孤高のグルメ ~ナリタブライアン健啖録〜   作:後出 書

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東京都豊島区のモンゴル料理

 しとしとと、ビニール傘を冷たい雨が打つ。

 あいにくの雨天だが、ブライアンは電車を乗り継いでここ巣鴨の地に降り立っていた。

 

 周りを見渡すと通行人の割合は確かに御老人が多い。〝おばあちゃんの原宿〟とはよく言ったものである。天気が良ければ、この地蔵通り商店街はもっと賑わっていたに違いない。そんなことを思いながらブライアンは高岩寺を目指す。

 

 怪我や病気に関する御利益があるとされる〝とげぬき地蔵〟で有名なパワースポット高岩寺だが、もうひとつ平癒祈願にまつわる物がある。それが〝洗い観音〟と呼ばれる観音像で、自身の悪い箇所と同じ箇所を洗うと治るという信仰があるという。さっそくブライアンは柄杓で掬った水を観音像の足へとかけ、持参した布タオルで優しく擦りながらある噂を思い出していた。

 

『食べると速く走れる料理がある』

 

 今からちょうど一週間前のこと。学園のカフェテラスで後輩たちがそんな話しているのをたまたま近くの席に座っていたブライアンは偶然耳にした。普段なら全く間に受けないブライアンだったが、その日はそんな眉唾ものの噂話が心のどこかに魚の小骨のように引っかかっていた。踏ん切りが付かずにいたブライアンの背中をそっと押したのが姉であるビワハヤヒデの言葉であった。

 

『料理の真偽はともかく、もし巣鴨に行くなら高岩寺に寄るといい。あそこには怪我や病気に御利益があると聞いたことがある。あまり宗教理念には明るくはないが、例えプラシーボだとしてもそれで多少なりと気が晴れるなら意味はあるんじゃないか?』

 

 一つ目の用事を済ませたブライアンは高岩寺を出ると、スマートフォンのナビアプリを頼りにその場所を目指す。

 

「ここか……その噂の店は」

 

 お目当ての店は巣鴨駅を一旦通り過ぎ、豊島区から文京区へ入って少し行った先にあった。

 

 西洋建築によく見られる石柱の白いアーチが目印。入口は階段を下った半地下にあるようだった。ふと、店先に出ていたメニューに目をやると見慣れぬ料理名と写真が掲載されていた。一見すると、どうやら羊肉料理が名物の店らしい。

 

(むっ、異国の料理か……いや、何を躊躇っている。せっかくここまで来たんだ。引き返す選択などあるはずがない)

 

 閉じた傘を傘立てへと置き、意を決したブライアンは店内へ足を踏み入れた。

 

「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ。座敷でもテーブルでも大丈夫ですよ」

 

 気の良さそうな男性店員に迎えられ、ブライアンはキッチンカウンター近くのテーブル席へと座った。出されたおしぼりで軽く手を拭き、ブライアンは早速メニューを開く。

 

(ハロントガ、チャンサンマハ、ホイツァイ鍋……。流石は異国の料理。聞いたことない名前ばかりだ)

 

 肉、野菜、主食。ざっとメニューを見渡した辺りでブライアンは大事なことに気づいた。

 

(で、どれがその噂の料理なんだ?)

 

 肝心の〝足が速くなる〟と噂されている料理がどれを指しているのかがわからなかったのだ。ここまで来て痛恨の極み。メニュー隅々まで見渡したが、そんな一文が記されている料理など見当たらない。いっそ全て食べてみようにも、あまりにも品数が多過ぎる。

 

「お決まりですか?」

 

 冷静さを顔面に貼り付けながらも、内心大いに狼狽ていたブライアンへ更に追い討ちを掛けるように店員が注文を取りに来てしまった。

 

「あ、あぁ、注文は——」

 

 一旦軽めの前菜を頼んでから体勢の立て直しを図ろうとした時、救いの手は向こうから差し伸べられた。

 

「最近多いんですよウマ娘のお客様。皆さんうちの料理を——というより、モンゴル料理をたいへん気に入って頂けているようで嬉しい限りです」

 

「モンゴル料理?」

 

 聞き返したブライアンに対し、店員はにこやかに答えた。

 

「ええ。広大なモンゴルの大草原を生きる遊牧民たちを支えてきた料理です。中国やロシアに挟まれてますので、それぞれの文化を取り入れた料理が多いですね」

 

「ほ、他の連中はこの店でどんな料理を頼んでいるのだろうか」

 

「色々とお召し上がりになられますよ。主に定番料理のチャンサンマハや、羊肉のボーズ、あとは……あぁ、そういえばボルツは必ず皆さん頼まれますね」

 

「なら、それらをすべてもらおう」

 

「かしこまりました。お飲み物は如何致しますか?」

 

「飲み物か……じゃあ、このスーテーツァイというのを」

 

「かしこまりました」

 

 注文を終えてすぐ、茶器と小鉢を数点持って店員がやってきた。メイン料理の前のドリンクと前菜の到着である。

 

「こちらスーテーツァイです。モンゴルでは一般的なミルクティーで、お好みでこちらの岩塩をふりかけてお飲みください。それとこちらがボルツですね。大陸の覇者、英雄チンギスハーンも携帯していたと言われているモンゴル帝国時代から続く伝統的な保存食で牛の干し肉です。そのまま食べても美味しいですが、ミルクティーに入れてダシをとって即席スープにしても美味しいですよ。あとこちらはお通しのボルツクです。甘くないドーナツみたいなものですのでそのままでも良いですが、他のお料理に合わせたり岩塩やミルクティーを付けたりしてお召し上がりください」

 

 お椀にたっぷり注がれたミルクティー。それを囲むように岩塩と削り器。干し肉とドーナツ。一見すると雑多で協調性のない組み合わせだが、そんな目の前に並ぶ小皿たちにブライアンの心はすっかり鷲掴みにされていた。

 

 今まで感じたことのない不思議な高揚感。

 まるでウマ娘という遺伝子に刻まれた野性や本能といった、如何とも形容し難い根幹的な部分を刺激されているかのような感覚。

 

「いただきます」の言葉とほぼ同時に干し肉へ手を伸ばしたのはもはや反射に近い。豪快に素手で掴んだブライアンは徐にボルツを口に入れて思いっきり噛み締めた。

 

(嗚呼……いい歯応えだ。噛むほどに溢れ出る濃縮された肉の旨みのなんと力強いことか。吹き荒ぶ風と雄大な大地が育んだ味。史上最大規模の大帝国を築いた覇者を支えた兵糧の要。見える…‥見えるぞ。果てなく広がる大草原と地平線が!)

 

 まだ見ぬ異国の地に想いを馳せるブライアン。閉じた瞼の奥に浮かぶのは、広大な大地とそこに住まう遊牧の民。そして、その傍にいる四つ足の雄々しい謎の生き物の姿。逞しいトモ、美しい毛並み。スピードの理想形と言っても過言ではないそのフォルムは、まさしく速さの化身。ブライアンはこの一口の中に神を見た気がした。

 

「お待たせしま——ど、どうかなされましたか?」

 

 メインの料理を運んできた店員は思わずギョッとした。無理もない。ボルツをもぐもぐと咀嚼しているウマ娘が何故か目を瞑ったまま涙を流しているのだ。何か不手際があったか気にする方が普通である。

 

「いや、すまない。何でもないんだ。ただ、料理があまりにも美味くてな」

 

「そ、それはよかったです。こちらはチャンサンマハで、こちらが羊肉のボーズです。ボーズは小籠包みたいに中が熱いので気をつけてお召し上がりください。それではごゆっくりどうぞ」

 

 まず目の前に置かれたチャンサンマハと呼ばれた豪快な肉塊。骨付き羊肉の塩茹でである。肉の傍らには一本のサバイバル用のナイフが添えられており、ワイルドにこれで切り分けて食べろと言わんばかりだ。一緒にやってきた羊肉のボーズを後回しにし、ブライアンは早速チャンサンマハに手を伸ばす。

 

(むっ、柔らかい……骨離れもいい。よく煮込まれているじゃないか)

 

 ナイフで器用に切り分け、削った岩塩をほんの少しだけかけて頬張る。

 

(なんだこれは……美味い、美味すぎるぞ。牛肉に近いが若干の野生味を感じる。これが羊肉か。独特のクセが癖になる。しかも、これほど柔らかく煮込まれているのに旨みは全く抜け出ていない。むしろ塩のみの味付けだからこそ、より羊の美味さが最大限に際立っている)

 

 豪快にしてシンプル。ブライアンはすっかり羊肉の魅力に取り憑かれてしまった。こうなるともう止まらない。箸を持つ手は自制を失ったかのように次の料理へ向かう。

 

(これがボーズか。確かに見た目は中華料理そのものだが……さて、味はどうだ)

 

 蒸篭の蓋を開けると立ち昇る湯気からも感じる羊肉の香。れんげにちょこんと乗せたボーズの表面に息を吹きかけて冷まし、豪快にがぶりと一口かぶりつく。

 

「ふーっ、ふーっ、ふーっ……あむっ」

 

 店員は確かに伝えていた。ボーズとは小籠包のようなものだと。表面を冷ましたところで中身は熱々のスープが内包されているため、迂闊にかぶりつけば口内は大火傷必至。そしてそれはこのボーズにも言えた。中身の熱さを計算に入れなかったことで、噛んで破れた皮からは羊肉の旨みたっぷりのスープと脂が決壊したダムの如く一気にブライアンの口内へと流れ込んだ。

 

「熱っ……!!」

 

 さながらそれは灼熱のマグマのよう。味を楽しむ余裕もなく、ブライアンは咄嗟にお冷のグラスを掴んで小さな氷ごと冷水を一気に口に放り込んだ。あと少し遅かったら口内は焼け爛れて料理を味わうどころではなかっただろう。まさに間一髪である。

 

(ふーっ、危なかった。だが、今ので冷静さを取り戻せた。なに、焦る必要はない。落ち着いてゆっくり味わえばいい。料理は逃げはしないんだ。ここは一旦クールダウンに徹しよう)

 

 目を閉じながら深呼吸を数回行なった後、ブライアンは箸を置いてスーテーツァイに手を伸ばす。人肌程度の温度まで冷めたミルクティーは実に飲みやすい。一口啜ったところで岩塩の存在を思い出した。

 

(そういえば、こいつにも塩を入れるんだったな)

 

 岩塩を少しだけ削って投入し、再び口をつける。

 

(むっ、甘い。塩味の奥で甘みが顔を出している。スイカに塩は聞いたことはあるが、ミルクティーに塩を入れても同様のことが起こるとは何とも奇妙な感覚だ。岩塩だからか? うーむ、わからん。わからんが決して悪くない。いや、寧ろ美味い)

 

 ぬるめのミルクティーが胃に優しく染み渡る。一息ついたところで、ブライアンは再度ボーズへと向き直った。

 

(同じ轍は踏まん。今度は予め箸で皮を少し破っておいて……)

 

 今度はかぶりつく前にレンゲの上で少しだけ皮に穴を開け、そこに優しく息を吹きかけ中までよく冷ます。唇を少しつけて入念に温度を確認してからようやくブライアンはボーズを口内へ迎え入れた。

 

(さっきは熱さで味が殆どわからなかったが今ならわかる。とんでもなく美味いぞ。もちもちの皮と羊の脂に溶け込んだ旨みが口の中全体に広がっていく。この旨みのスープ、飲み込むことすら惜しい。このまま永遠に口の中で味わっていたいと願うほどに)

 

 このボーズをいたく気に入ったブライアンは追加で三人前ほど注文し、その全てを平らげた。その後、お通しのボルツクをデザート代わりにスーテーツァイのおかわりで一息ついていた。

 

(このボルツクとかいうドーナツも素朴で美味いな。塩を振ってもミルクティーに浸してもよく合う。あぁ、そういえば……)

 

 スーテーツァイを飲みながらブライアンは思い出した。干し肉をミルクティーに入れてスープにしても美味いと店員が言っていたことを。

 

(……その挑戦は、またの機会にしておくか)

 

「ご馳走様でした」

 

 会計を済ませて店を出ると、雨はまだ降っていた。ビニール傘を広げ、ブライアンは駅の方へと向かって歩く。

 

(モンゴル料理。確かにあの料理には不思議な力がある。いつか本場の味も食べに行きたいものだな。そして、願わくば彼の地の大草原も思いっきり駆けてみたいものだ)

 

 未踏の地に想いを馳せるブライアンの心に、郷愁に似た感情が芽生えていた。名残を惜しむように店の方へ振り返ると、傘を差したスーツ姿の男性が何やら店内を伺っているのが見えた。

 

「フッ……よく食べそうな男だな」

 

 店内へ入って行った男性の背中を見送り、ブライアンは雨の巣鴨を後にした。

 

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