少し歩きたい気分だった。
暖かな春の陽気とやや冷たい北風を頬に感じながら、ナリタブライアンは阪神レース場を後にすると兵庫県道337号を小林駅方面へ向かって進む。
本日開催されたG1桜花賞。先程までそのレースを観戦していたのだが、ブライアンの心は燻っていた。
(見舞いに行ってやりたいが、却って迷惑だろうな)
同じ生徒会役員にしてトレセン学園の女帝と称されるエアグルーヴ。本来なら彼女もこのレースに出走するはずだった。
栄誉あるトリプルティアラの一冠目ということもあり、エアグルーヴ本人もより念入りに調整を行なっていたのだが前日に急な発熱に見舞われ已む無く出走を回避したのだ。
栄光を手にするか否かは実力外の要因で決まることなどザラであり、勝負の世界とは時として残酷であることはブライアンも重々承知している。怪我や病気によって出走出来なければ負けることさえも許されない。文字通りスタートにも立てない場合も往々にして起こる。
同じウマ娘としてその無念さは痛いほどわかる。しかし、当のエアグルーヴは決して同情や慰めを良しとは思わないだろう。ましてや、あの鬼の副会長のこと。見舞いに行くと申し出ようものなら「たわけ」と一蹴するのは目に見えている。病気を他人に移したくないだろうし、気丈に凛と振る舞ってはいるが他人に見せたくない顔というものもあるだろう。
そんなことを考えていると、腹の虫がブライアンを呼ぶ。スマートフォンの時計を確認すると昼食には遅く、夕食には早い何とも微妙な時刻であった。加えて、現在ブライアンがいる辺りには飲食店が見当たらない。ここから割と近い店と言えば、少し前に通り過ぎたホルモン屋くらいである。
戻るべきか進むべきか、ブライアンは考える。ホルモン屋が飲み屋だった場合、開店にはまだ少し早い可能性がある。目的地の駅まではしばらく進まねばならないためここは戻るより進む方がいい。駅付近になら多少は飲食店もあるだろうし、無ければ最悪コンビニで何か買えばいい。
あれこれ思考を巡らせながら高司一丁目付近の交差点で信号待ちしていたブライアンは、ふと向かいに見慣れた看板を発見した。
(回転寿司か……)
全国的に有名な回転寿司チェーン店の屋号を見た瞬間、ブライアンはふと家族のことを思い出した。
(そういえば、昔はよく家族で行ったな)
空腹と懐かしさに誘われるように信号を渡ったブライアンは回転寿司店へと入って行った。
書き入れ時から外れていることもあり、店内はかなり空いていた。しかし、あと二時間もすればすぐに家族連れで賑わうだろう。そんなことを考えつつ、慣れない発券機を操作して指定された番号のカウンター席へと向かう。
『回転寿司は理詰めと美学だ』
幼い時分、家族と回転寿司に行った際に姉のビワハヤヒデはよく言っていた。最初こそ懐疑的だったが、騙されたと思い姉の食べ方を試してみたブライアンはそれ以来同じ食べ方を実践している。言うなれば、ビワハヤヒデ式ローテーション。その一手目は玉子からスタートする。
『寿司屋のレベルは玉子でわかるというが、回転寿司で使われている玉子焼きは工場で作られている大量生産品が大半だからそんなものは何の判断基準にならない。しかし、それでも一皿目は玉子がベストだ。重要なのは〝醤油なしで食べれるネタ〟であること。イカの塩レモンのように塩で食べるネタからでも良いが店によっては扱っていない場合もある。だが玉子であれば大概の回転寿司店で扱っているからな。まずはそれを食べてから醤油皿を作るんだ。塩で食べるネタの場合、ネタについていた塩のせいで醤油がややしょっぱくなり過ぎる場合もある。その点も考慮してやはり一手目は玉子が最善なんだ』
まずは玉子を食べて、空いた皿に醤油を入れる。次にわさびの小袋をいくつか開けて醤油と交わらないよう皿の端に出しておく。昔は面倒で直接醤油に溶いてわさび醤油にしていたが、それだとせっかくのわさびの香りと辛みが死ぬ。ネタとシャリを一度分離させ、シャリにわさびを塗って、ネタに醤油をつけてから再度シャリとドッキング。面倒だがやはり寿司はネタとシャリの間にわさびを塗って食べるに限る。わさび醤油にした途端、それは寿司ではなく〝刺身を乗せた酢飯〟に成り下がる。それほど両者には隔たりがあり、味にも雲泥の差が生じるのだ。
粉末をお湯で溶いたお茶とわさびを添えた醤油皿が準備出来ればいよいよ本番。ブライアンはタブレットを操作し、次々と寿司をチョイスする。
まず専用レーンに流れてきたのはイカ。淡白な旨みとねっとりとした食感を噛み締める。続いてやってきたのは同じ軟体動物のたこ。コリコリとした歯応えと噛むたびに溢れる旨みを楽しみつつ、つぶ貝やとり貝などの貝類や真鯛などの白身魚を楽しむ。
わさびはやや少なめに。醤油はネタの1/3程度に。この配分を誤ればせっかくの儚い味わいが醤油やわさびの風味に負けてしまうからだ。
(淡く優しい白身の味わい。いかやたこ、貝類のワイルドな歯応え。次のネタへの期待が否応にも高まる)
序盤はあっさりした淡白なネタから攻め、徐々に味が濃いネタを口に運ぶのがセオリー。ここからは青魚。所謂、光り物をいくつかチョイスしていく。コハダ、しめ鯖、イワシ。時期によってはサンマも美味い。青魚は独特の臭みがあるため先程とは逆にわさびをやや多めに。しかし醤油は白身と同じく1/3程度に留める。青魚は仕込みの段階から塩を用いることが多いため、醤油をつけ過ぎるとしょっぱくなりがちなのだ。
(鼻に抜ける青魚の臭みをカバーするわさびの風味が実に清々しい。なにより光り物は安価な皿が大半であるにも拘らず旨みが強いから魚を食べている満足感を手軽に味わえるのがいい。コストパフォーマンスは抜群だ)
白、青とくれば次はいよいよ赤身の出番。定番のマグロやカツオ、本来白身に属するが若い女性に人気があるサーモン類やイクラやうになどのやや高価なネタもここで選ぶ。加えて中トロや大トロなどの脂の強いネタやうなぎや穴子などツメを使った味の濃いネタもこの辺りから攻める。寿司が流れてくるのを待っている間、姉は箸休めでガリをつまむがブライアンはここでようやくお茶に手を伸ばす。程よくぬるくなっていて飲みやすい。口の中をリセットし、次々と流れてくる皿を迎え入れる。たまに頼んだ順番が前後してやってくる場合もあるがそれでもローテーションは絶対だ。先に来てしまった皿はテーブルにキープしておき、順番が来てからようやく食べる。
揚げ物を頼んでもいい。ハンバーグやマヨコーン軍艦を頼んでもいい。うなぎのにぎりにお茶をかけてひつまぶし風にして食べてもいい。回転寿司は自由であるべきである。但し食べる順番だけは遵守する。これこそ回転寿司における理であり美学。姉の導き出した∴win Q.E.D.は妹であるブライアンにもしっかりと継承されていた。
(例え世界が数秒後に滅ぶことがあったとしても、このローテーションだけは決して揺るがない)
皿を重ねに重ね、腹具合も八分目に差し掛かった時。シメの注文をするべくブライアンは再びタブレットを手に取る。ビワハヤヒデ式ローテーションのシメは〝今日食べたネタの中で最も美味しかったものを最後にもう一度食べる〟というもの。だが今日は自分一人。姉の流儀から外れるのもまた自由である。ブライアンの指は流れるような動きでデザートの項目へ伸びていく。
レーンからではなく、店員によってテーブルまで運ばれてきた苺とミルクプリンが乗った可愛らしいパフェを食べながら、以前ホッコータルマエが言っていたことを思い出していた。
『カレー以外にも苫小牧には美味しいお寿司屋さんとかも多いんですよ。北海道までお越しの際は案内しますので是非ご連絡ください』
(フッ…‥本場北海道の海鮮か。心が滾るな)
色々落ち着いたら北海道へ行くのも悪くない。そしてその望みはそう遠くない内に叶うだろう。なんとなくだが、そんな確信めいた予感をブライアンは感じていたのだった。