〝賛否両論大いに結構。結果は挑んでみて初めてわかるものなのだから〟
長距離レースから一転してスプリントへの挑戦。
異例、常識外、不可解、迷走、etc……
様々な憶測を好き勝手交えてマスコミ各社は挙ってこの話題を大々的に報じていた。
そして迎えたレース当日。
自身初の中京レース場。天気は晴れ。バ場状態は良。周りは短距離のスペシャリスト揃い。今日の高松宮記念ではブライアンは挑戦者という立場にある。しかし、挑戦者と呼ぶにはナリタブライアンという存在は偉大過ぎた。
クラシック三冠を手にし、G1レース五連勝を成し遂げた正真正銘の怪物である。
早めにスターティングゲートに入り、威風堂々と静かにその時を待つブライアンの立ち姿に後輩であり中等部のビコーペガサス、ヒシアケボノの方が萎縮しているようにすら見えた。
観客のざわめきや熱狂など素知らぬ顔で当人ナリタブライアンは至って平然として見えた。いや、正確には平然を装っていたのだ。
(1200mの短距離。思えば函館以来だな。始まりと同じ距離を今このタイミングで走ること。そこに意味がある。ひょっとしたら私はもう……)
ブライアンはそっと自身の右足に手を添える。何となく予感していた。おそらくこれが最後のレースとなるかも知れないということを。
出走を告げるファンファーレ。ゲートが開いたと同時に八名の優駿が駆け出す。前半は後方を走っていたブライアン。しかし400mを切った辺りで動き出すも後輩たちの背中には届かず。
偉大な挑戦者のレース結果は4着に終わった。
既に息が整っているブライアンとは違い、先を走っていた三名の方は未だに肩で息をしていた。持てる力の全てを出し切り尚、その限界すら超えて走ったのだろう。無理もない。背後から迫り来るは〝シャドーロールの怪物〟の異名を持つ三冠ウマ娘。限界のその先までも振り絞らずして勝てるはずがないという意識が彼女らを勝利に導いたのだ。
しかしブライアン自身は全くそんな自覚はなく、ただ単に自分のような無愛想な先輩に後ろから追いかけられていたから相当なプレッシャーとなっていたのだろうと勘違いをしていた。
怖がらせてはいけないとブライアンは勝者である後輩たちに敢えて声を掛けることはせず、黙ったまま踵を返してパドックを去って行った。
勝負服から私服に着替えて控え室から出たブライアン。外で待っていたトレーナーは送っていくと言ってくれたが、何となく一人になりたかったので申し出を断り、スマホを見ながら近場の名物を探す。
せっかく愛知まで来たのだ。味噌カツや味噌煮込みうどん等の甘味噌を使った料理やちょっと贅沢にひつまぶしもなんかも良い。最近では台湾ラーメンなどというもはや他国の名を冠した物まで名物になっているとある。西にも東にも属さない独自の進化を遂げている名古屋めし。せっかくならより珍しいものを食べてみたい。そんなブライアンの食指が動いたのは、とあるインターネットの記事。
(なっ、なんだこの店は!?)
この店のメニューやレビューを前にしては自分の挑戦など小さく霞む光にさえ思えた。それほどの衝撃を受けたブライアンは地図アプリを立ち上げ、現在地からその店までの距離を算出する。
(ヒトの徒歩で約二時間。なら信号を加味するとウマ娘の走りなら一時間足らずといったところか)
まだまだ走りなかったブライアンは再度レース場のロッカールームへ戻ると再び勝負服へと着替えて場外の道路を走り出す。
道ゆく人々は皆一様に猛スピードで街中を駆ける勝負服姿のナリタブライアンの姿に驚いている。先程まで中継されていたレースに出走していたのだ。それが今、レース場を飛び出して市街地を走っている。公道を無許可で。しかも勝負服で走るなど学園に知られたら大問題。だが間違いなく知られるだろう。たくさんのスマホのレンズがこちらに向けられ、写真や動画にその走りぶりは撮影されているのだから。だがそんなことはもはや関係ないと言わんばかりに法定速度を遵守しながら車道の隅をバイクのような小回りで走り続ける。人々歓声に見送られ、名古屋市内を目的地へ向かって一心不乱に走るブライアン。時間にして約四十分ほど。辿り着いたその店は山小屋のような外観をしており、店名も山そのものだった。
この店こそ知る人ぞ知る名古屋めし界の異端児。未知の味への探究者にして伝道師。数々の登山客が書き記した食レポはどれも混沌としており、ここのメニューを食べることこそ挑戦の締め括りに相応しいと考えたのだ。
意を決したブライアンは店のドアを開けて店内へ入る。先程までテレビ中継に出ていたウマ娘の来店にギョッとしている客もちらほらいたが、店主は実に気さくに空いてる席へとブライアンを通してくれた。
店内は至って普通の洋食店や喫茶店のそれだが、メニューを開けばそこは異次元。
まずは目が眩むほど多彩な品数。そしてまともなメニューの中にちらほら見受けられる見たことも聞いたことも、味の想像すら出来ないような料理の数々。
(和風ピラフはわかる。納豆ピラフもギリギリ理解出来る。みそピラフとは何とも名古屋的。だがお茶ピラフとはどういうものだ? お茶漬けみたいなピラフなのか? それともお茶っ葉を高菜炒めみたいにピラフに入れてあるのか? 全くわからん)
メニューから目を離せなくなったブライアンの混乱はまだまだ続く。
(大人のお子様ランチ……は、まぁ、中身はわからんが意味するところはわからんでもない。だがロバライスとはなんなんだ。みつるのワガママオムライス? 誰なんだみつる! スパイス合衆国? ライスですら無いのか! バナナライス? 姉貴ッ!)
頭の中でのツッコミが追いつかず、遂にメニューを置いて両肘をテーブルに突いて頭を抱えたブライアン。そんな様子などお構いなしに店員はにこやかな表情で注文を取りに来た。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
「甘口抹茶小倉スパを」
「かしこまりました。少々お待ちください」
自分でも驚くほどつるりと自然に口を突いて出た珍妙なメニューのオーダー。それは反射運動に近かった。最初に見たこの店のレビュー記事に人気メニューだと記されていたから? 身体と頭が疲労困憊で脳が無意識に糖分を求めてしまったのか? 今となってはそんなことはどうでもいい。今あるのはオーダーを済ませてしまったという事実。今の自分に出来る事はと言えば、ただ座して注文した料理? デザート? 或いはそのどちらでもない別ジャンルの何かが届くのを待つだけだった。
「お待たせしましたー。甘口抹茶小倉スパでございます」
割と早くそれは姿を現した。
ジェノベーゼパスタよりも鮮烈な緑色のスパゲッティにホイップクリーム。その上にはあんこが鎮座し、みかんとサクランボが添えられている。パスタの上だけ見れば完全にクリームあんみつだ。だが、その下には緑色のスパゲッティが盛られている。
スパゲッティは熱々のようで、クリームが若干溶け始めている。ブライアンはもう深く考えることを放棄し、フォークを構えてただ一言「いただきます」と小さく呟いた。
まずは麺単体から。
緑色の麺を器用にフォークで巻き取り口に運ぶ。
(思っていたより太いな。甘口抹茶と記載があったがちゃんと抹茶の苦味を感じる。単体だと苦味が若干気になるが、そこに小倉あん、クリームを絡めると完全に和菓子チックな何かに化ける。甘い、苦い、でもしっかりスパゲッティ。しかもなかなかに量が多い。美味い、不味いは賛否両論あるだろうが、このメニューがあったからこそこの店は何十年もこの地で経営を継続出来ているのだろう。甘さと苦さを喰らう……か。まさに人生そのもののようじゃないか……いや、それは流石に言い過ぎか)
視覚と味覚に同調して思考まで訳の分からない状態になっていたブライアンだったが、完食した頃には胸の奥で燻っていた何かが晴れていた気がした。
「ごちそうさまでした」
帰りの新幹線内でブライアンはスマホでトレーナーに一通のメッセージを送り、グリーン車の座席で目的地に着くまで一眠りした。
高松宮記念から一ヶ月後、屈腱炎を発症したブライアン。その三ヶ月後には正式に引退を発表。
同年の十一月には京都レース場、東京レース場の二箇所にて盛大な引退式が行われた。
東西二箇所のレース場にて引退式が行われたウマ娘は史上二人目の三冠ウマ娘のシンザン、同じ怪物の異名を持つオグリキャップ、平成三強の一人スーパークリークと並び四人目となる。
引退式の場にてインタビュアーより質問された「引退後は何をしたいですか?」の問いに対し、少し考えた素振りを見せたナリタブライアンはフッと笑い、こう答えた。
「そうだな。美味いものでも喰いながらゆっくり考えるとしよう」
とりあえず次回で最終回です。