孤高のグルメ ~ナリタブライアン健啖録〜   作:後出 書

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東京都渋谷区の朝食セットとパンケーキ

 せっかくの休日にも拘らず、朝からツイていないことが続いた。

 

 始まりは私服に着替えようとした時。普段着ているお気に入りの私服がいくら探しても見当たらないのだ。

 

 下着姿のまま数分ほど考え、ようやくクリーニングに出していたということを思い出す。

 

(そうだった。先日のヒリ辛ラーメンの赤い汁が跳ねてしまっていたからクリーニングに出していたんだった)

 

 以前カレーうどんを食べた際に出来たシミはヒシアマゾンにシミ抜きを頼んだが、そう何度も甘えるのは流石に気が引ける。せっかくだからと他の服と纏めてクリーニングに出していたのだった。

 

 仕方なくトレセン学園の制服に身を包み、いつも鼻に貼っているテープの箱に手を伸ばす。

 

「むっ、もう無かったか」

 

 箱を見ると中は既に空の状態。

 買い置きを探すも、それさえも切らしていたことを知る。

 

(チッ、あれがないと落ち着かんな。買いに行くとするか)

 

 いつも髪をアップに縛っている髪留めの紐を探すが、それすらも見当たらない。おそらく脱衣所かそこいらにあるのだろうが、ないない続きで嫌気がさしていたブライアンは何もかもが面倒になり、溜息を吐くと髪を下ろしたまま寮を出ることにした。

 

「朝から気が滅入ることばかりだったが、外はなかなか心地が良い。少しは気が晴れるな」

 

 外は快晴。どこまでも雲ひとつない青空が続いていた。加えて、風も穏やかで普段に比べてかなり暖かく感じる。まるでひと足早く桜が開花するのではないかと思えるほど、気持ちの良い陽気だった。

 

 駅に向かう道すがら書店に並んでいるファッション誌の表紙とふと目が合い、ブライアンは足を止める。

 

「確かファッションモデルをやっているんだったな」

 

 トレセン学園でも珍しい尾花栗毛を持つ百年に一人の美少女と称されるゴールドシチーがセンターを飾っている。先取り春コーデ、オシャレデートスポット大特集など、女子中高生が好きそうなワードが一面に並んでいた。

 

 自分には遠縁だとは思いつつも、ブライアンはその雑誌を手に取りページを捲る。真っ先にブライアンの目に留まったのは、ゴールドシチーのインタビュー記事。内容は二足の草鞋を履く彼女のモデル業とレースに対する心構えや目標、愛用しているコスメや小物といった日常の話題の他にシチーが最近よく行くお気に入りの店に関してが書かれていた。

 

(なになに? 表参道にある店で、そこでは〝世界一の朝食〟が提供されている。特にパンケーキが絶品……だと)

 

 クールで無骨なイメージが強いブライアンだが、甘い物には特に目がない。シャドーロールの怪物と称される存在であっても中身はやはり年相応の女子である。パンケーキというワードにときめかないわけがない。

 

 幸いなことに朝食はまだ摂っていない。駅前で買い物だけ済ませてサッと帰ろうとしていたブライアンだったが、雑誌を棚へと戻した彼女の足は駅の構内へと吸い込まれていった。

 

 電車に揺られること約四十分弱。

 明大前から井の頭線、副都心線を乗り継いで明治神宮前駅に降り立ったブライアン。渋谷と原宿が目と鼻の先。加えて今日は日曜ということもあり、多くの若者で賑わっていた。

 

 普段こういった場所には縁がないため、街の雰囲気が肌に合わず非常に落ち着かない。おまけに、何やら先程から周囲の視線がこちらに向けられている気がしてならない。走っている時は全く気にならない視線がこうまで心地が悪いものかとやや狼狽えていると、自身の服装の違和感に気付く。

 

(はっ!? 制服(これ)のせいか!)

 

 周りの同年代風の女性たちはオシャレな服に身を包んでいるのに対し、自分は制服姿。しかも髪は下ろしたまま。ずぼらな田舎者の女学生が来たと思われているのかも知れないと被害妄想が脳裏を過ぎる。

 

 普段なら気にも留めない些細なことであったとしても集中力を高めるために貼っていた鼻のテープをしていない為、いつも以上に冷静さが保てない。恥ずかしさの限界突破まであと一歩。今にも踵を返して帰りたい衝動を抑え、ブライアンは意を決して前に踏み出した。

 

(くっ……笑いたければ笑うがいい。恥でも泥でもいくらでも被ってやる。〝世界一〟に挑めるなら、汚名や恥辱に塗れてもその価値は余りあるというものだ)

 

 凛と背筋の伸びたブライアンの堂々たる歩き姿を周囲の者たちは先程よりも強い羨望の眼差しで見送った。

 

 駅を出て割とすぐのところにある大型商業施設。6Fには樹木が植えられているフリースペースがあり、都心に居ながら自然と触れ合える癒しと憩いを兼ね備えた造りとなっていた。この施設の最上階に〝世界一〟はある。

 

 時刻は十時前。他のテナントはまだ閉まっている時間にも拘らず、店の前には既に行列が出来ていた。一人だけ浮いた制服姿のブライアンは列の最後尾に並ぶと目を瞑り神経を研ぎ澄まし、電車の中で予習してきたメニューを思い返しながら今日の立ち回りをシュミレーションしていた。先程まで物怖じしていたお上りさんはもういない。今ここにいるのは腹を空かせた制服姿の一匹狼。世界に挑み、喰らわんとする餓狼の姿があった。

 

 店内は全体が白を基調とした大きなガラス張りで、フリースペースの自然風景や差し込む太陽光が全面に入ってくる開放的な内装となっていた。

 

 暖かい陽気と自然が楽しめるテラス席へ座ったブライアン。席にはセルフオーダーのQRコードがあり、不慣れながらもなんとか注文を行い念願の料理と対面することが出来た。

 

(パンケーキはデザート。まずはブレックファストプレートを攻める)

 

 手始めにブライアンがオーダーしたのは朝食の定番が並べられたセットプレート。まず最初に目についたのは、見たこともないほど艶やかな色合いのスクランブルエッグ。カリカリに焼かれたベーコンとソーセージ。焼き色が付いたローストトマトにガーリックがほんのり香るマッシュルームが数個。バターがひとかけ乗った見事な焼き色のトーストが二切れとルッコラと思しき一枚の謎の葉っぱが添えられていた。

 

「いただきます」

 

 ナイフとフォークを手にし、まずはベーコンを半分に切って口へと運ぶ。

 

(うん、美味い。噛むほどに旨みの凝縮された脂が口いっぱいに広がる。カリカリに焼かれたベーコンってやつは洋食を食べている実感をより鮮明にしてくれる)

 

 口内がベーコンの脂でコーティングされている内によくわからん葉っぱを片付けるように食べ、葉っぱの苦みやえぐみの輪郭が覗く前に追いベーコンで味を誤魔化す。脂っぽくなった口にまだバターを塗っていないサクサクのトーストを頬張る。

 

(焼かれていない食パンも良いが、サクサクのトーストは一気に朝食感が増すな。歯応えがどこかスナック感覚で楽しい)

 

 口内の脂っぽさをパンで消し、メインのスクランブルエッグにフォークを伸ばす。

 

(ふるふるで柔らかい。色も均等で焦げや焼きムラが一切無いとはすごいな。一流ホテルのスクランブルエッグは焼くのではなく湯煎で仕上げると聞いたことがあるが、これもそうなのだろうか。口に近づけただけでバターや乳製品の香りを強く感じる。食べる前からわかる。こいつは間違いなく美味いやつだ)

 

 とろとろ、なめらか、つるりとした食感。バターや生クリームといった芳醇な乳製品の香りとコク。何より強く感じるのは卵本来の旨み。今まで食べたスクランブルエッグとはまるで別物であった。

 

 次はトマトを片付けてしまおうと考えていたブライアンだったが、規格外の美味さに次の一口もスクランブルエッグへとフォークを伸ばす。最初よりも少なめに切り分けたのは、無意識に無くなってしまうのを惜しんでいる証拠。今度はペッパーミルで粗く挽いたブラックペッパーを軽く振りかけ、口へと放り込む。

 

(黒胡椒のピリッとしたアクセントが良い。これは大正解だ。全体にかけてしまおう)

 

 残りのスクランブルエッグにブラックペッパーを振りかける。下品にならぬよう程良い量を。だが決して少なくなく。逸る気持ちを鎮めるため、ブライアンは注文していたアイスレモネードに手を伸ばす。

 

 紅茶に似た琥珀がかった色合いが美しく、中には輪切りのレモンが数枚入っている。紙ストローで一口啜ると、甘さとレモンの酸味、レモンピール特有のほろ苦さ。そしてパチパチと弾ける強炭酸がスクランブルエッグの余韻を一気にリセットしてくれた。

 

 レモネードの爽快な口直しを終え、ブライアンはソーセージにナイフを入れる。一口サイズに切り分ける段階からぷりっと弾ける皮の弾力。一切れ頬張るとベーコンに負けず溢れ出る豚肉の旨み。それに加え、フェンネルの爽やかな香りが実によくマッチしていた。

 

(むっ、香草も練り込まれているのか。タイムだかバジルだか品種は良くはわからんが、とにかく美味い。脂っぽいソーセージによく合っている気がする)

 

 ソーセージを繋ぎに付け合わせのローストトマトとガーリックマッシュルームも難なく食べ終えると、残りのトーストにバターを塗って頬張り最後はスクランブルエッグでフィニッシュ。レモネードを飲み干し一息つくブライアンだが、彼女の朝食はまだ前半戦である。

 

 追加で注文したこの店定番メニューのパンケーキ。元々これを食べるためにやって来たのだ。

 

 表面と側面のそれぞれことなった焼き色のコントラストに粉砂糖とハニーコームバターが添えられており、見ただけでふわふわだということがわかる。また、フレッシュのバナナが添えられているのが嬉しい。

 

 二杯目のドリンクはフレッシュオレンジジュースをオーダー。ダージリンティーと迷ったが、やはり洋風の朝食らしさを確固たるものにするにはオレンジジュースは外せない。ジュースで口内を潤し、新しいナイフとフォークを構える。まずは何もかけずにそのままで。

 

(当たり前だが甘い。だが全くしつこくない。これは生地本体の甘さじゃなく粉砂糖の甘さか。まるでチーズケーキのようなすっきりした味わいだ。なるほど、これがリコッタチーズとやらの働きか。食感も軽く口当たりもなめらかだ)

 

 二口目はパンケーキの熱でじんわり溶け出したハニーコームバターを塗ったところを食べてみる。

 

(このバター、蜂蜜みたいな甘さがあるぞ。しかも細かく砕いたナッツかクラッカーのような歯応えのアクセントがある。これがハニーコーム、つまり蜂の巣の欠片か。料理に使うバターとは一味違う、所謂菓子専用のバターだ。ひたすらに美味い)

 

 三枚のうち、一枚をペロリと平らげ二枚目へ。シロップはまだ使わない。今度はちょうど良い大きさに切り分けたバナナを乗せて口の中へ。

 

(バナナの自然な甘さとパンケーキが良く合う。これもまた美味いな。デカすぎ——いや、美味すぎて姉貴の顔が頭から離れん。スマン姉貴。今度は一緒に来よう)

 

 心の中で何故か姉に懺悔しながら、バナナとバターを塗って半分を食べ終えたブライアンはいよいよメイプルシロップに手を伸ばす。

 

 少し高い位置から糸のように垂らし、半円となったケーキへ器用にシロップをかけていく。世界一の朝食と称されるだけはある。シロップ一つかけるにも背筋が伸びてしまう。あくまで優雅に上品に。そんなエレガンスを無意識に強いるほど、パンケーキとメイプルシロップの組み合わせは完璧であった。

 

 舌の上に広がるメイプルシロップの甘さ。シロップが染みた生地を噛むと更に飛び出す甘みの追撃。パンケーキとは、メイプルシロップと組み合わせて初めて完成を見るのだと美味さが雄弁に語っている。 

 

 その真理に耳を傾けたが最後。エレガンスは音を立てて崩れ去る。

 

 最後の一枚にはたっぷりのシロップをかける。否、注ぐ。既に生地にはたっぷり染みているのは誰の目から見ても明らかだ。しかし、シロップの容器を傾けるブライアンの手は未だに下がらない。

 

 シロップをかける手が止まった時には、既にパンケーキはメイプルシロップの海に沈んでいた。

 

 オーバフローを起こしたパンケーキを切り分けて口に運ぶと、とんでもない甘さがブライアンの脳内を駆け巡る。甘すぎて頭や歯に痛みが走るほどである。しかしそれが苦痛ではなく寧ろ快楽であると脳は認識しているようで、ブライアンのフォークは止まらない。

 

(悪食だろうか? いや違う。パンケーキとはメイプルシロップをかけるものじゃない。メイプルシロップにパンケーキをかけて食べるものだ。行儀が悪いということは否めんが、実際この食べ方が最も美味い。そもそも、こんな場違いな格好で来ているんだ。今更恥も外聞も関係ない。己の欲望のままに喰らうだけだ)

 

 最後はメイプルシロップに溶けたパンケーキを飲むように完食。店を後にしたブライアンは府中に戻ると、切らしていたテープの補充とクリーニングの受け取りを済ませて寮へと戻った。

 

 翌日、ウマスタグラムに投稿された〝表参道で見かけた謎のクールビューティー〟と題された写真がマヤノトップガンやカレンチャンをはじめとする流行に敏感なトレセン学園生たちの間で話題になったが、結局誰もその正体に気付くことはなかった。

 

「ねーブライアンさーん。この写真の人、ブライアンさんに似てると思うんだけど違うかな?」

 

「知らん。人違いだ」

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