短編1話完結。
快晴が続く。今日も鷹狩りに適していた。藤吉郎は供回りを連れて領内を散策する。
行商人の出自。今や武士であり、さらには城主となる。相棒とともに美濃から尾張に流れ、織田信長に士官した日は、さほど遠い昔話ではない。
まだ日が高い。長浜城に帰る途中で、一行は寺に立ち寄り休息した。
「このあたりは見て回れたか」
奥の部屋に通された。藤吉郎は腰をおろす。
「俺達の城に、俺達の街だ。悪くないもんだろ」
誰よりも偉くなる。
大きな夢を抱いた。踏み出した一歩で感じる。行けば行くほど苦難の道。ままならない鎖に縛られ、足取りは重くなる。
今日の鷹狩りは、気晴らしを兼ねた領土の視察だった。手にした成果を見て少し気が軽くなる。望んだ道を歩いている。
「失礼します」
戸を引く音。少年が座していた。
「お茶をお持ちしました」
「おう、ご苦労」
「どうか、ごゆっくりと」
少年は部屋を出る。
「できた坊主だな」
少しの言葉としぐさの中に、知性が宿っていた。常に観察を怠らない藤吉郎には感じられる。
大ぶりの茶碗を手に取る。外を出回り喉が渇いていた。藤吉郎は一気に茶を飲み干した。
「ん?」
茶碗を置いてから気付く。二人の客人に対して茶碗が一個しかない。
「なんだあいつ。抜けてやがる」
藤吉郎は部屋の外に声を張った。
「坊主。おい坊主」
すぐに少年が現れる。
「お呼びでしょうか」
「見てわからんのか。茶が足りん。なんで一杯しか持ってこないんだよ」
「不要にございます」
「あん?」
少年は切れ長の目で藤吉郎を見た。
「私は藤吉郎様にお茶を献ずるよう命じられました」
藤吉郎があきれる。
「あのな。違うだろ。早くしろ。俺ももう飲んじまった。二杯目を持ってこい」
「承知しました」
少年が部屋を出る。
「馬鹿には見えないんだが。変わった坊主だ」
藤吉郎達は顔を見合わせた。
ほどなくして再び茶が運ばれた。
「こちらにお持ちしました」
「よし、下がっていいぞ」
盆に載せられた茶碗を見る。一杯目より器が小さい。また茶からは湯気が立っている。
藤吉郎が茶を飲む。
「俺が喉が渇いていると踏んで、さっきはわざと、大きめの茶碗にぬるい茶を入れたか」
一杯目と二杯目で、茶碗の大きさと茶の熱さが違う。少年の気配り。茶の出し方に意思がある。
「言うのは簡単だが、気が利く。……って違うだろ!」
思わず声が大きくなる。
盆に茶碗は一個。また藤吉郎だけが飲んでしまった。
「坊主。お前なにを考えている?」
藤吉郎は立ち上がり、部屋を出た。
少年は廊下に正座していた。
「お茶をご所望でしたら、お呼び頂ければお持ちします」
「違う!」
立ったまま少年を見下ろす。
「次は熱いお茶がよろしいかと存じます。用意してございますので、お部屋にてお待ち願います」
「出すたびに茶を変えているのな。次の手も読んであるのか。よく考えた。だが違う」
よどみなく話す少年。藤吉郎はいら立ちながら続ける。
「俺に茶を出すってのは、俺達に出すって意味だ。そうだよな。言ったよな。なんで俺にだけ持ってくるんだよ」
城主の叱責に体がこわばる。緊張を押して、吐く。
「あやかしに出す茶はございません」
少年の背後を狐が歩いた。
飯綱。神の使いとも言われる、霊力を持つ狐。少年に憑いてはいるものの、まだ主とは認めていない様子で、興味なさげに藤吉郎を見た。少年もまた霊感がなく、守護霊に気付いていない。
「狐……」
「よく言われます」
少年が返す。確かに狐を思わせる目つき。そして態度だった。
藤吉郎は床に座り、あぐらをかいた。
「坊主。名前は?」
「佐吉と申します」
のちの石田三成。佐和山の狐と呼ばれる。猿と狐が出会う。
「いいか、佐吉」
同じ目線で、名前を呼び、言葉を交わす。
「あいつは確かにあやかしだ。だが、俺の相棒だ」
「あやかしは、あやかしにございます。人ではございません」
寺の廊下で問答する。僧と弟子のように。
「俺は下賤の行商人だった。お前も寺の小坊主だ。このまま終わるつもりがないから、小細工で俺に取り入ろうとしたんだろ」
「ご慧眼の通りです」
包み隠さず答える。佐吉は藤吉郎が訪問すると聞き、接待係を申し出た。自分を売り込もうとした。
「相手をよく見る目は、大切だ。お前にはそれがある」
人は常に人を見なくてはならない。味方に協力する時。敵に勝利する時。敵味方を見分けられなくては、戦う相手すらわからない。
そして今、藤吉郎は佐吉の才気を見た。
「よく見たら、考えろ。生まれでは決まらない。そいつが何者なのか、考えて、どうするかを考えろ」
生まれでは決まらない。
腹から出た声が、藤吉郎の耳に届き、頭に響く。
顔をしかめた。
「藤吉郎様?」
様子を見た佐吉が動揺する。
「いや……すまん。大丈夫だ」
あやかしと知って相棒にした。友と認め合った。ならば言ってはいけない、言うはずのない言葉がある。
「あやかしだから。なんて思うな。世が小さくなる」
佐吉は押し黙る。
「納得できてない顔だな。まあいい。今はいい。ひとまず茶を持ってこい。二杯だぞ」
「……はい」
二人は立ち上がる。
千利休の茶室。
飾り立て、威風を見せる藤吉郎とは違い、質素な作りに風流を見出だせる。石田三成は、遠い日を思い返していた。
「いかがさなれました」
利休の声で我に返る。
「いや、なんでもない」
「なつかしんでいるような、穏やかな顔をされてはりました」
「なんでもないと言っている」
三成は利休に向き直る。
「お前はまた、藤吉郎様に、いらない戯言を吐いたそうだな」
少年、佐吉は藤吉郎に認められ、家来になる。見出された才能を発揮し、藤吉郎の右腕となるまでに、時間はかからなかった。
千利休は茶道の大家。藤吉郎に取り立てられ、強い発言力を持つようになりながら、昨今は藤吉郎とたびたび対立していた。
「お前はもうなにも言うな。茶人は茶を点てればいいのだ」
「三成はんも、わかっているのではおまへんか」
利休は静かに言う。大樹を思わせる、揺るぎない言葉。
「いったい、藤吉郎はんはどうしてしまったのか。すっかり人が変わってしまった」
藤吉郎は破竹の勢いで勢力を伸ばし、今では天下人と呼ばれる。三成は藤吉郎の天下を乱世の終息と信じていた。
諸国の戦乱は収まりつつある。代わって訪れた世は、野心をあらわにした藤吉郎の支配だった。民は苦しみ、国は荒れていく。
「藤吉郎様の夢は、私の夢だ」
内心に渦巻く疑念を抑え込む。
出会った時の藤吉郎から、いつしかなにかが失われたかのようだった。欠けているとしたらそれは。
考えないようにしている。
かき乱される思いの中、藤吉郎への忠義だけは変わらない。忠義心により、三成は支えられ、動かされていた。
「また茶会をご一緒したいものですわ」
「お前はすぐに余計な話を始める。藤吉郎様と軽々しく口を利くな」
利休は茶碗を手にした。
茶室の静寂が三成を鎮める。不意に口をついて出た。
「利休は、あやかしに茶の味がわかると思うか?」
顔を見合わせる。少しの沈黙を置いた。
「あやかしの客人をお迎えした時があります。飲んで頂けませんでしたわ」
茶会を思い出し、少し笑った。
「私も小僧のころに茶を出した。毒を入れておいたんだが」
「どく、毒?」
「冗談だ」
利休が驚く。三成は不機嫌な顔に戻る。
「飲まなかったのか。毒では死なないのか」
利休は細く息を吐いた。
「つまらない冗談はおやめなはれ」
「つまらないのはお前の話だ」
茶の湯は変わらなくとも、時は流れ移り変わる。縁を結んだ茶道に迷い人はもう戻れない。思い出にだけ残る姿は、香りのように立ち消えた。