赤い林檎を蹴飛ばしたら   作:d1199

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五話

真也が目を覚ませば、見慣れぬ天井である。それが異国のホテルであるならば当然だろう。生活環境が一定しない、というのは相応の疲労となるが、真也にとっては些細な事であった。天井など見慣れなくても当然だった。それどころか屋根が樹木であったり、屋根そのものが無い事もままあった。だがどうした事か、その日は何かが違っていた。ぼんやり天井を見つつ感じた違和感は三つ。一つ目の疑問は仰向けだと言う事だ。何時もはソファーで目覚めると言うのに何故かベッドの上だった。二つ目の疑問は、窓から差し込む光が妙に濃いと言うことだ。清々しさが無かった。三つ目。なぜかしら、彼の感覚に靄の様なものが掛かっていた。

 

(はてな)

 

顔を捻れば枕があった。その枕には黒く長い髪がたゆたっていた。

 

「あー、退室時これ片付けていかないとな……」

 

彼は独りごちた。髪は魔女にとって重要であり、義姉にはそういった手間があるのだ。視線を更にずらせば数字が視界に映った。その4桁の数字は“16:38”と示していた。

 

「はてな」

 

昨日寝たのは日付も変わった頃だ。“04:38”なら理解出来るが、何故12時間分加算されているのか。時が刻むこと更に5分。真也は悲鳴を上げ、飛び起きた。今は夕刻。つまり寝過ごしたのだった。義姉の温もりに溺れてしまったのである。

 

「キャスター、何故起こさなかった !」

 

真也は慌てて着替え始めた。

 

『凛様が起こすなと、休んでいろと』

「そう言う訳にいかないだろ!」

『凛様らに任せた方が宜しいのでは?』

「だからそう言う訳にも行くか! 槍には俺も噛んでるんだからさ!」

 

バスルームに駆け込んだ。口を濯ぎ、顔を洗って鏡を見た。寝癖が付いていた。撫でた。跳ねた。撫でた。撥ねた。直らない。放置した。ガントレットを左腕に付ければ、従者の声は多少の非難を含んでいた。

 

『ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトは女性なのでしょうに』

「なんだキャスターもヤキモチか? デートなら大歓迎だぞ」

『Master』

 

届いたのは声のみだが、その声は恐ろしくそしておどろおどろしい。神代の魔女に相応しい声であった。彼女に冗談は通じないのである。

 

「冗談だってば。謝るから笑ってくれ。キャスターは葛木先生に一途だって分ってる」

『マスターは彼女に入れ込み過ぎている、そう判断します』

「だから言ってるだろ。そういう関係じゃ無いし彼女もそれを理解している。追いかけて実は好きだーなんて話にはならない」

『多少は考えておられるのでは?』

「まぁ少し位は。そうだったら良いな。そうだったらどうしようかなって。ちらっと悲しい妄想をした事はあった」

『そうなったらどうなさるおつもりですか』

「そんな訳ないから。俺は彼女の好みの真逆だし」

『だと良いのですが』

「相変わらずの心配性だな。キャスターこそ程々にしないと胃に穴が開くぞ」

『マ、ス、ター』

 

真也がホテルを飛び出せばカーニバルのど真ん中である。祭りも終盤だ。テンションの高い、おしり丸出しのマッチョなマダムに捕まり唇を奪われた。泣きながら走れば腹が減った。手近なカフェに入ったは良いものの何故か食欲がない。チクチクとする顎ひげの感触が原因かと思ったがそうではなかった。今日は何時になく温暖だと言うのに、身体はコールドドリンクを受け付けなかった。だものでホットココアを飲み干した。100メートル程駆ければその足が止まった。真也の焦点は空中で止まっていたのである。彼は白昼夢でも見ているかの如く立ち尽くせば、道行く老婦人が気遣った。彼は謝意を述べると立ち去った。

 

『問題が起りましたか』

「眼球の焦点が合わせにくい。感覚にノイズが入ってぼやけてる。それどころか身体に淀みがある」

『その地の歪みは一般レベルです。呪詛も観測されていませんので、他の原因が考えられます。状態の程度を仰って下さい。平常のブレを超える状態であれば、診断の必要があります』

「どの道1時間程度で集合時間だ。このまま様子を見る」

『マスター』

「キャスターは本当に心配性だな。気遣いはありがたいが、多少おかしい位で学校は休めないよ」

『学舎に実戦はありません』

 

真也は予定通りに南部に向かったが、それらしい影はなかった。ただ静かな町並みが続くのみだ。

 

「キャスター。情報はあるか?」

『凛様より宿泊先のホテルを見つけたとの連絡がありましたが、ご本人は未だ発見できておりません』

「わかった」

 

この地の調査など、ルヴィアが積極的に動いているならば、戻るのは夜半過ぎであろう。見上げる空は既に藍色で、星も見えていた。ぴゅうと吹いた風が異様に堪えた。思わず襟首を立てた。身震えもする。

 

『マスター。ホテルに戻ってください。伺います』

「なんでもな、あ……馬鹿か俺は」

 

懐に手を入れ、取り出したそれは複合結晶である。それはかつてルヴィアから渡されたコミュニケータであった。突然の別れだったゆえ返却を失念していたのである。これがあれば連絡が取れるが問題が一つある。鉱石魔術の属性を持たない彼でも、発動させる事が出来るのだが、真也の側からは呼びかけのみである。ルヴィアが着信拒否をすればそれまでだ。ただ無視はしないだろうという確信があった。握ってしまえば完全に隠れてしまう大きさだ。彼は鉱石に魔力を籠めた。鉱石が青白く点滅すること数回。

 

「シンヤッ!?」

 

聞えてきた声には、苛立ちと、焦りが混じっていた。走っているのか、息も切れていた。緊急事態だと判断した彼は、場所は何処だと端的に聞いた。

 

『ヴィクトル・ユゴー通りとサン・マルタン通りの交差点を西に向かってい、くっ!』

「キャスター! 誘導頼む!」

『町の南西方向です。右手の通りを真っ直ぐお進み下さい。エーデルフェルト様を補足しました。戦闘中、劣勢です』

「んな事は分ってる!」

 

彼は一般常識レベルで駆け出し、町の死角に入ると高く跳躍した。そして屋根から屋根へと渡りだした。その様はバッタと言うより水切り石である。同時に拘束術式限定解除。

 

『確認できた敵は一体、人間ではありません。死徒です。この距離では私は影響力を行使できません。凛様に連絡を入れましたが、最も近い方はマスターです。お急ぎ下さい』

「Instruere!(展開)」

 

真也は返事代わりに霊刀を展開させた。敏捷Aを以て、陽が落ちたばかりの町を跳ねていった。

 

 

◆◆◆

 

 

「クラウン、しっかりなさい!」

「お嬢様……私はお捨ておき下さい」

 

二人が居る場所は連絡した交差点から、幾らか離れた巨大な倉庫の中である。広大で天井も高く、ジェット旅客機が収まるハンガーの様だ。そこには小麦粉の袋が高く積み上げられていた。整然と並べばそれは壁に他ならない。高さもあり視界が悪い。照明は灯っておらず、窓から差し込む、町の明かりが見えるのみだ。地下迷宮と言っても過言ではなかろう。

 

ルヴィアはその薄暗闇の中を歩いていたが、その足取りは心許ない。方肩に担ぐ従者が重くのしかかれば無理もないだろう。その従者をクラウンと言い、屈強な魔術師であったが息も絶え絶えだ。100キロは下らない彼を、引き摺りながらも移動できるのは、筋力強化の術に他ならない。

 

クラウンが引き摺る脚からは血痕が続いていた。手で庇う脇腹からは血が止まらないのだった。その指の隙間から伸びる一本の短刀には呪詛が掛かっていた。ソクラテスを殺した“コニウム・マクラトゥム”である。抜く事が出来ず神経毒を有す。それが手足の末端から、身体を這い上り、心臓に達した時に死に至る。致死に至る時間は1分から1年と自由自在だ。即死されては困ると、2人を襲った死徒は1時間に設定したが、余計な手間を掛けられ機嫌が悪い。

 

「何を馬鹿な事を! 従者を見捨てる主などありますか!」

「……礎にするとお考えください。もはや左半身に感覚がありません」

 

迂闊、彼女は己を罵った。優れては居るものの、クラウンを真也と同じ様に扱ってしまったのだ。そして彼は主を庇い、負傷したのである。

 

思い出しても苛立たしい。イギリスを出た彼女はフランスに入り、クラウンと合流した。この町のホテルにチェックインし、競争相手を探しがてら町を調査すれば、招待状が反応したのである。その導きに従うまま、十字路に至れば死徒と出くわしたという寸法だ。魔術師ではなく死徒と出くわすなど、冗談にしては笑えない。あの男の悪運が染ってしまったのだ、彼女はそう吐き捨てた。

 

ルヴィアがそれと対峙した時十分な距離があった。飛び道具を扱う敵だと、直感した彼女が持ち出した鉱石は“インペリアル・トパーズ” 火属性の鉱石だ。敵の攻撃が物理なら真也に弾かせる、魔術なら霊刀をもって打ち消させる。カウンターを以て鉱石を打ち込む、瞬時の判断が求められたその条件で、彼女はそう考えてしまった。

 

優れてはいるものの魔術師という枠を出ないクラウンは、死徒の投擲に対応できず負傷した。ルヴィアはとっさの判断で、攻撃用の鉱石を牽制とし戦場を離脱したが、状況はお世辞にも良くない。その死徒は見逃すつもりはないらしい。

 

クラウンは右足も鈍くなり、そして滑らせた。ルヴィアはバランスを崩し、小麦粉袋に肩をぶつけた。痛んだが、気にならなかった。彼女の内を暴力的なまでに満たす感情は、苛立ちと憤り、ただしそれは己へのものだ。今に至るこの屈辱的な状況はすべて彼女のミスによる。気分の入れ替えが終わらないまま、気晴らしにと戦闘に及んでしまった。背後に気配があった。忍び寄る狩猟者そのものだった。そう悟った彼女はクラウンを座らせると、小麦袋にもたれかけさせた。

 

「ここでお待ちなさい。直ぐに終わらせます」

「申し訳……」

 

彼はそう言うと意識を失った。今行うべきはこの状況打破である。死徒に見逃す気が無い以上、振り切る事が出来ない以上。倒すか、敵が撤退する程のダメージを与えるより他は無い。あの男が間に合うかどうかは不透明だ。それを当てにするには愚かすぎる。そもそも。

 

(狩猟者とは私の事ですわ)

 

その琥珀色の瞳に、鋭利な光を宿し彼女は歩み始めた。その様は軍人であった。

 

 

◆◆◆

 

 

カツコツとブーツを鳴らすこと暫く。ルヴィアは倉庫の中央に位置する十字路に立った。フォークリフトが行き交いするのであろう、床には轍が二組見える。積み上げられた小麦袋は障害物代わりだ。四方にあるどの“積み上げ”までも約10歩。中央に居てはどの方向に逃げるかは推測できまい。但しそれは、四方から狙われる事も意味する。

 

本来であれば最寄りの“積み上げ”を楯にしたいが、どこから攻撃されるのかが読めない以上意味が無い。なにより死徒を前にしては楯の機能を有するか疑わしい。だが攻撃に転じる際に於いて、その隠密性は威を失う。ルヴィアの狙いはそのカウンターだ。

 

痛い程の静けさだった。それでいてルヴィアを狙う思念だけはその倉庫に満ちていた。粘性を持ち、纏わり付く。蚊に集られているかの様で非常にうっとうしい。

 

(今から、引き摺り出して差し上げますわ)

 

右手より放った鉱石はルヴィアの頭上の高くに舞い上がる。

 

「Call!」

 

言葉の力に応じそれは弾け、不可視の光を放つ。その鉱石の名はタイガーアイ。有する概念は視力の強化である。転じて隠れた敵を見つけ出す。気配があった。ルヴィアの右斜め後方、小麦粉袋のビルの上だ。次弾装填。右手には“シャーマンナイト”と“カンポ・デル・シエロ”だ。

 

「Call. Two stone dance in gorgeous. To become one to coalesce, Sing!」

(二重の石よ、舞い踊りて共に成れ。謳え!)

 

シャーマンナイトは因果的な独立と防御。カンポ・デル・シエロはマイナスエネルギーからの守り、神聖さも帯びている。それらが生み出す効果は、負の存在に対する因果レベルでの防御だ。神聖さは死徒に対する割り増し強化(ボーナス)にもなっていた。因果の意味を帯びるシャーマンナイトは扱いが難しい。成功するかはルヴィアの運次第であったが、ツキはあった。運に関する鉱石を三つ目として持ち出す手段もあったが、3手目を考慮すると使えなかったのである。

 

ルヴィアが振り返りきる前に発動させたのは死徒との敏捷差だ。死徒のそれはルヴィアを大きく上回る。振り返り、敵を見定めた後、発動させては間に合うまい。事実、投擲された短刀の着弾と、ルヴィアが振り返りきったのは同時だった。彼女を狙った短刀は不可視の楯に防がれていた。そして本命の3弾目。ルヴィアの左手にあった鉱石が魔力を注がれ光を放つ。

 

「Call. Two stone dance in gorgeous. To become one to coalesce.」

(二重の石よ、舞い踊りて共に成れ)

 

カーネリアンは幸運、ゴールドルチルは雷撃である。彼女の声は高らかに、岩をも切り裂く弦の様だ。

 

「Sing.(謳え!)」

 

一つとなった石は眩いばかりの稲妻となった。広大な倉庫内を埋め尽くす程に雷光が迸る。雷は伝う蔓の様に倉庫内の鉄骨を走った。小麦を納めた袋を焼き、穴が開いた。サァと滝の様に中身が流れ出した。

 

ルヴィアは攻撃が成功したかどうか、それを見定めようとし、左に跳躍した。根拠はなかった。ただ直感に従った。そして着地する前に捕まった。追従できる速さではなかった。全身を鈍い衝撃が襲う。彼女は首を掴まれ、小麦粉袋に叩き付けられていたのである。

 

「ぐ……くぅ」

 

上手く呼吸が出来ない。薄目の視線の先には、白い頭巾から覗く、小太りの中年の女性の顔が在った。それは笑っていた。唇の端が歪めば蛇の様だ。それは嘲笑だった。その声質は忌々しいという表現では収まらない程にルヴィアの感情を逆なでした。

 

「惜しいところまで言ってたんだけどねえ、最後の最後でドジったねお嬢ちゃん。この建物は金属だらけだよ、どれ程強い雷撃だろうと流れやすい方に行っちまうさ。インカローズ(炎)かペリドット(風)にしておくべきだったねぇ」

 

ルヴィアは苦悶の声を上げるのみだ。

 

「ま、二重の二連撃には少し驚いた。この分なら、儀式、触媒無しでも三重ぐらいは行けそうか。なるほど、これなら(バートリが)倒されてもおかしくは無い。あいつは慎重って言葉をまるで知らなかったからね。大方、調子に乗った所を掬われたんだろうさ」

「く……か、は」

 

のうのうと喋る死徒に対してルヴィアは喘いでいた。空気を貪ろうとするも、死徒の手が緩む事はなかった。

 

「さて、ここまで手間を掛けさせてくれたんだ。楽には死なせないよ。連れて行く間、存分に苦しむと良い」

 

その死徒が取り出した短剣には、クラウンを襲ったものと同じ呪詛が掛かっていた。息苦しく、ルヴィアは口を金魚の様に何度も開閉させていた。だがその琥珀色の瞳は諦めていなかった。この期に及んで何かを狙っていたのである。興味が出たのか、その死徒は少し力を緩めた。ルヴィアの肺に空気が流れ込む。埃っぽいが気にならなかった。

 

「けほっ、」

「呪詛に掛かればマトモに喋れなくなる、言いたい事があったら言ってみな」

「……散り際は美しくと決めておりますの。配慮は不要ですわ。ラ・ヴォワザン」

「ほーぅ、どうしてその名を出したんだい」

「毒物を司る呪詛、鉱石の知識、そして魔女とくれば他に思い当たりませんから。貴女の夫は宝石商だった、そうでしたわね」

「よく勉強しているじゃないか。正解だよ。ま、分ったところで意味が無いけどね」

「そんな事ありませんわよ。風向きが変わる前に、お仕留めになさったら?」

「まだ石を持っている様だが私のナイフが早い。試してみるかい?」

「いいえ、その必要ありませんわ。もう必要ありませんもの」

「負け惜しみかい、これは意外だ。あれはどう見ても失敗だろうに。美しさとやらはどうしたのかね」

「お分かりならないのかしら。既に陽は落ちている。その為にヘタマイト(勝利)ではなくカーネリアン(幸運)を組み合わせたのですから。シンヤはそうは思わなくて?」

「ああ。稲光は良い目印となった。あの追い詰められた状況で、幸運を組み込んだのは流石、と言わざるを得ないよ」

 

ラ・ヴォワザンがその声の主を探せば、そこに真紅の外套を纏った男が立っていた。その右手にある剣は魔力を帯びて青白く光っていた。

 

「そうか、この小娘のお仲間か。丁度良い、魔術師なら……」

 

ラ・ヴォワザンはその違和感に眉を寄せた。その存在は人間でもないし、魔術師でもない。

 

「お前は何者だ」

「お前が何処のなんだかは知らないが俺は怒ってる。人間でないなら、死ね」

 

ラ・ヴォワザンの頭上に真也が投げた小麦袋が浮かんでいた。支えがないなら落下するのは道理である。ラ・ヴォワザンのフリーな左手には短刀が二振りあった。一振りで放たれた二つは、一つは頭上に、もう一つは真也に向けられた。頭上の小麦袋は、くの字に曲がりどこかに落ちた。真也を狙った短刀は倉庫の奥に消えていった。真也が居ない、ラ・ヴォワザンが慌てて視線を走らせれば。ルヴィアを捕らえていたその右腕が飛んでいた。二人の距離は中型トラック2台分程だった。彼は短刀を躱し、一足飛びにその距離を詰めたのである。

 

ところがどうした事か、真也は不本意さを隠さない。続けて打った二撃目は、ラ・ヴォワザンの腹を浅く断ったのみだった。距離感が狂っている、加えて身体も鈍い。彼の予定では腕ではなく、首を斬り落とすつもりだったのである。感覚も身体も濁っていた。ラ・ヴォワザンは大きく飛ぶと、小麦袋の屋上に立っていた。そのふくよかな体型に見合わぬ軽快さであったが、大きく丸い目は忌ま忌ましさを隠さない。左手で庇う右腕の断面からは血が滴っていた。

 

「そうかい、そういう事かい。その顔とそのシンヤと言う名前、覚えたよ。夜に気をつけな」

「言っておく。夜は俺の時間だ。それでも来るなら覚悟を決めろ」

 

ラ・ヴォワザンの気配が消えるとその倉庫に静けさが戻った。あの手を逃すと後が面倒だ、真也は討ち取れなかった事を悔やんだが、今となってはどうにもならない。真也は納刀し、ルヴィアに歩み寄った。彼女は首を押さえ、咳き込んでいた。緊張が解け、喉の痛みがやってきたのであった。

 

「怪我はある?」

「わ、私は大丈夫で、す。けほっ」

「私は? 他に誰か居るのか」

「クラウンが呪詛に冒され、て、シンヤの、その眼を貸してくだ、さらない?」

「分った。その人の所に案内してくれ」

 

真也はクラウンを蝕む呪詛を殺すと、ナイフを引き抜いた。ぐぅと呻き声が上がる。続けてルヴィアが治癒を施すと出血は止まった。真也は脂汗を絶やさないクラウンの額に手を宛がい、そして首筋に宛がった。

 

「顔色が良くないな。たぶん血が足りてないんだろ。救急車を呼んでくるから彼を看てやってくれ」

 

ルヴィアは無言でクラウンの手を握っていた。彼女のよく知る大きく力強い手は、力と暖かみを欠いていた。

 

(キャスター、あの死徒の追跡はできたか?)

(申し訳ありません。見失いました。アサシンに匹敵する隠形です)

 

 

◆◆◆

 

 

搬送された病院の一室でクラウンは身を横たえて居た。輸血を受け、顔色は良くなっているが、呪詛の影響が残っていた。暫く魔術回路に影響が残るだろう。ベッドの傍らで彼の手を握っているルヴィアは、終始沈痛な面持ちだ。真也は白く清潔な病室の壁にもたれ掛かっていた。親しい人の一大事だ、心中は察したいが生憎と真也にも予定が合った。

 

「その人がクラウンさんか。白人だと思ってた」

「クラウンは代々エーデルフェルトに仕える一族ですの」

「信頼してるんだな」

「少なくともシンヤよりは」

 

彼は頬を掻いた。確かに隠し事は多かったが、このタイミングで言わなくても良いだろうにと悲しくもなった。ただルヴィアの心情を考慮すれば今は我慢どころだろう。真也は摘まれた花の様に白い壁から離れると、こう言った。

 

「とにかく二人とも無事で良かった。急ぎの用件があったけれど、その空気じゃないから今は止めておく。アパート・シティってホテルに居るから明日中に連絡をくれ。それじゃ」

「お待ちなさい。急ぎ、と言ったかしら」

「そう言った」

「外に公園がありましたから、そこに場所を変えますわよ」

 

その公園は幹線道路と大型病院に挟まれていた。木々が多く、公園と言うよりは林が適当だ。電灯の足下にベンチがあった。真也はハンカチを差し出した。彼女は一瞬躊躇った後それを受け取り敷物とした。彼女が口を開いたのと、真也が脇の樹木にもたれ掛かったのは同時であった。その声には、苛立ちが籠もっていた。

 

「別れを告げた筈のシンヤが何故ここに居るのかしら」

「追いかけてきたからに決まっている」

「姉を時計塔に置いて?」

「一緒に来てる。そんな事より、」

 

ルヴィアの表情が揺れると険しさが募った。姉と一緒に来ている、この言葉は禁句であったが、真也が知るよしも無い。“そんな事”という発言も配慮を欠いていた。ルヴィアに苛立ちが募る。だが真也の、

 

「槍が盗まれた」

 

という発言は、流石の彼女も無視できなかった。余所を向いていた視線が真也を捕らえた。

 

「チューターの金庫が破られた?」

「そう。それで俺らが疑われている」

「シンヤは私を疑っているのかしら」

「それを確かめたくてきた。ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト、貴女は盗んでなどいないな?」

「なぜその様な事を聞くの」

「貴女の口から聞ければ良い。俺はそれだけで安心できるから。教授に大手を振って啖呵を切れる。これ以上疑うなら、そのロン毛を切るぞって、ね」

「私の言葉を信用すると言うのかしら」

「もちろん」

「チューターには私から話しておきます。トオサカシンヤ、貴方はもう国にお帰りなさい」

「返答は?」

「答えるとでも?」

「答えて欲しいのだけれど」

「誰が応えるものですか」

「何を拗ねてる」

「拗ねてなどおりません」

「なら返答を拒否する理由は無いだろ」

「答えたくありません、早く私の前から立ち去りなさい」

「気がかりで帰るに帰られない、と言っている」

「なら気がかりのまま居なさいな。私だけが辛い目にあうなど不公平です。いい気味ですわ」

「俺も疑われている。付け加えれば何を意固地になっている」

「自惚れも大概になさったら?」

「意味が分らない。なんだその展開。槍など持っていない、そう答えるだけで済む話だろ」

「大事な事を全て答える間柄だと思っているならば、それは自惚れだと言っています」

「槍の一件は俺らが共有した出来事だ、違う?」

「もう結構ですわ。お帰りなさい」

「結構の意味が分らない」

「ならばこう言いましょう。トオサカシンヤ、私は貴方が嫌いです。ですから答えたくなどありません」

「……それは中々に堪える発言だけれど、」

「それも虚偽ですのね。堪えてなどいないのでしょうに。私に執着しているというのも嘘なのではなくて?」

「何を言ってる。してないなら帰国を延期して、わざわざフランスくんだりにまで来る訳がない」

「それも嘘に違いありませんわ」

「あのな。嘘なら今ここに居る俺は何だ」

「ですから虚偽なのでしょう?」

「まだ混乱してるんだな。やっぱり明日もう一度来るよ」

「それも嘘なのでしょうに」

「あのな」

「そして嘘を付かない綺麗なシンヤを連れてくると良いですわ」

「それで必ず嘘を付く俺と、必ず正しい事を言う俺に“外にでる扉はどちらですか”とでも聞くのか」

「面白いですわね、それ」

「言っておくけれど、隠し事はしたけれど嘘を付いた覚えはない」

「国に帰ると発言したにも関わらず、私の目の前に居るじゃない」

 

ベンチに腰掛けるルヴィアは、背筋を張り姿勢正しく、両手を腿の上に重ねて置いていた。ご令嬢らしい居住まいだったが、その表情は険しい。今までと異なるルヴィアの反応に手を焼いた彼は思わず本音を溢した。

 

「……め、めんどくさい」

「なんですって?」

「面倒くさいと言った。理性と信条、そして誇りを重んじるルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトは何処に行った」

「ここに居ます」

「嘘を付け。それこそ嘘だ。少なくとも俺の知っている彼女はそんな事言わない」

「ではシンヤのルヴィアゼリッタに言えば良いでしょうに」

「分った」

「何を理解したと言うのかしら」

「取りあえず寝て、あした朝食食べてくれ。その後もう一度話す。今会話が出来る状態じゃない」

「明日なら会いませんわよ。迷い犬の様に追い返します」

 

犬扱いか、と腹も立ったが辛うじて飲込んだ。

 

「……クラウンさんがあんなになって責任を感じているのは分る。平時の精神状態じゃない、って事だ。だから仕切り直しをしたい」

「私がこう成っているのはシンヤのせいです」

「無茶苦茶だな」

「ええ、そうですわ。私は滅茶苦茶にされた。叶うなら2週間前の私に“トオサカシンヤに関わるな”そう忠告したいぐらい」

「随分と勝手な事を言う。避けようとしたのは俺、突っかかってきたのは貴女だ」

「違います。シンヤが時計塔にさえ来なければ、そう言っています」

 

盛大な溜息一つ。

 

「あー、もう。分った。言いたいだけ言え。その閊えと鬱憤を全部吐き出せ。罵られるのは慣れているからな、遠慮する事はない。その代わりその後は話を聞いて貰うからな」

「吐き出せですって? よくもそんな恥知らずな事を言えるものですわね……この恥知らず!」

「言え。ここまで我が儘を言ってゴネるな。悩みを聞いてやる、と言っている」

「今我が儘と? もう一度言ってご覧なさいな。二度とその様な事が言えぬ様にします」

「へえ。どうするつもりだ。顎でも砕くか、舌でも抜くか」

「全身の神経を麻痺させます、そうすれば私の生活も穏やかになろうものですから」

「我が儘だろ。恩に着せるつもりはないけれど、俺が間に合わなかったら死んでいた」

「頼んだ訳ではありませんから」

「嘘つけ。ならなんで場所を俺に伝えたんだよ。気づいていないなら言うけれど、今の君は無茶苦茶だ。ほら、お兄さんが聞いてやる。悩みを打ち明けてみろ。誰かに話せば楽になるから」

「誰が兄ですか。嫌悪しますわ」

「はん。素質と財力に物を言わせて自分以外を強いてきたお嬢様に言われても説得力無いね。悔しかったら、一人で旅でもしてみるといい。自分が如何に世間知らずか、理解出来る」

「トオサカシンヤ。その発言は致命的ですわね。そこ直りなさい。せめてもの情けで看取って差し上げますから」

「一人には限界があるって言っている。それを認める事は欠点じゃない。俺ですら何回こてんぱんにされたことか」

「それがどうかしまして? ただ運が無いだけでしょうに」

「ここまで言って、この状況に至ってまだ分らないか。言っておくけれど、俺がその気なら貴女は為す術がない。“Shake it up Baby! ”って言いながらそのスカートもめくれる。でもしない。俺は誰かを頼るし、誰かの傍に居ようとする。ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトを尊重してる。これを証とは考えてくれないか」

 

その端正な表情から険しさが消えれば、溢れるのは苦悩である。

 

「ほら、その閊えをお兄さんに言ってみ。ご希望なら頭を撫でて進ぜよう」

「言いたくありません」

「ほんとーに頑固だな。ここは素直になるところだぞ」

「お断りします」

「他の誰かなら良いのか」

「誰であろうと言えません」

「なら、その閊えを一生抱えるつもりか」

「誰が抱えたいものですか。吐露できればどれ程楽か」

「敢えて言うけれど、言いたい事が言えないなんて臆病以外何物でも無い。ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトは臆病者だ、それを我慢できる性格でも無かろうに」

「ええ、我慢など出来ません。我慢できないのに、恐ろしくて踏み出せない。私の内にある臆病という矛盾、2週間とはいえ付き従ったシンヤが、ここまで言って分りませんの?」

 

懇願。それは無防備な感情だった。二人の間にしばしの沈黙が訪れた。真也の内に彼女の言葉が徐々に染みいった。苛立ちに支配されていた彼の表情が徐々に緩んでいった。ルヴィアも同様である。但し真也の表情は、驚きと少々の頼りなさが混じっていた。真也はそれに気がついた。真也が気がついたことにルヴィアも気がついた。腕を組み、睨み上げるルヴィアの視線は落ち着かない。視線が絡み合うと、彼女は明後日の方向を見た。ふて腐れていていたが、恥じらいもあった。彼のその声は全く足に付いていない。

 

「い、いつから?」

「自覚したのはスタドリコンスタブルですわ」

「そんな一大イベントあったっけか」

「あのご老体とアジャーニさんの胸の話をしていたでしょうに。大きいとか、あの時です」

「あの癇癪はてっきり、従者が主の意向に沿わない云々って話だとばかり、思ってた」

「あれ程腹を立てたのだから、気づいても良さそうなものじゃない……」

「んな事言ったってな。帰るって何度も言ったろ。誠実とか素朴とか、散々罵倒されたし。そんな訳無かろーと……すまん。全く気がつかなかった」

「一体何処が鋭いのかしら。鈍すぎですわ」

「面目ない」

「それで、それを知ったシンヤはどうするのかしら」

(マスター)

(今取り込み中だ)

 

真也は散々頭を掻き毟った。天を仰げば星が瞬いていた。辛い。叶うなら彼女の想いを叶えさせたいが、生憎とそんな自由はなかった。そもそも相手は既に決めていた。その人に想いを伝える事は、許されていないがそれは別問題だ。

 

「分った。槍の事は聞かない。ただし教授の所まで送り届ける。それは堪えてくれ」

「それが、シンヤの返答?」

「心より申し訳ないと思う。でも俺はこれ以上の答えを持たない」

「そう。私を物か何かだと思っているのなら覚悟をなさいな。刺し違える覚悟ぐらいありますわよ」

「一刺しぐらいなら譲歩する。けれどその前に聞いてくれ。俺らは疑われている。教授から見ると俺らはマイナスの位置にいる。捕まって釈明するより、」

「捕まる? 釈明するですって?」

「容疑者の如く扱いは嫌いだろ? 俺らのいざこざは教授には関係の無いことだ。この状態のまま教授に会うと、どんな判断をされるかわからない。なら威風堂々といこう。言っておくけれど、俺を無視してこのまま聖杯戦争を続けてもいつかは教授と鉢会うぞ? 教授も参加者だからな」

「良いでしょう。チューターと会う事にします」

「おぉ、助かる」

「ただし、シンヤはここで帰りなさい。一人で赴きますから」

「だから俺も無関係じゃないんだが」

「繰り返すのだけれど私はシンヤが嫌いです。傍に居たくありませんから……なんですの、その不愉快な眼差しは」

「いや、ツンデレって本当に居るんだなって」

「どういう意味?」

「何でも無い。忘れてくれ。どの道現地で会うことになるし危険だ」

「危険などありません」

「さっきヤバかったろ。だから俺の呼び出しに応じた、違う?」

「この私をどれ程侮辱すれば気に済むのかと」

「笑ってなんかいない」

「私が無力だ、そう言っていますわ」

「どうしてそう消極的に解釈するかな。繰り返すけれど、どれ程の技量をもってしても、必ずとも勝利に繋がらない。俺も、貴女もだ。俺の2年の旅は負けっ放しだった。死徒にはこてんぱんにされたし、普通の人間に殺され掛かった事もある。何が言いたいかというと、力量問わず一人は危険だ、と言う事。いま貴女は一人だ。それは良くない」

「シンヤの経験はシンヤだけの物、必ず他者に適用できるものではなくてよ」

「確かにそうだ。ならこう説明するか。聞いてくれ。俺だけでは失敗していたし、貴女だけでは死んでいた。リバプールではどちらが欠けていても、あの教会にたどり着けなかった。スタドリコンスタブルも同じだ。俺一人でも、死徒バートリを倒せたかも知れないけれど、貴女が居なければあの坊主は殺されていた。そもそもバートリに遭遇できたかも怪しい。どれ程強い力を持っていても、一人が出来る事なんてたかがしれている。もう一度言う、そして俺は貴女を気に入ってる。死なせたくないからホテルまで送り届ける。それでも嫌だというなら好きにするといい。俺は勝手に付いていくだけだ」

「シンヤは私とどう在りたいのかしら」

「好き嫌いなんて聞くなよ。同じだ。契約した時と出会った時と何も変わらない。俺は家に帰る、貴女は成果、実績、経験、栄誉、神秘を得る。貴女は主であり俺は従者だった。俺はその関係を望む」

「ならば、こう聞きますわね。シンヤは私をどう思っていますの?」

(マスター)

(話は後)

 

真也はもたれ掛かっていた樹木から離れると、ルヴィアに傅いた。

 

「しつこいな。言ったろ執着してるって。死んで欲しくないし、傷ついても欲しくない。叶うなら笑っていて欲しいと思う。そういう感情、配慮、心配、憂慮はしていけないことか」

「私を惑わしている、それに気づいているのかしら」

「それに関しては謝るしかない。運が悪かったと諦めてくれ」

 

ルヴィアの溜息は、天が落ちてしまいそうな程に重かった。

 

「こんな酷い男に弄ばれたなんて。男性不信に陥ってしまいそう」

 

力なかったが笑みは戻っていた。

 

「何を言ってる。貴女が俺に難癖を付けた、これが始まりだろ」

「私を拒絶しなかったじゃない。強く言えば、引き下がりました」

「嘘つくな。散々ゴネて意地になって付いてきたに決まってる。そんな状態で依頼なんてこなせるか」

「だから下手に出たと。事なかれ主義なのか、チャレンジ精神に溢れているのか良く分かりませんわ」

「だから俺は中道だ」

「チューターの構えるホテルはどちら?」

「ご理解頂けて恐悦至極。こっちだ。案内するよ」

「念を押しますが、私は理解などしていませんから。私に優しくない意地悪なシンヤは嫌いです」

「ならなんでホテルに行く気になった」

「体調不良を押して、懇願されればその様な気まぐれもします」

「体調不良?」

「顔が赤いですわよ」

 

額に触れた手はひんやりしていたが柔らかかった

 

「気づいていませんでしたのね」

「どーりで、体が重いはずだ。風邪なんて何年ぶりだろ」

「体調管理を疎かにして、仕事云々を語るとは片手落ちですわ。それとも姉に会って緊張の糸が切れたのかしら」

「それは秘密だ」

「嘘仰いな。図星でしょうに」

 

終わりよければ全て良し。屈託のない笑顔が見られれば、些細な事だと彼もまた笑った。

 

(キャスター。用件は?)

(凛様が先程までその場所におられました)

(……聞かれてた?)

(恐らく)

 

何を口走ったのか反芻した。真也の発言を纏めれば、家に帰ると言っている、ルヴィアにも応じていない。

 

(大丈夫だ、よな)

(私にはお答えしかねます)

 

漠然とした不安が残るのみである。

 

 

 

 

 

つづく!

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