赤い林檎を蹴飛ばしたら 作:d1199
一話
真也は主を待っていた。その手にある書物を捲ればペラリと音を立てた。彼が居る場所はエリート寮の正門前に広がるオープンスペースだ。そこには簡素な木製のテーブルと椅子がずらりと並んでいた。生徒たちの憩いの場でもあったし、待ち合わせの場でもある。彼にとっては主を待つ場所だった。天体学部のトラップを回避する為、彼は当初毎回座る席を変えていたが意味が無い事に気がついた。
椅子の脚が折れた。熱いコーヒーが足にかかる。突風で本が飛ばされる。リスにかじられる。鳩に糞を落とされる。野球のボールが飛んでくる。椅子に貼られた“ペンキ塗り立て”の張り紙が落ちていた。からあげクンレギュラーを頼めばチーズだった。どう考えても有り得ない確率でトラップに引っ掛かる。避けても効果が低いならば意味が無い。だもので彼は正門近くの席を選ぶ事にした。主の下に馳せ参じやすい、ただそれだけである。頭のてっぺんから足先まで従者根性が染みついていた。その手にある書物を捲ればペラリと音を立てた。
そして生徒はあざ嗤う。曰く、エーデルフェルトの腰巾着〈ヴィルヘルム=カイテル〉。曰く、スカートの中で吠える猟犬〈ドンキーホーテ〉。曰く、エルメロイ教室の腰抜け野郎〈ファリネッリ=カストラート〉……曰く、曰く。散々陰口を叩かれた。義姉に開放される前のかつての彼ならば気にも止めなかっただろうが、3年経った今の彼は相応に腹を立てた。だが睨み付け追い払うか、追跡し捕まえる振りに終始するのみだ。立場が微妙である以上、手荒には出られなかった。それでも主は別格だった。“金メッキの尻軽女”と主が侮辱された時は影でボコった。もちろん精神的な意味だ。その実行犯は無数のキュー○ー人形に追われ続ける幻を見たそうな。それを知った呪詛学部の生徒は、術式の構築に取り組み始めた。マヨネーズが概念武装になる日も遠くない。その手にある書物を捲ればペラリと音を立てた。
もちろん真也に敵対しない生徒たちも居た。敵対しないと言うよりは、それどころでは無い生徒たちである。例えば腰掛ける真也の脇を通り過ぎていった二人組。その二人を例えれば溢れる情愛。絡め合う指は蠢き、衝動と欲求を醸し出していた。俗に言う恋人繋ぎという奴である。とどのつまりはカップルだ。
〈いちゃつきやがって。余所でやれ、余所で〉
冬木市で大学生活を送っているA君など、彼の友人であるアルファベット=ブラザーズが聞けば悲憤慷慨〈ひふんこうがい〉しそうな事を思いつつ、ページをペラリ捲ればそれに影が落ちた。
主か、と慌てて腰を浮かせれば女生徒が一人立っていた。肌の色は白く僅かに赤みを混ぜて、白人と言う事は一目瞭然だ。卵の様な丸みを帯びた顔に描かれた唇は大きく、それがフレッシュピンクカラーであれば鮮やかである。金と銀を混ぜた様な、鮮やかなブロンドヘアーを左右二つに緩く三つ編んでいた。ガーリーである。流行なのか、アンダーフレームの眼鏡を掛けていた。荒々しさを感じさせるイギリス人にしては、柔らかい印象を持っていた。
惜しむらくはその出で立ちである。デニムパンツに、プリントのロングスリーブTシャツを着て、スタジャンを羽織っていた。足下はスニーカー。ボーイッシュというよりは、野暮ったい印象だ。誰かのお下がりなのか着古した印象もあった。
(もう少し気を使えば良いのに。勿体ない)
真也はそんな事を考えた。だがそれを帳消しにする程に魅力的な特徴を持っていた。彼女はとても大きかったのである。冬木市にいるリーゼリットに勝るとも劣らない、真也はそれを意識しつつ、努めて隠しつつこう告げた。だが生憎と女生徒にはお見通しだ。女性はこの手の感覚に鋭いのであった。
「どちらさま?」
「トオサカシンヤ、やな?」
ハスキーは誇張だが少し低めの声だった。営業スマイルめいた、中身の無い笑みには見覚えがあった。
「君は……あの時の」
それは真也が時計塔にやってきた一週間前のこと。因縁を付けてきた男子生徒の、傍らに居た女生徒だったと思い出した。
「そうや、覚えとったなら話は早い」
「考古学部の人だっけ?」
「よう知っとるな」
「何度かすれ違ったろ」
「そうだったか?」
「考古学の生徒は温和だから、話しかけた事もあるし。散歩がてら学術棟の近くに行く事もある」
“おっぱいが大きいからよく覚えていた”とは言わなかった。
「なんや、温和とか。馬鹿にしとるんか」
「してない。いきなり突っかかりなさんな。可愛い顔が勿体ない」
「ほぅ。顔で判断するか」
「リップサービスだから真に受けるない」
「ええ、性格しとるわ。アンタ」
帯びる空気が鋭くなる。しまったと、真也は慌てて話題を変える事にした。目の前の彼女は冗談が通じないタイプだったのである。
「実際の所、考古学部が何をしてるかよく知らないんだよ。不愉快な思いをさせたなら謝る。遺跡の発掘でもするのか?」
真也のその話題替えは露骨であったが、彼女もそれに応ずる事にした。敢えて拗らす必要も無かろう、と言う事である。
「ま、ええわ。教えたる。そういう奴もおるけれど私の専攻は地理学なん」
「地理って、あの地理か。地形とか気象とか」
「そうや。太古から自然信仰がある事は知っとるやろ? 例えば水を神格化した存在。アーサー王伝説に出てくる湖の貴婦人は元々ケルト神話の淡水を司る女神“ニムエ”。ギリシャ神話では河川のオケアノスに、地下水のテーテュース。森や林の樹木信仰にはフィンランドにタピオという神がおる。イングランドには火山があらへんからおらんけれど、アステカの火山の神“チャンティコ”が有名や」
「ほほう」
真也の相づちにその女生徒は人差し指を突き立てた。良く聞け、というジェスチャーだ。
「ええか? 太古人間はこれらの神々に対して従順やったが、何時の頃からか折り合いを付ける様になった。森、山を切り開き畑を作った。治水を以て川の氾濫を抑え込んだ。湖から水を引くのもこの行為や。人間のこの行為に対し神々は噴火、洪水、飢饉、疫病など、自然災害という形で怒りを降ろした。そこで登場するのが魔術師や。作った畑に地母神を祭り上げたり、橋に人柱を入れ川の神の怒りを静めたり。火山の場合はインカのアニータという娘が贄として有名やな」
「へー。つまりそう言う研究をしていると」
「まだ話は終わっとらん」
「へいへい」
さっぱりした性格だと思えば、この手にありがちな人物なんだな、と真也は付き合う事にした。自分の興味のある事を聞かれると、答えたくなると言うタイプだ。相手の都合お構いなしに。
「トオサカシンヤ。神々に対して最も挑戦的な行為はなんだと思うか。答えてみ」
「……昔、海は神域だったから、船による大航海?」
「違うな」
「神の領域であった天空に手を伸ばそうとしたバベルの塔、巨大なモノは人間を畏怖させ神格となる、それを狙ったピラミッド……どう?」
「良い線やが間違い」
「なら何?」
「道、に決まっとる」
「なんでさ」
「道が霊的な意味を持つことは知っとるやろ? 食料などの必要物資を運ぶ事から交易、金銭、富を司る様になった。逆に盗人や病などの通り道でもあったから、そこで災いを抑える為に神を降ろした。有名所だとヘカテーやな。三重のヘカテーと呼ばれるが、その三重は十字路や三叉路の意味や。災いを抑える為に神殿を建て祀ったんやな」
真也に刻まれたヘカテーのシンボルが疼いた。
「道の代表としてまずはこのイングランドにある“イクニールドウェイ”を取り上げたい。マーリンが作ったと言われるこの道は、ストーンヘンジから先史時代のグリムズグレイヴスを繋いどる。この線上に時計塔があることは承知やろ? 有史以来最初であり最後の人工的な霊脈や。ま、マーリンを人間とするかは議論の対象やが……ここまでええか?」
「もちろん」
大嘘だった。知らない事ばかりである。
「切っても切り離せないのがローマンロード。ローマ街道とも言うがローマ帝国が築いた大道路は欧州はもちろん中東、この島国であるイングランドにも到達しとる。聖堂教がなぜ一大宗教になったか、分るか?」
「道を使った」
「せや。中東で興ったばかりの聖堂教はこれに目を付け、ローマ帝国に精力的に取り入った。後は簡単や。その道を使い、短期間にあっというまに欧州に広まった。道という呪術的な通路に聖堂教の概念が通ったんやな。ケルト、ゲルマンの地方神も驚いたやろ。道という呪術的な力とそれを作った人間に。恐らく、要の道に道祖神を立てればこうは行かんかったはずや。
この様に道が一本増え、また一本増えて、伸びて繋がったとき、それは一つのネットワークとなった。今やその関係は複雑怪奇。どこかの道を繋いだりすると、遙か彼方の道が影響を受ける。幹線道路が作られれば、旧線が寂れるなんて良い例や。もっとも事故といった災いも招くんやから、現代人の道作りは的を外しとる。つまり現代の道は第二の霊脈と言っても過言ではあらへん。古代の魔術師が荒ぶる自然霊に対し何をしてきたのか、人間がしでかした遺跡や地形、道路などを調査研究し真理を求める道こそが考古学者の使命なんや!」
どれ程熱を帯びたのか彼女は握り手に力を入れていた。真也は拍手喝采である。
「うん、意外と為になったし、おもしろい話だった。で、話の腰を折って悪いんだけれど、ご用件は?」
彼女はぽつりと呟いた。夢から覚め、現実という厳しい環境を思い出したかの様だった。
「フィールドワークには資金が必要。たっぷりとな」
「そうだろうね。でも資金援助依頼なら他を当たってくれ。協力はしたいと思うけれど俺も裕福じゃない」
「流れの魔術師にパトロンを依頼する程バカじゃ無いで」
「まさか。主の財布を狙ってるとか?」
「それも考えたけどな。それなら直訴するわ」
「それならなんで?」
「トオサカシンヤ。アンタと同じ様に私も依頼を熟しとる。割は良いけれど、血なまぐさそうな奴を見つけてな。相棒を探しとった、ここまで言えばわかるな?」
「なんで?」
それは何故俺なのか、と言う意味だ。
「銭ゲバで無類の女好き、そう聞いたんやけど」
「誰から」
「S.M.やけど。ちがうん?」
それは初日に難癖を付けてきた生徒だった。
(捻る。ぽきっと折る)
真也は頭の中でチューペットをへし折るとこう言い放った。
「そのS.M.に頼めば良いじゃないか。性格に何アリだけれど腕は確かだし」
「ピチピチの新入生を、新しい取り巻きにしてな。それで私はお払い箱、これでいいか?」
「なんで?」
「トリス様と喧嘩したそうやん。腕っ節はあると見たんやけど?」
「一つツッコミたい。金が無いのに分け前たら報奨金が減るだろ」
「せやからな」
その女生徒は思わせぶりな視線で、真也の肩越しに立つ人物を見た。その人物は女生徒が言わんとする事に気づいていたが、真也はまだ気がついていなかった。ここで切り上げても既に意味が無い。であるからして、その女生徒は腹を括ってこう切り出した。
「その、東洋人を相手にするのは私も初めてなん。それで手を打ってくれへんか。健康状態や呪いの類いは心配せんでええから」
「あー……」
道徳的倫理的に外れる事ではあったが、彼女の申し出は良くある話だ。強い目的はあるが自分の力が及ばない。余所から持ってくるにも金は無い。ならば身を切るしか無い。現代でも表沙汰にならないだけで蔓延っている。寝枕営業などその一例だろう。真也は髪をかき上げた後こう告げた。
「貴女はとてつもない勘違いを二つしている。女好きだなんて心外だ」
その女生徒は指折り数えてこう言った。
「ルヴィアゼリッタ=エーデルフェルト、グレイ、ジョナサン=スコット。綺麗どころを侍らして、」
「してない」
「付け加えてトリス様からの略奪愛」
「いてててて」
「違うんか」
「してません。てゆーか、スコットさんは男だろ」
「私は女説を支持してるねん。あんな綺麗な男なんて認められへんわ」
「物事の判断に私情は挟むもんじゃ無いね。もう一つ。貴女を侮辱するつもりは無いけれど、俺は金銭だけでそういう事は(祟るから)しない主義だ」
「そうか。時間取らせたな」
食い下がると思えば、彼女はあっさりと席を立った。
「悪いね。期待に応えられなくて。この場での話は誰にも言わないよ」
「気を使う必要は無いで、面と向かって言わないけれど皆笑っとる」
立ち去る彼女の背中をじっと見れば、彼は家の幸運に感謝した。魔術には金が掛かる、と言う事だ。遠坂家は不労所得、つまり所有する資産とみかじめ料が生み出す収入、ライダーと実母である千歳の稼ぎ、そしてキャスターが作る魔道具代で成り立っていた。ただ生活するなら末代まで安泰だが、当主である義姉は金食い虫なので楽観も出来ない。予算に関しては葵、凛、桜が四半期ごとに話し合っているが、険悪になる事もしばしばだ。基本的に傍観していた真也であったが、遠坂家の地下工房に安置してある槍を売却する、しないで義姉と揉めた事がある。そう、士郎と真也を綺礼より救い、アンリマユ誕生を阻止したあのゲイボルクだ。それは遠坂姉妹が予算で紛糾した直後のこと。
“ねぇ真也。あの槍なんだけれど、私のものよね? 当主だし姉だし。紅いし?”
と言い出した時の義姉の顔は今でも明瞭に思い出せる。それが姉弟となってからの初喧嘩となった訳だが遠坂家の恥部と葬られた。
(士郎のところは四次、五次のアインツベルンの支度金が莫大って話だし、郊外の城も敷地もイリヤが抑えたって話だし、羨ましいこった。そう言えばイリヤはどれ位成長したのかね。今頃十二~三歳の外見か。地元の中学行くか、県外の全寮制に行くか揉めてたけれど、どうなったんかな)
そして背後よりプレッシャーである。ニュータイプで無くとも感じられる程に強く、ざらっとした感覚だった。言うまでも無くルヴィアである。彼の背後に立ち、両手を腰に見下ろす彼女は、不愉快そうな表情を在り在りと浮かべていた。しまったと、真也が慌てて立ち上がれば、彼女は無言で歩き出した。大きい靴音が痛々しい。彼は慌てて駆け寄った。
「おはようございます。ルヴィア様」
「……」
返事が無い。彼女は両手両足を大きく振り、進行方向にある門に向けて一直線だ。あの女生徒の意地の悪さに辟易するが、主に気づかず話し込んでいたのも事実だ。失態である。付け加えるならば女生徒だったのが頭が痛い。一瞬、主がヘルメスであったなら、と思う真也であった。彼なら笑いながら水に流すだろう。虫が良いとは思いつつ。
「ところで今日はどちらに? ロンドンへ行くと伺っていますが、荷物持ちでしょうか?」
「……」
無言である。ルヴィアと義姉の姿が重なった。意地の張り方などそっくりだった。だもので真也は主の姿を上から下へと流し見た。何時ものロイヤルブルーのドレス。金色の髪は、綺麗なカールを巻いていた。襟肩から腹部に降りるレースのあしらいは何時もの様に純白である。側頭部で結ぶリボンは何時もの様にロイヤルブルー……真也はピンときた。
「そのリボン何時もと違いますね」
ピクリとルヴィアの表情が動いた。よくよく見れば青は青でもシュプリームである。僅かに色が明るい青だ。イギリスでは何事も因らず青が最高の色とされている。ナイト爵位の最高勲章も青。イギリス国教会の最高職であるカンタベリー大主教職もブルーリボンで象徴される。フィンランドもこれに倣ったのか、真也はそんな事を考えた。リボンの青い生地にブランド名が刺繍してあったが敢えて聞いた。
「プ○ダですか? それともエ○メス?」
「ル○ヴィトンですけれど、」
「そうでありましたか。リボンを出しているのは意外ですよね」
「目敏いですわね。何時もそうなのかしら」
足を止め振り返った表情には、呆れ、困惑、羞恥もあったかもしれない。真也は主の表情が揺らいだ事に安堵した。義姉のご機嫌取りで何時もしていたから、と発言すれば爆散爆死である。
「やはりルヴィア様は偉そうに笑っている方が好ましいですな」
「シンヤ」
「はい?」
「随分と有意義な時間を過ごした様で何よりですわ」
ごまかせなかったか、と真也は愛想笑いするのみだ。
「彼女とは何でも無いです。少し話しただけですから」
「本当かしら」
「本当です。依頼を手伝ってくれと、断りましたが」
「何故?」
「何故って、ルヴィア様の従者ですから。許可無くできないからと断りました。実際に聞いても、いい顔はしないでしょう? だからです。あ、ひょっとして不安にさせてしまいま、冗談です、謝ります、この通り。ですから右腕の呪いを納めて下さい。マジ怖いです。ホホホもやめて」
小さな溜息が一つあった。
「あの方、余り良い噂を聞きませんわね。交友を持つのは構わないけれど、気をつけなさい。敢えてトラブルを招く事も無いでしょう」
そう彼女は遠回しに釘を刺した。
「面識があるんですか?」
「希に二言三言挨拶を交わします。目的の為なら手段を選ばない、随分と、その、情熱的な方だとか」
「成り上がるのに必死なんですよ」
「随分と肩を持つこと。生真面目そうに見えて実は妖艶、そういうタイプがお好みなのかしら」
「ヤキモチで、すCa! いひゃいぃぃぃぃぃ……」
真也は頬を抓られた。その時間たっぷり五分間。散々抓られ、気が済んだころにはパンパンに腫れていた。もちろん真也の左頬だ。
「まったく、少しは誠実になったかと思えば」
「心外です。これほど忠義に尽くしているのに」
「姉とどちら?」
「家と、じゃないんですか?」
「シンヤ」
「はい?」
「私を褒めるのは当然ですけれど、おちゃらけは無しになさい。“ですな”などと言われても、素直に受け取れませんから」
彼女は挑発めいた表情だったが、どこか艶やかさがあった。ルヴィアは経験があるのか、彼はそんな下世話な事を考えた。
◆◆◆
「と、言う事が先日あった訳なんだが。心を開いて貰った、遠慮が無くなった、表現はどちらでも良いんだけれど暴力は良くない。スコットさんはどう思うよ。頬を引っ張るのだけは止めてくれって、言っているのにちーっとも聞き届けて貰えない」
その場所はもはや定番となったルヴィアの寮の前だ。ジョナサン=スコットと真也の二人は何時もの様に腰掛け雑談をしていた。そしてまた二人の周りも、主を待つ生徒たちで賑わっていた。
「どのように言及するべきか悩ましいところですが。トオサカさんがそういう態度ではレディ=エーデルフェルトも大変でしょう」
「なんで? 付かず離れずの距離しかないだろ」
「分っているなら尚質が悪い」
「それは彼女も理解しているよ」
「理解はしているでしょうね」
「なんだ、さっきから聞いていれば思わせぶりな事ばかり。そういうスコットさんはどうなんだ」
「どう、とは?」
「そういう頼れる人は居ないのか、って事だ」
「交際相手ではなく、頼るですか?」
「気づいてない様だから言うけれど、スコットさんは他人には気が利くくせに、自分の事になると無頓着になる」
「なぜ、そう思うのです」
「人の話を聞いてばかりだ。自分の事を何一つ話さない。自分を持っていないから話す事が無い。もしくは嫌っている、だから話たくない。好きなら誇るだろうからな。違う?」
「そうでしょうね。そうかもしれません。驚きました、指摘されたのは二人目です」
「一人目って?」
「師匠ですよ」
「スコットさんこそ、そういう相手作れば良い。きっと何かの切っ掛けになる。色々な人から言い寄られてるんだから、相手に困らないだろ」
「経験上語る、ですか」
「いっててててて」
「居ますよ、そういう人」
「マジで? 何処の誰だ」
「トオサカさんの言う様な関係ではありません」
「難しい相手、って事か。その人、女の人なんだよな?」
「何故確認する様に聞くのか、不愉快でたまらない」
「いやだって」
「私は言いましたよ、その様な恋愛的なモノを求める相手ではないと」
碧と朱。ジョナサン=スコットの、ちぐはぐな瞳の色が、とある人物を追っていた。真也はそれに気がついた。その視線の先にはグレイを連れたエルメロイが歩いていた。その視線が何の意味を持つのか、真也が考える事約十秒。
「……」
彼は言葉を失った。エルメロイとの健全な関係を求めるのであれば、スコットは女性であるべきだ。だが個人的感傷でスコットは男であって欲しい、と願っている。なにせ今まで振り回していたのが女性と言う事になってしまうからだ。真也が二律背反めいた難問に煩悶しているとジョナサンはこう言った。
「似てるんです。父に」
「スコットさんの親父さん?」
「はい。もう随分前に他界しましたが。トオサカさんは?」
「母〈葵〈義理〉、千歳〈実〉〉は健在、実父〈おやじ〉は知らない。多分死んだと思う」
「会いたいと思いますか?」
「どうかな。小さい頃、何度かお袋に聞いたけれど、一向に答えないから諦めた。ウチには従者が二人居て、知っていそうなんだけど答えない。その二人は人格者でね、その二人が言わないなら、多分知らなくて良いことだ、そう思ってる」
ふと、父の姿を思い出した。それは真也にとって最古の記憶。稲光程度の短い映像に写るその父は赤髪だった。
(士郎も赤髪だったな……うぇえ)
「トオサカさん。私は非嫡出子なんですよ。妾どころか、住み込みメイドとの間に出来た子供だった。父の家名を名乗るどころか、敷居を跨ぐ事すらできなかった」
「……恨んでる、とか?」
「ええ、とても。母は身籠もった途端に追い出された。田舎に帰れば冷たい眼で見られた。母はそれでも私を育て上げ、心労が祟ったのか十二の時に他界しました。その後は祖父母に育てられて十五になった頃です。父は私を呼びつけました。理由は嫡男が死んだから。放置するだけ放置して、母がどれだけ苦労したのか、それを知らず、知ろうともせず、見事な手のひら返しでした。まったく。血縁関係というモノは厄介です。憎みたくとも憎みきれない。その父に認められたいと、褒められたいと、今でも思っています。トオサカさんと私はよく似ている。二流で、父がおらず、何らかのコンプレックスを抱いている。だからでしょうね、こんな事を話したのは」
「スコットさん。確かに俺は身体強化しか使わないけれど、」
「シンヤ、行きますわよ」
いつの間にか、ルヴィアが傍に立っていた。
「ミスター=スコット。失礼いたしますわ」
そして何時になく強引な振る舞いに、二人は顔を見合わせた。真也はジョナサンに一言詫びて、主の後を追った。真也の数歩先には、こんじきの長い髪と、青いドレスを颯爽と棚引かせる主が歩いていた。その調子は何時もより堅いが、苛立っている訳で無かった。何故だろうか、彼には面倒を掛けた時の義姉の後ろ姿に見えた。だから彼女はこう言った。
「同じ境遇、同情、共感で秘密を話すなどおやめなさい。軽率よ」
「こういう場合は、そう言うものでしょう」
「その秘密がありふれたものなら、それでも良いでしょうが。シンヤのそれはありふれたモノかしら? 宝具を所持していると暴露する様な物と踏んでいるのだけれど」
「確かに、それは、そうかもしれませんが」
「それにジョナサン=スコットにも裏がありそうですし」
「ご存じなんですか?」
「スコット家の再興を願っているそうですが、その家が潰えたのは第二次世界大戦の前、怪しすぎます。調べようにも戦争の影響で記録も大半が焼失。まるで調べようが無いから、その家を選んだと言わんばかり」
“師匠の同情に付け入った卑怯者です” 真也はジョナサン=スコットの自嘲めいた言葉を思い出した。
「二流で彼の一族は時計塔に入れなかった。同じ境遇の教授が権力を持ったため取り入った、理屈は合います」
「シンヤ、彼には注意なさい」
「魔術師としての勘ですか?」
「女としての、と言っておきましょうか」
「その言葉を持ち出されると、男の俺に否定は出来ないですね。ですがルヴィア様。確かにスコットさんには、この島国特有のバイキング的な荒々しさが無い。どちらかと言えば、フランスかドイツの雰囲気です。個人的にも良く分からない、違和感を感じていますが最終判断は俺がします。宜しいですね?」
「まったく。主を蔑ろにするし、忠告も聞きはしない。本当に可愛げの無い従者だこと」
「それに見合うモノは捧げているつもりです」
「そうですわね。でなくては見切りを付けていますから」
己の肩越しに魅せる彼の主は微笑んでいた。真也は悟られぬ様に溜息一つ。
(まったく。この笑顔には困ったもんだ。どうしたらいいのか分らなくなる)
三週間後にやってくる別れの時は、それなりに重いモノとなるだろう、それを考えた真也の頭はズーンと重くなった。
◆◆◆
執務室で机に向かうエルメロイは、目の前に並んで立つ二人を感慨深く見ていた。ルヴィアが凛を目の敵にしている事はエルメロイも知るところである。その彼女が遠坂家の長男を連れ歩くとは、世の中何が起こるか分らない。エルメロイの興味を惹いたのは、それの何処がおかしいのか、そう言わんばかりの自然さだ。この光景を凛が見たらどうなるのか、エルメロイはそんな事を少し考えた。真也が帰国するのは三週間後、凛が時計塔に来る定期報告はまだ先だ。騒ぎは回避出来そうだ、そう思いつつ彼は両肘を机に立てて両手を組んだ。そしてその握り拳に鼻先を近づけた。何時ものポーズだ。威厳と威圧という意味で、効果は十分にあった。報告書に目を通していたルヴィアは視線を上げた。その琥珀色の瞳は訝しさを隠さない。
「この依頼書の内容は、失踪した女生徒の捜索、それ以外に解釈のしようが無いのですけれど。お間違いではなくて?」
「間違いでは無い。それで合っている。その生徒の名はマリア=アジャーニ。考古学部の二一歳。彼女は塔の依頼を遂行中に行方不明になった。彼女の受けた依頼内容は猟奇殺人の調査だ」
真也が継いだ。
「なぜ塔が動いたんです」
「イギリスではこの手の事件は珍しくない。これもそれらの一つだ。被害者は若い女性のみ、遺体は激しく損傷し、臓器と性器そして生殖器官を取り出され、血を綺麗さっぱり抜かれる。手がかりは遺体の欠片のみだ。捜査は難航し、遺体の不可解さや証拠の乏しさから、警察はその手の事案ではないかと匙〈さじ〉を投げた。やんごとなき方々の手を渡り、時計塔に依頼として回された」
ルヴィアは呆れた様に依頼書を己の従者に手渡した。
「この方もまた随分と背伸びをしたものですわね」
「ルヴィア様は知ってるんですか? このマリア=アジャーニという人」
「シンヤが先日会った方、といえば分るかしら」
彼が慌ててページを捲ればその顔写真は間違いなく、その彼女だった。エルメロイが継いだ。
「トオサカシンヤ、聞かれる前に答えておこうか。時計塔には相対的に四種類の生徒に分けられる。
一つ。実力、資産、才能、家柄、全てが満たされた者。君の主がその一人だ。
二つ。家が裕福だが実力に乏しい者。金銭に不自由しない彼らは、時間を勉学に費やせる。
三つ。実力はあるが財力が乏しい者。彼らはその能力を活かし、依頼で報奨金を稼ぐ。また有力者に教える事もある。家庭教師という訳だ。二つ目と三つ目は相性が良い。Win-Winの関係と言う事だ。
四つ、そして財力も実力も乏しい者。才覚はあってもそれを伸ばす環境を持たない彼らは死に物狂いだ。マリア=アジャーニもその一人で、危険な依頼に手を出した。恐らく、無理をしたのだろう」
真也の物言いには棘があった。
「つまり教授は彼女が死んだと、そう仰る?」
「その証拠はまだ無い」
「例えマリア=アジャーニが四つ目の、乏しい者だとしても時計塔に入学出来る実力を持った魔術師です。その彼女が失踪した。この状況でも教授は、これが生徒が扱う範疇だと判断するのですか?」
「トオサカシンヤ、君のその意見には私も賛成だ。実際、管理部でも判断が出来ず各学部のロードに相談という形で意見を求められた」
ルヴィアの瞳は鋭さを帯びていた。
「チューター、いえ。ロード=エルメロイ二世様。執行者の出番はありませんわ。私たちが赴くのですから」
「そう願おう。自覚を促すため伝えて置くが、一つ目の実力と財力を持つ生徒たち同士がペアを組む事などまず無い。つまり、監督役でもあり王の学徒でもあるルヴィアゼリッタ=エーデルフェルト、君と対角を成すヘルメス=トリスメギストスと喧嘩した“らしい”トオサカシンヤのペアで解決が出来ないのであれば、執行者の出番となるだろう」
エルメロイは、何時もの手順で葉巻に火をつけると煙を吐いた。その煙もいつもの様に揺蕩う。
「依頼書には我々が持っている情報の全てが書いてある。不明点は現地で調べる事だな。質問はあるか?」
「いえ」
「十分ですわ」
「話は以上だ。迅速かつ正確な処理を期待する」
つづく!