ブラック・ブレット -弱者と強者の境界線-   作:緑餅 +上新粉

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結構前々から書きたかった内容なので、更新早めです。
.....え、一か月って遅い?

※最後の方、少しばかり改訂しました。


50.不帰

「長正様ッ!!」

 

「ストップだ」

 

「っく?!何故止める────、ッ!」

 

 

 一も二も無く飛び出そうとした朝霞の手を引き、入れ替わるように前へ出ると、後ろ手にバレットナイフを発砲し、飛来してきた二本の触手を撃ち抜く。これで痛みに仰け反った触手は本体へ撤退するはずなのだが、どういうわけか軌道を修正して再度肉薄をしてきた。

 俺は驚きながら手を動かし、右方向から迫った一本を掌底で横に流し、正面からの一本は拳で打ち、半ばまで爆裂させた。その後はすぐに朝霞を背に乗せ、森に入る。

 

 

「....すみません、美ヶ月さま」

 

「謝ることはない。親しい誰かがあんなことになってたら、誰だって取り乱す」

 

「.......」

 

「ともかく、あの場は危険だ。奴は俺に対して手抜きを止めつつあるからな」

 

 

 先ほどまでは俺の傍が最も安全ではあったが、アルデバランの警戒対象となってしまったらそれもおじゃんだ。朝霞はここにおいていかなければならない。

 攪乱のために森の中を駆けながら、俺は腰に提げてある予備のワルサーP99を抜き、装填後に背後の朝霞へ手渡す。

 

 

「ここは親玉の間近だから、恐らく取り巻きもそうこないだろうが、持っておいてくれ」

 

「....では、私からはこれを」

 

「これは────朝霞の刀か」

 

「はい。貴方はアルデバランの触椀が見える。であれば、銃より此方で対応したほうが効率的でしょう」

 

 

 朝霞は自身が持っていた刀を器用に腰のベルトへ挿し込んでくれる。それを頼もしく思いながら、アルデバランの丁度背後辺りで足を止め、彼女を降ろす。そうして降りた彼女は樹木に手を着き、折れた足を浮かせながら立つと、悔しそうな顔を此方に向けて来る。

 

 

「すみません。....その、お手数をおかけしました」

 

「負い目を感じてるなら生きてくれ。そうすりゃ、俺がここであのデカブツと戦う意義があるってもんだ」

 

「意義、ですか?」

 

「ここにいる誰かを守るために戦えるってことだ。性分だろうが、死んだ人間の仇を討つっていう意義は、戦う理由付けとしちゃあんまり好みじゃないんでね」

 

 

 風を切りながら闇間を抜けて来た触手を素早く抜いた刀で撃退してから、朝霞の問に答える。

 戦場の経験、というものから来るのだが、どうも弔い合戦という名目で戦っている連中は碌な死に方をしたためしがないのだ。ともすれば憎しみという言葉にすり替えられる『仇討ち』とは、負の側面が強すぎるのかもしれない。

 故に、俺はガストレア戦争の折、助けられなかった人たちの無念を晴らすため、というより、今いる人たちの命を守るため、という考えが強かったのだろう。マイナスの感情より、プラスの感情を燃料に身体を動かした方が生産的かつ、精神衛生面でも安全だ。

 そんな俺を見て、どういう想いを抱いたのだろうか。朝霞は磨かれ抜かれた刀のような瞳をフッと緩めると、手に巻いていた鉢金を額に巻きつけた。

 

 

「抗いましょう。たとえ生き汚くとも、死しては守る守らないの選択肢すら、与えられないのですから」

 

「ああ。.......待ってろ、我堂長正は必ず生きて連れ戻してくる」

 

「はい、よろしくお願いします。────美ヶ月さまも、ご無理をなさらぬよう」

 

 

 片手を挙げて応え、俺は森を抜ける。

 

 

          ****

 

 

 

「オッサン直伝・『天の岩戸粉砕突き(アメノウズメ)』!」

 

 

 残してきた朝霞に攻撃の手が行かないよう、森を出てすぐのアルデバランに痛烈な一撃をぶち込んでおく。インパクトを受けた右後ろ足は大きく波打った後、轟音とともに水の入った風船が弾けるようにして消し飛び、支柱の一つを失った巨体が右へ傾ぐ。

 その最中に腹の下を駆け抜け、バラニウムナイフの数本を投擲して腹部と喪失した足の断面に打ちこむ。そして、その先に見えた我堂団長....を拘束する触手に向かい、バレットナイフを速射。

 アルデバランは身体の立て直しに夢中になっているため、狙い通りに妨害なしで我堂団長を救出することができた。あとは─────、

 

 

「ち、もう再生し終わったのか。速いな」

 

 

 根元から丸ごと、とまではいくまいが、半分は失われたはずの長大な肉の塊が、ものの三分ほどで再生するなど常軌を逸している。これが不死身と言われたアルデバランの再生力か。

 俺は我堂団長の移送を一旦諦め、猛烈な速度で飛来してきた触手を真横に払った拳で弾き、続けて追って来た三本は跳躍で躱し、地面へ突き刺さった二本を踏みつけ、直後に薙いだ刀で切断。もう一本はバレットナイフで撃ち抜く。その最中に、

 

 

開始(スタート)。ステージⅢ保持(リテンション)。因子を追加。指定因子の遺伝子情報共有完了。モデル・ヒポポタムス』

 

 

 ヒポポタムス。名称は河馬(カバ)。アフリカのサバンナに主に棲息したと言われる、あまりにも有名な動物だ。この河馬は巨大な顎による咬合力が際立った特徴として挙げられるが、その皮膚の厚さも動物界では屈指のものだ。

 つまり、この場面で登用した理由としては、単純な防御力の向上である。皮膚の硬質化、多層化により変色はするが、顎から上の皮膚には適用していない。そのため、衣服を着ている限りは見た目の変化はほとんど見受けられないだろう。

 遺伝子操作後特有の酩酊感に抗いながら、後方で倒れ伏す我堂団長の元へバックステップで接近を試みる。最中に次々と伸びてくる触手をバレットナイフで迎撃していき、捌けないものは抜いた朝霞の刀で切り、弾き、絡め取って引きちぎる。見た目は人間のままでも、こんな戦い方をしてるところを常人に見られたら致命的だ。

 我堂団長の元へ辿り着くと、一度迎撃のペースを速めてから素早く身を翻し、彼を抱えて疾走を開始する。唐突な上下運動に気が付いたか、彼はそれまで閉じていた目を開け、俺の顔を見たのだろう。すぐに無力感を多分に含んだ笑みを浮かべた。

 

 

「美ヶ月、か。お前が()の一番に此処にたどり着いたということは、他は全滅したか」

 

「他?どういうことだ」

 

「最初にアレと対峙した時、己が思考した万策を尽くしても敵わぬと察知してな。一人で戦うことにしたのだ。私直属のアジュバントのメンバーには、まだ生存の芽がある周囲のガストレア掃討を命じていたが....その望みも薄いだろう」

 

「........」

 

 

 やはり、我堂団長は分かっていたのだ。ここにいるアルデバランが、記録通りの存在とは程遠いことに。

 ならば、作戦方針を変えることは必然。勝つためではなく、死なないためという大幅な下方修正を余儀なくされた。

 

 

「アレの猛攻を搔い潜れるのは私と朝霞くらいのものでな。他に誰がいたとしても、恐らく一分ともつまい。故に、私は勝つことではなく、彼奴を撃退することを考えた」

 

「だが、攻撃すら真面にできなかった、か?」

 

「フ、情けない話だがな。アレの触椀の動きは人の目には見えんよ。お蔭で、碌に対抗策もひねり出せぬまま朝霞も斃れ、私は真面に刀も握れん始末。あとは、朝霞を戦場から離脱させることが精一杯だった。....それに、奴は遊んでいた。まるで狩りをする猫が、捕食する鼠をすぐには殺さずに足で跳ね飛ばすようにな」

 

 

 我堂団長は、風を切る音が常に耳を苛む最中でも聞き取れるほど歯を噛み締め、全身のうち、満足に動く右腕と顔だけを使い、悔しさを体現する。遊ばれていた、というのは、命の取り合いを念頭に置いて戦に望んでいた彼に対し、これ以上ない屈辱なのだろう。

 俺はアルデバランの様子を伺いながら、次々と伸びる触手を搔い潜る。壮絶な遠心力にさしもの我堂団長も苦痛の呻きを上げるが、何とか最も危険なエリアを脱することに成功。それとほぼ同時に、手の中に忍ばせて置いた小型の『起爆装置』の安全ピンを抜いてから押し込む。

 

 

「そら、もっかい倒れてろ!」

 

 

 直後、アルデバランの腹部を中心に爆音と火炎が吹きあがり、今しがた再生したばかりの右後ろ足も、内側から溢れ出した熱波に耐えられず膨張し、やがて湧きあがる焔とともに弾けた。

 実はアルデバランの股下を通るついでに投げたバラニウムナイフには、超小型プラスチック爆弾が仕込まれていたのである。腹部に向かって投げたものは、やはり大きな打撃を望めなかったようだが、本命である後ろ足に仕込んだものは期待通りの効果を上げてくれた。

 爆破の衝撃で破砕したバラニウム片によって驚異的な再生能は抑制され、爆炎が肉を食い破る速度が勝り、結果的に再び右後足を失ったアルデバランはバランスを崩し、身体を傾がせる。

 

 

「ありえん、あの化物をこうも手玉にとるなど」

 

「残念だが、策もこれで打ち止めだ!あとは朝霞を回収して撤退するぞ!」

 

「待て、美ヶ月。私はここに置いて行け」

 

「馬鹿言うな!アンタがいなくなったらな、俺だけじゃない!みんなが困るんだよ!」

 

 

 我堂団長の弱気な発言に構わず疾走し、朝霞を置いてきた森の中へ入る。鬱蒼とした樹林の中で感覚を巡らし、彼女は何処にいるのだったか、そう考えていた途端に腹、顎へ脈絡のない衝撃。思わず抱えていた彼を離してしまう。

 朝霞を探していたこともあり、奔る速度は落としていたとはいえ、それでも常人のものとは比べようもない速さだ。慣性に引っ張られた我堂団長は吹っ飛び、地面に叩き付けられる。

 

 

「く....なんのつもりだ。ここでアルデバランに殺されたいのかよ」

 

「ああ、その通りだとも。君は気付いていないようだがね。───私は既に死に体だよ」

 

「ッ......!」

 

 

 我堂が強化外装(エクサスケルトン)を外して見せた内側は、凄惨な有様だった。コレを億尾にも出さずにここまで会話を続けた精神の強靭さは、並大抵のものでは無い。

 そう、彼が言った死に体という表現は正鵠を射ていると言える。触手に貫かれた孔は急所を上手く外していたが、ここまで骨と肉を掻き混ぜられてしまっては、治療など不可能だろう。幾度も強い衝撃を受けたことが主な原因だろうが、普通ならこうなる前に痛みで死んでいる。

 

 

「こんな身体で戻ったところで、他人の不安を煽ることにしかならんだろう。ここで死ぬのが、最も周囲に波風立てぬ手よ。....それに、な。今までしてきたやせ我慢もここいらで潮時だ」

 

「っ............せめて、朝霞には会っていってくれ」

 

「朝霞、か....あぁ、そうだな。そう────ぐふッ!ガハッ!」

 

「ちッ、今更思い出したかのように死にかけてるんじゃねぇよ!ここまで来たんだ、頼むからもう一息持ってくれ!」

 

 

 激しく吐血した我堂団長を抱え直し、疾走を再開。彼とのやり取りの間で、朝霞の居る場所に大方の見当はついていたので、その歩みに迷いはない。

 我堂団長の顔は、過去に何度もその目で見てきた死にゆく人間の表情をしている。だが、()()は何の憂いもなく安心してこの世を去れる者のする形相ではない。それは、後悔、憤怒、怨嗟。そういった()()()()()()()を内に未だ秘める者のする顔だ。

 やがて、俺は朝霞のいる樹木の傍らにたどり着く。思わずといった形で銃口を此方に向けた彼女の手を、そうするだろうと分かっていた俺は先んじて掴み、ゆっくりと降ろさせる。

 そして、朝霞は現れた()()が何者かを視界が広がったことで気付いたのだろう。色覚が失われようともわかるほど血の気が失せたような表情を顕わにした。

 

 

「長正さまッ!?そんな、もしかして.....!」

 

「く、ぬ....朝霞。大きな声を、出すな。頭に、響く」

 

「あ......」

 

 

 俺にぐったりと身を預ける血塗れの我堂団長の姿を見た朝霞は、もしやと思ったのだろう。彼からの返事があると、一転して心の底から安堵したような顔へと変わる。だが、いずれにせよ、もう彼に猶予はないのだ。そして───それを伝えるのは、俺であってはならない。

 

 俺は我堂団長をその場に降ろすと、短く息を吐いた後に踵を返す。

 

 あるいは、という予測は戦争前の演説で既にあった。それが確信へと変わったのは、彼が弱った隙に見せた朝霞を呼ぶときの顔....そう、()の顔をした時だ。

 

 

「み、美ヶ月さま?何処へ行くのですか!」

 

「積もる話は五分で済ませてくれ。その時間は俺が何としてでも作る。....だから、現実を受け入れる強さを持つんだ」

 

「え─────」

 

「頼むぞ」

 

 

 俺はそれだけ言い残し、寸前までに迫っていたアルデバランの伸ばす触手を掴み、身体を反転させながら捩じって螺旋を作ると、そのまま後方へ引っ張って千切る。そして、駆け出しざまに朝霞の刀を抜き、片手で触手の一撃を受け、別方向から飛んできたものを斬り落としながら、受けた一方を掴んで捩じり、同様に切って捨てる。

 森の隙間を通って響いて来る咆哮は、怪物の怒号。それに呼応するかのように、俺は静かに口を開く。

 

 

「『開始(スタート)。ステージⅢ保持(リテンション)。現行発現種の遺伝子情報編纂─────。』」

 

 

 

          ****

 

 

 猫の持つサッケードは、連続して移動するものを優れた精度で捉える性質がある。故に、目と脳への負担がかなり大きい。例え五分程度の戦闘でも、音速近い物体が飛び交う中での交戦に対応するということは、それに応じて体感する時間も緩慢になるということになる。

 人間では到底処理しきれない高精度かつ膨大な視覚情報。それは正しく()()()()であり、五分間アルデバランの伸ばす触手全てをサッケードで対応すれば、目と脳は使い物にならなくなるだろう。

 そこで、俺は避けるべきものだけを目視し、避けなくてもいいものは視ていない。避けなくても良いものは同時発現しておいた河馬の因子による分厚い皮膚で致命傷を逃れており、反して避けるべき位置とは───言うまでもなく人間の生命維持に直結する重要器官を内包した頭や胸部、そして運動能力の大部分を依存する足だが───それに対する一撃だろう。

 そして、脳と目にかかる負担を極力軽減し、五分....否、体感では一時間ほどの攻防を終えた俺は、最後にサッケードで全ての触手を目視し、そこに在るものを総じて迎撃した後に我堂団長たちの元へ戻る。唐突な手痛い殲滅に怯んでいる今が狙い目だ。

 痛む目の奥と脳髄を冷ましながら、聴覚だけで周囲の状況を把握しながら走る。そして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()俺は、着いてからすぐに我堂団長へ問いかけた。

 

 

「で。決まったか、我堂長正団長。貴方が望む最期は、どんなものかを」

 

「───────ハ」

 

 

 ────そして、俺は素直にこの男の底知れなさに慄然とした。

 だって、嗤っているのだ。この我堂長正という男は。下半身は壊死した腰と腹部の骨肉塊により血流が阻まれて動かず、応急処置が施されているとはいえ、身体に複数の穴を空けながらも。

 

 ....だが、だからこそ俺は問うことが出来る。我堂団長が、これから()()するのかを。

 

 その瞳は、未だ生への渇望に溢れている。命という灯を燃やす油が無いのなら、自らの肉を千切ってくべるほどの、いっそ生き汚いと呼べるほどの往生際の悪さを、この男は見せているのだ。

 そんな、死ぬ定めと分かっていながら、およそ数十分にも満たない僅かな時に絶対的な意味を見出そうとしている我堂長正は、死に体とは思えぬはっきりとした声音で、俺に告げた。

 

 

「先の搦め手で、あの怪物を一時とはいえ行動不能にした()()。あれをありったけ寄越せ」

 

 

 

          ****

 

 

 あれからいくつかの策を講じた俺と我堂団長は、方針が固まり次第出発し、現在は森の中を進んでいる。彼の足は既に使い物にならなくなっているため、俺の背に乗り、片手でバランスをとっていた。

 一方の朝霞は足の骨折に回復の兆候が見られたものの、戦場に連れることは我堂の意見により取り下げられた。

 だが、きっと彼女は───────。

 

 

「────美ヶ月」

 

「?」

 

「私と朝霞の会話。聞いていただろう」

 

「....まぁ、な」

 

 

 事実だ。否定はしない。それに対し何かしらの小言でもあるのかと思ったのだが、そんな予想に反して我堂団長は笑みを漏らす。

 

 

「ならば、話は早い。....朝霞を、頼む」

 

「..........」

 

「朝霞は忠義に厚い。それゆえに、()()()()。....あれで、結構な民警を斬ってしまった経歴がある」

 

 

 俺は黙って我堂団長の声を聞く。目前から飛んで来る触手の対応に集中しているかのように見せかけて、口を開かずに。

 朝霞は、民警には最も扱いずらい性格だろう。義を重んじ、与えられた責務を確実に果たす。何もかもを中途半端で済ませようとする彼らからすれば、この性質は鬱陶しいことこの上ない。

 しかし、朝霞は考えを、自分の在り方を変えなかった。罵声を浴びようと、暴力を受けようと、間違いは間違いだと、そう指摘し続けた。

 

 

「朝霞を分かってやれるのは....もう、お前くらいのものだろう」

 

「そうか」

 

「ああ」

 

「でも、それを決めるのは俺じゃない」

 

「......フ、今の言葉でお前の人となりは大分理解したぞ、美ヶ月」

 

 

 俺はそれに対する返事はせず、何故か上機嫌そうな我堂団長を肩に乗せたまま、幾つかの触手を搔い潜りながら森を抜ける。真面に回避行動を行うと彼が危ないので、上手く間を縫うかバレットナイフでの迎撃でやり過ごし、辿り着いた。

 これまでの交戦により、奴の攻撃対象は完全に俺へ移行している。触手の動きに最早遊びは無く、少しでも隙を見せようものなら貫く、と言わんばかりの剣呑さを漂わせていた。

 とはいえ、それまで碌に姿を見せぬ森の中での迎撃、交戦が主だった中で、唐突に正面から姿を晒してきた俺たちを訝しんだのだろう。アルデバランは出方を窺うように体の前面で無数の触手を揺らす。

 

 

「チャンスは一度きりだ。うっかり、意識を飛ばすさないでくれ」

 

「なに、この死にかけの爺相手に、ここまでのお膳立てをしてくれたのだからな。....義理は果たす」

 

 

 何とも、頼もしい言葉だ。強い望み、願いというものは、死に蝕まれる人をもここまで精強にさせるのか。

 流石に、永く血に彩られた戦場を渡り歩いた中でも、これほど精神の強さのみで死を遠ざけ続けた者は類を見ない。こういう人間は恐らく、精神(こころ)を先に殺さねば、肉体を殺しても死なないだろう。

 ああ、故に頼もしいのだ。そして恐ろしいのだ。

 

 ────この男は、己が望みを達するまで死なぬと信じられるからこそ。

 ────この男は、決してこの世を赦しはしないと分かってしまうからこそ。

 

 

「ふぅっ、─────行くぞ!」

 

 

 駆ける。その軌道は愚直なまでの一直線。

 我堂団長は俺の首に唯一動く右腕をガッシリと巻き付けると、対する俺は我堂の左肩をガッシリと掴む。そして、

 

 

「ぐううううおおおおおおッ!」

 

 

 強烈な遠心力に蹂躙される我堂団長の苦鳴が鼓膜へ届く。雪崩のように触手が迫っているのだから、サッケードによる回避性能がフル稼働するのは当然のこと。それが高速度の動作であれば、身体に掛かるGは戦闘機に乗ってアクロバット飛行するのと同等のものとなる。

 しかし、これは雨の中を潜るようだ。たとえ動きが緩やかであろうと、隙間が無ければ回避はしようにも出来ない。そして、攻撃を貰うか足を止めてしまうかすれば、存在していた隙間はあっという間に壁となってしまう。

 ましてや、今は我堂団長を脇に抱えていることもあり、回避のために通る面積は広く見積もらねばならないのだ。この苦境、決して無傷では抜けられまい───。そう思った矢先だった。

 

 

『────?!しまった!』

 

 

 右が際どいため、左に行ったら抜けられるかと思ったが、失敗だ。右が駄目なら左と人間的な思考の帰結に至ってしまった。これはむしろ一歩下がって迂回するのが正解だ。このまま無理矢理抜けたら、恐らく。

 だが、もう進んでしまっている。後退の判断、行動はコンマ数秒前に為していなければならない。故に、文字通り進むほか道は無い。

 

 

「ぐゥ!?」

 

 

 我堂団長の左腕がちぎれ飛ぶ。通過した拍子に掠った程度だが、音速近い速度で運動する物体に僅かでも衝突すればこうなるのは必定。掴んでいた俺の右手も衝撃を貰ったが、河馬の皮膚が衝撃をやわらげ、薬指が弾ける程度で済んだ。

 俺は思わず我堂団長に意識を向けかけるが、垣間見えた彼の瞳が雄弁に語っていた。

 

 構うな。前だけを見て走れ、と。

 

 

『おおッ!』

 

 

 そうだ。何を悩む。足踏みをする。ついさっき自分で断じたばかりではないか。

 この男は、心の臓を砕かれない限り、何があってもこの時だけは生き続けるのだ。

 数秒後に形作る己の結末。それを目し、答えを得ない限りは、死と言う逃避など許されない。我堂長正は、この後に訪れるアルデバランとの交錯で、自分が歩んできたこれまでの生を精算しようとしている。

 

 

『ここが、一人の武人の死地になる訳だ!なら、見送りする人間としちゃ、舞台を整えてやるのが道理ってもんだろう!』

 

 

 俺は隣の我堂団長を一切気にせず、自分にとって最適な回避手段のみを選択して駆け抜ける。安全策を選んで悪戯に時間を消費するより、多少のリスクを呑みこんで最短を行ったほうがいい。

 

 今の彼にとって最も敵と成り得るのが、確実に命を蝕んでいく『時間』なのだから。

 

 飛来してくる触手を左右に跳んで避ける。もしくは手で弾く。時折飛んで来るバラニウム侵食液は空いた拳で打ち払い、周囲の触手共々爆散させる。それらを幾度と繰り返し、色彩を失った世界を走る。

 サッケードによって捉える速度に対応するため、脳が音速の世界にいることで、体感時間が酷く遅い。五分の攻防が一時間に思えたように、この交錯もスローモーションの動画みたく引き伸ばされている感覚に陥る。

 

 

『ッ!』

 

 

 それもやがて終わる。触手が視界から消え、映るのはアルデバランの胸部。あらゆる生物の特性を編み込んだ分厚い灰色の皮膚だ。

 ここが、俺の()()()地点。

 そして、我堂長正にとっては()()()()地点だ。

 

 

「今、こっちから迎えが行くからよ、そこで待ってろ!『オッサン直伝・天の岩戸粉砕突き(アメノウズメ)』!」

 

 

 胸部への凄絶なインパクト。拳をねじ込んだ途端に、バヅッ!!という鈍い音が響き、弛んだ外皮が破れて大量の血液が迸る。が、効果は薄い。足と比べて肉の厚さが相当にあるらしく、()()()()()()()の威力ではここが限界らしい。

 それでいい。俺の攻撃は、アルデバランに有効なダメージを与えることが目的ではないのだ。

 

 

「我堂ッ!!」

 

()()()!美ヶ月ィ!!」

 

「オオオオオオオオオオオオオっ!」

 

 

 オッサン直伝技で得た出所不明の力が残る腕力を用い、傍らにいる我堂団長を、抱えていた手で()()する。人間を投げるなどあり得ない所業だが、俺の手から放たれた彼は猛烈な速度で垂直に跳び上がり、上空で苦悶に喘ぐアルデバランの頭部に向かって飛翔した。

 これは、我堂団長自身が提案したことだ。己の身体に超小型プラスチック爆弾を付属してあるバラニウムナイフを仕込み、自分自身が弾頭となって奴の頭部へ肉薄し、その命と引き換えに『一度』殺してみせると。

 その提案に面喰った俺と朝霞だったが、我堂団長の目に冗談の色がないことに気が付くと、俺は先の意見を上げたのだ。そして、今度はそれを聞いた我堂団長の方が面食らったのは言うまでもない。朝霞に至っては二度目だ。

 アルデバランは恐らく、死と言うものを知らない。何故そう言えるのかと問われれば、俺と戦った時に初めて触手を切断された瞬間、痛みに怯えるような挙動を見せたからだ。であれば、初めての死という感覚は筆舌に尽くしがたい恐怖を与えることができるだろう。撤退の可能性は非常に高い。

 

 

「ッ?!不味い!」

 

 

 突如、上空を進む我堂団長の真横に灰色の影が映り込む。

 予想が甘かった。アルデバランが痛みで前後不覚になったことはいい。これで己に迫りくる我堂団長に気付く可能性はぐっと低くなったからだ。だが、それは必ずしも良い結果を生むだけとは限らなかった。

 

 暴れた拍子に飛んだ触手の一本が、我堂団長の下半身を丸ごと刈り取った。

 

 

「──────────」

 

 

 

 ────────。

 

 ───────。

 

 ──────。

 

 

 ───それでも。....それでも、命ある限りは。と、内に在る()が謂った。

 毀れる肉体。雨下し失われていく命。この世に踏みとどまる限り終わりることの無い痛み。

 その中にあっても、彼の男は嗤う。

 

 ────我堂長正は、アルデバランの頭部に壬生朝霞の刀を突き立て、終端(答え)へ辿り着いていた。

 

 

「ハハ。そうか」

 

 

 我堂は()()に隠していた起爆装置を転がしながら微笑する。

 風圧で棚引く着物の下には、黒い刃を無数に突き立てた死にかけの肉体。左腕を失くし、片耳は削げ落ち、左目はとうに潰れている。

 

 だが、アルデバラン(怪物)はそんな半身の男の背後に鬼神を幻視し()た。

 

 途端、与えられた望まぬ痛みに対する苛立ちは蒸発し、取ってかわるのは際限のない恐怖。

 ...恐怖?恐怖とは何だ。この身を堅く縛る筆舌に尽くし難い感覚を謂うのか。では何故、恐怖する。この身は不死なれば。眼前の矮小な生物が何をしようが───

 

 

「成程───やはり、私は今ここで貴様を殺すために、生きてきたのだな」

 

 

 直後、両歯の間に挟まれた起爆装置が押し込まれ、砕ける。

 

 そして、男の憤怒が具現したかの如く焔が吹き荒れ、文字通り、怪物の頭は跡形もなく消し飛んだ。

 

 

 

 そして───初めての死を味わった人ならざる者の絶叫が、戦場に響き渡る。




我堂のおっちゃん、退場。
地味にちゃんと名前出てる悪役以外のキャラで死亡したのは、彼が初めてではないでしょうか。

一応、我堂長正と壬生朝霞の過去は掘り下げるつもりです。特に我堂のおっちゃんは原作じゃ碌に語られないまま居なくなってしまいましたからね....

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