赤い林檎を蹴飛ばしたら   作:d1199

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プロローグ
プロローグ


《良い? 皆は承認したけれど一人旅なんて私はまだ早すぎるって思ってる。いくらサーヴァントと張り合う存在でも、真也は“やり直して”まだ一歳なんだから。しかも陸路でアイルランドに行くなんて、酔狂を通り越してただの馬鹿だわ。計画・旅程に不満はあるけれどランサーは恩人で、なにより真也の熱意に折れたから渋々認めるの。でもこれだけは肝に銘じなさい。定期連絡は怠るな。ちゃんと一年で帰る事。予算の追加は認めない。家を頼るな。それともう一つ。勝手に死んだら今度は許さないから》

 

それは第五次聖杯戦争が終結した一年後の事。出発直前に義姉が彼に贈った言葉だった。新しい家の門で、新しい家族に見送られる中、彼女のみ家の中に居た。二階の窓から見える彼女に表情は無かった。行って来ますと、窓越しに一言告げて彼は出発した。彼女は最後まで厳しい姉という態度を貫き通したのである。ただ姿が見えなくなるまで、見えなくなっても気遣われていた事だけは彼にも理解出来た。二人が十八歳の時の事であった。

 

それから二年経ち真也は二〇歳となっていた。彼が歩くのは英国の地方都市だ。アイルランドからロンドンへと石畳の道路がずっと続く。この国では道も家も石だ。石造りの家は、白い壁、煉瓦色の壁色々だが、重く締め切った物言わぬ感覚は変わらない。石の文明は木の文明と違って残りやすく、一般住宅でも平気で一〇〇年越しはざらにある。一世紀前に作られた建築物が身近にある感覚は日本人にはとても新鮮味に映るだろう。だが真也にとってそれは何処か懐かしさを感じる空気だった。

 

(そういえば小さい頃ここに居たっけな)

 

真也にとって英国は初めてではなかった。記憶を遡ればこの石造りの町並みがあったのである。四歳まで居たこの国は生まれ故郷でもあるのだ。従って十六年ぶりの帰郷とも言えよう。

 

(なんでお袋は英国に居たんだか)

 

少し前に再会した母とは和解はしたものの、結局父親については聞けずじまいであった。彼の記憶に父親のビジョンはないが、よく抱きかかえられた事だけは朧気に覚えている。当時は眼鏡形状の魔眼封じがまだ無く、包帯形状の魔術礼装で代用していた為、世界の色などもちろん見える筈がなかった。千歳はそれを外す事を許さず、相当難儀したが、生まれてからそうなのであれば、彼にとって見える事がおかしかったのである。お陰で気配の察知はお手の物となったが、逆に目で物を見る能力を取り戻すのには相応の年月を要した。実のところ、義妹の姿をビジュアル的な意味で正しく視認したのは、二人が出会って3年後の事であった。

 

「Chinc!」

 

突如罵り言葉と共に飛んできた物は小石である。英国では人種差別がそれなりにあるのだった。ただ英国に限った話ではなく、移民政策をとっている欧州諸国はだいたい同じようなモノだろう。真也は右へ一歩ずれて、背後から飛んできた石を避けた。見る必要など無い、彼はそう言う人種なのだった。石を投げた数名の子供たちの、息を呑む声がする。己の肩越しに見せる彼の表情は笑顔と憤りが混じった、良く分からない表情だった。

 

「Chincじゃないやい。日本人だい」

「NINJA?!」

「違いますよ」

 

呆然とする子供たちに振り返る事なくピースサインを見せると、彼はスタスタと立ち去った。石を投げられた事など、早々に忘れてしまったようだ。

 

 

◆◆◆

 

 

そしてその町はあった。ロンドンから西へ三〇キロ、ヒースロー空港が近くにあり、テムズ川沿い。女王が居を構えるウィンザー城を見る事が出来るその場所に時計塔はあった。ロンドン郊外に位置する中世と近代の入り混じった街、四〇を超える学生寮〈カレッジ〉と百を超える学術棟と、そこに住む人々を潤す商業で成り立つ巨大な学園都市である。

 

この都市は大きく分けて二つに区切られる。一つは立ち入り制限のない区域でスーパー・スポーツジム・ダイナー・カフェ・一般生徒寮などがある。つまり許可を受けた一般人が存在する。もう一つは魔術師のみが許される区域である。学術棟、大規模実験場、図書館、特別生徒寮、公園。そして極秘の地下施設を有していた。一言で例えるならその規模はTDLクラスである。

 

「こりゃすごい」

 

右を向き左を向けば目新しいモノばかり。キョロキョロと目移り激しいその様は、殆どお上りさん状態であった。真也は大学どころか高校中退の身なのだ、無理もなかろう。時計塔の生徒であろう若者のグループが真也の横を胡散臭そうに通り過ぎた。

 

「Hellow♪」

 

彼は手を掲げて陽気に挨拶したが無視された。

 

「世知辛いね」

 

黒い長袖シャツに、黒い長ズボン、黒いブーツ。そして赤い外套、彼の恰好は殆どコスプレに近い。普通の感覚を持つ人物であれば、警戒は免れない恰好である。派手すぎる事は真也も承知していたが、生憎と義理の姉に強く申しつけられているので何ともならなかった。注目を浴びても恥ずかしくない言動をしろ、という意味だ。

 

浴びせられる奇異の視線をものともせず、真也は正面ゲートに向かった。ここから先が管理区域、つまり魔術師のみに立ち入りが許される場所である。門は中世欧州の城にありがちな、バロック建築の門であったが、そちらは使われていなかった。ゲートはその隣りに設けられた関所のような出入り口である。石と魔術で構成されているとは言え、そのイメージは電車の改札口だ。門の上方にガーゴイルの象が侵入者を見張っていた。いざとなればガーディアンに変化するのである。

 

警備員であろう守衛室の男が真也を胡散臭そうな目で見ていた。その警備員もまた魔術師であった。真也はポケットからクレジットカードサイズのパス(礼装)を取りだした。それはかつて義姉から手渡されたものである。石の改札機に宛がいそれに魔力を通せば門が開く。つまり彼は時計塔に登録されている魔術師だと言う事だ。

 

何か言いたそうな警備員を尻目に門を通り過ぎれば広大な公園に出迎えられた。正面に見える建物は中世の寺院の様だ。公園を囲むようにして群生する木々の向こうには学術棟と思わしき建物や、巨大な塔も見えた。公園を中心に塔の反対方向には天文観測所と思わしきドームも見える。いずれの建築物も、中世ヨーロッパを彷彿させる、ゴシック建築だ。生徒たちが現代衣装でないならば、タイムスリップして仕舞ったと勘違いしてしまうだろう。あちらこちらには一本足のテーブルとチェアーが置いてあり生徒たちが談笑していた。広大な敷地を自転車で移動する生徒も見かけられた。もはやキャンパスなのか、町なのか分らない。彼の印象は次の一言に尽きる。

 

「スゲー」

 

だがそれらはあくまで付随物だ。至る所にある濃密な魔力の波動に背負うバックパックも肩からずれ落ちた。

 

「冬木も凄かったけれど、ここの歪み具合は半端じゃないな」

 

毎晩何があってもおかしくない、実際に起こっている、それが当たり前の場所なのだった。

 

 

◆◆◆

 

 

彼が求めるものは事務・庶務の窓口だ。時計塔は魔術師に仕事の斡旋を行っているのである。生徒は報奨金得て、尚且つ経験と実績を作る事が出来る。時計塔は些末な問題を片付ける事が出来る。Win-Winの関係だ。ただその依頼地が遠方であった場合、少々扱いが面倒となる。生徒が遠く離れた地に赴く事は難しい。その為外部の魔術師にも斡旋しているのだった。

 

なのだがその窓口が見つからない。手近の赤煉瓦造りの建物に赴けば“ore adipiscing”と書かれていた。鉱石学部という意味だ。ラテン語というのがいやらしい。降霊学部、呪詛、考古学……ここはどうかと手当たり次第に当たれば見当違い。その建築物はアクセスの良いところにある、彼はそう踏んだのだが見つからない。生憎とその学園都市に街頭地図などなかった。

 

「むう」

 

そうこうしていると一人の男性と対面した。三〇歳前後で細身。背は高く、長く黒い髪を流していた。スーツ姿であったが全身黒一色。正確に言うならば、ジャケットは焦げ茶色に近いトープカラーであったが、大して変わらないだろう。唯一首から下げるマフラーは赤だが、オックスブラッドカラー、つまりどす黒い赤だ。西洋では家畜の血を門口に塗って魔除けにしたが、その意味も込められていた。英国のクラシックスタイルはシックだが、幾ら何でも重苦し過ぎではないか、と真也は考えた。注目するべきはその表情である。眉を寄せ、終始何かに苛立っている様であった。細面のハンサム顔が勿体ない、真也はそんな事も考えた。丁度良い、道を聞こうと話しかければ、その人物は一瞥を投げたのみで無言で通り過ぎた。真也の掲げた手のひらが虚しさを物語る。作った笑顔も、歪に痙攣する。

 

「ど、どいつもこいつも。礼節がなってない……」

 

その人物はロードエルメロイ二世。言わずと知れた現代魔術論のロードである。彼は立場上、三年前の第五次聖杯戦争の事を知っていた。つまりは真也を知っているのである。だが真也は彼を知らない。エルメロイが関わるまいと決めたならば自然、二人はすれ違うのみである。

 

建前上、人種差別はない時計塔だが日本人は別だった。贋作だろうと聖杯が有ると言うだけで、でかい顔をしている連中、というのが時計塔に住まう者の共通認識である。なぜ極東の島国に赴かねばならぬのか、欧州を拠点とする名門も悉く、苦渋を味わってきた事も一因である。三年前に破壊されたのだが、一度付いたイメージの払拭は難しい。

 

彼は東洋人らしからぬ容貌なのだが、それでも赤い外套など目立ちすぎた。バックパックなど背負っていては見るからに余所者である。加えて同年代、生徒によっては歳下になるだろう。従って。生徒に因縁を付けられたところでやむを得ないのである。

 

「やあ君。さっきから見てるけど、難儀してるじゃないか」

 

その声の主は若い学生だった。青い髪は天然パーマ。歳は若く、真也は同い年だろうと察しを付けた。三名の女学生を侍らせて、人を見下し、嘲笑めいた態度が気になったが、わざわざ腹を立てる事も無い。そう真也は気にも止めなかった。やっかいなのは、親切そうな悪人である。二年の旅で散々煮え湯を飲まされた真也にとって、目の前の少年は随分と素直に見えたのだった。ただ優越感に浸りたい。ただ権力を誇示したいとは随分と可愛らしい。もちろん、この境地に到達する為に、散々尻を叩かれた事は言うまでも無い。もちろんランサーの幻に、である。だもので真也は慇懃〈いんぎん〉に申し出た。

 

「ええ。実はそうなんですよ。仕事の斡旋窓口を探しているんです。教えて頂けると助かるのですが」

「へえ。外の魔術師の割には身の程を弁えているじゃないか。追いだしてやろうと思ったけれど、気が変わった。見ての通り女の子には困ってないんだけどさ、荷物を持たせる訳にはいかないだろ? 俺の小間使いになるなら、骨を折ってやっても良いぜ。もちろん、期間限定で良い」

 

さて困った。前の家名であれば散々へりくだり、用が済んでしまえば、無視して立ち去る事も出来た。だが今の家名は例え一瞬であろうとも、そう言う事が出来ないのである。命が掛かっているなら話は別だが、そういう状況でもない。よって彼はスタスタと立ち去った。つまりは無視だ。

 

「待てよ! 話は終わってない!」

「付き合う義理はありませんので」

「待てって言ってるだろ!」

 

渋々振り向けば、怒り出す寸前の体である。ただ辛うじて笑みのようなモノは浮かべていた。その男子生徒は自分の襟を摘まみ、強調させる。いやらしい手つきであった。

 

「この恰好を見て分らないのか? 俺は上級生として罰則を与える権限を持っているんだぜ?」

 

その同い年であろう男子生徒は赤いチョッキとグレーのスラックスを穿いていた。真也は少しうんざりしこう告げた。

 

「その権限を持つ者は“監督生”で、金のボタンがついたグレーのチョッキとグレーのスラックスを纏う。でも君は赤いチョッキとグレーのスラックスだ。つまり君は生徒会役員の“ポップ”でしょ?」

「よ、よく知ってるじゃないか」

 

臑〈すね〉を突かれ、引きつっていた。真也は義姉から聞いていたのだった。

 

「ポップでも監督生でも良いけれど、そもそも俺は生徒じゃない。優越感に浸りたいなら、余所を当たったってくれ」

「外部の魔術師が対等だとでも思っているのか!」

「君たちが時計塔というステータスを持っている事は知っている。ある程度は尊重もしよう。けれど、そういう態度なら“王の学徒”だろうと“監督生”だろうと“ポップ”だろうと、従う義理はないね」

 

真也が多少威圧を籠めて見下ろせば、その男子生徒も引っ込みが付かなくなった。

 

「いいぜ。そこまで言うなら覚悟はあるんだろ? お前の魔術の腕前試してやるよ」

 

その男子学生の首筋にある魔術刻印が唸り始めれば、付き添いの少女たちは小さく悲鳴を上げると、慌てて退いた。

 

「公衆の面前でか」

「知らないようだから教えてやるよ。本質的において俺ら魔術師は極める為なら、己の命すら省みない存在なんだぜ? なら血なまぐさくて当然だろ? ここはそんな俺らが集まる時計塔だ。こういういざこざは良くある。けどまあ手加減はしてやるから、安心しろよ」

 

気がつけば時計塔の学生と外部の魔術師の決闘だと野次馬が集まっていた。血なまぐさい見世物はどこでも人気なのだ、真也は溜息を付くばかりなり。

 

 

◆◆◆

 

 

その男子学生の属性は水だった。空気中の水分が男子学生の回りを走り出したのである。水の刃を持って、切り裂くか、貫くか、或いは気化させて熱を奪う。現象は幾らか考えられたが、目の前の男子学生は態度に見合う相応な腕を持っているらしい。真也は躊躇いを籠めて髪をかき上げると、覚悟を決めて背負っていた荷物を足下に置いた。向き直り、こう告げた。

 

「俺は不出来だがこれでも家名を背負ってるんだ。そこまで言うなら受けて立つ。けれど、よく考えろよ。大口叩いて大負けしたら、失脚だ」

「その余裕ぶった顔、切り刻んでやる」

 

一触即発の緊張を破った声があった。

 

「そこまでだ」

 

野次馬を割って現れたのはエルメロイだった。騒ぎを聞きつけ戻ってきたのである。最高潮の怒りに水を差されたとその男子学生は、憤りを隠さない。

 

「現代魔術論学部のロード様が何か様でしょうか? 俺は動物学部の生徒ですよ?」

「その発言は若気の至りと見逃そう。だが二度目は反逆罪を覚悟する事だ」

 

厳かな物言いに、その男子学生は嫌みったらしく舌打ちすると立ち去った。エルメロイが一瞥を投げると、野次馬達は一斉に散っていった。まきぞいを喰らってはたまらない、と言う事だ。そして彼は真也を見据えれば、一歩一歩静かに歩み寄る。

 

「時計塔の名誉の為に言っておく。確かに決闘紛いの事はままにあるが、それは真理を得る為に必要な場合にのみ、罰則を前提に認められるケースがあると言う事だ。今のように虚栄心を満たす場合は、それに当たらない」

「理解しています」

「結構だ。なら早々に立ち去ると良い」

「旅費とお土産代を稼ぎに来ました」

「騒動は御免だと言っている」

「仕事の斡旋を受けに来たんです。それもまた時計塔のシステムとして成り立つものです」

 

エルメロイは葉巻を取り出すと火をつけた。彼は周囲に人が居ない事を確認すると、幾分声のトーンを落としてこう告げた。

 

「君は立場が分っているのか。第五次聖杯戦争に関わった魔術師は時計塔では厄介事だ。タブーと言っても良い」

「知る者は殆ど居ない筈です」

「確かにそうだが噂は尽きない。その当事者が時計塔に存在するだけで争い事のタネとなる。治める者としてそれは看過出来ない。旅費を貸そう、それで手を打て」

「申し出はありがたいのですがお受け出来ません。借金はならぬと義姉に厳命されています故」

 

彼はふと義理の姉の姿を思い出した。あれから二年たったのだ。さぞ美しくなっただろう、そんな事を考えた。

 

(もう二〇歳だ。流石にあの髪型〈ツーサイドアップ〉は変えたか?)

 

想いを馳せる真也に対し、エルメロイは深々と煙を吐いた。それは溜息に他ならない。その煙も苛立ちを示すように、わだかまっていた。

 

「君はトオサカ=シンヤだったな」

「はい」

「君について聞かない、聞いてはならない事になっている。例え君が魔眼殺しを付けている事実を時計塔に隠していたとしてもな」

「お気遣い感謝します」

「だがこれは確認する必要がある。何故時計塔に来た。招かれざるとは思わなかったのか」

「実は、」

 

かくかくしかじか丸々。真也の説明を聞いたエルメロイは呆れを隠さない。

 

「世話になったサーヴァントへの挨拶のためアイルランドか。随分と熱を入れたものだな。ヒッチハイクで地球を半周とは」

「かく言う自分でも驚いています」

「男か、女か」

「男です。師でもあり戦友でもありました。楽をして会ってはならない、そう考えまして」

「君はその人物の有り様に感銘を受けた、と言う訳だな」

「いえ、説教されただけですよ。言いたいだけ言って、見返す機会も与えず、去って行った腹の立つ英霊でした。もうそれが叶わないなら、無事終わったと、せめて文句を言いに行かないと、そう思いました」

 

エルメロイの表情が緩んだ。真也の意見に共感してしまったのだ。彼もまた、同じだった為である。彼の脳裏に豪快な騎兵の姿が克明に蘇れば、彼は葉巻を一つ吹かすと、こう告げた。

 

「来たまえ。私が旅費を稼ぐまでの身元引受人となろう」

 

一転、融和な態度に戸惑いつつも真也は従う事にした。この人物の親切は本物だと、経験上そう感じ取ったのだった。

 

 

◆◆◆

 

 

エルメロイに連れてこられたその部屋は、現代魔術論学部学術棟の最上階にある、彼のオフィスだった。びっしりと詰まった本棚が並んでいるが、それでも尚その部屋は広かった。彼が向かう執務机は、教皇か或いは王が使いそうなウォールナット製の重厚な物だったが、広い部屋に、ぽつねんと置かれれば、どことなく滑稽さを感じさせた。

 

真也は胸を張り、足は肩幅に開き、組んだ両手は腰に添え、姿勢正しくエルメロイに向かった。彼はその机に両肘を置き、鼻先に組んだ拳を軽く宛がっていた。俗に言う司令官〈碇ゲンドウ〉のポーズである。彼は厳かに目の前の少年に告げた。

 

「私には金を贈呈する義務はない」

「そうでしょう」

「だから私が仕事の都合を付けよう」

 

しぶしぶの物言いだ。

 

「ありがとうございます」

「だが勘違いをするな。彷徨〈うろつ〉かれると困るだけだ」

「感謝感激です」

「君は外部の魔術師だが、君の身元は保証されている。これの意味は分るな?」

「十分に」

「だから私は君の保証人を引き受ける。君の振るまい如何によって私だけでなく君の家にも迷惑が掛かる。ゆめゆめ忘れない事だ」

「はい」

「ここに宿泊先と連絡先を書いてくれ」

 

彼はわら半紙と万年人を差し出した。真也はあっけらかんとこう言った。

 

「まだありません」

 

沈黙が訪れた。そしてエルメロイは目頭を押さえた。頭が痛い、と言っていた。どれ程この人物は手間を掛けるのか、とも語っている。

 

「何処に泊まるつもりだ」

「これから探します」

「あと二時間で本日の業務が終わる。隣部屋で待っていろ」

「都合を付けて頂けると?」

「温和しく待てないなら即刻追い出す」

「恩を仇で返す様な真似は致しません。いやもう、何から何まで、なんとお礼を言って良いのやら」

「宿泊費と迷惑料は報酬金から手数料として引かせて貰う、感謝する必要は無いな」

「感激のあまり泣いてしまいそうです」

 

エルメロイは机の上の電話のボタンを押すとこう言った。

 

「レディ、済まないが来てくれないか。二時間ほど君の時間を貸して欲しい」

 

 

◆◆◆

 

 

真也はエルメロイ教室に所属する生徒たちの研究室に居た。ありふれた長方形の部屋で扉を開けるとパーティッションと、応接用のソファーとローテーブルに出迎えられる。パーティッションの向こうが、生徒たちの研究区画だ。真也はその手前のソファーに腰掛けていた。

 

「……どうぞ」

「ありがとうございます」

 

彼に紅茶を差し出したのは“グレイ”という名の少女だった。ロードエルメロイの内弟子というその少女は、師匠によく似てとてもシックな装いだった。ファーの付いたショートコートは黒、タートルネックのニットも黒、チェックのプリーツスカートはアッシュグレイ、だがニーソックスも黒、ブーツも黒だ。シックといえば聞こえは良いが、この様に徹底されると喪服といっても過言では無かろうに、彼はそんな事を考えた。加えてフードを目深に被り、表情が伺えない。長い沈黙に、いたたまれなくなった真也は話しかけてみた。

 

「グレイさんはもう長いんですか?」

 

何年弟子をしているのか、と言う意味である。

 

「……」

 

彼女は俯いたままである。人見知りが激しいのか、それとも警戒しているのか、彼には良く分からない。

 

「ご出身はどちら?」

「……」

 

取り付く島がない。気まずい空気を誤魔化すように、彼はずずっと紅茶を啜った。義姉のイメージカラーはルビーレッド、義妹のイメージカラーはペールピンク、色々な意味で色が違えば、諸々の差が大きすぎ、接し方が分らない。

 

「……俺、ドーナッツが好きなんですけれど、近くに店とか知りませんか?」

「……」

(だめか)

 

落胆を飲込もうと、ティーカップを近づければ。

 

「CrossTownという店が近くにあります」

 

真也は意思疎通が図れたと内心ガッツポーズ。しっとりとした声に喜びも2倍だ。

 

「俺はオールドファッションとかシンプルな奴が好きなんですが、グレイさんは?」

「RockyRoadという賑やかなのが好きです。中に入ったラズベリージャムが秀逸なんです」

 

魔術に関わらない適当な話、それは概ね真也の旅の話であったが、グレイは反応が鈍くも興味深そうに聞いていた。そうこうしている間に、何名かの生徒たちが現れた。ある生徒は胡散臭そうに真也を見るのみである。またある生徒はグレイに説明を求めた。そして、ある生徒は真也を称賛した。真也が決闘紛いをした男子生徒と、対立している生徒だった。噂を聞きつけたのである。そして最後に現れた少年は礼儀正しかった。

 

「ジョナサン=スコットです」

 

プラチナブロンドの髪で赤と碧のオッドアイ。真也の一つ上の二一歳。男にしては背が低めで、華奢。ベイビーフェイスと相まって幼く見える。美少年、とはかくあるべきなのだろう、真也はそんな事を考えた。デニムパンツに襟付シャツ、そしてツイードジャケットを纏い、大人っぽさを演出しているのだろうが、ちぐはぐさを感じさせては台無しだろう。真也が丁寧に挨拶を返すと、彼もまた丁寧な挨拶で部屋の奥に引っ込んでいった。良いとこのお坊ちゃんなのだと真也は思った。暫く話しているとグレイはこんな事を言い出した。少々だが、緊張が解けたらしく、それは個人的な事であった。

 

「トオサカさんの出身はどちらですか?」

「出身国でしたら英国ですが、何処が故郷かと聞かれれば日本です」

「日本人ですか?」

「はい」

 

心の中で恐らくと付け加えた。その国名と民族名を聞いたグレイは、思わず部屋の時計を視た。

 

「トオサカさん、少し席を移動しましょう」

 

グレイのその表情を表現するならば懸念に尽きる。

 

「構いませんが、何故です」

「日本嫌いの方が居ますので念のためです。一階のロビーに移りましょう」

 

グレイの意外な強引さに戸惑いつつも、また騒ぎを起こすのもエルメロイに義理が立たない。彼女に従うまま、廊下へと続く扉を開けると、その日本嫌いの人物が立っていた。何の因果か鉢合わせである。真也が視線を下げると、こんじきの髪があった。琥珀の瞳もあった。鼻、唇、顎、希に見る非常に整った顔立ちだったが、目尻眉尻鋭く、意志の強さを感じさせた。纏うドレスはロイヤルブルー。立ち振る舞いも、力強さと優雅さと気品さを感じさせた。誰かの息を呑む音が聞こえた。その誰かとはグレイの物であり、何故こうも間が悪いのか、と嘆くかのようでもあった。その人物こそエルメロイ教室の名物生徒、ルヴィアゼリッタ=エーデルフェルト、その人であった。真也見上げるルヴィアの瞳は、宝石のように輝いていたが、とても鋭利であった。これはまた滅法な美人さんだ、彼はそう思ったが、生憎と美人に慣れていた。

 

(ライダーより下、キャスターより下、桜より下は決まっている。葵さんもそう、凛には敵うべくもないな、うん)

 

サーヴァントを除き、尚且つ客観的に評価するならば、遠坂の女性陣よりルヴィアの方が上であろう。それを認めなかったのは身内びいきである。もちろん口になど出さなかった。一瞬の邂逅。ルヴィアの言葉と、彼が身を引いたのは同時であった。

 

「退いて下さらない?」

「失敬。どうぞ」

 

高級ホテルのボウイのような真也の促しに、颯爽と美しさを流すルヴィアは、どうしたことか彼の目の前でピタリと足を止めた。腕を組み、ジロリと睨み上げた。彼女は真也の真紅の外套が気に入らなかったのである。あの苛立たしい女と同じ色だ。これが私だと言わんばかりの、忌々しい赤。それは彼女の尊厳をいたく揺さぶったのである。よってその言葉が刺々しくとも無理はない。

 

「部外者が何用かしら」

「私は確かに部外者ですが、ロード=エルメロイ二世に許可を頂いています」

 

傍に立つグレイをみれば、彼女は無言で肯定した。だがルヴィアの態度はそれがどうしたと言わんばかりであった。

 

「ここは私の所属する教室です、騒動を起こされては堪りませんわ。早々に立ち去りなさい。無法者など冗談ではありませんから」

 

ルヴィアは真也の容貌から、決闘騒ぎの片棒だと察しを付けたのである。

 

「その様です。ミス=グレイの忠告に従って撤退するとします。失礼」

 

真也はバックパックを担ぎ上げると、彼女の目の前を堂々と通り過ぎた。だがどういう事だろう。彼の背に投げた彼女の声は一転、鈴の音の様だった

 

「貴方のお名前は?」

「お嬢様がお気に掛ける存在ではありませんから」

「それは私が決めます。名乗りなさい」

 

実際の所、ルヴィアに興味など無かった。ただ尊大な物言いをしたにも関わらず、目の前の人物は礼儀を徹した。名前ぐらい聞いてやろう、そう思ったのである。だが当の真也はそれどころではなかった。エルメロイにあそこまで突っかかれた事実を垣間見るに、家名を出して良いのか非常に躊躇った。誤魔化せば後々問題になるかもしれない、だが誤魔化す方がここでは賢明だ。だがしかし、結局彼は名を告げる事にした。そもそも誤魔化す理由など、やましい事は無いのだ。第一その様な真似をすれば義理の姉に怒られる。その為の真紅の外套だ。一拍。彼は振り返り、ルヴィアを見据え、こう告げた。

 

「“トオサカ”シンヤです」

 

そう彼は言ってしまったのだった。

 

「ト・オ・サ・カ?」

 

案の定、その端正な顔に影が差した。

 

「なにか、ご不満な点でも?」

「あのトオサカですの?」

「どのトオサカを仰っているか存じませんが、同じ家名は人の数だけあるでしょう」

「トオサカ=リンとはどのようなご関係かしら」

 

退路は断たれた。重い唇から紡がれた真也の言葉は、始まりの呪文となったのである。

 

「……姉です」

 

空気の変わる音がした。地雷を踏んだ音かもしれないし、逆鱗に触れた音かもしれない。どちらでも構わないが、日本にいるであろう義理の姉は、目の前のお嬢様に一体何をしたのか、彼はそう恨み言を言いたくなった。

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