赤い林檎を蹴飛ばしたら 作:d1199
悪魔を憐れむ愛の歌一
それは聖杯戦争が終わり暫く経った頃のこと。遠坂家の庭にある一本の桜が花開くには、あと2週間は掛かろうという何時になく寒い夜だった。いつかそうであった様に真也はその家の屋根に居た。その頂点に腰掛け、空を見上げれば星が瞬いていた。生憎と月は見えなかった。それは彼が遠坂の籍に入る前の事であり、二人のサーヴァントが受肉する前の事である。
「シンヤは何を考えていますか」
アメジストの長い髪がふわりと舞った。黒い装束に目隠し。縁深きその英霊に真也は一瞥すら投げなかった。
「何も考えてない。ただ、ぼうとしてる」
「サクラとリンが不安がっています。理由が無いのであれば、思わせぶりな態度は控えるべきでしょう」
「どういう意味で思わせぶりだ」
「“俺はお前らが嫌いだ”その様に見えます」
「頼まれたのか?」
「聞かずとも見れば分りますから」
真也は初めてライダーを見上げた。
「クールなくせに人情家というか、お節介というか、気が利くというか、何というか」
彼女は真也の隣に座った。片膝を立て、もう片方は投げ出した。それは彼女が好む座り方だ。鎖を持ち鉄杭をぶら下げ、じっと見ている事もままあった。彼はダウジングのつもりか、と聞いた。彼女は癖だと答えた。
「リンから聞きました。悩むとここに来ると」
「今とは違って一時的にこの家に居た時そうしてた。まだ一ヶ月も経ってないのに、随分前のように感じる」
「話なさい。シンヤは何を考えていますか」
「相談する時は、相手が話すのを待つべきだろ。というかなんで命令形だし」
「相手に寄りますが、シンヤの悩みは経験上重大です。放置する程大事になります」
彼は溜息を付いた。
「ライダーに隠し事は無し、その決まりだったな」
「覚えていれば問題ありません」
真也はまた星々に目を向けた。
「凛と桜にわだかまりがある」
「怨恨を持っている、と言う事ですか?」
「分らない。あの2人を恨んでいるなんて思いたくない。ただ、二人にされた事、二人にした事が、ごっちゃごちゃで良く分からない」
「シンヤは初めて持った自由意思を扱いかねている、他者との関係に戸惑っている状態です。そうですね。英霊の座に居る本体が、サーヴァントの記憶を見る様なモノでしょうか。ただシンヤの場合、その当事者を肉として実感していますから、その記憶に実体感が混じる」
「冷静な解析痛み入るよ。でも俺が欲しいのは診断じゃなくて対処だ。どうしたら良い」
「少し離れてみるのも良いかもしれません。見つめ直す切っ掛けになるでしょうから」
「旅って事か。湯治も悪くないな。何処に行こうか」
「いずれにせよリハビリが終わるまでお預けです。一日の2/3は寝ないといけないシンヤに旅など不可能でしょうから。そもそも皆が同意するかは別問題です」
「ライダーは?」
「もちろん反対です」
「言い出しておいてそれは無いだろ」
「冬木市に居るだけでこれ程の騒ぎを起こしたのですから。一人旅など認められる訳が無いでしょう。とはいえ、確かに無責任です。そうですね。条件付きで同意しましょうか」
「条件付き?」
「キャスターを供にしなさい」
「己を見つめ直すなら一人旅じゃないと意味が無い。それにキャスターには凛の補佐をしてもらわないといけない。聖杯戦争の余波で冬木市はガタガタだ。立て直しに数年はかかる。彼女の助力は必要不可欠だよ」
「仕方がありません。では私が供をしましょうか」
「ライダーは桜のサーヴァントだろ。主を放っておいて良いのか」
「この家に居る分には安心ですし、桜もキャスターよりはと判断するでしょう」
「逆に心配すると思うけどな、俺は」
「シンヤは私にそういう情欲を?」
「無いけれど、連れだって旅すればどうなるかは分らない。俺は前とは違う。2週間前のあの時、ガラリと変わった。それと、せめて欲求っていえ。もしくは求めるだ、はしたない」
「シンヤは何も変わっていません。あの姉妹の為だけに突っ走った向こう見ずのままです。でなければ冷静で用心深いシンヤが、刻限を無視して悩む事などあり得ませんから」
「ライダーは知ったように語るんだな。まるで保護者が出来たみたいだ」
「サクラ、アヤコ、シロウから、シンヤの話は全て聞きましたし、小さい頃のアルバムも見ました。なによりチトセから教育係として委任されています。この関係は妥当でしょう」
「凛と桜が一番厄介だと思ったけれど、実はライダーがジョーカーなのかもしれないな。手強すぎだ、やってられない」
「嫌われ役のお姉さんも悪くありません」
「姉、か」
「二人ときょうだいに成るか、他の関係を選ぶのかは、焦らずに納得の行くまで話し合う事でしょう」
彼は物言わずじっと俯いていた。
「もう部屋に戻るべきです。そろそろ心臓に刻んだキャスターの保護術式(タイマー)が……シンヤ?」
真也は強制睡眠に入っていた。彼女は深く溜息を付くと、彼を背負い立ち上がった。その数ヶ月後、ランサーに会いに行くという、様々な意味を含んだ巡礼の旅を発案した真也は、全員から猛反対を受けたが、ライダーが賛成に回った事を切っ掛けに、合意を得る事になる。もっとも供付きが一人旅になり、1年が2年になる事など、彼女自身思いも寄らない事であった。
◆◆◆
意識が休眠状態から覚醒状態に戻った。真也がもたれ掛かっている物は大岩だ。そして目の前に広がるのは荒野であった。彼は漸く其所が異国の地である事を思いだした。彼は右手の平で顔を拭った。顔は汗と土埃で塗れていた。
「あぁ、くそう。またこの(家)幻だ」
もう諦めてしまえと誰かが囁いた。それは義姉の姿であった、義理の妹の姿でもあった、教育係でもあったし、従者でも。義母もそうだ。
気がつけば左手に持つナイフが蛇の頭を貫いていた。どうしてこう成ったのか、彼は考えた。一昨日。ヒッチハイクのつもりで車に乗り込めば、着いた先はテロリストのアジトだった。彼らからしてみれば金づるである。お馬鹿で不運な外国人という訳だ。おおっぴらに魔術を使う訳にも行かず、取りあえず温和しい振りをして、牢獄に放り込まれ後ビデオカメラを向けられた。自国へのメッセージという訳だ。拒否した彼は散々暴行された。殴る蹴るである。頃合いを見て抜けだしビデオカメラは破壊した。取り返した荷物は半分のみだ。電子機器の類いは全部無くなった。着替えやパスポートは取り返せた。国際キャッシュカードとクレジットカードは外套に隠してあったので無事だ。迷惑料と言わんばかりに水と食料、そしてリボルバー(回転式拳銃)と弾丸も失敬した。興味本位で空き缶を狙ってみた。12発で使い物になる程度にはなった。元々筋力があるので、姿勢が悪くともブレ難いのだった。
真也は蛇を捌き始めた。首を落とし、断面に切れ目を入れつるりと皮を剥いだ。鶏の様な肉を軽く水で洗い、塩と胡椒を振って炙り始めた。日本でも蛇を食べる文化があったが、もはや廃れている。焼かれる様をじっと見ていた。
「自由意思か、結構しんどいもんだ」
それは自分の意思で止める事が出来る、と言う意味だ。命令なら楽だろう。何故なら失敗しても、無茶な命令をする方が悪いと責任転嫁できる。
「俺はどうして、旅に出たんだっけ」
そもそも何故欺され続けて、何故嫌な思いをし続けて旅を続けるのか。その理由を考えようとして止めた。あの家を出発し、問い続けてきたが一向に答えが出ない。帰国してもそれは同じだ。ならどこに居ても変わらない。
日本を発ち1年と3ヶ月。真也はパキスタンに入っていた。パキスタン→イラン→トルコのルートである。パキスタンとイランの国境は、退避勧告が出される区域だが、路銀が乏しいので強行する事にした。海路を検討したが、遠回りになる上、予算が少ないので断念だ。そして荒野のど真ん中で、一台の自動車が真也の元を去った。“ハイラックス”と刻印された正規のヒッチハイク車を見送り真也は、もう大丈夫だろうという距離で悪態を付いた。
「何が気をつけろだよ。危険手当で3000ルピーも追加要求しやがって。計5000ルピーなんてそれなりのホテルに止まれる額じゃないか」
足下を見られたのだった。
「何がアッサラーム アレイクム (あなたの上に平安あれ) だ。地獄に落ちろ」
国境付近は危険なので、降ろされたのだった。まっとうな土地のモノは近づかないのである。残った移動手段は徒歩のみだ。話が違うと交渉し、返金の代わりに物資を入手したが、それでも割が合わない。仕方が無いと彼は歩き始めた。荒野が続き、要所要所にある小さな町で、少しづつ休憩をするのみだ。彼は長い旅でやさぐれていた。
歩き、歩き、歩いた。気候区分が代わり、荒野に植物が混じり始めた。陽は落ち、代わりに月が登っていた。そんな時だった。真也は何の脈絡もなくそれに出会った。見上げると崖の上に漆黒の男が立っていた。その男もまた真也を見下ろしていた。その状況を例えれば、町中で出くわした二人が、その手にライフルを持っていた、これが適当だろう。相手がどう動くか分らない。下手に動けばその結果は火を見るより明らかだ。二人はそういう存在だった。真也は呻いた。可能ならば立ち去りたい、だがそういう雰囲気でもなさそうだ。
「instruere(展開)」
抜刀はせず、鞘を左手に持ち、やむを得ないと真也は崖を駆け上がった。不用意な威嚇にならないかと、不安にも成ったが交渉に武力は必要だ。
その男は全身黒ずくめだった。ファンタジー物に登場しそうなプレート・メイルを装備していた。ただし、鎧の繋ぎ目であろう境は鋭角で、所々に吸血種の牙を連想させるトンガリがあった。全体的に有機的な印象を想起させた。髪は黒くオールバック。意外にも肌焼けていた。英国人のように荒々しさを感じさせる顔つきで、30台半ばに見えたがアテにならない。何より眼を引くのがその威圧。黒騎士の銘が相応しいだろう。お世辞にも人間には見えなかった。かといってサーヴァントでも無い。幻想種はもう消えた。残った選択肢を考えれば、何者かは自ずと知れよう。真也右手の平を掲げた。二人の距離は十二分に距離があった。それなりに大きな声だった。
「敵意は無い。このままやり過ごす事を望む」
「貴公は何者だ」
それは綺礼に似た厳かな声だった。
「ただの人間だよ」
「とてもそうは見えないが」
「かく言うアンタも人間じゃないな」
「私の名はリィ、」
「ストップ。俺は名乗りたくない。だから名乗らないでくれ」
「身分を隠す者は信用が成らない」
黒騎士はカチャリと腰に携えた剣の柄に手を掛けた。
「俺を信用する必要があるか?」
「信用の無い者は仇なす者だ。斬り捨てて然るべきだ」
「そんな事はしない」
「信用が無い、とはそういう事だろう」
「とんちか」
「何でも良い」
「俺は修行中の身でアンタの剣を受ける資格は無い。尚且つ、アンタに名前を覚えられるのが怖い臆病者だ。そういう人間なんだよ。ここまで言ってまだ分って貰えないだろうか」
「何処へ征く」
「ずっと西の地だ」
「西の何処だ」
「それは言えない」
「徒歩でか」
「ヒッチハイクも使うが、基本的にそうだ」
「何をしに行く」
「ある人物に会いに」
「ご婦人か」
「師でもあり戦友でもあった男だ」
「教えを乞うつもりか」
「違う。会いに行く事そのモノに意味がある」
「巡礼、と言う事か」
「似たようなものか、な。そう言われるのは初めてだ」
「それは修行、というよりは試練が正しいだろう」
「何でそう思う」
「修行とは己を磨く事、試練とは乗り越えるモノ。ならば、私という試練を乗り越えねばな」
「なんだその理屈―」
ギィン。金属同士の刃が当たる音がした。甲高いが身体を震わす程に重かった。そして異なる魔力が干渉する音もした。黒騎士のその一刀はとてつもなく重かったのである。真也は距離を取る事を念頭に後方へ跳躍していた。それでいて尚その剣圧は異常だ。踏みとどまれず、その両の足は大地に轍を刻んだ。黒騎士は構え直すと、その表情に笑みを浮かべた。
「良い反射神経、そして見切りだ」
真也が紡ぐのは解放の呪文である。
「Volo Hecateia. Liberari amore using. Deligandae est duas columnas. Constraints cum nomine vetusto,……Cladis ala」
(守護神ヘカテーに願い奉る。その慈悲を以て戒めをを今ここに解く。その戒めは御柱二つ也。戒める古の名は……災厄なる翼)
“Restraint legem limited release(拘束術式限定解除)”
「ほう、古い言葉だ」
「それ、ただの剣じゃ無いな」
「無論だ」
黒騎士の手にある剣は大剣だった。刀身は1メートルを悠に超えており、全長は2メートルは下るまい。幅広だがカットラスの様に反っていた。刀身から柄まで全て黒だ。それに黒い魔力がわだかまっていた。
「魔剣ニアダーク。貴公のそれは? 東洋を発祥とする剣だと思ったが」
「無銘だよ。そんな事より1つ聞きたい。何故無用の戦いを望む」
「試練だと言った筈だが?」
「それは俺にとっての話だろ。アンタには無関係の筈だ」
「剣を持つ者同士が引かれ合い、この月光の下対峙したのだ。これは必然と言わずして何という」
「男に言われたくない」
「連れないものだ」
真也は構えた。切っ先を背後に向けた脇構えだった。
「寄り道している暇は無い。この一刀に全身全霊を掛ける」
「受けて立とう。来るが良い」
真也は高く跳躍すると鎚のような一撃を打ち落とした。霊刀が放つ光は、スタングレネードの様に強烈だった。だがそれは大ぶりの一撃に他ならない。
「未熟!」
跳躍し魔力と体重を乗せればその威力は絶大だが、それ故隙が大きい。パワー型の黒騎士に、敏捷型である真也が打つ剣では無い、黒騎士はそれを見抜いていた。黒騎士はバックステップ。真也の渾身を悠に躱し、着地した。お返しと言わんばかりに剣を掲げれば、足下を取られた。その原因は直ぐさま知れた。足場が崩れているからだった。黒騎士は瞬時に大きく跳躍した。彼の眼下には崩落する崖と共に墜ちていく赤い外套の男が居た。黒騎士は苦笑するより他が無い。
「してやられた、という事か」
真也の一撃は黒騎士打倒ではなく、崖の破壊を狙ったモノだった。つまりは逃亡である。初めからこれを狙い一芝居を打ったのだった。真也は崩落する岩を八艘飛びの要領で渡ると大樹の枝に着地した。その衝撃で枝が折れた。次の枝に着地し、それをまた踏み折った。また枝に着地し踏み折り、落下の勢いをその都度殺す。予想よりは大きな音を立てて、大地に着地した。急ぎ見上げれば、黒騎士の気配は感知出来なかった。
(逃げ切った……か? 死んだとは思われてないだろうな。見逃された、と思いたいが……急ごう。気を変えられたら厄介だ)
彼は森の中を巡航速度で走り出した。全速力ではなく長距離走る速度である。走りつつも悪態が止まらない。
(まったく冗談じゃ無い、死徒と会う事すら滅多にないのに死徒二十七祖だなんて、第六位の“黒騎士シュトラウト”と偶然出くわすなんて……)
頭上には月が浮かんでいた。
「なんて運の悪さだ!」
真也には月が笑っている様に見えた。
◆◆◆
せせらぎを辿り小川を覗けば、澄み切って底に溜った小石が見える。だがカワニナ、カタツムリが棲んでいた。それは濾過や煮沸で飲めない水と言う事だ。ペットボトルはもうじき切れる。仕方が無いと彼は自分の尿を呑んだ。
朽ち、倒れた樹の皮を剥いで幼虫を見みつけた。親指と人差し指で挟まれたそれは上下左右に、ある時は回転を織り交ぜ蠢いていた。たっぷり30分躊躇った後、口に入れた。咥内にで蠢くそれを噛んだ直後、中身が口から飛び出した。腸を連想させる内蔵が口からぶら下がっていた。溜らず吐いた。栄養価が高いとはいえとてもマズイ。鼻くそを詰めたソーセージのようだ。真也は吐き出さないよう口に手を宛がった。水分補給も兼ねて無理矢理飲込んだ。余りのキツさに涙がにじみ出た。
シカ科の動物を発見した。仕留めその血を呑んだ。口元は真っ赤に塗れていた。これではどちらが死徒か分らない、彼はそう自嘲した。そして皮を剥ぎ焼いて食った。余った肉は脂身を取り除きスライスした。食塩水に一晩漬け、岩の上のおいて乾燥させた。干し肉という訳だ。
一週間程そんな事を続けると100人程の小さな村があった。中央広場は井戸が目印だ。民家と村長の家が点在し、道が集まる場所には集合食堂が設けられている。それは集会会場と酒場の代わりだ。祠に神殿もあったが宿は無い。倉庫、水力発電施設があった。
斜面には段々畑。雪が残る岩山を背景にアンズの華も咲いていた。白と桃色が織りなすコントラストは美しかった。岩山が間近に見えて緑も多かった。流れる川は雪解け水だ。その川の水は飲む事が出来たので、真也は顔を突っ込んで思う存分飲んだ。地図を広げれば顔が傾く。小規模過ぎるのか地図に無い村だった。加えてその地は異様に歪んでいた。
(……見た目に反して真っ当な村じゃないな)
暫く歩き続けた。見上げれば空はまだ赤みがかっているが、木陰は影ではなく既に闇夜、そんな時分だ。妙な娘が立っていた。14歳の年の頃、どういった経緯か分らないが、真っ黒なドレスを纏っていた。屋外だと言う事を忘れてしまいそうな程、その姿に違和感がなく美しかった。まるで野外という空間を、迎賓館に潰し変えてしまっているかと錯覚する程の存在感であった。
何より目を見張るのがその髪だ。ドレスの黒が霞む程に、その髪は黒かった。腿に掛かる程長く黒く輝いていた。雪の様な白い肌に、目尻はつり上がり気味で、瞳は血のように紅かった。その小さい口の囀る様はカナリアのよう。
「お主に死相が出ておるぞ。この村には関わらない方が良かろう」
その娘はスカートを摘まむと、そのまま森の奥へ消えていった。真也は追いかけようと思った、その発言の真意を聞こうかとも思った、だが止めた。あの少女は臭かったからだ。物理的な臭いではなく、厄介ごとという意味だ。いずれにせよ物資が足りないのである。気を取り直し真也は村の縁で子供に声を掛けた。
「食料と調味料を買いたい。大人を呼んでくれるか」
真也を物珍しそうに見ていた子供たちは、互いに見合うと駆け出していった。しばしの待ちぼうけ。すると数名の大人たちがやってきた。彼らは不自然な程に微笑んでいた。強いて言うなら牧師の恰好をしているピエロである。その内の一人が言った。極めて友好的な物言いだった。旅のし始めなら真也も欺されただろう。
「ようこそおいで下さった。バックパッカーかな?」
「ええそうです。ここに売店はありますか? 子供たちには伝えましたが、」
「あぁある。食料も塩、胡椒、酒も沢山ある」
「それは助かります。パキスタン・ルピーが使えると良いのですが」
「貴方は運が良い。分けても構わない」
「無償、と言う事ですか。それは何故です」
「今日は年に一度の祭りでね。お客人は大歓迎さ」
とてもそんな雰囲気では無い、とは思ったが真也は敢えて口車に乗る事にした。案内された場所は村で唯一の大広間であった。簡単な石造りの建物で、日頃は集会や催事に使う。彼は食事に招かれていた。敷物の上に胡座をかいて、床の上に置かれた料理はマンサフだ。それはご飯をヨーグルトで煮て羊を乗せた料理である。ヨルダン地方の国民食に類似していたが、何故パキスタンにこの料理があるのか、真也はそれに気がつかなかった。民族衣装を纏った数名の男女に囲まれ、真也は悟られず薬を確認しながら、ひとつ口にした。薬品の類いは問題ない。不覚にも顔がほころんだ。それは当然だろう。食文化は違えど久しぶりの真っ当な料理なのだ。
「美味しいですね、コレ」
「今日はもう夜も遅い。泊まっていくと良い」
「申し出は嬉しいのですが、先を急いでいます。お気持ちのみ頂きます」
「夜の森は危険だ。考え直した方が良い。それに客人が居れば祭りも盛り上がる」
「俺は疫病神だから止めておいた方が良いです。長い事留まればどんな災厄を引き寄せるか」
「それは大丈夫だ。我らには神が付いている。何より旅人を持てなさいと、アッラーは教えている」
「あなた方はムスリムですか?」
「そうだが?」
真也は確信した。
「であれば尚更ですよ。ニカーブやブルカはともかく、ムスリムの女性がヒジャブすら付けないなんて不自然すぎです。あなた方は嘘を付いている、違いますか?」
女たちは恐れる様な顔になった。男たちは笑みを消し威圧的になった。立ち上がり真也に詰め寄った。
「中々物知りだ」
「旅人ですから色々な人間を見てきました。だからこう言いますよ。余所者に愛想の良い村人は嫌いだ。その面の下に何を隠しているか分らない」
「そうか、なるべく穏便に済ませたかったが」
真也は襲いかかる全員を瞬時に叩き伏せた。
「俺は何もしない。だから俺に何もするな」
真也は荷物を背負うと立ち去った。女たちは、うめき声を上げる屈強な男たちを呆然と見るのみである。その様を例えれば悪夢か悪霊を見たかの様、が適当だろう。
◆◆◆
その子供は黒髪で褐色肌だった。年齢はまだ10に満たないが、蒼い瞳が煌めいていた。ビーズをより合わせた様な鮮やかな衣装は、全身をすっぽりと覆っていた。月明かりの元では、表情を伺い難いがその態度から切迫している事だけは良く分かった。
「赤コートの人、頼みがあるんだ」
真也は突然木陰から出てきたその子供をやり過ごした。それは村を出て少し離れた場所である。
「他を当たれ。お前はあの村の人間だろ。部外者に頼まなくちゃいけない様なお願いは御免被る。面倒ごとは御免だ」
「タダでとは言わないよ。これでどう?」
モノサイトの暗視スコープだった。
「確かめさせろ。壊れているかも知れないからな」
その子供は依頼を受けてくれるのだと、嬉々としてそのスコープを手渡した。真也は暫く弄るとこう言った。
「ん、確かに動く。相応に立派なモノだ。これは貰っておく」
「それで頼みの事なんだけど、」
「甘いな、坊主。受けるなんて言っていない」
「なにそれ。欺したんだ!」
「世の中甘くないんだよ。お前らの様な村は初めてじゃ無い。冷たくあしらって、その後に親切心を見せる、警戒心を解いて、付け入る。黄金パターンだ。これはこの村にはそぐわないハイテクだろ? 貼り付けられている名前はD.Grimwood。あからさまに米国人だな。ネームプレートを剥がし忘れるなんて迂闊すぎる。それともメーカー名だとでも思ったのか」
「返してよ!」
真也は右手のスコープを頭上高く掲げた。飛びかかるその子供を笑いながらあしらった。その様はお世辞にも人様に見せられる笑みでは無かった。
「お前らは旅人を襲って身ぐるみ剥いでるんだろ? 俺もやられた事がある。ならこれでイーブンだ。さっさと帰れと言いたいが、サービスで一個教えてやる。簡単にカード(手札)を手渡すな、授業料だと思って諦めろ。じゃあな」
真也は子供の額を軽く弾くと立ち去った。その子供は額を手で庇い、涙を流していたが、涙の原因は痛みではない。逼迫した状況だったからである。
「お願いだよ! お兄ちゃんが死んでしまう!」
真也は足をピタリと止め、己の肩越しにこう聞いた。
「お前は弟かそれとも妹か、どちらだ」
「……」
「ガキを抱く趣味は無い。もう一度だけ聞く。どちらだ」
「……妹」
「取りあえず話だけ聞いてやる。名前は」
「エリス」
つづく!