赤い林檎を蹴飛ばしたら 作:d1199
突入〈作戦実行〉である。フリントカラーの重苦しい扉を開ければそこは広間だった。この邸宅はVの字構造だ。その結合部分には円形の部屋があった。広さ自体は大規模プラネタリウムほど。天井までの高さは約三メートル。
「極力手の内を晒さずに済ませたいんだけれど……instruere〈展開〉」
真也の開放の言葉と共に左腕のガントレットが霊刀となす。床一面には召喚の魔法陣が広がり光を帯びていた。つまりは稼働中と言う事だ。
その殺風景な石造りの間には人間が居なかった。それどころかネズミ一匹居はしない。だがどういう事だろう。一つの黒いわだかまりが魔法陣の中心に浮かんでいたのである。一般人なら視認する事すら叶わないそれに向けて、真也は一歩踏み出した。霊刀の蒼い光を浴びたそれは怯んだ様に蠢いた。魔法陣の中に侵入し、一歩、また一歩、歩み寄る。そのわだかまりまで自家用車二台分となった時、そのわだかまりは突如人の顔を持った。恐れ、怒り、妬み、憎しみ、悲しみ、負の力を顕現したそれは真也に襲いかかり、そして一刀のもとに斬り捨てられた。真っ二つになったそれは崩れる様に消えた。燃えた紙片が灰となり、上昇気流に炙られ崩れるかの様だった。静まりかえったその部屋で真也は油断無く視線を走らせた。
(妙だ。小手調べだとしても脆すぎる)
一般魔術師でも十分対応出来る仕掛けをあのヘルメスがするだろうか。その直後。真也は右舷に居たわだかまりを斬り捨てた。その次は左だ、斬り捨てた。続けて背後と右舷、腕の振りのみで斬り捨てた。更に右に一体、左に二体、前に一体、頭上に二体。同時に顕われた六体のわだかまりは一斉に襲いかかった。本能か、それとも使役によるモノか、それらは同時攻撃という手段を持っていた。
「……っ!」
真也は持ち前の敏捷性を活かし、最も離れたそれに肉薄した。彼の意図はそれらの攻撃からタイミングを奪う事、つまりは同時攻撃の無効化である。一刀目は、十時から四時の方向に打ち、二体を同時に斬り捨てた。シフトウェイト、足運びと上肢の動きで腕の基点を決める。基点を中心に走る刃は、迫り来る四体を瞬く間に斬り捨てた。計六体調伏、殲滅完了。だが真也の目の前に十体のわだかまりが漂っていた。
「……」
これは一体どうした事か。霊を召喚するのは良い。だが何故次から次へと顕われる。真也がその十体を屠った時、もう十体増えていた。その十体を屠る間に、更に十体増えていた。二〇体、三〇体、四〇,五〇、底が見えない。背中より強襲する気配がある。彼はそれを気にせず前方のわだかまりを斬り捨てた。進路変更一八〇度。囲まれるのを防ぐ為、向かいくるわだかまりの群を飛び越し、着地した。結果は変わらず囲まれた。霊刀が唸りを上げる。鞘の重さでバランスを取りコマの様に回転すると、周囲のそれらを斬り捨てた。かつてキャスターと対峙していた時、竜牙兵を殲滅させた技である。
わだかまりは怒濤の様に押し寄せた。真也は突入ボルトの様に突貫し撃破した。跳躍し、空中のそれを撃破した。着地し更に撃破。撃破、撃破、撃破、そして撃破。敏捷を活かし、剣技を活かし、気配読みを活かし、戦闘経験を活かし。一刀ににつき、一つである筈の斬撃という名の軌跡は、縦横無尽に宙を斬り裂いた。それは網目の様で陰陽道の九字切りに似ていた。ただ数は多く、平面ではなく曲面を描いていた。丁度プラネタリウムのドームに格子が映し出されている要領だ。
真也の神速の斬撃ですら、一刻の時間を稼いだのみだ。気がつけば魔法陣の内側には夥しい数のわだかまりがあった。数えるのも面倒なそれらは真也が攻撃し終わった瞬間に押し寄せた。四方八方から津波が押し寄せる感覚だ。真也は押し切られた。生きたかった、死にたくない、苦しい、俺の頭を返せ、お母さんどこ、ここは寒いよ。一つ一つのわだかまりが持つ思念に押し潰される。それは泥玉を叩き付けられ、身動きが取れなくなっていく感覚でもあり。もしくは浴びせられたゲルが固まり、身動きが取れなくなる感覚でもあった。
“お前の身体を寄越せ。暖かい血と肉の身体を寄越せ”
それらは未練を残し、苦しみもがき、絶望の中死んでいった人達の無念。そのわだかまりとは怨霊だった。
(違う)
怨霊に塗れた真也はそれに気がついた。動物霊、人間霊、悪霊、或いは天使。魔法陣を用い霊体を呼び出すのはありふれた術だ。降霊学部では日常的に行っているだろう。リバプールで見た術式も同様。規模は異なるがサーヴァントの召喚も同じ。共通点は、魔法陣一つに霊一体が原則と言う事だ。
つまり、この魔法陣は召喚ではなく、この地に縛られた霊たちを追い立てている。肉体という彼らが無くしてしまったモノへの執念を利用しているだけだ。ならば。真也は魔力を練り、波という形を持たせた。彼を基点に迸るそれは衝撃波となり、直近の怨霊を滅ぼした。その他は弾き飛ばした。その隙に乗じ真也は霊刀を逆手に持つと魔力を籠め床に突き立てた。硝子の割れた様な音がした。その部屋の床に刻まれた魔法陣は、真也の功性魔力の衝撃に抗えず崩壊した。魔法陣より供給されていた魔力が断たれた彼らは掻き消えた。立ち上る煙が風にまかれ消えていく様だ。
あるべき姿に戻ったその部屋に、手の平同士を打ち鳴らす音があった。パチパチと滑稽さを感じさせつつも、賞賛を惜しまない拍手であった。真也が振り向けば、二階へと続く扉の前にヘルメスが立っていた。
「いや、痛快痛快。身体強化を使うと聞いていたが、相応の魔力も持っている様だな。魔法陣を刻んだ床ごと強引に破壊する。その様な方法で無効化するとは、正直予想の斜め上だ」
真也は刀を納めた。
「招待しておいて罠を仕掛けるとは、困ったお方です」
「余興だと思ってくれ。俺の名〈トリス〉が表す通り、この先あと二体の仇なす者が君を待ち受ける」
「閣下、それは今時少年漫画でも流行らない展開ですよ」
「言っただろう? 我々魔術師は過去に向かうモノだと。俺は最上階の奥の間で君の到着を待つとしよう」
◆◆◆
ヘルメスが消えた扉を開けると、上に向かう階段があった。登り切るとまた扉があった。建物の外観から構造を察するに、一階と同じ作りの部屋がその扉の向こうにある筈だ。
「確定。閣下はMANGAを読むに違いない」
ぼやきながらも真也が扉を開けると、四つの香炉が見えた。火鉢に似たそれはウォーターサーバーほどの高さがあった。そしてそれはお世辞にも良い匂いではなかった。
「あやしい」
香炉とは魔術儀式に用いる道具の一つだ。術者自身への効果を狙うものもあれば、召喚体への効果を狙うものもある。臭い匂いは臭い物を呼び寄せる。二階の召喚体は、一階の怨霊と毛色が異なるらしい。真也がグルリと部屋を見渡すと、その部屋に刻まれた魔法陣が視認出来た。つまりは発動中という訳だ。魔法陣の内訳は次の通り。
・東南:YHWH
・南西:AHIH
・西北:ALIVN
・北東:ALH
以上の四方に刻まれた力のシンボルの他に、アレフ、ベート、ギーメル、と言った古の神の言語、つまりヘブライ語が刻まれていた。解析する真也の表情は優れない。
(はてな。ヘルメス=トリスメギストスといえば古代ギリシア語の筈。それに拘束、憑依、使役……憑依?)
待ち受ける敵は霊体、それが真也の見立てだった。なぜ憑依のシンボルがあるのか。
(トリスメギストス様、何か隠し球を持ってるな)
真也は抜刀すると魔法陣の中心で立ち止まった。そしてこう告げた。
「出てこいよ。居るんだろ」
返答は無かった。ただ冷たい石の間が広がるのみである。
「ハッタリだと思ってるならお生憎。そこだ。その香炉の左隣」
その時何かが蠢いた。
「あら。本当に気づいていたの。つまらない男の子ね」
光学迷彩を解いたかの様に顕われたそれは馬に乗った女だった。女は鼻筋鋭く、目尻はつり上がり、長い髪は獅子の縦髪。全体的に薄着で、申し分程度の衣類と鎧を纏っていた。馬には眼球がなく、その代わりに額から一角獣ばりの角が伸びていた。その姿を例えるなら、死んだユニコーンに乗ったアマゾネスである。当然、それが纏う雰囲気は真っ当では無かった。カポリと蹄の音が鳴った。真也は対峙するそれを見定め様としていた。
「召喚式にそんな要素は無かったのに、一体どうやって肉の身体を手に入れた。なにより受肉できる程の魔力をどうやって持ってきた」
「なかなかの観察眼と言いたいけれどお生憎様。真実を知る者は召喚主だけ。早速だけれど、古の契約に基づき死んで貰うわ」
(古の契約? 加持による召喚って事か)
その女は馬に腹に蹴りを入れると真也に向けて突進した。その速度は真也の予想を上回っていた。真也と同じ敏捷性だったのである。彼はとっさに左方向へ跳躍し、回避成功。躱せたのは心眼の恩恵だ。真也は全キャパシティを回避に費やした為、姿勢制御はそれなりだった。目の前にある床に左手を宛がい支えとすれば、その床を激しく押し返した。左腕一本で跳躍すれば部屋の隅にすわやと着地した。その様は床上体操の如く。奇術師の様な回避であったが、真也の表情は優れない。
(この速度、サーヴァント級だ。何者だコイツ)
手綱を引き、向き直ったその女は不愉快を隠さない。
「仕留め損なうなんて。あたしに気づいた事といい忌々しいわね。ただの人間のクセに」
「ま、人間では無いのは見た通りか」
真也が油断無く構えていると、時間のみが過ぎていった。その女は首を傾げ、見下した様な笑みを浮かべるのみだ。真也の立ち位置は魔法陣の一歩外だった。
(そう、この魔法陣からは出られないのか。さてどうする。このヘンテコはライダーの劣化版と言ったところ。でも敏捷は侮りがたい。拘束術式を解除すれば楽に進めるが閣下に手の内をバラすのは極力避けたい……)
目の前の女を倒せば敵は残り一体。その一体も同規模の力だと見積もれば……そこまで考えた真也はふらりと魔法陣に踏み入った。彼の判断は現状戦力での打倒だ。女が跨ぐ角馬がブルルと嘶いた。
「あらあら。可愛いのね。どうやって挑発しようか困ってたのよ」
「迂回も出来るけれど閣下、アンタの召喚主との勝負なんだ。それは幾ら何でも格好が付かない」
「意地を張る男の子は嫌いじゃないわ。でもその意地を折る事はもっとスキ」
ライダーの劣化版とはいえ、その速力は侮れない。その上で真也は勝算を立てた。この相手は死を臭わすが戦闘型ではない、そう踏んだのだった。刀を返せばカチャリと音が立つ。その刃は馬の首を狙っていた。将を射んと欲すれば先ず馬を射よ、と言う事だ。好都合にも騎乗の女は無手である。宝具の類を隠し持ち展開するにしても、敏捷Bの者同士が向かい合えばその相対速度差は相応の物になる。得物の展開時間など無いに等しい。
真也は切っ先を後方下に向けた。それは脇構えである。相手の下半身を狙うのに有効とされ、この場合騎乗者の下半身とは馬に他ならない。馬を射る、と言う事だ。真也は踏み込み、その女は馬の腹を蹴った。敏捷Bの二人が生み出す相対速度は、常人では捕らえきれない疾風である。視力を強化した魔術師でも不可能だろう。詰まる間合い。真也の殺意が迸り、女の唇が大きく歪んだ時だ。彼の身体が何の前触れもなく重くなった。それは真也の間合い二歩外だった。
(重圧?!)
「お馬鹿さん♪」
真也のステータスが低下したのである。
・筋力:C→D
・耐久:D→E
・敏捷:B→C
・魔力:C
・幸運:C
彼の目の前に馬の角が迫る。移動方向を変えるのはもう不可能だ。彼は意図的に足の力を抜き身体を捻った。馬の角は真也の左肩を抉り、その突進は彼の左半身を捕らえた。真也の身体は錐揉みしながら部屋の壁に叩き付けられた。耳を切り裂く様な激突音が部屋に響き渡る。見れば壁に穴が開き、壁だった石財が崩れ山となっていた。女に高揚とした笑みが浮かぶ。性的絶頂〈オルガスムス〉を感じていたのであった。数刻。崩れ落ちた石で作られた山がゴソリと動いた。真也である。石を払いのけつつこう言った。
「その重圧が距離に因るモノでなかったならヤバかったな」
一転、その女は不愉快さを隠さない。汚物でも見るかの様だ。
「ムカツク男の子だわ。一度ならず二度までもあたしを凌ぐなんて。アンタ、本当に人間?」
「運が良かっただけだ。多分」
真也の幸運はC。その女はFである。
「そうみたい。でなきゃ今頃死体よ」
真也の左肩は馬の角に抉られていた。力が入らず左腕がだらりとぶら下がっている。働く筈の治癒術が始まらない。
「そう、呪詛を帯びた攻撃か」
「特別に教えてあげるわ“棺桶(hoarse)”って言うの。でもこれでお仕舞い。あたしに近づけばアンタの能力は落ちる。何度でも躱すと良いわ。右足、左足、右腕をゆっくりと確実に、愛撫する様に嬲って抉る。そしてその心臓をえぐり出す。肉塊をあたしの前に晒しなさい。そして床に染みこむ程、踏みつぶしてあげる。理解出来る? つまりはミンチって事よ」
だが真也は話を聞いていなかった。
「守護神ヘカテーに願い奉る―」
それは拘束術式を解放する呪文だ。馬上の女は不愉快そうな顔をした。これ以上無い程だ。
「なにそれ。女の攻略を他の女に頼むなんてサイテー。しかも悪趣味だわ。助産婦のババアじゃない」
「さてどうかな。案外ツインテのツンデレ美少女かもしれないぞ」
「ツインテとか、ツンデレとか。訳の分からないコトを言いつつニヤけるなんて、正直キモいわ」
「そういうニヤケじゃないんだけどな。ていうかさ、女の人同士の争いは人間でさえおっかないんだ。何処の誰か知らないけれど、キャスターに刻まれたシンボルが痛い程に疼くから彼女を挑発するのは止めろ。今ひとつ。この左胸に収まる心臓は借り物でね、持ち主から勝手に捨てる事を禁じられてる。もちろん委譲も駄目だ。だからアンタの様なはすっぱ如きに渡す訳にはいかない」
「あーあ。キモイ。ブツブツくどいし、キモイしウザい。もう飽きちゃった。だからもう……死ね」
「今の顔が一番好ましいね」
それが合図だった。真也は床の石を砕く程に踏み込むと、女も悪鬼の形相で駆け出した。一瞬きに満たない時間の後、その女と馬の首が宙を舞っていた。その首は受け損なったお手玉の様に床に落ちた。二つの胴は数歩歩いた後“どぅ”とけたたましい音を立てて倒れた。骸となったそれは首の無い一体のヒトガタになっていた。一糸まとわぬそれは整った容貌だが生物らしい汚さがなかった。呪詛の根源が消滅し傷の再生が始まった。彼がその左肩の傷を庇いながら、その骸を調べると。
「やってくれる」
そう呟いた。ヘルメスは魂の無いホムンクルスの身体に、降霊術で呼び出した魂を込めたのだった。錬金術、占星術、神働術〈降霊術〉に精通する、三重に偉大な者の真骨頂と言えるだろう。
(見事と言いたいが、一体何の霊を使った?)
女の霊圧は真也がリバプールで倒した、低級悪魔の比ではなかった。使役出来ない以上、天使の訳が無い。英霊かとも考えたが、真也はそれを否定した。冬木の英霊召喚システムは六〇年分の膨大な魔力を蓄積し、英霊の座に居る本体を複写して実体化させる半魔法の高度なシステムだ。如何にヘルメスと言えども再現は出来まい。では。
「まさか。閣下は悪魔と契約したのか」
真也は握り手に力を籠めた。真也は身体の再生が終わるのを辛抱強く待った後、最上階へと続く階段へ向かった。
◆◆◆
最上階の間で待ち受けていたモノは豹頭のヒトガタだった。ただ二階の女と異なり真っ当な出で立ちだ。ロングコートはサンドベージュカラーで裾は深くおり曲がっていた。色を除けば古き良き英国の、海軍提督の仕立てだ。ホワイトの襟付きシャツは清潔感を出していた。茶系に染まる事を嫌ったのか、オリエンタルブルーのマフラーでアクセントを付けていた。ベージュのパンツは動きやすさを重視するゆったりとしたモノだ。頑丈なブーツの丈は臑の中程を超えていた。褐色のベルトは、重い武器でもぶら下げられそうな程に幅広で分厚かった。事実、二振りの片手剣が両腰から釣り下げられていた。その姿を例えるなら正装した十九世紀の探検家である。インディー=ジョーンズ、もしくはハムナプトラのリック=オコーネルだ。それ豹頭の余りにも洗練された出で立ちに、真也は少し嫉妬した。先の二つ映画やパイレーツ オブ カリビアンを初めとした、時代設定は彼の好きなジャンルなのである。だもので、その口調には少々棘があった。
「堂々と待ち構えているとは思わなかった」
真也は堂々と魔法陣に踏み行った。
「騎士道とは我々堕天使が人間に伝えた概念だ。我々がそれに準じるのは当然だろう?」
「そーだったな。エチオピアのエノク書じゃ堕天使が人間に争いを教えたって言ってる」
「我々が与えたのは自身を磨くための競争だった。それを欲望という殺戮に変えたのは人間だ。勘違いなどしてくれるな愚かな人間よ」
「へっ」
「何かおかしい事を言ったか?」
「いや、人間扱いされるのって珍しいから。いつもバケモノって言われる」
「なるほどな。壱の者、弐の者を倒したならば、君は人の形をした他の何か、と言う事か」
「早々に言い直すなよ。喜び損じゃないか」
「何者だ」
「さてね。名前は持ってるけれど、何者かについては答えられない。俺自身知らないから」
その豹頭は両腰の剣を抜いた。二刀流だった。その剣は幅広で切っ先は鋭利に尖っていた。形状はローマのグラディウスに近いが、その刀身は一メートル程もあった。人間が片手で振るうには難しい重量級の剣だった。
「英霊だろうが反英霊だろうが、墜ちるつもりなら勧めはしないがね。召還者に扱き使われるだけの末路だ」
「ご忠告痛み入るが主は自分で決める。それが叶わないなら素直に消滅するさ」
真也も抜刀すると“しゃらん”と硝子の様な音がした。ネコ科特有の短い尖った耳がピクと動いた。真也が言う。
「退くつもりは?」
「古の契約に基づき不本意ながら召喚に応じた訳だが、戦わずして退くという趣味は持ち合せていないものでね。君はどうだか知らないが」
(騎士道精神に皮肉めいた口調、アーチャーの皮を被ったセイバーってところか)
二人は駆け出し間合いを詰めた。
◆◆◆
二刀流と言っても、二振り同時に振るう事は無い。戦闘時に於ける身体の動きを考えれば簡単だ。二刀だろうと一刀だろうと、体重〈突進力〉、腕力、そして運動量。この三つを組み合わせて剣の威と成す。実際に二刀持ってみれば分るだろう。右手の剣に、肩と体重を載せて打てば、右腕と左腕が両肩で繋がる以上左手の剣は退かざるを得ない。つまり二刀流は、交互連撃に因る速力が基本となる。真也は拘束解除状態、ランサーとほぼ同等だ。豹頭の敏捷はC。真也はB。敏捷に勝る真也にとっては、対して意味を持たなかった。打ち込むのは一撃のみで良い。
豹頭まであと一歩という所だった。突然真也のステータスが一ランク落ちた。
「っ!」
それは重圧では無かった。その感覚を強いて言うなら、管理者権限で能力が落とされた、それが近いだろう。
豹頭
・筋力:B
・耐久:C
・敏捷:C
・魔力:B
・幸運:A
真也
・筋力:B→C
・耐久:C→D
・敏捷:A→B
・魔力:A→B
・幸運:C
である。突如能力が落ちた影響で彼の姿勢が乱れた。目の前に豹頭の刃が迫る。低下はしたものの敏捷は今なお真也が一ランク上だ。彼は一つ舌を打つと一ランク上の敏捷を活かし、豹頭の斬撃を身体捌きだけを以て躱した。予想外の状況に真也はやり過ごしてしまった。この時、攻撃するべきだったのだ。攻撃出来る時には攻撃するべきだ、敢えて見逃す理由は無い。だが余りにも不可解な現象に彼は囚われた。やり過ごし姿勢を整えれば、切っ先を右下に、下段の構え。
(重圧? 固有結界? ……違う。なんだ?)
油断無く構えるものの、真也の表情は冴えない。一方、豹頭の悪魔は見定めようと目を細めた。当の真也自身が戸惑っている事に気がついたのである。豹頭はその上でその意味を己自身に問いかけた。
「これはどういう事か。君は私の影響を受け、能力を落とした。だが私に重圧など、他者の能力に影響を及ぼす能力は無い。フェイントかと思ったがそうでも無いらしい。つまりは、君と私の因果関係と言う事になる訳だが」
ネコ科特有の鋭い瞳は真也を舐る様だ。
「己の正体を知らない、そう言ったな。君は―」
「今更だ。今更知りたくなど無い。だから……黙れ」
真也は最大戦力で踏み込んだ。彼の次手は全力攻撃だった。真也が魔眼殺しを装備している以上、豹頭は魔眼を持っていない。外部からのプレッシャー、つまり重圧でも無い。忌々しくも思いながら、因果関係という豹頭の推察に真也は同意した。ただ言えることは近づくと能力が落ちる事のみ。得体が知れない、余裕が無い。だが一ランクダウンならまだ余裕がある、そう判断したのであった。だがその影響は更に強くなった。豹頭がその効果を自覚した為である。ただそれは、豹頭自身が知らない己の存在を自覚しようとする事でもあった。真也の能力が更に落ちた。
(なっ!?)
豹頭
・筋力:B
・耐久:C
・敏捷:C
・魔力:B
・幸運:A
真也
・筋力:B→C→D
・耐久:C→D→E
・敏捷:A→B→C
・魔力:A→B→C
・幸運:C
二ランクダウン。それは戦闘限界だ。辛うじて敏捷で逼迫できる程度である。つまり、一発食らえば後がない。豹頭の打った右手の斬撃が真也を襲う。真也にとって今や強大となった豹頭の一撃を霊刀を掲げ辛うじていなす。刃同士がぶつかり合い、擦れ合い火花が散った。“ぢゃりん”と耳障りな音を立てた。その一撃は“軽かった”
(しまった!)
豹頭の右の一刀は攻撃ではなく、真也を床に押しつける一刀だった。“ぎちり”滑らした刃を途中で止め、その刃に力を籠めた。筋力Dとなった真也には豹頭の筋力Bに堪えきれず腰が落ちた。支えるが手一杯だ、これでは回避もままならない。豹頭の第一刀は真也の足を止める為のブラフだったのである。筋力も耐久も勝る以上、万が一攻撃を受けても立て直せると踏んだのだ。つまりは二撃目、左手が本命である。今の真也にそれを躱す事叶わず。この星の瞬きに満たない時間の後にやってくる結末は敗北という死である。
それは反射的行動だったのか、本能的だったのか。真也は腕の力を抜くと刃を滑らせた。豹頭の押さえを利用して真也は踏み込んだ。それに敏捷Cが加算される。間合いを外された豹頭の斬撃は空を切った。だが、その筋力Bを誇る豹頭の左腕が直撃だ。ラリアットの要領である。真也のガードである右腕は一の腕つまり、橈骨・尺骨ごとへし折れた。その衝撃は肋骨に伝わり、右の八番九番をへし折った。その挙げ句真也は吹き飛ばされた。床に叩き付けられ、床を転がる様はパンクした自動車というよりは、四角い車輪で強引に走る自動車の様な激しさだった。転がりに転がり続け、最後は壁に叩き付けられた。大ダメージ発生。
◆◆◆
数刻が過ぎた。終わったか、そう豹頭が剣を納刀しようとした時である。真也はふらりと立ち上がった。
「が、がはっ!」
そして血を吐いた。折れた肋骨が右肺に刺さっていた。その他の内蔵も損傷を負っていた。左腕に力が入らない。脱臼していた。右腕は言うまでも無く骨折していた。床に叩き付けられた衝撃で、肋骨も左の十番から十二番が折れていた。満身創痍の真也は左肩を壁に叩き付けた。
「ぐぅぅぅぅっ!」
肩関節を強引にはめ込んだのだ。豹頭から離れた事で能力が戻り、身体を強引に動かした。だが痛みは健在だ。全身を襲う痛みに苛まれる。十分程の悶絶は、彼にとって無限とも思える時間だった。彼は壁を頭突き、その痛みを以て戦闘復帰の基点とした。のそりと立ち上がる。彼の魔術は“身体能力を超える現象の発生”だ。例え手足が折れていようが、戦う事が出来るのだった。但し、痛みは相応である。つまり治癒は後回しだ。額から流れた血が、真紅の外套を染め上げる。その真紅の外套は、己の血で染まり赤くなったのか、豹頭はそんな事を考えた。
「見事な闘志と言いたいが、それは蛮勇と言うものだ」
「まだだ。まだ終わってない」
「敢えて苦しみを選ぶか。まぁ良かろう。死に所を選ぶのも戦士の権利だ」
「へっ」
「二度目だが、何かおかしい事を言ったか?」
「教えてやる。第五次聖杯戦争はこんなもんじゃなかった。実際俺は二度死んだからな」
脇腹を抉られたギルガメッシュ1st戦と、士郎に心臓を貫かれた事を言っていた。
「死にかけた事なんて数えた事すら無い」
だが何とする。霊体を拘束する魔法陣は殺せない。殺してしまえば、この豹頭を世に放つ恐れがある。距離を取った事によって能力は戻っているがダメージは健在だ。
「……」
仕方が無いと真也は眼鏡を取った。双眸が蒼く光る。真也は切り札は直死の魔眼。豹頭は目を細めた。
「ほぅ。魔眼か」
魔眼は大きく分けて二つある。後天的なモノを虹の魔眼と呼び、魅了、幻惑、吸収、透視などがある。先天的なモノを宝石の魔眼と呼ぶ。テレキネシスに似た無機物魅了、未来死、過去視、直死、そして隷属〈物質変換〉が列挙される。豹頭は顎を己の指で撫でた。画展で新人の作品を評価する目つきだ。
「この邪気から察するに相当なモノだが。はてさて一体何の魔眼か。神の力とも言える隷属は有り得ないだろうから……石化、違うな。石化ならば見られている時点で影響を受ける筈だからな。過去を見たところで意味はあるまい。未来視は変えられる未来視と変えられない未来視があるが、召喚主の目を気にするならば、それを今更持ち出す理由は無い。ならば直死か?」
彼は骨折し内蔵を損傷している身体を、魔術を以て強引に動かした。踏み込んだ。全身に激痛が走る。
「痛ぅぅぅっ!」
「愚か者め!」
豹頭は嘲笑した。刃が届かねば意味が無い。接近すれば真也の能力は落ちる。そこを仕留めれば終いだ。だがその豹頭の判断こそが真也の狙いだった。直死の魔眼という切り札を出せば、当然それを使うと考える。豹頭の影響下に入るその直前、真也は右手の霊刀を投擲した。筋力Bの生み出したその投擲は音速を超えた。豹頭は砲弾のような一撃を辛うじて凌いだが、意表を突かれた事もあり、その姿勢を大きく崩した。そしてそれは隙となる。真也は駆けるのではなく、床を滑る様に跳躍した。
豹頭の影響下に入り真也の能力が落ちるが、跳躍により踏み込み速度は維持していた。仕込みは最終段階だ。もたもたしていると、身体を動かす事すらままならなくなる。真也は右手の袖に隠したナイフを取り出した。二人の間合いは至近距離。豹頭は態勢を戻し切れておらず、僅かに上肢を逸らしていた。真也は姿勢を下げ、右手のナイフを下方から胸の中心に向かって突き立てた。ちょうど第四のチャクラと言われる部位だ。豹騎士の死の点を狙う。
命を賭けたその刹那。打ち込んだ真也のナイフは点を逸れていた。幸運の差が影響したのである。豹騎士はA、真也はCだ。激突、それはラグビーのタックルより激しかった。豹騎士は踏み堪えると、真也の身体を両手で持ち上げ、そのまま床に叩き付けた。その威力は強大で床の石が砕け身体がめり込んだ。真也は声すら出せない。クロールの息継ぎの様に、めり込んだ岩の窪みから、顔を半分覗かせれば、霞む視界の中に豹頭が掲げる刀身が見えた。身体などもう動かない。
“済まない”
彼が主と家族に謝った時だ。
“これは驚いた”
薄れる意識と視界の中でさえその事実は真也をいたく驚かせた。豹頭の姿がブレ、誰かと重なっていた。それが紡いだ言葉は英語ではなくルーンの言葉だった。
『異教に魔神と貶められたこの際に、この様な若き戦士と相まみえようとは』
真也は息も絶え絶えだ。
「何を言っている。申し訳ないけれど悪魔に褒められたくはない。あくまにも、ない」
『若き戦士。我をよく見よ。その天晴たる知恵を持ってよく考えよ』
真也を縛っていた影響が消えた。戻った能力が彼の身体を再生していけば、唇程度なら苦も無く動かせた。
「ルーンって事は北欧系か。誰だ」
『この獣の姿、この獣の名を見出すが良い。我は古の契約に基づき、真名を告げる事が出来ぬ』
「豹の戦士……」
真也はエルメロイが言っていた事を思いだした。ゆっくりと身を起こしたがそれが限界だった。立つ事は叶わず、尻餅をついた状態だ。身体に付着していた石の欠片がパラパラと落ちる。
「そうか、ソロモンの七二の悪魔の一柱にして三〇の悪霊軍団を率いる地獄の長官。オセ。なるほど。アンタは聖堂教会に堕とされたオーディーンだ。魔術に長け、知識欲の権化なら、すらすらと俺を暴いたのも納得がいく。豹〈オセ〉の姿にグングニルを持っていないって事は、相当霊格堕とされた状態で召喚されたってのは分る。ソロモンの秘術にも括られているからな。だけどどうしてだ。何故、とどめを刺さない」
『若き戦士よ。其方に刻まれた縛め〈拘束術式〉の源は、我を召喚し括る力でもある。運が良いとみるか、必然とみるか』
真也はエリクトの降霊術式にヘカテーのシンボルがあった事を思い出した。
「あ」
『我はこの人造の肉に憑依はしているが、その霊という存在はこの召喚術式に括られている。力のシンボルが依り代と言う事だ。つまり、オセという形で召喚した術式が揺らげば、その存在が不安定になるのも道理であろう?』
「そうか。俺に刻まれたヘカテーの術式が上位だった、と言う訳か。キャスターが刻んだモノだしな。衝突した衝撃で干渉し合った。だから、アンタはかつてのオーディーンという存在を断片的に取り戻した」
『真名を知られた以上契約は破棄となる。新たな主よ、一つだけ願いを聞こう』
「……あるべき所へ還れ」
『さらばだ。悠久なる刻の果てにヴァーラスキャールヴで会おうぞ』
真也はゆっくりと仰向けになった。手と足を大の字に広げる。
「言いたいだけ言って去ったか。隻眼のクサレ爺め」
少し休憩だ。と真也が寝っ転がっていると、その部屋の扉が開いた。真也は失礼かと思いつつも寝転がったままだ。
「来ましたよ閣下。占星術〈天体魔術〉で星から魔力を集め、エリクトの降霊術式で魔神を召喚、ソロモン王の魔道書で魔神を使役、ホムンクルスに憑依させた……流石に驚きました。ソロモン王の魔道書〈グリモワール〉を所持している事だけでも大事なのに。堕天使、悪魔を行使するなど、時計塔にバレれば一大事です」
ヘルメスは脇に抱えた大きな書物を掲げ真也に見せた。手品の種明かしでもするかの様な身振りだった。
「写本だ。本来なら古代ギリシャ語だがこれはヘブライ語で書かれている。辛うじてソロモンの秘術を再現出来る贋作。それでもこの一冊で召喚使役を司るのだが召喚式が欠損していている。原典は永い刻の中で失われてしまった」
「なるほど。エリクトの召喚術式にヘブライ語が混じっていたのは、」
「そう。ソロモンの術式のみでは召喚がままならなくてね、エリクトの術式と組み合わせた」
「あの二体に理由があるんですか?」
「言っただろう。欠けていると。この写本には七二体揃っていない。幾つかの中から使える魔神〈デーモン〉を選択したまでだ。召喚した魔神はサブノックとオセだ」
「無茶苦茶です。それを一つの魔法陣として構築するなんて常識の外だ」
「効率は悪いが基本を理解していれば難しい事では無い。だがその常識から外れているのは俺だけではない様だ。一応伝えておこう。魔法陣一つで魔神一柱が原則だ。それ故一体一体、順繰りに当てざるをえなかった訳だが、それでも噂に聞くサーヴァントに近い力を持っている筈だ。君はそれを突破しここに辿り着いた。君は何者だ。直死の魔眼を持ち、オーディーンに戦士と呼ばれた」
「生憎と私も知りません。ただ言える事はトオサカの術者って事だけ」
「突飛な仮説だが君は、」
「それ以上仰いますな。俺は今の俺で居る事を望みます」
「そうだったな。俺たちは互いの意地の為に始めた。正体など無関係だ」
「トリスメギストス様。これからどうなされますか。生憎と私はもう身体が動きません。どうしてもと言うならば、死ぬ気で付き合います」
ヘルメスは腰に携えていたショートソードに手を掛けたがその手を下ろした。
「名を司る数字に従い俺は三体繰りだした。四体目を出すなどそこまで恥は晒せない。トオサカシンヤ、君の勝ちだ」
「いえ、賭は閣下の勝ちです」
真也が投げたそれをヘルメスが受け取れば、それは1ペンス硬貨だった。ヘルメスはそれを強く握りしめた。
「今宵の事は俺らだけの事だ」
「良いのですか?」
「俺もソロモンの魔道書と魔人を召喚した事は秘密にしたい」
「取引って事ですね。受諾します」
「必要なら治療と送迎を行うが」
「いえ、良いです。暫くこうして居れば治りますから。頭を冷やすためにも歩いて帰りますよ」
「そうかね」
その貴公子は敗軍の将であったが、憑き物が落ちたかの様な表情で立ち去った。ほんの数分前まで激闘を繰り広げたその円形の広間は、戦いなど無かったかの様な静けさだった。真也は右手で髪を掻き毟ろうとしたが痛みで止めた。その呟きはやるせなさと悔しさが混じっていた。
「戦いに勝って、勝負に負けたか。なぁランサー。俺はこの二年負けっ放しだ。勝ったのはあの二人を守った時だけ。俺は誰かの為じゃないと勝てないんだろうな、きっと」
真也はそのまま気を失った。
◆◆◆
「なぜ決闘に応じましたの? 死ねない、帰らないといけない、そう言ったのにも関わらず死闘に身を投げた。矛盾してますわ」
なぜ決闘に応じたのか、実際の所真也にも良く分からなかった。ただ、ヘルメスの申し出を拒絶していたならば、数年後“あぁ。俺はそういう理由で決闘に応じたんだな”と振り返ることが出来なくなる。だから応じたのだ。ただ、あそこまで苦戦した事は彼自身予想の外であった。
真也はロールパンに食らいつき、咀嚼しきる前にオレンジジュースで押し流した。コップをコンとテーブルに強く置いた。
「ルヴィア様。誤解の無い様に申し上げておきますが、決してルヴィア様の為に戦ったのではありません。閣下と私が信念、誇り、純粋、意地、そう言ったモノを誓い、それを賭けたからですよ」
「何ですの、それは」
「1ペンスです」
「……は?」
「そんな事で本気になれるんですよ。ルヴィア様はもう少し男心を勉強した方がいいです」
ルヴィアは目玉焼きにスプーンを突き立てた。溢れだした黄身を掬うと千切ったロールパンの白いところに載せてた。何とも手間の掛かる食べ方である。真也はルヴィアの出方を伺っていた。だが、その手間の掛かる食べ方がトラップだとは気がつかなかった。間を掴む、と言う意味だ。
「シンヤ」
「何ですか」
「カルサイトをお返しなさい」
このお嬢様は何も分っていない。次のおしかりを検討しつつ真紅の外套の、そのポケットを探ればそれは壊れていた。粉々だ。
(うげ)
「シンヤ?」
形勢逆転である。実に鮮やかな手並みだ。ルヴィアは破損した事を知っていて、この状況に持ち込んだのである。彼女はしれっとプチトマトを頬張った。
「チューターに依頼の件で呼ばれていますが午後で良いでしょう。午前中は英気を養いなさいな」
「あの、怒ってないんですか」
「元々は私が招いた失態です。従者に擦り付けるなど私の尊厳が許しませんから」
ルヴィアから後光が差した。少なくとも真也にはそう見えた。そして彼は感極まった。
「ルヴィア様の寛大なる―」
だが彼女は上げて落とした。
「もちろん、この分の代償は払わせますから。覚悟しておく様に」
「天引きですか?」
「当然よ」
真也はうんざりした表情でベーコンを啄んだ。収入は増えたが支出も増えた。一月後に路銀が残っているのか、不安でならなかった。それを見たルヴィアはおかしくて堪らない。華麗な逆転劇の爽快さもあったが、真也の作る表情の落差がとても楽しかったのである。その対価に部屋の片付けは手伝ってやろう、彼女はそんな事を考えた。彼女から不遜さが消え失せ、その笑顔が柔らかかったのは、決して朝陽だけのせいではあるまい。
つづく!