赤い林檎を蹴飛ばしたら   作:d1199

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依頼その四 リバースチャリス編
一話


“子よ、これは牙だ。私にとって救世の牙、お前にとっては呪いの牙。この父の願いを成し遂げた暁は、家名を名乗る事を許そう”

 

 

そのレストランは少し違っていた。例えば天井が高く、息苦しさを感じさせなかった。例えば窓側にのみ席があった。この二つは数より質を重視していると言う事だろう。事実その窓は大きくロンドンの夜景を一望出来た。他にもテーブルクロスは純白で、亜麻100%、つまりは高級品だった。ウェイターは黒いスーツと蝶ネクタイを着こなし格調高く、その体捌きは、素早さと正確さと礼儀さがあった。十分に訓練されている事が良く分かった。照明を巧みに使い、瀟洒な雰囲気を醸し出していた。実に快適で、客に満足して貰おうというシステムの集大成だ。人はそのレストランを高級レストランと呼ぶだろう。実際にその通りだった。味という意味であり、サービスという意味であり、もちろん料金という意味もある。事実真也が周囲の席を見渡すと誰も彼もが高級そうだ。彼らは僅かに暗い特別仕立ての空間で、思い思いの時間を楽しんでいた。ところが彼は言葉が出ない。

 

(……)

 

主の挑発にまんまと乗り、食事に誘ったのは良いものの、主の「今晩は楽しみにしていますわね」というセリフで彼は主の金銭感覚を思い出した。頭頂からつま先までブルジョアジーな主である。赤コートは難があるだろう、であるから着替えに戻ると申し出て、ならば待ち合わせる事にして、携帯電話でグレイに店を紹介して貰った店であった。“師匠に連れて行って貰いたいと思ってもう3年目の店です”という彼女の切ない言葉は既に真也の頭から消えた。何故ならそこはロンドンでも屈指の五つ星レストランだったのだ。

 

(……)

 

誘った手前、割り勘など流石に無様すぎる。財布には死徒の一件で申請した危険手当である2000ポンドが収まっていた。十分な額であったが、この手の店の経験など皆無の彼は“足りるだろ、足りるかな? 足りると良いな”とそれどころでは無かった。だものでその言葉は辿々しい。

 

「ナカナカ良い店ダナ。倫敦ノ夜景モ綺麗ダシ」

「そうですわね。料理は4点ですけれど、立地条件、演出、調度品、ウェイターの質で5点満点を上げましょうか」

「気ニ入ッテ貰エタノナラ何ヨリダヨ」

「なんですの? そのしゃべり方」

「別ニ」

 

彼は前菜であるスープを啜った。人間用に調理されたモノなら何でも美味しいという、味覚が完全に壊れている彼には、高級フランス料理の味など分るはずもない。拷問なのか仕事なのか良く分からない時間が過ぎれば、食事も終盤だった。向かいの主はアールグレイを手に食事の余韻に浸っていた。満足げに眼を細めていた。主の趣味であるプロレスなど全く知らない真也にとって、共通の話題は無粋なモノばかりだ。無理して話す事も無かろうと、同じ様にその雰囲気を楽しむ事にした。隣の席のカップルがプロポーズしていた。多少気まずさを感じつつ、目の前の主は一通の封書を彼に差し出した。

 

「招待状?」

「そう。今朝届きましたの。あの時計塔高級寮の、更に私が術式を施した部屋の結界を破り、机の上に置いてありましたわ」

 

ルヴィアから手渡された手紙には宛名と差出人が書かれていた。もちろん宛名はルヴィア、差出人はR・クロムウェルとなっていた。

 

「かっこいい名前だな。イケメンそうだ」

「呆れましたわね。クロムウェル家を知らないとは。イギリス屈指の名門ですわよ」

「そう言われてもね、知らない事はある。何系の術師?」

「降霊魔術の大御所でした」

「でした?」

「第2次世界大戦末期。大規模な召喚の儀式を執り行おうとし、失敗。それが零落の原因になったとか。それが原因で亡くなった、とも」

「レディ・エーデルフェルト。質問がある」

「シンヤの言いたい事は分りますわ。何故私がこの話をしたのか。潰えた魔道の家からなぜ招待状が届くのか」

「話が早くて助かるよ」

「当時の当主であったリチャード・クロムウェルは、天使を召喚しその知識を得ようとしたとか……なんですのその不愉快な顔は」

 

彼女は不愉快と称したが、面白くもないコメディを永遠見せられた様な顔、が適当だろう。

 

「いやだって。堕天使ならともかく、よりにもよって天使が人間に。預言者や聖者ならともかく魔術師に知識なんて」

「そうですわね。私もそう思いますし、チューターも同意見ですわ」

「教授にも届いたってことか。それでもこれを気にする理由があると」

「天使は眉唾だとしても、クロムウェル家の遺産ともなれば無視出来ませんから」

「それ程の名門に加えて、結界を突破した術師が控えている、か。実は本人が生きていた、もしくはその後継者が居る」

「それだけではなくてよ」

「分ってる。どこかの誰かがエーデルフェルトに挑戦状を叩き付けた、そういう事だろ?」

 

ルヴィアは満足そうに頷いた。

 

「チューターは参加を渋っていますけれど、ならば代理を立てろと、圧力が掛かっているとか」

「ふーん。中身を見ても?」

「許可します」

 

封筒の中には高級そうな紙が二つ折りで入っていた。

 

“第2次聖杯戦争にご招待いたします”

 

そう書かれていた。

 

「なるほど。天使の知識となれば聖杯と呼んでも過言では無い、か。少なくとも魔術師にとってはそうだろ。事実なら根源にたどり着けずとも、大幅に近づける」

「とても嫌そうな顔ですわね」

「複雑な思い出なんだ」

 

広げると貴族の紋章と7つの十字が刻まれていた。

 

「その紋章はオルレアン公のものですわ」

「フランスの? ならこれは開催地ってことか。十字マークは不明だけれどこれは思わせぶりだ。了解だお嬢様。出発は何時?」

「明後日です。今回は遠出ですから相応の準備をします。鉱石も補充しませんと」

「そうか。この7つの十字は招待客が7人って訳だ」

「恐らく、魔術師たちが集まるのでしょう」

「聖杯戦争ね、誇大広告じゃないかと疑いたくなる。もしくはおとり広告だ」

「日本だけが特別ではなくてよ」

「そういえば、日本嫌いの日本人の遠坂嫌いだったな。今でもそう?」

「そうですわね。なんにでも例外はある、と答えておきましょうか」

「それは光栄だ。なら次のステップは観光かな。いつか時間が出来たら冬木市を訪れてくれ。案内するから」

「本当にそう思って居るのかしら」

「お嬢様なら二つ返事で大歓迎だよ」

「それは結構。ではその好意に期待し聞きたい事が二つあります」

「なんなりと」

「そのスーツは? 初めて見ましたのだけれど」

 

それは駆け引きだ。適当な話題でワンクッション置いた。

 

「トリス様に会いに行く時に調達した」

「心構えの違いについて説明を求めますわ」

「流石にこの程度のレストランだとあれは奇抜すぎるし、エリーザベト・バートリのせいで穴だらけだ。それにトリス様とはマイナスからスタートだったし」

「私の時もそうではなくて?」

「あの時はどうしようもならなかっただろ。いきなり“同行する!”とか言うし」

「そう、気を使う必要も無かったと」

「あの時はお金が無かったし、そもそもトリス様とお嬢様の立場が逆だったら同じ事をしていた。だから拗ねないで欲しいんだけれど」

「拗ねてなどいません」

「それは残念。もう一つの質問って?」

「シンヤが召喚したサーヴァントとは?」

 

引っかけだとは彼も悟っていた。流石に連続では引っ掛からないと、余裕ぶった顔である。彼はティーカップを掴んでこう言った。

 

「秘密」

「何故レディ・バートリの魔術を無効化出来たのかしら」

「秘密」

「限定武装(霊刀)の入手先は?」

「秘密」

「あの拘束術式は誰が施したのかしら」

「秘密」

「姉の事なのだけれど」

「秘密だ」

「馬鹿にしていますの?」

「スリーサイズを教えてくれたら答えてもいい」

「上から、」

「止めろ! はしたない!」

「仮面を被り平気で嘘を付くシンヤならアサシンかしら」

「失敬な事を言うな。キ、」

 

ウェイターがやってきた。騒ぎを聞きつけたのである。

 

「お客様。問題でも?」

 

真也は営業スマイルで答えた。

 

「なんでもありません♪」

 

何事も無かった様なルヴィアの態度を根拠にウェイターは退いた。危うく引っ掛かるところだったと、目の前の従者は無言を貫いていた。

 

(騎士か、騎兵か、弓兵、狂戦士と。御三家のトオサカなら騎士か弓兵と言ったところかしら。まぁまだ2週間ありますし、遠出の旅ならば機会も相応にできる。攻勢を仕掛けて全て剥くとしましょうか)

 

彼女は静かな笑みでそんな事を考えていた。

 

 

◆◆◆

 

 

それはライダーとキャスターの受肉が済んだ頃の話だ。そして全員分の部屋の用意はしたが、ベッドの事を忘れていたという、当主の爆弾発言が漸く収まった頃の話でもある。当主から宛がわれた部屋をぐるりと見渡した真也は溜息を付いた。そこは蒼月の部屋より随分広かった。そして彼が一時身を置いていた部屋でもあった。その部屋にクローゼットの類いは無かったが、ベッド、勉強机、本棚、洋服ダンスを置いても空間に余裕があった。否、空間に余剰感があった。

 

更に時を遡り第5時聖杯戦争終結直後、未だ戦争の影響が、歪な高揚感として残っていたそんな頃だ。彼はまだ蒼月の家に居た。キャスターの命令権を委譲するとは言ったものの身体が満足に動かず、回復まではキャスターに身の回りの世話を頼もうか、そんな事を考えていた矢先、義理の妹は己のサーヴァントを連れてやってきた。すると彼女はさしあたり必要になる荷物を纏め始めた。そう、これから彼女は本来の家に帰るのだ。嬉しくもあり寂しくもある。そう思っていたら彼女は真也の荷物も纏め始めた。

 

“これからみんな一緒です”

 

その言葉は今でも良く覚えている。早いものでそれから4週間が経った。同級生と同居する、といえば聞こえは良いが実際は大変だった。生活規範が異なる以上当然であろう。私生活ではだらしなく、義妹に全て任せっきりだった彼の生活態度は、当主にとっては許しがたい事だった。

 

“髪を十分に乾かさず出歩くな、下着姿で出歩くな、インターネットを自室に敷設する事は禁止、携帯電話もダメ、ゴミは溜めない分別しろ、靴下・下着・洗濯物の分別を怠るな、ゲームは1日1時間、スケジュールボードは正確に書け” 小遣い帳の提出だけは断固拒否をした。

 

役割分担に異存は無い。洗濯の任からは外されたのは当然だろう。料理はからきしだった彼は必然的に掃除の分担が多くなった。リハビリを兼ねて廊下や庭の共同部分の清掃に勤しんだ。だが自室の清掃にまで言及されれ辟易もする。新しい家の当主は厳しかったのである。

 

新しい部屋をじっと見ていると溜息が出た。この生活スタイルに慣れるにはまだ時間が掛かるだろう。ふっと同級生の姿を思い出す。戦時中身を置いていた時との、態度の違いに想いを馳せれば切なくなった。溜らず持参したガラクタを適当に弄くった。気が紛れたのか1時間経っていた。時計は午後の9時だ。

 

キャスターが彼の心臓に施したブレーカーが落ちるにはまだ時間があるが、そろそろ寝る事にした。寝床に入り部屋の明かりをベッドライトに切り替えれば毛布を被る。ぼうと天井を見ていれば扉をノックする音がした。何事かと扉を開ければそこに当主が立っていた。どうした事か。夜遅いはずの彼女はすでに寝間着を着ていた。いつか見た白いネグリジェである。ショールも同じ様に羽織っていた。彼女の声は何時になく張りが無い、付け加えれば視線も泳ぎがちだ。

 

「ごめん、寝るところだった?」

 

その髪は乾ききっていないのか湿り気を帯びていた。

 

「なにか用?」

「少し良い?」

 

真也は就寝直前の部屋の状況を見渡すと、こう言った。

 

「急ぎか?」

「そう。今晩しかないから」

「なんだ、それ」

「私たちは明日から姉弟になるでしょ? だから」

「……どうぞ」

「電気はそのままで良い」

 

真也はスイッチに伸ばした手を止めた。理解出来ないとその当主を見れば彼女は慌てふためいた。

 

「その、すっぴんだし」

「そう」

 

前に居た時はそれを気にしなかった、彼はその指摘を飲込んだ。同級生は一拍の躊躇いののち彼のベッドに腰掛けた。ギシリと音が鳴った。掛け布団は跳ね返ったままだ。生々しさを感じながらも、彼は机から椅子を持ってきて、少し離れた所に腰掛けた。

 

「随分と遠くに座るんだ」

「近いのは色々マズイだろ」

「マズイ?」

「すっぴん、そう言ったのは君だぞ」

「そっか」

 

それを最後に会話が止まった。同級生は羽織ったショールを落ち着き無く弄っていた。伏せ眼がちで頬は紅く、小さな唇をせわしなく動かしていた。閉じた腿も落ち着きが無い。彼女の行動の意味を察した彼は頭を掻いた。

 

「あー、あのだな、」

「桜だけずるい」

「そういう問題じゃないだろ」

「そういう問題じゃない」

「どこが」

「きょうだいに成るなら繋がりが要るでしょ? 桜だけパスが繋がっているのはずるいじゃない」

 

真也は本気か、とは聞かなかった。その質問は無粋である。

 

「好意は無いかも知れないんだぞ」

「もう好きじゃ無くなった? 桜が居たから、好きだけど私を拒絶したそう思ってた」

「白状すると今持っている凛への感情が何か分らない」

「それでも良い。初めては真也が良いから」

「今の自分は間違っているかもしれない、そうは思わないか」

「そんなの今更。それにこうしないと動けないから」

 

真也は立ち上がった。

 

「俺は理由無くそういう事はしない主義だから」

「そう、ごめん。迷惑かけた」

 

見るからに消沈し、立ち上がった凛を真也は止めた。

 

「話は最後まで聞く。だから対価を用意する」

「対価って何よ」

「そだな、凛の剣になるってのはどうだ」

「なにそれ、セイバーじゃないんだから」

「信用ないか」

「当然でしょ。嘘ばかりなんだから」

「いてててて……ならもう少し俗物的にいこう」

 

彼は左の握り拳から親指を突き出すと、左胸に突き立てた。

 

「この心臓は凛が再構築した。これでどう?」

「決まりね。勝手に取られる事も捨てる事も駄目」

「映画であったな。こんなネタ。なんだっけか」

「パイレーツ・オブ・カリビアンでしょ。シリーズの最後、海賊となったブラックスミスは、心臓を納めた箱を恋人に渡した」

「どういう風の吹き回しだよ。映画なんて興味なかったろ」

「真也と話が出来ないじゃない。母さんとばっかり話してさ」

「気にしてたのか」

「気にしてないとでも思った?」

 

その部屋に一つしか無いベッドは、トサリと何かを倒した様な音がした。それは真也が遠坂の戸籍に入る前日の夜のことである。翌日のみであったが義妹は妙に余所余所しかった、その意味に気がつかなかったのは彼のみだ。この事実は真也の拘束術式を構築するのに必要なファクターとなった。

 

 

◆◆◆

 

 

夢から覚めた。何時もの様にソファーで目が覚めた。被っていた筈の毛布は足下に落ちていた。両手で顔を擦った。

 

「なんで今この夢を見た」

 

出立してから2年間、家の夢は幾度となく見たが、これは初めてだった。何かの予兆なのか、不安と戸惑いを洗面台で洗い落とそうと、立ち上がればその声は突然だった。

 

『マスター』

 

彼は息を呑んだ。それは2年ぶりの従者の声だ。彼の左手の甲にある、念話用の符陣が発動していた。それは聖杯戦争時のこと、キャスターを新都のホテルに送り出した際に刻んだものだった。彼は慌てた。それは魔力さえあれば地球の反対側でも届く。つまり、相応の魔力を費やしても必要な連絡、と言う事だ。

 

「キャスター?! 何があった! 状況を教えろ!」

『ご安心下さい。冬木市は静かなものです。私は近くのホテルに居ます』

「近く? 時計塔の近くと言う事か?」

『はい』

 

体に走った緊張が一気に解けた。

 

「……どうしてイギリスに居る。どうして冬木市を離れた。家を守れ、そう命じた筈だ」

『あら酷い。主の身を案じ馳せ参じたというのに。私“ども”は手紙に書かれた住所とランサーの刻んだルーンを辿りました。ご心配には至りません。冬木市は落ち着いていますし、その兆候も観測されておりませんから。なによりセイバーとライダー、そしてあの剣製の坊やが居ます』

「何故だ。俺が根を上げるまで、連絡は御法度だろ」

『1年の旅程が2年。これから帰ると言われて、はいそうですかと我々が、我が遠坂の当主が納得するとお思いですか?』

 

ぐうの音も出ない。諦めきれずオーバーしている事は承知で続行したのだった。この日は覚悟していたが、2週間の慌ただしさで完全に失念していたのだった。だもので彼は謝るのみである。

 

「……すまん。心配掛けた」

『申し上げたい事は尽きませんが取りあえず棚に上げましょうか。ご無事で何よりです』

「ん。俺もキャスターの声を聞けて嬉しい。今どこだ。会いに行くよ」

『そのご心配には及びません』

 

頭に浮かんだ2年ぶりの従者の顔はとても明瞭に、意地が悪かった。彼は恐る恐るの体である。

 

「一つ確認したい。私“ども”って、なに」

『当然でありましょう?』

「……この場所をトレースしてないのか」

『しましたが、聞く耳持たずと飛び出して行かれましたので。今頃は時計塔に到着しておられるかと』

 

その意味を考えること暫く。彼は慌てて家を飛び出した。逃げ出している訳ではないのにも関わらず、脱兎の様だった。

 

 

◆◆◆

 

 

エルメロイは椅子に深くも垂れかけた。腹の上で組んだ腕は、祈りの仕草に見える。彼の目の前の机に置いてあるモノはルヴィアと同じ招待状だ。頭が痛い。この招待に応じるか、否か。天使の知識など信じてなどいないが、どうも気に掛かる。そもそも何故自分なのか。知識に自信はあるが魔術の行使は2流だ。

 

彼は招待状の隣りに置いてあるファイルの表紙をじっと見た。それは今の今まで目を通していた時計塔の記録である。第2次世界大戦末期、リチャード・クロムウェルが“天使を召喚する”と有力術者を招待し、失敗した経緯が記録されていた。その一件は時計塔も関わっていた。

 

次に彼は真正面にある扉を凝視した。それは物理的、魔術的に保護されたロード個人用の保管設備である。埋め込み式の金庫と言えば分りやすい。その中にはあの槍が保管されていた。“槍と招待状の関連性”その問いが過ぎった。

 

「面倒事が立て続けだな」

 

思わず口に出た。槍の扱いは今以て保留だ。だが何時までもこうはして於けまい。彼は幾つかの方法を検討した。

 

・辺境に投棄する。それは管理の放棄に他ならない。保管施設の建築を前提にするにしても、それには資金が居るうえ相応の規模となるだろう。人目に付いては意味が無い。

 

・信頼出来る魔道の家に保管を依頼する。その後継者が私的に利用しないとは言い切れない。

 

・直死の魔眼を以て破壊する。

 

それを考えたエルメロイは頭を振った。宝具、それは限定武装の一種であるが人類の遺産でもある。破壊が可能かどうかは別にして魔術神秘に携わる者がこれを破壊するのは避けたい。いずれの選択も問題がある。あるべき所に戻すのが一番だがその手段が大問題だ。ルヴィアと真也がリバプールで出会ったという、埋葬機関のシスターに手渡せればベストだろう。だが生憎と住所も電話番号も知らなかった。

 

ルヴィアと真也の報告書では理知的な人物と評されていたが、それでも埋葬機関の人物と対峙などしたくは無い。機関銃を突きつけられている様なものだからだ。万が一その展開となった時は彼にもにも武力が必要だろう。彼にはグレイが居たが手札は多い方が良い。その追加の手札には幾つか心当たりがあった。真紅の外套を風に靡かせる、軽薄な笑みの少年を思い浮かべた。

 

「直死の魔眼、か。トオサカもとんでもないカードを隠し持っている」

 

あの黒縁眼鏡はその為の物だったのである。脅威と言えば脅威だが、制御される力は如何に強大だろうと、必要以上に恐れる事は無い。安全運転者の自動車は安全だが、運転手がとち狂えば自転車であれ危険だ。万物の死を見る事が出来る事、それに常時晒される事、心理的負荷は相応の筈だが、エルメロイの見立てではその不安は見られなかった。クー・フーリンが刻んだルーンの石、それを子供の様に自慢していた彼を思い出せば当然かもしれない。病んでいる者は笑いなどしないのだ。もしくは。

 

「何に挟まれているか、何を背負っているか知らないが、それどころではないのかも知れないな」

 

すると人の気配があった。それはドドドというよりはスタタが適当だろう。それを知った彼は苦虫を噛んだ顔である。執務室は彼にとって憩いの場だ。各ロードからの突き上げもない、不愉快克つ生意気な生徒のあしらいもない、あの義理の妹(ライネス)もやってこない、諸般の煩わしさから解放出来る唯一の場所なのだ。

 

その聖地が冒さされたのは2週間前。突如やってきたその人物はノックもせずに押し入る事がままあった。全く以て厄介だ。時計塔でトラブルを起こす、仕事を回せばトラブルを起こす、ロード・エルメロイ二世の公私を引っかき回す。唯一の功績といえばルヴィアの矛先を受け持った事のみだ。いや、トラブルの発覚では無く、発見と考えればまだ前向きだろうか。トラブルを発見すればあとは解決するのみだ。彼は前のめりに、両肘を机に立てた。司令官のポーズである。短くもあり長くもあるその気配が到着するのを辛抱強く待った。扉が開いた。ババーンと盛大な音だった。

 

「師匠!」

 

グレイであった。何時もの様にライトグレーのパーカーを目深に被っていたが、影から見えるその端正な表情は焦燥であった。有り得ない、とエルメロイは呻いた。彼女が息を切らしていない事か? それは違う。彼女はそう言う血筋でありそういう存在だった。この程度で息を切らす事など有り得ないのだ。だが。彼女に勝てる存在などそうは居ないだろう、と思っていたのは彼の完全な誤算であった。それはシエルと真也の二人である。身体能力を正確に比較した事は無いが、戦闘訓練を受けていない事は泣き所だ。真也の滞在中に模擬戦でもさせてみるか、彼はそんな事を考えた。話を戻し、では何が有り得ないのか。答えは明瞭だ。少なくともノックもせず、走り込む様な娘では無かった筈だ。

 

「レディ。まさかとは思うが彼に感化されたのでは無いだろうな」

「大変なんです師匠! トオサカさんが時計塔にいます!」

「何事かと思えば、そんな事は知っている」

「姉の方です!」

 

“ガタッ!” それは彼がいきり立った音だった。その表情は深刻そのものだ。

 

「レディ。君にエルメロイ教室の生徒を指示する権限を限定で与える。レディ・エーデルフェルト、ミス・トオサカどちらでも構わない。総力を持って二人が鉢合わせする事を阻止しろ。私は弟を呼ぶ。急げ」

「分りましたっ!」

 

彼女は血相変えて出て行った。迂闊、彼はそう己を罵った。あの長男が家に一報を入れる、この展開は十分に考えられたのにもかかわらず、何故こんな簡単な事を。

 

「何故見落とした!」

 

彼は机に拳を打ち下ろした。今の彼は、敵の奸計に嵌まってしまった司令官そのものだった。

 

 

 

 

つづく!

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