孤高のグルメ ~ナリタブライアン健啖録〜   作:後出 書

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京都市伏見区の焼きそば定食

(うどんにするかそばにするか、それが問題だ)

 

 シェイクスピアの戯曲ハムレットの台詞に似た独り言を頭の中で呟いたブライアンは、メニューと睨めっこを始めてもうすぐ五分が経とうとしていた。ブライアンが何をこんなに悩んでいるかと言うと、話は今から少しだけ遡る。

 

 そもそも何故ブライアンがここ京都に足を運んだかと言えば、偏に学園の用事。生徒会長のシンボリルドルフ直々の頼みで単身やって来た。こうして学園行事や校外行事に関する運営活動に従事していると、自分が生徒会役員であったことを思い出す。

 

(面倒だが仕方ない。たまには協力してやらないと、また延々とエアグルーヴの小声を聞かされ続けなきゃならんからな)

 

 気乗りはしなかったが大人しく京都行きの往復チケットを受け取ったのにはもう一つの理由があった。堅苦しい挨拶回りや用事をサッサと終わらせて、ブライアンはその場所を目指す。

 

「約一年ぶり……だな」

 

 ブライアンが訪れた場所は京都レース場。去年の阪神大賞典の舞台となった場所である。そしてこの場所こそ、自身にとって最も重要な分岐点となると感じていた。

 

 前回の阪神大賞典を獲って以降、不調が続いた。それが去年のこと。そしてもうじき出走予定となる今年の阪神大賞典が控えており、掲げる目標はマヤノトップガンに有馬記念での借りを返すということ。

 

 マヤノトップガンといえば、去年の菊花賞での活躍。前年三冠を達成した際にブライアンが刻んだ菊花賞のレコードタイムを0.2秒縮めた衝撃はステイヤーとしての頭角を現すきっかけとなった一戦と言っても良いだろう。事実、菊花賞から翌月の有馬記念でブライアンは彼女に敗れている。

 

(年明け初出走となる阪神大賞典は3000mの長距離レース。願ってもないことだ。ただ単に勝つだけではこの飢え、渇きは癒せない。相手の得意な距離でねじ伏せてこそ意味がある)

 

 炎は決して消えていない。

 既に熱はブライアンの胸の内に宿っている。

 今まで以上に熱く、そして激しく昂る瞬間を今か今かと待ち焦がれていた。

 

(こんなところで立ち止まるわけにはいかない。何故なら——)

 

 そしてその先には追い抜きたい相手が。偉大な姉の背中が待っているのだから。

 

 そんなことを考えていると実際に飢えを感じ、時計を見ると時刻はお昼過ぎ。食事が出来る店はないかと辺りを探し始めたところ、わりとすぐに京都レース場の近くで一軒の気になる店を見つけたのだった。

 

 昔ながらの懐かしさ溢れる中華そばの文字が入った赤いのれんと、入口横にある、これまた赤いコーラの自販機に誘われて店内へ入ると「おいでやす」と店のおばちゃんの元気の良い京都弁がブライアンを迎えた。

 

 店中はテーブル席三つに座椅子席が三つ。どこにでもありそうな小さな町の中華料理屋という雰囲気。一番手前のテーブル席に座ったブライアンは早速メニューをチェックする。

 

(並、特大……大盛りはないのか? 麺物は中華そば、チャーシューメン、みそラーメン、しおラーメン……なに? 上記メニューはすべてうどんに変更可だと? 中華うどん、チャーシューうどん、みそうどん……チッ、何が何だかわからなくなってきた)

 

 猛烈なうどん推しは関西故のものか。チャーハンではなく焼き飯と記されてるのもその色が濃く反映されているのかも知れない。のれんを見て温かい中華そばでも食べようと思っていたブライアンだったが、うどんと焼き飯に心が揺れ動かされていた。

 

(チャーシューメン……いや、うどんにして半チャーハ——半焼き飯みたいなセットとかでもいけるのか? いや、今の腹具合なら単品ずつでも問題はないが……)

 

 ふと、ごはん物の下にある定食メニューに目をやると更に気になるものを見つけた。

 

(焼きそば定食。ごはん、スープ、漬物付き……これだ!)

 

 麺、米、温かいスープ、この一品だけで食べたいものの欲求をすべて補える。早速注文しようとした矢先、更なる選択をブライアンは迫られることになる。

 

(なん……だと……? 焼きそばだけじゃなく焼きうどんもあるのか)

 

 定食にすることは決まった。後は焼きそばにするか、焼きうどんにするか。ここで話は最初へと戻る。

 

(ここはうどんで行くべきなんだろうが、先日神戸でカレーうどんを食べたばかり。ならばここは……)

 

 悩みに悩んだ末、ブライアンは手を挙げ店員を呼ぶ。

 

「すみません。焼きそば定食、特大を一つ」

 

「はいよ。随分悩んどったねぇ。でもお姉ちゃん、正解やわ。うちはどれも美味しいけど、焼きそばは特に人気やから。あ、ごはんの量は大盛りでええの?」

 

「じゃあ、大盛りで」

 

「はい大盛りね。あ、そこのゆで卵一個サービスだからよかったらどうぞ〜」

 

 そう告げると、注文を取ったおばちゃんは厨房の方へと戻っていく。先程おばちゃんが指差したテーブルの上には小さなプラスチック製のかごがあり、中には大量の卵が入っていた。

 

「気にはなっていたが、これゆで卵だったのか。料理が来るまでのお通しというわけか。ありがたい、一つ頂こう」

 

 上手く殻が剥けず、でこぼこと歪な形に剥けたゆで卵に何かかけるものはないかと卓上調味料を見渡すと醤油、塩、胡椒、酢、ラー油といったスタンダードなもの以外にも辛味噌やおろしニンニクといったものまで常備されていた。辛味噌が若干気になったブライアンはゆで卵の上半分を塩で食べ、残りの黄身部分に少しだけ辛味噌を塗って食べてみることにした。

 

(うん、ピリッとした唐辛子の刺激と味噌のコクが実に美味い。淡白なゆで卵との相性も悪くない。こいつをラーメンに入れるとさぞ美味いだろうな)

 

 やはりラーメンにしておくべきだったかと一瞬頭を過った考えは、奥から漂って来た香りと音で瞬く間に消し飛ばされた。

 

 見ると、厨房よりも手前。どちらかといえば客席のすぐ近くに鉄板があり、そこで焼きそばを焼いていた。おばちゃんが慣れた手つきで操る二本のヘラが鉄板に当たる音や具材とそばが焼ける音がとても耳に心地良い。更にはソースの焼ける匂いが強烈に食欲を刺激する。こうなると、もはやラーメンが食べたいだとか焼きそばが食べたいとかの話ではない。〝今すぐ何かを食べたい〟が正解だ。そんな期待に応えるように、ブライアンの前に定食一式が揃ったお盆が置かれた。

 

「はいお待ちどぉーさま」

 

 大盛りのご飯と中華スープ、たくあんとピンク色の大根漬けが乗った小皿が一つ。そして大皿にはさっきまで鉄板の上にいただけあって熱々の湯気が立っている焼きそばが鎮座している。炭水化物がおかず面をしているのが何とも不思議ではあるが、今はそんなことはどうでもいい。

 

 逸る気持ちを抑えつつ、割り箸を割り構えて静かに一言。

 

「いただきます」

 

 それがスタートの合図。まずはスープから。中華屋のスープは店の殆どの料理に使われている味の支柱。つまり、その店の基本が詰まっているといっても過言ではない。

 

「ふぅー、ふぅー、ズズッ……」

 

 小さなスープカップに口をつけ、一口啜る。所謂鶏ガラベースの至って真面目な昔ながらの中華スープ。決して濃すぎず、主張し過ぎず、しかし味の芯はしっかりとした安定感が感じられる味わいだった。

 

(しみじみ美味い。このスープを使ったラーメンなら確かに美味いだろうな)

 

 いよいよメインの焼きそばに箸を伸ばす。キャベツ、薄切りの肉を巻き込んで麺を掴む。麺は細いストレート。麺に付着した細かい青海苔が見た目も香りも実に良い。生唾を一回ごくりと飲み込み、熱々の焼きそばに二〜三回息を吹きかけ一気に啜る。

 

(これだ。このどこまでいっても潔いソースの味。この味の濃さが〝焼きそばを食べている〟という実感と満足感をくれる。そして何より秀逸なのはこの味付けだ。普通の焼きそばより味が濃い。むしろ濃過ぎて若干辛いくらいだ。味が濃くなり過ぎた口内に一気にライスを放り込む!)

 

 口内にまだ焼きそばが残っている状態でごはんをかき込むと一気におかずへと変化する。味が濃いからごはんが進む。味が濃いから紅生姜の有り難みが増す。そして味が濃いからこそ、たくあんや桜漬けが箸休めを超える。

 

 どこから食べても米が美味い。どの順番で食べても焼きそばが美味い。結局ブライアンはごはんを大盛りでおかわりし、後半戦でソース味の肉キャベツ炒めとそばに分けてご飯を半分食べ、残りをテーブルにあった辛味噌とスープで食べた。

 

「ご馳走様でした」

 

 この日から数週間後、阪神レース場にて阪神大賞典に出走したナリタブライアンはマヤノトップガンと再戦を果たし、中央史上屈指の名勝負と称される熾烈なマッチレースを繰り広げることとなる。

 

 ほんの僅かな頭差で掴んだ勝利。

 

 その陰にはブライアン自身の努力と才覚、彼女を支えた周りのサポートと美味しい食べ物が与えた力が、そんな僅かな差に繋がったのかも知れない。

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