アプトノスくんがかわいい回。
我輩は天彗龍である。臆病者の。
名前はない。
……。
いや、現実逃避をしている場合ではないのだ。
なんなのだ?なんなのだ今のは?
おかしい。あまりにも奇妙。
人間たちとは徹底抗戦の姿勢をとっているはずのモンスター達が、人間と──しかもよりにもよってハンターと共存するなど、そんなことがあり得るわけがない。
しかし、それを疑うことは、我が千里眼を疑うことと同義。
私の目は、雲の上から水の中を泳ぐ獲物を確実に捉える。しかも私に至っては、そんなことすら子供の遊戯の如きこと。全力で意識を集中させれば、まさに『なんでも』見える、至高の眼球だ。
そんな我が目に限って、この程度の距離を見間違えるはずなどない。
…いや、しかし、確かに今、リオレウス?だったか?…それに乗っているのが…うーむ、いやいや…
いや、やっぱりありえん。
うむ。ありえん。
今のは幻覚であろう。そういうことにしよう。
そんなことより、今いる場所の方に問題がある。
ここはどこだ?
少なくとも、私の知る地ではない。
私は知らんぞこんな場所。行ったことも、ましてや知り合いから聞いたこともない。
…とりあえず、歩こう。
動かなければ何も始まらない。
このままここでじっとして過ごすのは、あまりにも馬鹿馬鹿しい。
私はこうして、よくわからぬ未開の地にて一歩一歩、歩き始めたのである。
──さて。突然だが問題だ。
問:私がこの凛々しい翼脚で空を飛ぶことなく、こうして歩いているのには無論、訳がある。その訳とは一体、なにか。
答えは簡単。歩きたい気分だったからだ。
はっはっは。
……
…違うのだ。
いや、答えが間違っているのではなく。単に、なぜまた現実逃避していたのか、ということについての否定である。
だがそれも、仕方がないことなのだ。
ちょっと想像してみてほしい。
いつでもどこでも恐れられてきた貴様が、ある日町に繰り出してみたら、ほんの小さな子供に元気よく挨拶された時の気分を。さらに、周囲の大人たちもにこやかにその様子を見守っているとする。
……いや、怖いであろう。
普通にビビる。モノによるが、私でさえそんな目にあったら逃げ出してしまうかもしれない。
…そんな状況が、今の私の状況なのだ。
“おじさん、こんにちはー!”
“見ない顔だねぇ、こっちの草は美味しいよ〜?”
いかにものんびりとした声が、私の四方八方から降り注ぐ。
この声の主は、無論先ほど眼前を闊歩していたアプトノスたちのものである。
古龍とは、知性においても他の生命体を凌駕している。
故に、ほとんどの生物の言語を理解することなど容易い。人間の言葉すら、理解することが可能なのだ。
…まぁ、たまに言葉かどうかすら怪しいものもいるので、そういう類のは流石にわからないが。
とにかく、私は今、アプトノスたちの言葉がわかる。──つまり、アプトノスたちが古龍たる私に、なんの恐れも危機感すら覚えていないということもわかるのである。
いや、いやいやいや。
…我、古龍ぞ?
確かに落ちぶれたものだが、我、古龍ぞ??
いっつも気配だけで逃げるクセに、なんだって今は逃げないのだ。よもや、天彗龍そのものを知らぬわけでもあるまいし。
……
いや、それだ。
間違いない、それこそが謎の答えだ。…だが、もしそうだとしたならば──。
ふむ、よし。ここはとりあえず、そこなアプトノスの子供に一つ質問をしてみよう。
アー、アー。エホン。
もし、ボク。──そう、きさ…君だとも。聞きたいことがあるんだが…──そうか、それじゃあ聞くが…天彗龍って知ってるかい?もしくは、バルファルクでもいいんだが…──ふむ、くるしゅうな……いや、ありがとう。
…たった今、判明した事実だ。
ここは、私のいた世界ではない。別の世界である。
よもや、『風神の噂*』にて話題になるであろうネタを、私が掴むことになろうとはな…。
*:古龍の間で話題の、クルペッコを使った情報のやりとりサービス。いわゆるTwitter。この際、クルペッコに竜権はない。
…さて。
貴様が思っていることを言い当ててやろう。
『なんでそんなにあっさり納得したの?』とでも思っているんだろう?
うむ。これにはしっかりと、ワケがあるのだ。
まず、私のいた時代。
さらなる開拓を目指した人間たちは、今度は空にまでその手を伸ばした。そうして発見されたのがこの私、『天彗龍』の一族だ。
人間たちはすぐさま、新たなモンスターの脅威、特徴を事細かに文書に記し、共有した。
自慢ではないが、私はどこにでも行ける。そのせいか、私の文書は、今までのどんなモンスターについての文書よりも大きく広まった。
人間だけではない。平原を駆けるハンター、情報を知ったアイルー。そういった者たちの「噂話」を、人間の言葉を理解する暇な古龍たちが小耳に挟む。
そうしてドンドンドンドン、話は広まっていき。
私のことを知らぬ者は、誰一人としていなくなった、という流れである。
しかし、この場所にはそれがない。
偉大なる「天彗龍」の、その名と、その恐ろしさを知るものはいない。
この事実のみで、ここが全く違う世界であるのは、間違いない事実なのだ。
“おじさ〜ん、さっきからなにブツブツ言ってるの〜?”
ええい、やかましい。
この私が崇高なる頭脳を回転させているのだぞ、邪魔をするならば…
…いや…うむ、ちょうどいい。
よし。決めた。
──この群れを全滅させてしまおう。
首としては、いささか弱いが…まぁ、何十匹と殺せば、私の名を轟かせる第一歩としては上々であろう。
私はそう考え、翼脚を構えた。
そして、眼前の子供に、もはや太刀となったソレを、勢いよく振り下ろそうとして──、
──ふと、思いとどまった。
…
…私は今、なんと言ったのだ?
「轟かす」…そう、轟かすのだ。…何を?
無論、私の名を。
…『人間相手に逃げ出した』者の名を?
……。
は、はは。可笑しい。なんというお笑い草か。
臆病者の名を轟かせるだと?バカか?いやマヌケか。
…そんなものを轟かせたところで、そこにはなにもありはしないというのに。
私は、構えていた翼脚をそのままゆっくりと下に降ろすと、すっかりその場に座り込んでしまった。
そんな失意の中にいる私に、目の前の子供が声を掛けてきた。
“おじさん、大丈夫? どこか痛いの?”
全く、なんと警戒心の薄いことか。
先ほどは肉片にされていたかもしれなかったというのに、知らないとはいえ、こうものほほんとできるものか。
私は俯いたまま、この無邪気な子供に返事を返した。
──いや、痛くはない。…ただ、自信を無くしてしまっただけでな…。
これもお笑い草だ。
古龍ともあろう私が、草食龍の、しかも子供に首を垂れているとは。
子供は「そっかぁ」とこれまた呑気に相槌を打つと、少し…ほんの少しだけ、ピシッとした声で話し始めた。
“自信を無くしちゃった時ってさ…すごくツラいけど、前に進むのをやめなければ、そのうち自信はおいしい草みたいに、また生えてくるんだって。お母さんが言ってた!”
──前に進む? 何を言うかと思えば。…私はとうに、お前の言う草の根までも枯れ果てたのだ。もう前を向くことすらできん。
“そんなことないよー! だっておじさん、あそこの高台からここまで、前を向いて歩いてきたじゃない!”
…気づいていたのか。
敵意も何もない、ただの好奇の視線にすら気づけなかった先の自分に、ますます嫌気が差す。
しかし、子供は嫌気が差す間もなく、言葉を続ける。
“おじさんはさ、多分、今すごく暗い気分になっちゃってるから、そんな風にしか考えられないんだよ! …うーん、そうだ! ねぇおじさん、楽しいことをしようよ!”
──楽しいこと?
“そうだよ! 気も紛らわせられるし、なにより楽しいからさ! 僕はね、原っぱでゴロゴロして寝るのが大好きなんだ!”
…『楽しいこと』…か。
私はいつのまにか、空を見上げていた。
私の好きなこと…そうだ、アレしかない。私を天彗龍たらしめる、あの力。
…少し飛んでみれば、何か変わるかもしれないな
そう考え、私は翼脚に意識を集中させる。
翼の先端に『龍気』が集中し、熱量がドンドン上昇していく。
目の前の子供は、私の突然の変化に困惑を隠せずにいる。
“おじさん? 羽の先から火が出てるよ?”
──小僧。私もお前に倣い、『好きなこと』をしてみることにしたのだ
“おじさんの好きなこと…?”
──うむ。…なに、少し『飛んで』くるだけだ。
その言葉を最後に、私は音を置き去りに地面から離陸。あっという間に雲と同じ高さまで上昇していった。
残された子供は、しばらくぽかんとしていたものの、すぐに気が付き、人のように手を振る代わりに、首を大きく振って私を見送った。
“いってらっしゃ〜い!!”
子供「おじさんすごい速度で飛んでったけど言葉通じるし同族だよね!」
天彗龍、草食竜だと勘違いされる。