ブラック・ブレット -弱者と強者の境界線-   作:緑餅 +上新粉

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ドイツ旅行してみたいです。(フォローの意も込めて


First Contact -Ⅱ-

 男は、昔見た映画の一つで、まさにこういうシチュエーションのワンシーンがあったな、と霞がかった思考を巡らせた。

 

 その時は、果たしてどう思ったのだったか。怪物どもが外をうろつく恐怖と、己の命が尽きていく事実に絶望する登場人物たちを見て。

 大方、『もっと良いやり方があるだろう!』とか、『僕だったらこうするね。これなら、もっとうまく立ち回れるに違いない!』とか、スナック菓子の袋を漁りながら偉そうに語っていたに違いない。

 今となっては、そんな過去の自分を殴ってやりたい気持ちであった。

 

 

「……」

 

 

 男の名をフェリクス・カント。ハイデルベルク市街で喫茶店を営んでいた、普通の人間だ。今年で35歳になる。

 元々フランクフルト在住であったが、都会の空気が嫌になり、行員を辞め、ハイデルベルクに越してきて喫茶店を始めた。お手本のような人生の急転換だ。

 無論、そうするに際しての不安はあった。というより不安しかなかったフェリクスだが、そんな思いを尻目に店の経営は日を追うごと軌道に乗り始め、妻と子にも恵まれた。

 気がつけば、パソコンのキーを打つためだけのものだと自嘲していた己の手は、常連客に『アンタのコーヒーは世界一だ!』と言われる程のものを挽けるようになっていた。

 だから、この場でもやっていけると思った。ここで順風満帆の人生を続けていけるものだと。

 

 しかし、世は非情であった。

 

 突如現れた人を殺す怪物(ガストレア)。ハイデルベルクは瞬く間に、それらに侵略された。

 軍が決死の覚悟で応戦していたが、防衛線はみるみるうちに後方へ押しやられた。それを友人の伝手で知ったフェリクスは恐慌し、食料の多くを車に詰め込んでハイデルベルク城へ一人避難した。…家に妻と子を残して。

 城は複雑に入り組んでおり、立て籠もれば助かると思ったのだ。そして、そのうちに軍が応援を寄越し、あの怪物どもを駆逐してくれると。

 

 この判断の結果を言うなら。半分が正解で、半分が不正解であった。

 

 フェリクスのした、城の構造上ガストレアに見つかりにくいという判断は、正解だ。暗所や狭所を好むものがいれば結末は変わってしまうが、幸いそういう類の生物がここに近づくことはなかった。

 そして、軍の応援が来る、という判断。これが不正解だ。あの時は既に首都であるベルリンすらガストレアの侵攻を許し、国としての機能の大半を失っていた。

 寧ろ、各地に散在する彼らに、ベルリンへの結集命令が出ていたのだ。応援など永遠に来る筈もない。

 

 そんなことは、三か月にも及ぶ籠城生活で、とうに分かり切っていた答えだった。

 

 一過性の恐怖に任せて保身に走った結果がこれだ。その報いとして彼は己の大切なものの全てを失い、失意の底に沈みながら辛うじて生き続けるだけの木偶の坊と化した。

 フェリクスは妻と子に謝りたかった。本当に済まなかったと。

 そして、出来るのなら二人の手で、死の怖さ故に尚も生きようともがく臆病者の命を終わらせてほしかった。憎悪の眼差しも、怨嗟の言葉も、受け入れる覚悟はあるのだ。

 だが、とフェリクスは思う。こうして生き続け、苦しみ続けることこそが、己に科された罰なのではないかと。

 

 そうして、フェリクス・カントはハイデルベルクで、ただ一人の生存者となった。

 尤も、この衰弱しきった彼の状態を見て、手放しに幸運だったと評せる者はごく小数に限られるだろうが。

 

 ───と、それまで濁った眼で地面を眺めていた彼の視線が動く。

 

 

(なん、だ…爆発?)

 

 

 幻聴ではないはずだ。微かに振動も感じる。

 フェリクスは思わず身体を動かしかけるが、思った通りに足へ力が入らず、赤い石材の地面に顎を強打する。その激痛に悶絶しつつも、声だけは出すまいと口を噤む。

 長い期間に渡り碌に運動もしていない身体では、全盛の頃の意識のまま四肢を動かすとこうなる。それを学んだフェリクスは、血の味がする唾液を嚥下し、ここに来てからずっと使っていた、石材の隙間という監視場所を覗く。

 ごく限定的な地点しか見えないが、他に二つほど少しずつ掘削して作成したものがあるのため、それと合わせれば大まかな外の状況を掴める。

 そして、フェリクスが現在覗いているのは、旧市街の景色が見える小穴だ。

 

 

(!…町から煙が、上がってる)

 

 

 籠城期間中、ガストレア同士が争う騒ぎなど一度たりともなかった。

 つまりは、あの怪物以外の何かが、あそこで暴れ回っている、ということだ。

 

 

(何だ、一体何なんだ?今更どんな化物が湧いて出てきても、僕の結末にそう変わりはないだろうし、特に驚くことなんかないけど…)

 

 

 フェリクスは手元に落ちている缶詰の空容器を注意しながら横に退け、石材の壁に背を預けて深く息を吐く。

 ────鼻孔を抜けていくのは、すっかり慣れた腐臭と、汚物の臭いが入り混じった空気だ。

 何となく投げた視線は、食べ物や飲み物の入っていた容器が山積する窪地や、糞尿がぶちまけられた部屋の隅、外へ続く鉄柵と、順繰りに移っていく。

 

 もうそろそろ、食料が尽きる。そこが、同時に彼の命運も尽きる時だ。

 

 フェリクスは、望んでもない殺された方をした挙句、苦しみ喘いで死ぬのは嫌だった。

 だからこそ、その最たるものと言える、ガストレアに腸を食まれて死ぬ結末だけは避けたかったのだ。

 なら、このままゆっくりと衰弱していくことが、いずれ迫られる死の中では最善の選択肢であろう。…そう、結論した。

 

 

「……」

 

 

 この後に及んで楽な死に方を模索する己の臆病さに苦笑いを零すフェリクスだが、その臆病さのお蔭で、ここまで生きながらえたのだ。

 とはいえ、逃げ続けるだけの弱者が勝利を掴めるわけもなく。

 過程は違えどもたどり着く道は一緒で、『死』なのだから────、

 

 

『アッ!やべぇ!』

 

 

 直後、何の前触れも、何の事前通知もなく己が背を預けていた石材を何かが突き破り、フェリクスはゴミ溜めの中に頭から突っ込んだ。

 

 壮絶な異臭が彼の鼻を衝く。三か月間も放置し続けたそれは、少し離れた場所に居さえすれば生活臭としてギリギリ許容できたが、流石にこうも近場だと次元が違う。

 軽くえずきながら頭を引っこ抜き、混乱の渦中に放り込まれた状況のまま、ただ一つ理解できる『異常事態』という認識を頼りに現場の評価を試みる。

 

 

「ィヒぁ…!?」

 

 

 三か月間にわたって動かして来なかった声帯を唐突に使用した所為か、悲鳴の音程が何処か上擦る。

 そう、悲鳴だ。彼はガストレアとの命がけのかくれんぼを何としてでも続けるため、ここに来てから一度たりとも声をあげていなかった。

 だというのに、その努力を一瞬で水の泡にする暴挙を、たった今行ってしまったのだ。

 

 しかし、そうなるのも当然である。フェリクスの目前には、己をこんな場所へ閉じ込めるに至った元凶が転がっているのだから。

 

 ────男は、有り余る時間を怪物(ガストレア)のとる姿の想像に費やした。

 人の恐怖の具現。死の御使い。この世ならざる者。災厄の悪魔。人の業の裁定者。…どれもが等しくフェリクスに絶対の死を抱かせるには十分な(すがた)をしていた。

 

 故に。

 

 『ソレ』が顕れたショックは並大抵のものではなく。

 

 

(あ、あああああああアアアアアアアアアア────)

 

 

 ああ、死ぬ。殺される。殺される。喰われて、貪られて殺される。千切られて、碎かれて、潰されて、掻き回されて殺される殺される殺される殺される嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ────!

 

 

「おお!大丈夫だったか、そこのアンタ!」

 

「……ッ?」

 

 

 ずっと忌避していたはずだった『死』一色に塗りつぶされる感覚からフェリクスを救い上げたのは、もう二度と聞くことはないだろうと諦めていた、懐かしい母国の言葉であった。

 

 束の間、ここに居る限りは鼻孔を絶えず侵す異臭と、鼓膜を叩く耳障りな小蠅の合唱を忘れる。

 フェリクスは息を呑み、まさか、という言葉を何度も心中で繰り返す。目ヤニだらけの瞼を擦り、視覚から受け取れる情報の精度を少しでも引き上げようと足掻いた。

 

 ずっと身を隠していた、文字通り『最後の砦』に開けられた穴に現れたのは、フェリクスより小柄な人型だった。

 

 

「とりあえず、外の怪物どもは粗方始末した。動けるか?…いや、無理そうだな」

 

 

 フェリクスのもとへ近づいて来る人型。あまりの衝撃に、都合の良い幻覚だと疑って逃げる気力すら湧かなかった。

 逆光が弱まる。少しずつ、その輪郭が定かになっていく。

 そして、その度にフェリクスの四肢から力が抜けていく。何故なら、

 

 

「そら、少しずつ立てるようになってくれ。これからも世話になる両足だろ?」

 

 

 彼に救いの手を差し伸べたのは、あまりにも普通の人間で、普通の青年だったからだ。

 

 

 

          ※※※※

 

 

 

 フェリクス・カントは美ヶ月樹万の手に引かれ、苦労しながらハイデルベルク城の一画、その小部屋から這い出る。

 三か月間にも及ぶ籠城生活で、完全にフェリクスの筋力は衰えており、何とか樹万の肩に手を回して立っている有様だ。

 そんな状況ながらも、『生きている人間』との邂逅の衝撃から立ち直ったフェリクスは、真っ先に聞きたかった言葉を樹万へ投げかける。

 

 

「き、君は軍の人間なのか?」

 

「いいや?この髪とか肌を見れば大方分かるだろ。完全にこの土地、果てはこの国とは縁もゆかりもない異邦人だよ」

 

「縁、も、ゆかりも…ない?」

 

 

 そんな馬鹿な、とフェリクスは思う。確かに樹万の髪色、肌色を総合すれば、こういう棲み分け自体を知らない人種以外は東洋人であると断言できるだろう。

 だが、それはおかしいのだ。何故なら、既にこの世界は、

 

 

「どうやって、こんな所にまでこれたんだ。もう飛行機だって、飛んでないだろう?」

 

「ああ、俺は世界中にわんさかいるガストレア…あの怪物どもを殺して回ってるからな。その道中に寄ったのさ」

 

「───────」

 

 

 言葉を完全に失うフェリクス。それを見る樹万は、まぁ仕方ないかと思う。

 ガストレアに蹂躙された経験を持つ人間は、あんな化物に敵うわけがないという意志の擦り込みが為されるからだ。軍の持つ銃火器を喰らっても侵攻は止まらず、数日前まで在った己の日常の悉くを破壊した張本人なのだから、そうなっても不思議ではない。

 『ガストレアに、人間は太刀打ちできない』。世界中の人間が聞けば、半数は渋面を作りながら地面を睨み、黙考してしまうだろう言葉。

 それを、美ヶ月樹万は鼻で笑って聞き流す。

 

 

「怪物らしい見た目だけどな、あいつらも結局生き物だ。心臓があって脳がある。…なら、殺すことはできる」

 

「だけど、僕たちは負けた。それは、人間よりも強かったからだろう?」

 

「そうだな。でも、そんなの今更だろ。人間は元々、動物界隈じゃ最弱に等しい生き物だ」

 

 

 力も弱い、足も遅い、視力も弱い、聴力も弱い、嗅覚も弱い。ただ、頭だけは少しばかり達者で、手先が器用。それが人間だ。

 そんな輩に、予想外の外敵をぶつければどうなるかなど瞭然だろう。力押しにはめっぽう弱い人間など、あっという間に潰されていくに決まっている。

 

 

「でも、俺たちは研究ができる。敵の行動や性能、それから弱点を導き出すことができるんだよ」

 

「じゃあ何だい?その弱点とやらを、見つけることができたとでも?」

 

 

 フェリクスの疑いを多分に含んだ問いかけに、樹万はニッと口角を上げて見せてから、腰に差していたFive Sevenを素早くドロウ。これが答えだと言わんばかりに構えた。

 その鮮やかな挙動に一時は息を呑んだフェリクスだったが、掲げたものが拳銃だと分かると、城の外壁に手を付いて顔を覆い、首を振った。

 

 

「君は、そんなおもちゃでガストレアを殺せるとでも、思っているのか?」

 

 

 久しぶりに喉を動かすからか、フェリクスの言葉は妙なところで途切れる。

 それでも、問いかけなければ気が済まなかった。

 フェリクスは、ガストレアと人間の行う戦闘を見ている。故に知っているのだ。ガストレアに対し銃火器を持ち出すのは意味の無い行為であると。

 

 

「軍の特殊部隊は、拠点防衛用のマシンガンを、設置していた。道幅の狭い路地が続くハイデルベルクじゃ、こういった弾幕を張れる武器が最適だ」

 

「なのに、負けた。か」

 

「そうだ。ということは、あのガストレアという怪物、銃弾を無効化するほどの力を持つ、ということだろう?…マシンガンでも駄目だったんなら、ハンドガンなんて話にもならないよ。ふざけないでくれ」

 

 

 フェリクスは期待を大きく外されたからか、節々に苛立ちが混じり、言葉尻が少し跳ねる。

 こんな絶望的な状況下にある人間を助けに現れたのだ。それは凄まじい装備を纏っているに違いない、と思うのは至極当然なことであり、事実そうでなくては、怪物蔓延る人間の世が終わってしまった廃墟になどやって来れる訳がない。

 

 呆れと怒気を含む言葉を浴びせかけられた樹万は、返答の代わりに肩を竦めてから、()()()()()()()()銃のセーフティを外す。

 

 ────フェリクスはホラーやパニックといった映画を好んで鑑賞していたからか、銃器に少しだけ詳しい。

 ならば、この行為の意味するところは、

 

 

「っ?!君、まさか!」

 

 

 樹万の向ける銃口の先に立っていたフェリクスは、その暴挙に青ざめて後ずさる。が、背後はハイデルベルク城の分厚い壁。退路は皆無。

 意味などないと分かっていようと、痛みから少しでも逃れるために思わず顔を背けるが、それより少し前にトリガーが引かれ、銃声が重なる。

 

 

「────え?」

 

 

 轟音は、立て続けに3つ。

 

 一つは、フェリクス・カントがねぐらにしていた城の小部屋で蠢いていた怪物へ。

 一つは、頭上から奇襲をかけようと急降下し、今まさに美ヶ月樹万へ迫っていた怪物へ。

 一つは、背後に茂る木々の合間から様子を窺っていた怪物へ。

 

 それぞれ全て、首を動かすことも、眼球を動かすこともなく。肩から手を動作させる挙動だけで、殺した。

 何が起こったのかよく分からないフェリクスの眼前に、重い落下音を響かせて降ってくる亡骸。地面へ乱雑に投げ出された頭部からは、夥しい量の体液が噴き出していた。

 フェリクスは、もしやと思い背後を振り返る。そこには、同様に頭部を撃ち抜かれたガストレアが横たわっていた。

 

 

「結構しぶとかったな、ソイツ。首ねじ切った後にブン投げたんだが、まだ息がありやがった」

 

「さっきの、は」

 

「ああ、コイツらを始末するためだよ。…何だ。もしかして、打ち殺されるとでも思ったか?」

 

 

 フェリクスは気の抜けたため息を漏らしながら、ゴツゴツした石の城壁に背中を擦るのも構わず、音を立てて尻もちをついた。その様子では、誰が見てもそう思っていた人間の反応であると分かる。

 樹万は笑顔を零しながら、年季の入ったバックパックのベルトに掛けたウエストポーチを探り、あるモノを投げた。

 

 

「っとと!…これは、銃弾?」

 

「そう。バラニウム弾って名前の銃弾だ」

 

「バラニウム…聞いたことの無い名前だな」

 

 

 およそ銃弾には似つかわしくない、黒い光沢を放つ金属。

 とはいえ、普通の銃弾と比べても変わったところは色くらいで、感触や見た目の構造は殆ど同じだ。

 フェリクスは親指と人差し指で挟むバラニウム弾から視線を外し、今度は不思議そうな顔を作ってから樹万の方へ目を移す。

 

 

「これが、ガストレアに有効な武器かい?」

 

「そうだ。バラニウムはガストレアの再生能力を阻害するからな」

 

「再生?…ということは、皮膚が堅すぎて、銃弾が効かないわけじゃなくて、傷を受けてもすぐに再生するから、僕達人間は、奴らを倒せなかったのか!」

 

 

 超常の怪物に銃弾が効かない、というのは、フェリクスの見て来た映画でもよくある話だった。寧ろ、怪物なら銃弾くらい無効化して当然、とまで彼は見ている。

 作品にもよるが、その場合は大抵、戦車装甲並みの分厚い皮膚や外殻を備えている、といった要因が多い。ホラー系だと、心臓部を失わない限りは動き続けるアンデッドなどが相場だろう。

 創作の世界であれば、傷の超再生という考えも或いはフェリクスの中に生じたのかもしれない。しかし、ここはフィクションなどではなく現実世界だ。

 かすり傷さえ数日かけなければ治らないような人間が。また、それを至極当然と捉える人間が、マシンガンを浴びて出来る傷を秒単位で再生可能な生物など、到底考え至るようなものではない。

 

 

「じゃあ、さっきアイツらを殺せたのも」

 

「そう。コイツをぶち込んで、再生不可能な致命傷を負わせたからだ」

 

 

 であれば、軍が負けた理由は単純明快だろう。

 彼等は鉛玉を使用し、美ヶ月樹万はバラニウム弾を使用した。それが、両者の間にあった決定的な差だ。

 ならば。とフェリクスは眉を顰める。

 

 

「何故そんなものがありながら、僕達の国の軍は通常の銃弾を使用したんだ…?」

 

「……」

 

 

 樹万は言い難そうに言葉を詰まらせる。これは決して、フェリクスにとって耳ざわりの良い言葉ではないし、今すぐに知らずとも良い真実だったからだ。

 しかし、樹万はその逡巡をすぐに止めた。

 所詮、少し遅いか速いかだけの違いだ。それに、この男にはもう一度立ち上がってもらわなければならないのだ。

 少々刺激は強いが、所々()()を混ぜれば緩和できるはず。だから、『コレ』を糧にして、地獄のような現実へ歯向かう意志を持っていただこう。…できれば、人間のまま在れる望みを選び取って。

 そう、いつかの己の姿を思い出しながら、美ヶ月樹万は思った。

 

 

「バラニウムは主に火山列島に偏在する」

 

「火山に?でも、ドイツは───」

 

「そう。ドイツに火山は一つ。それに合わせ、周囲の鉱脈もごく小規模にとどまった」

 

「ということは、僕達の国はバラニウムに恵まれなかった、と?」

 

「その通りだ。だが、そうであっても埋蔵量の多い国から取り寄せればいい」

 

 

 フェリクスは段々と先が読めて来たのか、みるみるうちに表情が苦々しいものへと変わっていく。

 一方の樹万は、感情を除き、淡々と事実のみを説明する役割に徹する。

 

 

「その要請を、ある国は無視し、ある国は莫大な額の金を要求し、それを返答とした。何故なら産出国もまた、ガストレアを退けるために必要なバラニウム量の試算が明らかにできていなかったからだ」

 

「馬鹿な!だからって僕達を、他の国に住む数億の同じ人間を、見殺しにするのかッ!?」

 

 

 フェリクスは激昂する。その直後に、長期間使っていなかった喉を急激に動かしたためか、激しく咳き込んだ。

 樹万は思う。彼の怒りは尤もであると。しかし、世の中は正しいことばかりで成り立っている訳ではない。

 

 その方が理に適っているから。その方が人道的だから。

 

 否、形だけの正しさなど、己の身や価値あるモノが天秤にかけられれば、あっという間に消えてなくなる。

 

 

「ああ、そうだ。やつらは自分の国を守るために、他の人間全てを見殺しにしようとした。…けど、それは間違ってるか?」

 

「…!」

 

「自分を満足に守れる盾を作れる確証もなしに、他の誰かのためにその資材を(なげう)つことなんて、出来るか?アンタに」

 

「それ、は」

 

 

 フェリクスは認めたくなかった。これが正論であると認めてしまえば、己は母国を滅ぼした人間と同じ穴の狢と化してしまう。それだけは何としても避けたかった。

 樹万は、そうして懊悩する彼を見てから、背を反らして雲のばらつく青空を眺める。

 ────愚かしくも甘言を重ねようとする己自身を嫌悪した、その顔を見られまいと。

 

 

「誰も、間違ってなんかないんだよ。誰かの正義が、他の誰かの正義と同じとは限らないんだから」

 

「何が、いいたいんだ」

 

「自分一人の正義を、『絶対』なんて思うなってことだ。…突き詰めちまえば、仲の良い隣人でさえ、守りたいものも、大切なものも違うんだ。国のトップ同士なんて、そりゃあもっと顕著だろうよ」

 

 

 樹万の言葉に、フェリクスは顔を覆って奥歯を噛み締める。

 分かっていた。彼だって分かっていたのだ。考える時間なんて十分にあったのだから。

 でも、譲れなかった。こうして、個々人の持つ『正義』を樹万から聞かされてもなお、フェリクスにとっての悪は母国を滅ぼした人間だった。

 

 

「僕の…正義は。悪は」

 

「ああ」

 

「それでも。僕の正義と悪は、変わらない」

 

 

 例え、それでどこかの国が滅んでしまおうとも、フェリクスは我が母国を見捨てた人間を赦せはしなかった。

 どれほど片側の天秤に大勢の人の命が載ろうと、彼の愛妻と愛し子の価値は揺るがない。

 酷い人間だと、フェリクスは己の導き出した結論に自嘲する。多くの人にとって、これは『悪』と成り得るものだろうと。

 それでも良かった。もとより、人間の抱く感情に理屈など通じないのだから。

 多くの者が救われたからといって、切り棄てられた小数が納得できる訳がない。つまりは、そういうことだ。

 

 

「お願いだ。もうしばらく、僕に生きる時間を与えて欲しい」

 

「つまり、アンタは俺に、この地獄から抜け出す手助けをしてほしいと?」

 

「その通りだ」

 

 

 フェリクスのした嘆願は、普通であれば断る申し出だろう。

 ここは幾分か落ち着いたが、少し歩けば確実にガストレアと出くわす。武装していようと、四方を囲まれればお終いだ。

 それでなくとも、美ヶ月樹万は武器が圧倒的に不足している。幾ら複数の敵を相手に立ち回れる高い戦闘力を有していようと、それが長期に渡って続けば疲弊もするのだ。そこへ庇護対象というハンデを負うなど、ただでさえ頼りないプラス要素が無に帰すどころか、マイナスに傾く判断だ。

 それを分かっていないはずがないのに、美ヶ月樹万という青年は悠然と笑みを浮かべ、

 

 

「いいぜ。ここからなら、アンタ一人くらいどうってこともない」

 

「…自分から申し出ておいてなんだけど、本当に?」

 

「ああ、そういや言ってなかったな。俺がこうして時期を完璧に間違えた世界旅行をしてるもう一つの理由」

 

 

 言いながら、樹万はFive Sevenのマガジンを抜き、取り出した別のマガジンを挿し込む。そして、フェリクスの背後に鎮座する、とあるモノへ照準。

 二秒ほどの間を空け、トリガーを引き込み発射。連続して響く跳弾の音に混じり、一際甲高い音が応答する。その音源は真っ直ぐに樹万の広げていた手中に向かって飛翔し、収まる。

 それは、ひしゃげた魚の缶詰だった。

 

 

「俺とは違って、望んでも無い地獄に放り込まれちまった連中を助けるためさ」

 

「────」

 

 

 絶句するフェリクスの隣に、チン、という音を立てて、独楽のように回転する銃弾が落下した。見ると、それはバラニウム弾ではなく、ただの鉛玉であった。

 常識外の絶技を目の当たりにしたフェリクスは、着弾した際にできた穴から缶の中身を流し込む青年を半笑いしながら眺めることしかできなかった。

 

 実のところ空腹であった樹万は、あっというまに中身を全て平らげると、山積みになったゴミ溜めへ空き缶を投げ込んだ。

 放物線を描いて飛んだ缶は見事てっぺんに落下して留まるが、その拍子に弾き出された別の空き缶が山肌を転げ落ち、最底辺である地面へ衝突して止まる。

 

 

「で?ここから生き残って、その先はどうするつもりだ?…復讐でもするか?」

 

「え、と…それは」

 

 

 唐突な踏み込んだ質問に面食らうフェリクス。

 言われて気付いたが、『この先』など城に逃げ込んでから一度だって考えたことなどなかった。

 先の生きたい、という発言は、滅ぼされた側からの滅ぼした側へ対する意趣返しのような考えから生じたものだ。今後の望みではない以上、樹万の投げかけた問に返す答えとしては正しくない。

 

 フェリクスは考える。己の正義に悖ることない『これからの目標』を。

 そして、彼の導き出した答えは。

 

 

「まずは、妻と子の墓を建てるよ。それからのことは、そこから考えるさ」

 

「そうか…うん、いいな。前向きな答えで安心したよ」

 

 

 笑顔で答えたフェリクスに、同じく笑顔で応える美ヶ月樹万。

 

 しかし───Five Sevenに挿していたマガジンを抜き、ウエストポーチから取り出したバラニウムのものに替え終わると、鉛玉の入ったマガジンを宙空に放って───一言。

 

 

 

 

「復讐の内容によっちゃあ、ここで殺してたからな」

 

 

 

 

 そう、冷たく言い放った。

 

 言葉は、路面に落下したマガジンが鉛玉をぶちまける音で、全て掻き消された。

 




そういえば、存続している諸外国って原作でもあまり明言はされていませんよね。…たぶん。
原作が出ていたとして、果たしてドイツは滅ぼされていなかったのだろうか。

一応、序列二位のイニシエーターが出身ドイツなので、もしかしたら存続してる設定だったのかもしれませんね…。

補足:ガストレア大戦後なので、バラニウムの存在は周知の事実であったはずですが、その情報共有は国の要人から、主だって使用する軍などに留まり、市民への告知はほとんど為されなかった、という設定となっております。(ただし、現時点でモノリスの建造を終え、安全がある程度確保されている国はこの限りではない)

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