長野県上田市にある『浦野牧』【派出所】。黒札の馬ニキが経営しているチンケなエリアである。
【終末】後の人類の砦としては、人口が一万人に届かない小規模拠点。農林業、特に馬の牧畜に力を入れており、また新潟・山梨を繋ぐ霊道の途中にあるサービスエリア的な面も持ち合わせている。
その中で、上田市立美術館&上田市交流文化芸術センター(通称サント・ミューゼ)は、このご時世ですっかり下火になった芸術の守護者というポジションである。特にサント・ミューゼ大ホールは、とある大物が満員となった1500余の観衆全員を感動のあまり失神させるという伝説を作ったことで、それにあやかろうとする若手ミュージシャンの憧れの場所になっている。
なお、当派出所のボス・馬ニキが人魚ネキを拝み倒して彼女のステージを実現させたのだが、人魚ネキの歌う子守歌に(馬ニキ含め)誰も抵抗できずに寝てしまったというのが真相である。
それはともかく。終末後に芸術だけで食っていける人間などこの派出所には誰もおらず、施設の稼働率は低い。上田城址公園の市民文化会館や、材木町の上田市文化センターなどの箱モノは、軒並み潰れてしまっているのだが、
*
「テーマパークに来たみたいだぜ。テンション上がるなぁ~~」
「おいおい、田舎者丸出しみたいなのは止めろよ」
某昼飯の流儀漫画の主人公のような台詞を言いながら、クロマニキがきょろきょろと視線をさ迷わせる。隣りのサスケニキが苦言を呈するが、彼も周囲あちこちへ好奇心の眼を向けており、発言に説得力がない。
「笹に短冊や折り紙で折った七夕飾りを吊るしているのか。上田市は仙台などと同じく八月の頭、旧暦で七夕を祝うんだな」
ヨロイニキがそう知識を披露すると、二人はふむふむと深く頷いた。
ここは上田市のサント・ミューゼのエントランス。ちひろネキが季節感は大事*1と言ったように、今は色とりどりの七夕飾りが目に眩しい。
「ふふっ、七夕と言えば、織姫と彦星」
「年に一度の男女の逢瀬」
「それを馬ニキの方から招待してくれるなんてなぁ~~ ぐへへ、俺が、俺達が、彦星だ!」
「そして『トラペジウム』の面々が織姫、と。うひひ、たぎる、たぎるぜぇ~~!」
三馬鹿ラスは揃って、思考力を性欲で塗りつぶされてしまったかのようなだらしないニヘラ顔になった。
今日はサント・ミューゼで、上田市のローカルアイドル『トラペジウム』がライブを行う。
彼女たちは女性四人組で、デビルハンターと兼業で地味にアイドル活動を行ってきた。最初は公園の一角でストリートライブ、その後は公民館を定期公演の場として10数名の観客を相手に、そして関西ガイアプロレスの興業の前座に呼ばれ、ときに他地方のローカルアイドルと対バンしたり、DDS-netで無人地開拓を配信したり。そうしてようやくたどり着いたサント・ミューゼの大舞台。最大席数1543、それを単独では埋められずに三馬鹿ラスの応援が入るという、ある意味では屈辱の晴れ舞台。
「彼女たち目当ての客を俺達で掻っ攫ってやるか!」
「彼女たちに愛と勇気をね! 与えてあげる前提で、まず怖がらせてあげちゃうよーん!」
「一生残る恐怖と衝撃で、一生残る愛と勇気をね!!」
急にマッドなピエロっぽくなった三馬鹿ラスは、意気揚々と控室へと向かった。
*
舞台袖の控室。もうじきライブ前半を終えたトラペジウムの四人が捌けて、三馬鹿ラスの出番となるころに、イベント主催の馬ニキがやって来た。
──ドクオニキを連れて。
「あ、どうも」
ドクオニキは言葉少なながらも丁寧に頭を下げ、三馬鹿ラスもぺこりと礼に応じる。
「じゃあ、先生、お願いします」
「はいよ」
馬ニキの求めに応じ、ドクオニキがさっと手を振る。するとドクオニキの黒札専用シキガミのデミトリ*2が、三馬鹿ラスに性別反転の呪いをかけた。
「女の子に、なぁれっ♡」
「「「何ッ?!」」」
ボフンという擬音と共に煙が立ち込め、それが晴れたときには、三馬鹿ラスの代わりに三人の美少女がそこに立っていた。
すなわち、サスケニキこと本田未央、ヨロイニキこと渋谷凛、クロマニキこと島村卯月である*3。
「ふぅむ、やはり私の眼に狂いはなかった。君たちは── アイドルに向いている!」
「うむ。君たち、TSの呪いは一日程度で消えて元の男に戻るから安心して良い── 聞いちゃいねぇ」
歓喜のガッツポーズをする馬ニキと、一仕事やり遂げたとばかりに深く頷くドクオニキ。シキガミのデミトリが念のために補足するが、それら外野の声は三馬鹿ラスもとい、ペテン使3ちゃんズの耳には入らなかった。
「これが…… 私?(うっとり)」
控室の壁に掛けてある姿見の鏡、それに映る異なる世界の自分を見て、見惚れてしまっていた。
なぜかTS女体化したときに服装も変わっており、アイドルマスターシンデレラガールズのニュージェネレーションズに相応しいアイドル衣装を纏った美少女三人が、ほわわーんとした雰囲気を醸し出している。
馬ニキとドクオニキは眼福とばかりに腕組み仁王立ちのまま無言、だがそこでイベントスタッフが控室に飛び込んできた。
「トラペジウムの皆さんが袖に下がりました! 出番です!」
それを聞いて我に返ったペテン使3ちゃんズは、TSのインパクトを自分自身の中で消化する間もなく、追い立てられるようにステージへと上がっていく。
「……おい、やべぇぞ」
「ああ」
本田未央(サスケニキ)と渋谷凛(ヨロイニキ)は、ステージ上で短くアイコンタクトした。
彼らは元から、最初に『とってもウ〇ナミ』を熱唱する*4つもりだった。だが、いざというこのタイミングになって、清楚な美少女が下ネタソングを歌うことに恥ずかしさを覚えた。
正統派アイドルとしてやっていけるポテンシャルがこの体にある、そして正統派アイドルとしてやれるステージがある。それなのに、わざわざヨゴレ芸人な真似をしなくても良いのではないか。
異世界の自分と充分なリンクが確立していない二人はとっさにそう考え、島村卯月(クロマニキ)との意思疎通ができないまま2vs1で押し切れると判断して、オープニング曲を変更した。
「おい?」
事前の打ち合わせ通りに『とってもウ〇ナミ』を歌うつもりだった島村卯月(クロマニキ)は、他の二人が打ち合わせと異なるフォーメーションを取ったことに疑問の声を小さく上げた。
だが二人は島村卯月(クロマニキ)の意図を無視して、軽く前傾姿勢になって両手を左ひざの上に置いた。
「まさか──」
「あらゆる困難が科学で解決するこの平成の時代、人々の閉ざされた心の闇に蔓延る魑魅魍魎が存在していた」
『やりやがった! あいつら、やりやがった! 勝手に!』
島村卯月(クロマニキ)は観客向けの笑顔のまま、無断で曲を変更した二人に怒っていた。
そのため、本来なら三人のコンビネーションがバッチリなところで、小さなズレが発生して埋まらない。見る人が見ればボロボロな『レッツゴー!陰陽師』を披露せざるを得なくなったことに、怒りのボルテージが溜まっていく。
「みなのヒーロー、おん・みょう・じ! いぇーぃ!」
面従腹背で歌い踊るうちに、別世界の存在である島村卯月とクロマニキの垣根が取り払われていく── それは本田未央(サスケニキ)と渋谷凛(ヨロイニキ)が中途半端な羞恥心を抱えたことで、もう一人の自分との同化スピードが遅くなったことと比べ、あまりにも急速だった。
「島村卯月、いっきまーす!」
三人歌唱の曲が終わった途端、島村卯月(クロマニキ)はステージの中央に居座って観客へ手を振ってアピールする。
ここから三人がソロ歌唱する段取りだが、当初は本田未央(サスケニキ)がその先陣を切る予定だった。だが勝手な曲変更をしたことにより、本田未央(サスケニキ)と渋谷凛(ヨロイニキ)は彼女の主張を飲んで、ステージ袖に下がる。
ステージの上でただ一人、スポットライトを浴びる島村卯月(クロマニキ)は、片腕を空に突き上げて叫んだ。
「
ピンクを基調としたヒラヒラフリフリのアイドル衣装が、するっと脱げる。
美少女の真っ裸がご開帳── と思いきや、彼女の乳と股間は黒いガムテープのようなもので隠されており、ボンテージ衣装と言えなくもない。
ごくり、と観客の喉が鳴り、それが始まりとなった。
「Yo! Say! 夏が胸を刺激する、生足魅惑のマーメイド♪」
『『やりやがった! あいつ、やりやがった!』』
ノリノリで歌い踊り、ときに観客アピールまでこなす島村卯月(クロマニキ)。
彼女を陰から見守ることしかできない本田未央(サスケニキ)と渋谷凛(ヨロイニキ)は、周囲に聞こえないような小声で絶叫している。
『腰ヘコダンスまで?! お下劣すぎるぞ?!』
『島村卯月とHOT LIMITのコラボは公式案件だけどぉ~! 破廉恥! 破廉恥が過ぎる!』
『これは破廉恥警察出動案件!』
異世界の自分と完全に融合した島村卯月(クロマニキ)は、オペレーション『ゴディバ・アソートメント・マタイ』に比べれば何も恥ずかしくないとばかりに性的過剰なアピールを繰り返す。
それに対し、異世界の自分と不完全な融合をしている本田未央(サスケニキ)と渋谷凛(ヨロイニキ)は、自分(たち)の分身である清楚な美少女が下賤な娼婦のまねごとをしていることに強い違和感を感じた。
「お清楚を取り繕って『時には娼婦のように』や『圭子の夢は夜ひらく』じゃ駄目なのか、しまむー…… うっ!」
「ピンクレディーのがに股ダンスですらPTAから猛抗議受けたのに、エッチすぎるよ、しまむー…… うっ!」
尻を突き出して劣情を煽るようなポーズの島村卯月(クロマニキ)を見て、二人に掛かったストレスが限界突破したのだろうか。
サスケニキとヨロイニキに掛けられていたTSの呪いが解け、男の姿に戻ってしまった。
「えっ?! ステージ中にこれはマズくない?!」
「うわぁぁぁん、ストップ! ドクターストップを要請する!」
二人は慌てながら緊急事態であることを舞台袖から控室の方に通知し、馬ニキとドクオニキが顔を突き合わせて相談する。
「TSの呪いってもう一回掛けられる?」
「解除が正規手順じゃないから、短期で掛け直すのはリスクがある」
「そっか…… じゃあ、三馬鹿ラスのステージは打ち切るしかないか。ドクオニキ、手伝ってくれる? ステージ上からバケツに入った水を零すだけの簡単なお仕事」
ボロ布を身にまといカツラを被って立川のロン毛のコスプレをした馬ニキが、ステージ上で一曲歌いきって〆のポーズをしている島村卯月(クロマニキ)の前に歩いていく。
馬ニキは両腕を胸の前で交差させてバッテンを作り、そのタイミングでドクオニキが上からバケツの水をぶっかける。
まさしく冷や水を浴びせられた島村卯月(クロマニキ)は、それで我が身を焼く熱狂から立ち直った。
「おれは しょうきに もどった!」
*
ステージ上に水をぶちまけたことで、ライブはそこで強制打ち切りとなった。
なお、ひょうきん族の懺悔コーナーは番組終了直前の放映ポジションだったため、そこで終わることに異存のある観客はあまりいなかったとか。
少々の休憩時間を挟み、エンディングとして急ごしらえした欽ちゃんの仮想大賞採点方式で、審査員がトラペジウムと三馬鹿ラス(ペテン使3ちゃんズ)の評価を行い、アイドルライブの勝敗はトラペジウムの勝ちとなった。
「そんな! HOT LIMITは大ウケだったじゃないか!」
「それは認めるけど、君らのやったことはアイドルのライブじゃなくてお笑い芸人のそれでしょ?」
「そう言われると、ぐぅの音しかでねぇや……」
「うぐぅ……」
アイドルの才能がありそうってだけで余所の黒札を呼びつけて、無断でTSの呪いをかけてステージ上に放り出す外道黒札がいるらしいですよ。