赤い林檎を蹴飛ばしたら 作:d1199
この町は初めての猟奇殺人事件で大騒動だ。事実現場には野次馬やらマスコミやらが押し寄せごった返していた。二人は現場への侵入を断念せざるを得なかった。全員に暗示を掛けるのは不可能だからだ。だから二人は警察署の遺体安置室に居た。警察がマリアを収容するのを待ったのである。ルヴィア、刑事、真也が囲む、寝心地など一切考慮されていないベッドの上には、成れ果てたマリア・アジャーニがあった。ルヴィアが手にする鑑識資料にはブラック・マリアと手書きで雑多に書かれていた。刑事が言う。
「血液は綺麗に抜かれ、臓器は引き抜かれ散らばっておりました。引き出した臓器に唾液が付着しておりました。舐めたようです。全く以て忌々しい奴ですな」
その遺体をじっと見ていた真也は呟いた。
「倒錯もここまで来れば関心すらします」
「シンヤ」
「申し訳ありません。失言でした」
友人同士にしては妙なやりとりの、ルヴィアと真也を訝しがりつつも刑事が言った。
「それだけではありません。どうやら生きたまま腑分けられたようです」
「ミスター・シモンズ。何故そう思いに?」
「こちらをご覧下さい」
ルヴィアの問いかけに応じて、刑事がマリアの胴体を持ち上げると首筋に血文字があった。
「ただ印刷した様な明瞭さで、ウチの鑑識もどうやって書いたのかと頭を抱えております」
そこには“Elisabeth Bathory”と書かれていた。真也は言う。
「彼女の特性は知る事、記録する事を得手としていましたから、驚きには値しませんよ」
「それはどの様な意味ですかな」
真也が目がその文字の意味に気がついた。
「エリ、ーザベト・バー……エリーザベト・バートリ? そんな馬鹿な」
ルヴィアが継いだ。
「なるほど。それならつじつまは合いますわ。彼女は腑分けに興奮し、苦痛を見る事が何よりの娯楽だったとか。血を抜かれるのも当然でしょう」
真也が遺体の破断面に触れば魔術によるものだと判明する。縄で縛り潰し切った様な跡だった。
「ルヴィア様は16世紀の魔女が今生きていると仰います?」
「いいえ。16世紀の魔女が存在している、ですわ。死徒は生きているとは言いませんから」
二人の会話が理解できない刑事は取りあえず行く末を伺っていた。真也の雰囲気と形相が変わっていた。それは恐怖である。
「ルヴィア様」
「塔に帰れ、という話なら聞きません」
「俺は対峙した事があります。連中は危険すぎます」
「シンヤが対峙した死徒の程度は知りません。確かに死徒の上位者ともなれば、脅威でしょうが個体差がある、違うかしら?」
「それは希望的観測です。そもそも上位では無くとも危険です。お帰りください」
「くどいですわよ」
手を焼かせるなと言わんばかりに、彼女は鑑識資料を丹念に読んでいた。我慢出来ないと彼は声を荒らげた
「ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト! 貴女は分かっていない!」
その声にルヴィアは驚きはしなかったが、初めて見る従者の感情的な一面にページを捲る指を止めた。彼の視線は下がり気味だ。手を強く握り、身体を震わせていた。恐怖に屈辱も混じっていた。
「俺はアレに手も足も出なかった。俺がここに立って居るのは連中の気まぐれです。危険すぎます」
「そこまで言うのならば仕方ありませんわね」
「ご理解感謝します」
「なら急ぎ荷物を纏めなさい。塔に帰りますわよ、シンヤ」
そう言われて漸く彼は気がついた。ルヴィアは呆れを隠さない。溜息すら出る。
「シンヤが忘れている事は、生きて帰国せねばならない身でありながら、仇を討とうと一人でその危険に身を投じようとしている事。従者の身でありながら、主を放り出そうとしている事。無茶苦茶ですわ。頭を冷やしなさい」
「どうしても、やる気ですか」
「当然」
「死ぬかも知れませんよ」
「魔術師とは歪みに相対する存在。何より死徒が関わる程のモノ、血が疼きますわね。神秘を前にして目の前にして引き下がれるものですか」
「貴女はイカれてる」
「だってシンヤが居ますもの。強気にも成りますわ」
暫く呆けていた彼はその言葉の意味を理解した。真也は腕を組んでそっぽを向いた。
「なんだって、こうも。強気で、強欲で、意地っ張りだ」
「だから私を主にしたのでしょうに」
「特別危険手当を希望します」
「許可します」
空気が和らいだ事を確認し、刑事は等々口を挟んだ。
「お取り込み中申し訳ありませんが、私には何が何だかさっぱりです。説明して頂けませんかな」
ルヴィアは誰をも虜にする様な、微笑みで刑事に詰め寄った。鼻先が触れ合わんばかり、呼吸の音すら聞こえそうな程だ。刑事の鼓動は年甲斐もなく強く打った。
「大人をからかうものでは在りませんぞ、レディ」
「ミスター・シモンズ。頂いた数多くのご配慮には感謝の言葉もありません。この様な非礼を以て対価とする私をお許しくださいな」
何を、刑事がそう言う前に、彼女は暗示を掛けた。彼は魂でも抜かれたかの様に、二人を出口へと誘導した。もちろん彼は何事も無かったかの様に振る舞った。
◆◆◆
警察署を出た二人はホテルに戻る道すがら歩く事にした。歩く事は考えを纏める事に良い効果がある。なによりマリアが死んだ事に戸惑いと後悔があった。叶うなら落ち着く時間が欲しかった。ルヴィアにとっては同じ塔の同じ魔術師という意味であり、真也にとっては協力(助け)を求められた相手という意味だった。
直に陽が落ちれば、その町は紅に染まっていた。人影は見受けられたがまばらだ。煉瓦造りの家々には明かりが灯っていた。調理の音が聞こえるならば、じきに夕食だ。それは家族団らんの時間だった。マリアの家はその団らんから一人欠けてしまった。二人にはそれが嫌と言う程に思い知らされた。真也の少し先を行くルヴィアは、軽くステップを踏んでいたが纏う雰囲気は重い。
「あの鑑定書に書かれていた“ブラック・マリア”には何か意味があるのかしら」
真也の視線は前を向いていたが朧気だった。
「元ネタはアメリカで起こった猟奇殺人事件を、センセーショナルに書き立てたマスコミの悪ふざけ。その被害者が黒髪でダリアという名前だったので“ブラック・ダリア” 誰かがマリアとダリアに掛けた。イギリス人の冗談は質が悪い、と言う事ですよ」
「誰かは知りませんが悪趣味だこと」
「全くですが、ルヴィア様。首謀者が死徒だったとして何が目的なんでしょう。娯楽の為ってのも腑に落ちません。敢えて歪みを選ぶ理由にならない」
「エリーザベト・バートリは悪魔崇拝者でもあったとか」
「ルヴィア様、それは」
「ええ、リバプールでのトマス・ニルセンも悪魔崇拝者でしたわね」
「この現代において二つも三つも存在するでしょうか」
「同じ組織、そう見るのが自然でしょう」
「あの時から始まっていた、と言う事ですか」
「何かありそうな予感がします」
「死徒以上の何か、ですか。心底愉しそうなルヴィア様を見ていると不安でなりません」
「期待していますわよ、シンヤ」
「あぁもう。こう成ったら最後まで付き合いますよ」
「それはそれとして。シンヤ。これからのプランを考えなさい」
「これから犯行現場に向かいましょう」
「犯人は現場に戻ってくる、少々消極的ですわね。待たされるのは好みません」
「そう言うと思いましたので、手がかりを被害者本人に聞きます」
「何を考えたのかしら」
真也はルヴィアに一房の髪を手渡した。それは金色だった。
「……まさか」
「そのまさかですよ。先程拝借しました。この状況ですし、その髪を触媒に坊主に一働きをして貰いましょう」
「危険すぎではなくて?」
「確かに坊主は駆け出しですが、立派に従者ですし、なによりルヴィア様の手腕を信じていますから」
◆◆◆
真也のプランとはマリア・アジャーニの降霊だ。その為の殺人現場あり、その為の遺髪だった。真也はもちろんルヴィアにとっても降霊は専門外となる。その為のアレックス・グーデ(子供)だった。子供が持つ魔術特性“類似性の複写”する能力を用いるのである。遺髪を用いマリア・アジャーニの特性を子供に複写し、この地にまだ居る、もしくは縛られているだろう彼女の魂を呼び出し憑依させるのだ。
レッド・グレーグ王立劇場はマリア・アジャーニの胴体、つまり心臓があった側だ。下半身や腕は隣接するモントゴメリー・マーケットの屋上で発見された。その王立劇場の敷地の片隅にルヴィアは立っていた。通りからは見えない死角で、薄暗く、当然の如く淀んでいた。彼女は六芒星を主体とした魔法陣を描くと、その六つの頂点に六つの鉱石を置いた。工程は3段階である。
・ルヴィアの魔力を籠めた宝石を解放し、それを以て霊を呼び起こす。
・子供に憑依させる。
・霊に命じ、手がかりを聞き出す。
魔法陣は霊体が離れない場合の除霊装置だ。リバプールで憑依された少女の除霊を行ったがそれの再現となる。相違点はただ一つ。霊体の属性を善とするか悪とするか、だ。真也が左腕のガントレットを凝視していると主の声は強かった。
「シンヤは離れていなさい」
何時になく抗い難い調子だった。
「無念を以て殺された人間の魂は例外なく反転します。離脱した霊体の調伏は私が行いますから」
彼女の右腕が唸っていた。ガンドで仕留める、と物語っていた。
「それは俺の役目です」
「迷いがある、違うかしら? 引き金の引けない制圧部隊など居るだけ邪魔よ。下がりなさい」
「……分りました」
「今ひとつ、十二分に離れなさい。フォローは二人より一人の方が容易ですから。他に、質問は、あるかしら?」
「……いえ」
「シンヤの仕事は不測の事態に供える事」
「バックアップということですね、了解ですよ」
そして儀式の開始である。子供は魔法陣の中心に正座で座っていた。右手に遺髪を握り、瞑想状態だ。ルヴィアは魔法陣の外で、子供に向いていた。仁王立ちである。
「ところで貴方のトリガーは何?」
「……パンケーキです」
「そう。食欲、飢えと言う事。食いしん坊だこと」
ルヴィアの表情が和らいだがほんの僅かであった。事実、今やもうその声は清くも力強かった。
「アレックス・グーデ。貴方の仕事は霊体の制御と己の維持、この2点です。交渉は私が行います。余計な事は考えない様に」
「はい」
「今ひとつ。魔法陣があるとはいえ、追い出すのはあくまで貴方自身の力だと心得なさい」
「はい」
ルヴィアの右手には“カクタスクォーツ”が握られていた。霊力を上げる効果を持つが、今回は霊体に活を入れる目的で使用する。そして左手には“スコレサイト”があった。強力な浄化を司り、もちろん悪霊を祓うのに使用する。ルヴィアは右掌の石に口付けをすると頭上に掲げた。天に届かせんと言わんばかりだ。事実その手は浮かぶ月に掛かっていた。彼女の魔力が注がれ、その手にあるカクタスクォーツが光を放つ。色は淡い紫だがその光量は膨大だ。周囲一帯を照らす程である。もちろん一般人にその光を見る事は出来ない。詠唱開始。
「Call. Work using the power.(応えよ。その力を以て意味と成せ)」
腕を振り落とし、地に向かい打ち込まれたその鉱石は弾け力となった。
「Sing!(謳え!)」
力ある言葉と供に、光の粒子が舞った。その様を例えるなら夏夜に舞うホタルたちのダンスが適当だろう。一刻。足下より黒い靄が立ち上ると子供の中に消えた。子供の表情から子供らしさが消えた。女性らしくも見えた。ルヴィアが口を開く。霊の訴えを聞いてはならない、同情してはならない、人間の様に接してはならない、取引などもっての外である。その声には魔力が籠もっていた。
「問いは一つ。何を見つけたのかしら?」
「……」
ルヴィアは更に魔力を籠めた。
「応えなさい。何を見つけたのかしら」
ルヴィアたちが気づいた様に、マリアもまた首謀者が地の歪みを追っていた事に気がついた。この時点で首謀者が一般人では無い、つまり魔術師だと理解に至る。ただの魔術師ならまだいい。猟奇殺人に特化した魔術師だ。相手が魔術を使う以上、マリアの優位性は失われる。彼女が魔術戦闘に向かないならば、彼女には手に負えないと言う事だ。冷静な判断をするならここで退くべきだが、彼女は強行した。それは命と天秤に掛けられる程のメリットを見つけた、と言う事に他ならない。
「応えないならば、このまま消滅させます」
ルヴィアは左手の鉱石に魔力を籠めた。眩い清白の光を浴びたそれは低い音を発した。例えるなら強風に煽られた電線の共振音。
『La,』
「ラ?」
『Lance』
「……槍?」
近づく気配があった。それは大きく、濁っていて、暗く、そして非常に臭かった。それは信じられない程の速さだった。真也の警戒装置が敵襲だと告げた。彼が見上げると、矩形ばったレッド・グレーグ王立劇場の屋上に女が立っていた。
その女は赤いドレスを纏っていた。大きく開けた胸元を、不釣り合いな程輝く宝石で飾っていた。整った顔立ちで、美しいと称して良いが、肌は灰白色で血の気が無い。その代わりと言わんばかりに、唇は血の様に赤かった。相応に長い焦げ茶色の髪は、蝋で固めたかの様に、きつくまとめ上げていた。ほつれは一本たりとも許さない、そう言わんばかりだ。一言で言えば中世の貴婦人。だが真夜中の井戸の底を覗いた様な、真っ黒な瞳が二つ浮かんでいた。ギョロリと動けばカマキリを連想させた。もしくはガーゴイルだ。
最悪のタイミングだと真也は舌を打った。子供は憑依中で移動が出来ず、憑依霊の管理と除霊の任を負うルヴィアも同様だ。子供が完全に乗っ取られれば面倒な事になる。つまり二人は動けない。位置関係も悪かった。顕われた女は二人の頭上。真也は降霊の影響が無い様にとバスケットコート程も離れていた。極秘事項だと拘束術式の未解除が裏目に出た。その女が見下ろす視線の先に子供とルヴィアが居た。
「見つけました」
その女がその身を宙に躍らせた事、真也が踏み込んだ事、ルヴィアが異変に気がついた事は同時だった。
「instruere(展開)!」
力ある言葉を持ってガントレットを霊刀に変え抜刀する。攻撃が間に合わない、そう踏んだ真也はありったけの殺意をその女に打ち込んだ。その女は堪らず、劇場の外壁を蹴り、軌道を変えた。二人から離れた地点に着地した。彼の初手は囮だ、その目的は注意を自分に向けさせる事にある。その女が浮かべた表情は予定を妨害された、というよりは娯楽を邪魔されたと言わんばかりの不愉快さだった。
真也にはその女が誰か分らない。だが建物の屋上から降りてきた以上、まともではあるまい。否。真也にはそれが何か良く分かった。人の形を持ちながらも、生と魂を持たない者たち。この機は逃せないと霊刀は刺突の構え。魔力を籠められた刀身が蒼く光る。女は笑っていた。彼の目の前に鉄の処女(アイアンメイデン)があったからである。彼はそれに喰われた。蠅取り草の様にあっけなかった。だが時間稼ぎは十分だ。ルヴィアの声は高らかに。
「Call. Three stone dance in gorgeous. To become one to coalesce, Sing!」
(三重の石よ、舞い踊りて共に成れ。謳え!)
インペリアル・トパーズは炎、エンジェライトは許しと咎人、アポフィライトは浄化を司る。ルヴィアの掲げた右手には石三つ。その手の平にあるそれらが浮かび上がると、高速に回り始め、一つと成った。その複合概念は“炎を以て咎人の罪を浄化する”だ。彼女の右手より撃ち出されたその石は女の前で弾けた。爆炎、灼熱、業火、焼尽。それは霊を持たない物質に干渉しかねない程の魔力の炎だった。それは広い駐車場全体に炸裂した。
己の作り出した火焔を結界で凌ぎつつ、ルヴィアは仕留め切れていない、と判断した。右腕に刻まれた魔術回路が唸りを上げる。爆炎から飛び出したその女に向けて連続射撃(フィンの一撃)。12.7ミリ重機関銃の様な弾幕をその女は躱し、ルヴィアに迫る。焼け焦げたその女は、怒りの形相であった。ルヴィアの若さと、美しさと、清らかさを喰らわんと口を開け、そしてやり過ごした。何の脈絡もなく身を翻したのである。プロレス技をもって迎撃しようとしていたルヴィアにとっては肩すかしであった。原因は不明だが追撃開始だ。砲身回頭。右手を掲げた時、射軸上に子供が居た。
とっさに射撃ポイントを変えようとしたが、女の行動が早かった。子供を抱えると跳躍し、見上げる程の高さにある、王立劇場の屋根に舞い降りた。焼死体と言わんばかりのその女は、忌々しそうにルヴィアを見下ろした。足に刺さった投擲用ナイフを捨てると、そのまま消えた。
呆けている暇は無い。ルヴィアが真也を確認しようと振り返り、慌てて駆け寄れば、彼は無事だと手を掲げた。彼女にはその従者の有様が理解出来ない。真紅の外套は至る所に穴が開いていたが出血は無かった。クレーターの様に肌を露出していた。見れば見る程彼女は混乱した。あの女が繰り出した鉄の処女(アイアンメイデン)は魔術による高ランクの攻撃だった。何故無事なのか、その問いを飲込んだ。それは真也の対魔力による結果であったが、彼女にそれを問いただしている時間は無い。
「申し訳ありませんルヴィア様。し損じました」
「状況を判断し不問とします。逆にこの距離を、あの状態で、よくぞ投擲出来たものだと感心すらします。ですが厄介ですわね。アレックス・グーデを追いたくとも場所が分らなくては」
「こんな事もあろうかと、お借り頂いている複合鉱石を坊主に渡してあります。直ぐに追跡しましょう」
ルヴィアは不満ありありの顔だが、怪我の功名だと引っ込めた。文句は後だ。
「あの者の目的は不明だけれど、長時間の憑依は体に負担が掛かる筈です。消耗し乗っ取られては目も当てられない。シンヤ、足を探してらっしゃいな」
「……それは大丈夫のようです」
真也の視線をルヴィアが追えば、魔法陣の上に一体の霊が漂っていた。その霊体はヒトガタを形成していた。ルヴィアの霊体にエネルギーを与える、カクタスクォーツの効果が残っていたのである。その霊は唇を動かすと消えた。悲しそうな表情だった。
「……彼女はなんと言ったのかしら」
「“俺を探せ”この暗示を坊主に掛けたのは彼女だったようです。手がかりを託したとも」
「他には?」
「“巻き込んでごめんな”と」
「そう、ミス・アジャーニはシンヤに託していた。そしてシンヤが来た事を知った。だから反転から戻ったと言う事。最後に話した相手だったから、かしらね」
「……」
「行きますわよ、シンヤ。この報復はエーデルフェルトの銘の元に下します」
「必ず」
◆◆◆
その町にあるスーパーマーケットは荒れ果ててていた。整然と並べられていた筈の棚はドミノの様に倒れていた。整理整頓、押し並べられていた商品は床に散らばっていた。柱は砕かれ、鉄筋が剥き出しになっていた。床のタイルは引きはがされ、基部のコンクリートは砕かれていた。直下型の地震が起こってもこれ程荒れ果てはしないだろう。天井の棒形蛍光灯は、だらりと電線で垂れ下がり揺れ動いていた。タイルに落ちたヒトガタの影は忌々しそうに店内を破壊していたが、ピタリと手を止めた。
荒れ果てた店内に、規則正しい足音が響いた。崩れた柱の陰に金色の髪が見えた。カツコツと足音が響く。ハの字に倒れ支え合った棚の隙間から青いドレスと白いブーツが見えた。足音が止まった時、その女の前にルヴィアが立っていた。彼女は足を進めると、上肢のみを振り、長い髪を広げ整え直した。舞うこんじきの髪は気品であり、余裕でもあった。それは弾ける花火か、開花する華か。
「捜し物は見つかりまして?」
その女は忌々しそうな表情を見せたが一転微笑んだ。左足を一歩下げ、スカートの裾を摘まみ、身を小さく下げた。カーテシーであった。
「ようこそおいでくださいました。お客様。ご覧の通り小さな屋敷ですが、できうる限りのお持て成しをいたします。どうぞ、ごゆっくりしていってください」
「あら。見事な挨拶を頂きまして恐縮の限りですわ。流石、エリーザベト・バートリ様。御身に流れる高貴な血筋を伺えようというもの。私はルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトと申します。お見知りおきください」
ルヴィアもカーテシーをもって返礼した。
「私の名を覚えて頂いているなんて光栄の極みです。嬉しさの余り思わず踊り出してしまいそうです。ですが、レディ・エーデルフェルト。どこでこの名をお知りにましたか?」
「私の友人ですわ」
「まぁ。何処のどなたですか? 私の友人だなんて、もうこの世に居ないのに。その方は何処で知ったのでしょうか」
「そうでしょうね。死徒に友人だなんて、悪い冗談にも程がありますもの」
「そう、あの小娘のお仲間、と言う事ですね」
「ええ。マリア・アジャーニと申しますわ。レディ・バートリ。貴女様はこの名すら知らなかったご様子。それは少々薄情ではなくて?」
「レディ・エーデルフェルト。貴女はユーモアに溢れる方ですね。下賎な者の名前など、覚える価値などありませんから。貴女も上に立つ身であるなら、おわかりの筈です」
「確かに私は上に立つ者ですが、宜しくて? 上に立つ者とは、付き従う者たちを導く者でもあり、その責を負う者でもある。その義務をお忘れになるから、貴女様は人の道を外れた、そうは思いませんこと?」
「レディ・エーデルフェルト。貴女は本当に愉快な方です。魔術師が人の道を説くなど、本当に可笑しくて、どうにか成ってしまいます。まぁ。ですからここに居るのですね」
「ところでレディ・バートリ。貴女の足下で眠る幼い者は私の従者。お返し頂きますわ」
「それは困ります。子供の血は久しぶりなんですから」
「貴女も相応に愉快な方でしてよ。私の者を返さないなどと。これ程に理知の知らぬ方は初めてですわ。ですが……そうですわね。こうして言葉を交わし続けても詮なき事。太古より続く方法で決める、というのは如何かしら」
「ありがとう、レディ・エーデルフェルト。実は出会った時からそうしたいと、うずうずしていました。貴女の美貌、若々しさ、そして内包するその魔力。どれをとっても素晴らしいモノです。あの男の邪魔さえ無ければ今頃、そのお腹にある肝臓、膵臓、脾臓、胆嚢、小腸、大腸、そして子宮と膣を引き出して、苦しみに支配された貴女の姿を堪能出来たのに。今頃その鮮血を浴び、飲み干し、私のこの膨れあがる感情を満たす事が出来たのに。でも、その苦しみはもう去りました。レディ・エーデルフェルト。貴女をこの手に掛ける事が出来るのですから」
「レディ・バートリ。650人もの血を吸ってまだ満足なさらないのかしら」
「ええ、ちっとも」
「本当に困った方。でもそれだからこそ、全力を以て打倒出来るというもの。覚悟なさいな。塵一つ残しませんから」
「それでは始めましょう」
ルヴィアが五つの宝石を持ち出すその様を、その女は笑いながら見ていた。まるで、子供がおもちゃの銃を引き抜く劇を見ているかの様な顔だった。
◆◆◆
その世界には山があった。岩山でもなく、緑溢れる山でもない。ただ枯れていた。全てが枯れ尽くされていた。そして空は赤かった。夕日かと思えばそうではない。敷き詰められた雲は血に染め上げられた綿の様だ。指で指せば染みだし。持ち上げただけで滴り落ちそうな程だった。足下の道を眼で辿り、山の頂上を仰げば朽ちた城があった。荘厳であったであろうその城は崩れ、岩山に隠れていた。まるで人目を憚る様だ。何より異質なのが、今にも倒壊しそうなその城の頂上に、絞首刑台がある事だ。
その女は地を這っているルヴィアを見下ろすと、ルヴィアの右手近くに散らばる五つの石を、無造作に蹴り飛ばした。
「相応に高価なものなのに足蹴にするとは、お行儀が悪いですわよ」
ルヴィアは糸が切れた糸人形の様だったが、その瞳は恐ろしい程に光っていた。
「レディ・エーデルフェルト。あの子供にトレーサーを渡していた用心深さは評価します。ですが馬鹿ですね。私の正体を見抜いておいて固有結界を見落とすとは。魔術師に向いていないと思います」
「死徒だから持っている、と言うものでも無いでしょうに」
「確かにそうですが、私程の存在でそれはありえません」
「ここは赤いですわね。何という心象世界なのかしら。そう……“煉瓦仕立ての廃墟”というのは如何?」
「カビの生えた様な名前を付けないでください。固有結界“チェイテの釜”と言います。貴女の様に女性で、若くて、そして処女ほど効果を発する吸収の結界です」
「そう。それで魔力が尽きた、と言う事」
「それではレディ・エーデルフェルト。娯楽を始める前に聞きたい事があります。アレは何処ですか」
「アレと言われても検討が付きませんわね」
「あの小娘が見つけ出したモノです。そこの子供は持っていなかった。その代わり持っていた地図を便りにこの場にくれば何処にも見当たらない」
「探し方が足りないのではなくて?」
「探知の術で見つからないなどあり得ませんから。つまりこの場には無い、と言う事です」
「魔術師なら魔術を使う、とは限りませんわよ」
「そうですか。話して頂けないなら、それでも構いません。主義に反しますが、痛みの無い様に腑分けします。ご自身の内蔵を見る機会など滅多に無い事です。その狂気に溺れなさい。その後そこの子供に聞く事にします」
「槍の事はお話し頂けないのかしら。もしくは牙でも構いませんが」
「レディ・エーデルフェルト。貴女は牛皮の様な顔です。厚かましいと言う意味です」
「口は災いの元、とは良く言ったものですわ」
「何が言いたいのですか」
「おわかりにならない? レディ・バートリ。貴女の目的が槍と牙だと言う事を自分からお認めになった、と言う事ですわ。つまり、貴女を打倒しそれを回収すれば万事解決」
実に腹立たしい。無様に伏せるこの女はこの期に及んでいまだ上位に居るつもりだ。全く以て苛立たしい。このまま殺しては面白くない。その美しい髪を刈り、坊主とし見知らぬ輩に穢させよう。それとも畜生の子を孕ませようか。たっぷりと絶望に浸したあと腑分けしてやる。女がその髪を掴もうと手を伸ばした時だ。ルヴィアは実に愉しそうな笑みだった。
「それでは用も済みましたし、お暇いたします。お別れですわ。ごきげんよう、レディ・バートリ」
突然、薄い硝子が割れた様な音がした。そして固有結界から手応えが消えた。心象世界にヒビが入り、地震で砕けた高層ビルの窓硝子の様に散っていった。
「な、」
異常事態だ。こんな事はあり得ない。地に張っている小娘には魔力が残っていない。そもそもそんな芸当は出来よう筈が無い。なら、この現象の原因は何だ。右を見た、何も居ない。左を見た、何も居ない。上、前、後ろ、何も居ない。ただ、死の気配がするだけだ。何の脈絡もなく女の体を衝撃が貫いた。
「え、」
彼女の目の前に男が立っていた。腰を落とし、姿勢は低めだ。外套が舞っていた。赤い。その女と同じ赤だがよく見ると違った。真紅、鮮やかな赤だった。その男には眼が二つあった。当然だ。人間なのだから。だが。その眼が蒼く光っているのは当然か? その男が細身の反った片刃の剣を持ち、女の体に突き立てているのは当然か? そもそも、何時突き立てれた。結界は幾重にも張っていた。警戒の術式も、防御の術式も、反撃の術式も張っていた。何時消えた。分らない。どうして力が抜けていく。どうしてこの体が薄れていく。どうして、その女という存在が死んでいく。これでは既に死が確定して、現象が追いついている様ではないか。そんな芸当が出来るのはただ一つのみ。あぁそうか、この蒼い眼は。
「バロールの魔眼」
「さよなら」
それが死徒エリーザベト・バートリの最後だった。地に伏せたままルヴィアが頭のみをを起こすと、従者が霊刀を鞘に収めた所だった。死徒の姿が消えた。初めから居なかったかの様に消えていた。知ってはいたが信じていなかった。数ある魔眼の中でも伝説中の伝説。あらゆるモノのを殺す最悪の邪眼。恐ろしい筈のその眼を見た時、彼女は何故か滑稽さを感じた。それはそうだろう。なにせ彼女の従者は今にも泣き出しそうな顔で主に駆け寄ってきたのだから。彼女はそのまま気を失った。
◆◆◆
ベッドと言うモノは魔物である。極論を言えば、睡眠は何も生み出さない不毛の時間だからだ。だが疎かにすると、健康を害し良い仕事が出来ない。その厄介な睡眠であったが、嫌いかと言えばそうでも無い。暖かいマットレスと毛布に抱かれ、窓から見える星を数えればそれは至福の時だ。とはいえ。
「流石に3日続くと拷問ですわね。嫌気が差しますわ」
ルヴィアはホテルのベッドに居た。魔力を吸われ切ったので休まざるを得ず、既に三日間拘束されていた。彼女の従者は意外と手慣れた手つきでリンゴを切っていた。軽快な刃物捌きとは裏腹に彼の顔は優れない。不愉快は誇張だが腹を立てていたのは確実だった。事実その声は刺々しかった。
「無茶苦茶です。幾ら坊主が人質だったとはいえ、ルヴィア様が事前にダメージを与えていたとはいえ、特性も知れない固有結界に敢えて身をさらすなんて。計画の歯車が一つでも狂えば一体どうなっていたか」
彼はリンゴを手渡した。彼女の小さい口が開くとシャクリと小気味良い音が鳴った。
「アレックス・グーデ(子供)を取り戻し、ミス・アジャーニの弔いをし、尚且つ情報を引き出すには相手を増長させるのが効果的。レディ・バートリはシンヤを倒したと思っていた。シンヤの“身体能力を超える現象を生み出す”という魔術特性と魔眼を考慮すれば最も適した手段。敵を打倒し全てを手に入れる、この話しは何度目かしら。もういい加減にして欲しいのだけれど」
「分っているんですかルヴィア様。俺は怒っているんです。あの切羽詰まった状況で、ルヴィア様がまったく折れないから渋々その案に乗ったんです」
「意外と根に持ちますのね、シンヤは。もっとさっぱりした性質だと思っていました」
「言っていませんでしたっけ? 俺は中道です。事が事なら執着はします」
「その執着とは私の事かしら」
「茶化しているなら怒りますよ。リンゴ、まだ在りますけれど」
「もう一つ頂戴な」
その従者は仏頂面でリンゴを切り始めた。
「それにしてもシンヤのその魔術特性の名前、“災厄なる翼(cladis ala)”とは随分と捻ったものですわね」
「姉が好きなんですよ、そういう名前。気取っているというか、前衛的というか。こそばゆいというか、なんというか」
「貴方の姉はどうしてその様な名前を付けたのかしら」
「翼を力だと見なしたのでしょう。騒ぎばかり起こしますからね、俺は」
「翼を自由と見なしたのかも知れませんわね」
「自由が災厄ですか?」
「ええ」
彼は黙り込んだ。その意味を悟ったからだった。
「中々に弟思いの方ですこと」
「そう、ですね」
「シンヤは姉が苦手なのかしら」
「姉とは色々ありました。好きだった事もあったし、争った事も。彼女との関係は余りにも複雑すぎてごちゃごちゃで。自分の感情に手を焼いた俺は旅に出た」
「答えは出たのかしら」
「ええ、喜んでくれるならそれで良いと」
「前々から思っていたのですけれど、やはり良からぬ、」
「違います」
「ま、そういう事にしておきましょうか」
「ちがいます」
「それはそれとして、私はいつまでここに居れば良いのかしら。このままでは足が無くなってしまいそう」
「もうじきです。俺の勘だとそろそろ坊主が戻る筈です」
「ここ数日見ていないのはそういう理由?」
「はい」
「まったく。子供を使い回すとは大人失格ですわよ」
「坊主はもう大人ですよ。子供扱いするから子供は何時までも子供なんです」
するとホテルの廊下を走る人の気配があった。
「ほら来た」
扉が開くとその子供は笑って言った。
「おはようございます、ルヴィアさま」
「おはよう。アレックス」
「どうだった、坊主」
「あぁ。見つけたぜ。シンヤの言う通りだった」
「どういう事ですの?」
真也は一枚の地図を差し出した。それはこの町を記した手書きの地図で、それには赤いバツ印が記されていた。
「アジャーニさんの残した遺産ですよ。今日は天気も良いし暖かい。ルヴィア様の顔色も良い。散歩がてら見に行きませんか?」
「その場所に何かあると?」
「いえ、その場所ではありません」
「ちがうんです。ルヴィアさま。それは謎々だったんです」
「謎々?」
子供と真也は見合うとニッカリと笑い合った。
「「なー」」
二人はなんとも子供じみた笑みだった。女は生まれた時から女、男は大人になっても子供、ルヴィアはその格言を思い出した。
◆◆◆
そこは町の古い場所だった。丘陵地で樹が多い。周りに民家も無く、町の中にあって、すこし浮いた場所だった。ルヴィアは駆けては立ち止まり、道から石を拾っては蝶を追いかける、子供の落ち着きの無さを見ながら、左隣りを歩く従者に話しかけた。
「地図の記号?」
「ええ。アジャーニさんは坊主に地図と手記を託したのですが、その地図に細工をしたんです。その手書き地図はこの町、つまりイギリスを表しているのに、その教会の記号はドイツのモノです。専門家の彼女が間違えるはずが無い。その知識が無いあの死徒は海賊のお宝地図よろしく、まんまと引っ掛かりあのスーパーをひっくり返して、癇癪を起こしたと言う訳です」
「そこに何がありますの?」
「神殿跡です。聖堂教会に破壊された地方神を祀った跡」
その神殿は石畳と辛うじて壁と判断出来る石壁が残っているのみだ。当然屋根など無かったが、壁越しに町を一望出来た。青い空に白い雲が、ゆっくりと流れていた。風はあったが穏やかで、草たちが身を任す様に躍っていた。
「ルヴィア様」
真也の促しに彼女は鉱石を一つ取り出した。カルサイトである。それは隠された何かをあぶり出す特性を持つ石だった。
「Call」
エルメロイは自身の執務室で報告書を読んでいた。読めば読む程その壮観な顔立ちが歪む。歪みすぎて頭も痛くなり始めた。その報告書は真也が作成し、ルヴィアが照査したモノだった。エルメロイは深い溜息を付いた。目頭も押さえた。ストレスでどうにかなってしまいそうだ。彼が肘を置く机には赤い布で封じられた金属片が置かれていた。その赤い布とは聖骸布だった。彼の目の前にはルヴィアと真也が並んで立っていた。エルメロイが読み終わった事を察し、真也が補足の為に口を開いた。
「私の推測です。猟奇殺人犯を追っていた彼女はあの土地の歴史、つまり郷土資料に目を付けた。知識人である神父を訪れた、とはそれでしょう。そして偶然この土地の水脈に影響を与える程の何かを見つけ持ち出した。彼女の手記によると、ドイツ人兵の墓がありそれに隠されていたそうです。おそらく死徒の狙いもそれです。リバプールでトマス・ニルセンが探していた槍と牙。その片方であると推測します」
「それが、この鏃(やじり)か」
「はい。追われ逃げ切れないと悟った彼女は鏃を隠した。恐らく取引しようとしたのでしょう。ですが、殺された」
「アレックス・グーデだったか。手がかりを、その土地の子供に託したのは、己の死を悟っていたのかも知れないな。トオサカシンヤ、君はこれが何か分るか」
「神殺しの槍(ロンギヌスの槍)」
「そうだ。“彼”を殺した槍だ。聖堂教会の彼らには聖遺物だが、我々魔術師にとっては規格外の礼装だ。政治的にも扱いが難しい」
「これ程の代物であれば魔術協会も手放さないでしょうね。ですがこの聖遺物がここあると聖堂教会が知れば、奪還せんと強硬手段に訴えるでしょう。余り想像したくない展開です」
「魔術協会が仮に返すとしてもただでは返すまい。上層部は無理な要求をヴァチカンに突きつける筈だ。これの価値はよく知っている、彼らも我々もな」
「リバプールで遭遇した埋葬機関のシスターは恐らくこれを追っていたのでしょう。何らかの情報を掴み、探っていた。いずれ露呈します。先手を打ち極秘に返すべきです。教授は聖堂教会にパイプを持っていないのですか? 第八秘蹟会とか」
「有るわけが無いだろう。だがその辺の神父に預ける訳にもいくまい。もう一つの牙の行方も気になるが、また面倒な物を持ち込んだな、君は」
「俺のせいじゃないですよ」
ルヴィアが腕を組んだ。不可解だと言っていた。
「チューターは驚いていない様に見えますわね」
「何がかね、レディ・エーデルフェルト」
「その槍があの町にあった事です。私たちが持ち帰った事には、苦悩めいておられる様子。ですがあの地にあった事は言及していませんわ。それは何故ですの?」
「スタドリコンスタブル。あの町には一つの陰謀論があった。ナチスのかの指導者はオカルトに強い関心を持っていたそうだ。第2次世界大戦末期、敗戦を悟った彼はその遺産を部下に命じ隠したという噂がある。だがドイツ国内に隠しては分りやすいだろう。敵国に隠したとは夢にも思うまい。困難極まりない精鋭の落下傘部隊が極秘裏にあの町に隠した。ドイツ兵の墓とは恐らく彼らの事だ。“鷲は舞い降りた” 君はこの話を知らないか」
「くだらない作り話と斬り捨てたいところですが、その証がここにある以上、一概に否定も出来ませんわね」
エルメロイは何時もの様に、椅子に深く背を預けた。組んだ両手を胸の前に置いていた。
「ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト、トオサカシンヤ。この鏃は私が預かる。口外無用だ。良いな?」
ルヴィアは「やむを得ませんけれど、従います」と不承不承の体だ。真也は一歩踏み出した。
「教授」
「君は異存があるか?」
「いえ。教授のその判断に意義はありません。お聞きしたい事はマリア・アジャーニの件です」
「魔術刻印は回収され彼女の弟に渡された。彼女は姉弟だった、と言う事だ」
「何故彼女は手を出したのでしょうか。危険だって分った筈なのに」
「簡単だ。力を求めた。この槍は惑わすのに十分だろう」
「彼女は馬鹿です。その結果全てを失った。手に余るって分らなかったのでしょうか」
「才能なき者、持たざる者の妬みは想像以上に強い、君も覚えておくと良い。いや、覚えておかなくてはならない。常に感じる劣等感、己の不甲斐なさ、何故私はこうなのか、なぜ彼らと違うのか、どれ程望んでも、手に届かない。呪いのようにそう感じている我々が、ひっくり返せる力を目の前にした時、諦める事などできはしまい。レディ・エーデルフェルト。君もそうだが君たちはただ天才であると言うだけで、あっさりと高みへ飛翔していく。私がただ思い描いているだけの空を自由に飛び回る。トオサカシンヤ。君の姉はアベレージ・ワン。弟の君は直死の魔眼を持ち、死徒を一撃で屠る持つ者の側だ。馬鹿者だとなじる君のその発言は正直不愉快極まりない」
真也は感情を露わにしたエルメロイに戸惑った。暫くその意味を咀嚼した後、彼は姿勢を正しこう言った。
「確かに妬みは厄介な感情です。失言でした。ここに発言の取り消しと謝罪をします」
ルヴィアが首を傾げた。金色の髪がさらりと揺れた。
「チュータは折り合いを付けられている筈です。何故なら妬みでは人は寄ってきませんもの、でなくては生徒に慕われる訳が無い。ふてくされる振りで説教とは大人げないですわよ」
「これ以上は聞き咎める」
「そうするとしましょうか」
「話は以上だ。下がれ」
◆◆◆
“これで私はもうお金に困ることは無い”
“見も知らずの男に身体を売らずに済む”
“下衆な奴に頭も下げずに済む”
“これで両親を、皆を見返せる”
それはマリアの手記にあった彼女の呪いだ。真也はソファーに寝っ転がり、ぼうと宙を見ていた。ローテーブルを挟んだ反対側で、紅茶を嗜んでいるのはルヴィアである。真也の分の紅茶もケーキもあったが彼は手を付けていなかった。
「心ここにあらず、ですわね」
「俺は思うんですよ。考古学を楽しそうに語っていた彼女は嘘だったのかって。本当に槍が必要だったのかって」
「シンヤはあの槍を欲しいと思うのかしら」
「いえ。叶うなら関わりたくないと。ルヴィア様はどうです。アジャーニさんの立場であったら、どうしました。より強い力を目の前にした時、例え死ぬと分っていてもそれに手を出しますか? 己の命、身内の命、家族の幸せ、そう言った犠牲を払ってでも求めますか?」
「当然でしょう? だってそれは私の物なのですから」
「ならばどうして槍を諦めたのです」
「気まぐれです。従者(可愛い男の子)が泣いて縋るのであれば、そう言う事もあります」
「またご冗談を」
「本心です。私が求めようとすれば、ミス・アジャーニの様に成るのでは無いか、シンヤはそう思うに決まっていますから」
流石にこれはない、真也はそう思った。だがそれは彼女の仕込みであった。
「個人の立場を撮らせて頂いても?」
「許可します」
「レディ・エーデルフェルト、これから食事でもどう? 尊大は結構だけれど、男のプライドを踏みにじる真似は止めた方が良い。お世辞にも良い趣味じゃない。僭越ながらこの私めが、貴女の教育係を受け持つよ。我々はとことん話し合う余地がある様だ」
「それは名案ですわ。問い正したい事は私にもありますから」
二人は立ち上がるとその部屋を後にした。
「魔眼も話した、魔術特性も話した。もう話す事は無いな」
廊下を歩き出す。
「シンヤと姉との間になにか秘密めいたモノを感じますから」
「「……」」
「そう言えば坊主はどうなった?」
「先日フィンランドへ発ちました。クラウンは教育係でもありますから、良い従者になるでしょう」
「それは重畳」
「「……」」
「それで姉との関係なのですけれど」
「と言うより教授にもバレたし、もう俺の命は風前の灯火だ。これ以上の心労は勘弁。もう倒れる。倒れるから」
「お安心なさい。チューターが口外しないと言った以上しませんわ」
ルヴィアは腕を絡めた。
「ですから、もう観念して姉との秘密をお話しなさいな。ここまで来た以上観念なさい」
「話さない。でも腕は離せ」
「個人の立場で食事に誘ったのなら、エスコートは当然でしょうに」
「……」
ぐうの音も出なかった。腕にある柔らかい感覚に抗いながら、また嵌められたと己を罵るのみである。
◆◆◆
同時間。ロンドン郊外にあるヒースロー空港、その国際線の到着ロビーに二人の人物が現れた。ゴロゴロと旅行鞄を転がしていた。
一人は20歳前後だ。赤いタートルネックシャツの胸元に銀の十字がプリントされていた。その赤いシャツの丈は長く、黒いタイトスカートに掛かっていた。完全ではなく、臀部の辺りで止まっていた。スタッズベルトをV字に止めて、腰回りを引き締め、アクセントとしていた。黒いストッキングで足を覆い、クルミ色のロングブーツを履いていた。アウターは樺色のハーフコートだった。彼女の装飾は赤を基調とし大人びた恰好だった。派手と言うよりは鮮やかと言うべきだろう。ただ惜しむらくは軽くウェーブがかった、黒い長い髪をツーサイドアップに結っていた。彼女の顔立ちは大人の領分に達しつつあり、年齢を考慮すると少し厳しい髪型だ。それは彼女も十分に承知していたが、止むに止まれぬ事情があった。
もう一人は30歳前後。彼女は重ね着が基本だった。ライトグレーの襟無しシャツと、レースとピンタックをふんだんに使ったオフホワイトカラーのティアードスカートを着ていた。その上にダークブラウンを基調としたチェックのワンピースを重ねていた。重ねているスカートは供にマキシ丈である。ワンピースの切れ目から重ねているスカートの、オフホワイトがアクセントになっていた。アウターはライトグレーのゆったりとしたニットポンチョだ。肌の露出はなく、体の線も見せない装飾だった。シックな色合いで、落ち着いた雰囲気だった。彼女の特徴はゼニスブルーの長い髪と、エルフを連想させる尖った耳につきる。
この全く似ていない二人の共通点をあげるなら“美しさ”これに尽きた。だが誰も注目していなかった。否、注目できないようにされていた。それは魔術による効果だ。つまりその二人とは、敢えて言うまでも無く、凛とキャスターであった。凛は組んだ両手を頭上に挙げて背筋を伸ばした。その様を例えるなら猫のストレッチであった。
「やっと着いた~。13時間座りっぱなしってのはやっぱりきついわね。一向に慣れないって、キャスター。キョキョロしないでよ、恥ずかしい。関空でもそうだったけれど、それじゃ田舎者みたいじゃない」
「お忘れですか凛様。私は冬木市以外知りませんので、何処に行っても目新しいものばかりです」
「いい加減目新しいモノに慣れろっつーの。受肉して何年経つと思ってるのよ」
「お○っくすに右往左往する凛様に言われたくありませんわね」
「……言ってくれんじゃない」
やいのやいの騒ぐ凛を余所に、キャスターは指先に唾を付けると額に付けた。その口が紡ぐ言葉はルーンである。
「馬鹿な事してないでさっさと行くわよ。あのバカを見つけてさっさと帰るんだから」
「凛様、どちらへ?」
「どちらって、ロンドンに行くに決まってるでしょ」
「ルーンの反応は、逆ですが」
「逆? それってどこよ」
「この距離と方向では時計塔ですわね」
「御免キャスター。聞き間違いだと大変だからもう一度聞くわね。今なんつった?」
「この方向と距離ですと、マスターは時計塔におられます」
凛のその端正な表情に皺が入った。当然、苛立ちを意味していた。そして腕を組んで深い溜息を付いた。
「アイツ、自分の立場分ってるのかしらね。あれだけ口酸っぱく言ったのに」
「凛様の心中お察しします」
と言うキャスターも苦悩を隠さない。
「が、これから如何成されますか?」
「2年もほっつき歩いて1年オーバーして、その挙げ句時計塔? どんだけ心配させるのよ、あの……馬鹿真也ーっ!」
つづく!