孤高のグルメ ~ナリタブライアン健啖録〜   作:後出 書

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トレセン学園栗東寮での自炊鍋

 その日、ナリタブライアンはいつもより遅く起きた。

 

 昨日は阪神大賞典を走り、マヤノトップガンとの一騎打ちに競り勝ち、見事な復活劇を世間に見せつけたばかり。興奮の余韻で昨夜はなかなか寝付けず、結局明け方近くまでベッドの中で様々な思いを巡らせていた。

 

 のそりと起き上がり部屋を見渡すが、既に同室のタニノギムレットはいない。時計を見ると、時刻は昼前。トレセン学園では既に授業が始まっている時分だ。

 

「……着替えるか」

 

 寝巻きを脱いで私服に袖を通す。学生服を着ないのは、今日はきちんと申請を出して休みにしているからである。あれだけの激しいレースを走った後だ。念のため医療機関での診察を受け、少なくとも一日は静養するようにとのトレーナーの指示。面倒だとは思いつつもブライアンは言いつけ通り、かかりつけ医の元へと向かうことにした。

 

 診察を終えたブライアンは、昼下がりの街をぶらりと歩く。まだまだ寒いが、風も穏やかで日差しも暖かくとても心地が良い。散歩するには絶好の日和であった。数メートル先に小さな公園があるのを見つけたブライアンは自販機でホットの缶コーヒーを買うと公園のベンチに腰を下ろした。

 

「私はあとどれくらい走れるんだろうな」

 

 ウマ娘の選手生命は短い。

 

 例外や個人差はあるが、大凡の平均値は出せる。ブライアン自身、とうにピークを過ぎていることは自覚している。それでも残酷なもので身体と相反するように走りたいという衝動は常に湧き上がる。強い相手を見つけるたび、風を切り、地面を踏み締める感触を思い出すたび。それこそ、今この瞬間であっても。

 

 缶を握る手に力が入る。

 心に対して身体がついてこれない。むしろ、走りたいと渇望すればするほどその情熱が身をジリジリと焼いているようにさえ感じた。

 

(今年いっぱい……いや、もっと早いかもしれないな)

 

 盛者必衰。流転の理。森羅万象に必ず終わりはある。避けられぬ運命なら、みっともなくてもいい。燃えカスになってもいい。

 

〝生きた証になれ〟

 

 そう魂が叫んでいる。

 

(私もターフに生きた証を刻みつけてやる。アイツのように……あのトウカイテイオーのように)

 

『トウカイテイオーが来た! ビワハヤヒデとトウカイテイオー! ダービーウマ娘の意地を見せるか! トウカイテイオー奇跡の復活ッッッ!!』

 

 約一年ぶりのレースでありながら当時一番人気だった姉のビワハヤヒデを下した奇跡。

 

「ウマ娘とはかくあるべし」と言わんばかりの生き様を走りそのもので遺憾無く見せつけた模範的なレースであり、全ウマ娘にとって憧れとなり目標となった。そしてそれは、ブライアンにとっても例外ではない。

 

「っくしゅ……冷えてきたな。そろそろ帰るか」

 

 気づけば二時間近くベンチに座っていたブライアンは、すっかり冷たくなったコーヒーの空き缶をゴミ箱へと捨てると公園を後にした。

 

(そういえば、今日はまだ何も食べてなかったな。寮に戻る前に何か食べて行くか)

 

 道すがら様々な飲食店が目に入る。牛丼、ハンバーガー、ラーメンにファミリーレストラン。トレセン学園付近は少し行くと割と栄えており、有名チェーン店から個人経営の店まで選り取り見取り。飲食店はかなり充実している方だ。しかし、この日はどれもブライアンの食指が動くことはなかった。

 

(チッ……迷っている内に飲食店通りを抜けてしまった。この先はスーパーかコンビニしかないが……どうする、戻るか。いや、待て。弁当を買って帰るという選択もあるな。惣菜コーナーでも眺めれば正解に至るヒントを得られるかも知れない。よし、それだ)

 

 少し立ち止まり熟考したブライアンは来た道を戻る選択肢を捨ててスーパーマーケットへ入って行った。

 

(こうしてスーパーに来るのも久しぶりだな。昔はよくおふくろと姉貴にくっ付いて来たもんだが……さて、惣菜コーナーは)

 

 初めて入ったスーパーの売り場がわからず、左からぐるりと店内を巡るブライアンは鮮魚コーナーの前で立ち止まる。

 

(おぉ、魚がたくさんいるぞ。こいつらはどれも食えるんだよな。捌き方がわからんから丸焼きにする以外の食べ方が想像出来ん。切り身ならまだわかるが)

 

 アジやチダイ、サンマやカレイなど丸のままの魚を普段見る機会などないブライアンにとって、鮮魚コーナーはちょっとした水族館のようだった。暫し魚を眺めて先に進むと、そこから先は精肉コーナーへと変わった。牛、鶏、豚の薄切りやブロック。ソーセージやベーコンといった加工肉も同様に並んでいる。これはこれで普段見慣れない光景であるため、ブライアンにとっては存外楽しいものであった。

 

「ママー、夜ごはんハンバーグがいい!」

 

「じゃあ、挽肉と玉ねぎ買って帰ろっか」

 

 声の方へ目をやると、カートを引く若い母親と母親の服の裾を掴んでいる小さな女の子が仲睦まじく買い物をしていた。

 

(母親というものは大変だな)

 

 幸せそうに微笑む親子を見て、ブライアンは僅かに考えた。

 

(私もいつか……母親になる日が来るのだろうか)

 

 別に意識したわけではない、そう自分に言い聞かせながらブライアンは精肉コーナーからパック詰めされた豚バラ肉200gを手に取った。

 

(たっ……たまには料理でもしてみるか。べべべ別に女らしくとかそういうのではなく、ただ単に肉を焼いて食いたくなっただけであって、花嫁修行とかそういうのでは断じてなくてだな)

 

 心中を誰に見られているわけでもないのに妙に気恥ずかしい気持ちになったブライアンは必死で自分自身に言い訳をしながらレジへと向かう。

 

(待てよ。肉を焼いて食うだけで果たしてそれは料理と言えるのか? 栄養バランスを考えて野菜も入れなくては子供たちの成長にいや違くてそういうアレじゃなくてだな)

 

 一人で若干混乱気味に陥ったブライアンは青果コーナーで立ち止まると、もやしの袋とレモン一個を手に取ると会計を済ませてそそくさと寮へ戻った。

 

「……なにをやってるんだ、私は」

 

 寮へ戻って共用の台所へと向かったブライアンは買ってきた豚バラともやし、レモンを置いたテーブルに両肘を立てて頭を抱える。

 

 肉はまだいい。何故もやしなど買ったのか。

 

(や、野菜の中でももやしはクセがなく食べやすいしな。あともやしって安いんだな。一袋二十円程度とは全国のもやし農家はやっていけるのか?)

 

 何故レモンなど買ったのか。

 

(栄養と言えばビタミンC、ビタミンと言えばレモン…‥くっ、我ながらなんて安直な考えだ)

 

 大きく溜息を吐き、勢いよく立ち上がったブライアンはスマートフォンを手に取り、手元にある材料で作れる料理を調べることにした。やってしまったことは仕方ない。今優先すべきはさっさとこの材料たちをどうにかして食べれる状態にして腹に詰め込むこと。他の連中に見つかると色々具合が悪い。特に寮長のフジキセキに見つかろうものなら尚更面倒なことになる。

 

 調理時間の早さ、使う調理器具の少なさ、あと何より味。これら全ての条件を満たす料理はないか。必死でレシピサイトと睨めっこしていたブライアンはようやくそれを見つけ出した。

 

「豚もやしの蒸し鍋か。これなら手軽に作れそうだ」

 

 レシピを頭に叩き込み、ブライアンは早速調理に取り掛かる。手順は至ってシンプル。鍋にもやしを敷き詰めてその上に食べやすい大きさに切った豚バラの薄切りを乗せていき、酒と塩を軽く振りかけてから蓋をして火にかけるだけ。ちなみに酒と塩は台所にあった誰かのを少しばかり使わせてもらったのだった。

 

 具材がじっくりと酒で蒸され柔らかくなり、豚肉の旨味が下のもやしへと流れていく。余分な脂は鍋底へと溜まるので、シメの雑炊やうどんなど汁を利用することを度外視すればヘルシーさも兼ね備えた一品。早速ブライアンはテーブルの上に鍋敷きを置き、そこに土鍋を乗せて出来たての豚もやし鍋の前で手を合わせる。

 

「いただきま——」

 

 ブライアンはあることを思い出し、慌ててスマートフォンを取り出すと先程見ていたページを再度確認する。

 

「しまった……タレの存在を失念していた」

 

 見ると、この鍋はおろしポン酢やゴマだれなどお好みのタレに付けて食べると記されていた。今から買いに走るか。いや、その間に授業を終えた誰かが戻って来る可能性は高い。塩で軽く下味は付いているが、ポン酢でさっぱり食べたい欲求が強くなっている今、そのままというのはあまりにも味気ない。いっそ醤油でもかけてかき込むかと考えたが、もう一つ使っていない食材があった事を思い出した。

 

「このレモン、使えるかも知れん」

 

 表面を水洗いし、水気をきったところで包丁でレモンを半分に切り分けた。種を取ったレモンを右手で掴んだブライアンは徐に取り皿の上で力いっぱい握り絞る。大量のフレッシュレモン果汁に醤油を注ぎ、即席ポン酢ならぬレモン醤油ダレを作ったのだ。

 

「改めて、いただきます」

 

 豚バラともやしを箸で掴み、出来たてのレモン醤油につけて一気に頬張る。

 

(ド直球な豚肉の旨みをたっぷり吸ったもやしが美味い。じゃくじゃくとした歯応えが実に心地良いじゃないか。それに、咄嗟の思いつきとはいえレモンが実にいい仕事をしている。この爽やかな酸味と風味が脂身の多い豚バラ肉によく合う。これは無限に食えそうだ)

 

 ダイニングテーブルで一人で鍋をつつくブライアン。自分の咀嚼音と食器の音がやけに大きく聞こえた。

 

(今度作る時は姉貴でも誘うか。もしくはトレーナーでもいい……鍋は家族で食うに限る)

 

  食べ終えてすぐに洗い物を済ませ、食器を拭きながらブライアンは思いの外上手くいった料理の余韻と共に一抹の寂しさを覚えていた。

 

 後日、ブライアンはビワハヤヒデに先日作った鍋料理のことを報告した。

 

「ほう、優作鍋か。なかなか通なものを作ったじゃないか」

 

「優作鍋?」

 

「豚ともやしの蒸し鍋は名優、松田優作が愛したと言われていてな。そんな彼の名に因んでそう呼ばれるらしい。レモン醤油で食べるのも優作鍋ならではと聞いたことがある。そういえば、前にお前と二人でいた時にトウカイテイオーが探偵物語のコスプレをしていたことがあったな。あれはその名優の代表作の一つだ……って、どうかしたか?」

 

 姉の口から出て来たトウカイテイオーの名にブライアンの口元が僅かに緩んだ。

 

「フッ……いや、いずれトウカイテイオーとも合間見えたいと思っただけさ。それにしても流石は姉貴だな。いつもながらその博識ぶりには頭が下がる」

 

「頭が下がる? それはつまり私の頭が少し小さくなったってことか!?」

 

 目を輝かせて喜ぶ姉を無視し、ブライアンはトレーナーの待つ練習場へと向かうのであった。

 

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