赤い林檎を蹴飛ばしたら   作:d1199

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六話

ルヴィアがエルメロイと向き合えばその展開は案の定であった。エルメロイの部屋には丸いローテーブルを挟み、向き合うソファーが一組あるのだが、火花を散らせば向き合う砲台に他なるまい。ルヴィアは姿勢正しく腰掛けていたが、彼女の放つ意識の線は刺々しい。それどころか。言葉の応酬を交わす度に鋭くなり、今では殺意の一歩前だ。

 

「私どもは槍を持っておりません。盗んだなどと、冗談にしては度が過ぎましてよ。チューター」

 

エルメロイは加えていた葉巻を手に持つと煙を吐いた。彼にとって葉巻は趣味でもあったが、交渉事の小道具でもあった。間を取る、と言う意味だ。

 

「レディ・エーデルフェルト。君はそれを立証できるか」

「持って居ないものを、持っていないと証明せよ、悪質ですわね。この場合盗んだ証拠を見せるべきでは無いかしら?」

 

ルヴィアの琥珀色の瞳が鋭利に光る。

 

「お疑いなら、チューターの血を以て潔白を晴らしますわ。槍を盗んだという謂われ無き屈辱に堪え忍ぶより、侮辱を晴らさんが為の師殺し、この銘の方が栄えると言うもの」

 

ルヴィアは立ち上がると鉱石を取り出そうと右手を構えた。ベッドに腰掛けていたグレイが立ち上がる。抜刀こそしていないが真也も同様だ。もちろん彼はルヴィア側であった。予定外の何かが起きれば、なし崩し的な惨劇が起きる、その場に居る4人がそう覚悟した程の静寂だった。

 

カチャリ、と音がした。グレイ、ルヴィア、エルメロイ、そして真也がその音源を見れば凛が紅茶を嗜む音であった。音の主はティースプーンである。彼女は威ともせず、おくびにも見せず、澄まし顔で地のペースだ。グレイは再びベッドに腰掛け、真也は頭を掻いた。ルヴィアは幾分表情を緩めこう告げた。それは彼女の最大の譲歩である。

 

「それとも肌を晒せばご満足頂けるかしら。対価としてその眼は潰させて頂きますが、死ぬよりは良いと思いますわ」

 

継いだのは凛である。

 

「ここが落としどころではないかと思います。このまま押し問答を続けても得るものどころか失うものの方が大きいでしょう」

「良いだろう。この場は納めよう」

 

エルメロイを継いだのはグレイであった。目深に被ったフードの影にある彼女の表情は、夜間照明のほの暗さと相まって更に読みにくかったが、争い事を避けられたと安堵していた。

 

「師匠。これからどうするんですか? 行き詰まりが確定かと」

「厄介払いが出来た、と言いたいが。槍の捜索は続けないとならないな」

 

真也が「ですが手がかりがありません。一度、時計塔に戻るべきです」と言えばルヴィアが「戻りませんわよ。戻ったところで槍が見つかる訳でも無いでしょうに」と堂々と答えた。真也は「いや、それどころじゃないと思うんだけれど」呆れを隠さない。そうしたらエルメロイは「いずれにせよ聖杯戦争に参加する、と時計塔に伝えここに来ている。適切な理由無しに戻る事は出来まい。槍の存在は塔にも秘密にしている。盗まれた槍が無かったから、と言えない以上続けるより他は無いだろう」と至極尤もなことを言う。

 

「しかし」と真也が喰らい付けばルヴィアは「シンヤはもう帰りなさい。後は私たちが対応します」と一転穏やかな笑みである。すると真也は「……お手数掛けました」と答えた。その声は安堵と心残りであった。彼の心中、知ってか知らずが義姉の「いえ、最後まで付き合います。少なくともこの聖杯戦争までは」という発言は皆を驚かせるものだった。もちろん義弟の驚きは如何ほどのものか。

 

エルメロイの瞳はその真意を探ろうと「それは助かるが、良いのか。万が一遺産が本当だったとしても、招待されていない以上、君たちが遺産を手にする資格は無いが」と言えば、義姉はあっけらかんとしたものだ。

 

「構いません。こちらも拾えるものは拾いますから」

「姉さんちょっと」

 

義理の弟は義姉の腕を掴むと強引に引っ張った。

 

「教授、少し時間下さい。身内の話です」

「5分程で済ませてくれ」

「ちょっと、何よ。痛いじゃない」

 

義弟は強引に招いたバスルームの扉を閉めるとこう言った。

 

「どういう風の吹き回しだ」

「腕に跡が付いた」

「それは済まなかった。だが答えてくれ、どう言うつもりだ」

「最後まで見届けるのが筋ってもんでしょ?」

「槍が何時見つかるかなんて、分らないだろ」

「だから言ったでしょ。この聖杯戦争までだって」

「お嬢様に言った事を気にしてるなら、何を間違えていたか言ってくれ。改める」

「真也は十分に正しいと思うわよ」

「なら何を考えての意趣返しだ」

「正しい未来が見えたかも知れない、ってこと。それを見極めたいの。可能なら拾い上げたい」

「何の話だ、それは」

「今は言いたくない」

 

ソファーに腰掛けるルヴィアは、貝殻の音を聞くかの様に通信用複合結晶を耳に当てていた。ルヴィアは悪いとは思いつつも盗み聞きである。はてな。彼女は首を傾げた。関係がうってかわって冷めている、というよりはぎこちなくなっている事が伺えた。だが不可解なのがその会話内容である。姉が弟に、弟が姉に向けるモノには思えなかった。

 

(姉弟喧嘩と言うよりは……)

「レディ・エーデルフェルト。盗聴とは君らしくない行為だ。意外だ」

「これ位構わないでしょう。弄ばれた対価としては格安ですわ」

「君がか。余程のプレイボーイか、悪質だと見える」

「悪質ですわよ、本当に」

 

フードに隠れたグレイの瞳がキラリと輝いた。恋バナに興味津々なのだった。

 

「話しませんから。ミス・グレイは自分のを追いかけなさいな」

 

今の彼女はショーウィンドウ越しのおもちゃを羨望する子供である。カチャリと扉が開けば現れたのは遠坂姉弟であった。エルメロイが問えば答えたのは凛であった。

 

「話は済んだか」

「ええ。取りあえず」

 

その姉弟は少し離れて壁にもたれ掛かった。

 

「では話を続ける。この聖杯戦争に対する我々の立ち位置だが、」

 

真也が手を上げた。

 

「なんだ、トオサカ弟」

「そんな不愉快そうな顔をしないで下さい。その話の前に知っておかなくちゃいけない話なんですから」

「前振りは良い。端的に話せ」

「レディ・エーデルフェルトが死徒に襲われました」

「……聞こうか」

「シンヤ、もうその呼び方は終わりにしませんこと?」

「どこかおかしい?」

「それは始めて会った時の呼び方ですわよ」

「ならルヴィア様?」

「もう契約は終わっているでしょうに」

 

彼はちらりと義姉を見た。

 

「良いんじゃない? 本人が言ってるし」

「正直抵抗があるんだけど、」

「シンヤ」

 

ルヴィアの期待の眼差しに渋々応じた。

 

「……ルヴィア。襲われた時の状況とあのおばさんが誰か教えてくれ。察しは付けてるんだろ?」

 

これ位はと満足そうに微笑んでいた彼女であったが、一転、その表情は鋭い物に変わった。

 

「招待状の導きに応じましたのよ」

 

ルヴィアのその言葉に思い至ったエルメロイは自身の招待状を広げ、唸った。

 

「手の込んだ事だな。新たなメッセージが浮かんでいる。“七つの鍵を以て、天の扉を叩け。鍵を持つ者のみが資格を有す” 文章の下に浮かび上がるピースは大印章(アエメト)の一部分だな」

「師匠?」

「レディに教えた事はなかったか? 大印章(アエメト)とはジョン・ディーが天使から授かったと言われる天使召喚の術式だ。その構成言語はラテン語と天使語(エノク語)。7芒星と7天使の名が書かれ、その図章がピザの様に切られているが、これは七等分という所だろう。“七つの鍵を以て、天の扉を叩け ”とは参加者から招待状を奪いこれを揃えろ、大方そんなところだろうな」

「チューター。先程の侮辱は棚に上げ、倒すのは最後にして差し上げます」

「そうしてくれると助かる。私としても教え子に手を掛けたくない。極力な」

 

ルヴィアとエルメロイのやりとりを聞いていた真也は、離れたベッドで腰掛けるグレイをちらと見た。

 

(教授の切り札はグレイさんか)

 

先程の一触即発の空気。ほんの一瞬膨れあがった彼女のそれはサーヴァント級であった。彼女はフードを目深に被り相変わらずだ。ルヴィアが続けた。

 

「この町に何かあるだろうと探り歩いていれば、突如この招待状が反応し、羅針盤が浮かび上がっていた。それに従い歩けば、ラ・ヴォワザンに遭遇したという訳ですの」

「レディ・エーデルフェルト。その名前に間違いないのか」

 

流石のエルメロイもその事態を重く見たのか顔色を変えた。

 

「ええ、あの姿は資料そのものでしたわ。ご本人もそうだと言っておりましたもの」

 

凛が「17世紀の魔術師が生きている?」と驚愕すれば、ルヴィアと真也は「「存在する」」とツッコミを入れた。真也の「死徒って事なんだろ。あの手応え、感じ、間違いない」という発言をすれば、凛は「まぁ真也が言うなら信憑性があるわよね」と疑うべくもない。かつて彼は死徒二十七祖のうち3体と遭遇しているのだから。エルメロイが「僅か2週間足らずで2体の死徒と遭遇か。運が良いと言うべきか、評価に困る事象だな、これは」とぼやけば、ルヴィアと凛は真也を睨んでいた。

 

「俺のせいじゃない」

「トオサカ弟、思い当たる節でもあるのか」

「アリマセン」

「ラ・ヴォワザンが我々と同じ参加者なのかどうか、それも気になるところだ」

 

真也が「リチャード・クロムウェルが幾ら名門でも、死徒と繋がりがあるとは考えにくいですね。連中の目的は理解しにくい。人間と思考が異なります」と言えば、凛は「でも、偶然というのも気に掛かるわね。私たちみたいに参加者の協力者とか」と呟いた。ルヴィアが「魔術師上がりの死徒なら何らかの欲望を持っている筈。その為に死徒になったのですから」と繋げた。

 

そうしたら凛が「死徒が天使の知識、と言うのも考え難いわよ。不死者であれば時間という制約から解かれるんだから。町中に現れて狩られる危険を冒してまでも参加するとは考えにくい。ただでさえ聖堂教会の目の届かないところは少ないのに」との発言を聞いた真也は黙り込んだ。

 

(いや、関係があったから、クロムウェルの第1次聖杯戦争は、聖堂教会に襲われたのか?)

 

エルメロイは言う。

 

「今の情報では判断が付かない。判明している事実はこの町に死徒が居ると言う事のみだ。それを注意、いや警戒事項として各位心にとめておけ」

 

グレイが言った。

 

「師匠。これからどうなりますか?」

「当然この儀式に参加する。積極的にな。二手に分かれる。私とレディ、後残りだ」

「教授、俺らを囮とか思ってませんか?」

「君たち3人は3人が目立つ。なによりラ・ヴォワザンは、トオサカ弟。君を目の敵にしているだろう。その場に私が居ては足手まといだ」

「しっかりやりなさいよ、真也。魔術師は引き受けた、死徒は任せたから」

「へいへい」

 

エルメロイは腰を上げた。

 

「それでは本日は解散とする。レディ・エーデルフェルト、君はどうする?」

「ホテルに戻りますわ。荷物もありますし」

「トオサカシンヤ、」

「送り届けですね、了解です」

「そのまま向こうに泊まったら? 戦力分担的にも都合が良いし」

「……教授、申し訳ないですけれど、送迎は謹んで辞退します。姉さん、女の人同士なら気兼ねないだろ。ルヴィアの警護は任せた。今後もケンカばかりじゃ困るから、これを機に親睦を図ると良い」

「なに、それ」

「言ったままの意味。それとも余計なお世話だと言った方が良いか?」

「なによ、姉の言うことが聞けないって言うの?」

「それは姉の範疇を超えている。誰を選ぶかは俺が決める」

「決められないくせに良く言うわよ」

 

姉弟間に火花が走った。良く分からない空気にグレイは戸惑っていた。それはルヴィアも同様であった。

 

「私は真也と同じ部屋が嫌、こう言えば良い?」

「なら俺は野宿で良い。手慣れたもんだ」

「トオサカ姉弟は喧嘩でもしたのか」

「そんなところです」

 

とはいう真也であったが凛の思惑に、ぼんやりとだが当りを付け始めていた。エルメロイのその表情は余計な手間を掛けさせるなと言わんばかりだ。

 

「レディ・エーデルフェルト。君はこのホテルをどう思う」

「そうですわね、譲歩の範疇内と言ったところですわ」

「しかし教授。この時間ではカウンターも受け付けませんよ? 日本ならともかくここはフランスですし」

 

エルメロイは凛の意見に聞く耳持たないと言わんばかりにこう言い捨てた。

 

「トオサカシンヤ、君は荷物をこの部屋に持ってこい」

「了解です」

 

さすればグレイが異議を申し立てるのは当然だ。

 

「師匠、それは困るんですけど。シンヤさんと同室なんて」

「レディは彼女らの部屋だ。これを機に親睦を図ると良い。得るものもあるだろう」

「……え」

 

その反応は彼女にとって珍しいものだった。先の異種格闘戦騒ぎを思い出せば無理もない。そしてグレイは、凛とルヴィアを見た。そこに並び立つ金と赤はとても大きなものに見えた。噂に聞く金剛力士像とはこういうものなのだろう、彼女はそんな事を考えた。ルヴィアは腕を組み、凛は手招きし、満面の笑み。哀れグレイは怯えるのみだ。そしてその夜。勃発した争いは必然だ。グレイには身を挺し制止する以外の手段をもたなかった。そのホテルには“師匠の馬鹿”という嘆きの声が高らかに響き渡ったという。

 

「師匠のばかーーーーーっ!」

 

 

◆◆◆

 

 

シエルが立つその場所はその町の病院だった。規模が大きく、高度な医療設備も備えていた。無論警備システムも相応だ。暗示を使い警備員を誤魔化せても警備システムはそうはいかない。そこで彼女はその病院に属する信者に手引きを依頼した。暗示を使いつつ地下に降り扉を開ければ、吐く息が白い。霊廟であり冷廟というわけだ。その部屋には黒い遺体袋に収められた死者が所狭しと押し込まれていた。強いて言うなら寝台列車の下等客室だ。遺体袋に取り付けられたプレートにはバーコードと、アルファベットと数字から成る識別番号、そして名前が刻印されていた。記号が大きく名前が小さい。生前の名前は予備の識別名だと言わんばかりである。彼女は聖職者という意味では余りにもかけ離れた存在であったが、それでも死者がこの様な扱いを受けることに憤りがあった。

 

シエルは手元のリストとネームプレートを見比べた。外れである。次の遺体を見比べた。外れだ。それを数度繰り返し、とある遺体で手を止めた。リストとネームプレートの名前が一致していた。彼女はその遺体袋を持ち上げて、多目的ベッドに乗せるとチャックを降ろした。現れた彼は眠る者とはほど遠い形相だ。死に際に余程恐ろしい目に遭ったのだろう、事実彼の首筋には、二つの穴があった。頸動脈に達するそれは、まるで吸血鬼にでも吸われた様に見える。事実、その通りであった。シエルは聖堂教会のネットワークが捕らえた情報に従い、彼の処置をしに来たのであった。

 

彼女は指で十字を切るとその遺体に手を翳した。死徒に血を吸われた人間が、リビングデッドに成るには数年かかる。ただ例外もある以上、放置する訳にもいくまい。左手にある聖書を読み上げれば、その姿は聖職者に相応しかった。

 

「天に居ます父よ、御名が崇められ、御国が訪れ……」

 

その死体は燃えだした。火災警報器は無効化したので騒ぎにはならない。換気扇も動いているので、煙も暫く経てば消える。何も問題は無い。事実その遺体は浄化されていく。それでもシエルは憂鬱さを隠さない。この地に死徒が居る、と言う事だ。浄化され切った事を見届けると、彼女の携帯電話が鳴った。発信者はシエルの知る人物であった。もっとも知り合ったのはほんの数日前である。応答すれば携帯電話から聞えるその声は軽かった。

 

『シスター・シエル。タレコミが入ったよ』

「シスター・アーシア。何度も言いますけれど、もう少し品のある言葉を使って下さい。それに私は仕事中です」

『仕事ではなく、使命と呼ぶべきじゃないかな。シスター・シエルは誠実だけど、使徒としての意識に欠けるって』

「シスター・アーシアに言われたくありません。そもそも、その使命を邪魔する程の事なのでしょうね」

『槍の情報、これどうかな』

 

シエルの態度が変わる。それの回収は彼女の使命であった。

 

「その場所は何処ですか?」

『正確には誰か。トオサカシンヤだって。日本人みたいだけれど、知ってる?』

「すぐ教会に戻ります。良いですかシスター・アーシア。万が一遭遇しても交戦は控えて下さい」

『ふーん。シスター・シエルが慎重になるぐらいの相手なんだ。何処で知り合ったのかな?』

「ちょっとした偶然の出会いですよ」

『名前から男の人っぽいけれど、少し楽しみかな。どんな人なんだろ』

「シスター・アーシア」

『冗談だってば』

 

次のアーシアの声色は変わっていた。彼女の公私は際立っていた。

 

『これは我らにとって福音となりましょう。聖槍を取り返し、我らが父を恐れない愚かな者どもも、儀式も、一切を砕く。シスター・シエル。これは父が与えたもうた聖なる使命です』

「分っています」

『それでは急ぎ戻って下さい。父と子と聖霊の御名によって、AMEN』

「AMEN」

 

シエルは携帯を切ると溜息を付いた。“彼”があの姫にどのような目に遭わされているのやら、気が気でないというのに、三咲町に帰るのは暫く先になりそうだ。宮仕えのこの身を恨むのみである。シエルはもう一度深い溜息を付いた。

 

 

◆◆◆

 

 

陽も落ちた時刻9時。そろそろ町も落ち着く頃、ルヴィアのチームは競合相手を求めて彷徨っていた。その町のその地区は街灯もなく、信号も見当たらない。通る車道は辛うじて2車線を維持する程度の細い道だ。走る車両もなく、僅かばかりの店もシャッターを下ろしている。各家の窓から溢れる灯火だけが、その闇夜を照らしていた。静かなものだ。カツコツと靴音を鳴らせば、先鋒はルヴィア、次鋒凛、真也が殿である。真也が言う。

 

「グレイさんが酷い身なりだった理由が気になっているんだけれど。煤けていたし、あちらこちらがほつれていたし、憔悴していたようにも見えた。なにがあった?」

 

ルヴィアはしれっと答えた。

 

「何でもありません。レディ同士の秘め事に興味を持つなど悪趣味ですわ」

「そんな可愛げのある話なら、気にはしないんだけどね」

 

義姉は義弟に答えず、その代わりこう言った。

 

「レディ・エーデルフェルト。昨日向かっていた場所とちがうのよね?」

「ええ、そうですわね。町の中心を基点にすれば、時計と逆方向、大凡7時の位置と言えば良いかしら」

「キリング・フィールドに意味はあるのかしらね」

「わざわざ誘導してるんだ、それはあり得る」

 

義姉は己の肩越しに、義弟を一瞥すると、何事もなかったかの様に歩き始めた。

 

(無視か。どうしろってんだ、ほんとにもう)

 

ルヴィアの思わせぶりな視線は二人の関係に向けられていた。“何かがおかしい” 彼女の印象はそれに尽きた。きょうだいの居ないルヴィアには、きょうだい喧嘩の経験はもちろん見た事すら無い。その不可解さを上手く表現できないが、目の前の二人が作り出す雰囲気が、それではない事だけは漠然と知れた。真也は戸惑っていた。凛は意固地に見える。

 

ルヴィアは、凛と同質だという自覚があったが、その凛に対する真也の接し方が随分異なる。ルヴィアに臆面と言い放った昨日の真也にはとうてい思えない。そう、強いて言えば慎重、配慮、恐れ。血を分けた長年ともに育ってきた間柄の姉に、ここまで気遣うモノだろうか。

 

3人が3人の思惑を抱えたまま十字路を越えれば、ルヴィアの招待状が音を奏で始めた。彼女の手に在るそれには羅針盤が浮かび上がる。針の向きは方向を、その長さは距離を示していた。近づく程短くなる仕掛けだ。暫く歩き、針の縮み具合から、真也は距離に目処を付けた。

 

「なるほど、戦場を知らせるレーダーみたいな物か。この距離と方向なら少しあるな。ロアール川の向こうだ。急ごう」

 

真也が2人を急かせば、女性2人はマイペースであった。

 

「少し待たせるぐらいが丁度良いですわ」

「気があうわね、同感だわ」

「相手より先に到着すれば、現地の状態とか色々調べられる、と思うんだけど」

 

二人は歯車をかみ合わせたかの様な見事な同期で振り返ると満面の笑み。

 

「お願い致しますわね」

「任せた」

「……先行する」

 

彼は駆け出すと跳躍。夜空に消えていった。それを見ていたルヴィアは期待せずに聞いた。だもので呟く様だ。

 

「ミス・トオサカ。貴女の弟は何者なのかしら。身体強化と聞いていますが、詠唱はありませんでしたわよね?」

「私も知らないわよ」

「それはどういう意味ですの? 貴女はトオサカの当主で、シンヤは弟なのでしょうに」

「真也には心当たりがあるみたい。聞いてみたら? 気に入っているなら答えるかも」

「なんですの、その投げ捨てる様な言い方は」

「関係ないでしょ」

「そう、立ち聞きとはお行儀が成っていないですこと。勘違いの無い様に言っておくけれど、シンヤは家も貴女も大切にしていますわよ。それがご不満なのかしら」

「だから、辛いんじゃない。真也は割り切ってるみたいだけれど、永久に交わらないレールの様な関係なんてどうすれば良いのよ」

 

“姉弟であれば当然でしょうに” ルヴィアのその問いに凛は答えなかった。

 

 

◆◆◆

 

 

三つ目の道路を飛び越えた。14個目の屋根を踏み抜いて4つ5つの家屋を飛び越した。真也は左手甲に刻まれた符陣に魔力を籠めた。

 

「キャスター」

『状況は把握しております。その線上にはサン・プリヴェ・サン・メマン地区の教会があります。招待状が指し示した場所は恐らくそこかと』

「聖堂教会がこの儀式に参加している、ってのは考えにくいけれど」

『その教会には……使徒であろう人物が一人います。大規模な戦力は確認できません』

「分った。こちらは程々で良いから教授の方をトレースしてくれ」

『マスター。軽率な行動はお控えください。いたずらに凛様を煽るべきではないかと』

「なんだそれ」

『シスター(修道女)です』

「だからなんだ」

『僭越ながら、何らかの関係を持つのではないかと危惧しております』

「……あのな。しない。そもそも聖堂教は嫌いだ」

『手当たり次第の見境無しは、道徳上問題がありますし、私としても看過できません』

 

跳躍中の彼は、思わず姿勢を崩し、着地し損なうところであった。図らずとも、屋上で四つん這いだ。蛙の様である。

 

「……なんだそれは」

『同じ服装のいかがわしい書籍をお持ちでした』

「あー、そうだよ。俺が遠坂になったって聞いたAが“預かってたモノを返しに来ました♪”とわざとらしく送りつけてきた一件だな。思い出しても頭が痛いぞ、こんちくしょう」

『お忘れですか? 隠匿を図った事が、事態炎上の原因です』

「隠匿じゃない、極秘裏に処分しようとしただけだ」

『3冊目を取り出すとブザーが鳴る、この仕掛けは感服せざるを得ません。開梱した時点でマスターは投棄しない、これを見抜いたA様はなかなかの策士です』

「……ちょっと位いいじゃんか。あんな美人さんズに囲まれたら、折り合いを付けるのだって難しいんだからさー」

 

その教会には建物という意味での教会と、使徒が住んでいるだろう住宅があった。住宅街の中にありつつも広大な敷地があり、その敷地には墓石が並んでいた。真也が潜むのは教会を見通せる、街路樹の枝の中だ。いつか手に入れた暗視スコープで教会内を覗いていた。従者のその声は苦悩めいていた。

 

『葵様にお伝えしたくない状況です』

「なんて伝えるつもりだ」

『街路樹に身を隠し、シスターが居を構える夜の教会に望遠鏡を向けていた』

「任務上必要な偵察って言えよ。なんだその悪意ある表現は」

『マスターは全く以て従者泣かせのお方です。3年前も、今も変わりません』

「……昨夜連絡を袖にした事を根に持ってるな」

『いえ。このフォローをどうするべきか、それに苦慮しているのみです。マスター。進言をしても宜しいですか?』

「どうぞ」

『あれから3年です。経緯事情は理解していますが、これ以上の先送りは酷かと存じます』

「……そっか、やっぱりそういう事か。わかった。この件は俺が受け持つ。キャスターは手出し無用だ」

 

教会の敷地に沿い走る舗装道路は、2車線ある相応のものだ。敷地内には樹木が多数あった。その向こう側にはハイウェイが走っており、この時間でも交通量は絶えなかった。真也は身を躍らせ、着地した。そのまま堂々と歩き、その舗装道路に立った。門の前には教会に通ずる門である。黒い鉄パイプを交差させた柵の様な門が聳えていた。

 

『どうなさるおつもりですか』

「教会の敷地内で戦うのは避けたい。だからおびき寄せる。先方は戦う気があるから、敵とおぼしき俺がこうしてずっとガン飛ばしていれば気になるものだ。我慢が出来ず出てくるか、それとも俺をおびき寄せようとするかで大凡の性格も分る」

『マスター』

「なんだ」

『時々我が遠坂家を覗く不届き者が居るのですがご存じ?』

「ま、まあ。アレだ。あれだけ美人さんが揃えば仕方が無いんじゃないかな」

『その不届き者と行為が同じです』

「うっさい、っと。お出ましだ。消極的な性格では無いって事か」

 

暫くし一人の女性が出てきた。門をくぐり現れたその人は、黒色の修道服を纏っていた。ワンピースで頭巾はなく、襟、肩に短く白いケープをあしらっていた。パープルの髪は短かったが耳が隠れる程には長かった。ショートカットと言うよりは前下がりボブだ。見るからに若い。15,6歳で、女性という寄り少女が適当だ。その少女は真也が纏う真紅の外套に面食らい目を丸くしていた。

 

「うわ、こりゃまたど派手な人だ」

 

中身も若かった。

 

(マスター)

(大丈夫だって。俺は冬木市のテンナインって呼ばれた男だぞ)

(それは初耳です。どのような意味があるのですか?)

(ナンパ成功確率99.99……と9が十個並ぶ確率で失敗すると言う意味だ。ルヴィアの時みたいな奇跡は何度も起きない)

 

冬木市ではシスコンと蔑まれていたが、生憎とフランスなのだった。先入観は無いのである。

 

「お兄さん辛そうだね。あ、ひょっとして告解に来た? それとも入信かな?」

「色々と違う。そして色々の前に確認したい。シスターさんはクロムウェルの招待客か?」

「そうだよ。と言うことはお兄さんもそうなんだよね?」

「俺は関係者で参加者は少し遅れてくる。斥候という所」

「のぞき?」

「ちがうわ!」

 

どいつもこいつもと、頭を痛める真也であった。彼の反応に面食らい、何を思ったのかその若いシスターは身を屈め真也の顔を覗き込んだ。

 

「ふーん」

 

その眼差しは値踏みする様であり挑発しているようにも見えた。やりにくい、と言うのが真也の率直な感想だ。

 

「あのだな。そう無防備に距離を詰めるな。警告するぞ。今の君の場所は俺の間合いの内だ。つまり俺がその気なら君は為す術がない」

「キス、しちゃうとか?」

「天然だ、って言われないか?」

「時々言われるかな。酷いよね、そういう決めつけって」

「気にしたなら謝るけ、れ、ど。もう少し敵らしく振る舞ってくれるとありがたい」

「ふぅん」

「なんだ」

「お兄さんは思っていたのと違う。聞いていたイメージに近い」

 

真也の警戒レベルが一つ上がった。

 

「俺について聞いた事がある、ってどういう事だ」

「本隊のご到着かな」

 

シスターの視線が真也を通り越し、その背後に向けられた。その背後にある気配は二つ。例えるなら紙やすりでもあったし、ナイフでもある。いずれにせよ、お世辞にも心地良い感覚ではなかった。端的に言うなら刺々しい。

 

「シンヤ」

「真也」

「話していただけ」

 

シスターは関心した様にルヴィアと凛を見ていた。

 

「へぇー綺麗な人。お兄さんの恋人? 両手に花なんてやるね」

「ちがう。友人と姉」

「なら今フリー?」

「何でそんな事を聞く」

 

そのシスターはにんまり笑うとこう言った。

 

「私、お兄さんを気に入ったかも」

「……は?」

(マ、ス、ター)

 

 

◆◆◆

 

 

「はい、はーい。まずは自己紹介からかな。ご覧の通り修道女やってます。アーシアって呼んでね。よろしくおねがいしまーす」

 

彼女は舞踏会にでも居るかの様に一つ回ると、仰々しく真也に手を差し出した。握手を求められた。

 

「……」

 

戸惑うのは真也ばかりなり。だが敵意はともかく殺意は無い。彼は渋々それに応えた。手を上下に振りながらも、彼の言葉は苦悩に満ちていた。強いて言うならば高速道路。インターチェンジにある標識が理解出来ず、てんで違う方向に向かってしまい、困惑するドライバーである。

 

「聖職者にあるまじき軽い娘だな」

「あー、それって偏見!」

「礼拝でもそんな態度なのか」

「まっさかー。TPOは遵守するよ」

 

今がそういう態度で良いのか、真也はそう思ったが言うのを止めた。彼の苦悩を知らず、アーシアは招待券をぴっと取り出した。

 

「で、招待券を持っている人はどちら様? まさか3人がかりなんてしないよね?」

 

真也の言葉はとても重かった。威厳のあるという意味では無く、距離が掴めず、どう接しようか悩んでいる、と言う意味だ。

 

「シスター・アーシア」

「アーシアで良いよ」

「……シスター・アーシア」

「堅いんだね、お兄さんは。んーでも嫌いじゃないかな。お兄さんみたいなタイプ」

(モテ期到来?)

「「……」」

 

背後の威圧が痛い。

 

「不用意な発言は慎んでくれると助かる。ていうか、シスターは神と結婚してるんだろ。浮気は良くない」

「古いな-、堅いなー、でもいいな」

(それで良いのかカトリック)

「ね、そこの後ろのお姉さん方。私が貰っちゃっても良いよね?」

「ダメだ。主は自分で決める」

「主? 恋人じゃなくて?」

「どうでもいいだろ」

「主だなんて惜しい―。それにちゃんと自分で言うところが良いー」

「あのなシスターが見てる俺は一面に過ぎないぞ。そんな簡単に決めるな」

「あぁ、ますます惜しいー」

「どこがだ」

「一見軽薄に見えるけれど根は真面目だね。表面に囚われるなって気遣うところもマル。魔術師なんか止めて、聖堂教会に来ない? 大歓迎するよ」

「……」

「ん? ひょっとしてお兄さん、誰かに良いところを褒められた事がないのかな? それで戸惑ってる?」

 

事実であった。調子に乗らせじと罵倒された事なら事欠かない。

 

(マスター。注意してください。そのシスターは恣意的な振る舞いで何かを狙っています)

(分ってる。でも今の状態じゃやりにくいから、本音を引き出そう)

 

真也は腕を組んでムッスリと。

 

「軽薄な振る舞いと、根の真面目さで損をしているね」

「……シスター・アーシア。真面目な話をしたい」

「今まで真面目な話だったんだけどな」

 

嘘だと叫びたいのを真也は必死に堪えた。

 

「なぜ聖堂教のシスターがその招待状を持っている。何で受けたのか、と言う意味」

「決まってるよ。魔術師如きが天使様と話すなんて許せる訳無い。神秘、聖なる父は我らにのみ恵まれる、許される」

「なるほど。それは道理だ」

 

アーシアのその口調は軽いままだが、その言霊は重かった。

 

「もう一つ。この町に居るのはシスター・アーシア、貴女だけか?」

「それは秘密だよ」

 

真也は組んでいた腕を解いた。ここからは戦闘活動に突入だ。

 

「シスター・アーシア、一つ謝る。確かに貴女は神に仕える者だ」

「どうして?」

「嘘をつけないってこと。居るんだろ? 俺ら3人を前にして余裕で居られる程の仲間が」

 

アーシアから陽気な表情が消えた。彼女は数歩分飛び退くと、どこからともなく黒鍵を取り出した。構えた。右手に4振り、左手に3振り。アスファルトに落ちる影は十字を結んでいた。

 

「聖堂教会 第八秘蹟会所属 アーシア。我が使命は、神の御姿を見ず、神の御言葉を聞かず、神の御心に背き、罪を重ねる一切の愚か者どもに、神の威を知らしめること」

「そうか。それが君の本当の姿か。代行者でもあるんだな」

「滅ぼす」

「シンヤ、下がりなさい」

 

ルヴィアが歩み出た。何時もの様にロイヤルブルーのドレスだというのに、その歩調はローマの重装歩兵を彷彿とさせた。

 

「そのシスターは私の相手です」

(マスター!)

 

キャスターの警告と何かが光ったのは同時だった。その脅威はそれ程の速さであった。真也はルヴィアを抱きかかえると跳躍した。ルヴィアが立っていたその場所に雷が落ちたのである。事実そのアスファルトには4本の黒鍵が突き立てられていた。真也は抱えたルヴィアを降ろすと、義姉とルヴィアと、2人を同時に守る様に立ちはだかった。彼の口調は皮肉そのものだ。

 

「久しぶりだ。また会いたくはなかったよ、シスター・シエル」

 

その埋葬機関の代行者は月を背後に立っていた。

 

 

 

 

 

つづく!

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