赤い林檎を蹴飛ばしたら   作:d1199

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七話

月光を背に道路に落ちるシエルの影は長かった。その様な些細な現象が非常に気に掛かる。それほどまでにシエルの放つ殺意が強かったのである。ルヴィアと凛はシエルを警戒したい本能を抑え、アーシアに向いていた。真也は2歩進み、そして止まった。

 

「宣戦布告無しの攻撃とは、シスターにしては気が荒い」

「貴方の実力を踏まえた上での警告です」

 

アスファルトに突き立てられた黒鍵が倒れた。威力の余りアスファルトが砕けたのだった。シエルは真也を目で捕らえつつ、こう告げた。

 

「シスター・アーシア。私を待て、そう言った筈です」

「異教徒を目の前にして待つ事など出来る訳が無い」

「後で話があります。遠坂真也さん。槍を渡して下さい」

 

“しゃらん”と堅く乾いた音がした。真也は霊刀を展開、抜刀、構えていた。

 

「持っていない」

「それが返答ですか」

「そうだ」

「あの時は退きましたが、今度は見逃せません」

「姉さん」

「こっちのシスターは任された。そっちのシスターは任せた」

(ねぇさん、とは。私など心にないと言わんばかりですわね)

 

ルヴィアは人知れず落胆をした。一瞬きの間にシエルと真也の姿は消えていた。二人がどの方角に消えたかなど分かりはしないというのに、凛は月を見つめていた。その呟きは呆れとやるせなさだ。

 

「あれがシスター・シエルか。真也みたいなのが二人も居るなんて世の中広いわ」

「全くですわね。さてシスター・アーシア。今この状況は聖杯戦争から逸脱していると判断します。槍の争奪は無関係である以上、互いに退くことを提案いたします」

「神に背く者を目の前にして退く理由などない」

 

右手に4振り、左手に3振り。黒鍵を構えるアーシアの殺意が膨れあがった、その瞬間だ。彼女を無数のガンド、フィンの一撃が襲った。射撃時間はどれ程の時間だったのだろう。一分だったかも知れない。それとも10分ほど有ったかも知れない。或いは、ものの数秒か。射撃が収まった時、アーシアの足下にあるアスファルトは至る所に穴が開いていた。数メートル後ろにある石の塀も、見るに耐えない有様である。ルヴィアは右腕を、凛は左腕をアーシアに向けていた。

 

二人はその腕に最大級の威力を籠めていた。片方が威を落とし連射・牽制とする、そしてもう片方が本命の重い一撃を撃ち込む、そのような連携事は一切考えず、力の赴くまま撃ち込んだ。二門のガンドが生み出す総合火力は25ミリチェーンガンなみだ。A君がこの場にいればM242ブッシュマスターと叫んだかもしれない。つまりルヴィアと凛は臨戦状態(アサルト・モード)だ。凛の態度は猛々しい。高慢かつ尊大だ。

 

「聖杯戦争と無関係なら、私も相手にする事になるけれど?」

 

ルヴィアも似た様な物である。

 

「シスター・アーシア。今の貴女の使命はなにかしら。私たちを倒す事か、それとも槍を回収する事かどちら?」

 

アーシアは不承不承の体である。

 

「分かりました。その口車に乗ってあげます」

「今ひとつ。シンヤからは手を引きなさい。聖堂教会に引き渡す位ならエーデルフェルトが優先権を持ちます」

「……あれは作戦だよ。本気にしちゃって馬鹿みたい」

 

そう言うとアーシアは教会の中へ消えていった。二人が腕を下ろす様はリボルバーをホルスターに納めるガンマンそのものだ。凛は腕を腰に添えて胸を張る。その表情には不平不満が現れていた。

 

「逃がす理由は無かったんじゃない?」

「シスター・シエルは槍を探していた。それにも関わらずこの町にいる。つまり聖堂教会は聖杯戦争以外にも目的があるようです。今は事を荒立てる時ではありませんわ」

「レディ・エーデルフェルト。真也と何やった訳?」

「リバプールの一件です。気になるかしら?」

「別に。真也から直接聞くから良いわよ」

「今は喧嘩中なのでしょうに」

「嫌な性格してるわね,アンタ。逃げ道が無い事を知って、聞くなんてさ」

「家族を捨てられないと拒絶されたのだから、これ位の報復は可愛いものですわよ」

 

ルヴィアは手短に、掻い摘まんで凛に話した。

 

「と、言う訳です」

「聖堂教会と悪魔崇拝者が繋がるとは思えないけれど、どこで槍の事を知ったんだろ」

「それは同意ですわね」

「真也を待つしか無いか」

「ミス・トオサカ。シンヤを追いかけますわよ」

「どうやって?」

 

ルヴィアはキャスターの存在を知らないのだ。

 

「シンヤに通信用の鉱石を渡してありますからトレースできます」

「そう、仲良いのね」

「それなり、にですけれど」

「ねぇ。真也が遠坂という枷から外れて、アンタと共にありたいって言ったらどうする?」

「それは、どのような意図を持った発言かしら」

「別に言ってみただけよ」

「ミス・トオサカ。良い機会ですから伝えておきます。貴女を前にしたシンヤは私を気遣いもしない。これの意味に気がついていますの?」

「分かってるわよ」

「ならば今後それに類する発言は今後慎みなさい。不愉快です」

(そう。まんざらでもない、って事か)

 

 

◆◆◆

 

 

シエルの目的は槍の回収である。無益な殺生は望むところではないが、真也を殺してしまっても問題は無い。その時はルヴィアを問い正すだけだ。そのシエルと真也の二人は、夜の住宅街を、一定の距離を保ったまま平行に駆けていた。目の前に民家があれば跳躍した。屋根を踏み抜き、次の屋根に渡った。申し訳ないとは思いつつ、自動車のボンネットに着地し凹みを付けもした。シエルが見る真也は身を宙に躍らせ、民家と民家の間に消えた。誰かの庭に降り立ったのだろう。事実、直後に再び姿を現した。シエルの速力は全力ではないがそれでも一般人を遥かに凌駕する。強化した魔術師でも辛いだろう。ところが真也にも辛さは見えない。

 

さてどうする。シエルにとって真也は初めての相手である。日本刀を持っている事から剣を使う事は分かるが、果たしてそれだけか。何よりあの黒縁めがねが妙に気にかかる。万が一“彼”のアレと同じだとしたら接近戦は危険だ。厄介きわまりない。言い換えれば、近づけさせなければ問題ない。

 

真也がコンクリートで作られた住宅、その屋上に着地した時、その足下に黒鍵が突き立てられた。ゆっくりと顔を上げれば、屋上の中心を挟んだその対面にシエルが立っていた。彼女の背後に広がるのは夜の町である。灯火は点々としており、幻想的な地下都市を彷彿とさせた。

 

「遠坂真也さん。もう一度聞きます。槍を渡してくれませんか?」

「持っていない、さっきそう言ったぞ」

「いいえ。貴方は持っている筈です。普通は“槍とは何のことだ”そう聞きますから。リバプールで会った時、私は槍だと一言も言いませんでした。私たちが槍を探している事を何故知っているんですか?」

 

それは敵対関係が避けられぬ物だと確定した瞬間だった。

 

「シスターが槍を探しているなんて初めて知った。俺らも持っていない。だけれど、」

「それ以上の発言は慎んでください。一度失った信頼を取り戻すのは困難です。貴方は嘘を付いたのですから」

「そりゃ、ごもっとも」

 

夜の町を駆ける真也とシエルは同期していた。シエルが着地していれば、真也も着地していた。シエルが跳躍していれば、真也も跳躍だ。真也の足が地に付いている状態で投擲したところでその効果は限定的だ。地を蹴り躱すか、弾くのみである。であるからして彼女は、空中で右手にある黒鍵4振りを撃ち放った。地に足をつけないと投擲の精度が落ちる、空中で投擲はできない、真也はそう踏んだのだろう。驚いた顔こそ見せなかったが焦りは窺えた。生憎とその程度では埋葬機関は務まらないのだ。

 

シエルが放った4振りは真也の頭と胸と腹と脚を狙っていた。最初の黒鍵は刀で弾いたが大きく体勢を崩した。彼女の筋力はA。その投擲は重かったのである。真也は即座に回避方法を変更した。彼は飛来する2刀目を柄で受け止め、その重さを利用し、跳躍の軌道を大きく変えた。もちろん回避の為だ。その結果3刀目は躱した。4刀目は躱せない、だから脚の裏で刀身を蹴飛ばした。反動で彼はそのまま頭から落下した。暗い住宅街に真っ逆さまだ。ガサリと樹木の葉を散らす音がした。バキリと樹木の枝が折れる音がした。仕留めてはいない、その確信があったシエルは、三階建ての民家の屋根に立ち、落下地点を見下ろした。左手の3振り、そして追加装填した右手の4振りを構え、そこに撃ち込んだ、その直前だ。

 

「Restraint legem limited release!(拘束術式限定解除)」

 

目下の暗闇から現れたその人物は、シエルに刀を打ち下ろしていた。それは彼女の予想を大きく上回る速度であった。地上から3階建ての屋上に一瞬で跳躍、到達したのである。できる事ならば手の内は明かしたくない、化け物ならともかくシエルは生きている人間だ。可能なら殺したくはない。だがその願いは甘い事だと、彼は悟ったのである。当然だ。真也が倒されればシエルはルヴィアを狙うに決まっている。我が身可愛さに、ルヴィアを見捨てる義姉ではない。あの二人の力を持ってしてもシエルには勝てない。槍を持っていないと否定してもシエルは聞き入れない。彼女が退かないのであれば、倒すより他はない。だが真也の表情は苦渋に満ちていた。

 

真也の打った一撃はシエルが追撃の為に構えた7振りの黒鍵を砕いた。黒鍵はそもそも斬る為の武装ではない以上それは当然だ。だが役目は果たした。真也の霊刀がシエルの黒鍵を砕く反動を利用し、彼女は彼の間合いの外に出たのである。跳躍中にシエルは次弾装填、一振りだけ打ち込んだ。流石に7本揃える余裕はないがそれで十分だ。打ち振るった直後の真也に追撃の余裕はない。体を振るより刀を振るった方が早い。シエルの一振りを弾いた時、彼女は7本の黒鍵を構えていた。その距離は真也の間合いの外である。忌々しいは過剰だが、シエルの丁寧な戦い方に真也は嫌気を隠さない。

 

シエルもまた険しい表情を見せていた。彼女の警戒レベルは完全な戦争準備態勢(デフコン1)だ。その瞳に映る男はどこの誰かは知らない。だが手を抜いて勝てる相手ではない、そう判断したのである。強い風が吹いた。シエルの修道服が風になびき、真也は首を小さくかしげた。騒ぎを聞きつけた住人が、バットとパイプとナイフと、思い思いに武装し屋外に現れた。二人の姿は消えていた。

 

真也が踏み込めば、そうはさせじとシエルは黒鍵を撃ち出した。シエルより真也の方が速いが剣の間合いは短い。真也は近づけなかった。古き石造りの家を飛び越え、近代的なマンションの屋上を走り抜け、車道を降りては、また跳躍。二人はそれを繰り返していた。互いに決め手を欠いていた。真也はシエルの弾切れを狙っていた。だがそれはシエルも承知である。彼女とて仕留めたいが真也はすばしっこすぎた。広い町中というフィールドは分が悪い。紺藍のシエルの髪がなびき、その前髪の隙間から覗く青い瞳はハイウェイを捕らえた。

 

彼女の背後に真也の気配が迫る。シエルはアパルトマンの屋上を蹴りつけ、大きく跳躍し、空中前転。頭を地に向けて、足先は天に向け、右の4振り、左の3振りを真也に打ち込み牽制とした。ウルトラC級の荒技だ。彼女はそのまま前転しきると小規模の公園に着地し、再度跳躍した。彼女の跳躍は樹木を掠め、枝と葉を鋭く揺らした。彼女が降り立った先は、その町を走るオートルート(高速道路)である。真也が遮音外壁を乗り越え、その上に立った時、シエルはトレーラーの上に着地したところだった。

 

そのトレーラーは貨物輸送用の大型コンテナを運ぶ車両だった。セミトレーラーである。運転席とエンジンがある自動車がトラクター、その荷台がトレーラーである。定員数が乗車し、最大の荷物を積めば、トラクターが25トン、トレーラーは28トンに達する大型の牽引車両だ。

 

真也は即座に跳躍しSUVの上に降り立った。トレーラーよりは速いだろうという判断である。屋根から聞こえた異音にドライバーは右往左往していた。それを知ってか知らずか、真也が見上げればシエルはコンテナの上に立ち、静かに見下ろしていた。彼がちらりと周囲を一瞥すると走行車両はそれなりにあった。後続車両の搭乗者がシエルと真也に気づき目を白黒させていた。じっとして、写真に納められても面倒だ。真也はSUVの天井を蹴飛ばすと跳躍した。凹みに申し訳なさを感じつつも、シエルの乗るトレーラーに取り付いた。コンテナの屋根に降り立った真也はゆっくりと立ち上がった。自家用車5台分は離れたその前方にはシエルが立っていた。彼女の両手に黒鍵が光っていた。強い女性は好みだが、こうも並外れていると流石に手に負えない。彼は苦笑しつつこう言った。

 

「跳躍中に迎撃すると思った」

「トレーラーから落ちた場合は、後続車両を足場にするつもりだった、違いますか?」

「ご名答」

 

真也は切っ先を下に後方に脇構え。シエルは黒鍵を構えた。

 

「それよりも私の誘いに応じた事が意外です」

「そう?」

「ここは広くありません」

「そだな、足場が狭い分避け難い」

「そうですか。何かを狙っているんですね」

「簡単。確かに躱す程の足場はないけれど、飛び跳ねる必要はないんだ。これだけ大きな車両なら、多少踏ん張っても不安定にはならない。何より逃げ場がないのは、シスター・シエル、貴女も同じだ」

 

シエルはトレーラーの前部、真也は後部に立っていた。トレーラーが橋げたを潜る、それを合図に真也は踏み込んだ。さて、二人はどう攻める。真也が回避の為に跳躍すれば格好の的だ。コンテナから落ちた場合、足場となる都合よく後続車両・併走車両も期待できない。真也は真っ直ぐシエルに向かうしかない。事実真也はその方法をとった。シエルの敏捷はB、真也はA。彼を補足する事は難しいがそれは条件次第である。二人が立つコンテナを真上から見れば長方形の足場だ。ならば面で攻撃すれば良い。

 

シエルはまず右の4振りを地面に対し平行に、扇状に放った。距離が離れていた事もあり、真也は体捌きを以てその隙間をかいくぐった。シエルはその4振りの隙間を埋める様に、左手の3振りを撃ち放った。つまりは間撃である。真也は躱しきれず弾いた。だがここは踏ん張りがきく。真也の踏み込み、突進力も有効打となる。シエルの黒鍵の刀圧で、威は削がれるが前には進む。シエルの切り返し速度より、真也の斬撃速度が上回る距離となった時勝負が決まる。投擲しては躱し、投擲しては弾き、そして距離を詰める。その応酬を繰り返した。

 

目の前のシスターはずいぶんと消極的だ、真也はそう思ったが、そのまま追い詰める事にした。なにか切り札を持っていようと、この状況において、真也には他の手段が無いのである。彼は踏み込み、斬撃を打ち込むのみだ。シエルが放ち、真也は躱し、シエルが放ち、真也は弾いた。放ち、弾き、放ち、弾き。シエルの敗北を意味する間合いの1歩外、弾いた黒鍵には魔術が付与されていた。

 

「聖職者が魔術?!」

「驚きましたか?」

 

どのような魔術か知らないが、シエルは目と鼻の先だ。発動しきる前に仕留める。ダメージを覚悟で真也は踏み込んだ。時間が惜しいと真也は突の構えで突進だ。続けてシエルが撃ったのはゼロ距離投擲。その黒鍵は真也の左二の腕を貫いた。それにも魔術が付与されていた。ここにシエルが付与し、撃ち込んだ黒鍵は2振りある。それぞれには別の種類の魔術が掛かっていた。

 

真也の突はシエルの左肩を切り裂いた。つまり真也の一撃は外れた。なぜなら、彼の目の前にカラスが居たからである。シエルの一つ目の付与はカラスを呼ぶ“鳥葬式典”だった。その鋭いくちばしは彼の左頬を切り裂いた。それは隙に他ならない

 

「っ!」

 

至近距離での死線が交差する。シエルは足下のコンテナを踏み抜いた。真也は185センチ、シエルは165センチ、懐に潜り込むには好都合だ。シエルの掌底が真也の鳩尾を貫けば、彼の横隔膜が一瞬止まり、呼吸が強制停止させられた。続くはシエルのコンボである。流れる様な動作で、刀を掴む真也の右手首を掴み、更に踏み込み、体を捻り半回転、そして密着。一本背負いの要領でコンテナの天井に真也を叩き付けた。その威力は如何ほどのものか、鋼板の天井を突き破り、彼はコンテナの中へ落下した。その衝撃で霊刀は真也の手を離れ、車道に落ちてしまった。

 

シエルが追撃の為、開いた穴に飛び込むと真也は仰向けでひっくり返っていた。彼女に打たれた鳩尾へのダメージが残り、喘いでもいた。シエルはそのまま追い打ちを掛けようと、体重を乗せて蹴りを打ち込んだ。真也は転がり躱した。彼は背中を駒の軸とし、全身を回転。脚を猛烈な速度で振り回した。逆さ竜巻旋風脚である。荷物である家電製品の箱を蹴り飛ばした。その様は竜巻に翻弄される諸々の様だ。シエルは箱を叩き続けた。最後の箱を受け止め、放り投げた時、竜巻が収まっていた。狭いコンテナの両側面に積み上げられた家電製品の箱、それが作るその細い通路の先に真也は立っていた。

 

彼は左二の腕に突き刺さった黒鍵を引き抜くと放り投げた。ダメージは鳩尾を打たれた分と、左二の腕の穴、そして霊刀だ。彼の言葉は悪態の権化であった。

 

「あぁもう、わかった。聖職者は格闘技が必須科目なんだな」

 

真也が吐き捨てた唾には血が混じっていた。

 

「そんな訳ありません。大多数の聖職者はこの様な荒事とは無縁ですから。遠坂真也さんが知っている聖職者が誰かは知りませんが、偶々そういう人だっただけです」

 

シエルは思い至った様に、合点いった様に、鋭く真也を見定めた。

 

「……そうですか」

「勝手に納得するない」

「我々の敵なんですね」

「その敵というのは槍限定だよな?」

「いえ、聖堂教の敵、という意味です」

「確かに刃を交えた事はある、聖堂教も信じてはいない、けれどそれだけで敵扱いは単純すぎないか? 単純に、仕事上のライバルと言ってもらえると助かるんだけれど」

「その左腕の傷はもう治っていますから」

「治癒は大半の魔術師ならできる」

「その傷を作った2刀目の黒鍵には、土葬式典、つまり石化の意味を乗せていました。一流魔術師はおろか、並の死徒ですら免れない神の罰ですよ? でも貴方は生きている。何者ですか?」

「秘密」

「いずれにせよ、神の摂理から反する存在は見逃せません」

「それで化け物扱いするならいいさ、慣れてるし。けれど、その化け物と逼迫してるシエルさんは一体何だ。その摂理に反していないとでも言うのか」

「秘密です」

「どうせ、教義にある矛盾に目をつぶってるだけだろ。ほら、神様が完全なら化け物なんて居るはずがない。それでも存在するなら、化け物は神に認められた存在だ。でも化け物は信者を苦しめる。親を、子を、姉弟を、恋人を、妻を殺す。神が信者を苦しめる、それは人々に罪があるからだ……この殺し文句は聞かないわな。幾ら何でも愛する家族の死が当然だと、それを認める神を信じるわけにはいかない。つまり、神は完全などではない。或いは信者の絶対の味方などではない。太古から存在する、善性と悪性をもつ地方神と同じだ」

「聞き咎めました」

 

それは真也の挑発であった。可能なら魔眼の使用は避けたいのである。真也は積まれた家電の箱を蹴飛ばしてシエルが放った4振りの黒鍵を逸らした。テレビやら、ビデオレコーダの成れの果てが砕けて舞っていた。シエルは左手の3振りを携え真也に肉薄する。

 

(右手に黒鍵の補充をしない、そろそろか)

 

シエルの狙いは障害物のない至近距離から黒鍵を放ち、真也をコンテナに縫い付ける。霊刀を失った真也の驚異は格段に落ちている以上そう難しくはない。だがどうした事か、真也は跳躍するとコンテナの内壁を蹴り飛ばした。コンテナの質量に対する真也のそれは格段に小さい。だが筋力Bが生み出す運動力は膨大だ。跳躍し、小舟の縁を蹴ればどうなるか、その想像はたやすいだろう。トレーラーはバランスを崩し大きく揺れた。高速機動中であったシエルもまた大きくバランスを崩した。それは隙である。真也は彼女の頭部に回し蹴りを撃ち込んだ。シエルはコンテナの内隔壁に叩き付けられた。頭部への衝撃でその左手に持っていた黒鍵を落とした。手応えはあった。仕留めたか、真也が脚を緩めると、コンテナの隔壁をなす鋼板はその衝撃で凹んでいた。その凹みから覗く、シエルの片方の瞳は真也を捕らえ鋭利に光っていた。ドクンと真也の鼓動が一つ大きく打鳴った。つまり、肉弾戦の開始という事だ。ゴングが鳴った。

 

 

◆◆◆

 

 

フランスの高速道路を疾走するのは、地方自治体に所属する地方警察である。“高速道路を走行する車両の上に人が居る” その通報に応じ駆けつけたのであった。しばらく走ると妙なトレーラを補足した。そのパトカーには二人の警官が乗っていたが、何が妙なのか具体的に分からない。ただ、漠然とした不安を感じ取っていた。一拍。ハンドルを握る警官が口を開いた。不安を払うかの様である。

 

「おい、アレじゃないか?」

 

助手席の警官が備え付けの端末を叩いた。

 

「ナンバーは合ってる」

「とにかく、停止させよう」

 

その時だ。トレーラが運ぶコンテナの左側面が何の脈絡もなく膨れあがった。まるで内側からどでかいハンマーで殴られたかの様だ。経験に無い、常識の外の現象に警官たちが目を丸くする。その衝撃でトレーラーは蛇行を始めたが、その意味に気がつかなかった。続けて反対側の右側面が膨れあがった。その二つの衝撃はトレーラの安定しようとする能力を超えた。姿勢が大きく乱れ、くの字に曲がった。ジャックナイフ現象だ。

 

本能的にパトカーは回避行動に入る。急減速、二人の警官がフロントウィンドウ越しに見えるトレーラーは片輪が浮き上がり傾いていた。横転する直前、コンテナの後部ハッチが爆発した様に吹き飛んだ。目の前にバキュラ(空中を飛ぶ板状の障害物)が迫る。緊急回避。パトカーのサスペンションが悲鳴を上げる。タイヤがグリップ力を失い、スリップする。バキュラがパトカーを掠め天井にあるパトライトを破壊した。まさに生死を分けた一瞬である。

 

神業的なハンドル捌きと幸運で、バキュラと横転したトレーラーをやり過ごした警官二人は一拍の後無線で応援を呼んだ。逆走するわけにもいかず、路肩にパトカーを止める事にした。助手席の相棒が伝える通信は、訓練通り正確であったが、その声調は激しかった。九死に一生を得たのだ、無理もない。

 

「こちら765号、重大事故発生! 至急応援求む! 場所はオートルート71号線……」

 

運転席の警官はハンドルを何度も握り直し、己の精神を落ち着けると、あの一瞬を頭の中で何度も再生した。

 

(人が飛び出した様に見えたが、気のせいか?)

 

もちろん、気のせいなどではなかった。

 

 

◆◆◆

 

 

時を遡る事一刻。シエルに襟首を掴まれ、コンテナ内で投げ飛ばされた真也は後部内壁に叩き付けられた。ハッチをぶち抜き、空中に投げ出された。真也は手足を振り、姿勢制御。アスファルト道路が頭上に見える。右手を差し伸ばし、時速110kmの速度で流れるアスファルトの道路を弾き支えとした。エアホッケーでもするかの様である。空中で一回転。脚での着地に成功したが、勢いを殺しきれず、バランスを崩しそのまま転倒し、転がり続けた。長い階段を転がり続ける段ボール箱の様だ。

 

シエルはコンテナより跳躍。宙を舞うバキュラに両足の裏をつけると、道路に着地し滑っていった。サーファーそのものである。ただし、弾くのは水飛沫ではなく、アスファルトと鋼板との摩擦によって生じる火花であった。

 

真也が転がり、弾け、ようやく落ち着けば、高速道路のど真ん中だ。高速道路はすでに高速の意味を持たず、自動車は、あちらこちら、てんでばらばらに停車していた。照明灯を持たない高速道路で、明かりは自動車のヘッドライトのみだ。指向性を持ったその光は満遍なく照らす事はなく偏っていた。子供の部屋でももう少し片付いているだろう。中年男性がセダンから飛び出すと駆けだした。怪我人を見つけたのだ、放置はできない。その怪我人は赤いコートを纏い、手足をだらりと伸ばし、うつ伏せに倒れたいた。

 

「こりゃいかん」

 

慌てて駆け寄ればその怪我人はむくりと起き上がった。

 

「……思い出した。この展開はファンムービーのターミネーターVSロボコップだ」

 

意味不明な事を口走っていた。事故による衝撃で冷静さを失っている、もしくは頭を打ったのかも知れない。その中年男性は怪我人の顔をのぞき込んだ。その人物はハーフだ。北欧系に何かが混じっている。

 

「おい。大丈夫かね」

「ええ、何とか」

 

その怪我人はそうは言うものの、酷い身なりであった。真紅の外套は穴が開き、裂けていた。口には血を吐いた後があった、左腕には出血の痕も見られる。体を痛めたのか、立ち上がるその姿勢は歪だ。つまり、よろめいていた。

 

「事故で自動車から飛び出したんだな。痛みは麻痺しているだけで骨折しているかもしれない。救急車が来るまでじっとしていなさい」

「お気遣いには感謝の言葉もありません。ところでこの辺りに大規模に工事している場所はありませんか?」

「この先のロアール側の橋で大規模改修をしているが、それがどうかしたかね?」

 

応援のパトカーと救急車のサイレンが彼方より聞こえ始めた。サイレンに気をとられたていた中年男性が、その怪我人を思い出せば忽然と消えていた。

 

 

◆◆◆

 

 

その橋は海面から橋げたまでの高さが、50メートルはあろうかという巨大な吊り橋であった。その橋は車道の下に複数のフロアを持っていた。階層構造である。元来持つ鉄骨に、鋼板の床や鋼板の壁、改修従事者の事務所、詰め所。安全柵や、工事車両走行用の道路が設けられていた。最外殻には壁はなく、外を見る事ができた。言い換えれば吹き抜け構造で、川の水面を走る川風で吹き曝しだ。陽も落ち数時間経過すれば作業員はおらず、最低限の照明が灯るのみである。

 

その雰囲気を例えるならホラーゲームであろう。例えるなら、北海に浮かぶ油田プラント、深海基地、南極基地、はたまた巨大な宇宙船。主人公は何故か基地に点在する火器を駆使し、モンスターを倒しながら基地から脱出するのである。その、のっぴきならない基地風橋げたの中で、身を潜めるのは真也であった。手にあるのは鉄パイプ、心許ないが素手よりはマシだ。

 

それよりも問題なのは魔眼使用の判断である。使わずに済むならそれに越した事はない、というのが彼の新たなポリシーだ。特に攻撃において、殴って殺せば遺体は残るが、魔眼を使えば跡形なく消える。死徒、悪霊、ならともかく、通常人間にはその人を知る誰かが居る。忽然と消え、何の手がかりも遺品も残さず、永遠に行方不明という事実は、精神的に相応の負荷を与える。事故で死んだのか、殺されたのか、浚われたのか、誰かが悪いのか、自分が悪いのか、回答のない状態は酷であろう。

 

何より幾度となく魔眼を使い、それに慣れてしまうのが恐ろしかった。ただ突けば消える、血も出さず、苦しむ事もなく、死の恐怖を感じる事すらなく消える。殺しの罪悪感が薄れる事だけは避けたかった。

 

この状況に至る真也の言い訳という自己弁護は次の通りだ。魔眼の威力は桁外れだが、線を斬るか点を突くより他はない。剣士である真也には近づくのみだ。住宅街での戦闘はシエルの黒鍵により近づけなかった。ハイウェイを走るトレーラ、つまりコンテナの上でも同じである。

 

そしてコンテナの中。可能なら拳骨で黙らせる、それは誤りだと悟った。シエルの身体能力は油断ならない。真也の見立てでは、敏捷は1ランク勝るものの、耐久は同程度、筋力はシエルが1ランク上だ。信じられない事だが事実であった。霊刀が手にない今、魔眼を使わずに勝てるかどうか、非常に判断が難しい。

 

「キャスター。シスター・シエルの位置は追えるか」

 

戦闘をトレースしていたキャスターは胃の痛みを感じていたが真也は知るよしも無い。

 

『マスターより200メートルの位置です。真っ直ぐそちらに向かっています。武装は黒鍵ではなく鉄パイプです』

「離れていても敵の位置と状態が分かるってのはありがたいよな」

『何故マスターの位置が追えるのでしょうか』

「彼女もそういう人間だって事なんだろ。血の臭い、戦場の雰囲気、殺意、そういったモノに対する嗅覚があるって事だ。ある程度近づけば、彼女も俺の気配を悟るだろ。いや、俺がやる気である以上、ここで待ち構えていると踏んだんだろうな」

『厄介な相手です』

「確かにな。ところでルヴィアと姉さんは?」

『自動車を調達しそちらに向かっています。トレーラーの横転により、高速道路が通行止め。下道が渋滞しております。霊刀の回収には成功しましたが、そちらへの到着時間は1時間は掛かると推測します』

「自動車の調達ってタクシーか?」

『いえ、奪いました。悩ましいポーズで自動車を止め、暗示で強奪です』

「あ、そう」

『因みにルヴィア様が運転しておられます。どちらがハンドルを握るかで揉め、時間を浪費しました。全く、近頃の魔女ときたら。まだあのラ・ヴォワザンの方が……』

「キャスター」

 

真也の指摘にキャスターは一つ咳払い。

 

『これより如何なされますか』

「当然迎え撃つ。魔眼を使うからしばらく通信できなくなる。それを前提に動いてくれ」

『凛様らを待つべきでは?』

「シスター・シエルは気配遮断の術を持っているけれど、使わないって事はその術と攻撃は併用できないって事だ。つまりある程度近づけば俺だけでも敵の位置は探れる。援軍はシスターも想定済みに違いない。このまま逃げたら、またどんなタイミングで強襲されるか分かった物じゃない。ここでケリをつける。質問はあるか?」

『マスター。その魔眼は強力ですが、性質を考慮すれば対応手段を講じる事が可能です。奇襲をもって一撃で仕留めてください』

「分かってる」

『……ご武運を』

 

真也が眼鏡を取ると、左手甲に刻んだ術式が沈黙した。魔眼の神秘が重すぎ、他の術式を喰らってしまうのだった。世界に黒い点と線が現れた。人間の全身に走る血管を透かして見ている様でとても不快だ。その線が赤ではなく黒いところがまた気分を陰鬱なモノとする。真紅の外套の袖にはナイフが仕込ませてある。魔眼の存在を知らず、格闘術に秀でる彼女であれば、真也の接近を歓迎するだろう。鉄パイプを打ち込み、シエルの鉄パイプを弾き、シエルの死の点を突く。それが段取りだ。

 

“俺は彼女の死の点を突く”

 

それを何度も繰り返した。3年前の彼ならあり得ない躊躇いだ。彼の心中知ってか知らずか、シエルがその場に達した時、彼女もまた真也の気配を察知した。少し歩けばおおよその場所も探り当てた。彼女はぴたりと足を止めた。シエルは通路の真ん中だ。真也は十字路のコーナーに隠れていた。しばしの沈黙が流れる。根を上げたのは真也であった。その声は苦笑じみていた。

 

「互いに互いの場所が分かるってのは面倒だな」

「諜報、潜伏、向いていませんね、お互いに」

「そだな。ならこれから仕掛ける。三つ数えたらでよろしく」

「姿を見せたらどうですか?」

「手品のタネは隠すものだ。とっておきを見せるよ。シスター・シエルの驚いた顔ってのも興味がある」

「楽しみにしています。私もその考えに賛同ですから」

「1」

「2」

「「3」」

 

真也が飛び出し、シエルの鉄パイプを弾こうとすれば、目の前に消火器があった。彼女はしてやったりの顔で、消化剤を真也の顔に向けて吹き付けた。彼女が手にする物は鉄パイプではなく消化器であった。キャスターはその事実を伝えたかったが、通信ができなくては伝えようもない。シエルが思い至ったタイミングと、魔眼殺しを外したタイミングが明暗を分けた。

 

 

◆◆◆

 

 

橋げたは吹き抜け構造だ。加えて川を走る風もあり、消化剤はすぐに吹き飛ばされたが、真也の目に入った分はそうはいかない。目を潰された真也にシエルの気配が迫る。彼は彼女の右拳を、左腕で捌いた。次にシエルは真也の右拳を、左腕で捌いた。シエルは身をかがめ、踏み込み、迎撃の真也の左腕を躱すと右肘を打ち込んだ。真也は打撃を諦め、左肘を以て、シエルの右肘を受け止めた。

 

そのシエルの右肘は、肩、胴体、脚、床へと力学的に支えられていた。彼女の筋力Aが加わり真也は弾き飛ばされた。彼は宙を舞い、シエルは追撃を掛けた。真也は空中で姿勢制御。背後にあった鋼板の壁に着地すると、そのままシエルに向かって跳躍した。身を捻り、回転、追撃途中のシエルに蹴りを打ち込んだ。体重と脚力、そして回転力を乗せたローリング・スバット、カウンターである。

 

シエルは直撃を喰らい吹き飛ばされた。真也は着地、ふらりと立ち上がる。ハイウェイで受けたダメージが残っていた。地に伏せていたシエルは、むくりと起き上がり、口から垂れた血を腕でぬぐった。

 

「随分アクロバットに戦うんですね」

「筋力で負けてるから、体重を使うしか無い」

 

真也の目は閉ざされたままだ。

 

「一つ聞きたい。何故魔眼の事を知っていた」

 

この地で知るものは、ルヴィア、凛、キャスター、エルメロイの4名のみだ。

 

「その眼鏡が魔眼封じだと言う事は分かっていましたから。格闘戦に於いては私に分があります。互いに決め手を欠き、狭いコンテナ内でダメージを受け、追い詰められた遠坂真也さんは奥の手を使う事にした。どうですか?」

 

ぴっと人差し指をさすシエルの態度は先生である。真也は瞼を閉じたまま頭を掻いた。

 

「こりゃ参った。経験はシスターが上だ」

 

呆れもあったが、尊敬の念も沸いた。勝負は別にして、目の前のシスターが一枚上手だと彼は認めざるを得なかった。

 

「これでも一児の母ですので」

 

そのシエルの発言に彼は肩を落とした。

 

「どうかしましたか」

「いえ、最近そういう話が身近にあって」

「そういう話とはどういう話ですか?」

「友人が結婚して一児を儲けまして」

「他人の幸せが悔しいだなんて感心しません。祝福するべき事ですよ」

「分かってます。ただその父親が同級生で、長年敵視してきた人物なので、何というかその、素直に祝福できないというか」

 

今度はシエルが失笑した。その様を例えれば、目下の恥ずかしい過去を知った、年上の女性である。

 

「これは困りました。遠坂真也さんは真也くん、だったと言う事ですか。年配だと分かったとたん口調も正す。礼儀正しい迷える子羊に、手を掛けるのは少々気が引けます」

 

だがそれは真也も同じである。彼は目を瞑りすまし顔だったが、内心悪態を突きまくっていた。

 

(くそ、なんてこった。聞くんじゃなかった。子供が居るなんて、そんなのインチキだ……どうすればいい)

 

ランサーならどうするか、彼はその問いを無意識に封じた。決まっている。あの槍兵なら敬意を以て、シスターであり、代行者であり、誰かの妻であり、誰かの母である目の前の女性を殺すだろう。真也はそれを無意識に拒絶していた。

 

 

◆◆◆

 

 

真也に対峙するシエルは神妙な態度であったがそれは演技である。真也は霊刀を失った。それなりに場数は踏んでいるものの、体術は自己流だ。魔眼も封じた。圧倒的にシエルが有利だ。加えてシエルには黒鍵が一振り残っている。へそくり、という意味だ。

 

「ふー」

 

真也のあからさまな一つ息。胸につかえでもあるのか、シエルはそう思ったが敵ならば仕方が無い。それを合図に二人は踏み込んだ。真也はシエルの右拳を左の肘で捌いた。踏み込んだ直後のシエルの右拳の威は欠いていた。であるからして筋力に劣る真也でも対応する事ができた。

 

次の左拳がシエルの本命である。その左拳はシエルの下半身に支えられていた。彼はそのシエルの左拳の威を割くため、シエルの脚を狙い、踏み込みつつ蹴った。シエルが慌てて脚を退けば、彼女の左拳は威を失った。シエルは小さく真上に飛び、真也の脚を狙った。彼女のそのローキックは真也のあげた片足で受け止められた。

 

空中では踏ん張りが効かない。1ランク上の筋力を以て蹴りを打ち込んでも、彼女は後退するのみだ。真也の狙いはただ一つ。いかに筋力があろうと、空を飛べない以上、踏ん張らねばその拳は威を持たない。それを読み、それを崩し、シエルの打撃を大幅に殺していた。繰り返す技の応酬の中において、見事なモノだとシエルは素直に賞賛した。だが一つ、気に掛かる。真也から感じていた威圧が目に見えて弱くなった。あからさまに真也の攻撃が減っている。シエルはバックステップ、乱れた髪を整えた。

 

「目も見えずによく捌けるものです」

「小さい頃は目を封じられていまして、そのお陰で気配を読むのはお手の物です。相手の手の位置、脚の位置、呼吸、筋肉の収縮、骨のきしみ、エトセトラ」

「魔眼は小さい頃から?」

「ええ」

「なるほど、それで私の下半身を無力化している訳ですか」

 

二人の姿が消えると攻防が続いた。シエルは同じように右拳を打ち込み、真也は左腕で内側から弾く様に、捌いた。シエルの左腕が迫る。真也の捌こうとした右腕は宙を切った。

 

「でも、詰めが甘いですね」

 

真也に捌かれたシエルの右手は真也の左手を掴んでいた。捌かせた一手目の右拳が本命であり、左手はフェイントであった。シエルの脚の位置、つまり下半身を崩す積もりであった真也にはシエルの変則に対応できなかった。

 

「っ!」

 

彼女は真也の左腕に体重を乗せ、彼の姿勢を崩した。しゃがみながら、関節と逆方向に、回せば投げ技である。真也の左肘関節が悲鳴を上げる。堪えきれず、真也はその身を宙に投げた。シエルの目の前には無防備な真也が舞っていた。彼女は左足で足下の鋼板を蹴りつけ、右脚で真也の腹を打ち抜いた。トラース・キックである。宙を舞っていた真也には為す術がない。筋力Aの蹴りを喰らい、彼は鋼板の壁を突き破った。一層下に落ちていった。その衝撃と音は正面衝突した自家用車の如く。

 

1フロア下で大の字に寝っ転がるのは真也である。息が荒い、体も痛い、めんどくさい、体を動かしたくない。腹の底から逆流物の反応があった。彼は体に鞭打ち慌ててうつぶせになった。血を吐いた。落下のダメージは無視しても良いが、鋼板を破る程に蹴られ、叩き付けられたのは効いた。腹の臓器に蹴りのダメージがあった。よろりと立ち上がれば、左腕の関節が逝っている。投げられた時の影響だ。

 

「痛ぅ……」

 

痛みが遅れてやってくる、堪らず蹲った。彼は嗤うしかない。

 

「……毎度毎度、何やってるんだか、俺は」

 

誰かの為に体を張り、幾度もなく痛い目に遭った。“死なずに済んだ” だがそれはまた死ぬ様な目に遭う事と同義だ、そう己を嗤った事もある。こんな目に遭わされたあのシスターの身を案じている。常軌を逸している。おかしい。矛盾している。家に帰る、その筈だった。

 

エルメロイから槍が盗まれたと聞いた時、何故あんな英雄的な行為を選択した。あの時ルヴィアを見捨てていればこんな事にはならなかった。そうすれば義姉もこの聖杯戦争につきあうとも言い出さなかっただろう。喧嘩もせず、シエルに滅多打ちされる事も無かった。あの選択の時ランサーの影がちらついた。ランサーならどうするかと考えた。ランサーなら、ランサーなら、とそう考えた。

 

“お前がここに来なくてはルヴィアは死んでいた”

 

それは正しい行動だ。

 

(ならどうして。こんなに空しく、厳しく、寒い)

 

誰かに与えた分、誰かから貰わないと減ってしまう。減り続け無くなってしまえばお終いだ。

 

「……誰かって誰だ」

 

彼はその考えを強制的に止めた。それは願ってはならない事だ。義理を欠いてしまう。許されていない。せめて見届けられれば、それだけで十分だと決めた。決めたのにも関わらず。

 

「これは、辛い」

 

真也は何かを削り、欠いた分を埋めた。気合いを入れ、その場を離れた。影に身を隠せば、風が吹きすさむ。橋げたは階層構造で外壁はなく、容易に町の明かりを見る事ができた。視力も回復していた。死の点も線も見える、しかし殺せない理由も見てしまった。

 

「……」

 

どうする、と何度も反芻を繰り返した。彼女は敵だ、敵であれば倒すしかない。だがその彼女に子供が居る。何か手はないか。その時、ポタリと水滴が真也の頬の落ちた。見上げるそれはコンクリートに使う貯水タンクだった。彼はその作戦に掛ける事にした。

 

真也の反撃を警戒し、シエルは階段を使って一つ下の階層に降りた。足下には鋼板が広がっていたが、その一枚下は何も無い。50メートル下に川があるのみだ。真也の気配があった。死角を殺す為の工事現場用のミラーがあり、それに真紅の外套が映っていた。彼は鋼板と鉄骨を背に待ち構えていた。黒鍵で鉄骨を貫くのは難しいが鋼板なら容易だ。脚を貫けば勝負は決するだろう。シエルは最後の一本を取りだした。投擲。彼女は真也が盾にしている鋼板毎真也の脚を貫いた。

 

「ぐっ!」

 

呻き声が聞こえる。シエルがその十字路に達し。

 

「本当に詰めが甘いですよ、真也くん」

 

チェックメイトだとその死角を覗けば、立っていたのは真紅の外套を着せた工事用の人形だった。呻き声は演技であった。そしてそこは細い通路だった。加えて左右が鋼板で覆われていた。真也は左右の鋼板に脚を突き立て、つっかえ棒の要領で天井に張り付いていた。真也の腰には鎖が巻き付けてあった。彼の手にあるのは外套に隠し持っていた小型ナイフだ。シエルには何が何だか分からない。真也の直下にある鋼板には水溜まりがあった。ドクンとシエルの心臓が一つ強く打った。真也はその蒼い目で上層と隔てる鋼板を切り裂いた。その上に存在するのは貯水タンクである。底が抜ければ当然怒濤の様に水が流れ出す。二人はその抗いようのない大砲水に襲われた。流された。

 

 

◆◆◆

 

 

シエルが見る物は己の左手である。その左手は最下層からぶら下がる一本のパイプを掴んでいた。足下には何もない。遥か50メートル下に川があるのみだ。彼女は心許ないパイプでぶら下がっていた。ポタリポタリと水が落ちてくる。その水がパイプを伝わり、手を滑らした。右手でパイプを掴めばその反動でパイプがさらに歪む。登る行動に耐えられまい。彼女は死に難さに自信があったが、この高さを落ちれば流石に分からない。脚から落ちれば即死は免れるかもしれないが、人間の頭は重い。頭から落ちればその確率は増す。運良く体から落ちた場合、水面との衝撃により手足は折れるだろう。ならば泳ぐ事もままならない。その結末は想像したくはない。グニャリとパイプが針金の様に曲がった。手が滑り、残りは最早拳一つ分無い。

 

「ごめんなさい」

 

シエルが夫と子に謝れば、彼女の目の前に鎖が垂れた。見上げれば真紅の外套を脱ぎ、上下真っ黒の真也がシエルを見つめていた。その左腕は力なく垂れていた。動機が理解できないがその若者には殺すつもりはないらしい。彼女はその鎖を手に取った。登り切ればシエルは横座りで通路に腰掛けた。真也はそれから離れたところで大の字に寝っ転がった。

 

「何故助けたんですか」

「勘違いしないでください。敗者の弁なんて通用しない、ただそれだけです。確かに俺らは一度槍を回収をしました。その後極秘裏に塔に持ち帰り、そして誰かに盗まれた。俺が聞きたい事はただ一つです。何故聖堂教会がそれを知っているのか、という事」

「本当に持っていないんですか」

「持っていません。今手元にあったらシエルさんに叩き付けてます。教授、ロード・エルメロイも俺と同じ意見です」

「なぜこの聖杯戦争に参加したんですか?」

「俺個人の立場ならクロムウェルの遺産なんてどうでもいいし、ついでに天使の知識にも興味もありません。槍が盗まれ、見つけたルヴィアと俺が疑われた。参加したのは身の潔白を晴らす為の、成り行きです。シエルさんのその言いぶりだと、槍とこの聖杯戦争が絡んでいるって聞こえます。知っている事を教えてください」

(……私たちは利用された?)

 

シエルは立ち上がるとそのまま歩き出した。彼女は何も言わなかったが、撤退する雰囲気を如実に放っていた。当然それを悟った真也の声は非難めいていた。

 

「質問に答えてないです」

「真也くんの勝利ですよ。ですから答えません」

「意味が分かりません」

「遠坂真也が槍を持っている、私はもう信じて居ませんから」

「それ、アリですか」

「気に掛かる事がありますのでこれで失礼します」

 

数歩歩くとシエルはぴたりと足を止めた。

 

「我々が先の聖杯戦争に関与した、私はそれを知っています。ですが私にも知らない事がある様なのでそれを調べます。それではまた」

 

カツコツとシエルの足音が消えきった頃。天井を見る真也の瞳は朧気だ。その表情には喜びも、悔しさもなくただ虚無めいていた。

 

「俺の勝利、か。初勝利なのに、ちっとも嬉しくない」

 

真也は眼鏡を掛けた。

 

「キャスター」

 

水晶玉でトレースしていた従者の声は何時になく固い、否。深刻そうだ。

 

『……今ルヴィア様と凛様がその橋に到着しました。あと10分程でマスターの元にたどり着きます』

 

人の気配が近づけば、ほんの少し辛さが軽くなった。

 

「何故きょうだいを選択したんだろうな、俺」

 

その呟きは吹き曝しに掻き消された。

 

 

 

 

つづく!

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