よふかしのあじ   作:フェイクライター

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第百二十捌夜「契約」

「仮面とれよ」

 

 俺はスケッチブック越しに顔を隠しているカオリに向かって、棘のある口調で言った。紙越しだというのに、不満気な空気がやんわりと伝わってくる。煮詰めすぎたスープのように黒ずんだ色の空気が、俺の家––––小森団地の部屋を侵食していた。

 絵具屋で道具を買い揃えて家に戻ると、居間の中央にモデルの俺が立ち、スケッチブックのスタンドを立たカオリが椅子に腰を下ろしていた。描く準備はほとんど出来てる。

 

「……いやよ」

「絶対描きにくいだろ」

「顔、見えちゃうじゃない」

「まだダメなの?」

「まだ……だめ」

 

 迷う間に少し希望を見出しつつ、文句を付け加えていく。

 

「だがな……カオリ。他人(ひと)にメイド服を着せておいて、こっちの要求は呑まないは通らないんじゃないか?」

 

 少し動くたびにひらひらと揺れるスカートが気になる。

 

「別にいいじゃない。誰にでも見せてるんだから」

「誰にでも見せてるわけじゃねえよ」

「裸描かせてやろうかなんて言ってたくせに、女装はいやって分からないわね」

「いっそのこと裸にされた方がカオリのこと弄れるからいいんだよ」

「女装は弄れることじゃないの?」

「周りに女装させようとしてくる奴らが多すぎて、俺の美貌に非があるかもってレベルだし」

「自意識過剰」

「事実だろ?」

「まあ、ね」

 

 不貞腐れた態度が軟化して、なりを潜め始めた。

 

「描いてる最中に欲情して、襲うなよ」

「……」

「なんだよ」

「襲われたいの?」

 

 微かに語気が強まり、苛立ちを感じとる。

 この触れ方は不味かったか?

 カオリは吸血に対する嫌悪感が根強く残っている。でも、吸血鬼である以上は避けては通らない道で––––でも、今までは血液パックでやり通してきたんだから必要ないだろ––––頭が痛くなってくる。

 揺らいでいる場合じゃない。

 

「うん。カオリが襲ってくれるってことは信頼してくれてるってことだから」

「一歩間違えたら殺すかも……て今日で何回目よこの話」

「俺、強いし問題ないんじゃない? 最近は腕時計使わなくても吸血鬼になれるようになってきたし」

「自在に切り替えれるようになったの?」

「いいや。でも最近は傷をつけなくてもいつの間にかなってることがある」

「えぇ……」

 

 カオリは困惑しながら頭を抱える。

 

「吼月くんって苦しくないの」

「なにが?」

「そりゃさ……昔は忌物みたいに扱われて、色んな虐待とかされたのに。今は化け物に近づいてるわけで。でも、同じようなことされてもケロッとしてるよね」

「あのくそジジイどもと、カオリやハツカは違うでしょうが」

「ほぼ同じじゃない? 裸にして襲ったり、女扱いしたりとか」

「やってる表向きなことはな。だけどされたい人、されたくない人っているわけだし」

「私は、してもいい側、なのよね」

 

 俺はゆっくりと頷いた。

 

「その線引きは?」

「信じてもいいかどうか。相手に対しても、自分に対しても」

 

 カオリはしばらく沈黙して、その間に心を固めたように立ち上がる。

 

「分かったわよ」

 

 仮面に手をやるカオリは俺に近づきながら言う。

 

「仮面は外す。代わりに貴方がつけなさい」

「えっ。つけれるの?」

「つけてあげるわよ。でも、私がいいって言うまで目は閉じててよ」

「分かった」

 

 言われた通り目を閉じると、カオリの吐息や声がよりハッキリと、より近くに感じられる。顔に仮面がまとわりついて強い閉塞感が自分を支配する。

 以前、カオリから借りた鉄仮面のときとは違う。

 ねっとりとした温もりを持った仮面は戸惑いを産み、ミニスカートから露出する太ももに指が這う気味の悪い感触が恐れを産む。

 

「今日はお人形として日が昇るまで私がたっぷり使ってあげるから」

 

 でも、同時に優しく扱われているのも伝わってくる。

 

 この人は、やっぱり大丈夫。

 

 

 

 

 他人と会っている時にここまで視界が開けているのは久しぶりだった。だからか、目が疲れるのが早い。何度か目を瞬いてからスケッチブックのページをめくった。

 紙が擦れる音が大きく聞こえる。

 カオリ()はキチンと胸の高鳴りをしまい込んでいるだろうか。

 手に持った鉛筆–––毛筆と絵具も買ったが、今回は鉛筆画にしたのだ–––を使い、女の子座りで私を見上げながら右手で首元を抑えるメイドを描いている。男の子らしい筋肉のつき方をしながら、上手にスカートで隠くすことで女の子に近づける。ほどよい体格が幸いし、相応の服を着せておけば問題なかった。

 一筆、一筆。白紙に筆を走らせて吼月くんを……いや吼月ちゃんを描いていくたびに尿意を催す。箱の中にある鉛筆、色鉛筆たちの中から今すぐにでも黄色を取り出して早く吼月ちゃんに色付けてやりたい。頭も足先も薄い黄色で塗り上げたい。

 衝動を自覚して悔いたいのに、反省することができなかった。

 鉛筆の流れを止める。

 

 今の吼月くんには顔がない。

 私が奪った。

 

 スケッチブックの奥にいる吼月ちゃんの平された顔に凹凸はなく、そこから感情を読み取ることはできない。

 でも、紙の上の彼は喜んでいた。

 色鉛筆を取り出す。カタッと金属が震える音がする。

 ゆっくりと色をつけていく。

 手で押さえた首元からは血の筋が見え隠れしている。吼月ちゃんは血を吸われた快感でうっとりとしていた。頭から服まで黄ばんでいる。吼月ちゃんは私にぞんざいに扱われるのが好きだ。

 一枚描き終えるたびに私はトイレに向かう。

 戻ると吼月くんの身体に触れて、体勢を変える。私がかける力に抵抗することなく、ポージングを取る。本当に芯のない人形のよう。でも、手首を掴むたびに伝わってくる脈が生きているんだと実感させる。

 人間としても生きている吼月くん。

 私が望んでも、もう手に入らない立場。

 

 ポツン。

 

 スケッチブックの前に座ると、また下腹部になにかが溜まり始めた。

 もう既に10枚ほど描き終えている絵を見返す。その全てが吼月ちゃんの尊厳を全て奪い取ったかのような姿をしていた。見ているだけで、自分が楽でもない醜い存在だと感じてしまう。

 吸血鬼だとか。人間だとか。種族なんて関係ない自分の内面。

 恨み、嫉妬、羨望。

 こうした絵を描いていると、薄れた人間時代のことを思い出す。

 人間時代でも似たようなことをしていた記憶がある。その時はもっと明るいものを描いていた。焼け跡のない自画像。楽しそうに勉強している兄の姿や、団欒を楽しむ家族の姿。

 絵を描いている間は別世界に行けるような感覚がある。

 決して実現できないこと、してはいけないことを発露する場所。

 やっていること自体は同じ夢想だけど、随分と後ろ向きになったものだ。

 本来の自分は焼け跡をつけた醜い女。

 紙の中にいる少女は美しく私すらも惹きつける。

 私の本性は人を傷つけることを趣味とする化け物。

 紙の中にいる少女は傷を大切なものだと抱えている。

 またトイレに行って、喉が渇いたから勝手に冷蔵庫に残っていたお茶をコップに注いで飲む。

 

「………」

 

 コップを手にしたままスケッチブックの前にもう一度座る。

 ページを捲る。

 今度の少女には腕がない。

 死んだお母さんの、いつも絵本を書いていた右腕はなかった。

 少女の左脚は潰れている。

 お父さんの脚は車に潰されていた。

 私は紙の中の少女に問いかける。

 

 ねぇ、なんで貴方は幸せそうなの。

 なんで貴方は幸せでいられるの。

 

 みんな、みんな吸血鬼だったら死ななかったのに。

 

「ねぇ、吼月くん」

 

 私は鉛筆をケースにしまいながら言う。

 

「…………」

「喋っていいわよ」

「なに?」

「私、貴方を壊したい」

 

 飲み終わったコップの中でジョロジョロと水音が立つ。

 ページを捲る。

 筆が走り出す。

 

「私がいまどんな絵を描いてるかわかる?」

「分からないよ。何も見えないから」

「貴方の右腕を千切って、左脚を潰してる。そんなことをされて、貴方は喜んでるの」

「僕らしいね」

「意味がわからない。なんで嬉しそうなの」

 

 この笑顔たちは私が望んだこと。

 そして、吼月くんが予見していること。

 

「僕に与えられた特権は……生き続けること。死なない命で他人と向き合い続けられる。どんなに殺されても痛めつけられても、救いたいと思える相手なら僕はやられるよ。歪んでいるなりに他人と向き合う」

「私は……そんなに強くないわ」

「別にカオリはしなくていいんだよ。他人と向き合わなくても。僕は僕のやりたいことを、カオリはカオリのやりたいことをすればいい。少なくとも紙の上のカオリは……僕の血を吸った時みたいに本音をぶつけてくれてるんでしょ」

 

 私のやりたいこと。

 これは本音だろうか。

 やはりこの醜い部分が私の本性なのだろうか。

 紙の中の吼月ちゃんの隣にいる女性も笑っている。

 

「こんなところが自分の中にあるっていうのは、嫌だ?」

「もちろん。こんな気持ち、持ってる方がおかしいわ」

「そうかな。もし認められるなら人間を殺したいって僕が思ってるのと同じで、誰でも最低な部分はあるんだよ」

「あれ、冗談じゃなかったの」

「いやいや。僕のされたことを考えたら、殺した方が安息な場所をつくるほうが簡単だって行き着くのは容易でしょ。同じことを仕返してるだけだし」

 

 やられたことをやりかえす。

 想像も、願いもなにもない。ただの鏡写し。

 

「けどしない。僕のポリシーだから」

「私はきっと、このまま続けたら本当に貴方を壊すわ」

 

 ある程度水が貯まったコップに黄色の絵の具を溶かす。天然物の色と人工物の色が混ざり合う。ツンと鼻を刺す色を毛筆で取り、吼月ちゃんと自分の顔を塗り上げていく。

 紙の中だから許される行為。

 

「いいよ。壊して」

 

 血を吸った時の、甘い声がする。

 

「だめよ。私は化け物になんて」

「化け物は僕らが交わす約束だよ」

 

 スケッチブックの奥の吼月くんはこちらを見ていた。

 ……違う。私が見るように形を整えたんだ。

 私が吼月くんを見るために。

 

「約束は空間を作るためにも使えるんだよ。君が僕を傷つけることを許し、僕が君を傷つけることを良しとする空間を作るのに」

 

 私たちが壊し合う空間を作る。

 

「君がどれだけ僕を傷つけても、僕は死なないから許せる。そして、この行為は誰にも漏れない漏らさない。キミはどう?」

「貴方以外に言うつもりもないし、言えるはずがない」

「そうだろう。なら、ここは密室で誰も知りようがない。全てが僕たちの思い一つで認められる世界だ。そんな世界がひとつあるだけでも、人間はやっていける」

 

 紙の中で求めた世界。

 何をしても許される世界。

 自分が気楽になれる安息地。

 醜さを罰してくれる厳しい刑務所。

 

「そんなこと、許されるの」

「僕が許す。キミが許す。僕らだけの世界だから」

 

 私たちだけだから許されること。

 

「僕と理世はね、時々他の人には分からない言葉で会話するんだ。でも、それでいいんだ。僕と理世だけ繋がれれば良いから。他人の理解なんていらない。僕らだけの世界だから」

 

 描き終えた自分たちの姿は醜く汚らしい。

 でも、満足そうで何ひとつ憂いもない。

 

「蘿蔔ハツカは怒るわよ」

「いいんだよ。ハツカと作る世界はもっと大きくするんだから」

 

 腹の中にまた貯まった。

 

「なら、約束は果たしてもらうわよ」

 

 今の中央に座り込んでいる吼月くんを押し倒して、彼の腹の上に乗る。そのまま上半身を重ね合わせるように倒れ込むと、首筋に牙を突き立てる。

 美味しい血をずずゥッと啜り込む。

 ジョロジョロと快感が身体から抜け落ちていく。

 

「ふぅ、ふぅ…………」

 

 口を離すと絵に描いたように吼月くんは手で首筋を押さえている。

 震える手で吼月くんの顔を覆う仮面を取り外す。

 

「––––ッ!」

 

 もう一度湧き上がってきた尿意を吐き出しながら、牙を突き立てる。

 醜い。

 気持ち悪い。

 吐き気がする。

 相手は人間の子供だよ。

 自分の中に渦巻く自己嫌悪ごと流していく。

 自分の体の中から厭悪(えんお)がなくなっていった。

 

「良い笑顔だよ、吼月くん」

 

 全てを食べ終え、出し終えた自分は、全てを許した。

 吼月くんには何をしても良い。

 私は吼月くんの前で彼と同じ体勢になる。

 

「私も赦して」

 

 今度は彼が床に倒れ込む私の腹の上に座り、戸惑いながら首筋を噛んできた。犬が甘えるように噛む姿を思い出す。

 自然に私は笑顔になっていた。

 だって、これで私と彼は同じ罪人だ。

 聞けば誰もが嫌悪する関係。

 でも、この空間に限っては全てが許される行為。

 彼を傷つけることも、穢すことも許される。私が許すこと、彼が許すこと。その中であれば全てが正当化される。

 ふたりだけの世界。

 

 神様みたいな魔王の彼はどんな顔をしているのだろうか。

 

 きっとこれから岡村蒼にも、倉賀野理世にも、蘿蔔ハツカにも同じふたりだけの世界を作るのだろう。

 でも、この世界は理不尽じゃない。

 私が納得した世界だ。

 

 

 

 

 この世の中、美しい物が正義だと私は思う。

 清いもの、穢れているもの。それらは美を構築する要素だが、その内容に相応しいならば穢れすらも美しさに早変わりする。なぜなら『これが良い』のだと突き進んで作ったものだからだ。

 私が生み出してきた仮面たちも同様。

 無垢の仮面にはふたつの解釈があった。

 ひとつは文字通り子供のような純真さを表したもの。肌色だけなのは、まだ苦難にも甘美にも晒されていない柔く幼い存在であることの証明だ。

 もうひとつは愚者。見ることも、聞くことも、言うこともせずにただ無闇に生きるものを表す馬鹿の証明––––これは私が考えていた正規の考え方ではなく、知り合いの吸血鬼、星見さんが感じたものである。

 製作者としては腹立たしいことこの上ないが、感じ方は人それぞれだ。

 

「成りの若い二人がこうしてマネキンになっているのを見ると笑えてくるね。しかも、片方は目の上のたん瘤である倉賀野理世だ」

 

 仮面堂の店内に並ぶ七体のマネキン。

 蘿蔔ハツカ、倉賀野理世。それらの眷属––––蘿蔔三人、倉賀野二人––––総じて五人を含めた吸血鬼たちだ。しかも、これらを置く台座の横には各々の笑顔を切り取った仮面と硬直剤を使うことを認める一枚の書類がタイトルの代わりに掲げられている。

 

「この契約書。偽物ですよね?」

「さあ? 僕、法律はそこまで詳しくないし。でも筆跡は全て再現してロボットに書き出させてるから問題ないと思うよ」

「……そうですか」

 

 蘿蔔、倉賀野は無垢の仮面を愚かな姿で完璧に着けこなしている。他の吸血鬼たちも私が選んだ仮面を想像通りに着けこなしている。

 ただ、わざわざ口にはしないが、吸血鬼嫌いの朝霧という女が腹を抱えて笑うくらいには馬鹿馬鹿しい立ち姿をしている。

 私は星見さんを見る。

 

「倉賀野さんは毒が効かない、とのことだったはずですが」

「そうだよ? 硬直剤は人工的なホルモン剤。免疫機能等は反応しない。けど、特定のモノと反応することで肉体を動かなくする。彼らの動きを封じるための特効の薬なのさ」

「では、睡眠薬は」

「これの試作品さ。いやぁ……作るのに何十体も吸血鬼たちを殺しちゃったよ」

 

 軽く殺し過ぎではないだろうか。

 

「でも、戦うのも一苦労だったはずでは?」

「僕は念には念を入れるタイプでね。しかも彼女が想定通りの動きをしてくれたのが良かった!」

 

 ふふんっ!と自慢げに大きな胸を振るわせる星見さんは、蘿蔔ハツカの肩に手を置く。

 

「教えてあげよう! 僕が倉賀野を仕留めれた理由をね!!」

 

 ピクリと指が動いた。

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