彼女はジョディにジャガイモの育て方や料理を教えた。
だが、老婆は亡くなってしまう。ジョディに待ち受ける運命やいかに。
「これをお食べ」
しわだらけの手が差し出したのは、見たことがない食べ物だった。
茶色い皮がある実で、真ん中で四つに切り分けられている。実の上には、とろりと溶けだしたバターがのっていて、美味しそうな匂いがした。
私は引ったくるように実を奪い、かぶりついた。
麻痺していた指に実の熱が伝わり、舌に甘さが染みわたる。空っぽだったお腹に実が入ると、声がでた。
「おいしい……」
「そうかい」
「……こんな……おいしいの……食べたことない……」
「そうかい、そうかい。それはよかったよ」
「……おいしいよ……お母さん……」
「辛いことがあったんだね。まだたくさんあるから、食べなさい」
目の前の人は、茶色い実をたくさんご馳走してくれた。その実を食べながら、私は母の姿を思い出していた。
◇
山羊がのんびり歩く小さな村で、私は母と暮らしていた。父は戦争にいったきりで、帰ってこない。父の顔は知らないけど、母が居てくれたから寂しくはなかった。
ある夜、大声をだしながら幾人もの男の人が来て、村の家に火をつけた。星空の下、村がこうこうと赤に染まっていく。
――ジョディ、逃げるわよ。
母は私の手を握り、男たちの怒号から逃げ出した。
暗い道を母と一緒に歩く。怖いとも言えずに無言で足を動かしていたら、不意に誰かの話し声がした。母は止まり、私を抱きしめる。
――ジョディ、走りなさい。この道をまっすぐ走るのよ。
私の目元にある泣きぼくろにキスをすると、母が背中を押した。母に言われるがまま走って、転んで、気を失って。どうやら私は、目の前の人に助けられたようだ。
実を食べ終わり、ぼんやりとした頭のまま相手を見る。その人は、ひひひっと笑いながら、目深にかぶっていたフードをとった。
「あたしゃ、こわーい魔女だよ。顔はこんなに醜いし、友達は愛と勇気と山羊と黒猫だけさ」
魔女と名乗ったそんな老婆の頭は、あちこち毛が抜けていて、右目の上に大きな傷がある。彼女の姿を見て体が震えたが、どこか冷静な自分もいた。
「ひひひっ。怖がっていいんだよ。どうれ。食べ終わったのなら、近くの村まで送ってやろうかね」
老婆が私の頭を撫でる。その手つきがあまりにも優しかったから、首を横にふった。
「おや、どうしたんだい? 村の連中は、気持ちのいい奴らだよ。安心しな」
私は首を横にふって、老婆が着ていたローブを掴む。老婆の目元には、泣きぼくろがあった。お母さんとは違う場所だ。
「おばあちゃん……ここにいたい」
そう言うと、老婆は口をぽかーんと開いた。しばらくした後、老婆は口を閉じて、私の頭を撫でる。
「いいよ。気がすむまで、ここにいな」
こくりと頷くと、おばあちゃんは歯を出して笑った。
◇
おばあちゃんは物知りで、私に色々なことを教えてくれた。
山羊や猫の飼い方。お料理の仕方。文字の読み書き。そして、ジャガイモという名前の芋があることも。おばあちゃんは料理をする前のジャガイモを見せて、私に説明してくれた。
「これがジャガイモ。ぼこぼこして醜い形だろう?」
「うーん。醜くはないよ?」
「ジャガイモはねえ。芽や皮に毒があるから、栽培が禁止されているんだよ」
「え? 毒?」
体を震わせると、おばあちゃんが笑う。
「安心しな。下処理をすれば、毒にやられることはない。だけど、ジャガイモを食べているのは内緒だよ」
「わかった」
「ひひひっ。ジョディは賢いね」
私の名前を呼んで、おばあちゃんは嬉しそうに笑う。
ジャガイモは毒がある危険な食べ物だった。それを知っても私は食べるのが悪いこととは思えない。棒のようだった細い腕は、すっかり元通りになり、おばあちゃんの作るジャガイモ料理は、美味しかったからだ。
「私、じゃがバター、大好き!」
「そうかい。アタシも大好きだよ」
「このジャガイモパンも好き! もちもちしているの!」
「そうかい。ジョディがたくさん食べてくれると、嬉しいねえ」
おばあちゃんは優しかったけど、カードゲームをする時だけは意地悪だった。
「また、おばあちゃんの勝ち。もう、カードでおばあちゃんに勝てない!」
「ひひひっ。昔ねえ。貴族相手に、カードで勝ちまくったんだよ。あたしゃカードには強いんだよ!」
「うぅ。もう一回!」
「ひひひっ。次もあたしの勝ちさ!」
夜になると、おばあちゃんに抱きついて一緒に眠った。
「おばあちゃん、大好き」
おばあちゃんと一緒にいるのが楽しくて、母と別れた寂しさがなくなっていく。
でも寒い日に、私たちはお別れをした。おばあちゃんは遺書を残して、空へ旅立ってしまった。
おばあちゃんを土の下に眠らせ呆然としていると、黒猫のナーゴが足にすりよってきた。私はナーゴを抱きしめ、おばあちゃんのお墓の前で小さく丸くなる。
「おばあちゃんの名前、最後に知ってよかったね」
「なーご」
「エルザって言うんだね。おばあちゃん……」
吐き出す息が、寒さで真っ白になる。それなのに、泣きすぎたせいだろうか、私の喉も顔も、焼けるほど熱かった。
◇
時が経って、一人で料理をすることに慣れた頃、ナーゴが家の外で騒ぎだした。
「どうしたの?」
「メェェェ」
山羊のメェまで鳴き出して、こっちにおいでと歩きだす。私は首をかしげながら、山羊の後を追う。うっそうと生い茂る森を抜けると、一頭の馬が座っている。馬の近くには、誰かが倒れていた。
「えっ……人?」
私は引き寄せられるように、その人に近づく。人を見るのは久しぶり。若い男の人だ。汚れているけど綺麗な金髪に、身なりのよさそうな服を着ている。
私はびっくりして、思わず馬を見た。栗毛色のきれいな馬は、主の方を見ていた。どことなく悲しそう。私は男の人を見て、おそるおそる声をかけた。
「あの、大丈夫ですか……?」
返事はない。もしかして亡くなっているのでは。ハラハラしながら彼の体温を確かめると、まだあたたかい。
ほっとして顔を覗き込むと、彼の眉が動きだし薄く目が開いた。青く、吸い込まれそうな瞳だ。思わず腰をひくと、彼は唸るような声を出す。
「腹が……減った……」
虚ろな目をしながら、彼は私の服を掴んでくる。
「ちょっと……」
「……何か……食べ物を……」
「あの!私の家にきますか? 大したものはないですが」
彼が顔をあげた。青い瞳に輝きが戻っていき、その眼差しの強さに気圧される。
彼はよろよろと立ち上がると、馬に這いつくばるように乗った。
「……頼む」
「はぁ……」
彼を家に連れていき、作りおきしていたジャガイモパンを振る舞った。ジャガイモだって、言わずに。
「うまい! なんだ、このうまさは……! もちもちしているじゃないかッ!」
貪るようにパンを食べ、彼が私を見る。
私が肩をすくめると、彼は不意に椅子から立ち上がった。左胸に手をそえ、軽やかな礼をする。
「助けてもらい、感謝する。そなたは魔女殿だろうか?」
魔女――の言葉に、体の芯が凍りつく。
「……なぜ、魔女と……?」
「ある村で、栽培が禁止されている作物を見つけた。その作物を教えたのは、ここら辺にいる魔女だと聞いて」
彼が言い終わる前に、かっ、と火がついたように腹が煮えた。私はジャガイモを切ったナイフを握りしめ、光る切っ先を彼に向ける。
「それで、逃げた魔女を追いかけてきた――というわけですか」
おばあちゃんの境遇を思いだし、私は目の前の彼を憎々しげに見た。
植物学者だったおばあちゃんは脱獄して、逃亡中だった。捕虜になった時に食べたジャガイモに感動して、研究を始めたそうだ。
解放され自国に戻ったおばあちゃんは、アカデミーに論文を書いてジャガイモの良さを訴えた。
――あたしは他国で冷遇されていたのに、前より健康になったんです! ジャガイモばかり食べていたからだ!
収穫量の良さを示し、おばあちゃんはジャガイモの研究を続けた。でも、同僚がジャガイモの毒にあたってしまった。
おばあちゃんはアカデミーを追放され、毒性の強い食べ物を広める魔女といわれた。裁判にかけられ、ボロボロにされ、拘束されていた所を支援者の貴族によって助けられた。
収容所から逃げ出したおばあちゃんは、北へ向かい、誰もいないこの土地に住むようになったのだ。その境遇を知ったのは、おばあちゃんの遺書からだ。遺書の最後には、私への言葉も残されていた。
『近くの村にジョディを預けることもできたのに、とうとう手放せなかった。人生の最後に、大きな罪をおかしてしまったよ。
でもね。あたしは幸せだった。ジョディがいたからだろうね。こんなにも満たされた最期を送れるのは。
可愛い愛弟子、ジョディ。したたかに生きておくれ。エルザより』
おばあちゃんはあらゆる知恵を私に遺してくれた。でも、おばあちゃんのことを知れば知るほど、許せない思いが込み上げる。おばあちゃんに酷いことをした人が恨めしい。
それなのに、私は一時の人恋しさに彼を家に招いた。自分が恥ずかしい。目の奥がツンとしたまま、彼を睨み付ける。
「私はジョディです! エルザの罪を言及するなら、私は戦います」
脅しではないと刃物を向けたのに、彼の顔色は変わらなかった。
「私は魔女殿を捕まえに来たのではない。助けを乞いに来た」
彼は腰に帯刀していた鞘を抜いて、床に置いた。床に膝をつき私を見上げる。
「今、我が国では、小麦の不作による困窮が広がっている。私は各地を回り、現状を見ているところだ」
彼は目をふせ、青い瞳に影を落とした。
「……ひどい状況だ。小麦の値があがり、パンが食べられない」
「小麦が……不作?」
「あぁ。だが、この先の村では、困窮が見られなかった。村長から話を聞くと、ジャガイモ栽培が禁止されていることは知っていたが、小麦より収穫量が高く、前から食していたということだ」
「えっ……」
「ジャガイモの育て方と食べ方は、魔女殿に聞いたらしい。私はその方法が知りたいんだ」
青い瞳が私に問いかける。
「あなたが食べさせてくれたのは、ジャガイモか?」
「それは……」
味を思い出したのか、彼の表情がゆるむ。
「実に美味しかった。夢中で食べてしまったな」
私が無言でいると、彼はまた真剣な眼差しになった。
「陛下にかけ合い、ジャガイモを広める策を練りたい。
頼む。私と一緒に陛下に会って、ジャガイモの良さを伝えてくれないだろうか」
彼の瞳はとても真剣で、嘘をついているようには見えなかった。
私たちの間に沈黙が落ちる。構えたナイフが震えだしてしまった。
「……帰って……ください……」
「頼むっ、ジョディ殿」
尚も追いすがる彼に、声を荒らげた。
「今さら力を貸して欲しいなんて、都合が良すぎます!」
奥歯を噛み締めると、涙がこぼれた。
「おばあちゃんが生きている時に、来てくれたら……!」
おばあちゃんがアカデミーを追放されたのは、私が産まれる前のこと。目の前の人も産まれていないかもしれない。
彼は悪くない。でも、腹立たしい。おばあちゃんにも聞かせてあげたかった。
「なーご」
気配を消していたナーゴが、そろそろと近づいて私の足にすり寄る。私は手からナイフを滑り落とし、震える手でナーゴを抱きしめた。
◇
窓から降りそそぐ光りが、白から橙色に変わった。私はようやく落ち着いて、おばあちゃんのことを彼に話す。彼は神妙な顔をして、聞いてくれた。
「あなたの師匠、エルザ殿はそんな目に……」
彼は私から目をそらし、呟く。
「……父の時代の話だろう。あの当時は、罪なき人々を多く裁判にかけていた。悪政だな」
「え……? 父?」
「あぁ、私は第二王子だ。戸籍上のな」
「……王子……様?」
「一応、私の服の胸には王家の紋章が入っているのだが」
そう言って、彼が自分の胸を指す。泥で汚れて謎の模様と化した紋章があった。
「これで信じてもらえただろうか」
「……あまり信じられません」
「そうか。……弱ったな」
彼は嘆息して、私を見る。
「父は二年前に、亡くなっているんだ」
「えっ……」
「知らなかったんだな……」
「はい……」
「そうか……しかし、罪は罪。父に代わって、エルザ殿に詫びさせてくれないか」
彼はそう言うと、立ち上がった。
おばあちゃんの墓に祈りを捧げたいと言うので、呆然としたまま彼を案内する。彼はおばあちゃんの墓標を前に膝をつき、静かに語りかけた。
「私も兄も幼く、あなたに対して何もできなかった。せめて、安らかに眠ってください」
真摯な背中を見ていると、腹に燻っていた恨みが、すっと体から抜けていくようだ。
ふと顔をあげると、きれいな夕焼け空。明日は、晴れそうだ。
「ジョディ殿」
視線をさげると、彼が私を見ていた。
青い瞳は、橙色の光りに包まれ、燃えている。
「立ち寄った村の長が、エルザ殿に会いたがってるんだ」
「えっ……?」
「彼らに会ってくれないか?」
私は流されるまま頷き、翌日、彼の馬に乗って村へ行った。
村をこの目で見て、驚いた。見渡す限りジャガイモ畑で、山羊がのんびり歩いていたからだ。
「ジョセフ殿下っ!」
馬から降りると小太りな男性が走ってくる。
「あぁ、村長。エルザ殿の弟子、ジョディ殿を連れてきた」
村長は私を見て、こぼれんばかりに目を開いた。
「そう、ですか……エルザ様は、元気で?」
「……おばあちゃんは亡くなりました」
「なんとっ」
村長は瞠目し、小刻みに肩を震わせた。
「エルザっ……エルザ様は……作物が育ちにくい村に、ジャガイモの種芋を分けてくださったんです」
村長が瞳から涙をながす。
「それなのに、儂らはエルザ様と一緒に住むことを躊躇ってしまった……。子供がエルザ様の顔を怖がってしまいましてな……」
こわーい魔女だよ、と茶化したおばあちゃんを思い出し、胸が痛くなる。
「貴女に言っても迷惑かもしれない。でも、言わせてください!」
村長は頭を地面にこすり付けた。
「エルザ様、ありがとうございます!おかげで!村は豊かになりました!!」
村長の周りに人が集り、私に向かって頭を下げる。彼らの背後には、青い葉がついたジャガイモ畑があった。これはきっと、おばあちゃんが願い、見たかった風景だろう。
「……おばあちゃんはあなた方を、気持ちのよい人たちだと言っていました」
「なんとっ!」
村長は滂沱の涙を流して、うずくまった。
鼻をすんと鳴らしていると、ハンカチを差し出してくれる人がいた。
「ジョディ殿。ジョセフ・デービスの名にかけて、エルザ殿の汚名を払拭する。約束する」
彼は一緒に王宮に来て欲しいと懇願した。私はハンカチを受け取り、流れる涙をぬぐう。
「わかりました! おばあちゃんが魔女と呼ばれるのが嫌だったんです! 私にできることなら、全部やります!」
彼はほっとしたように、目を細めた。ナーゴと山羊を村の人に預け、私たちはジャガイモを袋につめ、城を目指した。ジョセフ様には気安く話してほしいと言われてしまい、断れずにいたら、友達のような付き合いになってしまった。
旅の間、彼とたくさん話をした。驚いたことに、ジョセフ様は王妃様と愛人の間に産まれた子供だった。
「それが今の王。兄上だ。……腹いせ、だったんだろうな。母は恨み事を言いながら、儚くなった」
「……そうだったんですか」
「そんな顔をするな。痛みは過去にある。それに、兄上のことは、心から尊敬しているんだ」
ジョセフ様は父王のやり方が嫌でたまらず、兄と共に玉座から引きずり下ろしたそうだ。
「過去の悪習は一掃したい。その為に私も兄上も動いている」
力強く、まっすぐな言葉だ。
「ジョセフ様を信じます。あなたの言葉には、嘘が見えません」
そう言うと、ジョセフ様は嬉しそうに笑った。
◇
王都に近づくと、異様な空気が漂いはじめた。やせ衰え、虚ろな目をした人々が多い。
「これが王都……」
「酷い状況だろう? 急ごう」
王宮にたどり着くと、門番は慌てて開城をしてくれた。汚い身のままでもジョセフ様が通ると誰もが頭を下げて、道を開けてくれる。私達は着の身着のまま、王に謁見することができた。
だが、陛下はジョセフ様を見るやいなや、怒号を飛ばした。
「ジョセフよ……城を飛び出して、可愛い女の子を連れて帰るとは何事だ!」
ジョセフ様は淡々と答える。
「兄上宛に、書き置きを残したはずですが」
「あんな紙一枚で納得ができるかっ! 護衛も付けずに何をしておるのだ。……心配したぞ」
「私一人でも平気です。生きて帰ってこれました」
「……お前は思い立ったらすぐだな。ひとまず彼女と一緒に身綺麗にしてこい」
「話はそれからですか? わかりました。それよりも、兄上」
「なんだ?」
ジョセフ様は陛下に歩み寄り、斜めにずれた髪を両手でなおした。
「兄上。カツラがズレています」
「……察しろ」
「良質な小麦粉は王宮よりも民へ、ですか」
「ああ」
「兄上。いえ、陛下の民を思う気持ち。カツラから充分、伝わりました」
「俺のヅラのことはいい! さっさと、疲れを落としてこい!」
カツラを手でおさえた陛下に捲し立てられ、私達は退室させられた。ポカンとしたまま、ジョセフ様に問いかける。
「陛下、カツラなんですね」
「ん? あぁ。兄上は父上と瓜二つの顔を毛嫌いしているんだ」
「……そうなんですか」
「それにハゲを気にしている」
「まあ」
「毛がないと威厳がおちるそうだ」
ジョセフ様が嘆息する。笑ってはいけないと思ったのに、口から思わず声がでた。
「陛下は親しみやすい方ですね」
「あぁ、自慢の兄上だ」
そう言うと、ジョセフ様はくしゃりと顔をほころばせて笑う。
◇
私はジョセフ様と別れ、客室に案内された。王宮の人々は村娘の私に対しても、優しく接してくれる。逆に緊張してしまい、私は夜になっても寝つけなかった。
「今日はひとりで寝るんだ……」
幼い頃は母がそばにいて。母と別れたら、おばあちゃんがいて。おばあちゃんと別れたら、ナーゴがいて。ナーゴと別れて、王宮にくるまでは、ジョセフ様と一緒に夜営のテントの中で寝ていた。
「……私、幸せだったのね……」
ベッドはふかふかで寝心地がいいのに、寂しさが募る。
「ジョセフ様に会いたいな……」
そっと呟き、私は胎児のように丸くなった。
翌朝、使用人に呼ばれた私は、用意された服に袖を通した。一足先に陛下と会っているジョセフ様の元へ行く。
部屋に入ると、二人の他に片眼鏡をかけた中年の男性がおり、ジョセフ様が紹介してくれた。
「彼はヘンリー卿。ジャガイモの毒性を熟知している貴族だ」
「初めまして、ヘンリーです。……あなたがジョディ殿ですか……」
ヘンリー卿は私を見て、目を赤くしていた。なぜだろうとじっと見つめていると、ヘンリー卿は懐かしそうに目を細くする。
「あなたはエルザと同じですね」
「え?」
「泣きぼくろがある……」
「エルザ……? まさか――」
私は興奮で胸を高鳴らせ、早口で言う。
「おばあちゃんを牢から助け、いつもカードで負けていた! 貴族の支援者ですか?!」
「……まあ、そうですね。……カードでは惨敗でした」
「私もです……」
「……そうですか」
ヘンリー卿は息を吐き出した。彼の瞳には、ジョセフ様のような輝きがない。深い悲しみに囚われた目をしている。
ヘンリー卿はまたひとつ息を吐き出すと、おばあちゃんのことを話してくれた。おばあちゃんはやっかまれ、アカデミーの研究員に、冤罪をかけられていた。毒が強いと論文に書かれてあったのに、ジャガイモの芽をわざと食べて腹痛になり、おばあちゃんを貶めたのだ。
「当時、アカデミーと先王は癒着していて、裁判は一方的なものでした。私は金を積んで、エルザを逃がした。でも、不甲斐ないことにカードで負けましてね……」
「カードで?」
「……負けたら酒を飲む勝負をして、完敗でした。泥酔して寝ている隙に、エルザは忽然と消えてしまった」
「おばあちゃんらしいですね」
「猫のような人です……死に場所はひとりで決めるような……」
ヘンリー卿はおばあちゃんを探したけど、ついに見つからなかったそうだ。
「あなたが看取ってくれたのは、僥倖でした。……エルザは、一人ではなかった」
ヘンリー卿はおばあちゃん探しを諦め、王都に潜伏し、密かに陛下とつながった。陛下が事情を説明してくれる。
「ヘンリー卿に教えられたジャガイモの中毒性を利用して、先王に加担する者に腹痛を起こさせた」
「ジャガイモの毒で……そんなことを」
「たかが腹痛だがな。人の足を止めるには、充分だった」
その間に、陛下は玉座から父親を引きずり下ろし、戴冠した。おばあちゃんに冤罪をかぶせた人は、すでに処罰され、亡くなっていた。それは内々に処理されていたことで、ジョセフ様は知らなかったそうだ。
「エルザ殿の名誉を回復すると言いながら、恥ずかしい話だ」
「ジョセフ様……そんな」
「ジョセフに教えなかったのは、俺の判断だ」
陛下が口を開く。
「ジョセフは実直すぎて、秘密事項を簡単に話しそうだからな。だが、ジョセフの無鉄砲さで、ジョディ殿にも会えた」
「兄上……」
陛下は私に顔を向けると、話し出す。
「ジャガイモの毒は強くでると、幻覚を引き起こす。危険なものとし、栽培禁止令は撤廃しなかった」
陛下は一呼吸して、続ける。
「だが、ジョセフの話を聞いて、それは間違いだったと考えを改めた。俺にジャガイモを食べさせてくれないか」
私は胸がいっぱいになり「光栄です」と頭をさげた。
◇
ジョセフ様の案内で厨房へ向かう。連れていかれた厨房は、さすが王宮というべきか、広く、使ってみたかった調味料が並んでいた。塩、胡椒、チーズも牛のものだ。小麦粉も肉もある。
「高級食材ばかりですね……」
「東洋の調味料もある。料理長!」
「なんですかあああっ! 殿下あああっ!」
ソーセージみたいな髭をつけた料理長が、泣きながら近づいてきた。
「なぜ泣いている?」
「うおおぉん! エルザ殿の無念を思うと泣けてくるのです! 儂は苦労話に弱いんです!!」
料理長はおいおい泣きながら、鍵のついた貯蔵庫から黒い液体の入った小瓶を取り出してきた。
「ジャポンのショーユです!! 陛下はこれを隠し味に使った料理が、大好物です!!」
「使わせてもらいます」
「頑張って!!」
貴重な調味料と言われ、ドキドキしながらショーユ一滴、舌で味わう。塩気と旨味が同時にきて、高揚した。
「ジョセフ様。この調味料を使えば、私の大好きな料理が、もっと美味しくなります」
「食べてみたいものだな」
青い目を爛々と輝かせるジョセフ様に微笑み、私は料理を作り出した。
マッシュポテトの上にひき肉と玉ねぎを炒めたものをのせて、たっぷりチーズをかけ、こんがり焼いたもの。材料がなくて、作れなかったものをここぞとばかりに作る。
できた料理は、冷めないうちに毒味係の前に並べられた。彼らが問題ないと言うと、陛下の口へ。ドキドキしながら食べる所を見ていたら、陛下がカッと目を見開いた。
「旨いな」
その一言に胸が高鳴って、顔が熱くなる。
「そうでしょう!! 兄上!! 味見しましたが、絶品でした!!」
「ジョセフ、叫ぶな。興奮しすぎだ。ジョディ殿、料理に使われる材料は何だ?」
「ジャガイモとチーズが主です。塩や胡椒、肉や玉ねぎも入っていますが、なくても充分おいしくなる料理があります。こちらです」
細く切ったジャガイモに、たっぷりチーズをのせて、こんがり焼いた料理だ。
陛下はひとくち食べると、立ち上がった。
「なんだこれは……! カリカリして旨いじゃないかッ!」
「兄上。興奮して立つと、カツラが落ちます」
陛下はずれたカツラのまま座り、しげしげと料理を見つめる。
「ふむ。単純だが、酒が飲みたくなる味だな」
「材料が2つなので、農民でも食べやすいと思います。農村では山羊が飼われていて、家庭ごとにチーズ作りが盛んですから」
「なるほど。旨いな。次の料理は、ジャガイモの皮もあるのだな……」
「青く未成熟な皮には毒がありますが、成熟して芽のないジャガイモは、皮まで美味しいです」
次の料理は、茹でたジャガイモを四等分に切り、バターをのせたものだ。
バターがジャガイモの熱でとろりと溶けだし、香りが立ちのぼっている。私はショーユを垂らして、陛下にすすめた。
「じゃがバターショーユです」
陛下は一口、食べると目を見開いた。
「これはッ!」
陛下が皿を見つめながら、勢いよく立ち上がる。その拍子に、語りかけるように風が吹き、陛下の頭からカツラが落ちた。小刻みに肩を振るわせている。
「こ、これは! うまい、うますぎる! ジョセフ!」
「兄上、カツラが……」
「俺のヅラのことは、ほっとけ!ジョディ殿、感動的な味だ」
「あ、ありがとうございます!」
興奮して答えると、陛下はハゲ頭のまま、大きく頷いた。
「ジャガイモの旨さは伝わった。さっそく予算を組み、ジャガイモを各地で育てられるように支援しよう」
ジョセフ様が私の手を握りしめる。
「ジョディ殿、ありがとう。君のおかげで、民に活気が戻る。虚ろな目をした人々は少なくなるだろう」
「いえ……ジョセフ様が私を見つけてくれたから……、だから……」
私は口角をめいっぱい持ち上げた。
「あなたと、おばあちゃんのおかげです」
感謝を伝えると、ジョセフ様は快晴のような青い瞳を細くした。
◇
それから、国をあげてのジャガイモ布教が始まった。陛下自らが食したことが評判となり、禁止令がでていたにもかかわらず、ジャガイモへの嫌悪感は少ない。私とジョセフ様は、ジャガイモの栽培を農村へ広める役目を陛下より任された。
二人だけでは人手が足りないので、ジャガイモを育てていた村に戻って、協力を仰いだ。
「勿論、協力させて頂きます……エルザ様の恩を返したいです」
村長は快諾してくれた。ナーゴと山羊は元気そうだった。でも、一緒に行こうと誘ったのにナーゴは喉を鳴らすだけで動こうとしない。
「ここにいるの?」
「なーご」
私はナーゴの背中を撫でる。
「ナーゴ。大好きよ。いってきます」
ナーゴは喉を鳴らして、金色の目を細くしていた。
◇
おばあちゃんはジャガイモの研究の功績をたたえられ、「聖女」の称号が与えられることになった。
おばあちゃんの論文や、当時の悪政を綴った自叙伝が出版されることになり、ヘンリー卿が出資してくれた。全てが終わると、ヘンリー卿は、おばあちゃんと住んでいた家を売ってほしいと言い出した。
「時々、おばあちゃんに会いに来てもいいですか」
「勿論」
悲しそうな瞳を見ながら、私は思いきって、話をする。
「おばあちゃんは何でも教えてくれたのに、カードの勝ち方だけは教えてくれませんでした」
虚ろだったヘンリー卿の瞳がゆれた。
「きっと、あなたとの日々が大切だったからですね」
そう言うと、ヘンリー卿は何かに耐えるように目を瞑り、私に背をむけた。
「エルザは、……バカです。私も、バカだ」
涙まじりの声を聞きながら、私は頭をさげる。
「おばあちゃんを宜しくお願いします」
◇
私はジョセフ様と一緒に、各地へ回ることになったが、良いのかなって気もした。
「ジョセフ様とは王宮でお別れかと思いました」
「また、どうして?」
「どうしてって、ジョセフ様は王子様ですし……」
「農村へ行く途中で、野盗に会うかもしれない。旅路は危険だ」
「それは護衛とかに任せてもよかったのでは……?」
小声で言うと、ジョセフ様が眉をひそめる。
「……ジョディ殿は私と一緒に居たくないのか? 私は共に居たいのだが」
「……そう、なんですか。私は身分的には……」
ジョセフ様の両手は空中をもがきながら、抱きしめたい気持ちを必死に抑えているように見える。
「馬鹿なこと言うな。人生の相棒をひとり選ぶなら、私はジョディ殿がいい」
ポカンとする私に、ジョセフ様が慌てふためきながら続ける。
「あ、いや、今のはその、都で大人気だった恋物語の中で、大泥棒に惚れたお姫様が別れる場面で……」
「なんですかそれ? 初耳です」
「初めて言ったからな」
ポカンとする私に、ジョセフ様がふっと笑う。
「出会った時から、ジョディ殿のことは好ましく思っていた」
「さ、最初から?!」
「涙目で刃物を向ける姿に、ぞくぞくしたんだ」
「本当に申し訳ないことをしたと思っているので、あの時のことは、記憶から消してください」
「懸命な姿に惹かれてやまなかった」
ジョセフ様はそういうと、私の左手の小指にキスをした。
「私を選んでくれるなら、ここに嵌める指輪を一緒に買いに行きたい。どうだろうか?」
真剣な顔で言われてしまい、顔が熱くなる。
「……青い石が付いた指輪でもいいですか?」
「構わないが……それは、つまり」
「ジョセフ様の青い瞳から、ずっと目が離せませんでした」
「指輪を買いに行こう!」
ジョセフ様が私の手を掴む。歩きだした彼を見上げると、赤面していた。くすぐったい気持ちになりながら、ジョセフ様にお願いをする。
「ジャガイモを広める傍ら、母を探したいです」
私は生き残った。母も、きっと。
◇
一縷の望みにかけて過ごしていると、一年が経っていた。王都ではジャガイモが流通し始めた。安価で手にとりやすいジャガイモは一気に市民に広まる。虚ろな目をした人々に輝きが戻ってきたある日、ジョセフ様が会わせたい人がいると言いだした。
「ジョディの名前を聞いて、もしかしたらと思ったらしい」
ジョセフ様はとある農村まで、私を連れて行ってくれた。村に居たのは、足を引きずった女性。私と同じ場所に泣きぼくろがある人。
ジョセフ様が私の背中を、そっと押す。彼の優しさに涙があふれた。
「シャルロッ……」
「――お母さん!!」
私は母に駆け寄った。崩れるように互いを抱きしめあい、温もりに涙する。
――ひひひっ。
笑い声のような風が、私たちを包む。涙の後に見えたのは、突き抜けるような青空で。おばあちゃんの笑顔のように、晴れやかだった。
いかがだったでしょうか。