虹夏と郁代の最初の挨拶と共に1曲目「ギターと孤独と青い惑星」の演奏が始まる。温泉旅館の休憩室で開かれたそのライブにはヒモの祖父母とサクラの皆さんの他に、一般の宿泊者数名も参加していた。
その数名の客も、虹夏が身につけているような館内着を身に纏っており、お風呂後の余興程度にしか考えていないだろう事が窺える。
良く言えば演者にプレッシャーはかからず、悪く言えば野次馬。しかし「結束バンド」はそんな野次馬の客達をこれまで何人もファンにしてきた。
ギター、ドラム、そしてベースによる前奏が始まる。ヒモが何度も何度も聞いてきたインストだ。自然と彼のテンションも高まっていく。歌い出しが始まってからがヒモの出番だ。郁代が歌うために息を大きく吸い込んだ。ヒモも鍵盤の上に手を置いて準備する。
「......え?」
違和感。それが鍵盤を叩いた瞬間、彼が抱いた感情だった。
「......何で、どうして......」
譜面はなぞっている。音程は間違っていないはずだ。しかし何度叩いても──否、叩けば叩くほどに違和感はより際立ってヒモの中の警鐘を鳴らす。音の大きさか、強さか、それとも微妙なタイミングか、はっきりと言語化する事はできないがそれでも何かが明確にズレていた。これは五人の演奏ではなく──四人と一人の演奏だ。
「(何でこうなっているのかは分からないけど──原因は分かるな)」
原因ははっきりとしている。紐川晶羅は
──この失敗は必然だ──
唯一、救済点があるとするならば、ヒモは前回のひとりとは違って周りと合わせる能力こそないものの、周りの音を聞く耳だけは持っていた。だからこそ前回は周りの音を聞いてメトロノームのような役割をこなす事ができていた。
しかし今回は他のメンバーがある程度合わせる事ができているためヒモにメトロノームの役割は求められていない。
幸か不幸か、周りの音を聞く耳を持っていたからこそ──ヒモは気づいてしまった。
「(これは──
彼に慢心があったと言われれば──否定する事はできない。彼はAkiのライブで、歓声をその身に浴びた事で、ある種の全能感を感じていた。これまでネットの配信でしか活動してこなかったヒモだったが、自分はライブでもやっていける! と過信していた。
今回の曲もそこまで難しい楽譜じゃない。嘗めていた、と言わざるを得ないだろう。何なら彼は譜面以上に「アレンジとかしてみよう!」とすら思っていた。その結果がこのザマだ。
曲は1番が終わり間奏に入る。メロディラインを拾ってきたヒモもひとまずは休憩。しかしその顔は明るくない。視線は下を、
「(もうできる事は一つしかないよな)」
ヒモは大きく天を仰ぐ。それは何かを諦めたような表情だった。
間奏がそろそろ開ける。歌が2番に突入する。ボーカルの郁代は息を大きく吸い込んだ。
「(これ以上、演奏を汚したくないな)」
ヒモの手は1番の時と同様に鍵盤の上に置かれる。
「「「「ッ!」」」」
ヒモの選択は、それまでの演奏を止め、唯一自分にできる──メトロノームを演じる事だった。
──────
「お聞き頂きありがとうございます! 「結束バンド」でした!」
2曲目の「あのバンド」が終わり、郁代の挨拶にてライブは終了した。1曲目の最初で演奏に違和感を持っていた観客達だったが、その違和感は1曲目の後半から薄れ始め、2曲目の印象で掻き消された。
今までのライブのファンとは違い、会場に集まったのはロックのファンではなかったため観客ウケはイマイチかと思われたが──そうではなかった。
観客の大半はヒモの祖父母とその
──親の心、子知らず──
ヒモの祖父母は、自分達の子どもがロックによって堕落したと思い、ロックを親の仇のように思っていた一方で、自分達の子どもを魅了したロックを自分達も理解しようと何度も何度も聞き続けていた。それはサクラ達も同様だ。彼ら彼女らはその年齢からは思えないほどに無意識的に──ロックに傾倒していた。
最初は「結束バンド」をヒモの友人程度にしか考えていなかったが、その認識は改められる事になる。これならリョウが多少喋っても大丈夫かもしれない。
「結束バンド」の演奏で盛り上がっていた観客達とは対照的に、内心焦りの気持ちを抱いていたのは──「結束バンド」のメンバー達だ。特にボーカルとして、最前列に立っていた郁代の焦りは顕著であった。その焦りの原因は当然......
「(ヒモ先輩の演奏......。音色から寂しさが伝わってきたわ......)」
ヒモが突如としてメトロノームを始めた事にある。最前列で、演奏中も後ろを振り向けなかった郁代の脳裏には──嫌な想像が浮かぶ。
──郁代の妄想──
「僕に、音楽の才能はなかったんだ......」
「そ、そんな! そんな事はないです!」
演奏が終わり、表情を曇らせたまま旅館のステージを後にしたヒモは突如としてそう言った。ヒモの、自らを貶める発言に対してその場にいた郁代は条件反射で反論する。
「でも......今日の演奏、聞いてたでしょ? 今日の演奏において、僕は──
「それは......」
ヒモの今回の演奏について、全面的ヒモの味方でありファンである郁代であっても──否定する事はできなかった。「そうじゃない!」とただ喚く事は簡単だ。しかしヒモがその事実を認めているのだ。郁代にヒモの言葉を否定する材料は残されていない。
「まさしく井の中の蛙、大海を知らず、だね。僕は自分の事を──少なくとも鍵盤に関してはある程度上手いと思っていたけど──自惚れだったようだ。所詮ネットの一部で誉められているだけで──大した事は無かったんだ......」
ヒモは完全に自信を失った。これまでは確かに合奏演奏について、現実以上の過信があった事は明白だが今回の件によって独奏の分野においても必要以上に自信を喪失してしまった。
「僕に......演奏の才能は......無かったんだ......」
そしてヒモは鍵盤から徐々に離れていってしまい──
「そん......な......」
──皆様への大切なお知らせ──
『いつも応援して頂きありがとうございます。私、『Aki』は諸事情のため、ネット上での活動を休止させて頂きます』
突如として発表された『Aki』の電撃休止報告。トゥイッターではトレンドに上がり、掲示板を含めてあらゆる憶測が立てられた。これだけでも「Aki」の大ファンたる郁代にとっては大ダメージだが──郁代への受難はまだまだ続く。
「先輩! なんで最近ライブに来てくれないんですか!?」
「......ごめんね。でも皆を見るとあの時のトラウマが蘇ってしまうんだ......」
「トラウマって! 先輩はまたピアノを──」
「もうピアノは辞めたんだ。家にあったピアノも処分した」
「えっ......」
活動休止報告から郁代は幾度となくヒモに連絡を図ったが返信は来ず、ライブにも来てくれない事からヒモの家を訪れた郁代は──そこで止めを刺される事になる。
「悪いけど、もう僕には関わらないでくれ」
ライブでの自信喪失によりピアノを辞めたヒモ。そのダメージはあまりにも大きく、楽器を見るだけでひとりのような発作が起こるようになっていた。そして突きつけられた絶縁宣言。郁代に決断の時が迫る──ヒモか、「結束バンド」か
──「ぼっち・ざ・ソリスト 完!」──
「(あああああああああああああ!!)」
ライブのステージの上という、緊張感に支配されていた事により顔には出さなかったが、郁代は内心ひとりのような発作に襲われた。
本作で描くキャラの中で誰が好きですか?(活動報告のヒロインアンケートとは別物です)
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ヒモと友達に中々なれないぼっちちゃん
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みんなの虹夏ママ
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ヒモの料理が恋しい山田リョウ
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ガチ熱狂ファン喜多ちゃん
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初期構想じゃクズ設定なんてなかった明海
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ヒモの顔見た瞬間素面に戻る廣井きくり
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弁当恋しい伊地知星歌
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Akiは女性だと信じていたPA
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マウントヨヨコ