孤高のグルメ ~ナリタブライアン健啖録〜   作:後出 書

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東京都板橋区のヒリ辛ラーメン

『これは己の限界を超えるための戦いだ』

 

 そう心の中で意気込んだナリタブライアンが降り立ったのは上板橋駅。今日ここに足を運んだのは、あるメニューに挑戦するため。北口を出てすぐの場所にそれはあった。

 

 真っ赤な看板には屋号と腕組みをした店主と思しき男の写真。自信と誠実さが滲み出た表情からは、まるで「かかってこい」と挑発しているかのようだ。

 

(フッ……上等じゃないか。その勝負、受けてやる)

 

 ゴクリと唾を飲み込み、ブライアンは2階へと続く階段を登ると奥の店内へと向かった。

 

 時刻は昼時より少し前。それでも店内は多くの客で賑わっていた。昼時は外に行列が出来ると聞いていたので、敢えて早めの時間にしたのが功を奏した。ブライアンは券売機の前に立ち、メニューを見渡す。

 

『板橋区にそれ(ヒリ辛)以上の辛さを味わえるラーメン屋があるよ』

 

 間違えて頼んだヒリ辛ラーメンを食べていた時、ヒシアマゾンがそんなことを言っていた。

 

 辛さに苦戦しながらも何とか完食したブライアンは衝撃を受けた。これ以上辛くした食べ物など、それは食べ物のカテゴリーから外れてもはや劇薬。驚愕していたブライアンを追撃するようにヒシアマゾンは続けた。

 

『そこで最高レベルの辛さを完食できたウマ娘はトレセン学園でもただ一人。ちなみに、そいつはそのヒリ辛ラーメンを毎回汗ひとつかかずに完食するよ』

 

 その後ヒシアマゾンは後輩に呼ばれて行ってしまい、その猛者の名前は聞けずじまい。しかし、それがブライアンの対抗心と闘争心に火を着けた。ヒシアマゾンが残した〝板橋区〟のキーワードから検索し、この店を探り当てたというわけだ。

 

 この店の辛さレベルは10段階。数字が高いほど辛さが上がるという分かりやすい仕様となっている。見渡した限りだと最高レベルは10の冷やし味噌ラーメンがそれに該当するようだ。気合いを入れるように小さく息を吐き、右手の人差し指を冷やし味噌ラーメンのボタンへ向かわせる。

 

「辛いの好きなの?」

 

 不意に背後から聞き覚えのある声に話しかけられ、ブライアンは思わず振り返る。

 

「あっ、ゴメンね。びっくりさせちゃって」

 

 見るからに高級そうな気品溢れる白いブラウスに緑地のスカートを履いたウマ娘と、紫のフードを被りビビットカラーのパーカーを着たウマ娘のコンビ。ファインモーションとエアシャカールがそこにはいた。

 

「ったく、急に後ろから話かけンじゃねェよ。ブライアンのやつ、間違って違うメニュー押しちまってるじゃねェか」

 

 エアシャカールの言葉にブライアンは慌てて券売機に視線を戻すと指は既にボタンを押しており、10辛の冷やし味噌ではなく9辛のメニューを押してしまっていた。

 

「あっ、でもでも、辛い物が好きなら冷やし味噌よりもそっちの9辛の方が良いかも。個人的にはそっちの方が辛い気がするなぁ〜」

 

「まぁ、確かにな。冷やしの10辛よりも9辛の方が熱気がある分、立ち昇る湯気も辛味を帯びるし口内へ加わる刺激も熱と辛さのダブルパンチだ。より苦戦を味わいたいならそっちがベストだろうな」

 

「そーだ! よかったら私たちと一緒に食べない? 私たちも同じものを——」

 

「よせよせ。オレたちがいたら却って邪魔になる。それにこの後も用事があるから今日は普通の5辛にしようって言ったのはオマエだろうが。シャドーロールの怪物サマの辛さ勝負に併走しようモンなら午後からの予定は全部丸潰れだ。オレたちはあっちで喰ってるから、アンタは気にせず辛さに集中してくれ」

 

 気を利かせたつもりだったエアシャカールは意図せずブライアンの不安を煽るだけ煽り、離れた奥の席へとファインモーションの手を引いて連れて行く。天使のような無垢な笑顔で手を振りながら遠ざかっていく殿下。一人がこれほど心細いと感じたのは、いつぶりだろうか。

 

 手にした食券を見つめ、諦め混じりの溜息を一つ吐いて手前のカウンター席へ座ると店員に食券を渡す。

 

(なにを臆する必要がある。敵は辛さじゃない。自分自身だ。過去の自分を乗り越え、更なる強敵に挑むためここに来たんじゃないか。どんな奴が相手だろうが関係ない。この飢え、この渇きを満た——)

 

「お待たせしましたー」

 

 脳内の独り言は、目の前に現れたどんぶりを前に沈黙へと変わった。

 

「…………」

 

 赤い。ただただ鮮やかな赤がそこにはあった。食べ物らしからぬその赤さは、さながら鮮血のよう。それをかろうじて食べ物たらしめているのは、上に添えられた申し訳程度のもやしの白さ。食べる前から既に身体が辛さに反応している。あらゆる毛穴から汗が噴き出るような感覚に襲われた。

 

「い……いただきます」

 

 このまま見つめているだけではせっかくの麺が伸びてしまい、美味しく食べれなくなってしまう。そうなっては本末転倒。意を決したブライアンは箸とレンゲを構え、麺を持ち上げる。

 

 中太ストレート麺には真っ赤なスープがよく絡んでいる。口に入れようと顔を近づけた直後、第二の衝撃がブライアンを襲う。

 

「がはっ!? ゴホゴホッ……」

 

 スープの油膜から引き摺り出された麺と共に立ち昇る湯気。エアシャカールの言う通り湯気が既に辛い。まともに吸い込んだだけで鼻と喉の粘膜に痛みが走る。その強烈な香りはまるで炎のにおいが染みついているかのよう。派手にむせたブライアンの首から上は既に汗まみれ。なによりも恐ろしいのは〝まだ一口も食べていない〟ということだ。

 

 チラッと奥の席に目を向けると、ファインモーションがなにやら口をパクパクさせながら手を振っている。「ガンバレ」や「ファイト」といった激励を送っているのだろう。ブライアンは心から彼女らに感謝した。知り合いが居なければ、このまま食べずに退店していたかも知れない。

 

(現状、辛さへの対策は皆無。ならばせめてこの熱さと鼻に抜ける刺激だけでも軽減させるんだ。ゆっくりでも構わない。一口ずつ確実に胃に収める)

 

 息を吹きかけよく冷まし、なるべく啜らないようにゆっくり口に運ぶ。出来る限りのベストを尽くした食べ方を選んだつもりだった。

 

 しかし、そんな小細工は悪足掻きだということをすぐにブライアンは思い知ることになる。

 

「〜〜〜!?!?!?」

 

 発火、炎上、大爆発。

 口内で爆散する辛みという名の痛み。

 そのレベルはもはや暴力。ヘヴィー級ボクサーが口内をサンドバッグにしているかのような激しい痛みが押し寄せた。

 

 痛みに耐えかね、水の入ったグラスに手を伸ばしたのは生存本能に近い。堪らず水で流し込んだブライアンに待ち受けていたのは、更なる地獄だった。

 

(かっ、辛みが消えない! いや、それどころか辛みが増した!?)

 

 唐辛子の辛味成分カプサイシンは脂溶性であり水には溶けにくい。激辛料理に水が禁忌とされる最大の理由はそこにある。辛さから逃げるために水を口に含めば辛さを和らげるどころか寧ろ口内全体へと更に拡散させるハメになる。それに気づかずガバガバと水を飲めばやがて腹は水で膨れてしまい、遂には一口も胃に入らなくなってしまうのだ。

 

 小刻みに身体を震わせながら必死で辛みに耐えるブライアン。まるで地獄の炎でハラワタを焼かれているかのよう。少しずつ辛さが和らいできた時、辛さの奥から鮮烈な旨みが顔を覗かせた。

 

(ん? 辛すぎて全くわからなかったが、このスープなかなか……いや、かなり美味いぞ。濃厚でコクがある。動物性の旨みと野菜の甘み、にんにくのパンチも効いてて純粋な旨みのレベルも桁違いじゃないか)

 

 普段であれば抑制などせず欲望のままに喰らうブライアンだが、それを行なうにはあまりにも辛い。辛すぎるにも程がある。

 

 一口食べて悶絶。しかし辛みだけでなく旨みすらも凶暴であるため箸を置くのを本能が許さない。辛みと旨みの猛攻にブライアンのスピードも末脚が如く徐々にだが確実に加速していく。辛さで唇は赤く腫れ、舌はビリビリと麻痺しているにもかかわらず、これほどはっきりとした味の輪郭が感じ取れるということはそれだけ強烈な旨みが溶け出しているという証。

 

(食べ進む苦痛を凌駕するほど次が欲しくなる中毒的な美味さ。これ以上はいけないと分かりつつも飲み干そうとしてしまうこのスープ。まさしく天国と地獄。明日の事など今さらどうでもいい。今はただ、目の前にある辛さと旨さに向き合っていたい)

 

 どんぶりを傾け、最後の一滴までスープを飲み干すと沈澱していた唐辛子の粉末がザラリと舌に触る。この日ブライアンは、いつかのヒリ辛ラーメン以上の辛さを完食してみせた。

 

「ごちそうさまでした」

 

 時計を見ると既に昼時になっており、どうやら外には行列が出来ているようだった。飲食店の書き入れ時に長居は無用。席を立ち、出口へ向かおうとしたブライアンはふと店の壁に目を向け、固まる。そして思わず店員に話しかけてしまった。

 

「少々尋ねるが……あの写真は?」

 

「えっ? あぁ、この店で一番辛いラーメンの極炎を完食された唯一のお客様です。ちなみに極炎は冷やし味噌の2倍ですので約20辛に相当します。よろしければ挑戦されますか?」

 

「い……いや、今日は遠慮しておこう」

 

 次の日、ブライアンから羨望の眼差しを向けられるようになったメイショウドトウは自分が何かやらかして睨まれていると誤解して困惑しっぱなしであったという。

 

「ふぇぇん、何だかよくわかりませんがすみませぇ〜ん!」

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