赤い林檎を蹴飛ばしたら 作:d1199
一話
「呼び出しておいて待たせるとは何事か、そうは思いませんか、スコットさん」
真也が腰掛けるのはエルメロイ教室の、既に慣れたソファーである。エルメロイより仕事の紹介だと意気込んでくれば、出鼻をくじかれたのであった。既にかれこれ一時間待ちぼうけである。手に持つティーカップの水面は、隠す苛立ちが漏れ出すように波立っていた。彼の真正面に座るジョナサンはぶーたれる真也を宥めるのみだ。
「しがらみですよ。第四階位にしてロードとなった師匠は、方々から突き上げられていますから」
真也は目の前の、愛想の良い一歳上の青年をちらと一瞥した。ジョナサン=スコット。エルメロイ教室に所属する生徒の一人で、礼儀正しく人当たりが良い。二一歳という年齢にもかかわらず、十代半ばに見える容姿、神細工見まごうばかりの整った顔立ち、小鳥のような澄んだ声、一人で歩けば補導される事もしばしばだ。
(オッドアイの美少年か。実は女の子だった展開、本当に男だった展開で、意見が分かれるだろうけど)
真也はごくりと紅茶を飲んだ。
「それなんてラノベ?」
「ラノ?」
「こちらの話です。気にしないで下さい」
「はぁ」
彼を称するならば、良い人に尽きる。ただ真也は良く分からない“違いのようなモノ”をジョナサンに感じていた。それはとても弱く警戒するべきモノなのかどうかが分らない。だがよくよく考えてみれば、魔術師など大なり小なり皆おなじだ。士郎と同じように特異な魔術師なのだろう、彼はそう考える事にした。
(人柄が良い、か。教授も見習えば良いのに)
真也はエルメロイを教授と呼ぶ事にしたのである。ジョナサンはコーヒーを啜りつつも仏頂面の真也に愛想笑いをむけつつ、世間話をする事にした。実に甲斐甲斐しい。時計塔ではお嫁さんにしたい男の子投票第一位だ。男女ともにである。
(二一歳でお嫁さん扱いの、男の子呼ばわりか。スコットさんも大変だな)
「ところでトオサカさん。師匠の家は凄いでしょう」
真也はエルメロイの自宅に居候しているのであった。もちろん家賃の支払いはこれからの予定。その家賃とはこれから稼ぐ予定。予定、予定、実にさもしいものである。借金では無いが、彼の義姉に知られればいい顔はしないだろう。知られた状況を想像した真也は思わず苦虫を噛んだ顔。だものでその声はどことなく、おどおどしていた。
「生徒の皆さんは知ってるようですね」
「有名ですから。師匠は清貧のロードと揶揄されています」
エルメロイの家は一〇〇年越しの集合住宅で、壁を這う蔦は哀愁を感じさせる程に伸びまくり、壁面の煉瓦を走る亀裂は悲壮そのものだ。実際の築年数以上に古さを感じさせた。更に酷いのが部屋である。コストを最優先に作られたその生活空間は相応の年期を経た状態となっていた。端的に言うとボロい。上に立つ者は、手本、羨望、憧れ、といった物が必要になる。それが無ければただの雇われ上司だ。豪邸に住めば良いというものでも無いが、最低限の体裁は必要だろうに、真也はそんな事を考えた。もっとも。それで回っているのだから、人望によるものというより他は無い。
もっとも。その人望を持つ人は気難しいから世の中は不思議だ。寝床を作るために、簡単な後片付けをしたら勝手に動かすなと怒られたのは先日の事である。どう見ても、整理整頓・維持管理などどこ吹く風の、適当に積み上げた書籍の山であったというのに、まったくもって理不尽だ。それを思い出した、真也は一層ふてくされた。
「古さよりは散らかり具合の方が驚きです」
その真也の発言にジョナサンは乾いた笑いを見せた。何分彼の師匠の事である、発言には注意しなければならないのだ。
「寝るところはありましたか?」
「ご心配なく。俺は何処でも寝られますから」
良く分からないという表情のジョナサンに真也はこう繋げた。
「雨風を凌げる屋根と壁があれば、それだけで十分です」
「そういえば旅行をされていたとか」
「ええ、俗に言うバックパッカーって奴です」
「それは凄い。私はキャンプすらした事が無くて」
「そんなお上品じゃないですよ。野宿って奴です。地べたに寝たり、木の上に寝たり。義姉が予算を絞ったので、地理的お財布的に問題がある場合、よくしていました」
「その、大丈夫だったのですか? 保安や健康的に」
「もちろん、慣れるまでは大変でしたよ。相応にね。地べたに寝ると野生動物に襲われたり、虫に塗れたり。木の上に寝ると、蛇と一緒だったり、寝ぼけて木から落ちて石に頭をぶつけて悶絶したり、雷雨に追い立てられ無人の家に駆け込めば、土砂崩れで死にかけました。ある遺跡を今晩の宿に、と思ったらそこは原住民の聖域で、死ぬ程追いかけられた事もありました。まぁ安宿、つまり相部屋も窃盗とかそれなりに大変なんですけれど」
「……それはさぞ大変だったでしょう」
ジョナサンは心底同情していた。ご不幸をお悔やみ申し上げます、と言わんばかりである。真也は慌ててフォローした。
「あ、いえ。真に受けられると困ります。ジョークの一つだと思って、気にしないで下さい。なにより自分が選んだ事ですので」
「……」
突然黙り込んだジョナサンは、それこそ身内の不幸を告げられたかの様だ。
「あの、俺は何か気に触る事でも言いましたか?」
「いえ、自分の道を歩ける人が羨ましいと」
「スコットさんは魔術師という道を嫌悪していらっしゃる?」
「いえ、受け入れています。魔道を拒否をするという考えすら浮かびませんでした。父の子に生まれたのであれば、そうするのが当然だと、私はそれがおかしいとは思いつつ、抗う事が出来ないのです。例え私が二流でも、継ぐ事など不可能だと分っていても」
眉目秀麗な顔に影が差す。ジョナサンの視線は手にあるティーカップに注がれていたが、その視線は過去を向いていた。
「スコットさん?」
「トオサカさん、私は二流で家の再興を願う者。私は師匠と同じ境遇だからこの教室に居られるのです。師匠の同情に付け入った卑怯者です」
自嘲的な笑みに真也は、気の利いた受け答えが出来なかった。持つ者と持たざる者、それはかつて綺礼が遺した言葉だ。
「トオサカシンヤ、入りたまえ」
エルメロイの呼び声に席を立つ。真也はジョナサンを気遣う事が出来なかった。彼もまた、セイバーや士郎と同じように、持つ者の側なのである。
「待たせてしまったか」
「いえ。問題ありません」
彼がエルメロイの執務室に入るのはこれで二度目であった。自室とはうって変わって、徹底的に管理された部屋だ。その落差に少々呆れつつも、手渡された依頼書に目を通せば、顔写真が添付されている事に気がついた。
白人男性。推定四五歳。細身の身体。黒い髪を刈り上げていたが、前髪は長く、オイルで調えられていた。鼻筋高く、分厚い唇。一見剛胆そうな顔だが、寄った眉と何処か虚ろな瞳は神経質そうな印象を与えていた。その写真にはトーマス=ニルセンと手書きで記されていた。依頼書にさっと目を通した真也は眉を寄せた。
「婦女暴行で警察が捕まえた人物の調査?」
「そうだ」
執務机に向かうエルメロイは背もたれの付いた椅子にふんぞり返っていた。くるりと回れば、背後のガラス窓からは、時計塔正面ゲートと大きな花壇を一望する事が出来た。そこには学生達がのんびりと歩いていた。エルメロイの態度は尊大。つまりは偉そうと言う事だが、上に立つ者は偉そうにしないといけないのである。権威とはそう言うものだ。それを信条とする真也は気にせずこう聞いた。
「それは警察の仕事では?」
「地元の警察からの情報によると、自首した犯人は自分が魔術師だと証言している」
「神秘の漏洩防止であれば、封印指定の執行者が行うべきでしょうに」
「彼らが動く程の証拠がない。同じ英国を舞台にした魔法使いの児童文学が大ヒットして、騙りは意外と多い。一つ一つ調べる程暇でも無い、手も足りない」
なんとかと賢者の石というシリーズである。
「現地の警察官は時計塔の関係者なのですね?」
「その警官は魔術師では無いが、時計塔を知っているそうだ。本人は知り合いに魔術師が居たと言っている。それで知ったそうだが、その知り合いも不明。つまり登録が無い」
「つまりその警官も調査対象と」
「依頼書には我々が持っている情報の全てが書いてある。不明点は現地で調べる事だな。質問はあるか?」
「ありません」
「話は以上だ。これを持っていくといい」
エルメロイは引き出しから携帯と支度金を取り出した。
「必要経費ですよね?」
「もちろん天引きさせて貰う」
「あくま」
「トオサカのお手並み拝見と行こう。迅速かつ正確な処理を期待する」
◆◆◆
真也は時計塔から目的地であるリバプールまで交通機関で行く事にした。時計塔からヒースロー航空までは時計塔が所有するバスを使う。ヒースロー空港からは電車だ。ロンドンを経由し、リバプールへ向かうのである。乗り換えが上手くいけば大凡四時間の小旅行だ。
時計塔が持つバスは真っ赤なバスだった。知る人ぞ知る正式名称“ACEルートマスター”ロンドンのバスと聞けば誰もが思い浮かべる、真っ赤な二階建てのクラシカルバスである。二〇〇五年まで実際に路線バスとして使用されていたが引退し、どのような経緯かは知らないが、時計塔とヒースロー空港を結ぶ定時バスとして利用されているのだった。そのバスに、真也がちょっとした感動を覚えているとルヴィアがこう言った。
「トオサカシンヤ、荷物を持ちなさい」
「はいはい」
彼はルヴィアの荷物を持つと、後を追うように乗り込んだ。車内は二人きり、貸し切り状態だ。そのバスは最新型バスより、振動もある、機密性も悪い、シートも堅い、エンジン音も五月蠅い。だがどうしてか、それが気にならなかった。二階建ての二階から見る景色は、時計塔周囲の緑の多さと相まって随分良かった。少々不謹慎だが小旅行だと真也はご満悦である。流れる光景を堪能し、ハイウェイに乗った頃誰に言うともなくこう告げた。
「ルヴィアゼリッタ=エーデルフェルト、貴女が何故ここに居る」
バス二階の中央通路を挟んで反対側の席に彼女が居た。幸か不幸か、二人きりである。
「当然ですわ。この様な低レベルの仕事を失敗した、無様なトオサカの姿が見られればとても充実した時間を得られるでしょうから」
「レディ=エーデルフェルト。貴女様はとても有機的な曲線を描く性質をお持ちのようだ」
「曲がっていると言いたいのかしら。姉が姉なら弟も弟ですわね。礼儀を知らない田舎者ですわ」
どちらが礼儀知らずなのだろう、彼にはその基準が何処にあるのか分らなかった。
「貴女と姉の“馴れ初め”は聞いたよ」
第五次聖杯戦争以降、凛が時計塔を訪れたのは計三回。最初の一回目は終結直後の一週間後であった。報告のため時計塔を訪れた凛はその時ルヴィアと遭遇したのである。“目と眼が合った瞬間に争い始めました”とはグレイ談。最初は礼儀正しくも刺々しい侮蔑の応酬、その後は格闘戦に発展し、凛はバックドロップでKOされた。その後凛は年一回時計塔に赴き、その都度喧嘩をしているのである。勝敗はルヴィアの二勝一敗、次回凛が勝てばイーブンだ。真也はまず凛が勝つだろうと確信を持った。溜息も出た。
(俺と士郎も仲が悪いけれど、手を出した事は無いってのに。“いい加減仲良くなれば?”とかよく言うもんだ。あのお義姉様は)
真也は内に溜った鬱憤を飲込んで。
「でも俺は姉じゃない」
「知っています。トオサカの人間と言うだけで理由は十分です」
「それって八つ当たり?」
「ええもちろん」
「明瞭な意見を言う人は俺にとって好ましいよ。例え罵りであろうともね」
バスの窓からはテムズ川が見えた。太陽の光を浴びて、キラキラと水面が光る。彼の視界もキラキラと星が散る。
(どうしてこう成った)
ルヴィアの参加をエルメロイが認めたのだ。正確に言えば“関知しない。好きにすると良い”と黙認したのである。
(これ幸いと厄介事を押しつけたんじゃ無いだろうな、あのムッツリ教授。短いバカンスだーとか。いえふー、とか)
概ね正解であった。
◆◆◆
ヒースローエクスプレスはヒースロー空港からロンドンを結ぶ電車である。白と黄色のツートンカラーで、アクセントでオレンジのラインも入っている。丸みを帯びたトイ風味の電車だ。車窓から外を覗けば、英国の歴史が流れていた。郊外から都心へ。古風さを感じさせる町の作りから、現代都市へ。まるでタイムマシンに乗っているかのような感覚である。ちょっとした感傷に浸っている真也であったが、生憎とお嬢様は虫の居所が悪かった。
「トオサカシンヤ」
「何でございましょうか」
「私が貴方のとなりの席に腰掛け、肩を並べている理由を言いなさい」
「片側ツーシータで中央通路を挟んで、二ラインの計四シータ―。お嬢様が一人で腰掛けると、見知らぬ誰かがお嬢様の隣りに腰掛けるからだよ。それは嫌だと言ったのはお嬢様だ。荷物で席取りしても良いけれど非常識だしね。ご不便をおかけしますが、しばらくのご辛抱をお願いしますよー」
「ですからブラックキャブ〈ロンドンのタクシー〉を使うべきだと」
「無茶を言うな。二〇八マイル〈三三四キロ〉もあるんだ。一体幾ら掛かるやら」
「私が出すと言ったでしょう」
「借金は出来ないって言ったろ」
「タクシー代を躊躇〈ためら〉うような私だと?」
「お嬢様なら、その時に私めに何をさせる? 土下座とか、縋り付くような事を要求するだろ?」
ルヴィアは溜息を付いた。心底沈痛な面持ちだ。
「この様な事ならクラウンを呼ぶべきでした」
(否定しろよ。土下座させるつもりだったのかよ)
気配を察知した見知らぬ男性が刺々しい二人に声を掛けた。その通りすがりの男性は、痴話喧嘩にしてはちぐはぐな二人であったので不審に思ったのだった。見かけ上深窓のご令嬢とコスプレ紛いの一般人である。
「何か問題でも?」
「なにも有りませんわ」
「ないです」
ヒースローエクスプレスの乗車時間は二〇分程だ。あっという間に景色が都会の様相を帯びてきた。重苦しい沈黙に耐えきれず、地雷だと思いつつ真也はこう聞いた。
「クラウンって何? トヨタ?」
「日本車は嫌いです」
「そうでありましょうとも」
「クラウンとは私の従者です、貴方より上等で有能な」
“いつから従者になったんだっけか、俺”彼は口に出さなかった。
お嬢様は沈黙を保っていたが、じわりじわりと悪化しているのが見て取れた。これはマズイと真也は鞄から缶コーヒーを二本取り出した。一五〇CC の小型缶で、自分の為に調達したのだが、この道具はここが使い所だと差し出した。食事や煙草を共にすると打ち解けやすくなる、と言う事だ。
「お嬢様。これ(カフェイン)でも飲んで気をお鎮めなさい。出発したばかりなのに“意気込んで”は途中で失速します」
ルヴィアは真也の皮肉に気がつかなかった。
「なんですの、これ」
「エスプレッソ。このプルを引いて、」
「この私が缶の扱いを知らないとでも?」
「庶民的なのか高貴な方なのか良く分からないね」
そういうルヴィアの缶を握る手には躊躇いがあった。未知への恐怖である。知ってはいたが実物は初めてであった。恐る恐る口に含めば、慌てて口元を抑えた。細い眉を寄せ、顔をしかめていた。
「……」
「お口に合わない? 美味だと思うけれど」
真也は平然と飲んでいた。
「苦いというか、雑というか、下品じゃない。一体どのような食生活を送っていらしたのかしら」
「大した話じゃないです」
「言いなさい」
「ご令嬢の知らなくていい世界って事」
旅の途中、飢えた彼は野生動物を捌いて食べた。イノシシ、リス、クマである。野草も食べた。フキ、ユキノシタ、ハナイカダ。そして昆虫。クワガタ、ナメクジ、カミキリの幼虫。もちろんサバイバル的に保証されてはいる、必要な調理を加えた上での、食材たちである。もちろん彼とて非常に強い抵抗を感じた事は言うまでも無い。それ程切羽詰まっていた、と言う事だ。その様な事情は露知らずなルヴィアの不満は急上昇である。そのカナリアの様な声に怒気が混じれば、その瞳は危険域だ。帯びる魔力も荒れ狂う波のよう。
「無礼も程々にしないと私にも考えがあります」
「下々の話と言う事だよ。貴女は下を見る必要は無いお方だからな。気に障ったのなら謝る」
一転。素直な謝罪にルヴィアは怒りを引っ込めた。躊躇いの後、もう一度啜った。
「苦……」
接しにくいお嬢様は小さく舌を出していた。
◆◆◆
ジェット旅客機も収まりそうな、巨大なかまぼこ形状のドーム内には、幾筋ものプラットフォームが平行に走っていた。英国人、外国人、白人、黒人、中年、未成年、家族連れ。それなりに賑わうその場所を、軽快に歩くのは真也であった。
「ロンドン橋落ちる~♪ ロンドン橋落ちる~♪」
道行く人に失笑されるも彼は全く気にしていなかった。ロンドン橋には水の神に捧げるため、人間が贄として供えられた、という伝承がある。それは日本の錦帯橋も同じだ。童謡もそうだが、思いも知らないところに怖い真実が隠れていたりするのがこの世の中である。それを知ってか知らずか、ロンドン橋と口ずさむ真也は上機嫌だった。ここはヒースローエクスプレスの終の場所であるパディントン駅、世界有数の大都市倫敦シティのど真ん中である。かの文豪、夏目漱石も滞在していた都市だ。気分が高揚するのも無理は無い。
二人分の切符を手に真也がルヴィアの元に戻れば、彼女はナンパの真っ最中だった。もちろん受動形であり、案の定イタリア男であった。その人物は、背が高くすらりとした肢体で、無地のスラックスにTシャツとジャケット、シンプルなコーディネイトだというのに、安っぽさを感じさせない着こなしだ。顔の堀が深く、眉と鼻立ちが強い線を描いていた。全体的にしっかりした顔立ちだが、目元は涼しくも優しい。ツーブロマッシュウルフの黒い髪は艶々と輝き、薄目の褐色肌と相まって、エキゾチック〈異国情緒〉感たっぷりだ。太陽の香りがする、駿才男子〈アンテロー〉。イケメンなのが腹が立つ。嫌みが無いのがまた腹立たしい。
このままルヴィアがお持ち帰りされれば、お役御免で万々歳と真也は期待したが、生憎と彼女は軽い御仁では無かったようだ。だが敵も然る者。手強かった。逃げ道を塞ぎつつも、紳士さを損なわない。身振り、視線、耳をくすぐる低くも甘い声。優しくも荒々しい、誘惑。その間合いはルヴィアの反応に応じて、近づいては離れ、また近づいて。端から見ればいつの間にか随分と距離が近い。なんという見事な手管だろう。公衆の面前が原因か、魔術の行使〈強硬手段〉に出られず、流石のルヴィアも手を焼いていた。眼が合った。“早く何とかしなさい”そう物語っていた。“苦手だ”彼はそう毒気尽くと二人に割り込んだ。
「お嬢様は人気者ですね。私としても鼻が高い」
当然そのイタリアの彼は不愉快そうな顔をする。君は誰だというイケメンに、真也は一計を打つ事にした。無論平和的に解決するためだ。彼は左手の人差し指と中指を交差させ、突きつけた。
「ラブ&ピースっ!」
赤い外套、黒い長袖、黒い長ズボン、そして黒いブーツ。金髪トンガリ頭なら、どこぞのガンマンのコスプレである。沈黙が訪れた。目の前のイタリア人は、呆気にとられていた。
「……だめか、フランスだとバカウケだったんだけど」
コホンと一つ咳払い。一転、彼の放つ雰囲気は魔獣の様。
「俺の連れが何かしましたか?」
一分一秒を争う、と言うわけでも無いが、ナンパなどで時間を費やしたくない。だもので彼は、詰め寄りそのイケメンを見下ろした。運の悪い事に真也の方が背が高かった。イタリア人は欧州でも比較的身長が低い方なのである。睨まれた途端、良くないモノを感じたそのイタリア人は、名残惜しそうに、戸惑いつつも去って行った。
「何をしましたの?」
「これから殺しちゃうZe、の三歩手前の指向性を持った意思。彼はきっと嫌な予感を感じたに違いない。プチ殺意と言ったところ」
「魔術師らしくありませんわね。暗示を掛ければ良いでしょうに」
その程度であれば、一般人という条件付で、一工程〈シングルアクション〉で済む。
「使えない」
「……今何と? 一般人への暗示ができない? 必修の全体基礎で学ぶ術が?」
「デキが悪くてね。俺が使うのは身体強化のみなんだ」
それは正確な表現では無いが、現象だけに注目すれば同じような物である。
「姉と比べると随分、その、慎ましやかですのね」
「そうね」
「なるほど。その不憫なまでの特化された特性で、家督を姉に奪われたと」
「お嬢様のそこはかとない、お気遣い感謝しますよ」
ルヴィアのその物言いは“随分とシケていらっしゃるのね”という意味だ。
「それよりその恰好に問題があると思うんだが、そうは思わない?」
「どこに問題があると言うのかしら?」
己の着飾りを問題視され怒り笑いの表情である。
「目立ちすぎ」
ルヴィアは何時もの青いドレスの上に、ロイヤルブルーのショールを羽織っていた。重苦しさを感じさせないように、肩から腰を覆う短いタイプだ。その出で立ちを例えるなら、正にお姫様。颯爽と歩けば、棚引くこんじきの髪とショールが相まって天使の翼である。流石の彼も、ルヴィアの身ごしらえは認めざるを得なかった。先ほどのイタリア男が声を掛けたのも無理はない。シスコンで無ければ彼も例外では無かっただろう。彼女の美貌は今後トラブルを呼び起こすかもしれない、それを憂慮した彼はその気にさせるよう慇懃に申し出た。
「お嬢様はただでさえ人目を惹く容姿をお持ちです。トラブルを考慮しシックな装いにしませんか?」
「毒々しい赤を纏う貴方に言われたくありません。そもそも私にとって、美しくある事は至上命題なのですから」
「着飾りが無くともお嬢様は十分お美しいですよ」
「その様な、見え透いたおだてには乗りません。従者なら、主の意向に従いなさい」
“だから、いつ従者になったのかと”彼はもはや達観の域である。
「だいたい。お嬢様こそ暗示を掛ければ良かったでしょうに。一睨みで済む筈です。何故わざわざ彼に応じたのですか」
痛いところを付かれたルヴィアは、おどおどしい。
「だって、気が引けるというか、失礼に当たるのではないかと、」
「なるほど。彼のお誘いは満更でもなかったと」
真也は含みの無い至って真顔であったが、侮辱されたと鋭い表情のルヴィアである。だが羞恥に染まっていては説得力が無い、図星であった。
「勘違いの無いように申しつけておきます。貴方が私の連れ、です。間違えないように」
彼女は誤魔化す様に歩いて行った。その背を追えば、揺れる金の髪と青いリボンが可愛らしく見えた。
「分っておりますとも」
彼女の手荷物を持つと彼はその後を追った。彼は珍道中〈ルヴィア〉を受け入れる事にしたのであった。彼もまた満更でもない、と感じていたのである。二人がリバプールに着いたのはその三時間後であった。
つづく!