

 

「里見さん、天童社長。国家存亡の危機です。是非、私の嘆願を聞き入れてはいただけないでしょうか」

 

 

『え...?』

 

 

 ───そのはずだったのだが。何故か彼女は現在、我が天童民間警備会社の事務所にいる。

 

 突然聞きなれぬ事務所のインターフォンが鳴り、何事かと思って扉を開けてみれば、こんな寂れた場では違和感しかない豪奢な純白のドレスに身を包んだ聖天子様の姿が。そして開口一番に放たれたのが前述の文句である。直後に目が点となったのは当たり前のことであり、彼女に対する礼節を欠いたのは仕方のないことだろう。

 取り敢えず人数分のお茶を用意し、聖天子様の来訪で無駄にテンションが上がっている延珠を宥めすかし、ようやく気分を落ち着けることができた頃にソファへ全員が腰を落ち着けた。

 

 

「.....で、聖天子様。一体何があってこんな所に来たんだ」

 

「はい。先ずはお二人とも、これに目を通して欲しいのです」

 

「?これは...写真か」

 

 

 大きめの封筒の中からいくつかの写真を取り出し、硝子テーブルの上に丁寧な所作で並べる聖天子様。それを木更さんと延珠、俺で手に取って確認すると、ほぼ間を置かずにこれが何なのか理解し、同時に何故この場でこんな写真を見せたのか疑問に思う。そんな俺の内心を代弁したのは木更さんだ。

 

 

「これは...白化したモノリス、ですよね?あとは、見たこともないガストレアの頭部。これは一体」

 

「はい。それらは全て昨日の内に入手したものです。そして、その白化した三十二号モノリスは今日から数えて六日の後に倒壊し、背後に集まりつつあるガストレアが東京エリアになだれ込みます」

 

『なッ....!?』

 

 

 理解を超えた、いや、想像を超えた発言が鼓膜を震わせ、木更さんと一緒に暫く酸欠の金魚みたく口を開閉させた。それも当然。六日後に東京エリアが滅び、そこに住む人間はみんな死ぬという宣告を何の前触もれなく受けたのだ。それも、笑い話や冗談と切り捨てることは決して出来ない、聖天子様の口から直接。

 と、俺たちが混乱の境地に身を投じている中、未だに写真とにらめっこを続けていた延珠が不意に顔を上げた。

 

 

「うーん。何故モノリスが壊れるのだ?黒じゃなくって白くなってるからか?」

 

「そうですね、大体合っています。その白い染みのようなものはバラニウム侵食液。ステージⅣガストレアのアルデバランが注入したものです」

 

「...?待て、アルデバランだと?」

 

 

 ───アルデバラン。その名を聞いた俺は、選び取ったパズルのピースが何処にも当てはまらないような違和感を覚えた。アルデバランとは、世界で12()体確認されているステージⅤ(ゾディアック)ガストレアの中の一体、金牛宮(タウルス)とかつて行動を共にしていた珍しい行動理念を持つ奴だ。ちなみに、金牛宮は序列一位のイニシエーターによって既に撃滅が為されている。話しを戻すと、アルデバランはあくまでもステージⅤにくっついていただけであって、コイツ自体は完全体のⅣ。ならば...

 

 

「聖天子様。アルデバランはステージⅣだろ?なら、モノリスの発する磁場に影響されるはずだ」

 

「そう、ですよね。ですが、実際にアルデバランはモノリスに取り付き、侵食液を注入しています」

 

「...それで、侵食液を撒いたあとアルデバランは何処にいった?」

 

「モノリスの背後で二千ものガストレアを招聘しています」

 

「二千...そんな」

 

 

 木更さんはその表情を絶望で歪め、手に持った写真をテーブルの上に落とす。延珠も事の深刻さに気付いてきたか、余計な口を挟まずに俺の隣で唸っている。

 昨日テレビで放送されたニュースでは、モノリスに接近したガストレアを発見したが、無事に斥けることが出来たと伝えられていた。だが、この分だとメディアは聖居の力で情報統制され、今現在正しく起きていることの発信は封じられているのだろう。しかし、これも長くは持たないはずだ。数日も経てば白化したモノリスを目視で確認できるようになるし、ネットでの噂にも歯止めは利かない。人の口には戸を立てる事などできないのだから。

 俺は冷たいを茶を喉に流し込み、外気で熱せられた冷汗を手で拭いながら考える。一体どうすればいい?六日でできる事など当然の如く限られる。エリア内の人間を全て国外へ逃がすか?...無理だ。空路を使った輸送では圧倒的に効率が悪い。陸路も海路も棲息するガストレアの餌食となる。もしもの時のために地下シェルターが建設されていると聞くが、これも収容力に乏しいだろうし、全員の市民を助ける事など到底できない。.....じゃあ、じゃあどうすりゃいってんだ。

 

 

「────じゃあ、妾たちがそのガストレアを全員やっつければいいのではないか?」

 

「な.....延珠。お前本気で言ってるのか?相手は二千のガストレアだぞ」

 

 

 これほど勝利という二文字が湧かぬ戦もないだろう。ガストレア二千の進撃に対し突っ込むなど、それは戦いではなく自殺だ。十中八九繰り広げるのは人間たちが蹂躙される光景のみだろう。にも関わらず、延珠の馬鹿げた発言に聖天子様は深く頷き、元々真っ直ぐだった背筋を更に伸ばして厳かな雰囲気を纏った。

 

 

「里見さん。私たちは座して死を待つより、立って剣を取ることに決めました。この意向は各軍事組織に通達し、無論民警の方々にも協力を仰ぎます。」

 

「.....勝算は、あるのかよ」

 

「アジュバントを結成するのです」

 

「?何だそれ」

 

 

 これまで生きて来て一度も聞いたことがない単語をさも当然であるかのように出されたのだが、知らないものは知らない。知ってるふりをされるよりは、俺の疑問は話し手にとって優しいだろう。しかし、俺の返事に聖天子様は苦笑いを作り、隣の木更さんには拳骨を落とされる。そして、それを見た延珠に爆笑された。オイ先人の知恵、仕事しろよ。

 

 

「アジュバント・システム。これは政府の緊急措置で民警を自衛隊に組み込んで運用するとき、各民警で部隊を構成して分隊とするシステムのことよ」

 

「み、民警に組織的な行動をさせるのかよ。ってか、まさか聖天子様、アンタは俺に隊を作れとでも言いたいのか?」

 

「その通りです。統率力のある民警がチームのリーダーとなり、モノリス倒壊の後に迫るガストレアとの戦争に参加して欲しいのです。代わりとなるモノリスが完成するのに、あと九日。そして、侵食液に侵されたモノリスの倒壊まで六日。この空白の三日間、アジュバントを構成した民警の方々によりガストレアの侵攻を防ぎ、東京エリアを死守して頂きたいのです」

 

「........」

 

 

 聖天子様の目は本気だ。本気で二千ものガストレア、そしてアルデバランに武力を以て対抗しようとしている。確かに彼女の言う通り何もしないで死ぬのは癪だ。しかし、だからと言って捨て身の特攻をすることが正解ともいえない。これこそ無謀、蛮勇と呼べるに等しい行為だ。

 それに、アジュバント...民警を組織化して戦場に出すというのも賛同しかねる。民警という輩は『お仲間同士手を取り合って仲良く敵を倒しましょう』なんて平和的な思考を持つ集団ではない。寧ろその真逆、『邪魔をするなら気に入らねぇからお前を先にぶっ殺す』だ。そんな非協力的な不良どもを無理矢理一つところに集めても、いざ戦いとなったらてんでバラバラな行動をするに決まっている。

 

 

「お願いします、里見さん。一度、いえ二度も東京エリアの危機を救っている貴方の御力、この難局を乗り越えるために貸して頂けませんか?」

 

「だけどな、こんな有事に約に立ちそうな民警なんて............いや、いるか」

 

「?」

 

 

 首を傾げる聖天子様を見ず、俺は心の中でその『役に立ちそうな民警』の顔を思い浮かべた。

 

 ...何故か無性に腹が立った。

 

 

 

          ****

 

 

 

 俺はオッサンに助けられたあの日から、ずっとずっと飽きるほどにガストレアと戦ってきた。その理由など、生き延びるため、という言葉以外他にない。

 己より何十倍も大きな化物、己より何十倍も速い化物、己より何十倍も膂力のある化物...言い出したらキリがないくらいに自分より優位な能力を持つ化物と対峙した。それこそ、ただぶつかっただけで容易に死ねるような輩などわんさかおり、しかしそれが全ての戦場において普通だったのだ。

 

 そんなガストレアと度々殺し合った俺は、無論何度も死んだ。ナイフを持って切りかかるも傷一つ着かずに弾き飛ばされ手足を千切り、銃を持ってがむしゃらに撃ち続けると背後から奇襲され上下真っ二つ、這いずり回って逃げると追ってきた化物に下半身を踏みくだかれた。そんな風に数え切れないほど死んで死んで、死んで死んで死んで...奴らとの戦い方を学んだ。

 

 以前、ティナと戦う前だったか。あの時に彼女と交戦するという俺と蓮太郎の意見を真っ向から否定したドクターは、尚も退こうとしない俺に向かい『心臓を潰されれば、超常の再生能を持つお前とて死ぬ』と言われ、それを肯定しながらも戦うことを望むと伝えた。しかし、実は心臓を失っても俺は存命できるのだ。つまり、頭部さえ残れば高確率で全身再生できるということになる。こればかりは判明した時に安心より恐怖を覚え、その後も命に対する人間としての価値観を無くさぬよう、心臓と脳だけは破壊されれば死ぬのだという意識を持ち続けた。故にこのことはオッサンを除き、未だ誰にも打ち明けていない。

 

 ガストレアウイルスの宿主を生かそうとする力は凄まじく、一度宿主が命の危機に瀕すれば、その再生能は飛躍的に向上する。ステージⅤとしての再生速度を以ってすれば、心臓などものの数秒で元に戻し、加えて機能を回復させる事が可能だ。それでも、人間は心臓が無くなれば死ぬ。少なくとも俺は、両手両足の指で数えても足りぬほど命を刈り取られようと、死という感触に慣れることはなかった。 

 

 攻撃は死。防御も死。逃走も死。回避は全力。本命は奇襲。...まだ戦いという戦いが出来なかった俺にオッサンが言ったのはこれだけだ。カスみたいな攻撃はしない方がマシ、それは同等の防御と逃げもそうだと呆れ混じりに説かれた時は腹が立ったものの、いざ実行してみるとどうしようもないほどに事実だった。

 

 最低限オッサンの足手まといにはならなくなってきた頃、ようやくオッサン直伝の技の数々を修得し、同時に自身の中にあるガストレアウイルスが持つ情報を元に、指定した生命体の特徴通り体内組成を変化させる能力を得た。この2つを組み合わせて攻勢に出たところ、あれだけ試行錯誤を繰り返し、しかしその悉くを無に帰された悪魔のガストレアたちが、まるで害虫の如き扱いで己の前に為すすべもなく駆逐されていった。かつ体内に飼うガストレアウイルスで自身を強化し防御力を向上させたことで、飛躍的に負傷率も下がったのだ。

 

 そして───自身の持つ最大の攻撃・防御を会得した『この』ときからずっと。今日『この』時まで、俺は人間に対して技を振るうことなど一度すら考えなかった。

 

 

 

「対人戦ではいち早く敵の癖や型を読み、先んじて手を打ち、その攻勢を防ぎつつ決定打のチャンスを伺います」

 

「くっ、う...とっ!」

 

 

 昼下がりの公園。そこに俺とティナ、そして夏世は集まっていた。公園とは言っても、平日である事とこの時間帯なので、人の行き交いはゼロに等しい。...故に、戦闘訓練をする場としては適している。

 目前には刃止めしたナイフを片手に構え、人間離れした体術を介して徒手空拳から上・下段突きを疾風のように繰り出すティナの姿。一方の対面する俺は、それを受け、または流して何とかやり過ごし続ける状態だ。無論攻守逆転を当初から狙ってはいるが、それを目論んだ瞬間に沈黙しているティナのナイフが動き、それが原因で今日は既に三度も敗北を喫していた。

 勘違いしないよう補足すると、俺の敗北はティナの卒爾な行動に対し防御が間に合わなかったから、という理由ではない。大本の原因は、ナイフを構えること事態がフェイクだということだ。しかし、頭ではそうだと分かっていても、戦場を永く駆けた人間の防衛本能は相当なもので、どうしても分かりやすい凶器の動きに目が逸れ、そして身体が固まった一瞬の間に俺の片腕を掴み、大の大人すら投げ飛ばすほどの膂力を以って引き寄せられると、喉元にナイフを突きつけられてフィニッシュ。それが分かっている俺は、ティナが動く前に先手を打たなければならない。...のだが、こうやって何度か手合わせしても、彼女の癖や型など一向に見えてこない。

 

 

「なので、どれだけその癖や型などの弱点を矯正出来るかで勝敗は決します」

 

「とは言ってもなぁ...っと、アレばっかりは、どうにもならんぞっ」

 

「ふふ、フェイクに動じればやられると、それも無意識に刷り込むしかありません」

 

「っ!」

 

 

 ティナの言葉を聞き終わらぬうちに、拳を打つリズムをさり気なく変えたコンマ数秒の間を逃さず、土煙を上げながら片足を滑らせ、防戦から攻勢へと意識を刹那に変遷させる。風切る拳を打ち出し、まずは彼女の手を─────

 

 

「はっ!」

 

(っ!反応した!?なら、これも罠───!)

 

 

 今し方リズムを変えたついでに拳の握り方を変えた腕が飛び、俺の片腕を外に払った。それは明らかに人間を越えた、恐ろしいまでの反射速度と正確無比さ。だが、俺は序列九十八位としてのティナの戦闘能力を既に体験している。ならば、この戦闘を征するには、人知を超越した一手を更に超えなければならないことは明白だろう。それでも、俺は彼女の動きを熟知しているわけではない。ならば、対抗策を講じるには過去と合わせ現在の知識を総員する必要がある。

 

 片手が宙を泳ぐ。俺が叩き落とそうとしたナイフが銀閃を放つ。これで、また俺の敗北.............いいや。

 

 

「人間は」

 

「っ!?」

 

「学ぶ生き物だ!」

 

 

 踏み込んでいた足を引く。それで俺の前には一歩分の空間が生まれ、そこをナイフは通った。つまり、ナイフの刃は空を切ったのだ。

 それでもティナは焦らない。俺の初期行動を見て既に避けることを確信していたらしい彼女は、ナイフを振り抜いた後に回転し、回避のため片足で地面を蹴る──ところまでを読み切っていた俺は、一度退いたにも関わらず直ぐさま肉薄し、その足を踏みつけた。流石にこれは予想外だったようで一時は瞠目するが、つま先を軸に回転させる運動は止めず、その力のみ向上させることで上に乗った俺の足を滑らせ、拘束を解こうとするという有り得ない思考回転数の速さを披露し、尚も俺を驚かせた。だが、その機転の良さも予測済みだ。

 拘束から抜けたと同時に俺のバランスを崩したティナは、決着をつけるための一撃を徒手空拳の左腕で放つ予備動作へと入る。とはいえ、そんな時間は一秒もないが。

 

 

「オッサン直伝・『日出ずるは瞬の間(アメノオシホミミ)』」

 

「な...?!」

 

 

 ───否、回避行動に一秒もかけるなど遅い。そんな鈍までは強者犇めく戦場で生きていけない。故に速く。疾く。迅く。我が身を既に怪物の爪牙が抉り、心臓に到達する1ミリ前からでも回避できる速さを。

 そういう意図から生まれたのが、この技。通称絶対回避だ。オッサンからは相手の認識をどうこうすることで成り立つと教えられたのだが、やはりこれも原理がよく分からない状態である。ただ、この技は連続使用が出来ないらしい。

 俺は労せずティナの背後に廻り、ナイフを持った腕を掴んで捻ると、背中に回して拘束する。徒手空拳の腕もガッチリと捕まえさせて貰い、痛くならない程度に一連の事を終える。が、そんな気遣いをしても、動きを封じられた彼女はと言うと、納得のいかないような唸り声を漏らしてきた。

 

 

「お~に~い~さ~ん~?そういう技は禁止って言ってましたよねぇ~?」

 

「お、おう?そうだったっけか」

 

「むぅ、私の目でしても捉えられないなんて.....まぁ、お兄さんが強いのは純粋に嬉しいんですが、今は普通の対人体術の指南をしてたんですよ?」

 

「ごめんごめん、ふざけたわけじゃないんだ。ティナの真剣さに触発されちまってな」

 

 

 少し癖のあるブロンドヘアーに手を置き、ポンポンと元気づけるような撫で方をする。お嬢様はそれがお気に召したらしく、尖らせた唇はすぐに笑みの形へ取って代わり、腰に腕を回して抱き付いてきた。と、そこで何の前触れなく『ぴぴー!』というサッカーやらのスポーツを一度はやったことがある人間なら誰でも聞いたことがあるホイッスル音が響き、無表情の中にうすら寒い何かを湛えた雰囲気の夏世がティナに小走りで近づくと、胸元から黄色い札を取り出し、天高く掲げた。

 

 

「イエローカード。ティナさん退場」

 

「イエローカードのペナルティ重いな!?」

 

「く、迂闊でした。...でも、レッドカードじゃなくて良かったと思うべきですか」

 

「ええ?ちょっとレッドの効果知りたくなって来たんだが」

 

 

 サッカーの規則に当てはめるとすれば、本来レッドカードの提示で選手退場となる筈だが、何故か飛那と夏世、ティナの間で取り決めた規則では、イエローカード一枚で即刻退場らしい。一見子どもの遊びに思えるが、ティナは逆らわずに悄然と肩を落として俺から離れた。というかそもそも、コイツの発動条件って一体何なんだろうか。

 ティナの姿が見えなくなると、夏世はこちらへやって来た時より幾分か相好を崩し、近場のベンチに俺を案内したと思いきや、手に持つ救急箱を手早く拡げ、俺の腕を取って甲斐甲斐しく傷の手当てを始めた。

 

 

「あのー夏世さん?俺って傷の修復自分でやっちゃうから必要ないよ?」

 

「いいんです。私がこうしたいだけですから。でも、あまり自分の能力を過信しないでください」

 

「...ああ。ありがとな、夏世」

 

 

 手際のいい応急治療の様子を感心しながら暫く眺め、次に目線を空へ移す。頭上の青空はどこまでも広がり、雲も少ないため太陽の日差しが肌に痛いくらいだ。それでも、こんな陽気だと約一か月前に起きた血生臭い事件など無かったように思えてしまう。

 

 本人から聞いた話だと、蓮太郎は一連の事件を解決した褒賞に序列が三百台まで上がったらしい。数か月前までは俺とほぼ同レベルの低ランカーだったのに、いつの間にかとんでもない大物になっている事に驚きだ。とはいえ、俺は聖天子様に頼んで大きく序列を上げないよう掛け合っているため、自然と蓮太郎との序列の差は開く。別に悔しくはないが、年の功ってやつを分かりやすい結果で示せないのは何処か釈然としない。

 

 

「どうかしました?ふふ、溜息なんてらしくないですよ」

 

「っとと、ナイーブな内面が外に出てたか。いや、蓮太郎の奴が出世街道まっしぐらだからな。なんというか、ままならないなーと」

 

「IP序列なんて、所詮武功が積み重なっただけの無機質な記号です。そんな定規で人の細部を、内面を量ることなどできません」

 

「...内面、か」

 

 

 どれだけ実力があろうとも、人間としての人格が伴わなければ決して信頼しない。

 こんな要求は贅沢とは言わない。人と人とが関係を築く上で至極当然のことではある。しかし、呪われた子どもたちであるイニシエーターにとっては違う。彼女たちに向かい、人間としての感性をそのままに接するプロモーターなどほんの一握りしかいない。

 今日の東京エリアでは大衆が知る事実。それをあるがまま許容する社会の、なんと異質なことか。そう評しても、ここより彼女たちを酷く扱う場は幾らでもある。過去それをオッサンと数多く見て回り、同時に残らず叩き潰してきた。その内容は、これが己と同じ種の者がした行為かと疑いたくなる光景ばかりであったが、大半はその『行為』の真っ最中を目撃し、淡い希望を打ち砕かれてきた。あの時ばかりはガストレアより人間に対して凄絶な憎しみを抱いたものだ。

 

 と、嫌な記憶をえっさほいさと掘削していた時。不意に右手の指先辺りに暖かく湿ったような感覚が襲った。しかも、その生暖かいナニかは俺の指の表面を絶えず移動している。ここまで考えて、もう大分状況を呑み込めてしまった。

 

 

「あの、夏世さん?なんで俺の指舐めてるの」

 

「傷口に唾液をつける行為には医学的根拠があります。ふふぅぉうふぇふ(有効です)

 

「君の隣に民間療法最大の味方があるでしょう!コラ、もぐもぐしないの!」

 

 

 そんな風に夏世と公園のベンチでくんずほぐれつやっていると、本日二度目の『ぴぴー!』というホイッスル音が響き渡った。それも二つ。驚いて音の発信源に目を向けると、その先には猛然と駆けるティナと飛那の姿を発見。そして、二人の手には太陽光を反射して赤く輝くカードが。というか、俺のところまで2mない場まで近づいても減速してないってことは、まさかこのまま突っ込む気じゃないだろうな!?

 

 

『レッドカード!夏世(さん)今日一日樹万(お兄さん)と接触禁止!!』

 

「ちょ、お前ら止ま.....ごふぅ!」

 

 

 腹部に強烈なタックル×2。幾ら軽い少女とはいえ、二人分の突貫だとかなりの衝撃だ。長年ガストレアのパンチに耐えて来た俺でもグロッキ―になるのが良い証拠である。それは兎も角、二人とも少し登場のタイミングが良すぎるのではないか?...もしや、ティナは退くふりをしてどこかで見張っていたのだろうか。それとも、こうなることが初めから分かって、買い物に行っていた飛那を援軍として呼んできていたのか。どちらにせよ、夏世には悪いが、このまま二人に連行していってもらおう。

 

 

「お、おい?樹万...お前何やってんだ?」

 

「その声、は...蓮太郎か?」

 

 

 前方から飛んできた聞き覚えのある声に反応し、腹の痛みを堪えながら顔を向ける。すると、やはりお馴染みの不幸顔の少年が呆れたような表情で立っていた。開口一番憎まれ口でも叩いてやろうかと思ったが、何故か蓮太郎の目には俺を軽蔑するような意が含まれていた。

 

 あとで聞いたところ、『あの時のお前を傍目から見たら、幼女を日中から侍らすどうしようもない変態』だったそうだ。無論腹が立ったので、取りあえず一発殴っておいた。

 




夏世ちゃんって、将監サンがあんなだから家事スキルはもの凄く高かったと想像しております。
食事面では夏世ちゃんが和洋中オールマイティにこなせ、オリ主が長年の経験で夏世ちゃんほどではないにせよ結構うまく、ティナがピザマシーン、飛那は...インスタントマシーン(白目)

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