「ああああああああああああ!!」
「ちょ、ちょっとヒモ君!? どしたの!?」
ヒモは過去最大級のひとりのような発作に襲われた。
「虹夏......あぁ! 優しい視線」
「......本当に大丈夫? ヒモ君......」
「(はっ、今のは......妄想? 虹夏もあんなに冷たい目じゃない。そうか、悪い想像をしてあれが......)」
先ほど、自らの脳裏に浮かんだ映像がヒモの背筋を凍らせる。何としても回避しなければならない。その想いがヒモの脳裏を支配していた。
「ところでさヒモ君。さっき悲鳴を上げる前に何か言いかけてたみたいだけど......」
「(来た......!)」
選択を間違えてはならない。さっきは「お礼として」まで言いかけて止めた。虹夏もそこまで聞こえていたはずだ。温泉以外に何か虹夏に対してお礼を今即興で考えなければならない。
が、既にこの時ヒモの思考回路に異変が生じ始めていた。
「ちょっとそこで待ってて!」
ヒモは何か思いついたのか、虹夏をその場に留めおいてどこかに向けて走って行った。関係者入口から居住部に入り、階段を駆け上がって自室に転がり込む。
「お礼......僕が好きなのを虹夏にプレゼントしよう!」
ヒモは机の上に並べられている筒状のものの中から女型のものを選び取り、片手で掴んでから元来た道を帰って行った。
「はい! これお礼! 先週作ったばかりのやつなんだ!」
ヒモを右手で握りしめていたものを虹夏に手渡したが──虹夏の表情は引き攣っていた。
「......何これ」
「こけしだよ!」
こけしだった。
「なるほどね。それで急にぼっちちゃんみたいになっちゃったんだね」
「............」
結局その後、ヒモは虹夏の引き攣った顔を見てトラウマを呼び起こされたのか誰に言われた訳でもないのにその場で蹲ってから自供を始めてしまった。
「そんな、それくらいでセクハラとか言う訳ないじゃん。ヒモ君だってクラスの子とかにそういう話したって今まで何もなかったでしょ?」
「クラスの子って......。結束バンドの皆以外に男子女子問わずに同年代に友達なんていないよ」
「(あ、でも最近あいつよくウチ来るし......。あいつも友達か)」
ヒモの脳裏には自らを狂犬と思っているがその実内心はチワワのような者の姿が浮かぶ。無論そのような事を知らない虹夏は......
「へ、へー。そうなんだ。私達以外には友達が......。ふ、ふーん......えへへ」
どこか嬉しそうな表情を浮かべていた。その事に気づいたのか、虹夏はコホンと一回咳払いをしてから取り繕う。
「と、とにかく! 全然そんなんじゃないから! 温泉が嫌いな女の子なんていないし普通に嬉しかったから! ありがとね!」
「(ヒモ君ってたまに変な時あるけど、結構ぼっちちゃんと似てるとこあるよね。さっきのこけしだってぼっちちゃんの奇行とそっくりだ)」
ヒモの後ろに、ひとりの姿を見た虹夏は内心クスリと笑った。
「ん? どうしたの? いきなり笑って」
「いや、ちょっと面白かったからさ。この前のライブの打ち上げで廣井さんや喜多ちゃんがなってたみたいにぼっちちゃんのアレって伝染するんだなぁって思ってさ。だってお礼だ! って言ってこけし持ってくるなんておかしいでしょ?」
「え?」
「え?」
「「......え?」」
「(やっぱりこけしは人気ないんだね......)」
虹夏の手前、何も動じていないように振る舞っていたヒモだったが──内心涙していた。ヒモは本気でこけしを愛する熱狂的なこけしファンだった。見てもよし、触れてよしのこけしを愛するほどに次第に自分で作ってしまうほどにこけしに魅了された存在、それが紐川晶羅だ。
「............」
虹夏はそんな、俯いたヒモの横顔を覗き込んでヒモの真意を探っていた。
「よく見たらいいね! これ」
「......え?」
「最初はびっくりしちゃったけどこれ、よく見たら可愛く見えるし! ありがとう! 凄く嬉しいよ!」
「!」
先ほどまで沈んでいたヒモだったが、自作こけしを褒められた事によって同好の士を見つけたと言わんばかりにキターンとした目を受かべていた。
ヒモはこけしが絡めばとことんチョロかった。
「凄くいい湯だったよ! ありがとねヒモ君!」
温泉で汗を洗い流した虹夏は浴衣の形状をした旅館着を纏って出てきた。
「じゃあ今から練習に戻るの?」
「そうだね。練習が始まってから暫く経つけどドラムもあるみたいだし」
ヒモが渡したこけしを大切に抱えながら虹夏は答えた。ドラムは他の楽器と違って中々持ち運ぶ事ができない。その事に気づいてドラムを用意していてくれた事が、虹夏にとっては自分の事を忘れないでいてくれたという事で嬉しさを感じさせるものだった。ヒモと虹夏がそうやって談笑していると虹夏はある事に気づく。
「(ヒモ君のおばあさん達、いい人なのにバンドに対してあまりいいイメージを持ってないよね......)」
ヒモと虹夏は先ほど留子から、なぜこのような事をしたのかといった理由を聞いていた。留子の話を聞くうちにヒモが──
「(......父さんと母さんを見ればまあ、ばあちゃん達の言う事も分からなくはないな......)」
遠い目をしていた事から虹夏はある程度のヒモの家庭事情を推測していた。
「あ、留子さん」
そして自分が温泉に行って帰るまで、多少の時間がかかったが、今も尚留子は忙しなく働いている。先ほどの様子から見ても、虹夏には老婆達が悪意によって動いていたとは思えなかった。
「(うん、そうだね)」
虹夏がやりたい事は見つかった。丁度運び物を終えて手ぶらとなった留子に虹夏は近づく。
「......あの、留子さん。もしよければ──私達の演奏を聞いてくれませんか?」
──────
「え......今、虹夏ちゃん何て言いました?」
「だからライブだよぼっちちゃん! せっかくヒモ君のおばあちゃん達が用意してくれたんだからやろうよ!」
長い長い
「ウェッ!? で、でも今日は──」
「私も虹夏に賛成。やっぱり練習よりライブの方が楽しい。それに、お年寄りはたくさんお金を落としてくれる。新規ファン獲得の
完全に目が銭の形になっているリョウは迷わず虹夏についた。これで賛成と反対は2対1。ひとりは何としても郁代を味方につけなければ数の暴力に押し潰されてしまう。
「き、喜多さ──」
「そういえば虹夏、いつ着替えたの?」
ひとりの言葉はまたしても遮られてしまった。いくらバンド仲間という、気の置けた仲間であってもひとりが他人の言葉を差し置いて「ライブやめませんか?」などと言える訳がない。目尻に涙を浮かべ、発作が起きかけてはいたがちょこんとその場に座り込んだ。
いつもであれば虹夏か郁代が気づいてフォローを入れるとこだったが──2人ともひとりをスルーした。正確にはひとりの様子に気づけなかった。虹夏は既に留子に言ってしまった手前、必ずライブを実行しなければならずその事に思考は向き、郁代は──
「伊地知先輩。髪、濡れてますね」
焦点の定まらない目で、意識は虹夏に向いていたからだ。
「(リョウ先輩の言う通り、伊地知先輩、さっきと服装全然違いますね。そもそも洋装から和装に変わってますし。ていうかあれ、ヒモ先輩の旅館の館内着ですよね? え、どういう状況なんですか? 1時間くらい出て行ってた先輩が髪を濡らして浴衣に着替えてヒモ先輩と帰ってきた......。ヒモ先輩は髪濡れてませんね......。よ か っ た)」
驚くべきはこれら思考を一瞬で、尚且つ顔色一つ変えずに行っている事にある。陽キャたる郁代のこういった能力は、文字通りぼっち陰キャのひとりのそれと次元を異にする。
「喜多ちゃんにとっても悪い話じゃないよ? 今回のライブ、ヒモ君にも参加してもらうから」
「「え?」」
「何でヒモ先輩も驚いているんですか!?」
「い、いや......僕も初めて聞いたから......」
虹夏のその提案は、当事者たるヒモですら初耳の内容だった。
「ほら、お客さんの大半はヒモ君のおじいちゃん達とその友達だからさ」
「(ヒモ先輩のおじいさん達!?)」
虹夏のその言葉を受けて、郁代の目は比喩表現なしに輝く。
「それに喜多ちゃん、前回のヒモ君とのライブの時いなかったでしょ?」
「うっ......」
虹夏に痛いところをつかれた、と言わんばかりに郁代の額には冷や汗が浮かぶ。そう、前回のライブとはすなわち郁代がギターを弾けると偽り、本番当日になってバックれた時の事だからだ。......相変わらず文字にするとやった事酷ぇな......。
「ち、違うよ! 別に喜多ちゃんにそんな顔させるために言ったんじゃないよぉ!」
郁代のその様子から彼女の内心を悟った虹夏は慌ててフォローを入れる。
「前にも言ったでしょ? もう気にしてないって」
その言葉の通り、虹夏は郁代の一件を気にしていない。結果論という形にはなるが、郁代のバックレがなければ彼女はひとりやヒモとは出会えなかったのだから。
「だからこそだよ喜多ちゃん! 一緒にヒモ君とライブしようよ喜多ちゃん!」
「ァ!? き、喜多さ──」
「やります! やりましょうヒモ先輩!!」
しまった、とこの時ひとりは内心で思った。ヒモの名前を出されたらもう郁代の意思を覆す事など不可能だ。賛成と反対は3対1。覆す事はもう不可能。
「あのさ、虹夏。僕まだやるなんて言ってないけど......」
「!」
だが神はひとりを見捨てない。
「え? ヒモ君やってくれないの? この前の私達と一緒にしたライブ、嫌だった?」
「え? い、嫌じゃなかったけど......」
「ならいいよね!」
「......ハイ」
「(ヒモさぁぁぁぁぁん!!)」
神はひとりを見捨てた。ヒモは少し前に虹夏から冷たい弾劾を受けるという状況を想像しており、彼女に逆らう事ができる状況になかった。賛成と反対は1対──
「ヒモ君のおじいさん達にはね、もうぼっちちゃんの事はある程度伝えてあるから安心して! ヒモ君のおじいちゃん達に、ぼっちちゃんのかっこいいところ、見せてあげようよ!」
「わた......しの......かっこいい......ところ......」
賛成対反対、0対5。神はひとりを見捨てなかった。
「(あとやるべき事は......)」
巧みな話術で「結束バンド」を乗り気にさせた虹夏。その最後の仕上げとは──
「リョウ、あんたはライブが始まってから終わるまで一言も喋らないで」
「なん......だと......」
ヒモの祖父母達の想像が、唯一当てはまりそうなリョウの口を閉ざす事だった。
──────
「ライブじゃあ、この前やった「ギターと孤独と青い惑星」と「あのバンド」をやろうと思うけど、大丈夫だよね?」
バンドの楽器の中でキーボードは比較的汎用の効く楽器であると言える。他の楽器と違って音色を変える事はできるしメロディラインを拾えばそれなりの形にはなる。ある程度の技量があれば及第点は取りやすいのがキーボードだ。
「(それに、この2つの曲は何回も聞いてきた)」
紐川晶羅は、後藤ひとりの大ファンであり、彼女のギターを聞くために前回ライブを(店長の星歌に許可をとってから)録音し、何度も聴いてきた。メロディラインの譜面も、Akiの実力から考えるとそこまで難しいものでもない。
「うん、大丈夫」
だからこそ、そこに油断、慢心があったのかもしれない。ヒモの中には、前回のAkiのライブで浴びた歓声による過信があったのかもしれない。
独奏(ソロ)と合奏(バンド)は全く違うというのに。
本作で描くキャラの中で誰が好きですか?(活動報告のヒロインアンケートとは別物です)
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ヒモと友達に中々なれないぼっちちゃん
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みんなの虹夏ママ
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ヒモの料理が恋しい山田リョウ
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ガチ熱狂ファン喜多ちゃん
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初期構想じゃクズ設定なんてなかった明海
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ヒモの顔見た瞬間素面に戻る廣井きくり
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弁当恋しい伊地知星歌
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Akiは女性だと信じていたPA
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マウントヨヨコ