赤い林檎を蹴飛ばしたら   作:d1199

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二話

凛は真也の居場所を知らなかったが、それは大した問題ではなかった。あの恰好(真紅の外套)であれば、どこに居ても目立つだろう。適当なところで、適当な生徒を捕まえて聞き出せば其れで済む。1人目が知らなければ、2人目を捕まえれば良い、根拠は無いが3人目で見つかる、そう楽観視していた。遠坂の当主である凛はそう思っていた。

 

何の因果か、正面ゲートをくぐった彼女が最初に見た人物は、ロイヤルブルーのドレスを纏っていた。人の表情が見分けられない程に離れていたというのに、二人は視力強化の術を使っていた訳でもないのに、浅葱色の瞳と琥珀色の瞳は確実に交差したのである。

 

それは一瞬でもあり、永遠でもあった。一瞬で頭に血が上がった二人は、肩を大きく振りそのまま歩み寄った。何もかもがどうでも良くなった。立ち止まり対峙する距離は自動車1台分である。二人は優雅な笑みを持ち出した。つまりは小手調べ、ジャブとも言おう。先手は凛であった。

 

「奇遇ですね。レディ・エーデルフェルト。相変わらない痛々しい青、お変わりないようで何よりです」

「ええ、ミス・トオサカ。朝の清々しい気分が、濁流に呑まれてしまいましたわ。情熱の赤もここまで台無しに出来るのかと、驚きを隠せません」

 

ざわり。異質な雰囲気に登校途中の生徒たちが戦慄いた。ある者は時間が止まったかの様に、踏み出した直後の姿勢で固まっていた。ある者はコーヒー牛乳のパックを加えたまま固まっていた。ある物は急激な腹痛に見舞われた。

 

「ミス・トオサカ。貴女が何故いらっしゃるのかしら。カトンボの季節にはまだお早いのでは無くて? 虫除けの石はまだ準備していませんの。尻尾を巻いてお帰り頂けません事?」

「全くです。蛭の如きその振る舞いでは管理部の人達も大変そうです。毎日駆除剤を撒かなくてはいけないのですから。そうそう、良い駆除剤が日本にありまして、塩なんて如何ですか? 日本ではお祓いにも使える万能品です」

 

何という刺々しい雰囲気か、もはや瘴気と言っても過言ではあるまい。生徒たちは逃げ出し始めた。ある者は悲鳴を上げて、ある者は這いつくばる様に。見よ、人がまるでゴミの様だ。

 

「まぁなんと言う事でしょう。まだその髪型をしていらっしゃるのね。ツーサイドアップと言ったかしら。お歳を考えるべきではなくて? それともその頭の中は未だ稚児のままなのかしら。お気を付けなさいな、時間の流れという変化に対応出来なくば、太古地上を支配した生き物たちの様にお滅びにならましてよ」

「レディ・エーデルフェルト。その黄金のカールはいつ見ても感服します。解体工事現場でのご活躍が目に浮かびます。お持ちのご気性と相まって、鉄板どころか分厚いコンクリートですら、ものともせず穴を開けられるでしょうから。採掘される岩盤の心中を察すれば私の心は悲嘆に支配されてしまいそうです」

 

二人の周囲にいる生徒たちは逃げ遅れた者たちである。否、恐ろしさの余り逃げ損なった者たちだ。ある者は絶望し泣いていた、家族を大事にするべきだったと、己の人生を悔いていた。ある者は神に祈っていた、その恐れは如何ほどか、よりにもよって聖堂教の神であった。そしてある者は仲の良い娘に愛していると告げていた、その娘も涙ながらに応えていた。凛とルヴィアはお構いなしだった。

 

「下水坑道に勝るとも劣らない、見事な振る舞いですわね。見るに堪えませんわ。あぁ、おぞましい」

「今度手鏡を贈呈しましょう。きっと気に入って頂けると思います。なにせ象が踏んづけても割れない代物ですから。貴女にうってつけです」

 

二人から笑みが消えた。

 

「結構。準備体操程度の時間程度なら、待って差し上げても宜しくてよ?」

「不要よ。貴女こそお手洗いに行ったら? 怖くて粗相をしたら末代までの恥にするから」

 

生徒たちは遠目から見守っていた。木の陰、椅子の影、花壇の影に身を潜め、思い思いの術式で結界を結んでいる。そこは時計塔のメインストリート。正面ゲートから中央本棟を繋ぐ大通りだ。何をするにしても都合の良い広さだった。それが例え戦闘行動だとしても。

 

二人は同時に鉱石を取り出した。互いの魔力生成量は同等だが属性差があった。凛は五大属性だがルヴィアは土属性だ。鉱石魔術を行使する者は、己が持つ属性に縛られず、鉱石が内包する属性を顕現できるが、それでも相対的な影響を受ける。土属性のルヴィアは水属性に強く、風(木)属性に弱い、と言う事だ。魔力生成量が同等であれば、その差は無視出来ないのである。その為凛はルビーを持ち出した。それは炎属性系最強の退魔力を内包する、彼女が最も好む鉱石だ。風(木)属性の鉱石、本翡翠(ジェダイト) も所持していたがそれは姑息だと取りやめた。

 

ルヴィアが持ち出したのはオニキスだ。土系最強の退魔力を内包する鉱石である。単純な力比べで打ち拉ぐ、それが二人の好みであった。奸計など力なき物が縋る下等な策、二人はそれを地で行っていた。なにより互いが互いに退ける訳がない。2人がその手にある鉱石を頭上高く掲げれば、その声は高らかに。

 

「Leben. Power ist ein Schwert.(応えよ! その力を以て剣と成せ!)」

 

とは凛であり。

 

「Call. Work using the power.(応えよ! その力を以て意味と成せ!)」

 

とはルヴィアだった。互いの殺意が交差する。

 

「Schiesen.(放て!)」

「Sing.(謳え!)」

 

ルヴィアが生み出した物は3人の大人でようやく一抱え出来る程の巨石だ。凛の生み出した物は同サイズの火焔球である。二人が発動させたそれらの力はアストラルに対して有効であり物理現象とは異なる。あくまで魔力がその属性を持ち顕しているにすぎない。例えば物質世界に於いて、岩は2000度程に加熱すると溶け出すが、その温度まで加熱する時間と温度を加味する必要がある。熱容量とも言いうが、岩を2000度の炎に晒したところで、直ぐに溶け出すという訳ではない。

 

だが凛の灼熱は即座にルヴィアの岩を溶かし始めた。ルヴィアの岩も抗う様に岩を結び続けていた。それは異なる属性を持つ魔力の押し合いだ。押し潰そうとする力と、燃やし尽くそうとする力が衝突し拮抗。そして互いに消滅した。

 

熱砂が二人の間を吹き荒べば、その様は荒野のガンマンである。その凄まじさに観客(生徒)たちは声が出ない。なぜなら二人の行使した魔術が無機物にも影響を与えていた為である。無機物にもアストラルに類する物がある。例えば石。それに宿る霊的な準位が上がれば石の精霊になる。つまり、晒される力が強大であれば影響を免れないのだ。事実、メインストリートの舗装道路は、凛の火焔によって焦げ、一部は軟化していた。ルヴィアの質量を受けて、ヒビが入り砕けていた。それは二人の魔力が尋常では無い事を意味していた。次弾装填。互いは互いに鉱石を取り出し、そして放り投げた。

 

「「無粋」」

 

ルヴィアは袖を取り払った。この為に取り外しが出来る様になっていた。

 

「謝るなら今ですわ」

「は、何の冗談」

 

ゴングが鳴った。

 

 

◆◆◆

 

 

凛は両腕をかみ合う歯車の様に一つ回すと脚を開いて腰を落とした。八極拳の構えである。方やルヴィアは、臆する事無く歩み寄る。勇姿を世に知らしめん、そう言わんばかりだ。体重など大して変わらないのにも関わらず重量感がある。一見、無防備に見えるがこれが怖い。型は無いが隙が無い。否、油断が無い。ルヴィアに掴まれると厄介だ。凛は前回、つまり3戦目は其れで敗北した。

 

過去の戦いを振り返ってみば第1戦目。二人が初めて出会った日でもあるこの戦いは、ルヴィアの勝利に終わった。令嬢然としたルヴィアの振る舞いと、プロレスが繋がらなかったのである。凛は意表を突かれた、と言う意味だ。第2戦目は凛の勝利で終わった。武術という意味で八極拳が有利なのは当然だ。第3戦目はルヴィアが勝利した。彼女は八極拳の対策を練ったのである。手捌きを練り上げ、大技へと繋げた。もちろん凛の演出格闘技など恐るるに足らずという慢心もあった。そして二人は4戦目をここに迎えたのである。

 

堂々と距離を詰めるルヴィアの一挙手一投足を、凛の瞳は追っていた。リーチはルヴィアが長いが、それは体格では無く流派によるものだ。八極拳はシフトウェイト、つまり基本的に体重と脚力を威に転じ攻撃とする。威を吸収してしまう手足の長い打撃方法は存在しない。従ってその方法は二つだ。肩もしくは背中を使う靠撃(こうげき) 、そして肘を使う肘撃(ちゅうげき) だ。大砲の様な威力を引き替えに、その有効射程は非常に短い。

 

ところがルヴィアにはその制限が無い。もちろん攻撃力の差は存在するが、腕の長さがそのままリーチとなる。何より警戒するべきは、3戦目に於いてルヴィアに勝利をもたらした手捌きだ。彼女は見世物のプロレス技を、実用レベルに昇華させ、其れの前に凛は敗れた。それ故手で捌かれる事は予期積みだ。それが分っているならば問題は無い。陸の船とも揶揄されるこの拳法は、懐に潜り込む術に長けている。

 

対峙はこれで4度目。凛にとってルヴィアのその間合いは見きり済みだ。それは間合いの一歩外、彼女の肘の狙いは構えも見せず、悠々と歩み寄るルヴィアの腹部だ。凛には待ち受けてカウンターを狙う方法もあったが止めた。

 

(待つのは趣味じゃないのよね)

 

震脚を以て凛は踏み込んだ。ズダンと地を振るわす踏み込みの音が後からやってくる。如何ほどの踏み込みだろうか。その威が乗った彼女の肘はルヴィアの右足裏に蹴り止められていた。凛は目を剥いた。

 

「な、」

 

ルヴィアの其れはフロント・ハイキックだった。相手が走って向かってきたところにタイミングをあわせて、片足を大きく上げ顔面に打ち付ける、足の裏を用いたプロレスの打撃技だ。体を捻らず真正面から蹴り上げる為フロントという修飾が付く。ルヴィアは本来攻撃に使う技を用い、凛の踏み込みをキャンセルしたのである。足の振り上げが震脚に間に合う筈が無い。凛の体重と脚力が乗っているならば尚更だ。つまりルヴィアは読んでいたのである。加えてルヴィアのブーツは相応に厚い皮底だ。如何に凛の肘撃が強大だろうと足へのダメージは無い。ルヴィアはそのまま蹴り押した。凛は堪えきれず、尻餅をついた。ルヴィアのロイヤルブルーのロングスカートが舞い踊れば、幻想種の羽ばたきだ。ペガサスかそれともフェニックスか。

 

「「「おぉぉぉぉぉぉぉ!」」」

 

歓声が2人を包み込んだ。言わずと知れた時計塔の生徒たちである。格闘技なら巻き込まれる心配は無いと集まってきたのであった。賭博にも成っている事を2人は知るよしも無い。

 

 

◆◆◆

 

 

凛を見下ろすルヴィアは直立不動で悠々と、王者と言わんばかりの笑みである。二人が居る場所は時計塔のメインストリート、つまり舗装された平面だ。だがルヴィアはリングの上に立って居た、凛はリングから落ちていた。生徒(観客)たちにはそう見えた。凛は忌々しさを隠さない。追い打ちを掛けないところが腹立たしい。

 

(パフォーマンスって? 上等じゃない。その余裕ぶった顔、台無しにしてあげるから)

 

凛はゆっくり立ち上がるとタイトスカートの裾を掴み切れ目を入れた。サイドにスリットが走る。そう、タイトスカートという性質で凛の震脚に陰りがあったのだ。これで枷は無い、つまりは全力だ。

 

凛のターンである。彼女は静かにかつ堂々と歩み寄り、ある距離で足を止めた。その様はリングのロープを飛び越える闘士であった。彼女は脚を開き、腰を落とし、両の腕を、肩を中心に大きく回す。実のところ八極拳に決まった構えというモノは無い。強いて言うなら、肘打しやすい様に肘を曲げる、ムエタイの様な構えが有るのみだ。凛が敢えてそうするのはフェイントである。事実、凛の腕の動きに合わせてルヴィアの気配が揺らいでいた。ピタリと凛の腕が止まれば凛の脚は大地を打ち貫いた。

 

凛には二つの手段があった。一つ、ゆっくりと歩み寄る手段。距離を少しずつ詰めルヴィアの腕もしくは蹴りを捌き懐に潜り込む。だがこれはルヴィアの距離でもある。八極拳に於いて相手を掴む事はあるが、それは打撃に繋げる中間的な技だ。多彩な投げ技、絞め技を持つルヴィア相手では分が悪い。そもそも一撃必殺こそが八極拳の真髄だ。

 

だから彼女は走り寄る事にした。頭部をガードする様に両腕を掲げた。当然肘は曲げてある。ルヴィアもそれに応じて距離を詰めた。凛の間合いを崩す為である。ルヴィアが両手の平を突出し迎え撃つその様は正に阿吽像。両腕、両手の平を以て闘牛士の要領で凛の踏み込みを捌き、捕らえ、投げ技に持ち込むつもりだ。凛が靠撃(こうげき) を用いルヴィアの防御を崩すならば、彼女は敢えて受け、堪えず、受け流す。もつれ込めばそれはルヴィアのペースである。だがそれは凛の狙いであった。凛は曲げていた腕を伸ばしたのである。

 

「っ!」

 

ルヴィアの表情に焦燥が走った。凛が右肩を引けばその左肩は自然更に押し出される。凛のその左腕、その肘はルヴィアの右腕を捌いた。その懐に達しルヴィアの腹部に触れた。

 

「もらったっ!」

 

凛の震脚が迸る。その威が乗った左手はルヴィアの腹、つまり重心を捕らえた。凛の狙いは肘撃による打撃ではなく、強く押す事だった。つまりは仕返しである。ただし、読みと読みが交差する高度な思考戦闘の結果だ。ルヴィアは踏みとどまれず、蹈鞴を踏み、転倒した。それを見届けた凛は肩に掛かった、長い髪を背後に流した。これからどのように、終わらせようか。追撃を掛けたいが流石にダウンしていては、気が引ける。何より彼女の矜持がそれを許さない。そうだ、見下ろしながら罵倒する、これが良い。そう考えていたところ。

 

「「「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」」」

 

腹の底を震わす様な歓声に襲われた。

 

(……あれ?)

 

数メートル先にルヴィアは仰向けでダウンしていた。二人の周りには歓声を上げる観客(生徒)たち。男女問わず拳を振り翳し、二人の健闘と凛の逆転を称え、そして興奮していた。凛は何となく右手を挙げてみた。

 

「「「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」」」

 

少し気分が良い。否、とても気分が良い。憎き金の獣を討ち倒し、観衆から褒め称えられる。その達成感、高揚感は如何ほどのものか。

 

(あ、やば。ハマりそうこれ)

 

凛は澄まし顔であったが、その表情が緩むのを抑えるのに手一杯だ。パフォーマンスの真似事でもしてみようか、凛がそう思えば歓声の色が変わった。ルヴィアが立ち上がったのである。怒濤の様な歓声は大地を震わさんばかりだ。誰も彼もが最終ラウンドだと確信した。

 

 

◆◆◆

 

 

取り囲む観客(生徒)は100人を下るまい。その様は正に円形闘技場(コロッセウム)だ。二人は最初は歩み、次に早歩き、そして共に駆け出した。間合いを詰めた。

 

プロレスでも拳を使った攻撃、肘を使った攻撃は存在する。ルヴィアはピーカブスタイルから右手刀を内から外に撃ち出した。チョップと言えばイメージしやすいだろう。凛は左手でそれを払う様に流すと右手を掲げ……それはフェイントだ。凛の右手はフォローであるルヴィアの左手を押さえた。

 

凛はルヴィアの手刀を受け流した左腕を曲げ、脚力と背筋を用いて肘を打ち込んだ。ルヴィアはそれをフリーの右腕で払った。ラリアットの要領だ。凛の肘撃は威力が凄まじい、その為闘牛士の要領でルヴィアは体を捻ると、凛の左側に回り込んだ。ルヴィアに掴まれると厄介だ。凛は瞬間的に背でルヴィアを押した。タイミングを崩された彼女は蹈鞴を踏み、数歩離れた。睨み合う。

 

二人のこれらの一連の動作は決め技(止めを刺す)為の予備攻撃に過ぎない。二手、三手先の読み合いと、緻密な体捌きはもはや芸術(アーツ)である。誰も彼もが歓声を上げていた。陶酔し感極まっていた。もはやそれは戦の勝ち鬨であった。ただそれがどちらにもたらされるのかは、神のみぞ知るだ。ルヴィアは己の金の髪を、凛は己の黒の髪を、手で櫛流し、背へと流す。まるでマントを翻すかの様だ。“ルヴィア”だと“トオサカ”だと観客は二人の闘志を称え二人の名前を叫びだした。それに応えるかの様に二人は組み合った。互いの指を絡め、掌を握り合い、渾身の力を籠める。技の応酬は飽きた。今度は力比べだ。二人は一歩も引かなかった。

 

「「「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」」」

 

暴徒寸前にまで興奮した観客(生徒)たちの環を分け入り現れたのはグレイであった。何故だろう彼女は一人だった。答えは簡単だ。彼女が援軍を募ろうとエルメロイ教室に及んだ時もぬけの殻だったのである。凛が時計塔にやってきた、この噂は瞬く間に広まり、彼ら彼女らは全員逃げ出したのだ。当然だろう? 巻き込まれては叶わない。巻き込まれ無事な人間は数える程しか居ないのだ。

 

組み合う二人を見たグレイは青ざめた。逃げたい、と言うのが彼女の偽りなき本心である。何故ならば。力比べをする二人は、弾き合う二つの竜巻そのものだ。近く付く事すら危険極まりない。加えて100名に達する生徒たちの視線が集中する二人に、飛び込むのも気が引ける。実際に、歩み寄れば水を差すなとヤジすら飛んできた。どうしてこんな事に、彼女はそう嘆いた。そして根拠は無かったが真也を恨んだ。勇気を振り絞りこう告げた。その距離は自動車1台分で、随分遠い。

 

「二人とも止めてくれませんか。時計塔が壊れます」

 

二人は無視をした。

 

「というか壊れ掛かってます。いえ、壊れてませんかここ」

 

時計塔のメインストリートの一画は魔術戦の余波で焼け焦げていた、コールタールの様に真っ黒だ。蜘蛛の巣の様にヒビも入っていた、砕けた場所もあった。よく見れば、近くにあった椅子やテーブルがひっくり返っている。焼け焦げ、砕かれてもいた。二人は無視をした、というよりはグレイなど眼中に無かった。グレイは迷った。これ以上は御免だと、逃げるべきだと、本能がひっきりなしにアラームをかき鳴らしていた。

 

(ヒヒヒ! おい相棒! 本当に突っ込むつもりか!?)

 

袖の中の相棒が喚くが、師の命とあっては退く訳にも行かないのだ。彼女は更に近づいた。手を伸ばせば届く距離だ。彼女の心境は爆弾解体に他ならない。

 

「あの。二人とも止めて下さい。止めるべきです。やめて頂けませんか? 止めた方が良いと思います」

 

グレイの必死の懇願(制止)は全く届かない。余りの歓声にグレイの声は掻き消されてしまっていた。それ以前に二人は二人以外完全に忘れてしまっていた。

 

「「飽きた」」

 

二人は再び手技の応酬を始めた。互いが互いの手を弾き続けた。そのうち手技では埒があかぬと凛は右脚を上げ、倒れる力と蹴り出しを併用し、ルヴィアの左脚を狙った。読んでいたルヴィアは左脚を引いて凛の腕を掴もうと右手を差し出した。それを読んでいた凛はそのまま倒れ込み間合いを崩した。そして肘を打ち込んだ。それを読んでいたルヴィアは手の平で捌いた。読み、読み、読み。思考戦闘の連続である。

 

二人の其れは演舞の如く。流石のグレイも見とれていた。だがそれは隙である。あと言う間もなく近づかれ、グレイは弾き飛ばされた。蹈鞴を踏み、躓き、突っ伏した。顔面を打ち付けとても痛い。起き上がったグレイは鼻先を真っ赤にして涙目だ。だがその心中、船を翻弄する嵐の様に怒りが轟いていた。海洋神も逃げ出す勢いだ。

 

“嫁入り前なのに傷が残ったらどうしてくれる”

 

下手に出ていれば調子に乗る二人に怒り心頭だ。もういい。サーヴァント張りの身体能力を解放し、それに物を言わせ武力鎮圧する……それは辛うじて踏みとどまった。ギャラリーが多すぎだ。不特定多数の人目に付くのは避けねばならないのだ。何か無いかと思案に暮れればピコンとグレイの頭上に電灯が瞬いた。それは2人に共通のキーワード、彼女は胸を張り息を吸った。

 

「いい加減にして下さい! シンヤさんに言いつけますよ!」

 

二人はピタリと止まった。それは二人にとって無視出来ない名前であったからだ。グレイのセリフがどれ程の重みであったのか、彼女に首を向ける凛の動きは石臼のよう。なぜ義弟の名前が出てくるのか。なぜ言いつけるなのか。なぜグレイは義弟の事を知っているのか。なぜ呼び捨てなのか。そもそも、なぜ“二人とも”なのか。凛はルヴィアと義弟の関係を知らないがルヴィアは二人を知っている。従って我に返るのは早かった。凛のそれは隙である。ルヴィアは凛の背後に回り込むと、彼女の腰に取り付き、腕を回し、胴体を抱きかかえた。

 

「っ!」

 

凛は藻掻いたが手遅れである。ルヴィアは凛の“身長159センチ、体重47キロ”の身体を持ち上げるとブリッジの姿勢を取り、後頭部から地面に叩き付けた。それは“ジャーマン・スープレックス” プロレスに於いて投げ技の一つであり、カール・ゴッチを祖とする派手さ、美しさ、を満たす高度な技だ。ルヴィアはそのままホールドに繋げた。

 

「ジャーマン・スープレックス・ホールド!」

 

誰かが叫んだ。そしてどこからともなく現れた生徒が地面を三つ叩きスリーカウント。その生徒はルヴィアの手首を掴むと高々と掲げた。

 

「勝者! ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト!」

「「「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」」」

 

戦歴はルヴィアの2勝1敗だった。次は凛が勝つ、誰もがそう思って居た。誰がこの結末を想像できただろう。その意外性、そして激闘。観客たちは惜しみない歓声を上げていた。ルヴィアもまた両手を掲げ観客の声援に応えていた。疲労感の中にある充実感。その満たされた喜びはゴールドメダリストそのものだ。そして真也は現れた。

 

「うげ」

 

思わず声が出た。彼の視線の先には開脚前転をし損ない、途中で止めた様なポーズで失神していた義姉が居た。敢えて表記するならばま○ぐり返しのポーズである。手紙を出したなら居場所が知れる。1年の旅程が伸びに伸びて2年かかったのだ。誰かが迎えに来るだろう事は容易に想像できた。誰かなど義姉に決まっている。ルヴィアは己の従者に気が付くとこう言った。その表情は満面の笑みだ。

 

「シンヤ、お姉様がいらしてますわよ。もっと嬉しそうな顔をしなさいな」

「無茶言わないで下さい」

 

真也は慌てて駆け寄った。下着が見えていない事に安堵と感心をしつつ、義姉を起こせば怪我はない。それはルヴィアの手加減であり、凛の礼装の効果でもあり、凛の魔術刻印の効果でもあった。流石遠坂の当主だ、彼はそう思いながら彼女の頬をペチペチと叩いた。

 

「ん……」

 

ぼんやりと開いた瞼から覗く義姉の瞳は、焦点定まらずぼんやりとしていたが、義理の弟を捕まえるとピタリと止まった。

 

「……」

 

一刻。その瞳に採光が戻れば、表情に宿るのは険しさである。義姉は義弟の胸ぐらを掴むと激しく前後に揺さぶった。シェイカーもびっくりな勢いだ。

 

「漸く見つけたわよこのバカ真也! 今の今まで何処ほっつき歩いていたのよ!」

「あーうーあー」

「私言ったわよね!? 十分気をつけなさいって! なのになんで時計塔をのうのうと歩いているのよ! バカなの!? バカならバカって言いなさいよ! 諦めるから!」

「うーあー」

「心配しなかったわけ?! 心配してないと思ったわけ?! 私たちがどれだけ気を揉んだか分ってるの?! 分ってないでしょアンタ!」

「あー、あー」

 

前にもこんな事があった、そう思いつつ彼は揺さぶられ続けていた。

 

「しかも1年の旅程が2年! しかも音沙汰無し! 釈明有るなら言ってみなさい! 聞くだけ聞いてあげるから! その後はきっちり落とし前つけるからさ!」

「手紙だしてたろー。ちゃんとー」

「定期的に出せって言ったでしょ! 最長3ヶ月も間を開けて、どういうつもりよ!」

「いや色々あったもんだからー」

「なによ色々って!」

「もちろん定期的に出せない理由ー」

「その理由を言えって言ってるのよ!」

 

真也は胸ぐらを掴む義姉の手を解くと立ち上がった。襟首を正す。

 

「そりゃ予定外の出来事(トラブル)に決まってる」

 

彼女は詰め寄った。義姉はこれ程小さかったか、と言うのが彼の印象だった。義姉は159センチと殆ど変わっていないが、方や真也はランサーと同じ185センチになっていた。その印象は当然の結果でもあった。

 

「そういう事が起きたら中止って言わなかった?!」

「遅れた事は謝るさ。でも仕方ないだろ。もし失敗したらランサーに会う資格がないって事になるから、簡単に諦める事なんて出来なかった。どこかの誰かが再チャレンジを認めてさえくれば話は違っていたけれど」

「姉の言う事を無視するなんていい度胸してるじゃない!」

「本音はそれか」

「何よ文句ある!?」

「ないよ。文句言っても聞きはしないからな。言ったところで意味が無い」

「へぇ、そういう態度取るわけ」

 

義姉の左腕が唸りを上げだした。真也は腕を組んでうんざり顔だ。

 

「そうやって直ぐ武力行使に訴えるところ、変わってないな、相変わらずだ」

「口で言って分らないなら仕様が無いじゃない? 聞き分けのない弟なら尚更」

「訂正。横暴さは拍車が掛かってる」

「分っているなら十分よ。覚悟しなさい」

 

逃げれば、或いは防ぐと拗れる事はあの1年で身に染みていた。甘んじて受けるしか無い。キャスターが居るなら死にはしまいと彼は達観の体である。だが救いの手は彼の従者では無く彼の主であった。

 

「その辺にしておきなさいな。姉弟仲が良いのは結構ですけれど、魔術まで持ち出しては品格が知れようというもの。何より負けた腹いせと区別が付かなくては、見苦しいだけですわよ」

 

義姉はルヴィアを睨み付けた。

 

「遠坂家の事に口出ししないで貰いたいわね、レディ・エーデルフェルト」

「ミス・トオサカ。知らなくて当然でしょうが、シンヤは私の従者なのですから。口出しは当然ですわ」

「じゅ、う、しゃ?」

 

義姉の視線がルヴィアから真也に向いた。義姉の首は、油の切れかかったロボットの様。加えて言うならば、その表情は引きつっていた。笑おうと思うが、笑えない、そう言わんばかりである。

 

「あー、まー、そうだな。取りあえずこう答えようか。久しぶり、元気そうで何よりだ。姉さん」

 

この期に及んで3人はグレイに気がついていなかった。晩ご飯を集ろうと彼女は誓ったが、誰がそれ責められようか。否、誰も責められまい。

 

 

 

 

つづく!

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