赤い林檎を蹴飛ばしたら 作:d1199
目的地であるノーフォーク州スタドリコンスタブルまでは、時計塔から道なり一四四マイル〈二三二キロ〉の位置にある。大凡東京から浜松までの距離だ。公共交通機関が無いので二人はハイヤーを使う事にした。ルヴィアの実家から従者兼運転手と自動車を呼び寄せるという案もあったが、フィンランドの自動車をイギリスで走らせる為の、手間と時間が馬鹿にならないので廃案となった。
何より。エーデルフェルト家の従者であるクラウンと、真也を引き合わせる事にルヴィアが一抹の不安を感じた事も理由だった。考えすぎだとは思いつつも、ヘルメスという前例は無視出来なかった。自動車のエンジン音を聞くこと暫く。モーターウェイ、つまり高速道路を走り二五号線から十一号線に乗り換えた頃だ。流れる車窓の風景をぼぅと見ている真也にとってその声は、突然であり、意表でもあり、そして辛辣でもあった。
「マリア=アジャーニを気にしてるのではなくて?」
ルヴィアは後部座席の運転席側。右肘をドアフレームに乗せ、頬杖を突いていた。“頬杖をつくことが多い人は、日常に満足していない”と言うが、ではこの主は何が不満なのか。彼はそんな事を考えた。
「そんな事はありません。世間を知らない子供ならともかく彼女は大人だ。危険性の判断ぐらいしたでしょうし、それが求められる立場でもあった。焦っていた彼女は分不相応の危険な依頼に手を出した。懸念通りに何かに襲われ危機的状況にあったとしても、それは彼女の選んだ結果。境遇に同情はしますが、責任の類いは感じてませんよ。なにより彼女はそれを自覚していた」
「嘘仰いな。せめて危険だと一言告げれば、結果は変わったかもしれない、どうかしら?」
「何故そう仰る」
「“成り上がるのに必死なんですよ”先日のこの発言と今のシンヤのそれが真逆だから」
「先日のはただのフォローだった、かも知れません。もしくはルヴィア様の怒りを収める為の方便、これでどうです」
「何時になく饒舌、これを付け加えます」
真也は苦笑するより他は無い。
「かも知れませんね。大人だって間違える、大人だって辛いものは辛い。辛いのが続けば、何かがおかしくなる。彼女はそれに気づいていたのか、気づいていても何とも出来なかったのか。せめて彼女にも誰かが居れば、と」
「ほんの些細なことで未来は変わる。どれほどの労力を注ぎ込んでも、変わらない事もある。それの判断できるのは未来視のみでしょう。こう成る事が分っていたら、その罪悪感は当然でしょうが、その眼は違うのでしょうに」
「……種類までは、分ってませんよね」
「さぁ? それはどうかしら」
「引っ掛かりませんよ。その手には」
「足の着かなさそうなシンヤは、見ていて飽きないので、そうしておきましょうか」
「ルヴィア様もお人が悪い」
「馬鹿を仰いな。私ほど理解と寛容のある主は居なくてよ」
彼は肩を竦めるのみだ。ルヴィアは両手を膝に置くと、腕に力を入れ、背もたれに強く身を押しつけた。身体を小さく震わせるその様は、ストレッチをする猫の様だった。もちろん猫は猫でもノルウェージャンフォレストキャットである。
「それにしても“迅速かつ正確な処理を期待する” とは随分と役者めいた発言ですこと。チューターは俳優でも目指していたのかしらね」
「前にも言ったんですよ。スパイ大作戦の決め台詞ですね、あれじゃ」
「なんですの、それは」
「古い映画の決め台詞。“なお、このテープは自動的に消滅する”って奴です。ご存じないですか?」
「随分古い映画ではなくて?」
「相応に。義母が映画好きなんですよ。だもので古い映画もよく見ました」
休憩を一回挟み、暫く時間が流れた頃である。ルヴィアはハンドバッグを弄り、真也に鉱石を手渡した。彼はその石を陽にかざしてこう聞いた。
「これは複合結晶ですね。なんです?」
・カルセドニー〈糸で遊ぶ妖精たち〉:良好な人間関係を結ぶ
・スフェーン〈金剛石より輝かしき〉:高いレベルでのコミュニケーションを図る。
・カンポ=デル=シエロ〈空から鉄の塊が降ってきた〉:負の存在に対する結界となる
「この三つの鉱石を組み合わせたものです。携帯電話代わり、発信器代わり、そして護符代わりといえば良いかしら」
「宜しいのですか? 確かカンポ=デル=シエロは鉄隕石〈レアメタル〉だったかと」
「トリスメギストス様の一件で反省しましたの。シンヤを放し飼いにすると碌な事にならない。何かあればそれに魔力を籠めなさいな、真也の居場所が分ります。それと。譲渡では無く貸与ですから扱いには注意する様に……どうかしたのかしら」
子供か犬かと、不満を溢すかと思えば真也はその石を凝視していた。
「いえ、ちょっと」
それは三年前の夜の事。彼は全く同じ物を同級生から渡されたのである。それはライダーと派手な喧嘩をする直前だ。その同級生の家に居候していた彼は出かけようとしたところ、その同級生に引き留められたのである。
《早く帰ること。アーチャーも居るけれど、真也の単独行動は危険だから。この石を持っていって。使えば駆けつけるから。何があっても直ぐに駆けつけるから》
《悪いけれど気持ちだけ貰っておく。それは葵さんに渡してくれ。そこまでしてくれなくて良いから。俺は一人で大丈夫》
《なら行かせない。アーチャー使ってでも止める》
《何かあっても使わない、それならどう? 意味は無いだろ》
《真也が持つ事に意味があるの》
《どんな意味がある》
《これは私たちの第一歩だから》
そう言って手渡された石だった。その同級生とは今や姉弟である。彼はふと思う、第五次聖杯戦争のさなか、あのまま、遠坂家に居続けたらどうなっていたのだろうか。運が良ければ、生き残り、義妹はしこりを残したまま士郎の元に居続けただろう。真也は、今や姉であるその同級生と共にあるだろうが、それは歪な結末だ。全く以て今の状況は幸運の積み立てだ。その積み立ては富士山よりも高く聳える。もしくは無数に伸びる樹根の末梢。そのたった一つの末端にぶら下がる、ゴールに到達する確率だ。真也は思わずその記憶に溺れていた。
「あー、いかんな。歳を取るとどうも感傷的になって困ります」
彼はポンポンと己の額を叩いた。
「どのような意味?」
「姉にも同じ様なモノを渡された事がありまして」
「まさかとは思うのだけれど、姉と何かあったのかしら」
「いててててててて」
「シンヤ?」
従者の突然の奇行に彼女は目を丸くした。シクシクと痛む胃を抱きかかえ、前屈みである。
「い、いえ、同時期に盛大な喧嘩をしまして、それを少々思い出しまして。いえ、喧嘩と言うよりは一方的だったのですが。はい」
ルヴィアは腕を組み、不愉快さを隠さない。
「尻に敷かれている様に見えるのは気のせいかしら」
「フィンランドは存じませんが、日本での姉と弟は大体こんな関係なんです。しかも、姉は武闘派です」
敢えてそう言う立場を選んだのも事実ではあった。彼が意地を張れば義姉も意地を張る。意地を張り続ければ窮屈だ。同じ家に居る以上、逃げることも叶わない。だがそれを思うともの悲しい。
真也は身を起こすと、車窓を流れる風景をじっと見た。
「ルヴィア様。出会いというのは、途方も無い行動の積み立ての様です」
「……そうですわね」
真也は奇跡という言葉を使わなかった。その言葉は人間のいかなる行為をも、無意味にして仕舞いかねない恐ろしい言葉であったからだ。血反吐を吐いて成し遂げても、奇跡だと、超越的な何かのお陰だと、言われれば台無しになってしまう。
◆◆◆
塔の依頼を受ける生徒には定期連絡が課せられる。マリア=アジャーニの場合はこの様になる。
・1日目、調査開始、継続中という定期連絡が時計塔にFAXで届けられた。
・2日目、報告が無い。
・3日目、報告が無い。管理部が計画書に記されている宿泊先に連絡を取る。二日目にホテルを出たっきり戻っていない事が判明。
・4日目、報告が無い。管理部は異常事態と判断した。同日エルメロイはルヴィアと真也の二人を呼び寄せた。
把握している情報はマリア=アジャーニが消息を絶った事、ノーフォーク州のスタドリコンスタブルに向かった事のみである。事故か何かであれば情報がある筈だと、二人は一路警察署に向かう事にした。警察署はご多分に漏れず煉瓦造り風の現代建築であった。PoliceではなくConstabularyと書かれていた。真也が降りようとドアのノブに手を掛ければ主はハンドバッグを弄っていた。言うまでも無く支払いはルヴィアである。完全従者であれば真也の仕事であるが、期間限定故にそこまでの権限は持たされていなかった。彼女が高級そうな財布から取り出したカードは金色だ。真也はそれを見咎めた。
「ルヴィア様、それゴールドカードですか?」
「それがなにか?」
「人前で出す時は地味なカードが良いですよ。高級カードはそういう輩に目を付けられます。トラブルの元です」
「その為のシンヤでしょうに」
「そうでしたね」
真也は支払いが同い年の少女と言う事実に、もの悲しさを感じつつも事実だと思って諦めた。リバプールと異なりここの警官たちと時計塔は無関係だ。だもので二人は友人としての立場を取る事にした。高級そうな青色ドレスを着こなし、高貴そうな立ち振る舞い。いかにもご令嬢然としたルヴィア。真紅の外套と言えば聞こえは良いが、痛みが激しく浮浪者一歩手前の真也。白いカウンターで二人を出迎えた警官は困惑するのみである。それでも友好的に二人を迎えたのは、彼の性質故であった。
「ラリー=シモンズ、巡査部長です。刑事をしています。御用向きをお伺いいたしましょうか」
二人は対応した刑事に見覚えがあった。背は高いが恰幅の良い背広姿。愛嬌のある顔立ちで、敢えて称せばビジネススーツを纏った中年紳士である。それも、女系貴族の入り婿だ。彼はリバプールで一応の協力関係にあった刑事と瓜二つである。
(似てる)
(似てますわ)
「今担当者が席を外しておりまして……私の顔に何か着いておりますかな?」
応えたのは真也である。
「いえ、リバプールでそっくりな方を見かけたものですから」
「あぁなるほど。リバプールには弟が居ます」
「納得しました。私はトオサカシンヤです。彼女は連れのルヴィアゼリッタ=エーデルフェルト。友人のマリア=アジャーニを探しています」
彼は顔写真を差し出した。
「四日前この町に向かうと言ったきり連絡が取れなくなりまして。何か手がかりがないかと伺いました」
その刑事は顎をさすりつつ、その写真を物珍しそうに見ていた。
「あの何か?」
「マリア=アジャーニさんでしたかな」
「はい」
その刑事はカウンターに隠して置いてある端末のキーを叩いた。短い節くれだった指はカタカタと存外流暢なキータッチで真也は驚いた。
「照会しましたが特に登録はありませんな」
真也はカウンターに乗り出した。
「何でも構いません。手がかりが欲しいんです。オンラインに登録される前の、捜索願の届け出用紙、身元不明者と救急搬送者の情報。刑事さん同士の会話。そう言ったレベルのモノでも構いません」
「登録前の情報は教えられない事になってましてな」
「無理は承知でお願いします」
刑事は一つ溜息。その刑事は写真じっと見るとこう言った。
「この方の歳は?」
「二一歳です」
「成人女性が四日程度では事件性の判断は出来ませんな。男としけこんでいるかも知れませんぞ」
ルヴィアが言う。
「何故そう思いに?」
「経験上分りますが、このタイプのお嬢さんは影では情熱的なものでしてな。恐らくそうではないかと」
真也は更に身を乗り出した。刑事の背後に居た同僚が警戒の視線を投げた。
「刑事さん。私たち三人は級友で懇意の仲でした。彼女、マリアは気が強い反面、寂しがり屋です。いえ、寂しい娘だからこそ、殻という強い気性で自分を守っていた。そう言う娘なんです。事実、離ればなれになると頻繁にメールを入れてきます。返信しないと不機嫌になり、怒り出し、そして泣き出します。その期間は最長で二日、最短で三時間です。そういう娘なんです。そのマリアはもう四日も音沙汰が無い。マリアの身に何か起こったに違いない、と私たちは確信しています。その背後に男の影があるなら尚更です。
私たちは止めたんです。一人旅は危ないと、どうしてもと言うなら同行すると。ですが、もう独り立ちの時だと、私たちを制止も聞かず……そしてこの状況です。私たちは居ても立っても居られず高速道路をかっとばし、こうして一四四マイル離れたこの町に来ました。刑事さん。この不安と焦りを刑事さんに伝える術を持たない、私は自分の不甲斐なさが許せません。お忙しいところは重々承知しています。せめて、何か情報を頂けないでしょうか」
真也の瞳は潤みを帯びていた。そして深々と頭を下げた。迫真の演技である。その刑事は多少の誇張を見抜いていたが、案じている事もまた本物だと見抜いた。深い溜息がもう一つ。
「連絡先を教えて頂けますかな? 何か情報が入ればお伝え致しましょう」
「ありがとうございますっ!」
ヤレヤレと苦笑いの刑事の手を真也はガッシリと握っていた。片やルヴィアは冷めた目である。よくもまぁ有る事、無い事をでっち上げられるモノだとルヴィアは心中であきれ果てた。彼女にとってこの手のパフォーマンスが出来る人物は信用が成らない。表裏がある、という意味だ。彼女が好ましいと思う人物像は飾らず素朴な男性なのだ。遠坂真也と言う人物は今までの経緯が無ければ、警戒する人物なのである。それは警察署前でタクシーを待っている間の事だった。彼女が羽織ったショールとドレス、そして長い髪は風に揺らいでいた。
「シンヤ」
「はい?」
「私に見せているシンヤは何割なのかしら」
真也はその問いの意味について少し考えた。
「魔術を秘密にしている事と、口調・態度つまり主への接し方、この二つを除けばほぼ地ですよ。個人の立場を取らせて貰えれば、大体同じになります」
「大体?」
「もちろん。ルヴィア様と姉の対応は違いますから。契約前だったリバプールでの初日には強引に手を掴んだりしたでしょう? 今はもうしませんし」
「初日から余り変わっていない様に見えるのだけれど」
「気のせいでありましょう」
「言いなさい」
真也は秘密があるとルヴィアに告げている。言う事も出来ないとも。だものでルヴィアも、それを直接的に問い詰めない、聞きもしない。ただこのケースはそれに該当しない、ルヴィアと真也の個人的な内容である。だから彼女は命令を持ち出したのだった。これは二人の暗黙の了解でもあった。
「……ルヴィア様のタイプは強行な態度をとると拗れる、と経験上知っていますので。リバプールは何分初仕事でしたから、なるべく穏便にと、今と同じ様な態度で望みました。のです。はい」
「それは、つまり。首尾良く事を運ぶ為に敢えて下手に出て私の機嫌を取ったと?」
「ルヴィア様。あの時は契約前です。接し方は似ていても心構えは違いますから。そこはご理解頂きたいです」
「そう。五千ユーロ分と言う事」
「もちろん、損得勘定抜いていますよ。お忘れですか? 俺は貴女を気に入っている、そう申し上げました。最近入れ込みすぎではないかと不安になっている程です」
「そう。なら、」
「姉とどちらが、などとお聞きなさいますな。立場上答える事は出来ますが、ルヴィア様にとっては不愉快な回答となりましょう」
「それは早合点よ。なら、情報収集に向かう、と繋げるつもりでした。今ひとつ。その自惚れは直しなさいな」
「その様です」
「では行きますわよ。シンヤ」
彼女は鋭い笑みで身を翻した。金色の髪とロイヤルブルーのドレスが颯爽と舞った。真也は得心がいった。この仕草、有り様が彼にとってとても好ましいのだ。
「何時でも何処へでも。今はルヴィア様の従者ですから」
◆◆◆
町の中心であったが静かなものだ。道は細く、それを挟む建築物同士の距離が近い。チューダー朝の建物も多く残り、古い町だと言う事が良く分かった。雑踏とした都市を求められている訳ではないのでそれで十分なのだろう。その町を歩くのはもちろん二人であった。真也が言う。
「ここで一度別れましょう。魔術師が人目を憚る以上その活動は基本的に夜です。とはいえ、食料を買うにはスーパーへ、食事をするにはダイナーへ。マリア=アジャーニが町を出歩いた可能性はあります。ルヴィア様は暗示か他の魔術で探して下さい。俺は聞き込みをします」
「闇雲に探しても効果は薄いと思うのだけれど?」
「相応に大きい町ですが人通りはそれ程多くない。彼女は目立ちますので可能性は十分にあります」
「目立つ?」
「ええ」
「……」
「ええ」
「……」
「それでは夕方五時にこのカフェで落ち合いましょう」
「……」
無言の非難が痛かった。彼はそそくさと逃げた。こうして“ご安心下さい。ルヴィア様は十二分に平均以上ですよ”という核爆級戦略兵器の投入は、英断により回避されたのであった。兎にも角にも捜索開始だ。人通りの多いところと言えば大体決まっている。一つ目、スーパーマーケット。真也は牛乳ボトルを買いレジで聞いてみた。
「この人見た事ありませんか」
「五ポンドになります」
冷たくあしらわれたので冷たい牛乳をゴクゴクと飲み干した。そのキャッシャーは控えめだった。二つ目はダイナーである。彼はウェイトレスに聞いてみた。
「この人見た事無い?」
「はい、サーロインステーキ」
「あの、」
声を掛けるも無視された。けんもほろろの接待だ。彼は分厚いこんがり焼けた肉にナイフを突き立てた。そのウェイトレスは控えめだった。そしてブックストア。彼は商品のグラビア集と一緒に写真を見せた。
「この人見かけた事無い?」
その店員は無言でレジを打った。そのグラビアは大きいモデルばかりだった。マリア=アジャーニの写真もそうだ。その店員は控えめだった。
駅前、バス停、図書館、公園、信号待ちの人。悉く収穫無しである。無視はまだ良い方だ。罵声を浴びせ去って行く人物も居た。真也には何が何だか分らない。だが事実は簡単である。彼は知ってか知らずか控えめな女性ばかりに聞き込んだのだ。サイズを意識していないと言えば聞こえは良いが、配慮に欠けていた。
途方に暮れた彼はとち狂った。向かったのは石造りの厳かな建物。屋根には十字のシンボルがあった。つまり修道院である。
「この罰当たりめがー!!」
老シスターに黒鍵を投げつけられた。
「アーメンハレルヤピーナッツバターッ!」
そして公園の噴水に腰掛けロダンのポーズ。己の持論を熱く語ったマリア=アジャーニを彼は思い出す。第一印象では生真面目だが、のし上がる為なりふり構わない一面も持つ。真也の見立てでは、したくは無いがせざるを得ないパターンだ。
「陽が落ちたら酒場で聞き込むか。身の不幸を嘆き、酒を呑んでいる可能性もあるし」
彼はゆっくりと腰を上げ、空になったコーヒー缶をゴミ箱に放り投げた。外れた。しぶしぶ入れ直した。
◆◆◆
ルヴィアとの集合時間まで余裕がある。万が一と彼は治安の宜しくない区域に足を運んだ。何処の町にでもある貧民街だ。見渡す限り荒れていた。壁にはスプレーで汚された落書きがあった。ゴミ箱はあふれかえり異臭を放っていた。廃屋の窓硝子は割れ、放置されていた。誰かが住んでいる家には鉄格子が取り付けられていた。もちろん強盗対策だ。自動車も同様だった。ハンドル、タイヤ、カーオーディオ、売却できる部品は取られ尽くされ、フレームという骨をさらしていた。
見た通りの貴人であるルヴィアが居ては話どころでは無い。危険、トラブルという意味だ。彼女が聞けば馬鹿にしているのかと怒り出すだろうが、主を意義に乏しい危険に敢えて晒す事も無いだろう。何より真也はこの手の人種になれていた。数歩歩けば賊に当たる、と言う意味だ。事実、真也の目の前に見るからに怪しい五名が立っていた。外国人、観光客は良いカモなのである。危険意識の乏しいボンクラ外国人が、迷い込んだと思ったのだろう。彼らは背は高くグレーのジャージを着ていた。パーカーを羽織っている者も居た。五人の中で最も背が高い人物が一歩踏み出した。
「お前、外国人だな」
「そうだ」
「ここは俺らの場所だ。怪我をしないうちに金をおいて出て行け」
彼らには彼らの決まりがある。正論を持ち出したところで意味が無い。十戒の石版を持ち出したところで、割られるのがオチだ。だから真也は端的に写真を突き出した。
「この人を見た奴は居ないか? 知ってる奴が居たら話せ。五ポンドやる」
「たったの五ポンドかよ」
「ぬかせ、上等だろ。マクドナルドでランチが食える」
「ゴミ箱を漁った事も無い外国人様はお偉いな」
「おまえらのお可哀想な話に付き合う気は無い。知っているか知っていないか、答えろ」
「お前、寿命を縮めたぜ?」
「その手の脅しは慣れてる。本当に殺しに掛かる奴は、脅しなんてしないからな」
「決めた。有り金奪う」
地に伏せうめき声を上げる彼らに、真也はこう説いた。
「そうそう。樹の中に居る幼虫はな、腹の中に木くずをため込んでるから暫く寝かすんだ。そうすると排泄されて美味しく食べられる」
暫く歩くと、少年どころか体格の良い大人まで現れた。そんな事を繰り返す事1時間。無駄足かと、帰ろうとした矢先だ。蹲っている子供に気がついた。廃屋の玄関の奥まった所だった。それも良くある話だ。親の無い子供、家の無い子供、飢えた子供、まともに認識するとキリが無い。それは旅の途中の事。彼はかつて子供に恵んだ事がある。何処に潜んでいたのか、なら俺もと瞬く間に詰め寄られた。強引に逃げ出すと、その恵んだ金を巡って争いすら起きた。恵んだ子は大勢に殴られていた。その子供の泣き声は今でも耳に残っている。
複雑な表情で立ち去ろうとした真也は足を止めた。その子供の”脇腹に”人の顔が見えたからだった。通りすがりの見知らぬ老人が呟いた。
「あの子供に関わらん方がええ」
「何故です」
「割と小綺麗な格好しとろう? 何名かが絡んだが、狂った様に逃げていったわ。悪魔憑きじゃろうて」
その老人はカラカラとスーパーマーケットにあるカートを押して去って行った。真也が小走りで駆けよればその子供は腹を抱え、呻いていた。
「なるほどな」
真也はそう呟いた。その子供は金髪で十歳前後。デニムにスニーカー、ハーフコートを纏〈まとい〉い、ニット帽を被っていた。背中には少々不釣り合いな大きな鞄を背負っていた。みすぼらしい恰好だが清潔感はあった。
(迷子か、家出か、捨て子か)
彼は眼鏡を取ると指先で脇腹を突いた。その子供に憑いた悪霊を殺したのである。真也はその子供の背中を摩った。
(霊媒体質か? この子)
ぱちりと目を開いた少年の頭上には赤色の大人が居た。
「坊主。日没前に教会に行って聖水を貰え。可能であれば洗礼済みのロザリオがいい。イギリスじゃ効果は低いかも知れないけれど粗塩って手もある。袋に入れて持ち歩けばマシだろ」
その大人はそう言い残すと立ち去った。
◆◆◆
真也はその子供につけ回されていた。真紅の外套を纏った一八五センチの真也の後を十歳前後の子供が歩いていた。周囲の視線も痛い。通報され事案とされるのも時間の問題だ。さてどうするか。それは簡単である。真也は走り出した。大人が子供を撒く事など容易い。サーヴァントとしての能力以前だ。ところがどうした事か。撒いたと聞き込みを再開すれば、いつの間にか真也の近くに立っていた。その子供は真也を見上げ睨んでいた。
「何故いるし」
彼はもう一度巻いた。追いつかれた。今度こそはと逃げた。また追いつかれた。
「何故だ」
もう一度、と思ったところで思い直した。真也は渋々、しゃがみ、そして視線を合わせた。
「何か用か坊主」
「おまえ、気にくわない」
「……」
「真っ赤なコートなんてダッセェ」
「……自分の所感を偽りなく述べる事は良い事だ。だけど、もう少し言葉の意味を考えろ。処世術って意味。殴られても文句言えないぞ」
「そんなん無意味だね」
「何でそう思う」
「おまえはボンクラだから」
真也は後日語る。この時キレ無かったのは、自制心の賜だと。
「いいか、坊主。一個教えてやる。最初に会ったら“コンニチワ”だ。お、ぼ、え、て、お、け」
真也は子供を捕らえると、その両の米神に拳をねじ込んだ。もちろん手加減はしていた。
「いってーーーーーーっ!」
そして気がついた。真也の魔術回路とその子供の魔術回路が反発したのである。その子供は米神を抑え涙目だ。それでも真也を睨み上げていた。
「そうか。坊主、お前はそう言うんだな」
魔術法則の一つである“類似”。その子供は己を任意の対象に似せる事が出来た。己を真也に似せたその子供は、真也をトレースする事が出来たのである。何故なら真也の居場所は真也が分っているからだ。抗魔力をもつ真也が相手では場所を追跡する程度で収まったが、一般人を相手にすれば限定的ではあるものの思考を読む事も動かす事も可能だ。
「俺はトオサカシンヤという。坊主、お前は?」
「シンヤ?」
「そうだ」
「シンヤ……そうか、お前、シンヤか」
「日本名が珍しいか。坊主の慣例では、シンヤトオサカが正しいけれど、まあいい。そんな事より家は何処だ。親元まで送ってやる」
「……」
「そうか。それは済まなかった……気軽にその力を使うな。相手に似るって事は、乗っ取られる事でもある。未熟な坊主じゃさっきみたいに取り憑かれる。そして一つ選択をやろう。教会に連れて行きたいけれど俺は連中が嫌いでね。連中も俺を嫌ってる。1ポンドやる。それでどこかに行け。付いてくると言うのなら金はやらん」
「そんな端金なんか要るかよ」
「稼ぎ損ねたな、坊主」
真也は立ち上がると歩きだした。当然子供は付いてきた。出るのは溜息のみである。
(どうすんだ、この状況。仕事もあるってのに、子供が絡むと碌な事にならないってのに)
◆◆◆
仕事はしなくてはならないのである。警察に連れて行こうにも、この子供なら大人を出し抜く事が出来るだろう。事実、不審がり声を掛けてきた女性は、子供の一睨みでどこかへ行ってしまった。真也は渋々仕事を続ける事にした。特異な力を持とうが身体は子供。体力は圧倒的に大人に劣る。消耗させれば、諦めざるを得ない。実に姑息である。
暫く歩き回ったあと真也は公園で酒を呑んでいる老人に声を掛けた。ベンチに腰掛けるその人物はゴルファーが良く被るハンチング帽を被り、白髪に白い髭を生やしていた。ブラウンのジャケットはヨレヨレで、シャツは黒、スラックスはグレー。色もちぐはぐである。革靴も痛みが激しい。
「何か用かね」
かつてランサーは真也にこう言った。
《辛い何かを背負い込んじまったら、酒を呑んで、歌でも歌って、忘れた振りをするしかねーんじゃねーの》
それはバーサーカー第二戦目に向かう途中の事だった。老人も大変なのだな、感傷に浸りつつ真也は言う。
「おじいさん。この人を知りませんか」
真也はマリアの顔写真を取りだした。どれどれと、その老人はポケットから老眼鏡を取り出した。
「こりゃまたキレイな娘さんだね」
そして自然に呟いた。一件地味な美術品が実はオークション級だったと言わんばかりである。
「そう見えますか?」
「少々野暮ったいが、着飾ればお姫様になろうて。兄さんの恋人かい?」
「残念ながら」
子供はその写真を見ようと二人の周りをうろちょろしていたが、思いついた様にベンチに上がり覗き込んだ。
「知り合いです。連絡が取れなくなって探しているんです」
「んー、どこかで見たんだか。見てないんだか。他に特徴はないのかね?」
「おっぱいが大きいです。俺の経験上最大級です」
どれどれと視線を下げれば老人の目尻も下がる。ルーズな服で分りにくいがその膨れ上がり具合は常人の三倍だ。
「マ、マブい」
「でしょー」
二人はあははと笑い合う。そして主の登場だ。ルヴィアは腕を組んで睨んでいた。彼は“なんでここが”とは聞かなかった。石を渡されている為だ。当然である。だもので背後の主にこう聞いた。
「あの、いつからそこに?」
「“残念ながら”というところからかしら」
「これはご老人との、コミュニケーションの手段でありまして」
「シンヤ。この際です。伝えておきましょう」
・誠実、まじめ
・忠実、嘘を付かない
・直実、素直
「私が尊ぶのはこの三つです」
「三つとも意味は同じでは?」
「責務に服していると思えば……」
「あの。決してルヴィア様のバストサイズがどうこうという意味では――」
「シンヤ、覚悟なさい」
(あれ、なんか義姉と姿がだぶる)
ルヴィアの右袖に隠れた魔術刻印が唸り始めた。
(……マズイ)
その“マズイ”とは複数の意味を持った。一つは老人と子供に魔術を見られると言う意味。一つはその二人を巻き添えにすると言う意味。そして今回は本気で撃たれると言う意味だ。その真也を救ったのは老人だった。ルヴィアを見た老人は写真を放り投げると、駆け寄り傅〈かしづ〉いた。子供は呆けた様にルヴィアを見ていた。
「おぉ麗しのセニョール。貴女の美しさの余り、涙で枯れ果てた筈の、恋の花が咲き乱れましたぞ。頭上には恋を司る星が輝いております。今私は私たちを繋ぐ強い絆を感じました。この老いぼれが全身全霊を籠めて、星の物語を語りましょう。どうぞこの手をお取り下さい。美しい一夜を供に。私の手に」
老人が若いのか、それとも主の魔性故か。目の前の光景に歪さを感じつつも、真也はじっとその光景を見ていた。そして彼は腕を組み首を傾げた。考えるポーズである。
(そう言えば孫娘ぐらいの相手にプロポーズした偉人が居たな。誰だっけ)
「折角のお誘いですがご老体。占星術は専門ではありませんので。今ひとつ。私は男性ではありませんので。では」
「……こ、これはとんだ失礼を」
ルヴィアは手慣れた様にあしらった。真也に一瞥を投げる踵を返した。“話があります”と言わんばかりである。真也は写真を掴むと慌てて後を追った。少し顔が青かった。
「おぉ、セニョール! いずこへ向かわれる~!!」
この場合セニョリータが正しい。
◆◆◆
「そう、そうです。ルヴィア様」
真也は数歩先を行く主を見てこう言った。僅かに声のトーンが高かった。
「何が、かしら」
だが主の声は重かった。
「ゲーテですよ。ゲーテ。彼は未亡人の娘ウルリーケにプロポーズしたんです。彼女は当時十九歳。ゲーテは七四歳ですよ。あのお爺さん若い頃実は天才イケメンだったかも知れませんね。いやぁ、流石は我が主。罪作りな方です。ですが私としても鼻が高い」
足を止め、振り返った彼の主は笑っていたが、怒ってもいた。
「シンヤ」
「なんでしょうか」
「一人の女性を娶り家庭を築く生き方と、情熱やら青春やら、なにやらと適当な修飾を付け女を渡り歩く生き方とどちらが正しいのかしら」
「あのお爺さんの亡くなった奥さんがルヴィア様に似ていたとか」
「シンヤに聞いています」
「前者かと思います」
とてつもなく胃が痛んだが、そこは我慢する空気である。
「意図的にやっていますわね?」
「何が何のことやら。私にはさっぱりです」
「前々から感じていました。まさか、とも。そこまでは、と否定してきましたが。私は確信しました」
「……具体的にお願いします」
「シンヤ」
「はい」
「“知った”上で私に不愉快な思いをさせている、どうかしら」
「せめて恣意的にと」
「それは弁解になっていまして?」
「ワザとじゃありませんし」
ルヴィアが天に向けた手の平には、魔力を帯びた三つの鉱石が浮いていた。真也の読み上げるその様は、賽の河原で石を積む子供たちの様。
「えーと、インペリアルトパーズは炎。エンジェライトは許しと咎人でしたね。アポフィライトは浄化でしたか。その組み合わせは“炎を以て咎人の罪を浄化する”ですか。そうですか、俺は咎人ですか。確かにルヴィア様以外の女性を褒める様な言動をしましたがちょっとぐらい良いと思うんです。面と向かって言った訳じゃ無いですし」
「シンヤ。言い残す事があれば聞きましょう」
「ルヴィア様がヤキモチ焼きだって気づかなかったのは俺のミスでしたねー」
それは些細であったが重要な意思疎通の齟齬だった。
「Execution〈断罪〉」
回避するべきか、逃げるべきか。悩んだ彼は防御し敢えて受ける事にした。彼の抗魔力はB。真也の見立てではルヴィアのそれはB。死にはしまい、という極めて楽観的な判断である。彼の経験上、避ければ拗れ、事態が悪化する事は良く分かっていた。その三つの鉱石が弾ける刹那、彼女は足下の人影に気がついた。その人影とは子供であり、ルヴィアを見上げ凝視していた。
「この子は?」
助かったと、素晴らしい水差しだと、真也は心中で拍手喝采だ。
「見ず知らずの坊主です。私の目立つ風貌が気に入らないのか、タゲられました」
「タゲ?」
「纏わり付かれている、という意味です」
「何を考えているのかしら。子供に構っている場合では無いでしょうに」
「いやまぁ、そうなんですが何とも成らず」
主が拳を降ろした事に安堵すれば、事態は異なる展開を擁し始めた。良くある様に、子供扱いされたその子供の怒りは怒髪天を衝く勢いだ。声変わりにはまだ数年は掛かる、子供らしい甲高い声でそう吠えた。
「子供じゃねえ!」
「早く家にお帰りなさい。子供の出番ではありませんわ」
「うるさい、ブス!」
痛い程の沈黙だった。真也は青い顔である。
(ルヴィア様をブスとか。マジで眼科行け。もしくは脳神経外科だ。認知能力を測ってこい)
ルヴィアは暫く固まっていた表情を解すと、我に返った様に髪をふわりとかき上げた。
「子供のなす事に目くじらを立てるなんて、優雅さに欠けますわね」
「しってるぜ。素顔に自信が無いから化粧するって。厚化粧のコールタールババア」
この子供は空間を固める固有結界を持つに違いない、真也はそんな事を考えた。
「こ、こ、こここ」
「コケコッコー」
子供は右手の平を頭に沿えて鶏冠の真似、左手を口元に沿えてくちばしの真似、多芸である。真也は目の前に繰り広げられる、何処か放牧的でありながらサスペンス的でもある喜劇に唸っていた。
(あー、居たわ。小学生ぐらいの時、こんなコトする奴)
恐れ知らずのコメディアンに彼は懐かしさを覚えた。あの時は本当に子供だったのだなと、真也は遠い目である。やむを得まいと真也は二人の間に割って入った。流石に見殺しは夢見が悪かろう。出来るだけの事はしようと、彼は子供の頭に拳骨を落とした。
「いってぇ! なにするんだ!」
「良いか坊主。この人は一見お嬢様に見えるけれど実は魔女なんだ。グリム童話にでてくる“トゥルーデの魔女” 早く謝らないと薪にされて、火にくべられてしまうぞ」
「そんな嘘っぽい話なんか怖くねぇ!」
真也はちらと主を見た。子供のする事だからこれで手を打てという懇願である。自尊心と行き場のない屈辱に、端正な表情を辛うじて保ちながらルヴィアは言う。
「行きますわよ、シンヤ。子供になど付き合っていられますか」
(また子供扱いするし)
そして世界は回り出す。ついと踵を返したルヴィアのロイヤルブルーのドレスのスカートの、その裾が華々しく舞っていたのだった。幻想種を見ればこの様な印象を受けるのだろう、真也は他人事の様に考えていた。そのロイヤルブルーの花びらの奥には、白いレースの妖精が住んでいたのである。
(一晩ぐらいで機嫌が治まると良いけれどナー)
そう、その子供は。ルヴィアゼリッタ=エーデルフェルトのスカートを捲っていたのだった。
つづく!