赤い林檎を蹴飛ばしたら 作:d1199
オルレアンの外れにあるその場所は少々特別であった。ローマ時代よりの慣例で、遺体は郊外に土葬されていたが、聖堂教の広がりと共に、聖別された地にのみ埋められるようになった。死者復活という教えの元、火葬は避けられていた事もあり、聖別の地には収まりきらなくなった。飢饉、疫病、そして戦争がそれに拍車を掛けた。だがその地の権威者は現実的だった。その地の教会を説き伏せた上で死者の移転を決断したのである。もちろん極秘裏にだ。その人物が歩く地下はその移転先だった。死火山に潜り込む、溶岩洞を利用したその場所は歴史から忘れられた地下納骨堂(カタコンベ)である。その地下坑道に明かりは無く無明の道だ。
(光あるところ影あり。光なくして存在できない影と、光を必要としない闇は似て非なるモノと言うことか)
その人物はその無明とも言える、真っ暗な坑道をものともせず歩いて行った。その目は闇夜に強い、というよりは初めから光が無くとも見えるかの様である。要所要所、壁の様に高く積み重ねられたしゃれこうべは黙して語らず、ただその人物の歩みを見つめていた。
その人物が歩く坑道は、翼を取ったジェット旅客機が収まる程に大きかった。そこを抜け、広大な広間を通った。最奥の間に到達すれば、死火山に相応しく火口ほどに広かった。陽の光が届かないその場所に魔術の明かりが一つ灯る。街灯程の高さにある光源は青白い明かりを放っていた。
その明かりの下に、佇む一人の人物が居た。背は低く、薄い紫色のゆったりした衣類を纏っていた。そのゆったりした衣類を膨らませる程にゆったりした体格をしていた。白いフードを纏い、それから覗く表情は年期を帯びた女性のモノだった。丸みを帯び、鼻筋浅く、肥えた仏像が適当だ。ただし。備える瞳は全てを射貫く様に、鋭く大きかった。
その場にやってきた人物が、その中年女性の事を知ったのはつい先日だ。彼女は訪問販売でもしているかの様に同盟を持ち掛けたのである。彼女は能力的にも因縁的にも驚くべき同志であった。ヒト同士で無かったとしても何の問題があろう。その人物にとって彼女はそれに見合う存在なのだ。彼女の横に並び立つとこう言った。
「ミセス。招待状は全員に行き渡りましたか」
「ああ、きっちりとね」
その声はしゃがれていた。
「7名全員がこの町に集結しつつあるよ。余計なのも多いが」
「構いません。7人分有ればいい、そう言ったのは貴女です。余った分は予備となる。貴方にはその実力があるのだから」
「だがね、ご主人様よ。どうして聖堂教会まで招待したんだい。私にはそれが理解出来ないね。繰り返すが私はあいつらが嫌いなんだ」
「召喚しようとしているモノは天使では無い、それはいずれ露見します。それを禁じている魔術協会が知れば介入するのは必至。それは困りますから」
「魔術協会と聖堂教会を互いに牽制させる、と言うことか。効果はあるかも知れないが危険が大きすぎると思うがね。代行者ならともかく、埋葬機関が動くと厄介だ。私は大戦末期に殺されかかったんだからね。思い出しただけでも、木槌で潰された足の甲が疼くよ。まったく、嫌みな連中さ」
「ミセスが死という言葉を口にするとは驚きです」
「生者と死者ではなく消滅という意味だよ」
「聖堂教会のネットワークは大きい。極秘裏に動いても、いずれは知れるでしょう。事前に話を通し介入を前提とした方が良い。それに大丈夫ですよ。この一件は魔術協会も注目をしている。聖堂教会が大部隊を動かせば、魔術協会も黙ってはいない。利権とはそう言うモノですから」
「ま、その辺は得意そうだから任せるが。私が気がかりなのはバートリを倒したのは誰なのか、と言うことさ。ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトとシンヤ・トオサカが槍を時計塔に持ち込んだ以上、どちらかが倒したとみるべきだ。それが今持って判明していない」
「彼は2流です。冷静沈着・合理主義は結構ですが、用心も過ぎては欠点ですよ。人はそれを怯えと言います」
「多少は出来る様だがフィンランドの小娘がバートリを倒せたとは思えないね。いや、小娘だからこそだ。バートリは生娘の天敵だった、それは言った筈だよ。私はそれが気に掛かってならない」
「ロード・エルメロイ2世の金庫を、威ともせず破った魔術師とは思えない怯え方だ。消去法で考えれば、結論は決まっている」
「いいかいご主人様よ。情報を軽んじては足下を掬われる、これを頭に刻みな」
「そうでしたね。かつてミセスの同業者が捕まり、それから足が付いて貴女は捕まった。良いですかミセス。確かに不確定要素はあります。ですがもう4月も半ばで、じき白羊宮(火星)の季節が終わる。それを確かめる時間が惜しい。今はこの流れに乗るべきですよ。聖堂教会を招いたのは保険でもあるのです。魔術協会側が多い中、埋葬機関の人間なら良いカウンターとなる。そうは思いませんか、ミセス・モンヴォワザン」
「その名をもう一度口走って見るといい。その時は二度と出来ないように舌を引き抜いちまうからね」
「それは気をつけましょうか。それではミセス。槍をここに」
その中年女性は応じるかの様に、懐から鏃を取り出した。
「Liberation(解放)」
力ある言葉が反応し、その鏃が光を放つ。どれ程の年月を経てきたのか、現代技術では除去することが出来ない程にこびり付いた汚れが飛散すれば、美しい光沢を持った刃が表れた。有機的な曲線は無く、力強い直線で作り出されていた。装飾は無く、例えるなら両刃の包丁である。太陽に向かって伸びる若葉の様に、鏃の根元から木製の柄が顕われると一筋の槍となった。その美しさは機能美、これに尽きた。形が織りなす混じりけの無い直線、素材と製法が生み出す幾何学的な文様、そしてそれに落ちる影。それらが組み合わされば神々しさすら醸し出す。人によっては妖艶とも称するかも知れない。
中年女性からそれを受け取ったその人物は、それを物珍しそうに眺めた。それは一級の限定武装であり、一級の聖遺物だ。中年女性が紡ぐ呪文が洞窟に流れれば、2人の足下に魔法陣が浮かび上がった。それは召喚の術式だ。刻まれる力のシンボルは、アザゼル、サタナキア、アマイモン、そしてルシファー、堕天使たちである。そしてその人物は槍を足下に広がる魔法陣の中央に突き立てた。槍の力によってその地の歪みが鳴きだした。うねる大海の様だ。
召喚術式によってGechinnom(ゲヘナ=地獄)より呼び出された一体目は、ゲヘナの炎を司る“Ukobach(ウコバク)”だった。一言で言うなら、こうもりの翼を持った、ヒトガタトカゲである。槍が謳うとそれは血肉を持った。耳に障る笑い声を立てると、羽ばたき、そして洞窟の壁面に取り付いた。暫く経ち顕われた2体目は“Olivier(オリヴィエル)”だ。食欲を司り、そしてそれもまた血肉を持った。手足の付いた豚が適当か。否、過度に太ったオークが相応しい。
中年婦人が構築したその召喚術式は、長年隠された霊脈の溜まりを使い、下級霊を呼び出し、槍の概念を以てそれを実体化させるモノだった。その槍は“He(彼)”を殺した槍だ。それが持つ概念とは死であり復活なのである。
「ミセス。数を揃えるのにどの程度掛かりますか?」
「一体で1,2時間と言うところさね。下級だから扱いは楽だけれど、受肉しても力が弱い。過信はしないほうがいいね」
「これはあくまで補助に過ぎませんが、カードは多い方が良い。個が弱くても数を揃えれば威となる、できうる限り揃えて下さい」
その槍は彼にとって武器では無い。重要ではあるが、ただの道具に過ぎないのである。その人物が両手を重ね胸に置けば、その胸の奥に埋め込まれた牙が蠢いた。
「父上。今しばらくのご辛抱です」
その端正な表情に宿る感情は狂った恋慕であった。
◆◆◆
フランス中部の町にやってきた魔術協会に属するグレイ、凛、エルメロイ、真也の4人は早々にルヴィアを探す事にした。この地は招待会場でもあるが、人通りもそれなりにあり、人目を憚る魔術師ならば面倒毎にはなるまいという判断もあった。もっとも過信は禁物と言う事で三つのグループに分かれた。グレイ・エルメロイペア、凛、そして真也である。日没前にホテルに戻ると取り決めて、捜索を開始した。それは別れ際の義姉の態度だった。
「真也は私と別行動するの嬉しそうね」
「どうしてそうやってマイナス方向に解釈するかな。俺だって2年ぶりの再会に姉さんとゆっくりしたいのに」
「ふん、どうだかね」
「レディ・エーデルフェルトと仲良くなりたいとか、唾を付けたいとか、そういった俺に下心は無い。いつも“最後まで見届けるのが筋ってもんじゃない?”とか言う姉さんは何処に行った」
「覚えてない」
「あのな」
「なによ」
「機嫌直してくれると助かるんだけど」
「イヤ」
義姉はそう言い捨てると立ち去った。彼もまた立ち去った。早めにケリを付けなくては、と焦燥も募る。ルヴィアが槍を盗み出すことなど有り得ない、それを確認するだけだ。槍が何処にあるかなど、別に気にならない。多少はあるけれど、それは知らない。
「俺はそこまで関知しない」
敢えて言葉に出した。町並みをさらっと流せば、歴史のある石造りの建物が現代風にデコレートされていた。広告という意味だ。デザインもあった。そして右を見てもヒト、左を見てもヒトである。人通りが多かった。欧州らしからぬ、東京張りの人の多さだ。今日は何かのイベントかしらん、そう思いつつも真也は町を練り歩いた。キャスターはエルメロイを警戒し別行動だ。別のホテルに陣取り、4人をトレースしている。ルヴィアと槍の情報はキャスターに渡してあるが、これほど人が多ければ見つけるのにも時間が掛かる。キャスターがルヴィアと直接接触していれば別だったが、生憎とその機会は無かった。彼は左手甲の呪符に念を込めた。
それは魔術の法則の一つ“類似”を応用したものだ。その小規模魔法陣には中核となるシンボルが一つある。それはプログラムで言えばラベル、ネットで言えばアドレスに相当し、まったく同じ物がキャスターの体内にも存在する。
真也が思念を送ればそれは音叉の様に反応する。離れた場所にある別の音叉が、同じ物であるならばそれも同じ様に反応する。共鳴とも言えよう。その術式を構成する他の要素は、手の甲に術式を定着させる基礎であったり、シンボルが思念を伝えられるようにする変換であったり、トオサカシンヤという個人が持つ魔力を術式に合わせる調整であったりと、副次的なモノに過ぎない。
「キャスター。他の3人に異常は?」
『ありません。何かあればお伝えします』
「おぉぉ……」
『何か問題が?』
「いや、キャスターがこれ程ありがたい存在だとは。依頼中に居てくれればどれだけはかどったのだろう、そう思うと残念でならない」
『そう言えば探偵紛いの事をされていたとか』
「そそ」
『次からは計画性のある行動をお願いします』
「気をつける」
『それにしてもこの町は変な方が多いですわね』
「まぁフランスだから。色々な意味で革新的なんだよ。個人主義と自由と芸術性がが合わさると結構奇抜なモノが出来上がるんだ。例えばほら、そこのGストリングスを着た若者とか、SMレザーファッションのおっさんとか……うげ」
気がつけばそういう人種ばかりなり。真也の口は開いたまま塞がらない。
『マスター?』
「今日は“Gay Pride(ゲイパレード)”だったのか……迂闊。レインボーフラッグ(上から赤、橙、黄、緑、青、紫で配色されたカラフルな旗)に気がつかないとはどうかしてる」
『その言葉は初めてです。どのような意味を持つのですか?』
真也は大ぶりで歩き始めた。もちろん逃げ出す為だ。個人の自由だと尊重はしているが、関わりたくないというのが本音である。
「ゲイ・レズビアン・バイセクシャル・トランスジェンダーたちのお祭り。その旗はその証だ」
『それはまた、人類の終焉を感じさせます』
「ギリシャの神々も随分と激しかったって聞くけれど?」
『マスター。それより先はご容赦のほどを』
「わかった。そういえばライダーはバイセクシャル(両刀)だったな。綾子は無事か? ライダーは綾子を随分気に入っていただろ」
『……』
「……キャスター?」
『ご本人に直接お尋ね下さい。私からは申し上げかねます』
「そう」
真也が向かう先に曲がり角があった。石造りの建物が死角となってその先が見えない。気配は読んでいるが、これ程人が多くてはとてもやりにくい。直接殺意をぶつけられればその限りでは無いが、気配を抑えた魔術師には気がつかないかも知れない。
「きゃっ!」
そして真也は誰かとぶつかった。曲がり角、それは永久に約束された遭逢(そうほう)なのだ。
「失礼しました。急いでいたもので……」
ベタだと思いつつ、美人さんだと良いな、と思いつつ、尻餅をついた人物に手を差し出せば。
「まったく。どこを見ているのかしら。気をつけて頂戴」
その声は低い地の声を高く作った声だ。真也の手を握ったのは男だったのである。つまり、そういう人種であった。おくびにも出さなかったが、心底うんざりする真也であった。
(ベタ、仕事しろ)
握られた彼の手は妙に肌触りが良かった。
(これは握手だ。握手。握手。握手。握手)
そう念じながら彼を引き上げれば、努めて笑顔でこう言った。だが口元の歪さは収まらない。
「あー済まなかった。怪我はないか」
「大丈夫よ」
その彼でもあり彼女でもある人物は、カーキ色のカーゴパンツにブラウンのブーツを吐いていた。薄桃色のシャツに、アウターはカバーオールジャケットと服装は至って普通だ。どちらかと言えばワイルドさを感じさせる程だが、その仕草は過度に女性的であった。事実瞼にはアイシャドウ、唇には紫の口紅である。イヤリングも装備だ。切れ長の目元には泣きぼくろ。細い金の髪はショートカットで額と耳を明瞭に表していた。ジョナサン・スコットの様に少女的ではなく、広い肩幅に筋肉質の体にして、中性的な顔を持った、紛う事なきオネェ系である。普通にすればイケメンだろうに、と微妙に残念がる真也であった。
「私はクレトス・メルクーリ。魔術師よ」
「……真っ向勝負でくるとは思わなかった」
「流石にお肌のふれあいをすれば、分るわよねぇ」
「嫌な言い方をするな。握手で魔術回路が反応した、と言え」
「ごめんなさい。気に触ったなら謝るわ」
「オカマの魔術師が誠実か。色々価値観が壊れそうだよ」
「オカマだなんて止めて欲しいわね。ただ美しさを求めているだけなのよ」
「どうとでもするさ」
その美しい彼は物言いたげに真也を見た。
「言いたい事は分る。名乗れって言うんだろ」
「貴方もクロムウェルの招待状で来た、そう踏んでいるのだけれど、違ったかしら?」
「その質問は半分正解と答える。確かに関わっているが参加はしない。えーと、メルクーリだっけ。アンタの誠実さは好ましい。けれどこちらにも都合があるから、答えられない。急いでるからこれで失礼させて貰うよ」
「まって」
「なに」
「貴方は凶星持ちね。今まで大変だったんじゃないかしら」
「何で分る」
「育ち柄その手の事を沢山見てきたの、だから分っちゃうのよ」
「占い師か」
「占星術師よ。貴方ほどの禍々しさは滅多に見ないわ。もし次に会ったら占ってあげる」
「結構だ。良くない方角が分ったとしても、行かなくちゃいけないパターンが多いんでね。知ったところで意味が無い。それに万が一次に会ったら敵同士だ」
真也は背を向けて、歩き出し、足を止めた。己の肩越しに振り返れば、その表情は苦渋の選択を表していた。義理と人情という判断である。
「トオサカシンヤ」
「あら、良いわね」
扱いに困る程の好ましい彼の笑顔を見た真也は、これが最後になると良い、と願わずには居られなかった。勝てないという意味では無く、死なせたくないという意味だ。
◆◆◆
そして夜。エルメロイが陣取ったホテルの一画、つまり彼の部屋にて報告会が行われた。エルメロイと凛はローテーブルを挟み向かい合っていた。グレイはベッドの端に腰掛け、真也は壁の華となっていた。エルメロイはソファーに深くもたれ掛かる。何時もの様に組んだ両手を胸の上に置いていた。
「全員手がかり無し、か。トオサカ弟が遭遇した、そのメルクーリという魔術師も気になるが」
凛が言う。
「ロード・エルメロイ」
「2世を付けてくれないか。ミス・トオサカ」
「それでは2世」
「それでは名前としての機能を果たさないだろう。君の弟は教授と呼ぶ。言い難いならそう呼んでくれ」
「では教授。明日は北部の高級ホテルを中心に捜索するべきかと」
「推測はできるが、一応根拠を聞こうか」
「この町は東西を流れる川で二分されています。賑やかな北部と比較的静かな南部。私たちは運悪く祭りに出くわし、捜索はままならなかった訳ですが、高価なホテルは北部に集中しています。レディ・エーデルフェルトは安宿を相手にしませんから」
「レディ、意見はあるか」
「いえ、何もありません」
「トオサカシンヤ、君はどうだ」
「そのプランに追加を」
「なんだ」
「高級ホテルは南部にも幾つかあります。二手に分かれましょう」
異論の声を上げたのは義姉であった。
「どうしてよ。北部が圧倒的に多いのよ?」
「レディ・エーデルフェルトは確かに派手で高級志向だけれど、落ち着いた雰囲気も好む。“特に夜は”そうなんだ」
義姉の眉がピクリと動いた。
「騒がしさを避けた可能性もあるか」
エルメロイが一つ唸れば、それは決断の証でもある。
「トオサカシンヤ、君は暗示が使えなかったな?」
「生憎と」
「レディと私は引き続き北部でホテルの捜索を行う。トオサカ姉弟は南部を当たってくれ。異存はあるか」
「「「ありません」」」
「方針が決まったところでこれから皆にクロムウェルについて話ておく」
「教授、私たちに参加の意思はありません。不要です」
「ミス・トオサカ。この地の聖杯戦争に参加する魔術師が居る以上、知っておいた方が良い。予備知識は彼らの行動を予期する材料となる」
「……分りました」
義姉は不承不承だ。
「今から話す事は非公開資料に基づく。強い罰則が適用される程の機密では無いが公言は禁ずる」
全員が無言を以て同意したことを確認するとエルメロイは一口水を飲んだ。
「かつてリチャード・クロムウェルという魔術師が居た。イギリスを本拠地とする降霊の名門だ。第2次世界大戦末期、彼は天使の召喚を行うと指折りの魔術師を招待した。その中には日本人も居たそうだ。招待の目的は天使を召喚し、その知識を得ることだ」
「天使の、ですか」
「ミス・トオサカ。知っての通り天使が知識を与える事など無い。せいぜい抽象的なコメントを天使と同じ清廉な者に降ろすのみだ。理論上聖人で無くとも良いが、清廉な魔術師など居はしないからな。事実上使徒に限られる。当時の我々、つまり魔術協会もその見解をもち、誰も相手にしないだろうと考えていたが、それがクロムウェル家ともなれば話は別だった。そこで協力し合いその知識を共有しようとした、その流れだ。ところが戦況が悪化し、集合途中の魔術師が死亡し、失敗と終わった。当主であったリチャード・クロムウェルも死亡し、嫡男もWWIで死んでいた為、クロムウェル家はお取りつぶしとなった。イギリスの霊地、遺産は魔術協会が接収したが、その儀式に関わるモノは得られなかった。ナチスの妨害を受けたらしい」
「ナチスですか」
その声は真也であった。あの槍がスタドリコンスタブルにあった、この原因もナチスが絡んでいたという不確定情報だ。
「招待会場はドイツだった、これから考えれば恐らく絡んでいたのだろうな。幾ら執行者とはいえ、戦時中のイギリスからドイツに渡るなど、困難極まりなかっただろうから、捜索に手落ちがあったとしても無理は無い」
「なるほど。辞退するならば代理を立てろ、教授が魔術協会にせっつかれたのは、取り残しを回収する為だった、と。ですが教授。R.クロムウェルが隠匿のために、ナチスの協力の下フランスで儀式を行おうとした、これは納得が出来ます。しかし何故ナチスが協力をしたのでしょうか。天使の知識を使って兵器作ろうとした、とも考えにくいです。そもそも大戦中の不安定な状況で儀式を決行した理由が分りません」
「かの指導者の目的は把握できていないが、時期の予想は付く。これは私の予想だが戦時中のどさくさを利用したのではないか、そう考えている。魔術協会も聖堂教会も上手く動けなかっただろうからな」
「その儀式に隠す何かがあったと言う事ですか」
「繰り返すが根拠の無い私の予想だ。頭の片隅にでも置いておけ。その暫く後にクロムウェルの後継資格を持つ者が現れた。適合が認められたため魔術刻印はその人物に引き継がれた。その人物をジョセフ・クロムウェルと言い、当時15歳。その後の彼の消息は分っていない。今生きていれば70歳だな」
「その彼は嫡男以外の後継者、つまり非嫡出子だったと」
「恐らくそうだ。記録によるとR.クロムウェルという人物は激しい人物だったらしい。情熱的とも言おうか、恋多きとも言おうか、その後の調査で複数の非嫡出子の存在が確認されている。レディたちには不愉快な話だったか」
凛が言う。
「子を多く残すことのメリットはありますから、理解は出来ます。もちろん、デメリットもありますし、R.クロムウェルがそれを考慮の上、行動に至ったかまでは判断できませんが」
凛の遠回しな手厳しさに、エルメロイは肩を竦めるのみだ。無論おくびにも出さなかった。
「話を続ける。ここまでが魔術協会の記録だ。公式情報は無いが儀式失敗の原因は聖堂教会の介入らしい。事実かどうか、その議論は棚上げにするが、彼らにとって天使の力とは神の力でもある。彼らが強く反応したのも無理は無いだろうな」
真也が言う。
「では今度も彼らが介入すると?」
「それはもう数日経てば判明するだろう」
「教授は度胸が据わっていますね」
「まあな」
含みを持たせたエルメロイに真也は不愉快そうだ。二人はこのままなし崩し的に、関わることを予期し合ったのである。それを見た凛は漠然とした不快感を感じていた。二言三言の言葉で意思疎通を図る、男同士はこう言う事がままあるのだが、生憎と彼女にその知識は無かった。それはもちろんグレイも同様だった。
◆◆◆
彼らが取った部屋はツインが二つだ。ロードであるエルメロイの準備金はそれなりにあり、敢えて相部屋にする理由も無かったが、エルメロイは保安の問題がある為、グレイと同室であった。彼女がいくら内弟子とはいえ問題があるのではと、遠坂姉弟は思ったが本人が良いなら敢えて追求しまい。そして遠坂姉弟は別室を希望したが、エルメロイの無駄金が出せるか、という鶴の一声にてツインルームである。騒いではそろそろ近所迷惑になる時分、バスルームを出たのは義姉である。彼女はクリームイエローのパジャマの上に、白いショールを羽織っていた。浴室と寝室を隔てる扉と彼女の肢体からは湯気が出ていた。
「先に頂いたわよ」
「ん」
彼女の義弟はソファーの前で背を向けていた。真紅の外套を脱げば、上下黒の長袖長ズボンが現れる。それの至る所に穴が開いていた。
「前から気になってたんだけれど、その穴どうしたのよ」
「塔の依頼で死徒と遭遇したんだけれどその時にやられた」
「ちょっと、大丈夫だったんでしょうね」
「それなりの魔術でも俺は防げる体質だから。何時もガンドを撃つ姉さんがそれを忘れたのか」
「セイバーより1ランク下相当の対魔力だったわね」
「姉さんの見立てではそうだったな。風呂入る。先に寝ててくれ」
「ソファーで寝る訳?」
「そう」
バスルームを出た真也はライトグレーのスウェットだ。灯火はベッドの脇にある弱い光のみで、部屋は既に就寝状態だった。義姉が陣取る窓際のベッドには、毛布が作る小柄な山があった。その枕元からは義姉の黒く長い髪が広がっていた。義弟はガントレットを左腕に付けると、廊下側のベッドから毛布を引っぺがし、ソファーに向かった。薄目の義姉が紡ぐ言葉は呪いの様。
「変な事しないでよ」
「しない。安心して寝てくれ」
のそり、と義姉が作る毛布の山が動いた。
「前科があるから」
「それを持ち出すか、このお姉様は。というか前科ってなんだ。アレはお互い同意だろ」
「真也が悪い」
「へいへい、分っておりますとも」
「さっきの話なんだけどさ。何でそんな事出来るのかしらね」
「対魔力の話?」
「そう」
「何度も言ったろ。俺だって知らないんだ、お袋に直接聞いてくれ。もしくはキャスターかライダーだ」
「蒼月家の過去に興味を持ってはならない、その決まりでしょ」
「なら聞くな」
「謎が謎のままってのはスッキリしないわ。サーヴァント相当ってどういう事なのかしらね」
「リバプールででくわした埋葬機関の人も強かったよ。世に彷徨う死徒もサーヴァントより強い。つまり世の中は広いって事。不思議な全部に気を取られたら、ストレスで胃に穴が開くぞ」
「同じ家の弟の事じゃない」
「それを知って俺がバケモノだったとしたら姉さんはどうする。バケモノと罵るか? 俺としてはかなり辛い展開だ」
「前にも言ったでしょ。私にとって真也はもう確定してるの。例えアンリマユだーって言っても何も変わらないわ」
「それは俺が遠坂家に入る前の話だろ。今は君の弟だ」
「だから私にとって変わってない。真也の名前が蒼月から遠坂になったとしても」
真也はソファーに腰掛けると毛布をたぐり寄せた。その毛布は意外と肌触りが良かった。
「オセっていう魔神(デーモン)と戦った事がある」
「は? ソロモンの悪魔が召喚されたって事?」
「義理を欠くから詳細は言えないけれどそいつが変な事を言っていた。イリヤもだ。聖杯戦争中に、アインツベルン城で神託がどうとか変な事を言っていた。確証は無いけれど推測できる材料を持ってる。聞きたいか?」
「真也はどう思ってるのよ」
「ただの状況証拠だから否定してる。けれど成長したイチローが対魔力を持っていたら、それが回答になるかもしれない。それは少し怖い。今までそうだって信じてきたモノが壊れそうだ」
「なら良いわよ。本人が纏まってないなら聞けないし。でも何時までもそのままって訳には行かない、これだけは覚えておきなさい。あの子は毎日大きくなってるんだから」
「もう良いだろ。寝るぞ」
「イタズラしないでよ」
「余りしつこいと本当にするから、寝ろ」
「レディ・エーデルフェルト」
ベッドの上の義姉の膨らみを見ること一刻。その意を悟った彼は何事も無かったかの様に、それがどうしたと言わんばかりの様相で毛布にくるまった。
「彼女とは何も無い。手を掴んで引っ張ったぐらいだ」
「静かな夜を好むって何よ」
「一日の終わりに報告検討会、そして晩ご飯。そういうシチュエーションでそういう好みなんだろう、そう悟っただけ。出先のホテルでも別室、泊めたり泊まったりもしてない。これで胸の閊えが取れたならもう寝てくれ」
「別に気にしてないから」
「ふん、ヤキモチやきめ」
「真也は良いわよね。ヤキモチ焼かずに済むんだから」
「その話は3年前に済ませたろ」
「知ってるわよ、ばか」
「もう寝よう。姉さんも時差ボケがある筈だ。おやすみ」
「おやすみ」
そして数刻。暗闇の中、ソファーに腰掛ける真也の目の前に気配があった。その気配とは空気の流れでもあったし、空間を通して伝わってくる熱、輻射熱もあった。そして何より、苛立ちの気配は強烈である。ゆっくり目を開けて見上げれば、そこに腕を組み、見下ろす義姉が居た。
「おやすみ、そう言ったろ」
「おやすみしてないじゃない」
「俺のおやすみはこれなんだ」
「ちょっと。2年間ずっとそうしてきたわけ?」
「そうか、教授が無理矢理相部屋にしたのはこれか。お節介というか、気が利くというか、ツンデレ先生だな」
「誤魔化すな」
「ここ1年と10ヶ月ぐらいかな。寝ることが怖くてさ、熟睡出来ないんだ」
「何がどうして、そうなったのよ」
「沢山だ。多すぎて話せない」
「礼装が壊れたのは?」
「勘が良いな。旅の途中。ある娘に兄を助けてくれとせがまれた。その村では生け贄の風習があったけれど、呪術的に意味が無い事が分ったから助ける事にした。だが、それは紛れもなく呪いだったんだな。その娘の兄は裏切った。違うか、俺を生け贄にして兄妹助かろうとした。その娘を人質に取られて、逆らえば殺すと。やさぐれていた当時の俺は、まぁいいかと。死にかかったところを関わりのあった死徒に助けられた。この間話した死徒ってそれ。村人全員死んだよ。100名の命を引き替えに俺は生き延びた。悪魔め、滅んでしまえ、悪魔め、呪われてしまえ、助けようとしたその娘は、俺を呪いながら死んだ。信じては欺されて、寝首を掻かれて。笑ってしまいたい、冗談にしたい目に何度も遭った。そんな事ばっかりで寝られなくなった。夢に見るんだよ」
腕を組んだ義姉は溜息一つ。呆れを隠さない。
「だから旅なんて止めときなさいって言ったのに」
「いずれ知らなきゃいけない事だった」
「早すぎたのよ。アンタの身体は20歳でも、経験と知識が20歳でも、自己は3歳なんだから。全ての嫌な事に対して無防備にぶつかったんでしょ。そんな事してたら歪んで当たり前。まったく。これじゃランサーに文句言えないじゃない」
「お見通しか。ランサーには夢と現の間でしょっちゅう説教された」
「ほら、暑苦しいスウェットなんて脱いで、楽な恰好でベッドで寝なさい。ガントレットもね」
「人の話を聞いてるのか。俺はこれで良い。少なくとも家に帰るまでは」
「結界も張ってあるし、お姉ちゃんが添い寝してあげるって言ってるのよ」
「あのな。んな恥ずかしい事できるか」
「前に一度してるでしょ」
「意味が違う」
「同じよ。あの時の真也も胸の中だったし、赤ちゃんみたいに丸まると良いわ」
「あーのーなー。何時も思うんだけれど、そうやって人を馬鹿にする真似は止めろ」
「人じゃないわよ、真也だから馬鹿にしているの。それともなに? 真也のそう言うだらしない所も受け入れてる心の広い私になにか文句でもある?」
睨み合うこと数刻。義姉のそれは絶対折れないパターンだと義理の弟は気がついた。頭をクシャリと掻いて立ち上がった。
「姉さんの匂いは家の匂いだ。その、気が緩む」
「だから言ってるのよ。ほら、いらっしゃい」
「……手を離せ」
彼は羞恥をしかめ面で隠すも、手を引かれるがままだった。人肌の温もりは相応の癒やしなのである。義姉のそれは事実そうであった。
つづく。