赤い林檎を蹴飛ばしたら 作:d1199
スカートめくり、それは子供の悪戯である。女の子を困らせたいという、幼年期の男にありがちな困った性質だ。彼の場合はどうだったかというと、シスコンだった為縁が無かった。というよりはシスコンだった為、何の関心も持たなかった。ただ、良い兄で在らんとした為止める立場であった。もちろん、好きなのか付き合ってるのか等々、はやし立てられた事もあったが、シスコンだった為全く気にしなかった。相当数のフラグを立てたが、全てへし折った。何故なら当時の彼はシスコンだった為である。
背後から見る彼女のそれは、シルク生地のハーフバックタイプだった。スノウホワイトカラーは清純で、あしらわれたレースは羽根の様な軽やかさを持っていた。生地は薄手で蟲惑的な形を強調していた。事実、腰から臀部、そして腿を形作る曲線は絵画の様に現実感が欠いていたが、それでいて生物的な肉感があった。細すぎず、太すぎず。その魅惑的な美しさは筆舌に尽くしがたい。正に神細工である。当の真也は達観の表情だ。
(そうか、ルヴィア様は白か。青じゃ無かったか)
彼は現実逃避していた。十秒以内に見舞われるであろう、未曾有の壊滅をどのように回避しようか、それどころでは無かったのである。だが思いつかなかった。両手でスカートの前を押さえ、その次は左手を前に残したまま、右手で後ろを押さえ、そして開いていた華は閉じた。それは宇宙的で雄大な自然現象を見終わった様な達成感である。日蝕、または月蝕。ハレー彗星でも良いし、超新星爆発もありだろう。或いは、核爆発だったかもしれない。
スカートを抑え、振り返り、長い髪を振り乱し、振り返った主の表情には。プライドもなく、余裕も無く、威厳も無い、素の表情だった。そう表現すれば聞こえは良いが、感情が弾ける直前の表情とも言える。
「こ、このっ、無礼者っ!」
この状況は非情に危険だ。そう直感した彼は子供を脇に抱え、走り出した。その様は脱兎の如く。
「先にホテルへお戻り下さい! 私は落とし前を付けさせますーっ!」
「お待ちなさいっ!」
公園を走り抜け、フェンスを飛び越えた。道路を横断し、そして跳躍。民家の屋根々を八艘飛び。人気の無いところを求めて、探し走り続ければ墓地である。この時間に訪れる人間は居まい。真也は適当なところで、脇で暴れる子供を放り投げた。雑草と土が、柔らかい安全な音を立てた。
「なにしやがる!」
足下で喚く子供をどうしようかと真也は頭を掻いた。子供は子供扱いされる事を嫌う。何かに興味を持ち、手を出そうとすれば、大人のセリフは決まっている。子供の仕事は勉強だ、子供にはまだ早い、子供のする事じゃ無い、子供の癖に生意気だ……真也はそれを知っていた。ルヴィアもその経験がある。実際の所、無用の挑発という意味で彼女にも失態があった。だもので彼は迷った。一方的な否定は反発を生むだけだ。叱ると怒るは違うのである。
「何か言えよ!」
思案に暮れた彼はこう言った。
「あのな坊主。子供扱いされて腹を立てたのは良い。大人は子供だった時、大人にされた嫌な事を忘れるからな。俺だって子供の頃は……俺の事はまあ良いか。でもだからって、スカートめくりはやり過ぎだ」
「やり過ぎじゃねぇ。ムカつく女にはとうぜんだ」
「人に因るんだよ。笑って済ます人も居れば、深刻に捕らえる人も居る。彼女の泣きそうな顔を見ただろ。どう思った。正しい事だった、今でもそう思うか?」
「……」
「明確に言おう。坊主、お前はあの女の子を傷つけた」
真也の胃がシクシクと痛んだ。子供は俯き、黙り込んでしまった。沈黙が訪れる。
「だって、」
子供なりの自尊心と罪悪感の葛藤であった。
「それを理解したなら、もう俺が言う事は無い。謝っといてやるから坊主はもう帰れ。深夜に子供を放り出すのも気は引けるが、坊主の魔術回路ならどうとでもなるだろ」
真也が踵を返すと、背後に付いていくる気配があった。その子供は付いてきたのである。何故言う事を聞かないのか、と真也は流石に苛立ち始めた。
「あのな坊主。お前は俺らに手間を掛けている。俺らは仕事で来ていてそれは危険な事だ。幾ら優れた資質を持っていても子供の出る幕じゃ無い。俺らにとっても足手まといになるし、坊主にとっても危険極まりない。この意味は分るか?」
その子供は無言で真也を睨み上げていた。付いていくとその眼は語っていた。
「頑固というか、物わかりが悪いというか。言って分らないか。撒いても追いつかれるし、仕方が無い」
「なにがだよ」
「”お前の為” なんて薄っぺらい事は言わない。トラウマになるかも知れないけれど、死ぬよりましだろ。ちょっとキツイの行くぞ」
真也は死を想起させる強い思念をその子供に打ち込んだ。リバプールに向かう時、ルヴィアに声を掛けた男が居た、その一つ先。リバプールの警察署に勾留されていた男がいた、その二つ前。その子供が持ったイメージは、悪霊でもなく、死でもなく親に忘れられる事だった。
その部屋は白かった。窓に掛かるカーテンは白色で、優しい風に揺らいでいた。優しい場所だった。おもちゃがあった。犬も居た。天井には星が、壁には天使と女の子が描かれていた。そしてベッドがあった。そのベッドには一人の子供が寝ていた。安らかで、不安と恐れとは無縁の存在だ。何故ならその傍らには一人の人物が居たから。
その人物は子供の頭を優しく撫でていた。口ずさむハミングが部屋に流れれば子守歌となる。その人物は優しい顔をしていた。その人物の事を知っているが、その様な表情をするとは知らなかった。いや、知っていた。昔はその微笑みを向けられていたからだ。だが何時の頃からか、恐れを見せる様になった。恐れは疎み、そして憎しみとなった。それはどうしてだったか。
そう、おもしろ半分でその人物の心を読んだ時からだ。飼い犬を自在に操ったからだ。その時のその人物の表情は良く覚えている。やってはいけない事をして仕舞ったのだと、その時悟った。だが手遅れ。だからボクはお母さんに捨てられた。
そして現実に戻った。真也が見下ろすその子供の身体は震えていた。声が出ない程だ、だがその恐ろしさは如何ほどのものか。涙が止めどもなくこぼれ落ちていた。奥底に仕舞った忌まわしき記憶を強引に暴かれたのである。
「俺らに付いてくると、その程度では済まない。もう諦めろ」
真也が踵を返すとその子供は泣きながら付いてきた。声は堪えていた。意地でも出せなかった。理解出来ないと真也はしゃがみこんだ。視線の高さを合わせる。
「坊主。何でだ。なんで怖い目に遭ってまで付いてこようとする」
「シンヤを見つけろって」
「誰に?」
「わかんねえ」
「なんでだ。誰かに言われたとしても、そこまで執着する事か?」
「わかんねえ」
「それは何時の事だ」
「さきおととい」
「難しい言葉知ってるな」
真也は端と気づいた。それはマリア=アジャーニが連絡を絶った日である。彼はポケットから写真を取り出した。
「坊主はこの人知ってるのか?」
その写真を見る子供の目は空虚だった。何かに介入され、意識を停止させられているかの様だ。
「坊主?」
「わかんねえ」
「知らないでもなく、見覚えが無いでもなく、分らない?」
「そうだ」
「何か預かってるか?」
「わかんねえ」
「……」
真也は写真を仕舞うとこう言った。それは敢えて言及してこなかった事だが、真也の決断には必要な確認だった。
「坊主。親はどうした」
「孤児院に置いていかれた」
「なんで探そうとしなかった。お前の魔術特性なら出来ただろ」
「俺のことが嫌いだから。薄気味悪がってた。なら迷惑は掛けたくなかった」
「そうか。親に坊主みたいな力はあったか?」
「ない」
「坊主はこの事件に関係がありそうだ。だから付いてきても良い。けれど死ぬ可能性があるぞ、それでも良いか?」
「わかんねえ」
「ま、坊主の歳で聞くのも酷か。これから俺たちはホテルに戻る。その間に謝る言葉を考えておけ」
真也はその子供を抱きしめた。それは義母から受けた事の再現である。
「済まなかった。辛い思いをさせた様だ」
腕の中の子供は暫く身を固めていたが、じきに泣きじゃくり始めた。夜空に浮かぶ雲が流れ、月が姿を現した頃だ。子供は言った。
「もういい」
「そうか。なら行くぞ」
二人は連れだって歩き出した。子供は袖で涙を拭いながら。
「おい、シンヤ」
「安心しろ。泣いた事は俺らだけの秘密だ。お嬢様には言わない」
不愉快、というよりはふて腐れた顔をすると、その子供はこう言った。
「シンヤ、お前はあのアイツが好きなのか?」
真也の目が丸くなる。
(……そっか。そう言うことか。見る目があるというか、恐れを知らないというか、マセガキめ)
そして胸を張った。
「そりゃもちろん。けどな、坊主。好きって一言で言ってもその意味は広いぞ。坊主の好きと俺の好きは多分違う。ついでに言っておくが、言葉で表現するのも重要だけれど行動はもっと大事だ。好かれたいなら、悪戯なんてやめろ。逆効果だ。好意の基本は大切にする、これに尽きる。駆け引きはその次だ」
「女に興味はねえよ。シンヤみたいになりたくないからな」
「おおう。言うじゃ無いか」
「あったり前だろ。男のクセに尻に敷かれるなんて情けねぇ」
「良いか坊主。世の中を動かすのは資質を持ち、尚且つ標準の訓練を受けた正統な人達だ。そういう人材は貴重な上に、育成に時間が掛かる。俺らの様に特化した異端ってのは、その人達がつくったインフラにただ乗りしているだけなんだよ。その正統とはお嬢様の事だ。世の中の存続、維持を考えれば彼女を尊重するってのは当然だろ?」
「おまえは保守派か」
「難しい言葉知ってるな。いいか? 琴の弦は張りすぎると切れる、緩すぎては音が出ない、適度な中道が最も良い。これは古代インドの人の言葉だけれど全く以て同感。だもんでポリシーは中道だ。お前の言う通り保守なんだろうな。けれど覚えておけ。坊主が尖れるのは社会に対し何も持っていないからだ。これから坊主が一つ歳を取る度に、何かを持つ。何かを持つとそれを失う事が怖くなる。そうすると好きな様に動けなくなる。今のうちに十分尖っておけよ。大人になったらそんな事出来ないからな。大人になって尖っていたら、DQNか偉人のどちらかだ。分るか?」
「ぜんぜん」
「ま、スカートめくりはNGだと分れば……」
真也は子供の頭に拳骨を落とした。
「いってぇ! なにしやがる!」
「見事と言っておこうか。ルヴィア様のスカートを捲るなんて、俺には出来ない事をやり遂げた。その偉業に敬意をしめそう。だがそれはそれだ」
「ルヴィア?」
「ルヴィアゼリッタ=エーデルフェルト。俺の主だ。主は冷静かつ合理的なお方でな、デメリットよりメリットが大きければ、受け入れる度量をお持ちだ」
「?」
「と、言う訳でルヴィア様。この坊主なにか因縁がありそうです。無報酬で良いでしょうし、雇ってみませんか?」
するとルヴィアが木の陰から姿を現した。腕を組む彼女は不愉快さを隠さない。
「後はお前次第だ。勇気の見せ所だぞ、坊主」
「え、けどよ」
真也は子供の肘で押した。その子供は二,三歩歩くと俯いた。
「……すまねえ」
「ごめんなさい、だろ」
「……ごめんなさい」
ルヴィアは盛大な溜息をつくと、髪を手櫛で流した。こう言った。
「もう一度私に狼藉を働けば、その時は覚悟をなさい。良いですわね」
「分った」
“ぽかり” と真也に叩かれた。
「わ、分りました」
「ところでシンヤ」
「はい。何でしょうか」
「見ましたわね?」
「イイエ」
◆◆◆
高級ホテルの一室で二人は打ち合わせを行っていた。今後の方針を立てる為であった。ルヴィアがソファーに腰掛けると、真也は諸々の資料を硝子製のローテーブルに置いた。
「あの子は?」
「俺の部屋で寝ています。なんだかんだ子供ですね、ぐっすりですよ」
真也も腰掛けた。彼女の正面である。
「日中の調査ですが俺の方は収穫無しです。アジャーニさんが宿泊した部屋、そして荷物も有用な手がかりはゼロ。ルヴィア様は?」
「教会の近くでそれらしい人影を見たと言う情報があります。そこの神父はこの町の歴史に精通しているとか。ただし目的は不明。警察署ならまだ分るけれど何故教会なのかしら」
「明日図書館に行ってみましょう」
「その根拠は?」
「彼女は魔術的な意味での地理学を専攻していました。この町の過去を調べたのかもしれません。この町にはローマ街道が通っています。彼女の受け売りですが歴史があり大きい道ほど霊的な意味を持つとか。猟奇殺人の様な事件は、霊的にも重いですから。山岳や河川、地下水、畑、そう言った自然を司る地方神と関連性を見つけたのかも知れません」
「手がかりも乏しい現状では、妥当かしらね」
「決まりですね」
「ところでシンヤ。ミス=アジャーニの荷物とは?」
「ええ。置きっ放しの荷物です。彼女の泊まったホテルが目と鼻の先なので、坊主に協力しても、あ、いえ。そういう疚しい気持ちは一切ありません。プライバシーの侵害とは思いましたが、何分火急の事態ですので。もちろん純粋な捜査行動です。念のためお伝えしておきますが、女性モノ下着は慣れております。そもそもその手の性的嗜好は持ち合せておりません。中身が無い以上ただの布きれ……」
ルヴィアの誘導尋問であった。まんまと引っ掛かったのである。
「やはり、見ましたわね?」
「イイエ」
「シンヤ」
「不可抗力です」
「シンヤ」
「手打ちになったのでは?」
「傍にいらっしゃいな」
ルヴィアは右手の平を上下に振って誘った。彼女は澄まし顔だ。真也は深い溜息が止まらない。彼はしぶしぶ頬を差し出した。その部屋に乾いた音がした。
◆◆◆
テーブルに置いてある、ウィスキーボトルの量が半分になった頃だ。二人の酔いは良い感じに回っていた。ルヴィアの白い肌は高揚し、瞳も揺らいでいた。真也の手にあるグラスがカランと氷の音を立てた。二人は出来上がっていた。
「ルヴィア様。現代の魔術師ってのは本当に歪んでる。魔術師とは孤高であるべき存在とは言いつつも、一人では存在出来ない。山から山菜、木の実、動物を狩り、そして川から魚を捕る。そういう自然と一体化し、山奥、森の中で籠もっていた中世ならいざ知らず、世界が高速交通機関とネットワークで繋がった現代でそれをするなら確実に出し抜かれる事になる」
「それは事実でしょうが、名家程積み立てた魔術体系、つまり魔術刻印がありますもの。そう簡単に覆せるものでは無いでしょうに」
「俺は思いますよ。そういったテクノロジーに拒絶感を持たない若手の魔術師たちが、ネットワークという概念を利用し相互利用する様になったら、パラダイムシフトが起こるのではないかと」
「あり得ませんわ。魔術とは秘匿が原則」
「それの主な意義は一般人に対して、でしょう。その存在を広く知られると神秘性を失う、ですが世界にはアクセス権という物があって、無関係な人間を排除する事が出来る。ないし、閉じたネットワーク世界であれば問題ない」
「中々に突飛で異端な考え方ですこと。SFの映画にある様にそのネットワークと魔術師が繋がり、互いの真髄を公開しなくともそのネットワーク自体が魔術知識を持つ事になる。ミス=アジャーニが言う、人の作った道が呪術的意味を持った様に、情報網も何らかの意味を持てば、可能性は否定出来ませんわね。どうなるかしら」
「ひょっとしたら我々は近い将来に魔術という大転換を迎えるかも知れませんね。何もしなくても衰退、革新を起こせば消滅。でも、新しい何かが生まれる」
「魔術がその力を失ったら、シンヤはどうしますの?」
「そうですね。ワインかチーズを作るってのはどうですか」
「シンヤは本当に変わっていますわね。魔術が無くなったら、それを考える事が出来るとは」
「デキが悪いですから……そうそう、忘れないうちに。あの子供の事です。グレイさんの話によると」
「ミス=グレイ?」
「ええ。調べて貰ってたんです。先程連絡が、携帯電話に……言っておきますが、この携帯は塔のモノですから」
「何も聞いていません。続けなさい」
「本名アレックス=グーデ。孤児院、コンスタンティンホームの子供で、脱走の常習犯だそうです。捨て子で両親は魔術師ではありません、つまり」
「突発的に発生した魔術特性……」
「薄気味がられ捨てられた、そんなところでしょう。その詳細は不明ですが貴重ですよ。エーデルフェルトがお引き取りになっては? 案外良い従者になるかも知れませんし」
「そうですわね」
ルヴィアはちらと真也を見た。彼は気づかない振りでグラスをテーブルに置いた。
「それでは部屋に戻ります。明日の八時に伺います。本日はお疲れでしょう、ゆっくりお休み下さい」
「皮肉にしては良く出来ていますこと」
部屋に戻った真也は、寝息を立てる子供の額に手の平を宛がった。この子供も持った特性故に親から愛されなかった。そして自分でも分らない何かに動かされているのだった。真也はそれを知ったのである。
「同情でも、大人の義務でも何でも良いか」
そう言うと彼は子供の鞄に主から渡された複合結晶を入れた。そしてソファーに腰掛けると何時もの様に身体の活動状態を落とした。心拍、各臓器の活動を睡眠状態を〇、覚醒状態を一〇〇と数値化してみると、今の彼は三〇程だ。脳波も徐々に長くなり、じきにシータ波で止まる。これ以下はデルタ波と呼ばれる深い睡眠状態となり、彼は完全に寝ないのである。そして暫く経った頃、それは唐突にやってきた。
《お前の代わりにあの坊主を置いてくってか。イケてねぇな》
真也の目の前に彼が立っていた。かつてそうであった様に真紅の魔槍を担いでいた。彼は呆れていた。ヤレヤレと。
《彼女には話してある。彼女もそれを理解もしてる》
《だから手を付けないってか。もったいねぇ》
《黙れ。俺はお前みたいに器用じゃない。もう一杯一杯だ。これ以上背負うと潰れる》
《分っていない様だから言っておくが、ここに残っても、帰っても背負う量は増えるぜ? お前があの嬢ちゃんと契約した時からな》
《久しぶりに出てくれば説教か。暇な奴》
《何処ぞの誰ぞは三年経ってもだらしがねえからな。図体と知恵ばかり付いて中身はちっとも大人になりゃしねえ》
《これでも努力してる》
《努力で成るもんじゃねえよ。ガキでもこさえてみろ。そうすれば、馬鹿なお前でも大人に成れるんじゃねーの?》
子供みたいに笑うとその槍兵は消えた。
《人生ってのは厄介だ。一つ壁を越えるとまた一つ壁がある。大地を砕いても、風より速く走っても、全く役に立たない。一体どれだけ超えれば良い。どれだけ超えればあの男に手が届く……あ、また、言うだけ言って逃げやがった。あいつ》
◆◆◆
翌日。朝食を済ませた3人は町の図書館にやってきた。3人が向かう丸いテーブルには所狭しと文献が積み上げられていた。それを紐解き調べれば、判明するのは謎ばかりである。最初は真也であった。
「妙ですね。この町では小さい事件はそれなりにありますが、猟奇殺人の類いは起こってない。アジャーニさんはなんでこの地を選んだ」
「逆に空白の地であったから、ではなくて? 古い道が生み出す霊的な意味での歪みは、諸々を誘発する原因となる。それに基づき彼女の視点で考えてみましょうか。今までの事件を浚ってみたのですけれど、最初は歴史のある道が無数に結ばれるロンドンで起こった。その後徐々に道が少ない地方に移動しています」
「つまりその首謀者は、実は歪みに基づき殺人をしている、と?」
「もしくはその歪みが目的で殺人は物の序で。警察の方々が気づかないのは無理ないですわね」
二人が指さし合う文献を見ながら、子供が言った。
「なぁルヴィア様、じゃなくて、ルヴィア様。歪みって?」
「霊的に不安定な事象、場所、そう言ったモノ総称して指す言葉よ。正しく管理した上で扱えば益を生み出すのだけれど、その対価として良からぬ事象、事件が起こりやすい。アレックス・グーデ。貴方もそう言ったモノに相対するなら心得ておきなさい」
「坊主、どう思う? お前はこの土地の人間だ。なにか心当たりはあるか?」
「……泉」
「泉?」
「死んだばあちゃんが言ってた。地下水が何時の頃からか濁り始めたって。これも歪みじゃないかって」
二人は見合わせた。
「何時の話だ、それ」
「大きな戦争のあとらしい」
真也が慌てて文献を捲ればその通りであった。
「記録にありました。坊主の言う通り、第2次世界大戦の前後から、地下水脈に異常が生じています」
子供は誇らしげであったが、真也は胸の不安が尽きない。
(また第2次世界大戦か。リバプールでの悪魔崇拝結社が壊滅したのもこの時期。そしてこの泉。そう言えばスコットさんの家もそうだったけれど……考えすぎか?)
ルヴィアが言う。
「昨日小耳に挟んだのだけれど、最近泉が清浄になったとか。ここまでカードが揃えば関連は疑うべきですわね、シンヤ?」
彼はげんなりしていた。
「いえ、なんか、行方不明者を探しに来たら、猟奇殺人で、道が生み出す歪みが登場して、その歪みは地下水脈に影響を与える程で、その歪みがタイミングを狙った様に動いた。話が段々変な方向に」
「禍源の渦の本領発揮ですわね。価値のある物の存在を感じます。こうこなくては真也を雇った甲斐がありません」
「嬉しくないです」
彼は机に突っ伏した。
「だらしねえ」
「うるさい」
◆◆◆
そして昼食である。3人は街角のイタリアン・レストランに居た。ルヴィアがジャンクフードを嫌がった為であったが、その店は本格的であった。コース料理という意味だ。
暫くぶりの豪勢な食事に、子供はかき込む様に食べていた。
「坊主、急がなくても無くならないからゆっくり食べろ」
「それはどういう意味かしら」
「孤児院での食事は取り合い、そういう事なんですよ。ぼうっとしてるとありつけなくなる」
「そう」
「坊主。トマトソースが頬に付いてるぞ。って、袖で拭くな!」
「シンヤはいちいちうっせえな。まるでジャンみたいだ」
「誰だそれは」
「口うるさくて女の癖に男っぽいんだ」
「女なのにジャンか」
「ジャーニー」
「その娘、年上だろ」
「よくわかったな」
「連絡はしとけよ。きっと心配してる。坊主にとって長い付き合いになるかもしれないし」
今まで静観していたルヴィアが等々指摘した。
「アレックス・グーデ(子供の名前)。食事は余裕を持って楽しむモノです。その様な作業的な食べ方はおやめなさい。テーブルマナー以前に品性が問われます。私の傍に居る以上、それは許しません」
「……分りました」
(分りやすいな、このコイツは)
客が3人だけなので、店主が話しかけてきた。黒い長袖シャツに長ズボン。白いエプロンを着けていた。対応したのは真也であった。
「お客さんがたは観光客かい?」
「ええ、そうです」
彼は躊躇う事なく自然に嘘を付いた。ルヴィアの非難めいた視線が痛い。
「親父さんはイギリス人ぽいけれど、イタリアに居た事があるんですか?」
「その通りだが。何故分ったのかな」
「前菜の生ハムがとても薄かったからですよ。ここまで薄いのはイギリスでは中々お目にかかれない」
「兄さんはイタリアに住んだ事があるのかい?」
「ええ。2週間程」
「どうせ学ぶなら本場でとね、若さに物を言わせて無茶をした。ま、そのお陰で料理は何とか身についた。楽しんで貰えたなら何よりだよ」
真也はカウンターに居る中年女性をちらと見た。
「なるほど。それで奥さんも身につけたと」
「中々、目敏いな」
「見るからにイタリア人系ですし」
「シチリアで一目惚れしてね。浚う様に連れてきた。そろそろ10年だが義理の父には未だ言われる」
「あんな綺麗な人なら仕方ないですね」
「……」
(しまった)
真也のその“しまった”はもちろん他の女性を褒めた事である。人妻なら大丈夫だろうと、店主に向いたまま、主の気配を探れば堅かった。人妻とは言え30代半ばであった。連れて歩けば疑われてもムリは無い。子供は呆れた様に呟いた。
「シンヤ、おまえ。そうやって見境無しに褒めるの止めろよな。せめて円満そうです、とかにしろって」
10歳の指摘が身を裂く程に痛い。だが“良いお兄ちゃん”を演じて10年。その習性はもはや身体に染みついていた。今度は子供を楯にして逃げるか、そう小賢しい事を考えていると予想外の展開だった。もちろん悪化だ。何故なら、人の良い店主の表情には、からかいが在ったからである。
「そう言われると、嬉しい限りだが。私から見ても兄さんも十分に恵まれているがね」
「はい?」
「綺麗な奥さんに、元気そうな男の子じゃないか」
空気が固まった。真也は呻いた。
(ベタだ。ベタすぎる。おい、おっさん。何処に目を付けている。服装見て考えろよ。落差ありすぎだぞ。それに俺20歳だぞ。坊主は10歳だぞ。10歳で子作りなんて有り得ないだろ)
外国人の年齢など、見て分る訳が無い。なにより東洋人が若く見えるなど有名だ。
「違うのかい?」
さて困った。3人とも赤の他人だと言えば不審がられる。ところが主も弟分も暗示を一向に使う気配が無い。ルヴィアはティーカップを持ったまま停止していた。子供は呆れた様にパスタを食べていた。
「ええ、そうなんですよ。よかった、中々そう見られなくて。ところで、トマト・ソースは自家製ですかぁーっ?」
真也は笑うより他は無い。
◆◆◆
食事は終わり、ティータイムである。真也は地図をテーブルに広げると、良く分からない緊張感を振り払うかの様にこう言った。
「今後の方針ですが、俺はアジャーニさんが目を付けた教会に行ってみます。ルヴィア様は泉の調査をお願いします。ケルト神話の淡水を司る“ニムエ”、ギリシャ神話の地下水を司る“テーテュース”、それともフィンランドの“アハティ”。この地に誰が祀られていたのか知りませんが、彼女らを怒らせるような事があったのかも知れません。坊主。栄誉あるルヴィア様のお付きだ、気張れよ」
「言われるまでもねえよ」
「シンヤは女神を彼女扱いするのね。剛胆だこと」
「気にしすぎでは?」
「とてもそうは思えません」
彼の家には地母神が居るのである。そう、義妹のサーヴァントだ。正直なところ神扱いなどしていなかった。女神ってこんなモノか、と言うのが彼の印象である。一神教の唯一神と異なり、地方神というのは人間に毛の生えた様な存在に近いのだ。もっともその毛は一般人と随分開きがある。
「……私の主も女神ですから。だからでしょう」
「それは光栄ですわ。何を司るのかしらね」
「富と美を司り、嫉妬深いって如何でしょうか。ギリシャ神っぽくて、いひゃぃぃぃぃぃぃっ!」
「まったく。主をトゥルーデおばさん呼ばわりする事と良い、調子に乗りすぎですわね」
「ばかめ」
「だまれ」
そして携帯の呼び出し音が鳴ったのである。それは真也の物であった。
「と、失礼」
店の外に出た真也は、暫くすると戻ってきた。ルヴィアは誰からの電話だ、と聞こうとして止めた。彼女の従者に表情が無かった為である。
「ラリー・シモンズ巡査部長からです。アジャーニさんが見つかりました。レッド・グレーグ王立劇場とモントゴメリー・マーケットだそうです」
その意味を悟ったルヴィアは言葉を発する事が出来ない。
「おい、シンヤ。それどういう意味だよ」
「坊主、悪いがお前はホテルに戻ってろ」
「なんだそれ。置いていくきか」
「俺らの立場を理解してくれ。坊主に死んだ人を見せられない。特に損壊が激しい場合はな」
つづく!